本書の「はじめに」によれば、氏の職業は「文章書き、編集者、グラフィック・デザイナー及び出版社社長」であるそうなのだが、アームチェア・トラベラーを自負する私にとっては氏の処女作である「ゴーゴーインド」は読み遅れたが、「旅、ときどき沈没」に始まり、「旅で眠りたい」「世界最低最悪の旅」などなど、アジアを中心とするバックパッカーの貧乏で少しヤバくはあるが蠱惑的な旅の話を読ませてくれる旅行記の語り手という存在。
ただ本書は「旅の記録」というわけではなく、その裏手の話。
構成は
第一章 インドへ
第二章 アジアへ
第三章 再びアジアへ
第四章 「遊星通信」の時代
第五章 「旅行人」の時代
第六章 転機
となっていて、インド旅行から「インド病」にかかり、それをきっかけにデザイン事務所を退職、旅行記作家+出版業、そして再びの旅行記作家へ、という氏の半生記である。
半生記といっても、そこは氏らしく、我が来し方を語るといった風情ではなく、旅行が好きで、旅行で見知った様々な地を人に教えるのが好きで、といったバックパッカーよろしくの悪戦苦闘の話でもある。
思えば、蔵前仁一氏や下川裕治氏などの旅行記と日本人の海外旅行の隆盛とが重なっていて、彼らの旅行記の出版がとびとびになっていくにつれ、日本人の海外旅行も、よく言えば落ち着いてきて、今の内向きな性向が顕著になってきた気がする。
氏の言う
初めからこうしようと思って始めたことはなにもない。・・・
自分がおもしろそうだなと思ったことにただ一歩を踏み出す。うまくいかないときもあればいかないときもある。それだけのことだ。(P350)
という風情で盛んになった日本人の旅行熱も熟成してきたのと、インターネットを初めとした他の「旅」も出現し、多様化し断片化する世界へ到達したということか。
総ずれば、路地裏から見たバックパッカーの旅行記始末といった感じで、あの頃の旅行記のいかがわしいワクワクさは薄れているが、あの頃の熱気を懐かしく思う人には、自らの思い出を呼び起こしながら読むと味がある、「違う意味での旅行記」である。
日本の人口最少県である鳥取県に住まう、リタイア生活の途上人の田舎の日常のあれこれ。「辺境」には地理的、意識的の二つの側面があり、 あくまで『”中心”ではない』と宣言中。このサイトは、本編「辺境駐在員の備忘録」の過去ログ+私的な記録+補遺なのであしからず
2014年7月6日日曜日
2007年4月17日火曜日
蔵前仁一「旅で眠りたい」(新潮文庫)
おなじみの旅本作家 蔵前仁一さんの旅本。
今回は、アジアを通ってアフリカに行く予定の旅なのだが、収録されているのをみると
「長い旅へのあやふやな出発」
「台湾の退屈、香港の腰痛」
「タイの島でひと休み」
「インドは今日も暑かった」
「パキスタンの砂漠を越えて」
「不思議の国イラン」
「アジアの終着駅トルコ」
といったもので、おいおい、アフリカにいつ着くんだよ、といった塩梅である。
それもそのはず、日本を出るまでも、芦屋の知人のマンションで1週間過ごしたり、沖縄の波照間島の2食つき3500円の民宿(晩ごはんに冷奴の巨大鍋、刺身の特大盛り、サラダ大盛り、野菜の煮付け大量、ソーメンの土鍋、親子丼、さらには具だくさんのカレーうどん、知合いの漁師が届けてきたたくさんのとれとれの魚の焼き物が毎日でるような宿)で、飽食の毎日を過ごしたり、といった具合である。
さらに海外に出たら出たで、台湾では、高地の村まで足を伸ばしたり、タイのピピ島ではなんともやる気のないバンガローに1週間以上ダラダラと宿泊したり、沈没のメッカ インドでは、病気にかかったせいもあるがカルカッタに2週間、カトマンズに5週間といった感じで通算6ヶ月滞在といった具合。
今回は、いつもの旅に比べても、なおさらゆっくり、ダラダラと旅を続けている感じがする。
最近、旅本に顔を見せなくなったイランといったところや、人気が高くなっているトルコとかもきっちり収録されていて、まあ、アジアの旅総集編といったところか。でも、同じようなルートを辿った沢木耕太郎の「深夜特急」が、求道的で、どことなく悲壮な感じがしていたに対し、この人の旅は、のほほんとした感じで味があるんですよね。
結局は、アフリカへの旅は、この本には収録されなくてアフリカ間近のアジアでこの旅本は終わるのだが、時間のある昼下がりに、ダラダラと読んで楽しい旅本であります。
