2005年11月27日日曜日

岸本葉子 「よい旅を、アジア」(講談社文庫)

筆者の北京留学中の揚子江旅行の話から、台湾、香港、シンガポールなどの東南アジアを中心とした旅行記。

揚子江の船の旅で、新婚旅行中の夫婦を兄妹と誤解したり(重慶では夫婦のことを兄妹ということがあるらしい。本当か?)、台湾では、一目ぼれされて、行き先行き先で、やたら丁寧なエスコートや宿泊先の世話をしてくれる青年に出会ったり。(筆者は、この青年のこと、結構好意的に書いているが、行き先行き先で先回りして現れる男ってストーカーっぽいぞ)といった話からはじまるのだが、筆者が(この旅行記の当時は)若い女性のせいか、ほかの旅行記に比べ、華やいだ印象を受ける。

ソウルで会うのは、名門 梨花女子大に通う、結構お金持ちの女の子から合コンの話を聞いたり、ショッピングにつきあったりする話であるし、雲南ではタイ族の年頃の男の子の家でご飯をごちそうになる、台湾では、新婚旅行の団体にまぎれてしまって、ものすごく女性上位の台湾の夫婦に遭遇して、しとやかで従順と思われている日本女性への憧れを披露されたりしている。(奥さんの命令に従って、料理をとっては奥さんに食べさせる台湾の旦那さんの姿はちょっと笑ってしまう。しかも集団で、とは・・・。)

しかし、ところどころ、辛口の場面も忘れない。昔から伝わる面を日本に奪われた伝承をもつ韓国の一寒村の話や上海のフェリー船の中で語られる天安門事件当時の話も語られている。

そのほかに、北京留学中のチベット、シンガポール、香港などの旅行記が収録。
モノクロームな中国本土から、フルカラーの香港に旅行して舞い上がってしまう話が笑える。それも、ストロベリータルトが甘くて衝撃を受けるレベルなのである・・・。

いずれの話も、香港が中国へ返還されるまでの話なので、若干古びている面もあるが、「アジアの旅行記といえば、汗っぽくて香辛料やカレーの匂いがぷんぷんしそうで、ちょっと辟易」と思っている人にお奨めのちょっと小洒落た旅行記。

宮部みゆき「心とろかすような マサの事件簿」(創元推理文庫)

「パーフェクトブルー」で大活躍した、元警察犬マサの短編集。

収録は「心とろかすような」「てのひらの森の下で」「白い騎士は歌う」「マサ、留守番する」「マサの弁明」

蓮見探偵事務所の調査員で所長の娘のボディガード、元警察犬のマサの視点から書かれたミステリーの掌編。マサの語り口が、また良いのですねー。そして、マサの目にうつる、所長の娘、加代ちゃんが、また一本気でかわいらしい。「パーフェクトブルー」を読んでなくて、こっちから読み始めても「好」な短編集である。

ネタを全部書いてしまうといけないので、それぞれの短編のさわりだけ、

「心とろかすような」では、諸岡進也と所長の次女、糸ちゃんが二人で朝帰り・・・?という疑いをもたれるところから始まる。なんと二人は、朝早く、ラブホテルから二人ででてくるのを発見されたのだ。なんとかその疑惑を晴らそうとする加代ちゃんは、奇妙な行動をとる金持ちをみつける。その陰に子供をネタにした詐欺事件が潜んでいた・・・

「てのひらの森の下で」は、早朝のマサの散歩中に死体をみつけた加代ちゃんは、同行のジョギングをしている女性と警察に知らせに走るが、その死体は、実は偽装。逃走しようとする死体を追いかけようとするマサは、何者かに殴られ、昏倒。なぜ、死体を偽装するといったこみいったことをする必要があったのか・・・

「白い騎士は歌う」は強盗殺人事件の犯人として指名手配されている男の姉が、その男の捜索を頼むところからスタート。その男は、非常に姉思いで殺人を起こすようなことはないと姉はいう。おまけに金にこまっていたが、何故かうれしそうに金にこまっていたらしい。彼はなぜうれしそうに借金をしていたのか・・・

「マサ、留守番する」は、台湾旅行に家族で出かけた留守を、近所の動物好きの女性と留守番することになったマサ。留守の探偵事務所に5羽のウサギが届けられる。届けてきた小学生は、学校の飼育小屋から盗んできたらしい。彼女は、飼育小屋にいれておくと数年前のように、またウサギが殺されてしまう。家で経営しているゲームセンターで、ウサギを殺す相談をしていた高校生と中学生の二人組みの話を聞いたというのだが・・・

「マサの弁明」は推理作家の宮部みゆきから、夜中に家の外を歩く足音の捜査を頼まれる。足音はするが、姿は見えないのだという。蓮見探偵事務所の加代ちゃんは、その捜査に乗り出し、謎は比較的簡単に解けるが、その陰で、推理作家の子供の頃の事件の記憶がよみがえる。

といったような話。答えを知りたい人は、どうぞご一読を。宮部ワールドが堪能できます。

宮部みゆき 「パーフェクトブルー」(創元推理文庫)

筆者の長編デビュー作にして、蓮見探偵事務所の元警察犬マサのデビュー作でもある。

しかし、長編デビュー作しては、うまいですね~。さすが、今は、日本推理小説界どころか小説界を代表する作家にまでなってしまった筆者のデビュー作なだけはある。

ことわざ的にいうと「栴檀は双葉よりかんばし」といったところか

話は、東京湾を臨む工業団地で、火の手があがる。その火の中では、人間が燃えていた、
という場面から始まる。

この燃えていた人間は、高校野球のエースで諸岡克彦。このエースの弟で不良っぽい諸岡進也と、彼が結果的に転がり込むことになる蓮見探偵事務所の面々(所長、調査員でもある長女の加代子、次女の糸子、そして、元警察犬のマサ)が、この陰惨な殺人事件の犯人を捜していく物語である。

最初は、克彦の幼馴染で、交通事故から今は野球を断念してドロップアウトしている山瀬という少年が犯人ということで一件落着ということになりかけるのだが、そうは問屋がおろさない。

克彦の所属する高校のライバル高校の策略やらが絡んできたかと思うと、製薬会社のなにやら昔の新薬実験の旧悪とそれの脅迫事件までも、絡みついてくる。

目の覚めるような青色から、「パーフェクトブルー」と呼ばれていたドーピング検査薬の新薬開発を人間をモルモットがわりにした製薬会社の当時の開発責任者がなりふりかまわずもみ消しにかかてくるのに、進也や加代ちゃん、マサといった蓮見探偵事務所の面々も巻き込まれ、終には、誘拐され、殺されかかかる。

あやうく逃れた彼等の前に、克彦殺しの真犯人が明らかになるが、それは、意外にも・・・(といったところで犯人は明かしません)

話自体は、甲子園を目指す高校野球の歪んだ姿や、臭い物に蓋どころか燃やして、ないものにしてしまおうとする大企業に代表される組織など、かなり盛りだくさんで、濃いいのだが、語り口が、サクサクしているので、どんどん読めるミステリーである。

結末を知って、ちょっとブルーになったところで、加代ちゃんが進也に、兄のことを尊敬していた聞く場面の進也のこんな言葉で救われる。

「尊敬しても、憧れてもいなかった。ただ、兄貴が好きだった。大好きだった。それだけだよ。」

ここには、高校野球のエースと弟の姿や、兄を殺した犯人をつきとめた弟の姿ではなく、仲の良い、ただの兄弟の姿がある。

宮部ワールド特有の、じんとくる最後の場面にちょっと、涙ぐみそう。

ハウルの動く城DVD

奥さんが、ハウルの動く城DVDを買ってきたので、家族全員で鑑賞会。
うちは、田舎で映画館も少ないのと、家族中、結構出不精なので、レンタルやセルに頼ることが多い。
ジブリ作品は、最近、悪評もあるけど、「ハウル」は難しく構えないで、単純に楽しめた。
ハウルは、いつもどこに行くのかとか、なぜソフィーはだんだん若返るんだ?といった疑問をほっといてソフィーがハウルとその仲間とガンバルお話と見ていけば、結構素直に楽しめた。

途中、DVDプレイヤーのプラグの接続があまくなっているのにきづかず、DVDの画像が乱れてきたのを「初期不良だー」「えーっ」「初期不良って、どういう意味?」となったアクシデントはあったが、まったりとした昼のDVD鑑賞であった。

山田真哉「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」(光文社新書)

会計士で、「女子大生会計士の事件簿」の作者でもある山田真哉氏の、「やさしい」会計学の本。

筆者は「本当の会計学入門書をつくるために会計の常識からいったん離れよう」との決意でこの本を始める。こうした意気込みで始まる入門書、特に会計とか法律の入門書は、やさしいものであった例がないのだが、この本は結構サクサクと読めた。


興味をひくエピソードに沿って会計学の知識が学べる本である。会計の常識から離れた会計学入門書というのは偽りないと思う。
(何度も簿記や会計学を投げ出した私が、そう感じるのだから間違いない)

エピソードは
 「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」
 「ベッドタウンに高級フランス店の謎」
 「在庫だらけの自然食品店」
 「完売したのに怒られた」
 「トップを逃して満足するギャンブラー」
 「あの人はなぜいつもワリカンの支払い役になるのか」
 「数字に弱くても「数字のセンス」があればいい」
の7つ

それぞれのエピソードを少し紹介すると

「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」は、誰も買うところ見たところがない「さおだけ屋」がなぜ潰れないで営業を続けられているのか、という疑問から、さおだけ屋のさおだけの単価が高かったり、金物屋の副業が多いといった話から、会社の利益の出すには売り上げを伸ばすより節約が大事といった話が語られ


「ベッドタウンの高級フランス店の謎」では、レストランの意外な副業から、企業の連結経営とローリスク・ハイリターンの副業の法則の話

「完売したのに怒られた」では、人気の弁当を早々と完売し得意満面の担当者が、社長に完売したところで追加注文せず売り上げをさらに伸ばすチャンスを失ったと怒鳴られる「チャンスロス、チャンスゲイン」の話

「あの人はなぜいつもワリカンの支払い役になるのか」では、カードを利用したキャッシュフローや1円にこだわらず家計(会計)のおっざっぱなポイントをつかむことが大事なこと、会計士は1円単位にこだわらないといった話

が語られる。
肩がこらずに読める会計本ではある。

ところで、こうした会計本の筆者なら、他の本も面白いかもと思って「女子大生会計士の事件簿」を買ってしまった。これは、筆者のいう、本業と関連した副業をやれ、といった連結経営策に乗ってしまったということなのかな・・・。

北 杜夫「どくとるマンボウ青春記」(中公文庫)

どくとるマンボウこと、北杜夫さんの旧制高校入学から大学医学部卒業まじかの時期までの青春記。

時代としては、第2次世界大戦終了後まもない頃で、旧制高校から新制大学に切り替わとるころ。この本で、一番精彩を誇るのは、なんといっても、シュトルムウントドランクだかバンカラの名の下に、噴出す力を、そのまま無統制に噴出させた印象にある旧制高校の寮の話である。

