2006年4月30日日曜日

焼肉レタス包み、カレイの煮付け

韓国に旅行してから、やみつきになっている焼肉の食べ方が、「野菜で包む」という食べ方。
包んで一番美味い葉野菜のは「チチャ」だと思うのだが、この季節には手に入らないので、サニーレタスを使う。
しかも、ちょっと小ぶりのものしかなかったので、豪快に肉を包んで「食う」というわけにはいかなかったが、まあ満足。
肉は、焼き肉のタレにあらかじめ漬け込んでおいたものを焼く。野菜に包む場合は味が濃い目の方が、美味く感じるから不思議。
コミックの「美味しんぼ」で、こうした「包む文化」の話が出ていた巻があったように思うが、いろいろな解説や能書きはほっといて、野菜で巻くという食べ方は、肉の余計な脂っぽさを緩和し、肉のうまみと野菜のしゃくしゃく感が一度に味わえるので、大好きな食べ方である。
カレイは、さすがにこの時期になると「本カレイ」ではない。「メイタガレイ」というやつだろうか。この種のカレイは、ちょっと身が薄くて、「本カレイ」のような分厚い身や、濃厚でこってりとした食感はないのだが、あっさりとした味が好みの場合は、こちらの方が良い場合もある。
特に、焼き肉のようなこってりした肉料理と一緒の時は、このカレイの方が、肉とケンカしなくてよい。

芦原すなお 「嫁洗い池」

「ミミズクとふくろう」に続く、八王子に住む、売れない作家の「ぼく」と「妻」の、ふんわりとしたミステリーである。話の都度、警察署を異動している、同級生の「河田警部」もすこぶる元気である。
収録は、「娘たち」「まだらの猫」「九寸五分」「ホームカミング」「シンデレラの花」「嫁洗い池」の6篇。

前作では、河田警部が持ち込んでくる事件ばかりでなく、「ぼく」が出くわす事件もあったのだが、今回は河田警部の持ち込み事件がほとんど。おまけに、この警部、「ぼく」の「妻」に事件を依頼する時には、持ち込んでくる(もちろん、料理してもらった後は、警部も盛大に食べるのだが)郷土の食材も、このミステリーを読むときの別の楽しみのひとつ。

一つ目の「娘たち」は「河田警部」の同僚の「岩部氏」の家出してしまった娘さんの捜索。娘さんというのは、まじめな女子大生で、成人式に父親の買った晴れ着を着る約束をしていたのに、成人式前に家出をしてしまった、という設定。
ネタバレは、「お父さん、あんまり厳しくすると、娘さんがグレちゃいますよ」といったところなのだが、高校生の娘をもつ父親の私としては他人亊ではない。

で、この娘さんを探しに六本木のクラブなぞを訪ねるのだが、「この町はすかん」といった河田警部の感想や、僕の「いい身なりの若い娘もずいぶん多い。華やかなものだ。日本にはやっぱり金があり余っているようだ。」という表現がある。ほかのところに「アトランタ五輪」というキーワードが出てくるから、1996年あたり、バブルがはじけて、「失われた十年」のまっただ中のあたりの東京、六本木を思い浮かべると「なるほどね」と、いくつかの徒花を思い出す。

二つ目の「まだらの猫」は、密室殺人事件。ある金持が離れで殺される。扉には、密室だから当然鍵がかかっていて被害者の首には毒を塗った吹き矢が刺さっていた、という事件。ネタバレは、吹き矢は殺人の道具ではない、というところや、やたら元気で脂ぎっていた被害者に苛められてきた人間の逆襲といったところ。

この篇で、高松の郷土料理らしい、「アラメ」と「ヒャッカ」というものが登場。前者は海草、後者は葉野菜らしいのだが、現物にお目にかかったことがないので、味の論評はできない。文中の表現を信用すれば、「それぞれを熱いご飯に載せて食べると、もう、あんた。」というぐらいらしい。

2006年4月29日土曜日

焼いた薄切り牛肉、小イワシの煮付け、たけのこ

焼肉は、塩・胡椒だけで焼いた。グリルの焼き網で焼くのが一番美味いように思うのだが、火が舞うので、奥さんはお好みではない。フライパンで焼くことになった。
薄切りの肉は、こてこてとタレをつけるより、あっさりとした焼き方のほうが肉の旨みを出す場合がある、と固く信じている。どうかすると、薄切り肉の方が、ステーキより美味く感じることがあるのは、分厚いステーキを食べる機械の少ない庶民の生活ゆえか・・・。
もっとも、今回の焼肉は、塩、胡椒だけでは、ちょっと物足りなかったので、焼肉用のタレをうっすらとかけた。
小イワシは、5~6センチぐらいのものを煮付けたもの。小さいので、骨もそのまま食べられる。ただし、背中の背ビレのところは、そのまま食べると口の中がイガイがするので、食べるときに指でむしりとる。
たけのこは頂き物。「たけのこの刺身」にするような小ぶりのものではなくで、ゴワゴワとした皮もついているデカイもの。これを薄切りにして、醤油味で煮付ける。あまり、たくさん食べると、たけのこのアクにあたりそうな感じになるので、ちょっと自省する。今度は「タケノコご飯」がいいなー。
最近、山の方では、イノシシが大量に出没して、タケノコも、地面に出るかでないかのところを掘り起こして根こそぎ食べてしまうという話を聞いた。山の方に食料がなくなっているせいもあるのだろうが、「山の復讐」がはじまったか・・・、と不穏当なことを考えたりする。
自然と人間の折り合いは、どこでつけられるのだろうか・・・?

Adobe Readerのインストール

PDFをLinuxでも見る機会が多いのだが、Linuxに添付されているビューワは、どうも使い勝手が悪い。
ここは、本家本元のAdobe Readerをインストールすることにした。
まずは、AdobeのHPにアクセス。ダウンロードのページからrpmファイルをダウンロード。
cdで、そのファイルをダウンロードしたディレクトリに移動。
そのあと
# rpm -ihv AdobeReader_jpn-7.0.5-1.i386.rpm
とすればインストールできます。
追記>2006.05.07
使ってみると、ちょっと動作が不審。
というのも、メニューがぶるぶる震える。
選択すると止まるので、このまま使っているが、ちょっと見ずらいなー。

2006年4月28日金曜日

東京のおみやげ 「メモリー」など

東京出張のついでのお土産は、お菓子のほかに自分用にPCパーツをいくつか。
有楽町のsofmap(この店も5月連休明けには閉店だ)で物色。
ひとつはノート用のメモリ。息子が主に使っているXPノートではなく、私が、ちょっとしたブラウジングや入力用に最近使っているLinuxノート用のメモリ。
なにせ、IBM ThinkPad A21eという、古ーい機種なので、メモリもPC100のSO-DIMM。新品では、値も張るのももちろんだが、ほとんど姿を見掛けない代物。
sofmapの中古メモリのコーナーで、128MBのものがたったひとつあるのを発見。1600円少々で購入。
これで、今挿している純正の64MBと交換すれば、総計で256MBの環境ができあがる。まあ無料で手に入れたPCへの投資としてはお手ごろの投資と思い購入。
あとは、PCのグリース。実は、娘が使っている自作PCのマザーボードのコンデンサがちょっと膨れぎみになっていて液洩れも少しあるので、現在、新しいsocket478のボードを注文中(安かったので、新品を頼んでしまった)。連休中にM/B交換ということになりそうなので、地方では以外に手に入らない自作の小物であるグリースを購入した次第。
そのほかには、USB2.0のハブが980円で売っていたので、これも衝動買い。
家に帰ってから、メモリを換装すると、あっさり認識。心なしか、Linuxノートの機動性が良くなったような気がするのでした。