2007年2月26日月曜日
蔵前 仁一 「インドは今日も雨だった」(講談社文庫)
近頃、旅本といえば蔵前仁一さんのものを読むことが多いのだが、本書はひさびさに蔵前氏のお得意の地「インド」である。
旅本作家によって、お得意というか、取り上げる地に偏りがあることは、この前のレポートに書いたところだが、やはり、お得意の地となると、作者の思いの入り方も違うのは、この本の場合も変わらない。
インドといっても、そこは大国なので、北から南、あるいは東から西まで、行くところによって風情も何もかわってしまうのだが、この本で主にとりあげるのは、北インド(ダラムサラ、ニューデリーカルカッタ)、チベットあたりである。
で、北インドの旅はどうかというと、そこは、やっぱりインドはインドで、
おまけに旅慣れた筆者のようなバックパッカーは、なおさら現地の人に近い安いホテルや、路線バスでの観光を目論むものだから、本当に出発するのかどうかわからないバスチケットを買って、やはり、お決まりのように行き先の違うバスに騙されて乗せられたり(「ダラムサラは遠かった」)や、山中で車のシャフトが折れて立ち往生したトラックに遭遇し、乗客たちが力をあわせて工事中の排水溝を埋めて道をつくってすり抜けたり(「キナウル・カイラスを求めて」)、といったアクシデントには事欠かない。
おまけに、
ダライラマは外国の観光客とも会ってくれて(もちろん予約制らしいのだが)握手までしてくれるといった話や、
バスで通勤している物乞いのばあさん(「ダラムサラの日々」)とか、
よそ者と触れると穢れると信じていて、外国人に土産物を売りつける時も、足下に投げ出して売ったり、村の至るところに外国人がさわってはいけない聖なる石がころがっているマラナの村(「マラナ伝説」)
とか、
なぜインドには「野良牛」が多いのか(「街の中で暮らす牛」)といった「インドだよねー」というか「外国だよねー」といったエピソードは、いつもながら豊富である。
最後の締めは、カルカッタで一番汚いところといわれている「サダムストリート」の安宿紀行。
こういった旅本の場合、旅先の美しい風景とか、現地の人との心温まる交流とかよりも、こうした安宿街の、ザワザワとしていながら何かしら儚いエピソードの方が興味深く読めるのは、私だけではないはずだ。
いつの間にか消えてしまった物乞いとか、相も変わらず怪しげなものを売っている絵葉書売りとか、いかにもボリそうなリキシャの親父とか、あやしげな安宿街の風情を楽しむことにしよう。
そして、この章には、汚いだけと思っていたカルカッタが美しい街に変わった瞬間のエピソードが紹介されている。あえて、まるごと引用すると
「初めて僕がカルカッタにやってきたのは、もう十年以上も前のことだが、最初は僕もその不潔さに動揺した。見方が変わったのは、サダルから少し歩いた安食堂に入って食事をした夜からである。テーブルからふと外を見やると、ドアの外に広がっている景色がまるで映画のスクリーンのように見えたのだ。
小さな食堂には裸電球がひとつぶら下がっており、ドアの外にはオレンジ色に輝く街灯が立っていた。通りはほこりっぽく、街灯の光はほこりに反射してオレンジ色にきらきら光っている。その中を、色鮮やかなサリーをまとった女性が通り過ぎ、リキシャが鈴を鳴らしながら走り去っていく。
熱帯のうだるような暑さの中で立ち上る人々の汗、食べ物の臭い。あれほど汚いと感じていた街から、その瞬間、現実感がすーっと消えていき、自分がまるで映画の場面の中に投げ込まれたような錯覚に陥ったのである。」(「美しきカルカッタ」)
埃っぽいだけの街が一瞬にして変わっていく姿を、鮮やかに感じさせる一文である。
旅本の良さは、こうした他人の経験を追体験できるところにあるのだろう。
2007年2月14日水曜日
蔵前 仁一 「旅人たちのピーコート」(講談社文庫)
最近、蔵前仁一さんの旅本にこっている。
旅本作家の旅先は、行き先が自然に偏ってくるのが通例みたいで、例えば下川裕治さんの旅先は、沖縄、タイといったところが多くなっているし、今は旅本を出すことも少なくなった岸本葉子さんの場合は、中国・台湾がメインで、ときおり北方領土といったところだ。
