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2018年11月1日木曜日

「AI」が全盛となる時代に「機嫌よく働く」ためのポイントを考える

 

【 「AI」に関する記事2つー「光」と「陰」】

 
ITmediaによる、NECプラットフォームソリューション事業部マネージャーのセミナーの概要をまとめた『「AI導入のリスク」よりも「AIを活用しないことで起きるリスク」を考えろ』という記事では
 
・もはやAIはブームではない
・AIの精度が100%ではないことをリスクとして手をこまねくのではなく、AIを活用しないことで想定されるリスク(少子高齢化による労働人口の減少やノウハウのあるベテラン社員の不足)の対処するためにAIを活用するステージに入っている
・企業のAI導入につながる「情報活用」のステージは
①データ取得(収集)ができているか
②データが活用できる形で蓄積できているか
③データを見える化してビジネスに活用できているか
④予測、最適化などの高度な分析のトライアルができているか
⑤分析モデルを作成しビジネスで成果をあげているか
の5段階で、企業はこのステージを1段階づつ上って情報活用のレベル向上を目指すべき
 
一方で、AIへの過信を戒める記事もあって、「日本を覆う「AI万能感」の危ない正体」では
 
・そもそも、AIは学習時に与えられたデータを使って、最も当てはまりの高い解を「推定」しているにすぎない。
人間のように概念を理解し思考をもって答えを「決定」しているわけではない
・今のAIは言語の意味やそれが持つ真意を人間の知能のように理解して、解答を導き出しているわけではない。
 統計的な処理とAI的な処理を融合させて、最適解を探しているに過ぎない
 
としていて、今の「AI」は、当方のような一般人が思い浮かべる「HAL」のような人工知能には遥か及ばない段階にあるようだ。
 
この2つの記事から「AI」による社会の変化を推測すると
 
①「AI」による企業の変化は「まだら」に進む。それは、「AI」に適した業種かどうかではなくて、それぞれのAIへの理解度によってまちまちに進む。
②このため、企業社会の変化も劇的には起きない。
③個人を取り巻く環境も、企業社会の変化にひきづられて、劇的には変化しない。ただ、いつの間にか、生活や職場が変化している状況で、確実に、仕事が減ったり、変わったりしている
 
といった風に、じわじわと水かさが増していくように、気がつけば、すっかりあたりの様子が変わっていたというような感じで進むはずで、企業活動はおいといて、個人としても自己防衛を講じておいたほうがよいのは間違いない。
 
 

【野口悠紀雄『「産業革命以前」の時代へ』でのアドバイス】

 
 
このあたり、先だってレビューした野口悠紀雄氏の『「産業革命以前」の時代へ』では
 
人間でなければできない仕事は残るだろう。例えば、「なぜか?」という疑問をAIが発することはできないだろう。そしてAIが定型的な文章を書いてくれるようになれば、人間は分析的な作業に集中できるようになる。
(略)
さらに残る仕事は、創造的な仕事だけではない。例えば、掃除だ。「何がゴミであるか」を判別するのは、それほど容易なことではない。一見したところ単なる紙切れに見えても、そこに重要なメモが書いてあるかもしれないからだ。
いかにコンピュータが進化しようと、行っているのは演算に過ぎない。
判断をするためには、機械学習するAIでもデータが必要だ。それは人間が与える。だから、人間は主人であり続けるだろう(P189)
 
とし
 
いま必要なのは、人間にしかできない価値のある仕事がなんであるかを考え、それを追求することだ。
自分にしかできない価値をいかに生み出すかが、これからますます問われてくる(P189)
 
とアドバイスしている。
 

【当方が勧める3つの「機嫌よく働く」ためのポイント】

 

①「定型的」なことからはできるだけ遠ざかる

 
AIの得意分野は、ビッグデータに基づいて分析、推計することであること。このジャンルで戦っても人間に勝ち目はない。
なので、いさぎよく、この分野からは手をひいていこう。例えば、入力作業とか、集計作業、データ分析といった仕事については、できるだけ、自動化、機械化、あるいは外注化することを考えて、自ら手を動かすことは、できるだ避ける。一応、必要最低限なことはできるようにしておく必要が今のところはあっても、熟練する必要はない。
 

②「考えること」の割合を増やす

 
これは企画やプランニングに特化しろ、といっているのではない。自分がやっている仕事は単純な「作業」にするのではなく、「もっと自動化できないか」「もっと楽できないか」、「もっとうまくいく方法はないか」という視点で考えていくということ。
単純作業が必要な場面は多いし、ポジションによっては、避けられないことも多い。できるだけ、AIにできそうなことからは逃げ出して、AIが苦手とするところを見つけて、やっていこう。
 

③「人の手」をいれることによるプラス・オンを考える

 
AIの苦手なところは「ハンドメイド」などの「人の感性」が関わるところ。データーから推測されることをなぞるのではなくて、自分の感性によって、なにかプラスオンできないか考えてみよう。例えば、データの集計作業などをやらされていても、自分なりのデータの使い方や新たなビジネスを考えてみる、なんてことをついでにやってみてもよいのでは。
 