東京のおみやげ 「彩苺」

源吉兆庵 彩苺6個入(写真右)


東京にひさびさに出張。帰りの飛行機まで、ちょっと余裕があったので、空港で土産を購入。 源吉兆庵の「彩苺」。これは「あやいちご」と読む。 苺の餡を、葛でくるんだもの。 最近TVで有名になった「さくらんぼ」 もあったのだが、 これは以前にも買って帰ったことがあるので、「彩苺」をチョイス。

帰ってテーブルに置くなり、奥さんと息子が早速包みを開けて、食べ始めておりました。
ここの和菓子は、見た目もきれいで、美味しいのだが、ちょっと値が張るのが、いつもいつも買えない理由なのである




2006年4月27日木曜日

即席の海鮮丼

今日のお刺身は、ひさびさの豪華版「うに」「まぐろ」「たこ」というラインナップ。
まず「たこ」は、普通に醤油に山葵をいれて、ビールの肴に。
たこを食べ切ったら、醤油を継ぎ足して、さらに山葵を足す。
そして、まぐろをそれに浸してしばらくおく。うにも、一切れいただく。うーむ、潮の香りがするのである。甘いのである。旨いのである。
もう一切れ手がでそうになるのを、ちょっと我慢。



我慢しているだけでは、ストレスが貯まるし、腹もふくれないので、余りもののシチューをもらう。おおぶりのじゃがいもとタマネギが、これまたビールの肴によいのである。



そして、シチューもあらかた済んだところで。おもむろに自家製の海鮮丼を作成する。温かいご飯の上に海苔(味付けで良。上等なものでなくて良)をちぎって載せ、さきほど醤油にひたしたマグロ、そしてウニを載せる。
そして、余った醤油をウニの上にかけまわせば、あっという間の、出来上がりである。
かなり、テキトーな作り様であるが(自分で言うのもなんだが)・・・旨いのである、本当。






2006年4月26日水曜日

たこと鯛の刺身、焼肉、ハタハタの煮付け

今夜は、うちの奥さんが、職場の飲み会でいないので、ちょっと簡単めなおかず。
焼肉は、牛肉の薄切りをタマネギと一緒に焼肉のタレで炒めたもので、素早くできるのがとりえ。
娘も予備校があるので、私、息子、私の母親、といった非常に少人数の食卓であった。


会社と個人の間にあるもの

nikkei BP の「上海時報」の2006.4.26付けのコラムでこんな記事(「娘のご飯をつくりに、会社にくるお母さん」)を見つけた。
趣旨は、
中国社会では、いったん仕事を与えられると、それは自分の領域内の問題と認識され、仕事に絡む場所や道具、職務上の権限といったものは自分の支配下に入るという感覚が強いように思える。個人は会社の一部なのではなく、まず自分個人があって、その個人が仕事を会社から請け負ったという感覚に近い
ということで
ある日本人駐在員が外出先からオフィスに戻ってみたら、傍らのデスクで見知らぬ女性が働いている。驚いて「あなたは誰か」と聞いたら、部下の男性のガールフレンドだという。「この仕事は私の方が得意なので手伝っている」とニコニコしている。悪気はなさそうなのだが、やはりまずいので丁重にお引き取りいただいた。
といったエピソードや
また別の中国人経営者の話。ある日、昼時になって食事をどうしようかと考えていると、社内の給湯室のようなスペースで誰か料理を作っている人がいる。何者かと思って尋ねたら、ある女性社員の母親だった。
 「娘にいいものを食べさせてやりたいので食事を作っている。社長さんも一緒にどうか」とあっけらかんとしている。この経営者は「過保護にもほどがある。怒るというより呆れてしまった」と嘆いていた。
といったエピソードが紹介されていた。
中国社会の「仕事」「ビジネス」についての感覚は、このコラムに書いてあるとおりなんだろうが、それ以前に、中国のビジネス現場をめぐる奇妙な話としても、可笑しい。
きっと、この娘さんは、彼氏のために一所懸命尽くす一心だろうし、このお母さんも娘の身体を心配する一心での所業だろう。それが、もう、一点集中的に、守衛やら会社の他の社員の怪訝な目線も、なんのその、とばかり会社の中に入り込んでいったのだろう。
でも、日本でも、ここまではないにしろ、息子の仕事について会社に電話してくる母親とか、同じようなエピソードは聞くよね。
会社と個人の間に、グレーなもやもやがあるのは、程度の差こそあれ、アジア系の社会には、ありがちなことなのねー、妙な実感を覚えたのでした。

2006年4月25日火曜日

たことイワシの刺身、マーボ丼

今日の刺身は、「たこ」と「いわし」。最近、よく刺身を食べるようになった。たこは、茹でてうす切りにしてある。たこの「もちもち、しこしこ」した食感と、イワシの「ねっとり」とした食感の対比が面白い。
ツマは、「ウド」だったが、これはちょっと苦手。目で鑑賞するだけにした。



煮付けは、「キンキ」。今日のは、ちょっと小ぶりだが、ほかのおかずもあるので、ちょうど良い。


〆はマーボ丼。ご飯に麻婆豆腐をかけただけ。ただし、うちの場合は、子供用に甘口につくってあるので、このままだとちょっと物足りない。七味唐辛子を持ち出してかけて、味を引き締めるのが大事。



2006年4月23日日曜日

豚肉とエビのはさみ揚げ、かわはぎの煮付け

今日は新作。豚肉の間にエビ(小さなエビだ)をはさみ、衣をつけて薄いフライのようにして揚げたもの。
カツレツのような概観だが、エビフライの匂いがする。
豚肉にベーコンを挟んで揚げる、違うバージョンもあるらしいが、今日は食べきれないから、ひとまずお蔵入り。
味は、普通の豚肉のカツレツより、エビの味がするせいか濃厚で、歯ざわりは、衣のカリカリ感と肉の柔らかさが、よくあっている。

煮魚は、ひさびさの「かわはぎ」。釣り人には珍重されない魚なのだろうが、煮付けにすると、その淡白な味が好ましい。縁側のようなところが厚みがあって、一番の好みである。


本日は、入院している父の昼間外出の日なので、病院までお迎え。娘が父親の耳掃除をして、おもいがけない大金のおこずかいをもらい狂気乱舞していた。(孫に甘いのは、どこの爺さんも一緒だ・・・)
私は、PCの共有環境の再設定。Linux Noteから、母艦のデータにアクセスできるよう母艦の共有設定をいじっていたら時間をくってしまった。合間に、玄関の庭木の剪定もやりました。
・・・結構、働き者です。

2006年4月22日土曜日

牛肉のステーキ、キンキの煮付け

うちは、夫婦二人ともフルタイムで働いているので、ステーキのように下ごしらえに時間がかからないものは平日のおかずになることが多い。
今週は、私も飲み会が多く、家で食べることが少なかったので、休日にまわってきたらしい。4月になっても雪が舞ったりして寒い日が多かったのだが、ようやく汗ばむような気候になってきた。木の芽どき、というやつだろうか、生物も世間もななにやら、いろんな動きが出始めている。あいかわらず殺人事件や領土騒ぎがあるのは、ちょっと気が重いが、夏向けの新製品の情報もチラホラしてくるのがうれしい。


