2011年2月28日月曜日

下川裕治「格安エアラインで世界一周」(新潮文庫)

仕事が煮え詰まってきた時の「旅本」逃避という癖が、私にはあって、日常の退屈さと閉塞感を、つかの間紛らわすために、つい手にとって、忙しいのに読みふけってしまい、おまけに旅することを妄想して、精神の平衡を保っているところがある(いざ旅をするとなると、準備やら、チケットやホテルの手配やらで、途中で面倒くさくなってしまうんだけどね)

 そんなときに、よくお世話になっていたのが、下川祐治さんの貧乏旅行記で、タイには行ったことがないのだが、妙な親近感を、この国に覚えるのはそのせいもあるのだが、今回は、世界を股にかけたLCC(ローコストキャリア)の旅である。

構成は

第1章 関空・マニラ
第2章 クラーク空港・クアラルンプール
第3章 シンガポール・バンガロール
第4章 シャルジャ・アレキサンドリア
第5章 アテネ・ロンドン
第6章 ダブリン・ニューヨーク・ロングビーチ

となっている。

関西空港からアジア、アラビア、ヨーロッパまわりで格安航空路線で世界一周をしてしまおうという旅である。(旅の終わりは「ロングビーチ」、つまりアメリカ西海岸になっているが、これはアメリカから日本までの太平洋航路で、LCCが就航していないという理由に過ぎない。)
で、旅の様子は、というと、やはり安旅である。飛行機を使うといっても、そこはLCC、関空ーマニラ間が18,000円、機内食は有料で、カップヌードル100フィリピンペソ(200円ぐらい)がメニューに麗々しく載っているという具合だから、そこは以前の貧乏旅行の延長ではあるのだな、と安心していい。

ただ、まったく今までの貧乏旅行と同じかというと、そうではない。
LCCの空港が、その国のメインの国際空港とは違ったところに就航していて乗り換えにやたら苦労したり、メインの空港ではあっても搭乗口はやけに遠かったりとか、、手間がかかる点はあったり、格安の航空路線で、ドバイなどの産油国への国際的な出稼ぎ労働者が使う路線であたりといった、貧乏旅行らしい風情は漂うのだが、今までのバスや鉄道を使った貧乏旅行とは違う雰囲気が漂っているのは間違いない。

それは、なんといっても現地の人や現地の風景・風土との関わり合いの薄さということなのだろう。当然、現地に宿泊はそ、食事もしているのだが、異国での濃密な滞在感覚というものは、なぜか伝わってこない。世界一周のたびという性格から短期間で世界を回るという制約があり、現地への滞在時間は少なくならざるをえないのは間違いないのだが、旅の移動の手段として「空港」というある意味、「よそゆき」の場所を使わざるをえない。おまけに、移動中の特別なエピソードは、およそ発生しない、という航空機の旅のもつ性格ゆえのものもあるのだろう。どことなしか、点と点を移動しているという印象が強い「旅行記」で、やれ、現地でボラれただの、地理不案内のため、妙なところに彷徨いこんでしまったといったエピソードは期待しないほうがいい。

ただ、まあLCCによる貧乏旅行というのも、これからの「旅」の一つであるのは間違いなくて、これからは「移動」そのものの旅行記ではなく、「滞在」あるいは「沈没」ということが旅行記が主流になるのかな、と思わせた一冊である。

高橋克典 「職場は感情で変わる」(講談社現代新書)

「不機嫌な職場」の続編ともいえるのが本書。

前著では、バブル崩壊後、業績主義が進行する中で、顕在化してきた、カサカサして、協力しあえない、それどころか対立関係すら生んでしまっている「職場」の問題点を分析し、その解決に取り組んでいる職場や会社の実例を紹介しながら対策を記述していたのだが、本書はそれを一歩進めて、「不機嫌な職場」の経営学的な分析と対処法を体系的に論じたものといえる。

構成は
 第1章 組織にも感情がある
 第2章 そもそも感情って、何?
  1 なぜ、感情が生まれるのか
  2 感情をどうコントロールするか
  3 感情は連鎖する
 第3章 組織感情をマネジメントする
                                1 組織における感情の位置づけ
                                2 マネジメントの方法
 第4章 組織感情を引き出し、共有する方法
  1 イキイキ感情を共有したい
  2 あたたか感情を共有したい
  3 ギスギス感情を変えたい
  4 冷え冷え感情を変えたい
 第5章 良い職場、良い会社をつくろう