【まとめ】

 
「AI時代」に機嫌よく働くコツは、否定形で、気まぐれである「人間の特性」にある意味、忠実に従ってみるということに尽きるのかもしれない。例えば、自分たちの創意工夫を、作っているものにこっそりと忍ばせたりといった、江戸時代の職人たちがの振る舞いが参考になるかもしれないですね。

2015年1月19日月曜日

どうやっても覚えられないものは覚えられん、ということか・・

インターネットは人間の記憶を阻害する、とはよくいわれるのだが、Wiredの「メモをとっても記憶は定着しない」によると

カナダのマウント・セント・ヴィンセント大学のミシェル・エスクリットとシエラ・マーは、学生グループを集めてトランプの「神経衰弱」ゲームを用いた実験を行った。同じ絵柄の2枚の位置を記憶したあと、カードは裏返して置かれる。プレイヤーはカードを1枚めくってはそのたびに、そのカードと対になるカードの位置を思い出さなければならない。

実験では、記憶のために与えられた時間中、半数の学生にはカードの位置と正体について紙にメモをとる機会が与えられた。そのほかの学生たちは、元から備わっている記憶力に頼るしかない。また、与えられた時間が過ぎると、メモをとっていた学生たちのメモは没収されてしまう。

両グループはさまざまなカードの位置と正体についてテストされた。そして結果としてわかったのは、メモをとっていたグループの方が、カードの位置を思い出すことについて、ずっと成績が悪かった、という事実だ。

とのことで、PCやネットどころか、紙のメモすら記憶の阻害要因になる、ということらしい。


メモをとったりインターネットなどの外部記憶に送ってしまうというのは、覚えきれない、あるいは記憶容量のキャパを超えようとする試みなので、まあ覚えていないというのは当然のことかも。

メモをとったり、クラウドを使おうというオススメをしてくるビジネス本などでは、忘れてしまうことこそがその効用みたいなことをいうものもあるから、覚えなくていいというのは、ある意味予測されたアドバンテージなのかもしれなくて、そもそも、忘れっぽい私としては、どこかに残っているという安心感をもたせてもらうほうが、一生懸命いろんなことを覚えておくよう頑張るより楽なんですがね〜。

2014年4月28日月曜日

インプットの大事さをあらためて思う

最近、どうもアウトプットも思うようにまとまらないのだが、原因の一つには単純にインプットが足りていないからでは、と思い始めた

仕事の面で新しいことでもあればいいのだが、同じ職場で3年目ともなると新しい知識の流入は少なくなるし、今までの経緯などが付着物にようになって新しいことを入れる妨げになり始めているのは間違いない。

ただ、新しい仕事面のインプットが少なくなったとはいっても、日々のトラブル解決や業務処理は当然あるから、インプットだけはかなりの量であるのだが、自分的に目新しいものが少なくなっている状態。

何か今までとは違う情報や知識、価値観、あるいは経験が流れ込んでこないと、精神的にも、アウトプットの面でも淀んでしまうのではないかと思っている次第。

せめて時間を少しでも多く捻出して、本をより多く読むことでもしましょうか。

2013年8月28日水曜日

部門を超えたコラボレーションを容易にするオフィス

斬新なアイデアを生み出す方法の一つとして、異分野の人が出会うこと、ということがあるようなのだが、その参考となりそうなものを、
 
記事の趣意は
 
「友人関係の形成の鍵となるのは「物理的な空間」で、友人関係は、自宅への行き帰りや、近所の散歩中などに起きる、些細で受動的なコンタクトを基に構築される」という心理学の一つの考え方がジョブズがPixer社のオフィスビルを建築したり、Googleの社屋にも影響している。例えば、Pixerは経営陣からコンピューター技術者、アニメーターが一緒の社屋に入居しているし、 Googleではレストラン、カフェテリアをオフィスの至る所につくり、社員が軽食をとるたびに他のチームの社員と顔を偶然に会わせる機会をつくっている
 
というもの。
 
その上で、コラボレーションができるオフィスの共通点は
 
・偶然の交流を促進する建築設計(大勢の人が通る階段など)
・必要最低限「以上」の共有スペース
・一人用の個室ではなく、複数人で共有する空間に重点を置く
・オープンな空間に多目的の「シンキング」エリアを設置する。一人で籠るではなく、人がいる場所で考え事ができる環境
 
だそう。
 
で、何か似ているものが近くにないのか、と思ったら、これって、まさしく日本の前近代的なオフィスと言われる大部屋と給湯室の構造ではないか、と思った次第。
 
案外、日本の経済発展は大部屋で経理から営業までいろんな部署の人間がるつぼのようになっていたことが起因しているのかも、と夢想してみるのである。
斬新なアイデアが出やすいオフィスというのも、大掛かりな改造を考えなくても、よくある大部屋を工夫することで実現できるのかもしれませんですな。

