2007年3月30日金曜日

海老頭の油炒め

うちのよく買う魚屋は、施設や保育園の給食にも材料を卸しているのだが、今日は、老人ホームに海老を卸した残りの頭の部分を大量に入手。
食べるといっても、そんなに食べるところはないのだが、油炒めにして、塩味をつけた。


これの頭のほうを毟って、足のほうを食べる、足先はもさもさするので、先のほうは残すのがこつ
海老の脳みそと足のカリカリした感じは、濃厚味の海老せんべいを食べている感じ。
結構、乙であります。


2007年3月27日火曜日

斉藤 孝「段取り力」(ちくま文庫)

「段取り力」っていうのは、いうまでもなく、筆者の造語。
一言でいえば何っていうのは、ちょっと難しくて、
 ・質の違いをきっちり見分ける
 ・大筋を外さない力と優先順位をつける力
 ・与えられたものの順番を入れ替えて、自分なりに組み替える力
といった表現で表されているのだが、要は感覚的に「段取りが良い」「段取りが悪い」といった感じであらわす以外ないものらしい。
ただ、的確な一言で表されなくても、物事をきちんと要領よく処理していく能力には間違いなくて、本書では
 ・トヨタのカイゼン
 ・建築家 安藤忠雄の例
 ・「プロジェクトホテル」の窪山哲男氏の話
など具体例をとって、さまざまな成功事例の中にある優れた「段取り力」を解剖していく。
で、後半部分からはその「段取り力」の磨き方というか鍛え方が紹介されていく。

どんなものかってネタばれしてしまうと、営業妨害なので書かない。本書を読んでください。さすが斉藤先生という感じで、サクサク読めて、ふーむ、と関心してしまう本である。

2007年3月26日月曜日

塩野七生「ローマ人の物語 26 賢帝の世紀 下」(新潮文庫)

芸術にも造詣が深くて、やる気もまんまんのハドリアヌス帝の後半生が書かれる。
この皇帝、首都ローマにいたよりも、外地で統治していた期間のほうが長かった皇帝らしいのだが、そういった形の統治自体が成立したこと自体が、ローマ帝国がすでにかなり成熟した国家であったことの証でもあるのだろう。
 
おまけに、「一貫していないことでは一貫していた」のではなく、自らに忠実に振舞うことでは「一貫していた」といった人物だったらしいから、さぞや周辺の家臣たちは振り回されただろうなー、と古の人ながら同情をしてしまう。
 
この皇帝のときに、離散(ディアスボラ)の始まりとなる、ユダヤ反乱が起きるのだが、どうもこれが、単純な民族反乱や、どこかの王が反旗を翻したっていうのとは違うらしく、そうしたあたりは、本書の
 
 
ギリシアやローマの人々とユダヤ人では、自由の概念でもちがっていた。
もしもあなたが、自由の中には選択の自由もあると考えるとしたら、それはあなたがギリシア・ローマ的な自由の概念をもっているということである。ユダヤ教徒の、そして近代までのキリスト教徒にとっての自由には、選択の自由は入っていない。まず何よりも、神の教えに沿った国家を建設することが、この人々にとっての自由なのである。この自由が認められない状態で、公職や兵役の免除を認められ、土曜や日曜の急速日もOK、だから自由は認めているのではないかと言われても、この人々の側に立てば、自由はない、となるのが当然なのだ。
 
 

というところにも象徴されていて、おまけに、自分に素直な「デキル」皇帝の時に起きたのだから、これは結構、大事(おおごと)になるよなー、と思ってしまう。
 
何はともあれ、このハドリアヌスも年を取って、本国ローマで病床についてしまうのだが、病になってから我が家に帰ってくるあたり、ひところのモーレツ企業戦士さながらである。
 