学生時代というのはもともと金がないことが多い上に、終戦直後の食糧難がかぶさるから、やっていることも今の学生の生活に比べたら貧しいことはいうまでもない。
寮の火鉢から灰の中に埋もれたタバコを掘り出して吸ったり、無上の至福は腹いっぱい白米をくうであったりする時代である。。

そのかわり、哲学に(意味もよくわからないのに)妙にかぶれたり、奇妙な風体でインターハイ参加(当時は、ろくにユニフォームもない、ある意味、気楽なスポーツ大会だったようだ)や寮を壊しそうななった寮祭。学内試験では答えと関係のない詩や絵を描いてお情けの点数をもらって、追試を4回も受けるが、なお落第判定の会議では当落選上をうろうろしたり、といった青春時代である。


そうした破天荒な学生生活を営みながら、「蛙の子は蛙」ということか、斉藤茂吉の次男である筆者が徐々に「文学」というものに惹かれ、どっぷりとつかっていく様も興味深い。
人間は、皆、なりたいと思うものになっていくものらしい。

「旧制高校」といっても歴史書の中に単語になってしまっているが、いつの時代も共通する、金を持ってないが、力と熱情はたっぷりあって、暇に恵まれているが、異性には縁がないという、今でもありそうな青春が、この本の中には息づいている。

(そういえば、石原慎太郎の「太陽の季節」とほぼ同時代の青春記であるはずなのだが、「どくとるマンボウ青春記」の方に共感とノスタルジーを覚えるのは、なぜだろう)


塩野米松 「中国の手業師」(新潮OH文庫)

中国の職人たちのインタビューで構成された、革命以前から、文化大革命をへて、現在へと続く伝統の手工芸の記録。
 
収録は
 
陶磁器(景徳鎮)、急須(宜興)、櫛(常州)、切り絵(河南村)、凧(維坊)鳥篭(北京・南人村)、胡弓(北京・瑠璃廠)
 
といった品々。
 
インタビューを受ける職人たちは、いずれも昔の徒弟奉公の時代から、そうした手工業をはじめ今まで、その技をつないできた人たちの話である。
 
一様に、徒弟奉公の時代は、師匠に殴られはしたが、きちんと技術を盗みながら教えられてきたことを懐かしみ、今の時代は、弟子入りしてくる子供に強いことも言えない時代で伝承もままならないのを嘆く姿が共通している。
 
どうも、伝統芸能、技能の伝承といったことでは日本も中国も同じらしい。
 

昔は、12歳とか13歳ぐらいの若いときに弟子入りして、心も体もまだ柔らかかった。いまは学校を卒業してからくるから利口になっているし、口は達者になっている。教える環境も厳しくない、といった言葉が、伝統技能にとって厳しい状況を物語っている。
 
修行中の生活は厳しかったと述懐する職人がほとんどだが、「師傳のところではおなかいっぱい食べられました。一年ぐらい働けば、みんな肥っちゃって、力もすごくついてきやす。・・・いなかではそんなには食べたことがありませんでしたから。」ということがこ弟子入りが続いた理由を物語っているようだ。「衣食」足ったら、伝統が廃れちゃったわけだ。
 
しかし、こうした時代の変化にも増して、伝統技能を滅ぼすもととなったのは文化大革命のようだ。
 
政治が一番優先で支配的だったので、つくるものでさえもがすべて政治に合わせて指示されたり、お茶の茶碗とかご飯茶碗に花模様のあるものさえ使えなかったとか、人々の暮らしを思想にあわせると、小さなもの、美しいものはこぼれおちていくのだろう。
 
例えば、宜興の急須づくりでは、「卓球外交が取り上げられると卓球外交の彫刻を(急須に)つくったり、毛沢東が人民も兵隊となろうという呼びかけをした時には、民兵の像をつくったり紅衛兵をつくったり」ということだったらしい。ほとんど、観光地の安っぽい土産物状態だ。
 
政治や思想が人々の暮らしのすみずみまで入り込んで支配権をもつと、あまり良いことはないということが、ここでも証明されている。
 
そして、さびしいことに、ほとんどの職人が弟子をもっていなかったり、とるつもりがなかったり、退職後はこうした仕事には携わらないといっている。(息子たちに技を残すといっているのは切り絵の人ぐらいだ)。中国政府は、こうした伝統を守ろうとしているらしいが、一度、衰退の風が吹き始めると、政府が旗を振ろうがどうしようが、流れは動いていくということか。

宮部みゆき 「夢にも思わない」(角川文庫)

東京の下町に住む中学生、緒方雅男くんの「今夜は眠れない」の続編。

今度は殺人事件がおきます。しかも、雅男くんがあこがれる同級生クドウさんの従姉。場所は、毎年9月末に虫聞きの会が開かれる、近所の「白川庭園」。おまけに、クドウさんが、その虫聞きの会に家族連れでいくということを聞いて、なんとか偶然の出会いをしようと企んでいたら、雅男くんが発見者になってしまうというおまけつきである。

その従姉(森田亜紀子さん)が売春をやっていたことがわかってきて、学校の皆のクドウさんを見る目が変わってくる。雅男は、大好きなクドウさんを守るために(うまくいけば仲良くなるために)、親友の島崎と犯人探しに立ち上がった・・・という前回と同じノリの立ち上がり。

ところが、前回より仕掛けがだんだん大きくなる。複雑な家庭の犠牲者と思われた従姉が実は、売春組織の結構な顔役だったことがはっきりしてきたり、クドウさんが、その従姉に組織に引き込まれようと再三誘われていたり(組織のチラシにクドウさんの写真がつかわれていて憤慨する場面もある)。

また、僕や島崎の恋愛の方も、いろんな展開を始める。事件がきっかけでクドウさんと仲良くなり、デートまでこぎつけるのだが、なんと親友の島崎と一時期つきあっていたことがわかって動揺したり、島崎は島崎で、事件や組織に何か関わっているような片耳ピアスの女の子と夜に会っていたり。

話は、売春組織の捜査や摘発と雅男とクドウさんの恋物語の進展といった二つの筋を軸に進んでいく。クドウさんにベタぼれ(この女の子も、ちょっと大人しくてはかなげで可愛らしそうなのだ)の雅男の姿に、きっと皆さんも自分の過去を思い出して恥かしくなりますよ。

そして大団円。

亜紀子殺しの真犯人も捕まって、さあ終わり、と思ったら、また、この作者、最後に残してましたよ、地雷を・・・。

「あたし、怖かったの・・・」という女の子らしい言葉が、やりきれない感情を呼び起こすということを、最後の場面で教えてくれる。

(そういえば、最初から別扱いだよな、名前もフルネームででないのがなんか符号っぽいなーと思ってたのだが・・・。でも、筆者の目線は、この人に、ちょっと厳しすぎるんじゃないだろうか。)

宮部みゆき 「今夜は眠れない」(中公文庫)

東京の下町に住む僕(緒方雅男)のところに突然、弁護士がやってきて、伝説の相場師が僕のかあさんに5億円の遺産を残して死んだことを告げることから始まる、ちょっとコミカルなストーリー。

どうも母親は若い頃に、その相場師の命を救ったことがあり、そのお礼らしいのだが、相続が表にでると、近所や同級生の態度がかわり、見ず知らずの人からの嫌がらせの嵐。おまけに、その相場師とかあさんができていたんじゃやないかと邪推して、とうさんは家を出てしまう始末(父親は結構浮気っぽくて、そのときに女がいるのだから、仮に邪推が本当でもどっちもどっちなのだが)

壊れてしまいそうな家族を守るため、僕は、親友の島崎(とんでもなく将棋が強いらしい。これは、今回の話では何の伏線でもありません)と、相場師が母親に遺産を残した真相をさぐるため、調査にのりだす。

二人は、両親の若い頃からの足取りをたどり、関東地方のあちこちを調べるが、有力なてがかりはでてこない。そのうち、嫌がらせの電話に閉口して一旦転居することにするが、偽装誘拐時間に巻き込まれ・・・、といった話。

殺人事件はおきるわけではないので、そうした謎解きを期待して読むとあてがはずれる。

途中ででてくる、タレントと大金持ちの娘の宝石(ポセイドンの恩寵)の争奪戦が意外な伏線。

僕と島崎のやりとりや、父親の浮気相手が実は金目当てだったり、別荘では、ちょっとしたカワイイ子を見つけてときめいてしまったり、筋とは関係ないところでも小味がきいていいて楽しめる。

結局は、死んだ相場師が、企んでいた死後の謀略の一つの駒に、この家族がつかわれていたってことだけ(筆者は、ビリヤードのクッションという絶妙な表現をしてますな)か?

と思ってると、最後に、もう一ひねり。あっと巴投げをくらう。

年を経ると猫も化けるが、女も化ける、ということか。旦那さんの浮気に悩む奥さん、必読の書。もっとも、このトリック、誰でも使えるっていうほど簡単ではないが・・・

2005年11月24日木曜日

落花生の収穫

庭の一部に、近所からもらった落花生の苗を植えていたものを収穫することにした。
庭のこうした植物の栽培と収穫に関する決定権は、私の母親にあるので、その仰せに従った次第。
息子も、娘も(当然、私も、奥さんも)落花生の収穫なんてやったことはなかったので、まあ新しい体験ということで参加。
こんなぐらい獲れた。


こんな感じで植わっていた


天気もよかったしねー

2005年11月22日火曜日

小林紀晴 「アジアン・ジャパニーズ 3」(新潮文庫)

アジアン・ジャパニーズのシリーズの最終章である。

日本からアジアへ、アジアからヨーロッパへ、そしてまたアジアへと振れてきた筆者の旅も、台湾から、沖縄へ向かい、沖縄から島伝いに鹿児島へ向かう旅で、日本への回帰を迎える。途中、筆者の故郷、諏訪の御柱祭の記事もはさみ、アジアから琉球弧をへて、原日本へ戻っていく旅であるかのようだ。

沖縄で出会う人々も、本土から移り住んだか、あるいは旅をしている途上の人たちが多い。
いずれも本土、東京のアンチテーゼとして、沖縄いやオキナワが抽象化されている。
沖縄は、本土以上の不景気の時だから、移り住んだ人々にも定職といった定職のない人が多い。竹富島に移住してきたカメラマンの
「まず、店がないでしょ。家も他のまわりの人たちを見ても、どうやって生活しているのかよくわからない。農業をやっているわりに、別に出荷しているわけじゃないし、というのを見ると、こういうのでも生活できるんだと」
という発言が象徴的だ。

そして、日本とアジア、東京と沖縄を対比する概念として提出されるのが「山と海」である。

「海の人間は、いろんなことを忘れちゃうから。いろんなものを海に流すから。でも山の人間は違うでしょ。根っこを掘るから。」

 海には何の痕跡も残らない。山には陸には、古い時代の痕跡ばかりが何重にも残る。

筆者は、すべてを流してしまう海の中で古い時代の人間の痕跡を残す陸ー島ーをよりどころに本土へと向かう。途中には、高校になったらほとんどが那覇か鹿児島へでてしまう宮古島や染物や琉球ガラス、いや沖縄の風土そのものに惹かれ、若者が吹き溜まってくる那覇の街、読談村、名護。今は訪れる人のほとんどない輿論島。