2013年8月27日火曜日

「人」より「仕組み」をかえることが大事

 
趣意としては、GMが経営していた時とトヨタが経営移管を受けた後のデトロイトの自動車工場の変化をとりあげて(変化というのは、まあちょっとお決まりになっているトヨタ方式のマジックの職場の変化のことなのだが)
 
・工場の職場で問題のあったのは、従業員ではなく仕組み
・組織は人間だけで成立するものではなくて仕組みがあって成り立つもの
・重要なのは「人をどう変えるか」ではなくて「仕組みをどう変えるか」
 
というもので、アメリカ特有の個人主義、ヒーロー主義的なものではなく、どちらかというと組織主義的なところが個人的にはしっくりくる。
 
仕事やビジネスがうまく運ばない時、えてしてそれに携わる人の能力ややる気がどうか、というところに目がいって、人を変えればうまくいくような気がするものだが、実際に担当を変えてもうまくいかないことはままある話。こうした時、例えばでデータ収集の仕方や企画の練り上げ方など仕事のやり方そのものにメスをいれることが必要なのかも。ただ、その時に注意しておかないといけないのは、言葉ではないが、「怒鳴って」仕組みを変える形になっていないかどうか、ということだろうか。

2013年8月18日日曜日

手仕事の効用

最近、家庭菜園に凝っていてキュウリやらトマトやらをつくって悦に入っているのだが、この効用といえば、仕事の面倒くささや思うようにならなくてクサクサしている時、汗だくになって手を動かす、という作業によって何かしら浄化できるのと、考えあぐねてもやもやしてることがふいに整理がつくようなことがあることだ。
 
そんな「手を動かす」ということの効用を「シゴタノ」の倉下氏の「カードシステム・情報の整理・EVERNOTE」のエントリーの
 
これは、いくつか考えたことを、簡単にまとめて京大式サイズの情報カードに記入したもの。箱には入れず、クリップで留めて机の横に立てかけてあります。向き不向きはあるにしても、「手を動かして、情報をまとめる」のはなかなか効果的なのです。もちろん、こうした作成した情報カードは保存しておきながらも、スキャンや撮影をしてEvernoteに取り込みます。
 
(中略)
 
物理的存在に定着させることで、情報を手で操作できるようになる。これがカード式の魅力です。これは発想プロセスにおいて、大きな影響を与える可能性があります。なので、私はEvernoteに取り込んである情報カードも捨てずに保管しておき、たまにパラパラめくったり、並べてみたりして、発想を楽しみます。
 
というあたりを読んでいて、情報整理とかアイデアのまとめとでも手仕事、手作業の効用というものがあるような思いがしている。
この手作業の有用性がデジタルなツールをつかいこなしている人が手書きのメモ、手帳やノートというアナログなものを仕事や企画のツールとして根強く使っている理由でもあるのだろう。
そして、こうした手書きや手作業の部分は、今のところデジタルな部分で置き換えることがなかなか難しいような機が個人的にはしている。
例えば、タブレットの手書きアプリやスタイラスペンなど高性能なもものはいろんなところで紹介されているし(例えばPRESIDENT「考えをまとめ、アイデアを出す〜「スマホ&タブレット 便利アプリ」ではコンパクトにまとめてある)、自分でもその一部は使っているのだが、どうもこうしたタブレットで手書きアプリでプランをまとめていくときと、紙に手書きで、うまくいかないところをガシガシ斜線を引きながらまとめていくときとでは、気の入り方なりまとまり具合がひと味違うような気がするのである。もちろん、いずれの場合も最終的にはPCでオフィスソフトなりをつかって綺麗にするので、単なるまとめの一段階にすぎないのだが、できばえが違っているような気がしてならない。
 
アナログから抜けきれていないといえばそれまでなのだが、手作業というものには精神面でもなにか効用があるような気がしてならないのだがどうだろうか。
 

2013年7月25日木曜日

恒心を保つということ

今日、数年来の懸案がほぼ片がつくところまで漕ぎ着けたのだが、こうした固まった懸案事項が解決されるときによくある例で、黒船的にひょんなとことからはじまって、あれよあれよ流れが生まれて、最後は激流的に、過去、多くの人が関わってもできなかったことが勢いでできてしまった、というお決まりのコースを辿った次第。

で、忙しくなるとついそれに精神をとられてしまって、ブログの更新は滞るし、そっちの仕事にかける時間が増えるので、ほかの仕事が脇に置かれがちになって不平も出るし、といった、これまたお決まりの事態になっているというわけ。
 
で、今回再び反省したのは、やはり「恒心を保つ」ということの大事さでありますな。どうしても長年来の懸案を解決するときには、それなりの労力と力わざと精神的な注力が必要なのは間違いないのだが、それだけに目を奪われてしまってはいけないよね、ということでありました。