キンキの煮付けには脂がたっぷりのっていて旨い。合間に、野菜の煮物をつまむ。若い頃は、ほとんど魚の煮つけや野菜の煮物なんてものには手を出さなかったのだが、年をくって身体から脂が抜けてくると、こうしたものが、身体に程よくなってくるのは不思議。


今日は、ほぼ一日中、ミステリーを読むか、書評ブログの原稿書き。平日は仕事もあるし、飲み会が多いと、そうしたことには時間がまわせず、目の前の「お仕事」をこなすのが精一杯になる。
早起きしてやろう、と啓発本などで思い立つが、翌朝は布団の中で眠りこけているのが意志の弱さと目的意識の無さの現われか・・・・。
ひとまず、ミステリーを2冊ばかり、読了。

2006年4月17日月曜日

ほたるいか、おきいわしの煮付け

知り合いから大量(ビニール袋一杯)に「ほたるいか」を貰った。実は、山陰でも「ほたるいか」がかなり獲れる。しかし、富山のようにネームバリューがないから、地元ではかなり安価に手に入るという漁師さんには、申し訳ない構図。


で、早速、夕食のおかずに。複雑な調理法は知らないので、山盛り茹でて、生姜と醤油で食す。このときの醤油は「たまり」などの刺身用の醤油ではなくて、普通の濃い口しょうゆがいい。


ほかは、「おきいわしの煮付け」と「クリームシチュー」。おきいわしは、普通のイワシとは違い、かなり淡白な味。「クリームシチュー」は味噌汁代わりに少々。


2006年4月16日日曜日

手羽先のピリカラ揚げ、紋ガレイの煮付け

今日は入院している父親に、初の外出許可が出た。9時頃迎えに行き、17時頃送るという、結構慌しい日程。
と、いうこととは関係なく「手羽先のピリカラ揚げ」。手羽先の皮がパリパリになるくらい油で揚げて、ピリカラのタレにからめる。うちの奥さんは、以前は鶏の皮が駄目で、触れないほどだったのだが、人間成長するものだ。しっかりつかんで料理している。母は強し、といったところか。


魚類は、「紋ガレイの煮付け」と「ブリとタイの刺身」。紋ガレイは小ぶりのカレイで、身も薄いのだが、味はしっかりしている。大ガレイより小味で、繊細な感じ。


芦原すなお 「ミミズクとオリーブ」

ふんわりとしたミステリーである。

登場するのは、作家で(といっても余り売れてそうにないが)八王子の山の方に引っ込んでいる(八王子から20分ほどバスで行ったあたりらしい)「ぼく」とその「妻」。「ぼく」は讃岐の出身で、奥さんは、高校時代の恩師の娘さんという設定。「僕」のもとにどういうわけか持ち込まれてくる、というか、高校時代の友人で警視庁で刑事をしている「河田」が持ち込んでくる事件を、たちまちのうちに解決していくという設定である。

たちまち解決する、といっても、この奥さん、自分で犯行現場に赴いたりしたり、関係者を聞き込みしたり、といことをするわけではない。現場の捜査をするのは、本職の「河田」刑事であるし、奥さんの指令のまま詳しい調査をするのは、夫の「ぼく」である。奥さんは、話を最初聞いて、推理し、その証拠を固めるために河田刑事や「ぼく」をパシリとして使う、結構人使いの荒い「アームチェア・ディクティティブ」(安楽椅子探偵)である。感じとしては、クリスティの「マープル伯母さん」に近いのだが、作風というか、話の風情からすると、「割烹着」の似合う「和風マープル」である。

収録されているのは「ミミズクとオリーブ」「紅い珊瑚の耳飾り」「おとといのおとふ」「梅見月」「姫鏡台」「寿留女(するめ)」「ずずばな」の7篇。

「ミミズクとオリーブ」は「ぼく」とその奥さんの探偵デビュー。「ぼく」の家の庭にくるミミズクも初登場するし、「ぼく」の奥さんのどことなく武家っぽいというか、古式っぽい様子が窺われるデビュー作である。(設定では、奥さんも英文学の専攻ということになっているのだが、感じる雰囲気は国文学か国史だよな)
起きる事件は、「ぼく」の旧友で遣手の「飯室」の奥さんが逃げてしまった、なんとか行方を掴めないか、というもの。きっかけは度重なる浮気なのだが、その女にまともに対抗する飯室の奥さんもすごい、という印象。


「姫鏡台」は、日本屈指の画家の殺人事件。技術の上手い下手以外に、画家になれる人となれない人があるのだ、ということを言いたいのかな、と思う一遍。芸術は技術ではなくて、それにかける愛情なのかな。

「寿留女」はひさびさに奥さんの機嫌が悪い事件。単純に言えば、奥さんの働きで持ち直した旧家で、旦那さんが浮気をしてしまう。旧家の奥さんは堪え忍ぶが、家を渡すわけにはいかない、と頑張っている、という貞女話の裏にある、実は「どっちもどっち」とう話。貞女ぶる人には、「ぼく」の奥さんは、かなり手厳しい。

最後は「ずずばな」。「ずずばな」というのは、「彼岸花」のこと。服飾デザインとエステで大規模な事業を営んでいる夫婦が死ぬ。奥さんは河豚の毒にあたり、旦那は風呂の中で溺死。しかも、同じ家で、ほぼ同時に、といった事件。
結局は、ともぐい、というか殺し合いは醜いけど、同時に起こると犯人探しも混乱するのは間違いなし、というのが謎解きのヒント。

いずれの短篇も、ふうわりとして、嫌味なく読めてしまう。おまけに、どことなく古めかしい感じを受ける「ぼく」と「妻」のやりとりに包まれ、安心した思い最後まで読んでしまうシリーズである。

北村 薫や加納朋子のファンであれば、これもお気に入りのひとつになること間違いなしの逸品である。

2006年4月15日土曜日

カツオのタタキ、イワシの酢締め、豆腐の餡かけ

かなーり、ひさしぶりに「カツオのタタキ」。実は大好物。うちの「カツオのタタキ」は、高知風(うちの母親が昔、高知出身の人に習ったという触れ込み。本当に高知風かどうかは定かではない)と称して、三杯酢(酢と砂糖と醤油をまぜたもの)にひたひたに浸して、上に薄く輪切りにした胡瓜をたっぷり載せる。これをしばらく置いて、カツオに味をしみ込ませる。
そして、薬味は、「生ニンニクのスライス」。(もっとも、これは私だけ。他の家族はニンニクは使わない)
これをこんな風にして一緒に食べる。

カツオ一切れに、ニンニクスライス一片の割合で食べる。ニンニクの香りと辛みがカツオと胡瓜、三杯酢に調和して、ヒジョーに美味。

もっとも、食後は部屋中ニンニクの匂いだらけ。翌日は、体中からニンニクが匂う状態なので、休日前の夜ぐらいしか食べる機会がない。

そのほかは、豚肉のショウガ焼き少々。イワシの酢締め。豆腐の餡かけ。
イワシは、イワシを刺身風に切って酢で締めて、醤油でいただく。豆腐の餡かけは、もずくと豆腐がマッチしてカツオの合間に食べるのが良。

今夜は、カツオのタタキを中心に展開した食事でありました。

北村 薫 「六の宮の姫君」(創元推理文庫)