宮古で、島の老人の言葉がなぜか重い。
「子供は、あまり出来がよくない方がいいさ。
 出来がよすぎると、子供というのは必ず親の元から離れていくさあ・・。

 そうして本当に離れていくさあ。それは親不孝さ。」


一方で途中、途中に挿入される、諏訪の御柱祭。古来から続き、戦争を超えて今も綿々と続く山の祭り。筆者は、7年おきの繰り返される祭での父親の姿を回想し、今年の祭りでも父親の姿を捜し求める。


そして、名護の先、本部港から、鹿児島へ向かう航路で、この旅も終わる。最後に筆者のアジア、パリ、アジア、そして本土へとつながっていった旅の回答はこれだろうか


   「山と海、どちらが好きですか。」

    好きとか嫌いということではない。ここにあるということでしかない。

2005年11月21日月曜日

蔵前 仁一「 ホテルアジアの眠れない夜」(講談社文庫)

「長期旅行者の憂鬱」「星空ホテルの眠れない夜」「旅のスクラップノート」「旅が教えてくれたもの」の4章からなる、アジアを中心とする旅行記。

バックパック旅行の達人、蔵前仁一氏が語る、アジアの長期な貧乏旅行のあれこれ。

まず、第1章では、安上がりのバックパッカーの旅行と、彼らなぜ汚い宿が平気なのかが語られる。

「僕も含めて彼ら旅行者達が、そんな汚い部屋やベッドを、何故ちっとも「悲惨」だと思わないのかというと、それは明らかに、まわりのネパール人たちの生活の方がもっと「悲惨」だからである。

  だが、実は恐らくはそのような旅行者たちのほとんどは、電気もなくクーラーもなくテレビもない生活を「悲惨」な生活と考えることができなくなっているのではないか、と僕は思う。日本ではそれらの「文化生活」を味わっていたのかもしれないが、失ってしまってもちっとも「悲惨」などとは思えない。なくなってサッパリしたなんて感じることさえある。意外なくらいそう感じる
ネパール人の生活が、だから理想的で素晴らしいものだとは、残念ながらいえない。彼らは貧困にあえいでいるし、病院も学校も、もっと必要なのだ。
 しかし、その合間にいる僕らのような旅行者は、そのどちらもが「理想」と「悲惨」を持っているということに気づかずにはいられないのだ。」

その上で、こうした長期旅行を自慢のタネにする旅行者の思い上がりにも一言。


 インドとかネパールのような「ビンボー国」を旅していると、これらの国の「ビンボー」にひたすら没入していくタイプの人がいる。ボロボロの薄汚い服をまとい、髪を伸ばし、ヒゲをはやし、「おれはインド旅行一年だかんね」と全身で表現している人である。

  このような人は、とにかく極限まで金を節約することを行動の規範とし、自分をインドの困窮と貧困の中で同化させようとしているらしい。

 そのような「ビンボー旅行者」が誤解しているのは、彼ら流の「ビンボー旅行」を完遂することこそ、「貧乏な民衆」を理解する唯一の手段であり、そのことで「民衆」に同化できると思っていることなのである。
 これは完璧な誤解である。何故なら「貧乏な民衆」の誰一人として「ビンボー旅行者」のことを、自分たちと同じような貧乏人などとは思っていないからだ。本当に貧乏なら、フラフラとインドまで旅行できる訳がない。「安宿」のドミトリーのベッドに泊まれる訳がない。そのような旅行者を見て、自分達と同じような「貧乏人」などと、思ってくれると思う方がどうかしているのである。

  旅のよさというのは、長さや、金の有無や、回数の多さでわかるというものではないと僕は思っている。
 要するに自分の中にあるものが旅によって引き出されてくるだけなのだから、どんなに長く多く旅しても、何もない人からは何も出てはこないのだ。だから、逆にそういう人にとっては、いかに長く、いかに多く旅しているかだけが大切な問題となるのだろう。

といった第1章を基礎にして、旅の面白さ、にんまりするような体験談が語られる。


第二章では、ヒマラヤ山中や南の島の夜の意外な騒音や、インドの安宿でシャワー、水道完備のサービスを支える少年、絶大な権力を誇る中国の宿の服務員。貧乏旅行者でもモノだくさんの金持ちと思われてしまうインドの事情

第三章では、格安航空券からアジアのコミック事情、タバコの嗜好など、長旅からこぼれおちてくるさまざまな話を収録。

最終章の「第四章 旅が教えてくれたもの」では、アジアの貧乏旅行の周辺の姿、インドの乞食に金をめぐんでも感謝されない理由とか殺人的としかいいようのないアジア(特に中国)のトイレ事情、近所の小川を越えるのと一緒なビルマの辺境の国境情勢といったことが語られるが、パキスタンやバングラディシュの密入国者が日本でつかまると入国管理局の監視下におかれるが、彼らを監視するガードマンの時間給が、彼等の国の2週間の生活費に相当したりといった話もでてくる。

アジアの国、旅行を語るときにつきまとう、国力の差、多きな貧富の差についても考えさせられる。

2005年11月20日日曜日

蔵前仁一 「いつも旅のことばかり考えていた」(幻冬社文庫)

おなじみ旅行作家、蔵前仁一の、世界各国旅のこぼれっ放しのネタ集みたいな本。
こうした旅本といえばアジアネタが多いのだが、アジアに限らずアメリカ、アフリカなんでもこい的に盛りだくさんである。

「長距離バスの問題」「カルカッタの無賃乗車」「テヘランからのおくりもの」「屋根の上で子羊は鳴く」「いつも旅のことばかり考えていた」の5章からなる旅本

始めからの4章は、筆者が旅して遭遇した、ちょっと面白い経験、かわった経験。スパイスの連続だから、気を張らないで読もう。

例えば

機内物品をくすねる乗客がいれば、(航空会社が違う)ばらばらの機内食の食器を出す航空会社や係官の住居と兼用のネパールの入国管理のオフィス。

プルトップをつないだネックレスをうるニューヨークの露天商や現金よりもTシャツや靴下といった物品の方が値打ちがあるドゴンの土産物売り
(もっともアンティークなものは、とっくに西洋人が持ち出しているらしいが)

昨日まで物売りだった人が、売る物がなくなると物乞いにあっという間に変身したり、瓶によって詰められた水の高さの違うミネラルウォーターなど、未知と驚異の大国インド

ラマダン(断食月)に旅行中、食べ物を食べて何もいわれなかったが、タバコをすうと近くで吸わないでくれと、エラク怒られた話とかイスラムでは女性を人前に出すのを嫌うため、普段の買い物も男性がすることが多いらしいイスラムの国々
(タバコの話は、納得。私も禁煙したての頃は、近くの煙がやけに気になったからなー)

南アフリカのトランスカイ共和国で、世界どこでも行けるのだと日本のパスポートをうらやましがられたり(トランスカイ共和国は、認知する国がほとんどないため、南アフリカ近辺にしか通用しなかったらしい)

といった話が満載である。

最終章「いつも旅のことばかり考えていた」では、バックパッカーや長旅、長旅にでるために、いわゆる定職というものを放棄した旅人、「旅」そのものについて筆者の思いが語られる。


「人はなかなか長い旅に出られない。なぜ長旅にでられる人と出られない人がいるのか」という質問に対して筆者は、

「いったん社会人になった人が、会社を辞めて数年に及ぶ長期旅行に出たら、再び会社の出生競争に首を突っ込むことは不可能だろう。で、不安になる。自分の「安定した幸せな社会生活」は再び取り戻せないのではないかと心配になり、そしてなかなか旅には出られない。

とりあえず不安を振り払って旅に出てしまった人は、もうそのようなことでいちいち悩まなくなる。もう、悩んでもしょうがないということもあるが、何が自分の悩みだったのか、それ自体が問題となってくるからだ。
 旅を終えて日本に帰ってくる。・・・それで、その後不安でいっぱいで、幸せな社会生活が営めないのかというと、これが案外そうともいえないのである。
 というのは、「幸せな社会生活」とは何か、という内容が変わってしまうことがあるからだ。」

と答え、

「本当の旅とはなにか」という問いには

「旅に決まったかたちなどありはしないのだ。われわれの人生に、かくあらねばならないというかたちや目的があるだろうか?人の役にたつ人生があればそれもよいし、人を感動させられる人生があればそれもよい。だけど、そんなことができない人に人生がないのかといえば、やっぱりある。人はそれでも生き、生活する。旅だってそうだと僕は思う。

だが、何かのためにならなかやいけないという考え方を押し付けるのはもうやめてくれないか。自分のために旅をしています。自分が楽しいから旅をしていますとしか僕にはいいようがない。」

と答える。ある意味、明快であり、旅に出発した人の答えである。

そして、こうした問いは、私たちに返ってくる。

「旅に出られますか?」と

中津文彦 「消えた義経」(PHP文庫)

源義経は平泉で死なず、北へ向かったという北行伝説を推理する歴史ミステリー。

プロローグは、津軽の十三湊(とさみなと)で鎌倉の諜者が、北の大陸から大量に渡ってくる船に驚愕している。噂では御曹司(源 義経)が靺鞨(まっかつ)の騎馬軍団をつれてくる船だということだが、果たして・・・という

というところから、小説は、平家滅亡後、頼朝と義経の仲が悪化し、義経が都から姿を消した時点からスタートする。話は、鎌倉幕府から義経の捜索を命ぜられた和田義盛配下の武士の目から語られる。

義経の逃亡と死については、いわれてみると謎ばかりである。

追討の院宣が下されていながら、なぜ、義経は西国から奥州まで(さほどの事件もなく、妻と子供づれで)逃亡することができたのか。そして、一時は、義経の居所をつかんだようなのに、なぜ頼朝は、しゃにむに義経を探し出し、討伐しようとしなかったのか。

頼朝に代表される東国の鎌倉政権に従うことをよしとしない後白河法皇をはじめとする朝廷、西国の武士、比叡山をはじめとする寺社、それに対して、守護・地頭の派遣、配置を通じて、日本全国を東国政権の支配下におこうとする頼朝たちの虚々実々の駆引きの中で、泳がされているような義経の姿が描かれる。

そして、平泉でも同様なことがある。

なぜ、あれほど義経の滞在を認めなかった藤原氏が突然、義経の存在を認め、しかも戦の際は義経の下知に従うことになっていながら、当主自らが義経を攻め滅ぼしたのか。また義経が死んだため名目がなくなったはずの奥州追討を院宣の届くのをまたず、なぜ頼朝は強行したのか