2012年12月16日日曜日

畑村洋太郎氏推奨の「思いつきノート」

畑村洋太郎氏の「失敗学のすすめ」(講談社文庫)で紹介されていた自分専用のアイデアメモと、それを発展させたプランニング手法。

書く前の注意事項としては

紙はなんでもいいが、思いついたときに見えるように、ノートかバインダーで保存しておいたほうがベター。

この紙に内を書くかは自由で、好きなテーマを設定して自由に書く。ただし、右肩に書いた日の日付だけは必ず書いておく

実際のやり方は

①漠然としたテーマが設定できたら、一枚目の紙にはそれに対して頭に浮かんだものを、脈絡なくランダムに書いていく。そこまでできたら、一枚目の紙には、思いつきノートを書こうと思った動機と背景を記す。最後に、その紙の左肩に内容を代表する表題を書いておく

②二枚目は、ランダムに書き記したアイデアの種に脈略をつける作業をする。最初に漠然と設定したテーマからスタートして、一応の結論に至る流れをつくってみる。

③三枚目の思いつきノートでは、具体化を考えた上、個々の問題解決をする。

④最後の四枚目では、仮想演習を使った発展を行う。

といっったことなのだが、少々表現が抽象的で、具体のやり方がいまいちピンときていない。
イメージ図は掲載されているので、これを頼りに試行してみてから、自分にとって有効かどうかレポートした方がよさそうな気がする。

2012年11月11日日曜日

【読書メモ】分析の計画を立てる時のマッキンゼーのガイドライン

「マッキンゼー式 世界最強の問題解決テクニック」より
①キー・ドライバーを捜す
 ビジネスで成功するための要素はいくつかあるが、すべてを念入りに検討する時間的余裕はない。問題に一番関係しそうな要素をみつけて、それを重点的に分析する
②大きな絵を眺める
 今一体何を達成しようとしているのか、一歩引いて全体像を考える
③海の水を全部沸かそうとしない
 必要以上の分析をしない。特に一つの問題のあらゆる面を分析しようとしない。ポイントになりそうなものを見極め、その分析をして
次へ進む
④解決策が現れるまで待ってもいい
分析を第一番に重要視するのは。マッキンゼー本でよく見るのだが、本書の特徴は、分析のポイントを絞る方策として「直観」をあげていること。
その直観を導き出すための事前の準備(解決すべき課題についての入念な情報収集などのことか)は入念にするようにとの忠告つきなので、根拠のない直観(いわゆる「ヤマ感」というやつ)は排除されているのだが、分析至上主義に陥って、使う可能性の非常に低い物事の分析に血道をあげてしまいがちになる『「とにかく頑張れ、気合いだ」方式』のアンチテーゼとして好ましい。
あとは「直観」の精度を上げるにはどうしたらいいか、ということだな

2012年11月2日金曜日

仕事の標準化の難しさ

「あなたにしかできない仕事はない」(NPO法人フローレンス代表 駒崎弘樹)

「あなたにしかできない仕事をなくすために必要なこと」(脱社畜ブログ)


を読んで共感するところも多く、長時間労働をなくすためには仕事をだいたい可能でレベルを維持するシステムをどうつくるかということの大事さも思ったのだが、長時間労働が減らない根底には「仕事の標準化」と「仕事の手順の解体」の難しさもあるのかな、と思った次第

その難しさは当然、当の本人が標準化して誰でもできるようにするモチベーションが低い、ということもあるのだが、それとあわせて、何を、どう標準化していいのか、つまり、何を既知として、何を未知の事項とすべきかということがうまくいっていないことにもあるのではないかと思う。この問題が曖昧なままになっているから、誰でもできるように技術とか知識を伝えることが出来ないということがあるのではないだろうか。

まあ、これはマニュアルづくり全般にいえることでもあって、電機製品についてくるマニュアルがさっぱりわからない現象と相通ずるものといってもいいのだが、さてどうやって解決しましょうかね。

2012年10月8日月曜日

ノートPCとタブレットと、アナログノートの使い分け

普段の仕事はデスクワークが多く、職場の机には、職場から提供されているPCが鎮座しているのだが、最近はノートPCとタブレット、アナログノートを持ち歩いて、どうかすると、職場でも、この三種で仕事を進めていることが多い。
 
というのも、職場のPCは職場のグループウェアが入っているので仕事をする上では必須なのだが、昨今のセキュリティ保護のため、Gメールやクラウドのストレージサービスは使えない状態であるし、ウェブにアクセスするのもさほど良い環境ではない(まあ、そんなに変わった職場環境ではないと思うが・・・)
 