「私」と「円紫師匠」のシリーズも、これで4作目。シリーズ開始当時は1年生だった「私」も大学の4年生となり、就職活動も開始しないといけないし、「卒論」も書かなきゃいけない時期である。


今回の事件は、その就職活動とその卒論がきっかけだ。いや、事件という言葉は適当ではないだろう。この「六の宮の姫君」では、何かが盗まれたり、誰かが殺されたり、といった事件らしい事件はおきない。

というのも、「私」がアルバイトをしている先の出版社で、文壇の長老(うーむ、古式ゆかしい言葉だ)が、まだ若い頃、芥川龍之助が自分の作品である「六の宮の姫君」を評して、「あれは玉突きだね・・・。いや、というよりはキャッチボールだ」と言っていた、という話をきかされ、その意味を探っていく「書誌ミステリー」あるいは「文学史ミステリー」というものである。


「六の宮の姫君」っていうのは、今昔物語に題材をとった話で、「ある貧乏貴族の娘が親が亡くなってからどんどん落魄していく、ようやく面倒をみてくれそうな男ができたのだが、その男も父親の地方の国司就任に伴って地方へいきなかなか帰って来ない。ようやく帰ってきたところが、姫の屋敷はすでに荒廃していて、都中を探すと、姫は乞食同然になっている。男と会うと姫は長年の無理がたたり、死んでしまうのだが、死ぬ間際に、どうしても声明が唱えられず、極楽と地獄の間を彷徨う亡者となってしまう」っていう話のようだ。


なんで、これがキャッチボールなんだ、というわけで、主人公の「私」は、芥川龍之助に関する書籍を調べまくる。途中、谷崎潤一郎や正宗白鳥、菊池寛やら、なんか学校の教科書にでてきたような記憶があるんだがなー、といった近代文学史を彩った人物がごちゃごちゃ出てきて、最後、「キャッチボール」の意味は、「時間を超えた情念の投げ合い」なのか、といった感じで、かなり賢っぽく、インテリっぽく展開していくのだが・・・。

すいません。どうも、こうした文学史っぽい話に疎い私としては、いまいち乗り切れませんでした。

古典や純文学といった方面の好きな方には「お薦め」と想像するミステリーです。
あの人が絞殺されたのだの、この人が毒殺されたのだの、血生臭いミステリー専門のかたは、ちょっと敬遠してしまうかなー。

2006年4月14日金曜日

アガサ・クリスティ 「火曜クラブ」

「マープルおばさん」のデビュー作である。ハヤカワミステリでは、この表題になっているが、創元推理文庫版は「ミス・マープルと13の謎」という表題。

創元推理文庫版の表題どおり、13の短篇が収録されている。


設定は、マープル伯母さんの甥のレイモンド(小説家をやっているらしい)を筆頭に、元警視総監、女流画家、女優などが、自分が出会ったり、見聞した昔の難事件(真相は、話をする当人は知っているのだが)を語り、その真相をあてるという趣向の「火曜クラブ」で、編みものをしながら傍らで聞いている「マープル伯母さん」が次々と犯人をあてたり、謎を解明していくという安楽椅子探偵物。

収録されているのは
「火曜クラブ」「アシタルテの祠」「金塊事件」「舗道の血痕」「動機対機会」「聖ぺテロの指のあと」「青いゼラニウム」「二人の老嬢」「四人の容疑者」「クリスマスの悲劇」「毒草」「バンガロー事件」「溺死」


謎解きすべき事件や犯人は多種多様。
エビの食中毒にみせかけた毒殺事件(「火曜クラブ」)や、沈没した船に積まれていた金塊がごっそりなくなっていた「金塊事件」、壁紙の花のプリントが青く変色するとき、その家の女主人が殺される「青いゼラニウム」や、雇主の女性が普段は仲の良かったコンパニオンを殺すという「二人の老嬢」(この話の途中に「他人から見たら、老嬢は誰も同じに見える」といった今なら女性蔑視でとっちめられそうなくだりもあり、思わず頷いてしまいそうになる)などなど、13の話がそれなりに趣向が凝らされ、奇妙な事件に仕立てあがっている。

おまけに、この犯人も細工が込んでいて、財産目当ての女性が偽装をこらしたり、可愛さ余って、人に嫁がすのがおしくなる老人がいるかと思うと、若い男に勝手に惚れて、その男のために殺人まで勝手におかしてしまう中年女性がいたり、と多士済済である。


それぞれが文庫判で20ページから30ページ程度の短篇なので、謎が語られはじめたと思ったら、すぐさま謎解きが始まるという忙しなさはあるのだが、マープル伯母さんの謎解きの前に必ず挿入される、ミード村の村人の逸話が妙に楽しみになること請け合いである。


このミード村の様々な話については「舗道の血痕」の最後のくだりで、マープル伯母さん自身が

「わたしはね、この世の中におこることは、なにもかも似たりよったりだと思うんですよ。」
(中略)
「村の生活にだってずいぶんといまわしいことがあるものですよ。この世の中がどんなに悪辣か、あなたがた若い人たちが思い知らされずにすむといいと思いますけれどねえ」

と語るところに凝縮されていると思うけど、こんなに事件が起きる村ってのは、ちょっと治安が悪過ぎるような気がするのだが、どうだろうか・・・・・・。

2006年4月13日木曜日

焼きサバ、トンボーロ

「焼きサバ」もかなりの頻度で食卓にのぼり始めた。あいかわらず生姜醤油で食べる。こうした焼き魚系は、あまり飽きがこないのは、私の遺伝子も。三毛猫と一緒で日本型になっているせいかしら。
今日は、半身でギブアップ。調子の良いときは、一人で一匹食べてしまうことがあって、「鉄の胃袋」とかいわれてしまうのだが・・・


これは、コンビニのファミマの「とんかつ巻と鮭フライ巻」。仕事が終わって帰る途中、ふいに変わり巻の海苔巻が食べたくなってしまい、衝動買い。本当は、うなぎの太巻が第一希望だったのだが、品切れだったので、次候補をチョイス。コンビニの商品は、突然食べたくなる時がある。どうも、脳髄にインプリンティングされてしまっているのだろう。


トンボーロはひさびさ。外側の脂のところも崩れていなくて、中まで軟らかく味が通っているので、誉めたら、「市販品」でした。どうも失礼しました。
刺身は「月の輪と鮪」。月の輪は白身のくせに、かなりもちもちしている。






岸本葉子 「炊飯器とキーボード」

副題に「エッセイストの12ヶ月」とあるように、筆者の12ヶ月のあれこれを綴ったエッセイである。



全体として、肩肘はった書きぶりをする人ではないので、すらすらと読めるのがうれしい。例えば、自分の母親が亡くなったあと、両親の家を片付ける場面で


この休み、親の家で私は相当、ものを捨てた。親は世代的に「もったいない」精神がしみついているのか、とりあえずとっておく癖がある。箱とか紙袋とか。 
貰い物も、すぐには使わないとみると、元通り紙に包んでしまい込む。すると、中がなんだかわからなくなり、「ある」ことそのものを忘れてしまい、単なる場所ふさぎと化すのだ。 


というあたり、同年代に属するせいか妙な連帯意識を覚えてしまうし、

今年一番に繁忙期である証拠に手帳のページが数週間にわたって「真っ白」。(つまり、外へ出歩いたり、人と会っている暇などなく、だたひたすら、家の中で原稿書きをしなければならないので)エッセイストの市ごとは、スケジュールがいっぱいのときよりも、家にいる日こそがいちばん忙しい