そうした目で蔵前仁一さんの旅本をみるとアジア、それもインド、チベットあたりが一番多いように思うのだが、この本の場合は、そういうことではなく、それまでの蔵前さんの旅を集大成するかのように、アジア、中国、インド、アメリカ、ヨーロッパなどなどと幅広い。
アメリカやヨーロッパを取り上げる旅本は最近珍しいのだが、それよりもまして珍しいのは、「イエメン」が取り上げられていること。
ところで、「イエメン」ってどこか知ってます。実は、私もとんとどのあたりか御存じない状態だったのだが、章前の地図を見ると、アラビア半島のさきっちょである。
昔はシバ王国であったとのことで、歴史的には日本よりずっと老舗なのだが、そこはアラビア、なんとも風情が違う。部族国家であったことを反映して、未だに半月刀をもった男がいたり、ライフルで武装していたり、砂漠に残る巨大な廃墟であったり、アジアの豊饒で湿っぽい感じのたたすまいとは、まったく違う、なんというか乾燥してパリッとしたアラビアが広がるのである。
おきまりの安宿、香港・重慶(チョンキン)マンションにまつわる旅行譚や「舌が痺れるほど辛い」のであって、「ご飯を大量に口にかきこんでなんとか辛さをしのぐ」元祖麻婆豆腐を体験したり、インドの「ホテル・ラクシュミ・ナラヤン・ババン」の想像を絶するほど大量で、しかも最後まで食べないと、その内容をすべて味わえない仕組みになっている南インドのミール(定食)とか、定番っぽい旅本のワハハ的エピソードは満載である。
そのほか1979年のアメリカ留学と1999年の再びのアメリカ・ニューヨーク旅行まで、アジアからアメリカまで世界に様々な旅の姿が楽しめる一品。
ちなみに表題の「旅人のピーコート」とは筆者がギリシア・アテネで同じような境遇の日本人の旅人からもらった厚手の紺色の分厚いコートのこと。このコートを着て寒いヨーロッパを旅したらしい。まさに袖すりあうも他生の縁を地でいく旅のエピソードである。
2005年11月21日月曜日
蔵前 仁一「 ホテルアジアの眠れない夜」(講談社文庫)
「長期旅行者の憂鬱」「星空ホテルの眠れない夜」「旅のスクラップノート」「旅が教えてくれたもの」の4章からなる、アジアを中心とする旅行記。
バックパック旅行の達人、蔵前仁一氏が語る、アジアの長期な貧乏旅行のあれこれ。
まず、第1章では、安上がりのバックパッカーの旅行と、彼らなぜ汚い宿が平気なのかが語られる。
「僕も含めて彼ら旅行者達が、そんな汚い部屋やベッドを、何故ちっとも「悲惨」だと思わないのかというと、それは明らかに、まわりのネパール人たちの生活の方がもっと「悲惨」だからである。
だが、実は恐らくはそのような旅行者たちのほとんどは、電気もなくクーラーもなくテレビもない生活を「悲惨」な生活と考えることができなくなっているのではないか、と僕は思う。日本ではそれらの「文化生活」を味わっていたのかもしれないが、失ってしまってもちっとも「悲惨」などとは思えない。なくなってサッパリしたなんて感じることさえある。意外なくらいそう感じる
ネパール人の生活が、だから理想的で素晴らしいものだとは、残念ながらいえない。彼らは貧困にあえいでいるし、病院も学校も、もっと必要なのだ。
しかし、その合間にいる僕らのような旅行者は、そのどちらもが「理想」と「悲惨」を持っているということに気づかずにはいられないのだ。」
その上で、こうした長期旅行を自慢のタネにする旅行者の思い上がりにも一言。
インドとかネパールのような「ビンボー国」を旅していると、これらの国の「ビンボー」にひたすら没入していくタイプの人がいる。ボロボロの薄汚い服をまとい、髪を伸ばし、ヒゲをはやし、「おれはインド旅行一年だかんね」と全身で表現している人である。
このような人は、とにかく極限まで金を節約することを行動の規範とし、自分をインドの困窮と貧困の中で同化させようとしているらしい。
そのような「ビンボー旅行者」が誤解しているのは、彼ら流の「ビンボー旅行」を完遂することこそ、「貧乏な民衆」を理解する唯一の手段であり、そのことで「民衆」に同化できると思っていることなのである。
これは完璧な誤解である。何故なら「貧乏な民衆」の誰一人として「ビンボー旅行者」のことを、自分たちと同じような貧乏人などとは思っていないからだ。本当に貧乏なら、フラフラとインドまで旅行できる訳がない。「安宿」のドミトリーのベッドに泊まれる訳がない。そのような旅行者を見て、自分達と同じような「貧乏人」などと、思ってくれると思う方がどうかしているのである。