ただ、仕事をやっていく上で、職場の書類やデータは職場のPCで見たり作業するとしても、そのほかのデータやEvernoteとかが使えないのは、正直辛い。しかも、データを見ながらの作業となるとPC1台では、マルチ・ディスプレイに慣れた身としてどうにも不便。
さらには、ちょっと堅めの(古いタイプの)仕事をしているので、まだまだPCが持ち込みできない場面というのも多いし、PCをパチパチしながら仕事をするとちょっと怪訝な視線も感じる、ということで、会議のメモやらはやはりアナログのノートを登場させないと具合が悪い。
 
ということで、デスクワークのみの日も最近は表題の3種のモノを持ち歩いている状態。
 
今のところの分担は
 
①私物のノートPC
Evernoteの利用はこれ。そのほかのPogoclubやウェブサービスもこのマシンで。なので、仕事の企画とかプランニングをまとめるのもこのマシン。管理職ではあるので、あまり自分で資料を作ったりはしないから、これでなんとか足りている。書類を職場に送る必要があれば、メールで職場のマシンに送る。基本はこいつが仕事場のキー・マシン
持ち歩いているのは。、Asus1225というネットブックに毛の生えたマシンで、ちょっと重たい作業をするとストレスが貯まるのだが、重くないのと価格も安いので神経を使わずに持ち歩いたり、ちょっと荒い使い方をしてもプレッシャーが少ないの利点(もっとも、常にもっとパワーのあるマシンに買い換えたいという物欲に苛まれてはいるのだが)。
 
②タブレット(iPad)
Dropboxの資料の閲覧はこれ。あとはスキャンしたり、ウェブから落とした資料を見るのもこれ。アナログノートのデータもスキャンしてDropboxに入れているので、ノートの閲覧にも使う。大量のデータと本、使った過去のノートを持っている状態
 
③アナログノート
会議録や打ち合わせの記録、走り書きしたメモなどの紙ベースのものを集約したアナログの保管庫的な利用。紙の資料はスキャニングするので、このノートには貼らない。さらに、使い切ったらScansnapでスキャンしてDropboxに保管するので、一時的なアナログの仮置き場といったところ
 
④職場のPC
これはもう、職場のグループウエアの利用と、メールで送られてくる職場内の情報交換や資料の閲覧用。
オープンになっているデータや資料以外は社外に持ち出すわけにはいかないので、仕事のデータはこれで見るしかない。
 
といったところである。
 
今の悩みの種は、やはり2台持ち歩くとき嵩張るのと重さ。ノートPCとタブレットの分担。特にiPadのカバー兼用のBluetoothのキーボードもあるので、なおさら、この二つの分担が時折曖昧のなって困っているのは事実。
無理にどちらかに片寄せる必要もないのかもしれないのだが、やはり軽ければ軽いほどいいのは事実。ただ、焦って決めることでもないから、いつものように動きながら考えることにしましょうか。
 

2012年8月18日土曜日

戦略立ては7割8分の仕上がりで停めておくのも一策

根が心配性のせいもあるのだろうが、仕事やプロジェクトに取り組んでいるときには、いくつかの想定パターンを想定して、それに応じた行動計画というかアクションをシミュレートしていくというのが癖になっている。
 
シミュレートといってもそんなに小難しいことをやっているのではなく、こうなったらこうt対応しようよね、とか、こんな事態が予測されつつあるから、これをこんな方向に仕向けるために、こうしとこうよね、とか、なにかしら仕事をしている人であれば常的にやっていることである。
 
で、こうしたシミュレート、戦略立てを行う上での個人的な留意点なのだが、最近は、ひとつひとつは7割8分程度の仕上がりに留め、数を増やすことに努めている。
以前は、ありうべきケースを結構絞って、戦略立ての精度をあげるべきかな、と思っていたのだが、携わるプロジェクトの数や種類が増えくると、精度を上げることに専心していると、取りこぼしや方向に見間違いが増えてきたように思うのである。
 
もともと100%の戦略なんてものは立てようもなく、いくらがんばっても9割5分か9割まで詰めきれば最高値てなことだと思う。いやもっと現実的なところでは8割5分から8割まで詰められれば十分といったケースが多いと感じている。
であるなら、いっそ、及第点にぎりぎり届かないところの少しラフな戦略を、より数多くつくって、千変万化するプロジェクトの現場で最終のところを現場あわせしちゃったほうがいいんじゃないか、と思っている次第。
 
完璧主義の駆動性の悪さに陥るよりは、精度を落としても身軽さを残しておきたいな、と思っているところなんである。

2012年8月11日土曜日

鉱石の中の水分

つい最近、金属精錬をする工場の方に話を聞いたのだが、その工場で輸入する鉱石(たしかニッケルだったかな)の3割が水分なのだそうだ。輸入物だから、船で運ぶ際の運賃なども目方で勘定されるだろうから、水の豊富な日本に、ざわざお金を払って水を運んでいるようなものですよ、とのこと。
では、この水分が少なければ少ないほどよいかというとそうでもなくて、25%を切ると、粉塵が相当発生するので、その場合は水分を補わないといけないそうだ。
 