 となっていて、今までは「モチベーション(やる気)」という側面でしか語られたり、対策が練られていなかった、組織感情について、正面から取り上げ、その組織感情が、組織のパフォーマンスに与える影響や、そのコントロール方法について論述しているのは他のモチベーションを語るビジネス本にない特徴。

 その対処法などが、景気や業界環境といった外部環境と切り離された、純粋化された形で語られている点に、ちょっと不満を持たないではないのだが、意欲を
どうかきたてるか、職場をどう燃やすか、といったあっけらかんとしたモチベーション論や業務改革を語る他のビジネス本とは一線を画している。

 特に日本型の通常の組織の場合は、よくある「業務改革本」のようなやり方では、なんとなく上滑りしてしまったり、やらされ感や、またかといった感情が先
立って、職場を活気付けるどころか、そうした活動自体が職場に徒労感を与える場合が多いと思っているので、本書の「感情」を基礎にすえた職場活性化策は、
様々な面で参考にしていい。

最後に、オルフェウス室内管弦楽団(アメリカ ニューヨーク州)のエピソードを紹介してこのレビューの〆としよう。
このオーケストラは、演奏活動
を続けている管弦楽団らしいのだが、その8つのモットーが


その仕事をしている人に権限を持たせる
②自己責任を負わせる
③役割を明確にする
④リーダーシップを固定させない
⑤平等な
チームワークを育てる
⑥話の聞き方を学び、話し方を学ぶ
⑦コンセンサスを形成する
⑧職務へのひたむきな献身

ということだそうだ。(詳しくは本書で)

新書らしく、さらっと書いてあるので、理論的なところはちょっと物足りないかもしれないが、ありきたりの「業務改革本」に飽きてきたら一読を薦めたい一冊
と思う。

宮部みゆき 「日暮らし」(講談社文庫)

「ぼんくら」で鉄瓶長屋がつぶされて湊屋の別宅が建てられ、煮売屋のお道は、近くの幸兵衛長屋に移り、それぞれの新しい話が始まって・・・といったところから始まる「ぼんくら」の後日談。

後日談といっても、話自体は全く別物で、登場人物や、舞台設定が同じ、シリーズ第2作と考えたほうがいい。
 構成は
 「おまんま」
 「嫌いの虫」
 「子盗り鬼」
 「なけなし三昧」
 「日暮らし」
 「鬼は外、福は内」
 で、「ぼんくら」の場合と同様に、「おまんま」から「なけなし三昧」で本編の「日暮らし」に至るエピソードや伏線や目くらましをぽんぽんぽんと振っておいて、
あれよあれよ、といっているうちに、物語世界に引き込んでしまうのは、手練れの技としかいいようがない。

簡単に、前振りの話を紹介すると

 「おまんま」は、政五郎親分のところにやっかいなっている"おでこ"が自分の落ち着きどころというか存在する価値を再発見する話であり、

 「嫌いの虫」は「ぼんくら」で鉄瓶長屋の差配を勤めていた佐吉が幼なじみのお恵と所帯をもってからの夫婦のすきま風とその修復の話であり、

 「子取り鬼」は、佐吉の実母である葵の身の回りをすることになるお六が、葵の助けでストーカーから逃れる話。

そして、

 「なけなし三昧」は、煮売屋のお道の長屋に、上品で値の安いお菜を売るライバルの出現の、そのライバルが安値でお菜を商う本当の訳、

といったもので、こうした短編の積み重ねの後に、本編である「日暮らし」がどんと持ってこられる。

 で、「日暮らし」では、なんと佐吉の実の母である葵が殺される。そして、現場には佐吉が腰を抜かしていた。葵は佐吉に殺されたのか・・・。佐吉の疑いを晴らすため、同心の井筒平四郎と弓之助が大働きし、お道は、煮売屋のライバルで、行方をくらましたおえんの奉公人を助けているうちに、煮売屋の商いを大きくすることになり、といった感じで進んでいく。

