2006年5月3日水曜日

梅田望夫「ウェブ進化論」

最近のはやり言葉ではあるのだが、何のことやら、いまいちよくわからないweb2.0をはじめとした、インターネットを中心としたウェブ社会の、これからをとりあげた本。

基本としては、「子供の頃から、こうした新しい道具を与えられた世代からは、明らかに旧世代とは違うリテラシー(表現能力)をもった人たちが数多く育っていくに違いない」ということを背景に、「これから始まる「本当の大変化」は、着実な技術を伴いながら、長い時間かけて緩やかに起こるものである。短兵急ではない本質的な変化だからこそ逆に、ゆっくりとだが確実に社会を変えていく。「気づいたときには、いろいろなことがもう大きく変わっていた。」というのが主旨。

そして基本スタンスとして、そうした変化を望ましいものとして捉えているように思えるのだが、
「人は、ネットの世界に住まなくたって、これまで通りのやり方で生きていける。そう思う人たちがマイノリティになる時代はそう簡単にはやってこない。
ゆっくりと確実に変わっていく社会の姿とは、二つの価値観が融合し、何か新しいものが創造される世界だろうか。それともお互いに理解しあうことのない二つの別世界が並立するようなイメージとなるだろうか」
といったあたりが、よくある進化論的なネット崇拝の議論とは違うところ。

へーと、関心させられた一つは、

「次の10年への三大潮流」を「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」と定義づけ、それらが相乗効果を起こし、そのインパクトがある閾値を超えた結果、リアル世界(バーチャルなインターネットの世界と対立させるように、筆者は現実社会をこう表現している)では絶対成立し得ない「三大法則」とも言うべき全く新しいルールに基づき、ネット世界は発展を始めた。その「三大法則」とは

第一法則:神の世界からの世界理解
第二法則:ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏
第三法則:(無限大)×(ゼロ)=Something、あるいは、消えて失われていったはずの価値の集積

といったあたりの提示とその事実分析。

ネットが持つ不特定多数をいとも簡単に相手にする特性と最近大流行のアフィリエイト。そして、Amazonの売り上げの1/3が「ロングテール」と呼ばれる、流行からはずれてしまい、ほとんど忘れ去られているものから得られている事実など、ネットが、着実に私たちの社会的な行動やポジショニングの取り方へ大きな影響を与えているいることにあらためて、驚くのである。
たしかに、アフィリエイトで生活している人がいるなんて、私の親の世代には思いもつかない状態で、きっと、そうして暮らしている息子がいたら、「ちゃんと仕事につけ」と説教をくらうのは間違いない。ウェブは、仕事の環境も意識もがらりと変えてしまった、ということなのだろう。

もうひとつ、うーむ、と唸ったのはGoogleの項で示されたネットの「こちら側」と「あちら側」の議論。ネットの「こちら側」とはインターネットの利用者、つまり私たち一人一人に密着したフィジカルな世界、ネットの「あちら側」とは、インターネット空間に浮かぶ巨大な情報発電所とも言うべきバーチャルな世界、をいうらしいが、「今や、『こちら側』に置いた情報を『こちら側』で処理するコンピューティング・スタイルよりも、『あちら側』に置かれた情報を『あちら側』に作った情報発電所で処理するほうが高性能かつ合理的だというコンセンサスが生まれつつある]といったあたり。で、筆者の主張によれば、米国は「あちら側」志向、日本は「こちら側志向」。Googleは「あちら側」重点、Microsftは「こちら側」重点で、GoogleとMicrosoftの違いは、それぞれの創設者の生まれた時代に由っているのだ、ということらしい。

確かに、パソコンが高嶺の花であった実経験をもつ私のような世代と、インターネットやケータイが当たり前の状態で育った私の子供たちの世代とでは、ネットやPCに対する距離感が明らかに違う。私も、PCを自作したり、自宅サーバーを運営してみたりとか、距離感はないほうだとは思うのだが、彼らはPCとTVが同じレベルの感覚には適わない。

そのほか

ブログを「知的生産の道具」として使う場合の、私のほうからの「歩み寄り方」

1)対象となる情報源がネット上のものである場合は、リンクを張っておくだけでなく、できるだけ出典も転記し、最も重要な部分はコピー&ペーストすることである。簡単な意見や考えもあわせて書けばさらにいい。

2)対象となる情報源がネット上のものでない場合(デジタル化されていない本や雑誌の場合)は、出典を転記し、手間は少しかかるが、最も重要な部分だけ筆写することである。なぜ筆写したのかもきちんと書けば、筆写部分を「引用」扱いにできる。筆写部分の分量を常識的な線に押さえれば、著作権のことを心配することはない。筆写の割合が多く、情報の公開にそれほどの意味を感じない場合は、ブログ自身を非公開で使えばいい。

この1)、2)の「歩み寄り方」をした上でブログと付き合うことで、ブログは私にとって、限りなく理想に近い「知的生産の道具」になった。

とか

試行錯誤の末、最近は、ブログこそが自分にとって究極の「知的生産の道具」かもしれないと感じ始めている。
1)時系列にカジュアルに記載でき容量に事実上制限がないこと
2)カテゴリー分類とキーワード検索ができること
3)手ぶらで歩いていても(自分のPCを持ち歩かなくとも)インターネットへのアクセスがあれば情報にたどりつけること
4)他者とその内容をシェアすることが容易であること
5)他者との間で知的生産の創発的発展が期待できること

この5つのシンプルな効用の組合せがありがたい。さまざまな「知的生産の道具」と長いこと格闘してきた結果、
a)道具はシンプルなのがいい、
b)道具に対しては過渡に期待するのではなく、その道具の特徴を理解してこちらからうまく歩み寄り、道具と自分が互いに短所を補いあうようにしながら、一体になってしっくりとやっていけるかどうかが重要と考えるようになった。

とか触発されるところも多い。

ウェブに、日常的に縁のある人も、ない人も、ちょっとしかない人も、どっぷり浸かってい
る人も、読んで損はない一冊です。
(もっとも、Web2.0っていうのは、いまいち、よく解らなかったが・・・)

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