2008年10月31日金曜日

モロッコでの純愛物語は・・だが、ラマダーン明けの食事が魅力的 -- たかのてるこ「モロッコで断食」(幻冬舎文庫)

前作の「サハラ砂漠の王子様」では、ちょっと場違いっぽい恋愛旅物語を演じた、たかのてるこさんの、文庫本3作目。

今度の舞台は、「モロッコ」である。

で、モロッコでどこなんだ?とWikipediaを見ると


「モロッコ王国(モロッコおうこく)、通称モロッコは、アフリカの国。首都はラバト。アルジェリアとサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)とスペインの飛び地セウタ・メリリャに接し、大西洋と地中海に面している。アフリカで唯一のアフリカ連合未加盟国。」


というところらしく、気候も温暖で、経済的にもアフリカ諸国の中では豊かなほうらしいのだが、日本人にはあまりなじみのない,
イメージの薄い国といっていいだろう。
(Wikipediaには「40才以上の人には「性転換のメッカ」という印象の強い国」といった表現があるが、私も40才以上だが、あんまりそんな印象は持たなかったぞ。)

そんなところで、何をするんだ、ということになるのだが、まあ、有り体にいえば、「断食(ラマダーン)」体験記とモロッコの田舎でのちょっとした純愛旅物語といったところ。

全体に、たかのてるこさんの旅本は、人との出会い(恋愛っぽいものも含めて)が中心で、食べ物には冷たいところがあるのだが、
今回の本は、「断食(ラマダーン)」が根底に流れているせいか、おやっと思う「食べ物」の話が今回は多い。

もともと、ラマダーンも、路線バスに乗り合わせて、地元の人の視線に逆らえず、一緒にラマダーンをやることになったのだが、その日のラマダーン明けの食事のシーンはこんな具合。


 混雑した店内をかき分け、兄ちゃんと席に着くと、すぐにイフタールのセットが運ばれてきた。早速、ハリラを飲んでみる。ハリラはすり潰した豆のスープで、とろみあるドロッとした舌触りだった。細かく刻まれたトマトやタマネギも入っていて、確かにお腹にやさしい感じのする料理だ。
 私はものスゴい勢いでパンを引きちぎってはハリラで流し込み、ゆで卵を口に押し込んでは、水をガブ飲みした。五臓六腑に食べ物と水分が染み渡っていく快感。


どうです。ちょっと「イフタール」が食べたくなるではないですか?


で、話は、そんなモロッコのマラケシュで知り合ったベルベル人の青年(カリッドという名前だ。)に誘われて、彼の故郷の村に遊びに行き、そこで何日も暮らしているうちに、彼の家族の優しさや彼の人柄に惹かれてってな具合で、純愛旅物語が進展していくのだが、この人、結構惚れっぽいよなー、と思うのは、私だけではないはずだ。

まあ、純愛物語だけではなくて、モロッコの田舎の大家族の暖かさや家族愛、そして澄み切ったような自然(けして荒々しいジャングルや砂漠のようなものではなく、飼い慣らされた牧歌的な自然)とあいまって、なにかしら、のんびりとした気分のさせてくれるのが、この旅行記の一番良いところだろう。

そんな家族の暖かさを象徴するような食事のシーンを引用して、このレビューを終わりにしよう。場面は、筆者が青年の故郷の村を訪れて、始めての、青年の大家族とともにとる夕食(その日のラマダーンが終わってからの食事だから「夜食」というべきか)のシーンだ。


 お母さんとお義姉さんが、大きな皿に入ったタジン(煮込み料理)や、どデカいパンを持ってきてくれる。カリッドが直径40センチはあるかと思われる平たいパンをちぎり、皿のまわりに置いていく。

 タジンから湯気がモウモウと上がり、煮込んだ牛肉と野菜と、なんともいえないスパイスのイイ香りがしてくる。さっきからお腹が鳴って仕方がなかった私は、早速パンにタジンをつけ、口の中に放り込んでみた。うま〜っ!!ひとくち、ふたくちと食べるうちに、タジンの美味しさと温かさが全身にじわじわと染み渡っていく。