とか

会社勤めの人より一日の実働時間は短いだろうが、何かこう、だらだらとい忙しい。

とか


書評でとりあげるのは、刊行されてからだいたい3ヶ月以内のものという制約がある。あんまり前のだと、読者がせっかく記事を読んで本屋に行っても、ないことが多いからだ




雑誌の特集は、4月は「梅雨の湿気対策」だったし、6月は「ひんやり涼麺」だったし、齢を取るのが2ヶ月ずつ加速しそう


などといったところは、現職のエッセイストが楽屋裏を垣間見せてくれている面白さがただよう。


あまり構えずに、暇の折々につまみ食いするように読むと、心をなごませてくれるエッセイである。

最後の12月の章で


押し詰まって二十八日、まだ原稿を書いている。 
二十九日、まだ原稿を書いている。 
でも、書くものがあるのは嬉しいこと。来年、再来年の今頃も、こうでありますように。 


と本当にエッセイを書くのが好きなのだな、と思わせる件があるが、これをもじってこのコラムの終わりとしよう。


「でも、読むものがあるのは嬉しいこと。来年、再来年の今頃も、こうでありますように。」

白バイとサザエの刺身、もずくスープ、カレイの煮付け

刺身は、滅多にないことに貝づくし。白バイとサザエである。どちらもコリコリしていて磯の香り満点のもの。山葵(残念ながらチューブ)をたっぷり利かせて一切れずつ大事に食べる。合間にビール。コリコリ、グビ、コリコリ、グビ、といった塩梅。
そういえば、水木しげるの妖怪解説本に「さざえ鬼」っていうのがあった。大きなサザエが変化して、人を食うようになったものだったようにおぼろげに記憶している。サザエは、あまり大きなものよりも少し小振りな方が、身が締まっているように思うのだが、これは貧乏ゆえの幻想だろうか。
もうひとつサザエといえば、以前は、夏の海水浴の海の家では、こうしたサザエの壷焼きがもうもうと煙をあげていた。大抵は、父親達(私の子供の頃は海水浴は大イベントだった。近所が連れだって、弁当もちで出かけていた)の酒の肴なのだが、匂いが何と言っても旨そうだった。匂いと実際の味のギャップが大きいのは、サザエの壷焼きが最たるもののように思う。

もずくスープは豪快に、一気に飲み込むように、ずるずると啜る。実は、余り得意なおかずではない。


カレイの煮付けは、煮魚の定番。今夜のカレイは、かなり大きな子持ちであった。


もうひとつ、ビールの肴に、ハムの残りモノを炒めてもらった。ハムは生で、という人が多いかもしれないが、私は炒めたものの方が好きだ。脂のクドさが、炒めることで浄化されるのだ。


2006年4月10日月曜日

イワシの煮付け、イカの子の吸い物

春になり、干したものではない小さなイワシが食卓に上り始めた。これからイワシにお目にかかる日も多くなるような予感がする。まあ、イワシは昔は下魚といわれていた時期もあったが、最近は格もあがっている。何よりも煮ても焼いても、肩肘はらずに旨いのがいい。
今日ぐらいの大きさになるとちょっと骨までは食べられないが、もう少し小さいと、丸ごと食べることもできる。イワシは、庶民の味方。

また、珍しくイカの子の吸い物。イカの卵のところをすまし汁にしたもの。イカはかなり濃厚な味がして、酒の中休みにも、飯のおかずにもよし。ほくほくとしたイカの卵の味わいが良。


小泉武夫 「地球を肴に飲む男」

発酵・醸造学の権威であるとともに、「食の探検家」または「歩く胃袋」「カニクイザル」などなどの異名をもつ小泉先生の食エッセイである。当然、エッセイの中心は酒と肴が中心なのだが、その酒も、肴も只者ではないというか、ありきたりのものではない。
 
例えば、「虫を肴に酒を飲る」では、メキシコのメスカル(テキーラ)の飲み方。メスカルというのはテキーラのコクを出すというか飲みやすくするために蛆虫とか蜂の蛹をいれたものらしいのだが、 
 
その飲み方は 
 
洗面器のようなものの上に笊を置いて、その上からメスカルを注ぐんです。すると、瓶の中に入っていた何百匹という蛹は笊にひっかかるのですが、酒は笊の目を通って洗面器に集まります。その酒を瓶に戻してから飲み始めるわけですが、笊に残った虫の幼虫は、そのまま男たちの酒の肴になるんですね。 
 
 
といった具合だったり、あるいはラオスで 
 
 
皮を剥し、背骨を中心にして、開いた肉身をそのまま燻して、乾燥状態で売っている、ネズミの燻製を肴に、道端で老婆と酒盛りをしたり 
 
といった具合である。 
 
 
もちろん、医者が禁ずるほどのフォアグラを食したり、モクズガニをつぶして味噌で味付けしたものを湯の中に落とし、絹ごし豆腐とネギで食べるモクズガニのフワフワ汁など、普通でも涎のでそうなものは食べているのだが、この先生の食エッセイの醍醐味は、こうした得体の知れない食べ物の数々を、楽しみながら(まあ、何度かは吐きながら、ということでもあるようだが)胃の腑におさめていく、小泉先生の健啖さである。 
 
まさに「戦う胃袋」である小泉先生の戦闘の日々が、また続いていくであろうことを期待するのである。 
 
 
それはともかく、先生の命名する「シンデレラリカー」、酒やワインの酒粕を蒸留した、いわゆるカストリや、ブルゴーニュのワインやポルトガルのポートワインの澱を飲むあたり、なんとも旨そうで、思わず喉がなった次第であります。
 

 

2006年4月9日日曜日

モサエビの塩焼き、ハム、カツトジ

春になって、こちらの名物の「モサエビ」が出始めた。塩焼きにして食べる。頭のほうは、少し齧って脳みそのところも味わう。ちょっと生臭いがエビの風味がよくでている。身は、殻をむしって、そのまま口へ。
隣は、ハムの薄切り。塩味がほんのりして、ビールの肴にもってこい

昨日の残りのとんかつを卵でとじた「カツトジ」。みんなで分けて食べる。ビールの肴にした後、飯の上に2切れほどのせて小さなカツ丼ふうに。



庭のお手入れ

今日はひさびさに庭のお手入れ。キウイの木の剪定と「ひめおどりこそう」の駆除。
キウイの剪定は、2月頃までにやってしまわないといけないのだが、遅ればせに実施。ついでに他の庭木も伸び放題になっているのを適当に切りまくる、乱暴この上ない剪定を敢行。

乱暴な剪定の結果、茫茫としていた庭もかなりすっきりしてきた。

気がつけば、こんな花も咲いていた。





ちなみに「ひめおどりこそう」ってのは、こんなの


もっとこの草についてしりたい人は、こちらをどうぞ

アガサ・クリスティ「ポケットにライ麦を」

マープルもののミステリー。時代は、第2次大戦ぐらいだろうか、最初の殺人の被害者は投資信託会社の社長なのだが、その秘書(当然のように金髪ですよ)の靴下が、「闇市で購入したに違いない飛び切り上等のナイロン靴下である」といったあたりが時代を写しているようなのがクリスティの細工の細かいところ。

ナイロン靴下のことをネットで調べると

Nylon Stockings(ナイロン・ストッキング)1939年から 40 年にかけてニューヨークとサンフランシスコで万国博覧会が開かれた。会場に押し寄せた観客の注目を集めたのは、デユポン社が出品したナイロン・ストッキングであった。1930 年代の後半までアメリカは絹靴下の世界最大の生産国であった