旅のよさというのは、長さや、金の有無や、回数の多さでわかるというものではないと僕は思っている。
要するに自分の中にあるものが旅によって引き出されてくるだけなのだから、どんなに長く多く旅しても、何もない人からは何も出てはこないのだ。だから、逆にそういう人にとっては、いかに長く、いかに多く旅しているかだけが大切な問題となるのだろう。
といった第1章を基礎にして、旅の面白さ、にんまりするような体験談が語られる。
第二章では、ヒマラヤ山中や南の島の夜の意外な騒音や、インドの安宿でシャワー、水道完備のサービスを支える少年、絶大な権力を誇る中国の宿の服務員。貧乏旅行者でもモノだくさんの金持ちと思われてしまうインドの事情
第三章では、格安航空券からアジアのコミック事情、タバコの嗜好など、長旅からこぼれおちてくるさまざまな話を収録。
最終章の「第四章 旅が教えてくれたもの」では、アジアの貧乏旅行の周辺の姿、インドの乞食に金をめぐんでも感謝されない理由とか殺人的としかいいようのないアジア(特に中国)のトイレ事情、近所の小川を越えるのと一緒なビルマの辺境の国境情勢といったことが語られるが、パキスタンやバングラディシュの密入国者が日本でつかまると入国管理局の監視下におかれるが、彼らを監視するガードマンの時間給が、彼等の国の2週間の生活費に相当したりといった話もでてくる。
アジアの国、旅行を語るときにつきまとう、国力の差、多きな貧富の差についても考えさせられる。
バックパック旅行の達人、蔵前仁一氏が語る、アジアの長期な貧乏旅行のあれこれ。
まず、第1章では、安上がりのバックパッカーの旅行と、彼らなぜ汚い宿が平気なのかが語られる。
「僕も含めて彼ら旅行者達が、そんな汚い部屋やベッドを、何故ちっとも「悲惨」だと思わないのかというと、それは明らかに、まわりのネパール人たちの生活の方がもっと「悲惨」だからである。
だが、実は恐らくはそのような旅行者たちのほとんどは、電気もなくクーラーもなくテレビもない生活を「悲惨」な生活と考えることができなくなっているのではないか、と僕は思う。日本ではそれらの「文化生活」を味わっていたのかもしれないが、失ってしまってもちっとも「悲惨」などとは思えない。なくなってサッパリしたなんて感じることさえある。意外なくらいそう感じる
ネパール人の生活が、だから理想的で素晴らしいものだとは、残念ながらいえない。彼らは貧困にあえいでいるし、病院も学校も、もっと必要なのだ。
しかし、その合間にいる僕らのような旅行者は、そのどちらもが「理想」と「悲惨」を持っているということに気づかずにはいられないのだ。」
その上で、こうした長期旅行を自慢のタネにする旅行者の思い上がりにも一言。
インドとかネパールのような「ビンボー国」を旅していると、これらの国の「ビンボー」にひたすら没入していくタイプの人がいる。ボロボロの薄汚い服をまとい、髪を伸ばし、ヒゲをはやし、「おれはインド旅行一年だかんね」と全身で表現している人である。
このような人は、とにかく極限まで金を節約することを行動の規範とし、自分をインドの困窮と貧困の中で同化させようとしているらしい。
そのような「ビンボー旅行者」が誤解しているのは、彼ら流の「ビンボー旅行」を完遂することこそ、「貧乏な民衆」を理解する唯一の手段であり、そのことで「民衆」に同化できると思っていることなのである。
これは完璧な誤解である。何故なら「貧乏な民衆」の誰一人として「ビンボー旅行者」のことを、自分たちと同じような貧乏人などとは思っていないからだ。本当に貧乏なら、フラフラとインドまで旅行できる訳がない。「安宿」のドミトリーのベッドに泊まれる訳がない。そのような旅行者を見て、自分達と同じような「貧乏人」などと、思ってくれると思う方がどうかしているのである。
旅のよさというのは、長さや、金の有無や、回数の多さでわかるというものではないと僕は思っている。
要するに自分の中にあるものが旅によって引き出されてくるだけなのだから、どんなに長く多く旅しても、何もない人からは何も出てはこないのだ。だから、逆にそういう人にとっては、いかに長く、いかに多く旅しているかだけが大切な問題となるのだろう。