今夜は、「鍋」にしようかな。

2008年10月30日木曜日

最近のモバイル環境

久々の東京出張。今日のお供は、KOHJINSHAのSA5とCLIE NX70どちらもマイナーっぽい機械だが、使い勝手はまずまずと思っている。
最近はUMPCもサイズが大きくなってきているのだが、やはりあまり大きくなるとB5サイズを持ち歩くのと変わらなくなってしまうので、個人的には7インチでまあしょうがないかな、という感じ。
また、CLIEは、もう絶滅危惧種っぽい状態ではあるのだが、カスタマイズを利かしているので、MP4も見られるし、音楽や、読書端末(本をスキャンして、JPEGして持ち歩くとCFに数十冊は入るよね)として使えば、狭い機内えでこれぐらい重宝するものはない。
まあ、今のところ私的には、出張用もモバイルとしてベストチョイスの状態なのである
(両方とも中古なので、導入コストの面でもね)

2008年10月19日日曜日

ラオス青年に失恋して傷心旅行 -- たかのてるこ「ダライ・ラマに恋して」(幻冬舎文庫)

なんで「ダライ・ラマ」なんだ?と思ったら、どうやら前作で恋仲になったラオス青年に大失恋したのが原因らしい。

前作は、かなりまとまりのない、純愛路線満載で、この旅行記はいったいどうなるんだ、ってな具合だったのだが、今回は恋愛ネタなし(もっとも、ダライ・ラマさま〜ってな具合はあるのだが)のチベット旅行記である。


チベットというところは、ググってみればわかるように、中国の自治区であるところと、インド領とに分かれていて、ダライ・ラマはインド領の方に亡命していて、今回の旅行記は、そのどちらも旅することになる。


チベット自治区では、インド領のダラムサラへの亡命を夢見るチベット人青年や、「もともとチベットは中国のものだから」と言う、近々、チベットの娘さんと結婚する中国人青年に会ったりして、それなりに今のチベットの置かれている状態を考えさせられたりするのだが、まあ、そうした生臭い話は、ちょっとおいておこう。

で、ダライ・ラマと面会できるかもしれないとわずかな期待を抱いて訪れたインドのラダックやダラムサラは民間のシャーマンと会ったり、ナグラン祭りのシャーマンにおもちゃの剣でどつかれたり、前世の記憶のある少女に会ったり、とか、それなりに様々なことはあるのだが、全体として静謐な印象を与えるのは、チベットという土地のもつ性格ゆえなのだろうか。


最後は、ダライ・ラマに会って、目出度し、目出度しになるのだが、このシリーズの中では、ドタバタ感の少ない旅行記であります。

2008年10月13日月曜日

工人舎 SAシリーズにお勧めの無料動画プレイヤー

工人舎 SA5KX08AL (中古)の環境構築の記録。
MPEG4の動画ぐらい見えないとね、ということで、あちこちググルのだが、このPCでは無理っぽい、という情報ばかりであまり芳しくない。
それじゃ試してやれとばかり、MPCやVLCやらを試すのだが、音声が途切れたり、途中でハングしたりとうまくいかない。
で、最後にヒットしたのが、この「GOM PLAYER」
もともとは韓国産のソフトらしいのだが、MPEG4やFLVのコーデックも自動で組み込んであるし、日本語対応もしている。
玄箱Debianサーバにアップしておいた、MP4の動画ファイルも問題なく再生できる。
CPUパワーのない、SAシリーズにはもってこいではないか、と思った次第なのである。

鳥取市”紺のれん”で「ねぎ豚ラーメン」他を食す

初めて入った店。味は、アッサリ系。店の人の数が少ないので回転が悪いのが難といえば難か。


奥さんの頼んだ海老わんたんめん

息子の頼んだ塩ラーメン

これは小包餃子

2008年10月12日日曜日

ラオスで恋愛モード炸裂 -- たかのてるこ「モンキームーンの輝く夜に」(幻冬舎文庫)

「モロッコで断食(ラマダーン)」に続く、たかのてるこさんの旅本第4弾。

この人の旅本は、冊数を重ねるに従って、恋愛モードが高まっていくのだが、今回の「モンキームーンの輝く夜に」は、もう恋愛、恋愛、恋愛・・・・、と恋愛モード満開といったところである。

訪れる国は「ラオス」。
お決まりのように、「ラオス」ってのは? と、Wikipediaで調べると、


ラオス人民民主共和国(ラオスじんみんみんしゅきょうわこく)、通称ラオスは、東南アジアの内陸国。北西のミャンマーと中華人民共和国、東のベトナム、南のカンボジア、西のタイの5カ国と国境を接する。


といったところで、社会主義の国らしいのだが、他の社会主義国と同じく西側諸国とのつながりも必須となっているらしく、また、地理的な面からタイやベトナムとの関係ぬきにしては経済が立ち行かない状態のようだ。