こうした不自然な動きの底には、義経を戴いて戦端が開かれれば、鎌倉を揺るがしかねない奇策が潜んでいたのではないか、と問いかけるのがこのミステリーである。

歴史ミステリーは、結論を皆が知っているという制約を受けるのはやむをえないのだが、それにもまして、なんとなく全体として淡白な印象をうけるのは、「義経」がほとんど肉体をもった姿で登場しないからだろうか。

義経も、都落ちした時点から、鎌倉幕府のアンチテーゼとしての「義経」というシンボルとして必要とされたに過ぎず、肉体としての実在は求められなかったということか。

小林紀晴 「アジアン・ジャパニーズ2」(新潮文庫)

初めてヴェトナムに行き、ハノイで日本人学校で教える女性に出会い、1年半後、再び東京で再開する。

その間の旅である。場所は「パリ」。


インドのカルカッタで下痢に襲われ、自分のまわりにまとわりつくようなアジアから逃れたくて、アジアから最も遠いところへと逃れていくのがきっかけである。
距離としての遠さではなく、アジアの対極としての「パリ」である。

旅行記を読んでいて、思うのが、アジアとヨーロッパを旅する人の違いである。
それは旅をする人が違うという意味ではなく、同じ人が旅しても、何か読んだ感触が違うのである。
感覚的にいえば、アジアの旅行記は、ちょっと埃っぽい日向水のような感じを受けるに対して、ヨーロッパ、特にパリの旅行記は、早朝の冷気で冷えたミネラルウウォーターの感じである。これは同じ西欧でも南欧やアメリカとも違う、西ヨーロッパの旅行記で受ける印象である。

これは、この本でも同様である。パリで元気に生きている日本人も多く登場するのだが、
なぜか、「緊張感」が漂うし、筆者の文体もなにか「緊張」している。

こうした、どうにもヨーロッパというものにシンクロできない、なにかしら違和を抱いてしまう感じは私だけだろうか。ま、私のことはさておき、アジアン・ジャパニーズの1巻と同じように、パリで暮らし、パリで一旗あげようとしている人たちのインタビューが続けられる。そして、それに疲れたかのように、筆者は、またアジアに帰る。

アジアの対極へ行き、再びアジアへ舞い戻る話である。「なつかしきわが故郷」といったところか

2005年11月19日土曜日

自宅サーバのVine LinuxにWebDAV:apacheの設定

HTTPでファイル共有ができて、SAMBAよりセキュアといわれているWebDAVを自サーバに導入してみる。
まず、mod_davとmod_encodingをインストールしよう。
rootになって
# apt-get install mod_dav
# apt-get install mod_encoding
でOKのはず。
mod_davとmod_encodingをインストールしたら、apacheの/etc/httpd/conf/httpd.conf を編集しよう

gedit /etc/httpd/conf/httpd.confでapacheの設定ファイルに入ったら
<Ifdefine HAVE_DAV>
AddModule mod_dav.c
DAVLockDB /var/lock/apache/DAVLock
</IfDefine>
Alias /dav /home/httpd/html/dav
DAVLockDB /var/lock/apache/DAVLock
<Location /dav>
DAV On
</Location>
を追加
※私は、ファイルロックのタイムアウトから解除されるまでの時間は設定しなかったが、するのであれば
DAVMinTimeout ***(*は数字。秒)  とすればよいらしい
※/home/httpd/html/davは、/homeの下であれば、任意に設定可らしい
その後、ディレクトリの作成と所有者の変更
# mkdir /var/lock/apache
# chown nobody.nobody /var/lock/apache
# chmod 770 /var/lock/apache
# mkdir /home/httpd/html/dav
# chown nobbody.nobody /home/httpd/html/dav
# chmod 777 /httpd/home/httpd/html/dav
※nobody.nobodyは、apacheで設定したサーバのuser、groupがnobodyの場合。
それぞれの環境で変えてほしい
ここでapacheを再起動
# /etc/rc.d/init.d/httpd restart
okがでれば完了

2005年11月18日金曜日

マイケル・デル「デルの革命」(日経ビジネス文庫)

皆さんもよくご存知であろう、DELLの総帥の著書である。
コンピュータ販売をダイレクト販売・インターネット販売という方策を使って根幹から変えてしまい、今では世界ナンバーワンの売り上げを誇る企業にまで急成長させた経営者自らの話だから、かなり斬新で、エクセレンスである。

成功した人が、成功した手法について語っているため、成功の理由を後でつけた感の部分があるのは否めないのだが、やはり、あの当時、こうしたダイレクト販売を始める、といった勇気と見切りの良さ、アイデアの突飛さは、なかなか真似のできるものではない。
私のような凡庸なサラリーマンは、へーっと驚いて読むしかないような事例が多々あるのと、成功物語につきものの、なにかしらの爽快感、高揚感がある一冊。

そうした、いわゆる成功物語の部分を差し引いても、一流のビジネスマンの発言として、うならされる箇所は多い。

いくつか紹介すると

「まずたくさんの質問をし、それから人の話をよく聞く。自分で喋っている間は何も学べない。あらゆる答えを盛り込んだ現場マニュアルなど存在せず、おおいなる好奇心が必要なのだ」「デルの企業文化では、現状維持を非常に嫌う。私たちは社員が画期的なアイデアを探し求めるような雰囲気づくりに努めている。戦略上大きな課題が生じたときに、社員がその課題に立ち向かい、最善のソリューションを迅速に見つけられるようにするためだ。社員が日常的に「どうすればゲームのルールを変えられるだろう。今まで誰も思いつかなかったようなやり方で、この目標を達成できないだろうか?」と自問自答するように鍛え上げなければならないのである。
 従来の常識に捉われなければ自分にできることは驚くほど大きいものだ。従来とは違う認識をもとに成功した経験があれば、社員はそういう新たな認識を探そうという気になる。
 たえず現状に挑み続ければ成功に目を眩ませてしまわずに済む。今では、デルの企業文化に「自己批判」という要素が浸透している。常に自分自身のアイデアを問い直し、改善する方法を探る姿勢ができているのである。私たちは、トップダウン式にこの態度の模範を示そうと努力している。」

「悪いニュースや失望を前にすると萎縮してしまい、何かの拍子に事態が好転するのではないか期待するのは人間の性なのである。だが、たいていの場合、神風は吹かない。そして、問題に目をつぶって無駄に過ごした時間が、必ずや致命傷になる。事態は非常に速く進展するから、なにが問題なのかを即座に把握し、ただちにその解決に取り組まなければならないのである。
 ダイレクトモデルに基づいた事業では、好むと好まざるとにかかわらず、事実が直接突きつけられる。」

「必要なのは、自分がどうあってほしいかではなく、実際にどうなのかという事実を把握することだ。明確な目標があり、誰もがよく理解している評価基準があれば、問題はかなり早い段階から表面に出やすい。問題を直視し、それをただちに受け入れれば、即座に問題に対処し、迅速に片付けることも可能になる。
 デルの社員は、じぶんたちが問題の一部でもあり、ソリューションの一部でもあることを理解している。」


・・・結構耳が痛いですね。

人の話を聞くより先に話を始めてしまうこと多いし、悪いニュースの時は、特に実際にどうなのか事実を把握するの怖いものなー。

 そのほかにも

◆自分の業界だけを知って満足してはならない

 顧客が過去の取引においてどんな体験を味わったか、ライバル企業との取引だけでなく、それ以外 の企業についてもできるだけ学ぶようにすべきであるトータルとしての顧客体験という点では業界の差はなく、今後サービスの優れた企業は、業種の別  なく、他の企業に差をつけるのである。

◆顧客のためになるかどうか不確かなものに貴重なリソース(時間、資金、エネルギー)を費やしてはならない。ビジネスの世界では、自己満足にすぎないものを作っても絶対に成功しない。ハイテク製品であろうとティッシュペーパーであろうと、顧客が本当の求め必要としているものさけを開発すべきである。そうすれば、顧客はもっと満足し、コストは減少し、収益性はあがるだろう。

◆情報を得るにしても。手段を選べ

顧客との関係で一番大切なのは、親密さである。顧客の様子を探るといっても、たまに電話して、「わが社についてどう思います」と尋ねろということではない。顧客にとって、より親しみやすい、利用しやすい存在になれば、自然な学習の機会も増え、彼らの考えていることを読み取りやすくなる。

◆ハイテクと伝統的手法をミックスする

◆顧客が持っているニーズや懸念、疑問や感性はそれぞれ異なっていることを忘れるな

たとえたくさんの顧客がいても、一人の顧客に焦点を合わせることによって、個別の関心を示せるようになり、可能な限り学べるようになる。」

「競争優位を強化するための差異化の手法」

◆ライバルではなく、顧客について考える

ライバルは、業界の「過去」を体現している。長年にわたって、業界の習慣が体質に染み付いているからだ。顧客は、新しいチャンスやアイデア、成長への道を示す「未来」である 

◆健全な切迫感・危機意識を保つように努力する

いつもよりほんの少し目標を高めに設定し、社員がこれまでより賢く働くことで大胆な目標を達成できるようにする 
◆ライバルの最大の長所を短所に変える 

◆機会を待ちつつ、行動は迅速に 

◆ホームランではなくヒットを狙う 

◆漁師であれ、獲物になるな」

などなど。アメリカ企業の成功者らしく軽快でテンポの良いビジネス書である。

「ナンバーワン企業の法則 勝者が選んだポジショニング」(日経ビジネス文庫)

すべての分野で価値を収める企業はないという前提から、いままでナンバーワンという呼称のもとにひとからげに扱われていたさまざまな市場を支配していたリーダー企業を

・オペレーショナル・エクセレンスを目指す企業
・製品リーダーを目指す企業
・カスタマー・インテマシーを目指す企業

の3つに分類し、それぞれの企業の行動原理や価値基準を分析して、勝ち残っていく企業のあり方を提示している。
「オペレーショナル・エクセレンス」とは、経営実務面での卓越性を持っている企業、市場で平均的な製品を最良の価格で、面倒が最も少なくなる形で提供する企業。価値基準の提示は低価格で面倒のいらないサービスの提供に優位性のある企業

「製品リーダー」とは性能の限界をとことんまで追求した製品を提供することに優位性のある企業

カスタマー・インテマシーとは、特定の顧客に対して最高の結果、価値を提供することに優位性のある企業である。

本書では、ナンバーワンとなろうとする企業は、これら全ての分野に秀でた企業になることは不可能であり、それぞれの企業がもっとも適している企業のあり方を模索すべきだとしている。

そして、それぞれ、目指す企業のあり方によって、重要視される価値観も違うし、社員の育て方も違うことを、様々な企業の実例をあげて解説している。

しかも、目指すべき企業は市場の性格が刻一刻変化しているから、昨日と同じような企業理念が今日も通用するとは限らない。例えば、顧客が初心者から専門家に変化していたパソコン市場の変化を読み違えて、低迷を余儀なくされていた巨像IBMの、それにあたるだろう。
企業がマーケットリーダーになるための条件は、本書によれば
 すべての顧客に尽くせないなら、どのような顧客に尽くすのかを明確にすること
 そして、選んだ顧客に、ライバル企業より優れた独自の価値を継続してもたらすか
であり、マーケットリーダーになった企業が転落を招く最大の誘惑は、成功から甘い汁を吸うこと、そして前進しないこと、しかも、カスタマーインテマシー企業と製品リーダー企業、アペレーションsクセレンス企業では、採るべき方策も転落する誘惑も全く違うことが主張されている。

