2006年5月7日日曜日

小川洋子 「博士の愛した数式」

家政婦さんが次々とかわる札付の家に派遣されてきた家政婦の「私」と数学者の「博士」、そして「私」の息子「ルート」の物語である。


若い頃の事故のせいで、物事を記憶する能力が失われ、1975年で記憶の蓄積がとまり、それ以降は80分だけ記憶が蓄えられると、自動重ね録りのように1975年に戻って記憶が上書きしてしまう、という「博士」。


彼は、毎80分後に更新される記憶をとどめるため、生活に必要なことは全てメモに書き留め、背広にピンでとめておいている。そして、「私」は毎回毎回、毎日毎日、いつも初対面の家政婦勤めを始めることとなる。

また、「私」の子供がいることを知った「博士」の強い要請で、「私」の勤め先に学校が終わると立ち寄り、勤務時間が終わるまで一緒に時間を過ごすことになった息子の「ルート」。

三人の少し奇妙な生活は、「博士」が医療施設に入るまで続く。といった流れなのだが、これは、ちょっと乱暴な要約をすると、「新たに出会った家族」の「家族としての暮らし」の記録である。


80分間という短い時間の連続の中で、血のつながらない、あくまで偶然に出会った人達が、「家族」としての関係をつくりあげていく物語、といえよう。

その「家族」をつくりあげていく道具は、数学上の様々なもの、「素数」であり「三角数」であり、完全数「28」を背番号に持つ江夏 豊と、「ルート」も「博士」も大ファンの「阪神タイガース」。
「数学の数式」と「阪神タイガース」が「家族づくり」の上で等価に扱われて行くのは、今までにない斬新さを覚える。


結局、身体というか、脳の衰弱で、「博士」の記憶は1975年より先に進むことを止めてしまうようになるのだが、成長した「ルート」が中学校の教師になったことを報告する場面、身を乗り出し「ルート」を抱きしめようとする「博士」の姿に、記憶や想い出を共有できないまでも成立した、ひとつの「家族」のお互いへのあふれんばかりの愛情を感じるのである。

映画の方からブレイクして大ヒットになったのかもしれないが、「小説」として読むのもいい。最後の方で、ちょっと、鼻の奧が"つん"として目頭が熱くなること請け合いである。

ちなみに、小説中で、一旦、引きはなされそうになる「私」「ルート」と「博士」を再び元通りに引き戻した重要な役割りを果たすのが、「博士」が義姉に対して「いかん。子供をいじめてはいかん」と言って示す『オイラーの等式』である。

ウィキペディアによれば「オイラーの等式」とは


この式は、全く起源の異なる重要な2定数、円周率(π)とネイピア数(e)が、極めて基本的な数、0, 1, i によって結びついている非常に重要な等式である。 この予想外の調和・連関を明らかにすることから、オイラーの等式は、"人類の至宝 " とも呼ばれる。(詳しくはこちら)

ものらしいのだが、「基本的な数の結び付き」と「予想外の調和・連関」がキーワードかなー、このへんは、まだ筆者の意図が読み取れない。

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