このハドリアヌスの没後、次の皇帝になるのが、アントニヌス・ピアス。この人の治世を本書によれば「秩序の支配する平穏」というらしく、先帝の強引さとは対照的に、穏やかではあるが、一本筋の通っている「旦那さん」の皇帝といったあたりか。
その辺は、本書で哲人皇帝マルクス・アウレリウスが、アントニヌス・ピウスを「わたしは彼を、太陽を愛するように、月を愛するように、いや人生を、愛しき人の息吹きを愛するように愛していたのだ。そして、わたしが彼に親愛の情を抱いていたように、彼もまたわたしに親愛の情を感じてくれていたと、常に確信していられたのであった」にも象徴されていて、たぶん、能力的にも優れていたのだろうし、統治者としての目配りも優れていたのだろうが、こんな感じで誉められる人は、少々のことがあっても、きっと見逃してもらえるよね、と羨ましく思ってしまう。
 
人格者に、ならんといかんですねー。私も見習おうということで、この巻を読了したのであった。

2007年3月25日日曜日

中谷美紀 「インド旅行記 東・西インド編」(幻冬社文庫)

北、南と続いた中谷美紀さんのインド旅行記もこれでインド完全制覇の「東・西インド編」である。
 
 
この旅、忙しい女優業の合間を縫って断続的に、2005年の8月から2006年の1月にかけての4回にわたった合計3月の旅である。
しかし、しかしですよ、3ケ月のインドの一人旅といえば、立派なバックパッカーのような旅ではないですか。うーむ、やるなー。
 
 
東インドの旅の主要な部分は、シッキムを出発点にした、カンチェンジェンガへのトレッキング。トレッキング中のできごともそれなりに面白いのだが、一番は、近くのナーランダやブッダガヤで珍しく宗教談義になっていくのが興味深い。高地っていうのは、人間を神秘に近しいものにしてしまうのかな。
 
 
東インドに続く西インドではゴア(この地名で昔のとあるTV番組を思い出してしまうのは、中年の証拠か)、ムンバイから始まる旅。
高地の空気を反映してか少し冷たい感じのした東インドの旅に比べ、熱を帯びてきているように思うのは、西インドが歴史も古い上にエローラの寺院やら人臭い観光地がたくさんあるせいか、それとも、ベジタリアンをちょっと緩和して、魚ならオッケーとした筆者の心のゆとりのせいだろうか。
 
北インドのちょっとどぎまぎしていたインドの旅も、さすがに4回目ともなり、インドのそこかしこをまわった後となると、どこかしら、筆者の筆致にも旅行作家っぽい風格が出始めている。
 
 
インドの旅の最後は、こんな言葉で締められている。
「いかなる形にせよ、この瞬間をただ生きているということが何にも勝る価値のあることなのだと、改めて気付かせてくれたインドを、大好きだとは言わないが、今は好きだと言いたい。」
 
 

3ヶ月の旅を終わり、控えめなインドフリークが誕生したように思うのは私だけかな。

2007年3月24日土曜日

中谷美紀 「インド旅行記2 南インド編」(幻冬社文庫)

北インドへの一人旅であった「インド旅行記」の続編である。
 
 
今度は南インドである。「インド」というところは、人により好嫌いがはっきり分かれる国だとは、さまざまな旅行記に書かれてあって、どうやら中谷美紀さんは、インド好きの方に分類されてきたようだ。
 
今回の旅は、バンガロール、チェンナイ(マドラス)、コーチン、マイソールなどなど、地図でみると、インドの逆三角形の大陸のとんがった方への旅。
 
 
こうした旅行記を読む楽しみの一つに旅行先の食べ物の話や地元の人とのやりとりを読むことがあって、地元で有名なベジタリアンレストランでの食事や「インド人の家庭の味」あたりのマドゥライのガイドの家庭で家庭料理を御馳走になるあたりやココナツミルクの匂いにやられて、だんだんと食が進まなくなり、イタリア料理やインド式タイ料理に逃避したりといった話は、インドにずぶずぶ浸かってしまって、「インドのものはなんでも一番」になろうとしない結構意地っ張りの女優さんらしく、妙な好感を抱いてしまう。
 

ガイドらしい働きをしないガイドとか、ヨガのクラスに関係していそうなのだが、怪しげな薬の臭いがぷんぷんする怪しい人物とか、インドにありがちで、やはりインドらしい、インド定番のキャストもきちんと登場してくるし、どちらかというとストイックにヨガの修行をできるところを探していたような北インドの旅と趣が変わって、どちらかというと「なじみのインド」らしい仕上りになっている旅行記である。