ムダとおもえる水分だが、じつはそうではない、というわけで、こうしたことが、私たちがビジネスをしていく上であちこちであるのかもしれないですね。ムダと思って削減したら、そのせいで余計なコストが発生したり、とか・・・。
 
一見ムダと思われるものの隠された効用を見抜くというのが、プロジェクト・マネジメントには求められるのかもしれません。

2012年7月22日日曜日

メイヤーの転職に思う「マイナスのキャスティング・ボード」と「プラスのキャスティング・ボード」

Googleの20番目の入社社員であるマリッサ・メイヤーがYahooのCEOに就任するという件が報じられて数日が経つ。
 
 
 
 
 
 
 
ネット上ではかなり沈静化してきているようなので、ここらで少しコメント。
 
総体としては、若干、不安の声は聞こえるのだが(米ヤフーのメイヤー新CEO、社員向けにメッセージ:「立ち止まらないこと」)、やはりアメリカ人、特にこうしたサクセス・ストーリーの中にいる人たちのアグレッシブさや、こうした世界的な会社のキャスティング・ボード、それもここで間違うと坂道を転がり落ちてしまうというキャスティング・ボードを握ろうとするのは、やはり凄いな、と思う。
 
で、こうしたキャスティング・ボードには、間違うと本体を駄目にしてしまうマイナスのキャスティング・ボードとそれがうまくいくと好循環を生み出すプラスのキャスティング・ボードの二種類あると思っていて、個人的には、マイナスのキャスティング・ボードをどうしていくかの方がかなり神経も使うし、また難しいもののように思う。
 
ともすれば、プラスのキャスティング・ボードのほうが目立つし、うまくいったときの注目度もあるので、そちらの方を重要視しがちなのだが、安定的な繁栄のためには、マイナスのキャスティング・ボードをいかにこなしていくか、の方が効果的のように考えている。というのもプラスの方はそれが失敗しても現状維持はありうるが、マイナスのそれを握りそこなうと、現状維持というのはありえなく、おそらくはいまより各段に状況を悪化させることしかないだろうからだ。
そうした意味で、今までのストックはあるとはいえ、果敢に困難なところへ踏み出す、メイヤーの勇気には敬意を表したい。
 
で、こうしたマイナスのキャスティング・ボードをうまくこなすには、どういう心構えと言うか、心持で臨むべきか・・・、ていうのは、もう少し考えてみたい。プラスのそれの場合は、いけいけどんどんであったり、プラス思考でいきまっしょい、や、速く・速く・遅れてしまう!!てな感じでいいような気がするのだが、マイナスのそれの場合は、そうしたやり方では、奈落に落ち込んでしまうような気がして、何か一工夫が必要なきがしているのだが・・・

2012年7月14日土曜日

組織内で「内向的」であることの積極的意味を見出したい

堀正岳さんのLifehacking.jpの 「内向的でも成功するために必要なもの: Jonathan Fields・Susan Cain対談 #WDS」のエントリーをきっかけに酒井一太さんのブログ Find the meaning of my life の 「企業内で内向的な人が力を発揮するための小さな工夫について考え中」でも論述されているのだが、企業社会をはじめとした、いわゆるビジネス社会で「内向的」であることの積極的な意味を。
 
というのも、今「マグロ船仕事術」を読んでいて、その中の「船長が前向きだと船は沈没する」といフレーズを思い出してしまった。要点は「前向き」というのは危機を感じる能力を鈍らせるところがあって、いつでも前向きな人が船長をやっているとつい無茶をしがちで船が危ない、というものなのだが、これは、いつも外交的でエネルギッシュな人にも通じるものなのではないだろうか。
外交的なことというのは、人より先に出ること、あるいは人より目立つことが最優先されるから、つい、危険を感じながらも進んでみる、ということになりがちで、成功をする可能性を高くなるかわりに失敗する可能性も高くなるのは道理。
ただ、前へ前へと進むことが大きく評価されるのは、前へ行かないことによって回避された危険は見えないことが多いということが大きいのではないかと思う。
 
前にでることによって得られる利益と出ないことによって回避された損失との冷静な比較ができないものだろうか。
 
 
ところで、とにかく目だって自己主張の強い人がほとんどと思っていたアメリカの社会で、Susan Caiさんのような主張が注目されるっていうのは、アメリカの社会の健全さと柔軟性をあらわすものなのかな。
 

2012年6月2日土曜日

「当初仮説」による問題解決手法(「マッキンゼー式世界最強の仕事術」より)

「マッキンゼー式世界最強の仕事術」においてマッキンゼーの問題解決の特徴の一つとして提示されているのが「当初仮説」(P32)
 
本書によれば、「当初仮説」とは「行動する前に問題の解決策を考えること」で「スケッチ描きとはいえ、問題から解決へと導いてくれるルート図」で「この仮説が正確なら、問題解決とは、事実の分析によって地図の細部を埋めていく作業になるというもの。
 
