2014年6月28日土曜日

巨大キュウリの収穫

そろそろ梅雨の雨と合間の日差しで、キュウリの成長が半端なくなってきているのだが、葉っぱがやけに茂ってきたため、陰になっていたものを見落としていたら、この大きさのキュウリが収穫
 
大きさの比較は、近くに置いたKindle Paperwhiteと比較してほしいのだが、まあこうなると失笑するしかない状態。
 

タスクの見積もりで注意すべきこと

日経BP.netのココカラ企業日記の第三回「企業未経験者のためのスケジュール管理」でタスクの見積もりで良いヒント
それは

目標からの逆算ではなく、タスクの積み上げでスケジュールを作成する
 
未経験の事業分野の計画をたてる場合には、必要な時間を把握することが非常に困難です。そのため、まずwebサイトをオープンする目標期日を定め、その日から逆算して「企業への営業はサイトオープンの2ヶ月前に開始」「事業計画は営業開始までに作成」などとスケジュールを立ててしまいがちです。

しかし、そうやって立てられたスケジュールはあくまで理想論の上になりたつスケジュールであり、実際に日々の進捗を管理するためには全く役に立ちません。すぐにスケジュールに遅れが発生し、チームが落ち込んでいく結果が目に見えています。
 いくらweb未経験でも、無い知識を振り絞ってひとつひとつのタスクにかかる時間を見積り、その時間を積み上げてスケジュールを作成すべきです。



というもの。

タスク管理が破綻するもとは、想定できないこと、よく理解していないこと(仕事のタスク管理やスケジュールを考える場合にはこうした事態がほとんどなのだが)についてスケジュールを立て、タスクを整理しなきゃいけないところだから、思いつく限り詳細にタスクを想像するという作業を行うことは、これからの仕事の展開をあらかじめシミュレートすることに繋がって、タスク管理ひいてはプロジェクト管理が破綻することを防止してくれるのだろう。

プロジェクトの失敗は想定できなかったこと、あるいは低めに見積もっていたリスクの影響が大きいと思うので、その回避のためのシミュレーションを綿密にする意味でも想像できないことを想像するというシンドイ作業が必須なのかもしれないですね。

2014年6月22日日曜日

家庭菜園の功罪

今、家庭菜園に少し凝っていて、トマト、キュウリ、ピーマン、瓜などなど駐車場のそばで栽培しているのだが、日々、収穫があったり、雑草を抜いたり、庭木の剪定をしたりとか、まあかなり作業も多く忙しいのだが、それなりに収穫物があるのが嬉しい。
 

ただ、最近、作業がそれなりに増えたのと、キュウリやトマトの収穫が増えてくるに伴って、ブログとか書き物系に意識が行かなくなってきている。晴耕雨読という言葉はあるのだが、雨の時は雨の時で、次の作業をどうしようかと考えることが多くて、雨であっても「読」とはいかないところ。
 
どうも、それなりに日々作業があって作業の完了もあり、それに伴う収穫もあって、ということで、何が返ってくるかわからない「書き物」という、成果が目に見えないものへ駆り立てるものが少なくなっているということかと思ったところ。
 
いわゆる文明や文化というものは、農産物の収穫が当てになる所で成熟していくのが常なのだろうが、それは収穫の集積を利用できる支配層にいえることで、生産に携わる層は日々のことで充実が得られれば、それ以上のことはあまり思わないということなのかと。
 
とりあえず本日は、穫れたキュウリの浅漬けで一杯呑むことにして、難しいことはひとまず後回しに・・


 

2014年6月21日土曜日

安藤美冬「未熟でも未完成でも"今の自分"で突き進む」

元気なお嬢さんと自己啓発の記録と宣言本という感じかな。
著者はノマドワーカーの旗手として一躍有名になった安藤美冬氏

構成は
Chapter1. 一歩外へ踏み出す
Chapter2.自分の可能性を広げる
Chapter3.自分メデイアの編集長になる
Chapter4.人との出会いが自分をつくる
Chapter5.自分らしく働く

表題や世間の評判に影響されてリモートワークの技術論を求めてはいけない本。むしろ、新しいプレゼンスに頑張っている女性のPR本のなかにリモートワークのヒントがいくつかある、と考えた方がいい。批判などはあれこれあれど、自分をブランド化するためにはどうしたらいいか、何を取り上げ、何を切り捨てるかといったところをぎりぎり考えて行動に移した、と本人曰くなので、まあ他人がどうこう言うこともないだろう。

また、彼女が大学の講師になった、ということでノマドを捨てたのかといった批判もあるようだが、大学という閉鎖的な世界に少しばかり関わった経験からいうと教授クラス、せめても准教授クラスでないと身分保障からいっても通常の会社員や公務員よりも不安定なことは間違いない。多摩大学という大学運営の面ではアグレッシブなところに勤めるということを評価すべきだろう。

個人的に面白いなと思ったのはまず、「一人合宿」。

情報を適度にシャットアウトとして日常をリセットする。

例えば近郊のホテルに「籠る」という作業。

お薦めは仕事帰りの金曜夜から日曜までの2泊3日携帯の電源をオフにして、積ん読していた本を持ち込んでゆっくりと読書したり、ノートとペンを持って現状の振り返りやこれからやりたいことを書き出し、頭の中を整理する(P78)

ということらしいのだが、時間と周辺環境さえ許せばこうしたリセットができれば有り難いもの。

ただ、家庭があると、まあ、なかなかいろいろ、あれこれあるよね。

もう一つは「自分メディアの編集者」という心持ち。

組織の中で働いて、チーフ的なポジションになってくるとなかなか出来ないものだが、組織人であっても成果に責任を持ち自らの研鑽を怠らない、「優秀な傭兵」的な感覚は忘れたくないものではある。

まとまりがつかなくなったが、彼女の意気盛んなところに思いをいたして、まずまずの自己主張本、自己啓発本と評して、この項は終わりとしよう。

2014年6月1日日曜日

ヤマダイーブックサービス停止に関し、あれこれ思うこと

ヤマダ電機のヤマダイーブックサービスが7月に中止され、新しいサービスへの移行を模索している中で、購入した電子書籍が読めなくなると報道されて、批判が出始めるやポイント還元を認めたり、このあおりでディスカヴァー・トゥエンティワンが外部サービスが中止になった時の自社サービスの提供を発表したりとかしている。
買った電子書籍が無駄になる」は「記載不備」 ヤマダイーブックがサービス終了告知についておわび
大騒ぎ、といった風になっていかないのは、電子書籍の市場がほとんどがKindle、少々がKoboといったことになっているせいだろうか。

個人的には国産の電子書籍サービスを排斥するほうではなく、いまだにe-book japanなどなどのコンテンツを買っているので、まあ擁護派といっていいと思うんだが、なぜ、サービス廃止に伴って今までの既販売分もチャラってな発想が、記載不備だってことは認めるとしても一時的にも堂々と出てきたってことが不思議なこと。

もちろん電子書籍が閲覧権だってことはあるのだが、提供側が営業不振となれば一方的に打ち切り、しかも既販売分のサポートもしないっていうのは、国産電子書籍の心意気もそこまでか、と失望を禁じ得なかった次第。

楽天KoboもRABOOのサービスの終了時を思うと安閑としてはいられない気がするし、せめてもの救いというか期待はヨーロッパでのSony Reader終了時にKoboへの移行をしたっていうことか・・・。
国産電子書籍サービスの行方は定かではないが、サービス終了時の担保をきちんと示さないと、ますます暗澹とせざるをえないのだが・・。