で、今回は、恋愛の相手となるラオス青年(なんと10歳年下だ)に、ピエンチャンで、日本語で話しかけられるところがプロローグになっている。

今回は、最初から恋愛モード炸裂である。まあ、本編は、最初は、ピエンチャンの市場で、土産物店の親子に昼ご飯をご馳走になったり、途中で知り合った青年たちとビアパーティーに行ったり、と、いつもの人懐っこい筆者の旅で始まるのだが、途中、今回の純愛旅のお相手であるラオス人青年「シノアン」と出会ったあたりから、話は、どんどん、どんどん、恋愛モード全開になってくるのである。

まあ、一旦、ピエンチャン近くの、彼の村で恋愛モードになった後に、一人で北ラオスに旅立って、ルアンパパーンと言う町で若い坊さんばかりの寺に遊びにいったり、ルアンナムターという町で、英語学校の臨時生徒になったり、コンドームの普及に歩いている青年たちに会ったり、とそれなりの旅の風情はあるのだが、どうも、今回は、底の方に「恋愛、恋愛・・・・」があって、どうにも、お尻のあたりがこそばゆい。


だが、そうはいっても旅は旅。旅の終わりは確実にやってくる。留学試験に受かって、日本に行くという青年と泣く泣く、ラオスの空港で、涙ながらの別れをすることになる。
日本とラオスと離ればなれになりながら、「早く一緒になりたいよー」とインターネットメールで、不安を持ちながらも、愛を確かめ会う恋人たち。果たして、二人は、いつ結ばれるのでしょうか・・・・?

といったところで、今回のお話は終わる。
さてさて結末は、というところだが、結果は次作「ダライラマに恋して」を待て、といったところ。

うーむ。年くったおじさんとしては、ちょっと今回のネタは辛かったのが、本音である。

2008年10月8日水曜日

塩野七生「ローマ人の物語 31」(新潮文庫)

コモドゥス帝暗殺後の内乱の時代。
4年間の期間らしいのだが、これを長いととるか、短いととるかは、諸説あろう。

はじめに登場するのは、ペルティナクス。66歳の老将である。
キャリアはほんとの叩き上げ。解法奴隷の子として生まれ、シリアの軍団を振り出しに、最後は皇帝までのぼりつめるのだが、近衛兵の長官に裏切られて失脚。理由は、この長官レトーをエジプトの長官にしなかったから

「小事」にまで批判を受けてはならぬという想いで進めると、「大事」が実現できなくなる。大胆な改革を進める者には、小さなことには今のところは眼をつむるぐらいの度量は必要

で、次が、ディディウス・ユリアヌス。この人は、元老院階級に生まれた、根っからのエリート。
このライヴァルになったのが、ペルティナクスの妻の父でフラヴィウス・スルピチアヌス。
この二人は近衛兵の信任投票で皇帝の座を争ったらしいが、決め手は近衛兵へいくら金をわたすかだったらしい。
こんなことをやっていたら、皇帝の信頼が失せるのは、まあ当然で、案の定、皇帝の座を巡って、軍隊を握っていた将軍たちが名乗りをあげる。セブティミウス・セヴェルス、クロディウス・アルビヌス、ペシャンニウス・ニゲルの三人である(あー、名前長くて面倒くさい)。
勝者は、兵力の多いドナウ河防衛戦担当の軍団の支持を受けたセヴェルス。
やはり、実力主義の時代は、良くも悪くも実力(兵力)が決め手なのだね、と思わせるのだが、実は、アルビヌスもリゲルも、セヴェルスと戦うまでに時間を無駄に浪費していたりしたのが敗因になっていて、勝者は勝者なりに、単に兵力が多ければ勝てるというものでもないらしい。


セヴェルスが皇帝になってはじめにやったことは、元老院の彼に敵対する26人の元老院議員の断罪だったのだが、これは、皇帝を争ったライバルのアルビヌス派だった、ということを理由にしてのことらしい。ただ、もともとアルビヌスはセヴェルスの共同皇帝だったのだから、この時の事を持ち出すのはフェアじゃないよな、と思うのだが、泣く子と地頭のなんとやらで、なんとも暗いイメージの新皇帝のスタート。