そして当初仮説の立て方は
①問題を、その構成要素、キー・ドライバーに分解する
②それぞれの構成要素、キー・ドライバーについて、実施可能な提案を考える
③次のステップで大項目に挙げた提案の一つ一つを、もっと細かな問題点に分ける
ということ
 
そして、この「仮説」を考えるにあたっては、事実、しかも膨大な事実(山のような新聞記事、雑誌。内部のリサーチ文書など)の分析や「すべてを網羅」した上での「仮説」ということになるらしい。
 
こうしたやり方は一見すると、かなり頭でっかちの手法のように思え、現場から離れた「現場主義」の対極にあるように見える。
ただ、ここで我が身に振り返って考えたいのが、よく言われる「現場主義」による手法が本当に現場の条件や課題を網羅しており、色眼鏡なしに立てられた解決手法になっているかどうか、というところだろう。えてして、「現場」という美名のもとに、現地の一部分を、自分のフィルターで捉えた解決手法になってしまうことはよくあるし、ひどいときには、現場に行きながら、現場の状況ではなく、自分の思いに都合のよいものだけをすくいあげた「現場の分析」が横行することさえある。
 
理屈倒れと、独りよがりの現場主義の間の、現場の事実を捉えた解決手法の提示のためには、より多くの現場の事実の収集と精密な分析っていうのが必須なのかもしれない。
 
仮説の模索は、かなり地味で辛気臭いものだから、ともすると感覚的な仮説提示を行って、それを現地で実践だ、と持ち出していきがちなのだが、ここは自戒すべきことなのかもしれない。
 

2012年1月1日日曜日

内田和成 「プロの知的生産術」(PHPビジネス新書)

最近、クラウド・サービスやデジタルグッズを使った、情報のインプットやオウトプットが大流行(おおはやり)なので、そろそろ逆張りのものくるんだろうな、と思っていたところに、BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)の前代表である著者による本書であった。
ということで、デジタルよりアナログ風味をという趣旨のものなのだが、デジタル嫌いでアナログ大好き、という人より、デジタルやクラウドの世界に鼻の上ぐらいまで浸かっている人に読んでほしい一冊ではある。

構成は

 第1章 「情報整理」では差がつかない時代ー「自分のスタイル」を確立しよう
  1 情報活用のボトルネック
  2 「目的」をもって情報と接する
  3 自分の「立ち位置」を明確にする
  4 「期待役割」を意識する
  コラム 私はなぜ、ガニェットにこだわるのか
 第2章 大事なのは梁ではなく「質」-必要な情報、不要な情報をどう見抜くか
  1 少ない情報で勝負する
  2 「目的」というフィルターで情報を選別する
  3 「差別化」できる情報をいかに手に入れるか?
  コラム プロの出張道具
 第3章 情報を最大限に生かすための「二〇の引き出し」
  コラム デジタルグッズにとことんこだわる
 第4章 デジタルとアナログを使い分ける
  コラム 手書きの情報収集にもこだわりを
 第5章 私の情報源ーメディア、仕事、日常からどう情報を得るか
  1 新聞、雑誌、本、ネットー各種メディアの活用法
  2 「仕事の現場」からどう情報を得るか
  3 もっとも重要な情報は常に「人」から得られる
  4 「キョロキョロする好奇心」で、日常すべてが情報の宝庫に
  コラム パソコンをもっとつかいこなす

ということになっていて、途中、筆者のデジタル・ガジェットについてのコラムがさしはさまれているが、基本的に、デジタルとの親和力は薄くて、クライド・サービス、のどんなものを使うか、というあたりはかなり記述は少ないので、そうしたことを期待して読んではいけない。

むしろ、「情報にアナログを入れる(P145)を主張したい本で、クラウドツールを使いこなしているデジタル派にはあちこち、ガリッとくるところが多いだろう。

ただ、まあ、

ネットの情報は「誰もが知っている情報であることがほとんど」(P192)

とか

ネットの情報だけで、「差別化」を図るのはどうしても難しい(P193)

とか

情報は現場で探すべき・・・やはり、現場でこそ、日々いろいろな事件が起きている(P203)

といったところは、知的作業の大部分をデジタルに預けている人も心しておくべきこと。

ただ、紙ベースの情報整理は、「仕事のやってる感」は半端ではないが、カードを作成したり、ノートにまとめることは、インプットの労力のわりにアウトプットの頻度が少なく、費用対効果が悪すぎる点に限界があるといった点は、最近、小山龍介氏のHACKS本を読んで、鶴見良行氏の情報整理にちょっと感銘を受けている私としては、アウトプットの量にもよるよね、と異論も唱えたくなったりもして、全てについて本書の言うことに頷けないのも本音のところ。

勝手に結論付けて言うと、この時代、デジタルの中で知的作業、インプット、アウトプットの大部分をこなすのが効率的であるのは間違いないところなのだが、あちこち、綻びが生じるのは間違いなくて、その辺をアナログで上手にパッチをあてましょうよ、というところか。

