2008年9月27日土曜日

佐々木俊尚「フラット革命」(講談社)

「ウェブ世界」の水先案内人として確かな判断を示してくれる筆者の2007年の論考。


今回取り上げられているのは「インターネットのつくるフラットな空間がマスメディアや人間関係、政治などにどのような影響を与えつつあるのか」ということ。

構成は
第一章 フラット化するマスメディア
第二章 よるべなく漂流する人たち
第三章 組み替えられる人間関係
第四章 公共性をだれが保証するのか
といった構成で

インターネットとマスコミュニケーション、とりわけ、「ネット君臨」に見られる新聞系のマスコミから発信されるインターネット不信あるいはクズ論への論考

から始まり、

インターネットの普及とともに、崩壊と希薄化を増してきた戦後社会の「企業社会にくるまれた」家族主義の姿から、「ミクシィ」で象徴される、個々人を媒体とした新しい関係性の構築の姿

へと展開し、

集団である一定の価値観を共有(それが半ば強制された共有であっても)していた時代、いわば「われわれ」の時代から、インターネットによて、個々の価値観がいくつかの繋がりは持ちながらも、混じらない個体として存立する時代の「公共」のあり方、へと結ばれていく。

 純粋に個人的な感想をいえば、最初の旧来のマスコミが、インターネットの出現によりその足場を侵食されていく姿、本書の言葉を借りれば「匿名言論の出現」「取材の可視化」「ブログ論壇の出現」により、自らの不可侵性を失い、報道する、表現する自らが、報道・表現される客体となってしまう姿は、一種、旧勢力の崩壊の爽快さを感じてしまうところがなきにしもあらずではある。
 だが、章が進み、それでは、旧制度がまがりなりにも担保していた「公共性」あるいは「ぶつかり合う価値観の調整機能」を誰が、どう担っていくか、という問題には「うーむ」と唸って、立ちすくんでしまいそうになる。

インターネットが、個々人の自由なコミュニケーションの領域を開き、あらたな情報共有と議論の場であることを牧歌的に信じていればよかった時代は過ぎてしまい、インターネットの世界が、現実の世界と同じように人間関係の泥臭さにまみれていることがわかり(学校「裏掲示板」なんてのはその典型だろう)、その一方で旧来の人間系の情報システムを破壊してしまっている時代に突入してしまっていることは、おそらく間違いなくて、それは、戦後の「会社」を中心として生活や人生設計すればよかった時代が、「グローバル化」とともに、よるべない「個」の世界へ解体されていっていることと並行している。

そうしたネットの世界を象徴する言葉として。「サラダボウル」という表現が書中にでてきて、それはいわゆる「坩堝」と対比されて使われていて、少し引用すると


ネットの世界では、坩堝という言葉はあまり使われない。坩堝は投げ込まれたいくつもの素材を溶かし、それらの素材を融合させてひとつにしていく。だが、ネットの世界では、投げ込まれた人々や情報は、決して融合するわけではない。差異はそのままで残されて、融合されることなく混沌とそこに存在しているのだ。
 だからネットの世界は、坩堝ではなく「サラダボウル」のようなものなのだ。サラダボウルの中にはトマトやレタス、キュウリ、セロリなどさまざまな野菜が投げ込まれ、しかし決して交じり合うことなく、しかしひとつの調和を保ってそこに存在している


ということらしいのだが、そのボウルの中で、トマトとキュウリのぶつかりあいの調整や、レタスとセロリの味の違いを調和を、図っていくのかということが「公共性の確保」ということなのだろう。


残念ながら、だからこうすればいい、という万能の処方箋はまだ、本書に限らず、どこからも提案されていない、と私は思っている。本書にも、ひとつの提案というか方向性は示されている。それは、本書の最後の最後のほうで

 批判、それに対する反論、そして再反論、そうした議論のすべてが可視化されていくことこそが、新たな公共性を生み出していくのだ。
 そしてインターネットにおける議論という公共性は、新たな民主主義の可能性へとつながっている。
 それはラディカルな民主主義である。

といったくだりで示されているのだが、この具現化はまだまだ、言葉と実践の集積が必要なのだろう。

ただ、言えることは、インターネット不要論者のいう世界には、もはや戻れないということだろう。いくぶんかの世代やグループが、機械文明を避けて隠遁的な生活送った故事のようにインターネットから逃げ出すような暮らしは可能であっても、すべての人々にネットと無縁の生活を遅らせることは不可能だろう。
であるならば、こうした事実や世界を受け入れながら、新しい表現の形、コミュニケーションの形、公共の形を探っていくしかない、ということなのだろう。

2008年9月23日火曜日

松茸御飯!松茸御飯!

カナダ産だけど、れっきとした松茸。ホイル焼きにして、ポン酢、というのもありだが、やはりインパクトの強いのは松茸御飯である。

2008年9月21日日曜日

アカバナと鮭のフライ、豆腐とキノコの餡掛け

アカバナはブリの若子のことらしい。結構あっさりしている。豆腐の餡掛けは味が薄いのが、ちょっと不満だが、まあ良しとする。


イノシシの糞?

お彼岸の墓参りに来て発見。確かに、「イノシシ注意」の看板は出ているのだが、本物なのだろうか?


2008年9月16日火曜日

わかさぎのフライ

ひさびさに地物のわかさぎが手に入ったので、奥さんがフライにしてくれた。
ソースだぼだぼというのも、無粋なので、本日は、塩だけでいただくことにしよう。

2008年9月15日月曜日

MTmailつながりました

投稿できました。。
これで携帯からも投稿できるというものです。画像のアップロードのテストは、また今度。