2015年3月21日土曜日

今年も「カツオのタタキ」に出会えたんである

「目に青葉」云々のことからみると季節的にはちょっと早いには違いないのだが、例年と変わらず「カツオのタタキ」。
 
カツオもマグロの仲間なのだが、例のマグロの漁獲制限との絡みはどうなっているのかは寡聞にして知らず、うかうかと今年も、きゅうりと一緒に三杯酢につけて、ニンニクの輪切りと一緒に食した。
 
ニンニクは当然生で、この辛味がなんとも酢とカツオの旨味とマッチして極上なのであるが、翌日に勤務がない日に限られるという制約を伴うのが、残念といえば残念。
 
ただ、こうしてうかうかと食しているうちに、資源の枯渇といった話がヒタヒタと足元まで来ているのはよくあることで、来年も今年と同じように食せるかどうかはわからないとことは、飽食の民として自戒せねばならないところだろう。


2015年3月15日日曜日

「亀山みそ焼きうどん」に思う連邦国家としての「日本」

ご当地グルメやご当地名物っていうのは十数年前までは、その場所まで行かないと食せないというのがお決まりではあったのだが、最近の冷凍、流通の便利さのせいか、冷凍・冷蔵もののご当地ものが増えてきたように思う。
 
兄弟が名古屋にいるせいで、時折、こうした東海のB級系の味が楽しめるのは、最近のロジスティックのお陰というべきかもしれなくて、今日の昼ご飯は冷蔵物の「三重 亀山みそ焼きうどん」
 


とはいっても、山陰の辺境に住まう身としては、通常のルートでは、全国ものの北海道ないしは九州レーベルか、あるいは岡山レーベルが主流ではあるのだが(関西レーベルはすでに全国臭が強くてご当地レーベルとは言えないような気がする)、三重 亀山といったちょっと西日本ではなじめのない味が楽しめるのは良しとすべきであろう。

 

できあがりはこんな感じなのだが、そこは伊勢が近いせいか、津山のホルモンうどんの様子と違って、麺が伊勢うどんに近くて柔らかめのような気がする。しこしこというよりは「もちもち」と柔らかめなのが、讃岐とも津山とも稲庭とも違う感じが出ていて面白い。
 
このあたり、「うどん」と一言で言っても、やはり、それぞれの地の「粉」なり、「水」なりが影響して、それぞれの地の味と風合いが出るのが、狭いとはいえ百数十年までは、藩を中心とした連邦国家であった「日本」という国の面白さなのかもしれない。
 
「江戸」あるいは「東京」という価値の大きさ、力強さがあたりを睥睨していたのが明治以来のこととは思うのだが、どうも、最近のインターネットの普及や賛否はあろうがスコットランド、ウクライナ、バスクなどなどの事を思うと急速に「リージョン」化は進んでいっているような気がして、食品における「ご当地」化は復権というべきかもしれない。
 
そうしてみると、批判もいろいろあろうが、今の政府の「地方創生」というのも、「リージョン」を志向したものといえるのかもしれないな、と妄想するんである。