といった第1章を基礎にして、旅の面白さ、にんまりするような体験談が語られる。
第二章では、ヒマラヤ山中や南の島の夜の意外な騒音や、インドの安宿でシャワー、水道完備のサービスを支える少年、絶大な権力を誇る中国の宿の服務員。貧乏旅行者でもモノだくさんの金持ちと思われてしまうインドの事情
第三章では、格安航空券からアジアのコミック事情、タバコの嗜好など、長旅からこぼれおちてくるさまざまな話を収録。
最終章の「第四章 旅が教えてくれたもの」では、アジアの貧乏旅行の周辺の姿、インドの乞食に金をめぐんでも感謝されない理由とか殺人的としかいいようのないアジア(特に中国)のトイレ事情、近所の小川を越えるのと一緒なビルマの辺境の国境情勢といったことが語られるが、パキスタンやバングラディシュの密入国者が日本でつかまると入国管理局の監視下におかれるが、彼らを監視するガードマンの時間給が、彼等の国の2週間の生活費に相当したりといった話もでてくる。
アジアの国、旅行を語るときにつきまとう、国力の差、多きな貧富の差についても考えさせられる。
2005年11月20日日曜日
蔵前仁一 「いつも旅のことばかり考えていた」(幻冬社文庫)
おなじみ旅行作家、蔵前仁一の、世界各国旅のこぼれっ放しのネタ集みたいな本。
こうした旅本といえばアジアネタが多いのだが、アジアに限らずアメリカ、アフリカなんでもこい的に盛りだくさんである。
「長距離バスの問題」「カルカッタの無賃乗車」「テヘランからのおくりもの」「屋根の上で子羊は鳴く」「いつも旅のことばかり考えていた」の5章からなる旅本
始めからの4章は、筆者が旅して遭遇した、ちょっと面白い経験、かわった経験。スパイスの連続だから、気を張らないで読もう。
例えば
機内物品をくすねる乗客がいれば、(航空会社が違う)ばらばらの機内食の食器を出す航空会社や係官の住居と兼用のネパールの入国管理のオフィス。
プルトップをつないだネックレスをうるニューヨークの露天商や現金よりもTシャツや靴下といった物品の方が値打ちがあるドゴンの土産物売り
(もっともアンティークなものは、とっくに西洋人が持ち出しているらしいが)
昨日まで物売りだった人が、売る物がなくなると物乞いにあっという間に変身したり、瓶によって詰められた水の高さの違うミネラルウォーターなど、未知と驚異の大国インド
ラマダン(断食月)に旅行中、食べ物を食べて何もいわれなかったが、タバコをすうと近くで吸わないでくれと、エラク怒られた話とかイスラムでは女性を人前に出すのを嫌うため、普段の買い物も男性がすることが多いらしいイスラムの国々
(タバコの話は、納得。私も禁煙したての頃は、近くの煙がやけに気になったからなー)
南アフリカのトランスカイ共和国で、世界どこでも行けるのだと日本のパスポートをうらやましがられたり(トランスカイ共和国は、認知する国がほとんどないため、南アフリカ近辺にしか通用しなかったらしい)
といった話が満載である。
最終章「いつも旅のことばかり考えていた」では、バックパッカーや長旅、長旅にでるために、いわゆる定職というものを放棄した旅人、「旅」そのものについて筆者の思いが語られる。
「人はなかなか長い旅に出られない。なぜ長旅にでられる人と出られない人がいるのか」という質問に対して筆者は、
「いったん社会人になった人が、会社を辞めて数年に及ぶ長期旅行に出たら、再び会社の出生競争に首を突っ込むことは不可能だろう。で、不安になる。自分の「安定した幸せな社会生活」は再び取り戻せないのではないかと心配になり、そしてなかなか旅には出られない。
とりあえず不安を振り払って旅に出てしまった人は、もうそのようなことでいちいち悩まなくなる。もう、悩んでもしょうがないということもあるが、何が自分の悩みだったのか、それ自体が問題となってくるからだ。
旅を終えて日本に帰ってくる。・・・それで、その後不安でいっぱいで、幸せな社会生活が営めないのかというと、これが案外そうともいえないのである。
というのは、「幸せな社会生活」とは何か、という内容が変わってしまうことがあるからだ。」
と答え、
「本当の旅とはなにか」という問いには