一般的なビジネス書では、企業が成功するための条件、成功するための社員教育、成功するための業務革新の方策が、どの企業にも通用する処方箋のように説かれることが多いのだが、本書のように、目指す企業の姿によって全く違うのだ、という説は新鮮。

また、「企業」を「個人」に置き換えて読んでも、面白い。

「あなたは、どんな個人(企業)を目指しますか?、どんな顧客に、どんな方法で価値をもたらしますか?」と問われているように思えてくる。

Movable Typeにしばらく投稿しなかったらメインページが真っ白になったので回避する

インストールしたままの設定では、エントリーの表示は再構築したた日から7日間という設定になっている。
これでは、しばらく投稿をさぼっていると、どんどんメインページに表示されるエントリーがすくなくなっていってしまう。
そこで、エントリーの日付にかかわらず一定の数がメインページには常に表示されているために、ちょっと設定を修正
〔設定〕をクリック
表示に関する初期設定の〔表示数〕を「カテゴリー」に変更、保存。

Mobvable Typeのカテゴリを好みの順番で並び替えて表示するには

プラグインをつかった、高度なやり方をしている方には面倒くさいと不評のやり方のようですが、初心者にも簡単な若葉マーク的方法を紹介

カテゴリを
 100aaaa
 110bbbb
 120cccc
という形で編集。数字+英数字でカテゴリは表現。数字を10間隔にしているのは、後からのカテゴリの新規追加に対応するため
そのときに「カテゴリーの説明」の欄に、実際にブラウザで表示させるカテゴリを記述して保存
デフォルトテンプレートではのカテゴリタイトルを表示するタグがになっているので、これを<$MTCategoryDescription$>に変更。
カテゴリは英数字、アルファベットの順番で表示されるので、表示順番を数字で制御し、実際の画面表示は、「カテゴリの説明」の内容を表示させるやり方です。

自宅サーバーにMySQLを導入

自宅サーバにMovable Typeを導入するために、データベースとしてMySQLを導入する。
あちこちのHPから情報をとって私の場合は、これでうまくいったが、環境によってうまくいかない場合もあるかも。導入は自己責任で。

サーバーなどもろもろが何も入っていないのでインストール
# apt-get install MySQL-server
# apt-get install MySQL-Max
# apt-get install MySQL-client
# apt-get install MySQL-shared
# apt-get install perl-DBD-MySQL
管理者ユーザーのrootのパスワードを設定
(標準の状態では、パスワードが空で誰でもDBにアクセスできるらしい)
# mysqladmin -u root password '×××' ←×××は任意のパスワード
この後、次の処理を実施。
ユーザー名はdb_user、データベース名はmt_dbに仮にしておく。
(ユーザー名、データベース名は任意の名前に変更してもらって可)
 ・rootでログイン
   # mysql -u root -p
 ・パスワードを入力します。
   Enter passwaord;(←上で設定したrootのパスワードを入力)
・こんな表示が出る
Welcome to the MySQL monitor. Commands end with ; or \g.
Your MySQL connetion id is 3 to server version; 4.0.23a-Max
  Type 'help;' or '\h' for help. Type '\C' to clear the buffer
・ユーザーの作成
mysql> grant select,insert,delete,update,create,drop,file,alter,index on*.* to db_user@localhost identified by '×××'
※×××はユーザ名。任意の名前で可。ただし、英数字にしてください
・入力ミスがなければ、こんな表示が出る
  Querry OK, 0 rows affected (0.00 sec)
・ユーザーの追加を可能にする
   mysql> flush privileges;
・入力ミスがなければ、こんな表示が出る
   Querry OK, 0 rows affected (0.02 sec)
・Movable Typeで使うデータベースを作成
   mysql> create database mt_db;
・入力ミスがなければ、こんな表示が出る
   Querry OK, 0 rows affected (0.03 sec)
・テストデータベースの削除を
mysql> drop database test;
・入力ミスがなければ、こんな表示が出る
   Querry OK, 0 rows affected (0.10 sec)
・データベースを確認
   mysql> show databases;
・こんな表示が出ればOK
+----------+
| Database |
+----------+
| mt_db |
| mysql |
+----------+
2 rows in set (0.00 sec)
・MuSQLからログアウト
   mysql> exit

2005年11月16日水曜日

Movable Typeのカテゴリーページのサイドバー表示

カテゴリーページのサイドバー表示がうまくいかない。

Movable Type 4989 のページでデフォルトのテキストを入手して、自宅サーバのブログでは、表示変更成功。

ところが、このサイト(lolipop)側では、エラー500!!!。原因不明・・・?。

(2005.11.27 追加)
と書いていたら、自鯖とlolipopとはDBの種類が違っているのに思い当たった。そこで、lolipopのブログもMySQLに変更。(変更はロリポップのマニュアルどおりにやったら、あまり苦労せずにクリア(ただし1回失敗したら、DBを一旦削除して、新規DB作成をやった方がよい。私もそうした。)
MySQLで上記のサイドバーの設定を追加したら、難なく表示。どうも、ロリポップでMovable Type3.2を使用するときは、DBは、BerckleyDBでなく、MySQLかSQLliteを使用したほうが良いようだ

2005年11月14日月曜日

堀江貴文「100億稼ぐ仕事術」

なにかと話題の多い、ライブドアの堀江会長の仕事術、ビジネスのやり方を「ヒト」「ジカン」「ジョウホウ」「カネ」「ツール」の5つの切り口から、綴ったもの。

傍若無人で拝金主義の権化のようにいわれることもある筆者であるが、ネット業界で雄をなしている人だけあって、やはり、その仕事のやり方はスキがない。

メールを仕事の基本にして、一日5000通読むとか、

ノートパソコンにアポイントから何から仕事にかすることはすべて入れておく、

PCのショートカットキーを使うとか

やるべき仕事は全てメールで自分あてに出し、デジタルに管理する

とか、やはり、ITで一時代を築きつつある人だけに、IT機器やIT的な考え方にどっぷりつかっているのだなー、と思っていると、

・部下が突然辞表を出してきたときは、びっくりしたり、
・メーリグリストは会議の代替ににはならない、ただし会議の参加メンバーは10人以下
・やるべきことは全て自分にメールをするが、基本は当日処理を原則として、タスクを全てこなした快感を味合うことが大事

といった、アナログっぽいことも語られて、ちょっと安心したりするところもある。

中でも、ビジネスの永遠の真理とも思えることが語られていたので、ちょっと紹介。

「シンプルに考える。一つの目標だけを考え、それを実現するためにどのような行動を とればいいのか順を追って考えること。そして、自分で考えること」

「商売をしていると、とかく売り上げを伸ばすことに目がいってしまいがちだが、商売の 真髄は「コストカット」にある。それも日々の細かいコストの見直し。週2回の営業戦 略会議で各事業部の損益計算書の細かいところまで徹底的に洗い出しし、コスト削減の アイデアをひねり出す。」

最後の章「100オクカラ」で、筆者のライフスタイルを象徴するようなことが語られる。

「この世の本質は「諸行無常」である。人生においても、歯をくしばりながら努力を重ね、常に走り続けないと、自分という人間などすぐに世の中から消え去ってしまう。
私は常にシビレル人生を歩み続けていきたい。」

これからも話題の多そうな人である・・・

2005年11月13日日曜日

北村鮭彦「おもしろ大江戸生活百科」(新潮文庫)

平成16年10月1日初刷。定価476円+税

江戸のお武家の暮らしから吉原まで、江戸常識満載である。

時代小説や時代劇好きの人は、全編通じて楽しく読めると思う。ただし、あまり続けて一度に読むと薬味だけを続けて食べているような感じに襲われるので、少しずつ、楽しむのがオススメ

ちょっと、中を紹介すると

三百石以上の旗本の門には門番所がついていて門番がいるが、二百石になると門はあるが門番はいない。門に並んだ通用口の片扉に鎖がつけてあって、その先に徳利がぶらさがっている。これに石でもいれて釣り合いをとり、押せば扉が開くし、入ってしまえば自然に閉まるようになっていた。徳利が門番をしていたわけで「徳利門番」といった(門構えで格式がきまる)

元来、仇討は親族のうち、目上の者の敵に対して行うもので、子の仇を父が、あるいは弟の仇を兄が討つことは許されない。
また敵の動静を探るために、敵の家の下僕として住み込んで、すきを見て討つ、などは許されない。いったん主取りをした家来が主人を討つということは、たとえ「仇討ち」であってもその前に「主殺し」という大罪がつく(友人の仇討はでしゃばり)

ちょっと以外だったのは

江戸の湯屋はたびたびの禁令にもかかわらず入れ込み(混浴)が多かった。江戸の女性は勇敢なもので、かなりの身代の町屋の娘も下級武士の娘も、毎日見かける男の身体にはさして興味も示さず入浴した(混浴も平気な江戸の娘)、という話

(ただ、杉浦日向子さんの本では、若い娘が湯屋に入るときは回りをおっかさんやら近所のカミさんで固めてあって、近くの男が目をやったりちょっとでも変なそぶりをしようとすると冷水を浴びせられたり、とんでもない目にあったそうだから、江戸の娘は平気だったというよりも別の形でガード措置がされていた、ということか。)

そのほかに、江戸っ子の条件には職人であって、日傭取りであることがあって、宵越しの銭はもちたくても持てない貧乏人であることを意味したから、堅い商人は、江戸っ子と呼ばれることを大変嫌がった(江戸っ子は自慢にならない)

などなど面白い話がかなり詰まったオススメの江戸情報本です。

リサイクルデー

本日は小学校のリサイクルデー。
私の子供の頃は廃品回収なんて名前だったが、今は、こう呼んでいる。
でも集めるのは、古新聞、古雑誌、ダンボール、一升瓶・ビール瓶と昔と一緒。アルミ缶が追加になっているのが違いぐらいかな。
そして、父兄の車で集めて回るのも一緒。
学校行事はたくさん変わったけれど、不変のものも、やはりあるんだ。

塩野七生「ローマ人の物語 23 危機と克服〔下〕」(新潮文庫)

ヴェスパシアヌス死後、二人の息子が順番に即位。しかし、それぞれ病死、暗殺といった不幸な形で政権を譲っている。この二人が若くして死んでしまうので、フラビウス朝は、ここで断絶。その後、ネルヴァ、トラヤヌスと続く、いわゆる5賢帝の時代へ続いていく。
この本では、トラヤヌスが即位するところまで。