2011年12月26日月曜日

『池上 彰 「<わかりやすさ>の勉強法」(講談社現代新書)』読後感

自分ではわかりやすく説明しているつもりでも、聞いている方からみると、あの人の話は、よくわからないからなー、というのはよくあること、その改善を、週刊子どもニュースの解説で定評のある、池上彰氏のノウハウを学ぼうか、と思って読んだら、ちょっと思惑が違った。

プレゼンの技術、スキルを解説というよりも、分かりやすい話をするのに心がけることや、それに至る情報の取り方と整理の仕方といったものについての、エッセイ風の読み物といった方がいい。どことなく、デジタルに冷たくて、アナログに偏っている風のあるのは、このお年頃の方にはよくあることなのだが、個人的にはちょっと不満。

ただ、例えばノートの使い方とか、分かりやすい説明を行うためには「絵を描ける説明にする」とか、「まずは『聞き上手』になること」といったところは、道しるべにすべき。

これを読めば、プレゼンの達人に、ってなわけにはいかないが、デキのいいプレゼンターになるための助走をつける軽い読み物という感じで読めばよいと思います。

2011年12月15日木曜日

読書メモ 現場の生の情報を受け取る ー 「小山龍介「クラウドHACKS!」(東洋経済新報社)」より

小山龍介「クラウドHACKS!」(東洋経済新報社)
P101

IDEOのトム・ケリーの言葉

上司にとって安心な部下は、常にデスクに座り、書類と向き合って仕事をしているような人かもしれないが、ほんとうにそれでいいのだろうか。IDEOでは、外へ出て専門家の意見を聞き、そして現場に行って文化人類学のように観察を行う。ここからイノベーションが生まれる

現場主義とはよく言うが、実は仕事が立て込んでくればくるほど、現地で出ることは難しくなる。そこを、なんとか出る。定例化した仕事をこなしながら、暇を作り出して現地へ出かける。直に話を聞くことは大事、ということなのだろうが、この言葉でおっと思うのは「文化人類学者のように」という件(くだり)。

未開地や異文化の地へ出かけ、くらして、そこの住民と交わりながら、けしてそこの風土に溺れることなく、その地の文化・暮らしのなかにある普遍的な原理を探文化人類学者のように、現場に飲まれることなく、現場の雰囲気に盲従することなく、クールに、根底にあるものをつかめ、ということのように思う。

現場に溺れることなく、現場の事象の根底にあるものをみつけよ、ということか・・

2011年12月12日月曜日

「頂」が遙かな仕事に取り組むときの言葉

昨年来から関わっている仕事が、どうにか一区切りがつきそうな感じで、今は、物事が片付くときの雑事の煩雑さと、一定の安堵感の中にいるのだが、この仕事に関わって、最近思っているのが、「山を崩すように、岩を砕くように仕事をする」というようなこと。
 
この仕事というのが、業務改革というか、立て直しというか、そんな類のもので、立て直される当人からすれば有り難くなく、立て直しを命じた本社からすればうまくやって当たり前的な仕事で、あまり割が合うものでもないのだが、とにかく縺れているひもを解いていくような仕事であるのだが、くさらずに取り組めたのは、ずっと先の頂をみるのではなく、「山を崩して小さくする。岩をく崩して小さくする。そして崩した土塊や石屑を片付けていく」といった感じで仕事を進めることができたからかな、と思っている。
 
特に、頂をみているとその遙かさに目がくらむのだが、山塊の間、岩の隙間の、プリンのようなやらかな場所のようなところを見つけ、刃物を入れていくような仕事は、隙間を発見したときの喜びと切り分ける時の爽快さはいいようがない。
 
以前読んだ、司馬遼太郎の「馬上少年過ぐ」という短編集に収録されていた「貂の皮」という短編で、気に入った一節があって、それは脇坂甚内という武将を主人の豊臣秀吉が評して
 
「甚内は、野良仕事をする作男(あらしこ)のようだ」・・・武士の戦場稼ぎというのjはきわめて投機性の高いものだが、甚内は作男が照る日も曇る日も野良へ出てくわを動かすように平凡で、実直で、むらがない。
 
というところなのだが、この一節にあるような仕事ぶり、戦ばたらきが、なんとなく職人的で気に入っていて、今回の仕事でもできるだけ、このような感じで、と意識して動いた感じがある。
 
まあ、業務改革や立て直しといった仕事は、仕事が完成した途端、その功は、仕事を命じた者か、監督していた者にいきがちなもので、これから自分の仕事がどう評価されるのかはわからないのだが、ひとまず、先行きの見えない仕事をやるときの、道標的な言葉として刻んでおきたい。
 
山を崩すように、岩を砕くように仕事をする。
そして、作男が野良仕事をするように、土塊を崩し、石屑を砕く
そうすると、いつのまにか自分の後ろに広大な農地が広がっていることがわかるだろう