「旅に決まったかたちなどありはしないのだ。われわれの人生に、かくあらねばならないというかたちや目的があるだろうか?人の役にたつ人生があればそれもよいし、人を感動させられる人生があればそれもよい。だけど、そんなことができない人に人生がないのかといえば、やっぱりある。人はそれでも生き、生活する。旅だってそうだと僕は思う。
だが、何かのためにならなかやいけないという考え方を押し付けるのはもうやめてくれないか。自分のために旅をしています。自分が楽しいから旅をしていますとしか僕にはいいようがない。」
と答える。ある意味、明快であり、旅に出発した人の答えである。
そして、こうした問いは、私たちに返ってくる。
「旅に出られますか?」と
こうした旅本といえばアジアネタが多いのだが、アジアに限らずアメリカ、アフリカなんでもこい的に盛りだくさんである。
「長距離バスの問題」「カルカッタの無賃乗車」「テヘランからのおくりもの」「屋根の上で子羊は鳴く」「いつも旅のことばかり考えていた」の5章からなる旅本
始めからの4章は、筆者が旅して遭遇した、ちょっと面白い経験、かわった経験。スパイスの連続だから、気を張らないで読もう。
例えば
機内物品をくすねる乗客がいれば、(航空会社が違う)ばらばらの機内食の食器を出す航空会社や係官の住居と兼用のネパールの入国管理のオフィス。
プルトップをつないだネックレスをうるニューヨークの露天商や現金よりもTシャツや靴下といった物品の方が値打ちがあるドゴンの土産物売り
(もっともアンティークなものは、とっくに西洋人が持ち出しているらしいが)
昨日まで物売りだった人が、売る物がなくなると物乞いにあっという間に変身したり、瓶によって詰められた水の高さの違うミネラルウォーターなど、未知と驚異の大国インド
ラマダン(断食月)に旅行中、食べ物を食べて何もいわれなかったが、タバコをすうと近くで吸わないでくれと、エラク怒られた話とかイスラムでは女性を人前に出すのを嫌うため、普段の買い物も男性がすることが多いらしいイスラムの国々
(タバコの話は、納得。私も禁煙したての頃は、近くの煙がやけに気になったからなー)
南アフリカのトランスカイ共和国で、世界どこでも行けるのだと日本のパスポートをうらやましがられたり(トランスカイ共和国は、認知する国がほとんどないため、南アフリカ近辺にしか通用しなかったらしい)
といった話が満載である。
最終章「いつも旅のことばかり考えていた」では、バックパッカーや長旅、長旅にでるために、いわゆる定職というものを放棄した旅人、「旅」そのものについて筆者の思いが語られる。
「人はなかなか長い旅に出られない。なぜ長旅にでられる人と出られない人がいるのか」という質問に対して筆者は、
「いったん社会人になった人が、会社を辞めて数年に及ぶ長期旅行に出たら、再び会社の出生競争に首を突っ込むことは不可能だろう。で、不安になる。自分の「安定した幸せな社会生活」は再び取り戻せないのではないかと心配になり、そしてなかなか旅には出られない。
とりあえず不安を振り払って旅に出てしまった人は、もうそのようなことでいちいち悩まなくなる。もう、悩んでもしょうがないということもあるが、何が自分の悩みだったのか、それ自体が問題となってくるからだ。
旅を終えて日本に帰ってくる。・・・それで、その後不安でいっぱいで、幸せな社会生活が営めないのかというと、これが案外そうともいえないのである。
というのは、「幸せな社会生活」とは何か、という内容が変わってしまうことがあるからだ。」
と答え、
「本当の旅とはなにか」という問いには
「旅に決まったかたちなどありはしないのだ。われわれの人生に、かくあらねばならないというかたちや目的があるだろうか?人の役にたつ人生があればそれもよいし、人を感動させられる人生があればそれもよい。だけど、そんなことができない人に人生がないのかといえば、やっぱりある。人はそれでも生き、生活する。旅だってそうだと僕は思う。
だが、何かのためにならなかやいけないという考え方を押し付けるのはもうやめてくれないか。自分のために旅をしています。自分が楽しいから旅をしていますとしか僕にはいいようがない。」
と答える。ある意味、明快であり、旅に出発した人の答えである。
そして、こうした問いは、私たちに返ってくる。
「旅に出られますか?」と
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