2007年3月12日月曜日

DebianでDiCEの設定

apche2でWebServerが動くようになったら、今度はDDNSを設定する。
Perlスクリプトを使ったりする方法もある(ieServer.netにはスクリプトの提供もされているので、これをクローンでまわす方法もある)のだが、Vine Linuxの場合は、DiCEを使ったので、DebianでもDiCEを使うことにする。
インストールの方法は、Vineと同じなので、VineのWebServerの項目を参照のこと。
違うのは、グローバルIPが変化した場合に自動で対応するDDNSの設定。
/etc/init.d/localのファイルを開く(又は新規作成)して
/usr/local/bin/DiCE/diced -d -l
を追記して、マシン起動時にDiCEが起動するようにしておくと良い(ようだ。)

2007年3月11日日曜日

韓国のネットとリアルの事情

趙章恩さんのKorea on the Web
「韓国では合コンや面接の前、その人のSNSやブログをチェックするのが当たり前のようになってい」て、「犯罪捜査の基本としてインターネットのモニタリングが行われる。特に重要なカギになるのはIP追跡で、容疑者の名義で会員登録されたウェブメール、オンラインゲームなどのIDを確認し、いつどこでアクセスしたのかIPアドレスを追跡し居場所を突き止めることが多い。」といった記事をみつけた。
ネット上の仮想世界が、いわばリアルの世界と重なり合うというか、ネットとリアルが融合する世界というのが、韓国では近づいてきているのかなー、という印象を受ける。
たしかに、ブログやSNSを、大多数の人が自己表現をするっていうのが常態になれば、今なら、聞き合わせとかで情報収集していたことが、ブログを調べることにとってかわることになるのだろうし、それぞれの人のメールとか、あるいはネットへのアクセスといったことは、その人の活動(ネット上という限られた部分なのだが、その部分がかなり大きくなっているのは事実だ)の軌跡を示しているから、それをつぶさに調べられると、どんなところと付き合っているかとか、どんなサイトを見たかとか、リアルの世界では隠し通せていたものが明らかにされるということで、結構、恥ずかしかったりして・・・
ネットとリアルが融合された先は、ネットが「仮想」でなくなるととともに、リアルの世界でも克明にログ(記録)をとられるっていうことなのかもしれないですね。

VNCの開始と終了

VNCは初期設定では、自動で起動しない。
開始するときはsshでログインして
#vncserver
とすると、ディスプレイ番号が aaa_server:1 のように表示される。
serverが動いている間、vncを有効のままにしておいてもよいのだが、使わない時は終了させておいた方がセキュリティ上はbettr。で、終了のときは、
#vncserver -kill :1 (:1はディスプレイ番号が"1"の場合)
とすれば良し。

VNCの画面の大きさを設定

VNCの標準のままでは、ちょっと画面が小さいのでデスクトップの大きさになるように設定を追加
rootでログインして
vi /etc/vnc.conf
末尾に
$geometry = "1024x768";
$depth = "24"
を追加して保存
=== ちょっと 修正 ===
画面の大きさを"1024x768"に設定すると、画面から少しはみだして、スクロールが必要になる。
"1024x704" がpcのデスクトップにちょうどいっぱいになる感じ。

Lan内のPCからWebminへアクセスする設定

Webminをインストールしただけでは、LAN内のWindows機(Linux機でもいいんだけどね。要するにLAN内のサーバー機以外のPC)からアクセスできない状態になっている。
アクセスできるようにするには、サーバー機のWebminから設定してもいいのだが、玄箱とかsshやtelnetでリモートログインする環境しかないときには、次のように設定ファイルを修正
rootでログインして
# vi /etc/webmin/miniserv.conf
このファイルの中程から終わりの方に
allow 127.0.0.1
といったところがあるので
allow 127.0.0.1 192.168.0.200
といったようにスペースで区切って、ログインさせたいPCのIPアドレスを記述して保存。
(ログインさせたいPCのIPアドレスは当然固定しておいてね)

2007年3月8日木曜日

プロシューマって何?