 犯人というか、謎解きは、ありゃ、こっちの方へ言ったか、といった感じで拍子抜けする感はあるのだが、うまい伏線のせいか、最後まで、うかうかと読まされてしまうあたり、筆者の腕の冴えは衰えてはいない。

 と、まあ、推理ものとして読むのもいいが、この筆者の物語を読む楽しさには、その語り口を楽しむといったもう一つの楽しみがある。

 例えば「なけなし三昧」でだしのほう

 だから平四郎は、お徳が気負い込んだ様子で彼を呼び、おいおい何だよと店をのぞいてみて、小あがりの座敷にずらりと並べられたお菜を見たときには、すわこそと喜んだのだ。ようようお徳もやる気を出したかと、箸を持つ手も浮き浮きと、皿から小鉢へと飛び移り、あれも旨いこれも旨いと大声で誉めた

といったあたりを読むと、これから、どんな展開があるのかわくわくするし、

 「おまんま」の最後のほう、ふっきれたおでこが、ふさぎこんだ訳を平四郎にうちあける場面の

 あい ー と、おでこは声を出さずに口の動きだけで返事をした。
おっかさんが恋しいわけでも、片恋でもなかった。もっともっと ー むしろ「大人らしい」ことで悩んでいたわけだ。
  おまんまのいただき方は、人それぞれに違う。違うやり方しかできない。自分にできるやり方をするしかないし、それしかやりたくないのが人のわがままだ。それでも平四郎はふと考えた。白秀も、似顔絵扇子を書きながら、自分はここでこんなことをしていて良いのかと、自問したことはなかったのかなと。

といったくだりを読むと、おでこ頑張れと言いながら、ふと我が身を振り返って、うむ、と言わされたりするのである。
なにはともあれ、作者の腕が冴えわたる上出来の物語であります。読んでおいて損はありません。

宮部みゆき「ぼんくら」(講談社文庫)

宮部みゆきさんの得意技である、江戸の長屋ものである。
舞台は、深川北町にある鉄瓶長屋。鉄瓶長屋ってのは、長屋の初めての井戸さらいで赤く錆びた鉄瓶がふたつもでてきたことによるとなっているが、ここで、太助という長屋の住民が殺されるところから、物語は始まる。

構成は

殺し屋
博打うち
通い番頭
ひさぐ女
拝む男
長い影
幽霊

となっていて、「殺し屋」から「拝む男」は、本編である「長い影」に至るための、重要なエピソード集であり、「幽霊」は「長い影」の後日談となっている。

筋立ては、最初の太助殺しから始まって、「博打うち」の博打狂いの父親の借金の方に岡場所に売られそうになある娘が、父親の一言でどうしたか、といった、それぞれに、ほぅっと唸らされながら、途中、鉄瓶長屋の差配を務めていた九兵衛が失踪し、その跡に長屋の所有者である湊屋の姪の息子の佐吉が新しい差配となるが、店子は、櫛の歯を欠くように減っていくのだが、どういうわけか湊屋は、それを望んでいる気配もあり、、そこに、湊屋と若い頃、同じお店で働いていて、そこでの諍いで湊屋を深く恨んでいる岡っ引の仁助が絡んできて・・・てな調子で、いつのまにか、宮部ワールドにどっぷりとに浸ってしまっている自分を発見するという、いつものパターンだ。

で、また、狂言回しを務める主要な配役がまた良い。なによりも暇をうっちゃることに長けている同心の井筒平四郎や、煮売屋のお道、そしてなんといっても、平四郎の甥の弓之助だ。この何でも測量したがる、頭の回転のいい、人形のような美少年が、こまっしゃくれた調子で推理を巡らすのが、これまた良いんだよねー。


で、まあ、少しばかりネタばれすると、大店の妙な痴情沙汰の果ての後始末ってなところなのだが、はじめにふってあるネタが、最後の方になると、バタンバタンとどんでん返しが連続しておきてくる。、嗚呼、やっぱり宮部の姉(あね)さんに、うまうまと騙されちまったよ、と唸ってしまうこと請け合いの話である。

ところで、読むほどに、この煮売屋のお道の店で売っている、蒟蒻か里芋、ちょっと頬張ってみたくなるのは私だけだろうか?