ヴェスパシアヌスの没した後、まず長子のティトゥスが即位。やる気があって、経験も豊富、暖かくて素直な人柄の人だったらしいが、いろんな事件が多すぎた。ポンペイを生き埋めにしたベスビオス火山の噴火、その後に、首都ローマの大火事。その次の年にはイタリア中に疫病が蔓延。即位していた期間は2年間らしいが、立て続けに災厄が訪れたらしい。ティトゥスは、不眠不休で陣頭指揮。ついでに自分も疫病にかかりあえなく死去。

ローマ市民みんな早死を悲しんだらしいが、中には「治世が短ければ、誰だって善き皇帝でいられる」と皮肉った人もいたらしい。これはちょっと酷評すぎると思うが、ついてない皇帝であったことは確か。力量や能力にかかわらず、巡りあわせの悪い人の一言。ただ、運の悪い人と一緒にいると,、悪運もうつるってのはあるよね。


その後は、弟のドミティアヌスが即位。これまたやる気まんまんの真面目皇帝だったらしい。この人、死んだ後、「記録抹殺刑」にされている。

公式記録、碑文の名前を削ったり、その人の像を壊したり、元老院の了解を得ずに出された法律は無効にしたり、といった刑らしい。いなくなってから、あいつのことなんか、とーに忘れたけんね。思い出しもせんけんねー、といった集団で知らん振り、なかったことにするという、結構ガキっぽい刑だ。

しかし、死んだ後、記録抹消にされたからといって、この人のやったことは、忘れたいほどひどいことではなかったらしい。ゲルマンからローマを防衛する「リメス・ゲルマニクス」(監視用の塔、補助部隊が詰める基地、主力の詰める基地、それらをつなぐ道路網の複合体)の建設を開始したり、司法を厳格にしたり、蛮族相手の戦争をして負けなかったり、水道などのインフラ整備を進め、そのくせぞ財政は破綻していないということだったらしい。
なんで、こーゆー(良い)奴が殺されるの?といった素朴な疑問を持つが、暗殺したのは、養子にした息子の実の父母が異教徒(キリスト教らしいですが・・)になったのを咎めて死刑と流罪にしたら、次は自分の番か、とトチ狂った親戚の仕業。

逆上した奴には皇帝もかなわなかったってことか・・・・。

ドミティアヌスが死んだ後、突然、記録抹消刑だーってことを元老院が決めてしまう。ガキ大将が怪我したら、今までいじめられても文句をいえなかったのが集団で、とっちめるといった構図かな。ドミティアヌスの場合は、いじめたという訳でなく、やたら厳格で真面目だったようだから、ガキ大将というより、やたら煩い学級委員長への仕返しかな。

特に、フラビウス朝の出身は騎士階級で、ねっからの元老院階級、いわゆる貴族(パトリキ)でなかったから、名門のボンボンやご隠居様、大殿様たちの仕返しの側面もある様子。

ドミティアヌスの死後は、元老院階級の出身で、長老格のネルヴァが即位。誰が見てもショートリリーフだったらしいが、彼が、後継者として指名したのが、属州出身のトラヤヌスだったから、皆あっと驚いたらしい。まあ、そうだよね。元老院にしてみたら、騎士階級出身のくせに法律に厳格で、おまけに能力も高い、しゃくにさわる奴が自滅してくれたと思ったら、貴族(パトリキ)ではあるがイスパニアの属州出身の男が次期皇帝に選ばれたのだから。ただし、ローマの軍団は、異論なかったらしい(もっとも、ローマ軍団はドミティアヌスに不満でなかったらしいから、当然か)。詳しくは次の巻。

<追記>

この本で、印象に残った言葉たち

ローマがあれほど長命だったのは、ローマ人が他民族を支配したのではなく、他民族までローマ人にしたからだ。

ローマ史とはリレー競争に似ている。既成の指導者階級の機能が衰えてくると、必ず新しい人材が、ライン上でバトンタッチを待っているという感じだ。
権力者が権力を保持し続ける要因には、その人に代わりうる人物がいないからやむをえず続投してもらう、である場合が少なくない。言い換えれば、後継者難のおかげで、機能不全に陥った既成の支配階級でもあいかわらず権力を保持し続ける、という状態である。そしてこの結果は、衰退を止められなくなったあげくにやってくる、共同体そのものの崩壊だ。つまり、バトンタッチする者がいないために走り続け、ついにはトラック上で倒れて死ぬ、という図式である。

宮嶋茂樹「儂は舞い上がった アフガン従軍記(下)」(祥伝社黄金文庫)

偉大なカメラマン 宮嶋茂樹のアフガン戦記。

下巻では、アフガン、ジャポルサラジ入りしてから、アフガニスタン脱出、そして再入国さて、アフガンのファイザバードを出発し、ジャポルサラジを目指す。

崖から、取材隊ごと転落して、機材一式を失ったポーランド人のクリスと共同通信の記者も同行である。途中、ソビエト連邦のアフガン侵攻の時に、大量に打ち捨てられた戦車の墓場(といっても、中に人が住み着いていたり、キャタピラを塀代わりにしたり。戦車にとっては墓場だが、それなりに有効利用されている。)も通り過ぎる。

文庫の表紙にも使われている砲塔に腰掛けている少女の笑いが明るい。

ジャポルサラジで入国許可とプレスカードをもらい、共同通信の支局のある建物(どうもビルといえない状態なので)の地下室に同居する。
ここが取材の拠点となる。
共同通信の先に現地入りしている記者と出会い、カップヌードルを差し入れする場面が印象的。シーフードかカレーかしょう油かで迷い、できあがるまでの3分間、無言で待ち続ける男たち。
カップラーメンを啜っている場面の写真もあるが、みな至福のひと時のような顔をしている。(日清は日本人を確実に変えたのだ)

このビルを拠点に、取材である。同居のイギリス人の取材隊とシャワーの水の分量でもめたり、司令官の昼食に招かれてゆっくりしているうちに、町ではタリバンが攻撃をしかけて修羅場が展開されてスクープを逃したり、果ては、どこからか酒を手に入れて、決死の酒盛りをしたり(こんなことをしているから金がなくなるんだ、と筆者も感じてはいるらしい)、とまあ、結構華々しき取材活動を続けるうち、やっぱり金切れ、本国帰還である。

ところが帰還しようにも、すんなり帰れるわけではないのが、戦地である。
タジキスタンへ帰るヘリを待って、また延々と待ち続ける時間が始まる。

ところが、行きの待てど暮らせどアフガン入りできない事態に比べると短期間で、アフガンから脱出できる。筆者もツキが回ってきたのかなー、と思ったら、なんと帰国途中でカブール陥落。またスクープチャンスを逃してしまう筆者であった。

最後のあたりは、カブール陥落後の再度のアフガン入り。タリバン政権崩壊後、学校へ正式に通えるようになったアフガニスタン女性の輝くような目に出会ったり、タリバンに破壊されたジャイプールの仏像遺跡を訪ねたり・・・。私と同世代なのだが、宮嶋カメラマンの活力には頭が下がる。これからも時代のエポックメイキングの時には、この人がカメラを抱えて現場にいるんだろうなー

2005年11月12日土曜日

春のあやめ池

今年の春にあやめ池にでかけた時の写真
娘のクラブ(管弦楽なんてクラブに入ってる。パートはチェロ。「セロひきのゴーシュ」娘なのだ)の発表会の帰りに、ちょっと立ち寄り(2005.5.28)。
まだ時期が早くて、あやめはちらほら。







息子と山へ登る

夏休み(2005.8.20)に、小学2年生の息子と近くの山に登ったときの写真。
夏休みの自由研究のネタさがしに登った。
途中でデジカメの電池がなくなってしまったり、クワガタムシのメスをみつけて下山後、あわてて飼育BOXを買いにいったり、結構あわただしかった・・・






自分法人

休日は、どういうわけか早起きしてPCをいじってることが多い。 今日も、4時半起床で、昨日たちあげたこのサイトと本サイトの手入れをやっている。 会社勤めの方の仕事も、時々は、この早起き時間内にやることもあるが、大半は、こうしたサイトまわりの手入れと興味あることのネットりサーチに使っていることがほとんど。 特に最近は、アフィリエイトに興味をもっていろんなサイトを巡っていると興味深いサイトもみつかる。

 なかでも、金持ちサラリーマンの道というサイトで主張されていた、こうした時間も、自分法人の多角的戦略の一つという考えが気に入っていて、最近は、サイト運営も自分法人◯◯のサラリーマン勤務と並ぶ一時業と考えると、結構楽しく過ごせる。 何かしら、会社勤めの方も、自分法人が経営参加している一事業のような感じで、適度に第三者的な目も持つ事ができるので、精神的には結構安定してくるように感じている。

まだまだアフィリエイト収入なんてないから、実質的にはサラリーマン収入が収入のほとんどであることには違いないのだが、会社だけが居場所ではない、という感覚ができることは、勤め人に貴重な感覚ではないだろうか。

2005年11月11日金曜日

下川裕治 「アジア極楽旅行」(徳間文庫)

「アジアの旅の十二カ条」「アジアと日本の新しい関係」「日本と関わるアジア人物語」「激揺するアジア」の4章。


アジアの旅の12か条、当然バックパッカーを中心とした貧乏旅行の心得だが

・ホテルではウンコをしない(ホテル内だけの水洗なので逆流したり、あふれたり・・・)
・駅前ティッシュを持参する・・紙で尻を拭く文化になれていない(手と水で処理)ので紙がなかったり、あっても紙が硬かったり。

・$の現金をもっていく・・・貧乏旅行者が出入りするようなところでは、トラベラーズチェックやクレジットカードは使えない。もう一つはヤミ両替は現金でないとダメなこと
・貧乏旅行者は女(男)を買わない・・・ことに及ぶ時、貴重品(金、パスポートなど)の置き場に困る
・車の免許をもたない・・アジアの車の整備状況、故障の多さ、交通事情の悪さを考えると最初から免許をもたない方が悩まない
・アジアではすべての動力車がタクシーである・・・アジアではエンジンのついている車はすべてタクシーになる。バスや乗用車だけでなく、トラックもなるし、バイクだって立派なタクシーに変貌。おまけに営業をはじめるのに、車以外の資本は必要ないから、誰でも始められる商売。
・中国人は寒さにめちゃめちゃ強い(雪の積もった道端でも寝られるぐらいだそうだ。おかげで、かなり高級なホテルでも暖房が入らないことになり、ヤワな日本人は凍えてしまうことになる)

などなどが披露されている。中には「アジアでは喫煙者の人権はない」など、いつの間にか、日本でも同じような状態になっていることもあり、時代の変化を感じさせられるが、貧乏旅行の姿を垣間見る思いがする。

