2013年6月30日日曜日

MacBook Air 11'の初期設定にはまった。

買ってすぐさま必要なのは初期設定なのだが、早速にはまってしまったので、その顛末を報告。
電源を入れ、操作画面に従った初期設定を始めたのだが、この画面から先に進めなくなってしまった。

改行キーを何度叩いてもだめだし、最初からやり直して改行を強く押しても駄目。いい加減切れかけたところで、Webを検索すると・・・・
 
「スペースキー」を押すんだすな・・・(汗)
 
そこがわかれば、後ははまることなく設定が完了できたのだが、長年のWindows使いの盲点ではあると思うのだが、どうだろうか

2013年6月29日土曜日

MacBook Air 11'を買った

新製品が出た、と嬉しがるほどのMAC信者ということからではないのだが、流行に遅れまじ、というところと少しはドヤ顔をしたい、ということで衆目の憧れでもあるMacBook Airを買った。
今までPCはWindowsしか使ってこなかったので、初めてのMACである。
 

もともとモバイル用に使っていたasus 1225Bが壊れたというわけではない(もっとも電源ボタンは買って7〜8月経過後に使い方が荒かったせいか機能しなくなってしまって、Asus OSのボタン経由でWindowsを立ち上げていた状態ではあったのだが)のだが、やはりスペックが低く普段使いするには、どうにもストレスが溜まってしまって我慢ならなくなったと、今回のMacBook Airはバッテリーの持ちが半端なく長くなった(Asus 1225Bのバッテリーの持ちが悪い訳ではない。5時間はゆうに持つのだが)といったところやら、なんやらかんやらを適当に理屈づけしながら、ボーナスも出たことだし、と思い切って買ってしまった、という顛末である。
 

で、まあ買ったばかりの感想なのだが、この薄さとレスポンスの早さはには感動もの。さらにバッテリーも公称では最大9時間もつとなっていて、連続でそこまで試しみたことはないが、通常8時間程度の勤務時間で連続しようでない普通の勤務形態であれば十分保つ様子である。
 
もしノートPCが買い替え時期であるなら、個人的にいえば一番のお薦めではありますな。

2013年6月9日日曜日

グルメを裏からみるとこうなるか・・・ 菅野彰×立花実枝子 「あなたの町の生きてるか死んでるかわからない店探訪します」(新書館 ウィング文庫)

それぞれのジャンルに、裏筋からそのジャンルを扱ったり、頭からなぎ倒したり、といったトンでも本は存在するもので、例えば、旅行記で言えばゲッツ板谷の「怪人紀行」シリーズ 、思想書ぽいジャンルでは、坂口 の「独立国家の作り方」といったところを思いつくのだが、この「あなたの町の・・・」も間違いなく、グルメ本のジャンルのトンでも本に間違いない。

なにせ、どの町にもあるであろう、廃墟とも間違わんばかりの「店」を訪れて、注文し、しかも完食する、という苦行ともいうべきグルメ(?)ルポ、である。

登場する店は、筆者の住む町近くの大泉学園の寿司屋と中華料理屋から始まって(この寿司屋は味は変な店ではなかったようだが)、湘南台のレストランまでの十数店。中華から洋食まで食するものは雑多であるが、さすがに命の危険に直結しそうな、刺身系の生ものの店は入っていないのは、店選びに関する筆者たちの慧眼というべきか、あるいはそこまでいくと洒落にならないという編集部の英知か?

なにせ、「死んでいる」と評された店の共通点はいつのものかわからない食材の古さと使われる油の粗悪さ。お決まりのように食べたもののオールリバース+数日間の寝込み状態というすさまじさなのである。そして、そのすさまじき食べ歩きのルポと4コママンガが、なんともアッケラカーとして陽気なのが、ますますそれらの店の提供する料理のグロさをかきたてるのである。

まあ、体力や気力に溢れている時にはお勧めしないが、暑いときには熱いものを食せ、という避暑法のように、気力が落ちているときのカウンター療法として薬効がある(かも)しれない

2013年6月8日土曜日

謎解きの味は薄いが、さくさくした味わいのミステリー 近藤史恵「モップ」ミステリーシリーズ

最近、軽めのミステリーに凝っている、うちの奥さんが読んでいるのを横目にみて放置しておいたのだが、歴史小説の重さにちょっと飽いて、読み始めたのが、近藤史恵の「天使はモップを持って」(文春文庫)、「モップの精は深夜に現れる」(文春文庫)の2冊。
主人公はフリーランスの掃除人のキリコという女性なのだが、10代でお洒落で、今風の女の子、という設定にしたのが、このシリーズの斬新さ。