1940 年5 月、この商品はアメリカの主要都市で発売された。発売日には、大勢の人が早朝からロープで仕切った店の前につめかけた。ニューヨークでは初日だけで72,000 足売れた。絹ストッキングが1 足75 セントだったのに対し、ナイロン・ストッキングは1ドル 15 セントだったが、誰もがナイロン製を買った。日本の絹市場は完全に暴落したのだ。  

真珠湾攻撃の直後 、第32 代大統領F.D.Roosevelt がアメリカが民主主義のための兵器製造所になることを求めると、民間産業はこの要請に応えた。デユポン社も政府の統制を受け、利用できる全てのナイロンを使ってパラシュート、テント等の軍事品を生産した。女性たちも古いナイロン・ストッキングを飛行機のタイヤに再利用する廃品運動に協力した。彼等はしぶしぶ以前のたるみのでる絹靴下をはいたのだが、なかにはナイロン・ストッキングをはいているように見せるため、まゆ墨用の鉛筆でふくらはぎに縫い目をかくといった足化粧をした女性もいた。戦時中、オクラホマ州の60 人の若い女性に「この戦争でなくしてしまったため最も悲しく思うものは何か」と尋ねたところ、20 名が男性、40 名がナイロン・ストッキングと答えたという。当時の女性にはナイロン製はそれほど貴重品であった。

という記述がある。絹なんて目じゃないほどの貴重品だったわけだ。

さて最初の殺人は、投資信託会社の社長(レックス・フォテスキュー)が、毒殺されるもの。イギリスならではの(今もこうした風習がビジネスシーンで残っているかどうかは寡聞にして知らないのだが)ティータイム。タイプ室で、お湯が温いだの、クッキーがしけってるだのといっているうちに、秘書の入れた紅茶を飲んだ社長が、苦しみ出して、死んでしまう。おまけに、その時の社長のポケットに中にはライ麦が入っていた、というのが最初の殺人。このときに使われた毒が「タキシン」というもので、イチイという木の実や葉に大量に含まれているらしい。(イチイってのはなんだ?、という人は、この記事の最後をどうぞ。いちおう調べました。官位もちだったんですねー。偉い木だったんだ。)このイチイが大量に植えられているのが、その社長の邸宅ということや、タキシンという毒が遅効性であることで、その秘書の疑いは晴れるのだが、いつもどおり、金髪美人へのクリスティの風当たりは厳しい。

さて金髪美人いじめはさておいて、この社長の家族というのが、いずれも疑われてもよさそうな人間ばかり。殺された社長にしてからが、若い頃から結構阿漕に儲けてきた設定になっているので無理もないのだが、数年前に結婚した財産目当てが見え見えの若い後妻、最近投資方法がめちゃくちゃになってきた父親(そのせいで会社も傾きかけているらしい)に一向に会社を任せてもらえない長男夫婦、そして若い頃の放蕩のせいで勘当まがいになっていたが、最近許されて帰国しようとしている次男(ちなみに次男は、落ちぶれ貴族の娘さんと最近結婚したらしい)。屋敷の使用人は、やたら行儀に厳しそうな家政婦と飲んだくれの執事、ちょっと抜けたメイドといった面々。

さあ、殺人の動機は?、殺人により利益をうけるのは、といったあたりからの警察の捜査が続き、当然疑われるのは、社長が死ぬと膨大な遺産のころがりこむ社長の妻か、会社を継ぐ長男あたりを軸に捜査が進むのだが、このあたりには、我等の「マープルおばさん」は登場してこない。登場するのは、第二、第三の殺人が続けざまに起こった後から。殺されるのはまず、最初に殺された社長の若い夫人(アディール)がお茶に入れられた青酸カリで毒殺され、メイドのグラッディスが、後ろから首を絞められ殺される(どういうわけか、鼻を洗濯ばさみではさまれたまま放置してあったというおまけつき)。
ここで、マープルおばさんが登場。弧児院からグラッディスを一時期預って行儀作法を教えていたという設定(イギリスでは、こうした習慣は当り前だったのかな)。

そして、一連の殺人の様子を聞いたマープルおばさんは、「つぐみ」に注意しなきゃいけない、といってマザーグースの童謡のひとつを口ずさんだ、てなあたりから、つまんない殺人事件が、ひょっとしたら因縁深い、巧妙なトリックに満ちた殺人ではないのか・・・・・・、という風情になってくる。おまけに、その年の夏に、社長の机の上につぐみの死骸が4羽おいてあっただの、社長が若い頃、「つぐみ鉱山」というアフリカの鉱山を騙しとった、といった話がでてきて、なにやら殺人事件が社長の旧悪の清算っぽくなってくる様相を呈してきて、いつものクリスティのミステリらしくなってくる。

さて、マザーグースの童謡の意味するものは何か、を手がかりに捜査や推理も進むのだが、どうも、イギリスに造詣の深くない管理人としては、このあたり、どんな複雑な謎も、簡単な謎も「知らんもんねー」状態。マザーグースってのは、英米ミステリーを読むときの肝だってことはわかるんだが、どうも苦手なんだよねー、という感。
これ以上はネタバレになっていきそうなので、ボカシを始めると、なんだ、やっぱり殺人事件の動機は「カネ」じゃないか

(参考までに)イチイ

常緑針葉高木。
北海道から九州の高隅山まで、山奥にポツンと分布する。
岐阜県大野郡宮村位山の国有林も有名であるが、現在しはかなり少なくなっている。
こ線状二列の葉は、先端が鋭くとがり触ると痛い。種子を包んだ赤い肉質の仮種皮は甘くおいしい。
アララギ・オンコなどの別名がある。心材は美しい紅褐色で加工しやすく、彫刻材・家具材として用いられる。鉛筆用には最
高の材料とされる。
イチイの名前は、仁徳天皇がこの木でしゃくをつくらせ、それで正一位を授けたので「一位」と呼ばれることになったといわれている。
そして「しゃく」(笏)は、いまだにイチイでつくられている。
イチイの有毒成分は,タキシン(taxine)というアルカロイドで,その名はイチイのギリシャ語読みに由来し、ちなみに英語の毒素(toxin)もタキシンと同じ由来だそうだ.子供の頃イチイの実を食べたという方もあるだろうが,タキシンは果肉を除く全植物体に含まれている.子供は誤って種も飲み込んでしまうことがあるので,アメリカではイチイがヒトの植物中毒の原因別ランキングで常に上位にいる

とのこと、でありました。

岸本葉子 「やっぱり、ひとりが楽でいい!?」

ひさびさに岸本葉子さんのエッセイを読む。リサイクルショップで岸本葉子さんの本を2、3冊買い込んだのでまとめて読んでいる。なにかしら私には、固め食い、というか、気に入ると同じ作者の本をまとめて読む性向があるのだが、この作者のものも、その傾向に近くなっている。

書かれたのは1994年で、今から13年ぐらい前のエッセーなのだが、実は作者と同じ様な年代(管理人の方が若干年上ですが)ののため、私の30年代の記録を重ね合わせるように読んでいるのだろう。

章立ては

「ひとりでも退屈しない」
「こんな、私も、結婚したい・・・」
「自分で自分がわからない」
「私はいつでもマイペース」
「こだわってはみたものの・・・」
「見栄も外聞も捨てたい・・・」
「私にも楽しいことはある」