「アジアと日本の新しい関係」では、日本の風習や物とアジアとの微妙な関係が語られる。日本のペイントのまま走っているラングーンの中古バスや、タイの鍋料理(いわゆるタイスキ)や香港の鍋料理にも卵がいれられようになったことや中国ではカップヌードルと魚肉ソーセージが定番のセットになっていることなど。また、トイレットペーパーの三角折は、出稼ぎにきていた東南アジアの女性が広めたのでは、といった話まで広がる。日本もアジアの一部分であることを痛感させられる。
また「日本と関わるアジア人の物語」では、日本に留学しながらビルマへ帰国せざるをえなかった青年や、出稼ぎ先の日本のタイ人スナックでエイズにかかってしまったタイ人青年の話など、少しゆがんだ形で構築されていた日本とアジア。そして、最後の章「激揺するアジア」ではそうしたこと無視するかのように、おおきく変わっていくアジア、経済発展が人々の暮らしを飲み込んでいく上海と中国本土へ返還される香港。また、大国中国とベトナムの間で、行き方の定まらないビルマとカンボジアの姿が描かれる。

バブル崩壊後、アジア経済の羅針盤は日本だけではなくなって久しいが、アジアはいやおうなしに変化していっていることを感じさせられる。

2005年11月8日火曜日

宮部みゆき 「ステップ・ファザー・ステップ」(講談社文庫)

遺産相続で大金を得た独身女性の家に忍び込み盗みを働こうとした泥棒が、忍び込むときに使った鉤フックに落雷。泥棒は隣家の家に落ちるが、そこで、双子の兄弟(宗野直と哲)に出会う。両親は、それぞれ別々に駆け落ちしてしまっているらしい。

泥棒は、怪我が治るまで、双子の家に匿われるが、盗みの弱みにつけこまれ、双子の親代わりにされてしまうことになるが・・・、というシチュエーションで始まる、ちょっとほのぼのした7つの事件と解決。

「ステップ・ファザー」というのは「継父」という意味らしい。いつの間にか、本当の親と同じようになってくる泥棒と双子の関係が微笑ましい。おどろおどろしい事件はないから、流血や陰惨な事件が苦手な人も安心して読めます。

収録は「ステップ・ファザー・ステップ」「トラブル・トラベラー」「ワンナイト・スタンド」「ヘルター・スケルター」「ロンリー・ハート」「ハンド・クーラー」「ミルキー・ウェイ」

ネタばらしレビューをはじめると

「ステップ・ファザー・ステップ」

泥棒(「俺」)と双子の兄弟の遭遇。本来の目的に立ち返り、双子と出会う原因となった隣家の遺産成金の家に忍び込んだら、なんと鏡だらけの家・・・。

ネタばらしは、「読唇術」と「すりかわり」。

「トラブル・トラベラー」

過疎の町、暮志木町が、始めた町おこしは、ナント、町を岡山の倉敷のそっくりのコピーすること。コピーばかりの町だが、大原美術館に真似てつくった(小原)美術館には、最近、人気の出始めたスペインのセバスチャンという画家の、時価数億の本物の絵がある。

この美術館を訪れていた双子が、町長と一緒に人質にとられるが・・・。

ネタばらしは、「贋作」


「ワンナイト・スタンド」

双子の参観日に借り出された「俺」。双子の学校では、校長へ反対する者からの脅迫文が届いたり、ちょっと騒然としているらしい。そんなことには構わず、授業中に入れ替わり、しかも、それに「俺」が気づくかどうか賭けをしていた双子。「俺」は入れ代わりに気づかず騙されるが、教室の中では、もうひとつの入れ替わりが・・・。

ネタばらしは、「もうひとつの双子」と「裁判所での証言」

「ヘルター・スケルター」

双子の片割れ、哲が盲腸になる。おまけに「俺」は足の小指の爪をはがすという踏んだりけったりの状態。そんな時、家の近くの湖から男女2体の白骨死体が発見される。そういえば、双子の親の顔も何もしらされていない「俺」はもしや、その死体は、双子の親、そして殺したのは、双子?・・・と疑念を膨らませる。

結果は、そんなこともなく、別人の死体なのだが、その転落事故は実は他殺・・・。

ネタばらしは、「飲酒運転にひき逃げ事故」と「別れたがっている亭主を厄介払い」。

「ロンリー・ハート」

旦那に魅力を感じていない奥さんが、文通を始める。(ちょっとシチュエーションが古いのは已むを得ない。この作品が書かれた当時、猫も杓子も携帯電話を持つ時代になるとは想像もできなかったのだから)

亭主の悪口やら、秘密ごとを文通しているうちに、文通相手が、突然脅迫してくる。
脅迫された口止め料を届けようと出かけた先に見つけたのは、頭を割られて死んでいる旦那の姿・・・。

ネタばらしは「犯人は身近にいる」と「弾みのついた石つぶて」

「ハンド・クーラー」

東京の新興住宅地のある家には、毎朝、新聞が庭先に投げ込まれる。しかも、東京から離れた山形の地方新聞。何の目的で、新聞を投げ込むのか?。

ネタばらしは、「昔の恨み」と「新聞をそこまで読む奴はいねーよ」。

「ミルキー・ウェイ」

双子が誘拐される。しかも、別々に。どうやったら、彼らを無事に助けだせるのか。おまけに時間差で・・・。

ネタばらしは、「よくできた偽札」と「偽の親父と祖父」

2005年11月3日木曜日

「アジアの純愛」(小学館文庫)

それ行けバックパッカーズシリーズの1作目。
2000年7月1日初刷。定価476円+税を、リサイクルショップで税込み210円で購入。

バックパッカーたちのアジアでの恋の物語。

相手は、同じパックパッカーの異性であったり、現地の異性であったり様々。

結末も、結婚して現地(ないしにほん)で暮らしていたり、あっけなく振られたり様々。

中には、勝手に恋をして、相手には何も言わず、勝手に諦めて帰国して、その後は会っていないとか、純愛なのか、一人相撲の妄想なのか、よくわからないものまである。

しかし、総じて、男性はタイの女性に惚れてしまう話が多い。

タイの女性の可愛いらしさとか、優しさとか、この本の寄稿者たちは、それぞれに理由を書いているが、原因不明のまま、はまったねーと感ずるばかり。
私事で言うと、親戚にも一人、タイへ単身で海外派遣中にタイ人女性との間に子供をつくってしまい、帰国してから、奥さんと別れ、会社も辞めた後も、日本とタイと半々で暮らしている男がいる。その人の場合も、話を聞いてみると、はまってるなーと感じたのと同じ印象。
(一篇だけ、インドでアメリカ人女性に恋をしてしまう話があるが、金髪碧眼に怖気づい て、早々に退散してしまったお話だった)

なには、ともあれ、バッグパッカーといえども恋をするんですね~、というレベルの一冊かな。

〔ゲット〕FileBankサービス10G

ASCIIとFileBankの提携プレゼントで当たりました。
今年の11月から1年間 FileBankの容量が10Gになるというサービス。
FileBankのストレージサービスは、インターネットでどこからでもファイルがダウンロードできるので結構便利に使ってます。今までは無料の1Gサービスだったのが一挙に10倍になると、いろんな使い道が考えられそうですねー。
当面、仕事のファイルの持ち出しは、ポータブルHDDをやめて(酷使しているせいか、最近調子悪いし)、FikeBankに絞ろうと思ってます。

〔ゲット〕PCソフト Xs フェルガナの誓い

PC fanの懸賞で当たっちゃいました。
PC fanの懸賞は今まで当たったことなかったのでうれしいですね~。最近はPS2のゲームばかりでPCゲームからはちょっと遠のいていたので、なおさら。
今日は、ASCIIとFileBankの懸賞といい、懸賞づいてる日らしい。
早速、インストールしてゲームしょーっと。

「アジアの地獄」(小学館文庫)

それ行けバックパッカーズシリーズの2作目。
2000年7月1日初刷。定価476円+税をリサイクルショップで210円で購入。

今度は、バックパッカーたちがアジアのあちこち(といっても、ペルーやイスラエルの話もあるが)で、いろんなトラブルに巻き込まれる話の集合。

トラブルといっても、金はもっていなくて、危険なところにもふらふら立ち入るし、たいていの食べ物や生水は口にするし、清潔さもそこそこ、といった、おなじみのバックパッカーたちの遭遇するトラブルだから、そのネタも種々雑多。

インドで三回も赤痢にかかったり(しかもアメーバ赤痢から細菌性赤痢まで)、東南アジアの辛い料理に舌鼓をうったは良いが、おんぼろバスにのって痔を再発させたりといった病気のトラブルから、ぼったくりのシクロの運転手を殴って退散させたら、後で集団で追いかけられ、逃走に使ったタクシーにぼられるといった暴力的なものや、オーバーブッキングで日本帰国が2日遅れ、おかげで大事な商談を逃がし、会社は辞職、恋人は逃げるといいったことになる商社マンなど。

そして、果ては、イスラエルで、アラブのスパイと間違えられたり、といったトラブルまで満載。一番笑ってしまたトラブルは、妹を無理やりバックパックに誘った姉は結局、安宿や屋台になじめないままだったが、妹は、あっという間に一人前のバックパッカーになって姉を羨ましがらせる話。

きっとバックパッカーたちは、こういった話を旅の勲章にしていくんだろうから、きっと、この手の話は後を絶たないだろう。バックパッカーの皆さん、命だけはお大事に

「アジアの純愛」(小学館文庫)

それ行けバックパッカーズシリーズの1作目。
2000年7月1日初刷。定価476円+税を、リサイクルショップで税込み210円で購入。

バックパッカーたちのアジアでの恋の物語。

相手は、同じパックパッカーの異性であったり、現地の異性であったり様々。結末も、結婚して現地(ないしにほん)で暮らしていたり、あっけなく振られたり様々。

中には、勝手に恋をして、相手には何も言わず、勝手に諦めて帰国して、その後は会っていないとか、純愛なのか、一人相撲の妄想なのか、よくわからないものまである。

しかし、総じて、男性はタイの女性に惚れてしまう話が多い。
タイの女性の可愛いらしさとか、優しさとか、この本の寄稿者たちは、それぞれに理由を書いているが、原因不明のまま、はまったねーと感ずるばかり。

私事で言うと、親戚にも一人、タイへ単身で海外派遣中にタイ人女性との間に子供をつくってしまい、帰国してから、奥さんと別れ、会社も辞めた後も、日本とタイと半々で暮らしている男がいる。
その人の場合も、話を聞いてみると、はまってるなーと感じたのと同じ印象。(一篇だけ、インドでアメリカ人女性に恋をしてしまう話があるが、金髪碧眼に怖気づい て、早々に退散してしまったお話だった)

なには、ともあれ、バッグパッカーといえども恋をするんですね~、というレベルの一冊かな。

ゲッツ板谷「インド怪人紀行」(角川文庫)

ゲッツとカモちゃんの二人が、今度は貧乏旅行のメッカ インドへ旅する。
タイ、ベトナムと定石を踏んできた旅行記も、クライマックスへ。
ところが、なかなか出発しない。今度の同行者のハックやナベちゃんという若者の話や、バンコクの居酒屋でひっくり返ったり、風邪ひいて熱出したりする話が続く。どうも、今回の旅は、同行の二人の若者がいわくありげで、はずみをつけている気配が濃厚だ。