瀧口範子さんの「シリコンバレー通信」の3/8のコラムに『「自分でやる」ことのもう一つの意味』で、こんな記事をみつけた。

『第三の波』には「プロシューマー」ということばが出てくる。トフラー夫妻の造語で、モノを生産するプロデューサーと、そうしたモノを消費するコンシューマーが一体化して、消費者自身がモノを生み出すようになる。それが社会を変化させていくというのだ。
 トフラーによると、プロシューマーの行為には、たとえばATM機を使って自分でお金を引き出すことや、デジタルカメラを使って写真を撮ることなどが含まれる。
(中略)
無数の人々が無数のことを自分でやるようになるにつれ、貨幣経済の外側の活動がどんどん増え、貨幣経済と拮抗するようになる。近未来の人々は、そのふたつの経済を組み合わせて生きていくというのだ。

で、貨幣経済の外側の活動というのは

ある人は、実験的なことが好きだから自分でやる。あるいは趣味だから自分でやりたい。趣味の模型づくりがインターネットで売れたというのは、この類だ。あるいは、社会に対して責任を感じてやる人もいる。今ボランティアが増えているのも、その徴候だと彼らは見ている。トフラー自身は、学生向けに無料で講義をして、その代償に学生たちが家のペンキ塗りをしてくれたこと

といったことらしく、卑近な言葉で言えば、なんだ、近所や知り合い同士の助け合いみたいなものか、とも思ってしまい、近所の年寄りのPCを見てあげたり、蛍光灯の交換をしてあげて、お礼に芋の煮っころがしを頂くといったものかと一人合点する。
宵越しの金は持たねー、困った時はお互い様さってな、江戸っ子の下町的世界が、インターネットの発達で実現するかもねってなことかな。

2007年3月4日日曜日

Core 2 duoでもう1台

DDRとDDR2が排他利用できてAGPも使えるという、なんともいい加減なM/BでCore 2 Duoを使って1台組み立て。
OSはVista Homeをチョイス。
M/BのHPをみるとVistaはサポートしていないので使うなと書いてあるが、インストールしたら動くのでまあ、いいじゃない的に使う。火を噴くわけでもなく、特段の支障なし。
これを基盤に少しづつグレードをあげましょうかねー。


2007年3月1日木曜日

SambaとWebDAVの設定

ThinkPad-LinuxノートからはWebDAVフォルダの読み込み、書き込みが不自由なので、HTTPベースとLANベースのファイル共有を一緒にするために、WebDAVで設定した共有フォルダをSambaの共有フォルダに設定する。
設定はWebminからなので、「新規の共有フォルダを作成する」で設定して、共有を許可するユーザーを設定すればよいのだが、躓いたのは、パスワードの設定。
普通なら、SambaユーザとUnixユーザの同期をすれば、パスワードも同期されるはずなのだが、どういうわけか共有フォルダにアクセスしようとするとパスワード認証のところで蹴られる。
どうもWebminのSambaの設定をみるとパスワードの格納場所が違っているっぽくて、うちのDebianの場合/etc/samba/smbpasswdっていうようなファイルが存在しない。
しょうがないので、アクセスを許可するユーザーのUnuxパスワードを再入力。
(こんなこと、オレオレサーバでも滅多にやらないことだよな、と自己反省)
ついでにrootからのアクセスが禁止されているので、それも解除(ThinkPad-Linuxノートから、共有フォルダをmountするときに、root権限でないとできないので、自分の場合、rootからのアクセスは必須なのだ)
これで共有フォルダへのアクセスはOK
あと、WebからWindowsマシンのhttpsを使って、ファイルをアップロードすると、更新をかけると文字化けしないのだが、Lan内のWindowsマシンからhttpsでアップロードすると、更新をかけると文字化けする。
ところが、Samba経由でアップロードすると文字化けしないことを発見。
Linuxノートからアクセスしても文字化けせず、「WebからでもLAN内からでも日本語ファイルの使えるファイル保管庫」が完成したのであります。