の7章立てで、乱暴に総括すると「独身女性の、やっぱり一人暮しになっちゃうんなよね」ということか。
途中の「結婚したい願望」をめぐる話とかテレクラにかけてみた話とか、ちょっとこの人の性向からすると無理して体験したりしているよなー、と思うものもあるのだが、それなりに時代を反映していて面白い。

なにせ、この人、人混みというか人づきあいが苦手らしい。本好きの内気っぽい人によくあるような、一人でいても苦にならない、何時間でも喋らなくても大丈夫、といった人らしく、熱っぽい人や世間とは何か波長があわないのである。
エッセイの原稿を渡した後は、まず家に籠るための準備を始めるし、「結婚したい」といいながら、律義に毎日同じ時間に電話をかけてくる男性にまともにつきあってへとへとになるし、喫茶店で原稿書きをしていて馴染になりそうになると寄り付けなくなるし・・・、といった感じなのだが、ちょっとパワーが落ち気味の時とか、進む方向にちょっと迷って風読みをしているときは、なにかしっくりくるのが不思議だ。

どうも風読みをしている時の、あたりを窺う精神状態というのが、この人のちょっと引いた風情にシンクロしてくるのだろう。読んでいて、なんとなく、なだめられるような気がして、ホッとするのである。華やかな感じはしないが、ちょっとそばに置いておきたいエッセイである。

ついでに、途中の梶井基次郎の写真を見て、イメージが崩れたっていうところがあって、これ私もかなり強度に同感。文庫本とかに載っている写真はいくら事実といってもよくないよな、「檸檬」のイメージガタガタだものな。
「ゴリラも詩を語る」と、いった不遜な言葉を思い付いてしまった管理人でありました。
(あ、申しそえますが、岸本葉子さんは、非常に上品な、美しいお顔の写真が掲載されています。)

2006年4月8日土曜日

桜も終わりか・・・、夜桜

今年の桜も終わりか・・・、と昼間感慨にふけっていたが、家族も同じだったらしく、入院している父親の恒例の夜の見舞いの帰りに、夜桜見物。
今年は、川土手も整備されて桜の見物もしやすくなっている。人通りもかなり多い。

が、うちの目当ては、湯所の近くの出会橋の橋端の(繁華街から遠く離れたところの)桜。
この桜は、近くの電気工事屋さんが、自費でライトを整備して、ライトアップしているのだ。近くには、市の整備した雪洞もなく、街灯もまばらだから、車を走らせていると突然、暗闇にボッと桜が迫ってくるので、結構不気味というか迫力ある桜なのだ。(若い頃は「お化け桜」とかいっていたような気がする。)
まっくらの中に、ボーッと浮かびあがる姿は、幻想的で、昼の桜以上にみごたえありました。


とんかつ、、クリームシチュー、ハタハタの煮付け

「とんかつ」といっても、分厚くなくて、かなり薄い。カツレツといっていいぐらいのもの。これぐらいのトンカツであれば、卵とダシ汁でとじて「カツトジ」にする手もあるのだが、今日は、うちの奥さんの機嫌が悪そうなので、おとなしくソースで、もくもくと食べる。
クリームシチューは、冬の最中はこってりとしたものが良いのだが、4月ともなり温かくなると、あまりこってりしたものは重い感じがするので、ルーの量をけちってチャウダー風にする。
ハタハタはいつもどおりの味。最近、形がおおきく卵をもっているハタハタがこちらでも増えているのだが、聞くところによると秋田の資源保護が効を奏して、こちらの方にも秋田のハタハタが南下しているのだそうな。他のところの上前をはねるようで申し訳ないが、ありがたく、いただく。秋田の方々ありがとうございます。


桜も終わりか・・・、土手の桜

年度かわりのどたばたにかまけて、いつの間にか桜も散り始めた。心に余裕があれば、城跡の桜を眺めて、帰りに屋台で焼きそばかたこ焼をお土産に、といったことをしたこともあったのだが、今年はうかうかとしているうちに時期を失してしまった。今日は。「お城まつり」というイベントが開催されていて、桜見物の最終チャンスなのだが、あれこれと雑用があって、ままならない。
娘は、いつの間にかちょこちょこと屋台めぐりをしていたらしく、あそこの焼きそば、とかこちらの唐揚げ(今時は、屋台の鶏の唐揚げなんてあるんですねー、知らなかった。)といっぱしの屋台評論家になっている。
で、去年、桜の話をしていた人が、今はいなくなっていたりして・・・



年々に桜も、桜を見る人も変わっていくんですね。
人間、余裕が大事ですよね、と実感して、土手の桜を愛でたのでありました。


2006年4月7日金曜日

イワシミンチのハンバーグ風、鯛と鮪の刺身

イワシは、だし汁、ネギを加えて、摺鉢でよく摺ってミンチ状にする。これを平たく伸ばして、薄く焦げ目がつく程度に焼くとミンチのハンバーグ風のできあがり。お好みでウスターソースでもトンカツソースでも良し。私は、一枚は何もかけずに、イワシの風味を味わいながらビールの友に。その後、ウスターソースをちょっとじゃぼじゃぼ気味にかけて飯と一緒に食べるのが好きである。
刺身の鯛は今日もシコシコとした新鮮なものが届いた。鮪は、普通に刺身で食べるのにちょっと飽いたので、箸でぶつぶつと穴を開けて、山葵をたっぷり利かした醤油にひたし、ヅケ状態にしてからいただく。
ビールの肴にも良し。海苔を熱い飯の上に散らし、その上に載せて簡易ヅケ丼にしても良い。今日はオーソドックスにヅケのままでいただきました。
ちらっと見えている焼き鯖には、満腹状態で手がでなかった。飽食に気をつけよう・・・。


MACでWindows

こんな記事「Intel プロセッサ搭載『Mac』で『Windows』の運用を実現」をみつけた。

Apple Computer (NASDAQ:AAPL) は5日、Intel 製プロセッサを搭載した『Macintosh』(Mac) に、Microsoft 製 OS『Windows XP』をインストールできるソフトウェア『Boot Camp』のベータ版を公開した。
Boot Camp を用いて Windows XP をインストールした後、『Mac OS X』と Windows XP のどちらで起動するか選択できるようになる。
Apple の CEO (最高経営責任者) Steve Jobs 氏は、Intel プロセッサ搭載『Mac mini』発表の際、Mac 製品ラインの半分が Intel プロセッサに移行したと述べている。Intel プロセッサへの切り換えは今年1月に始まったが、Jobs 氏は年内に全製品が Intel プロセッサ搭載モデルになると見込んでいる。
Windows と Mac OS X のデュアルブート機能は、Apple の次期 OS『Mac OS X 10.5』で正式に実装する予定だ。同社は今回 Boot Camp ベータ版を、期間限定の評価用として公開した。
Apple は、自社 OS と Microsoft 製 OS の両方に対応することにより、Windows ユーザーを納得させることにつながると期待している。