やっとニューデリーから始まるが、ゲッツの体力はかなり限界らしくゲリピー状態。おまけに同行メンバーの中はすこぶる悪い、果たしてどうなるのかーと始まる。感情を押し殺したようなハックと、ドロップアウト癖のあるくせに理屈をつけるナベちゃん。これに瞬間沸騰カメラマンのカモちゃんがからむから、ますます複雑になる。
これはニューデリーを出発し、ムンバイについても変わらない。それどころか、インドの都市特有の猥雑さが輪をかけているようだ。
この旅行記は1994年のインドの経済改革以後のものだから、それ以前のようなとことん中世的なインドからは脱却しつつあると思うのだが、大衆は変わらないということか、
やたら、しつこい物売りやいい加減なホテルは、昔の旅行記と同じだ。
ムンバイの後は、ゴア。ゴアは、この本の当時はドラッグ好きの溜まり場になっていたようだ。(今がどうだかは知らないヨ。アームチェアトラベラーは現地にはいかないのだ)
ガンジス川のほとり、聖地といわれるバラナシでは、安い売春宿で金を巻き上げられそうになるは、トリップしたハックは庭で毒液を吐き散らすはの騒ぎである。おまけに火葬場で写真を撮って、遺族から袋叩きに会いそうになる。どこに行っても騒ぎが起こるのは変わらない。
旅も終わりに近くなる。国境の飛び地インパールである。ここで、子供の死でアヘン中毒のアルコール中毒になったカンプゥというガイドに出会う。説教するゲッツ。それを契機に兄の死以来、感情を押し殺していたハックの復活、そしてカモちゃんとナベちゃんの激突。
インド旅行記は、ここインパールで終わる。おまけにタイ、ベトナムと続いてきた怪人紀行もひとまずエンドらしい。
このインド怪人紀行では、現地の怪人の登場は少ない。なにせ、旅行者自体が怪人ぞろいだからだろう。合間の西原理恵子のマンガは、あいかわらず楽しいので、必見。

島田洋七「がばいばあちゃんの 笑顔でいきんしゃい!」(徳間文庫)

「佐賀のがばいばあちゃん」の続編。続編だけでも楽しいが、本編を読んでからだと、なおいっそう楽しめる。

一言でいうと、この続編も元気の出る本である。筆者が幼少時に一緒に暮らした「ばあちゃん」の言行録が、さらにパワーアップされている。

けして金持ちではない、というか、むしろかなり貧乏な生活で、なんかの拍子に横道に行ってもおかしくない境遇なのだが、筆者が明るく、障害者のアラタちゃんも守りながら、元気に生活していたのも、「ばあちゃん」の人格、人徳なのだろう。

エッセイだから、筋らしい筋はないが、ネタばらしとして、「ばあちゃん」の名言を少し紹介

「死ぬまで夢を持て。叶わなくても、しょせん夢だから」
「貧乏人が一番やれることは笑顔だ」
「みんな偉い人にはなれない。頭を使う人もいれば労働力もいる。総合力で世の中は成り立っている」
「人生は好きなように生きないと駄目。みんな、お前の人生だから」
「人間、自分のことが一番わからない。ひとのことはよくわかる。
自分では、自分のいい所しか見えていないものだ。
だから、人を嫌うな。もし、自分を悪く言う人がいても、気が合わんなと思え。」
「二、三人に嫌われても、反対を向けば一億人いる。
お前が好きな人がおっても、その人も誰かに嫌われている。
お前もいい人やと言われていても、お前を嫌いな人もいっぱいいる。
世の中、それで成り立っていると」
「一億円あったって、金魚一匹つくれんばい」
「嫌われているということは、目立っているということや」

などなど、一読すれば百倍元気の出る本です。

宮嶋茂樹「儂は舞い降りた アフガン従軍記(上)」(祥伝社黄金文庫)

偉大なカメラマン 宮嶋茂樹のアフガン戦記。

上巻では、パキスタンから、どうにかこうにかアフガン入りし、ジャハルサラジ(重要都市らしい)へ着きそうで着かないところまで。

しかし、このタイトルの洒落、うちの娘に話をするとポカンとしていたし、うちのカミさんも事細かな話をしてやっと通じた。もはや玄人受けというか、かなりの親父かマニアというかオタクにしか通じないギャグになっている。

時代の変化は恐ろしかー!!!といったところで、いつものようにネタばらしレビューを始めると、なんとパキスタンに入ってしばらくしたら、きちんと金を盗まれている。
しかもホテルの中で・・・。

うーん、敏腕カメラマンといえども、簡単に金を財布から抜かれるものなのだ、と感心。

おまけにパキスタン入りしてもなかなかアフガンには入らない(入れない?)。

ヘンな情報を聞きつけて、自衛隊と一緒にアフガン入りすることをたくらんで日本に帰ったり、またパキスタンに舞い戻っても、ヘリをチャーターしようとして北部同盟に睨まれて頓挫したり、近くまで行きながら、なかなか進展しない、

出来のこないアニメみたいな展開。(暴言お許しください。)

アフガン近くのタジキスタンでたれこめている時間が長いのである。どうにか時間をうっちゃって、タジキスタンから空路でアフガンの地方へ入り、そこから首都カブールを目指す。
ところが、そこからがまた、トラブル続きなのである。
車や人の手配が難儀で金がかかるといったことでなく、とにかく、移動すること事態がとんでもなく大変なことがわかる。

まあ、先進国の高速道路を走る訳ではないが、それにしてもインフラなんて横文字がアホらしいほどの状況だったらしい。

でも、まあジャーナリストっていうのは元気だなー、と感心。
途中、谷底に落ちて、機材一式を失うポーランド隊もいるが、彼らにしてもまだまだ元気である。(筆者は、国家の不幸の星が国民にも染るのか、てなキツイことを言っているが)

こうした懲りなさと元気が毎朝7時のNEWSの底にあるのだなー、と妙なところで感心する次第であった。

2005年11月1日火曜日

小林紀晴 「アジアン・ジャパニーズ 1」

3年半勤めた会社を辞め、フィルムを数十本抱えて、アジアへあてのない旅行にでかけた筆者が、アジアで出会った日本のバックパッカーたちの記録と、彼らに再び日本かアジアで再会した時の記録。

本の表紙の、街角で振り返っている女性、また、通りの向こうへ走り去っていきそうな女性の姿が印象的な本である。

普通の旅本なら、旅行先で出会った人のことを書いても、日本で再会するときの話は書いていない。再会することがほとんどないことも事実だろうが、アジアの旅先のことは、日本とか隔絶した別世界のこととして、旅先の稀ごととして心の中で扱われているのが原因ではないだろうか。この本の筆者は、きっちりと日本で再会したことも記録している。それが、この本に普通の旅本でない、リアリティを与えているように思える。

しかも、アジアで出会う人たちも種々雑多である。息子がいながら(と、その人は主張する)日本を捨ててしまったような人(20センチの家財道具)、旅に出ることが日常になるとそれも一つのありふれた生活になることに気づきながら、なお旅をする青年(かっこよくない旅)、何かを追い求めるかのように前へ前へと進む旅(消えてしまったパスポート)もあれば、探し物があるかのようにひとところに立ち止まる旅(ガンガーとフクロウ)もある。

人それぞれに、旅もそれぞれなのだ。

そして、旅がそれぞれであるように、旅の後も、人それぞれである。

旅で出会った人と結婚し日本に落ち着く人(東京の曼荼羅)、空間的な旅は終わっても時間的な旅、自分にあった職業を求める旅は終わらない人(終わらない旅)、この世でない所に自ら旅立った友人(キャンバスの軌跡)

しかし、旅の途中と旅のその後の話を読んで、二つに種類に分かれることに気がつく。旅に再び出る人と出ない人、それは空間的な問題ではなく、捜し求めているものが、実は自分の中や近くにあったか、そうでないかの違いではないだろうか。
「変わりたいと思っている自分も、変われないでいる自分も、これから変わっていくかもしれない自分もすべて自分なんだと思った。それが本当の自分だと」と思う人(天使と、女神と、彼)と「先のことを決めるのって、とても難しいことだと思う。だからわからない。それに決めたからって、その通りにいくとも限らないし」という人(終点のブッダ)の違いなのかもそれない。

どちらにしても、旅は終わっていない。

下川裕治 「アジア漂流紀行」(徳間文庫)

「味わい深いアジアン・ホテル」「アジア バス事情」「アジア・ディープ・ウオッチ」「アジア鍋行脚」「アジア屋台めぐり」「アジア駅弁事情」の7篇。

「味わい深いアジアン・ホテル」では、年齢から、いわゆるバップパッカー専門の安宿から、街中の中流ホテルへ泊まるところを格上げせざるをえなかった(といっても、10米$から20~30米$へあがった程度だが)筆者が、アジアのホテルについて語る。といっても、部屋着とパジャマの区別のないアジアの宿泊客(といっても最近は、ホテルの部屋やその近辺をスェットですます人も多いから、日本も一緒だよね)やホテルの部屋が自分の部屋と同じになりがちなホテルの従業員のおばちゃんたちなどたわいのないお話が語られる。

人が乗ればバス、荷物が載ればトラックというアジアのトラックバスやバスや列車のチケットの購入が一日の一台仕事となってしまうバックパッカーの暇さ加減とチケット入手の劣悪さ(アジアバス事情)

日本の若い人は怠け者で勉強しないから使えないという不法滞在のアジア人の雇われ店長、夕日が嫌いなビルマ人、飲茶を忙しく食べながら、同時に忙しく商談する香港人、一見、のんびりそうに見えて激すると、とことんまでいってしまうタイ人など、いろんなアジア人の横顔(アジア・ディープ・ウォッチ)

アジアの共通の料理方法といってもよい鍋料理。最初は韓国のふぐ、ラーメンチゲから始まり、中国のウィグルで鍋料理をぼられたり、香港で、食べ方がわからず、屋台のおばちゃにレクチャーを受けたり、(アジア鍋行脚)、この手のバックパッカーものでは珍しくけして上等とはいえないアジアの酒の話が語られる(アジアの酒行脚)。

やはり圧巻は食べ物の話。さすがに東南アジアにどっぷりとつかていた筆者なので、屋台の料理にかけるウンチクはすごい。ほかの屋台からの持ち込みも自由で、おまけにいろんな種類の屋台があるから、朝飯から晩飯まで、どころか、おやつまで対応可能な屋台にかける筆者の愛情はただものではない。おまけにここで語られる麺は言うに及ばずパンにいたるまでの食べ物はやけに旨そうだし(アジア屋台事情)、引き続く、駅弁の話もgood。
丼をそのまま届けてくれるベトナムや、カップラーメンと魚肉ソーセージがセットになっている中国のお手軽駅弁。英国風がそのまま生きづくインドの長距離列車の食堂車配達の豪華カレー弁当など(アジア駅弁行脚)。

旅本の醍醐味は、ちょっと変わった風習と食べ物だよなーとあらためて思う一冊。