主な展開は、旦那となる「ぼく」こと梶本大介がキリコと出くわし、彼の勤める会社やビル内の事件を解決するのが、第1作目の「天使はモップを持って」(文春文庫)。大介と結婚後、再び時間契約のような形で清掃業務を始め、その業務先で事件を解決していくのが第2作目の「モップの精は深夜に現れる」(文春文庫)。

どことなく気になるのは、キリコが、掃除も料理もできる、ハウスキーピングの達人といったところが、シリーズ最初の頃は斬新なキャラ設定と思わせていたものが、なんとなく鼻についてくること。特に第1作目の事件が軽いタッチなのに対し、2作目の事件は、人間関係がドヨッとしてきて重くなるにつれ、キリコの存在が浮世離れしてきている感がある。

なにはともあれ、ミステリーというのは無聊の時の暇つぶしがもと。小難しいことをいわず、休日の昼下がりや、夕食をすまして面白いTVもない手持ち無沙汰の時、手にとってみてどうだろう。第1作はKindle本も出ているので、深夜のショッピングも可能である。

2013年6月2日日曜日

定住・地域活性化のやり方・技術論としての「ノマド」

最近は、ライフスタイル、ワークスタイルの面で語られることの多い(いや、既に話題の中心からそれていっているのかもしれないが)「ノマド」論について、昨日に引き続き考えてみる。
ノマド論は働き方の側面で語られることが多いのだが、定住のあり方、とりわけ地方分部における働き方として考え直してもいいのではないか、とも思う。

というのも、このブログの表題そのものの日本の田舎に住んでいて思うのだが、田舎・地方における人口問題、定住問題が、その地方における定職をどう提供するかということとセットするがで論じられることが多いのだが、これを切り離して、「住んでもらう」ということだけを考えた定住対策を考えてもいいのでは、と思っているのである。まあ暴論に近いといえば近いのだが、定住という形で、フルスペックで住んでもらうには都会の持つ利便性と事業機会の多さは計り知れないのは事実なので、自然であるとか人情とかいったふわついたものだけでは、とても太刀打ちできないような気がしている。

ということで、フルスペックでなくパートタイム的な定住を増やせないかな、ということ。極端にいえば、快適な「デジタル出稼ぎ環境」を創っていけないかな、ということである。

例えば東南アジアのいくつかの国では、先進国に出稼ぎに行き、本国を送る仕送りがその国の経済活動に多くの影響を与えるように、週の幾日かを過ごしてもらい、住民税を払ってもらう、というレベルでの定住を考えることはできないか(東京近郊のベッドタウンに居を構え、普段の日は残業で午前様、我が家にいるのはせいぜい日曜日、なんていう企業戦士も言ってもレバ同じようなもののような気もする)ということを考えてもいいのではないだろうか。

もちろん、都会の持つ魅力に効し難いところもあるから、全ての人というわけにはいかないだろうが、通信環境が整っていさえすれば仕事ができる人たちにとって住みやすいところを考えていく、というのもこれからの定住対策を考えていく一手法なのかもしれませんですね.

2013年6月1日土曜日

「ノマド論」を再び働き方の面でとらえるべきではないか

最近は下火になってきた「ノマド論」なのだが、どうもライフスタイルの面で語られることが多くなってきたためか、本来、この話がもっていたはずである、「どこでもビジネスに参画できる」「どこからでもコラボできる」という、かって佐々木俊尚氏の「仕事をするのにオフィスはいらない」で示唆されていた、地方、都会関係なく、繋がり関係性をもちながら仕事をする、という可能性や、場所が離れたままコラボする、といったビジネススタイルの可能性が欠落し始めているのは、どうも寂しい。
 
なんとなく、カフェでMacBook Airがどうたら、とかコワーキングでどうとか、といった議論が先行したせいか、物理的に離れたところにいるままで時間的に共同、コラボして仕事が出来るといった仕事環境がつくられることによって生じる、強固な組織が柔らかく変化していかざるをえない状態や、いわゆる組織への従属性の変化(この変化は、単純なフリーランスというものでもなく、組織への従属性を、従属する数とロヤリティの面で多層化すること などなど)といった面がどこか置き去りにされてきたように思う。
 
ここらで「ノマド」というものを今一度、ワークスタイル、場所に拘束されない働き方というものを行うにはどういう環境(電源とかWifiとか物理的なものではなく)が必要で、組織への関わりようをどうしていくか、再定義してみてもいいのではないか、と思っているところなのである。