私は基本的にはWindowsユーザーで、Windows以外に使うといえば、スペックの低い旧型PCでLinuxを使っているぐらいなので、熱狂的な信者の多いMACには縁がないのだが、MAC信者はどうするのかなー、とひとごとながら興味を覚えた。
たいていのMACユーザ、信者は、WindowsなんてOSのうちにはいらないようにくそみそに言っていたような記憶があるので、デュアルブートができるようになったからといって、ほいほいWindowsを使うとは思えないし、じゃあWindowsユーザがMACが使えるからといって、MAC機に雪崩をうつといったこともないような気もしたりする。
スペックと安さぐらいが購入の選択基準である私にとっては、あまり関係ないことなのだが、スタイリッシュなWindows機の選択が増えることでもあり、MAC頑張ってね、ということで、陰ながら応援することにしよう。
と暢気なコメントをかいていたが、どうもこの件すごく関心が高くて、MACの株価も上がっているとのこと。
MACでWindowsって「世紀の結婚」みたいなものだったのねー

2006年4月6日木曜日

KDEでアプリケーションを強制終了する

KDEでアプリケーションがハングアップした時、強制終了するにはCtrlとAltとEscを同時に押す。
そうすると、ドクロマークがでるので、アプリケーションのウィンドウで右クリックすると終了する。

2006年4月5日水曜日

あんこう鍋、タイの刺身、カレイの煮付け

本日はひさびさに、魚で統一。おまけに娘の予備校の送り迎えがあったので晩酌はなし。飯をたくさん食べる夕食。
「あんこう」は近くの魚屋から買ったもの。さすがに、この時季になると、身は小さくて、肝はない。まあ、冬のなごりの鍋として賞味しよう。あんこうのほかは、豆腐、白菜、しらたきといった”あっさり系”。魚がしっかりしている時は、ごちゃごちゃいれない方が、味がにごらなくて良い。


タイの刺身は、ちょっとおおぶりに切ってあり、歯ごたえもしっかりしている。刺身醤油に山葵をたくさんいれていただく。カレイは、頭の方。こちらは、まだ、肝もしっかり入っている。



北村 薫「冬のオペラ」(角川文庫)

名探偵(自称なのかもしれないが)巫 弓彦 と、ワトソン役の巫が事務所を借りている不動産屋の社長の姪の「あゆちゃん」の活躍するミステリーである。北村 薫さんのミステリーは、こうしたホームズ役がホームズらしくないところと、ワトソン役が、そんじょそこらのお嬢さんであることが多いと思うのだが、それがまた魅力でもある。

収録は、「三角の水」「蘭と韋駄天」「冬のオペラ」の三作。

「三角の水」は、名探偵 巫 弓彦とあゆちゃんが出くわす初出の短篇である。
その場面で巫は、名探偵というものの本質というべきことを云う。

「名探偵はなるのではない。ある時に自分がそうであることに気附くのです。」

なんてことを。
うーん、名探偵がほとんど貧乏で、独りよがりなのがこれでわかりますよねー。「ライター」あるいは「小説家」という職業を記した名刺をつくれば、その時点からあなたも「ライター」ないしは「小説家」です、といったことを聞いたことがあるが、「名探偵」もおんなじやー、と思った次第でありました。

とはいっても、まあ、生活費はアルバイトで稼ぐ名探偵「巫 弓彦」は、着実に事件を解決していくのでした、というわけで、「三角の水」で解決するのは、大学の研究室を舞台にした企業への情報漏洩事件。「あゆちゃん」こと「姫宮あゆみ」の同僚の妹がその犯人に疑えがわれる。しかも、疑われる原因となったのは、その妹さんが研究室にいるときに、漏洩に気づいた教授が証拠としていた書類がパットの中で燃えていたという、かなりいいわけのきかない状況のため。
謎解きのヒントは、こうして何かが燃えていると消そうとすつ人は必ずいるわけだが、本当の消そうとしていたのかというあたり。化学薬品のことは皆目知らないので、こうしたトリックが成立するかどうか確証はないのだが、良い人らしいのが、実は悪い奴っていうのは、ミステリーの常道でもある。

「蘭と韋駄天」は、マニアックな花泥棒たちの話。蘭とか盆栽とか、結構、植物は人を狂わすことが多いらしくて、珍しい植物にまつわるミステリーは、これだけではない。
ただ、この話は、蘭の盗難の盗難という入れ子構造になっているのだが、謎解きのヒント。東京っていう街は、本当の距離関係がわからなくなるぐらい同じ様な建物があるし、地下鉄やJRはやたら走っているし、遠くて近そうなところってあるんだよなー。という東京でしか成立しないようなトリックだろう。このあたりの謎解きは近く煮済んでいるか、地図好きでないと無理だぞ、という思いは残る。

「北のオペラ」は「蘭と韋駄天」に登場してきていて、「あゆちゃん」が「巫」の奥さんになるにふさわしいと思っている京都の大学の女性講師の「椿さん」の周辺で起こる殺人事件である。殺されるのは、その椿さんの恩師が殺されるもの。しかも、場所はその教授の研究室で、2階の研究室のドアには鍵がかかっているのだが、外から窓の中へ向かって、点々と服が脱ぎ捨てられてるというもの。なぜ、被害者は裸になりながら研究室に窓から入り、死んだのかという密室殺人である。
種を明かしていくことを承知で書くなら、服を脱ぎながら部屋に入ろうが、服を脱ぎながら外へでようが、後から見ると同じ光景ということはあるのだな、ということか。動機は、よくある痴情沙汰なのだが、痴情のもつれの大本に、知識人への格好良さが期待はずれだったことが潜むのは、インテリの巣窟たる大学での殺人事件であるせいだろうか。

この後「姫宮あゆみ」と「巫 弓彦」のコンビを見かけないような気がするのは残念だが、ちょっと淋しいものを感じながら、テンポ良く読めるミステリー3篇である。

2006年4月3日月曜日

マーボ豆腐、シメジと野菜のスープ

年度が替わり、私も、うちの奥さんも仕事の部署が替わったため、それぞれにあわただしい。
おまけに新年度ということで、引継ぎやら新規採用の人たちやら、歓迎会やら春めいた行事がある。
そんなこんなで、今日は簡単な料理に。
マーボ豆腐は、小鉢にいれて、料理として食する。今日は丼にはしない。
シメジはジャガイモやにんじん、タマネギと一緒にコンソメスープに。
お酒に傷んできた胃腸には優しい。
ブリの煮付けは昨日のあまり物だが、一日経った魚の煮付けは、煮汁の味が沁みていて旨いことは旨い。


2006年4月2日日曜日

回鍋肉、ブリの煮付け

ひさびさに回鍋肉。この料理も、ハウスのCookDoの普及にあわせて家庭内に入ってきた料理だろう。
今日のは、ちょっと野菜を炒めすぎていて柔らかすぎるように思えるのが難。
職場の近くの中華料理屋に中華丼の変わり丼と称して、裏メニューの「味噌丼」というのがあって、思えば、これが八宝菜の替わりに回鍋肉を飯の上に載せたものだった。かなりの濃厚味で満腹感もひとしおであったのを思い出す。
ブリの煮付けは、ハタハタやカレイに代わって、煮付けのレギュラーに台頭してきた。
半分はビールのあてに
半分は飯のおかずに
が定番の私の食べかた


2006年4月1日土曜日

豚バラ肉と白菜鍋、ハタハタの煮付け

4月に入るというのに、雪がちらついたりする、妙な天候が続く。そんなわけで、普段なら、お蔵入りしていてもおかしくない鍋料理が登場。これで、鍋料理とも、秋口までお別れかなと思う。


煮魚も冬によくお目にかかったハタハタ。これも冬の定番っぽいメニュー。
冬から春への本格的な交替を前に、冬のなごりが登板したメニューであった。