そのせいか、当時のローマの識者や現代の識者の評価も、筆者の寸評も、どことなく辛(から)い。

いわく、彼のやった軍制改革により軍隊の居心地がよくなったことが、ローマ帝国の軍事政権化をもたらした

いわく、パルティア戦役の結果、パルティアがササン朝ペルシアにとってかわられた遠因となったが、これは、ローマの「三世紀の危機」の時代の「敵」(パルティアのような「仮想敵国」ではなく)をつくったことになった

いわく、生まれ故郷のレプティス・アーニャの大改造は、故郷に錦を飾った、皇帝権力の濫用

などなど。


どうも、このセヴェルスという皇帝、非常に家庭を大事にしたらしいが、息子カラカラによる近衛軍団長官の目の前での殺害事件(もっとも、このカラカラ、後に弟のゲタも母親の前で斬殺しているから、いわくつきの凶暴息子の気配がただようが・、・・)に象徴されるように、なんとなく治世の始まりかあら終わりまでが陰気な印象を受ける。

最期は、軍人皇帝らしく、ブリタニア遠征のために渡英(というか渡ブリタニアか?)先のヨークで死ぬのだが、このあたりも、どんよりと曇ったイングランドの景色のもとで、息を引き取る様子が連想されるのは、私の勝手な妄想かな・・・

2008年10月7日火曜日

塩野七生「ローマ人の物語 30」(新潮文庫)

本書では、最後の五賢帝 マルクス・アウレリウスの治世とその息子のコモドゥスの治世を描いている。

これにでてくるマルクス・アウレリウスは、即位当時の哲人皇帝の静かではあるが、知性的で凛々しい印象が、なんとなく影を潜めているような印象となっている。まあ、始めたはいいが、先の見えないゲルマン諸族との戦いが泥沼状態になっていたこともあるだろうし、エジプトあたりでの反乱も起こっている。

この危機を、マルクス・アウレリウスは実は、現地のドナウ川の前線で、皇后などの家族と一緒に過ごしていて、そこでは

「皇帝の仕事ぶりは、勤勉を超えていた。・・・非常な小食だった。それも日が落ちた後でなければ食事をとらなかった。日中は何も口にせず、テリアクと呼ばれた薬を溶かした水を飲むだけだった。この薬も、多量に飲んでいたのではない。習慣になるのを怖れたのかもしれない」

といった暮らしぶりは、なんとも生真面目ではあるが、ちょっと鬱陶しさを感じさせる。

このへんは、筆者も同じ思いで、戦闘のない冬季には周辺の蛮族の首長などを招いて、将兵が演ずるギリシア悲劇を鑑賞したカエサルの明るさと対比させているのだが、真面目で仕事熱心な人っていうのは、事業を任せるにはいいのだが、共にに暮らすとなると、少々気が重い。で、皇帝がこんな感じだったということは、この当時のローマ帝国の暮らしぶりは堅実ではあっても、生活の華は少なかったかもしれないなーと思ってみたりする。


で、結局は、マルクス・アウレリウスが死亡したというデマによって兵をあげたカシウスの乱を治め、その後の「第2次ゲルマニア戦役」の準備中に倒れ、死期をさとって、薬、食事、無水を絶って死を迎える、という、なんとも優等生のマルクス・アウレリウスらしい死に方をするのである。

正直にいうと、なんとも、辛気臭くはあるなー、という感じ。


で、このくそ真面目なマルクス・アウレリウス帝の後を継いだのが、息子のコモドゥス。

いや、なんとも評判がわるかったらしいですな。この皇帝。

「帝国の災難」とギボンの「ローマ帝国衰亡史」はこの皇帝から始まるとか、いった具合である。果ては、実の父のマルクス・アウレリウスの謀殺の疑いすらかけられている。

評判の悪いのはマルクス・アウレリウスの死後すぐに結んだ蛮族との講和らしいのだが、これは、筆者は、やむをえない選択ではあったが、手をつけると支持率低下必至の政策、と位置づけている。で、あるならば、優れた父を持った、フツーの息子が、よく陥る、例えば武田勝頼とかと同じような
不運さなのかもしれない。

このコモドゥス、その後、実姉による暗殺未遂後、解放奴隷クレアンドロスを重用した側近政治に走り、このクレアンドロスが配給小麦を減らしたりして市民の暴動を招いたり、剣闘の試合に皇帝自ら出場する、といったよくある暗君、馬鹿殿様エピソードを演じたす末に、愛妾と寝所づき召使などに暗殺される、というおきまりの道を歩んでくれる。


いわゆる名君とその不肖の息子の構図は、時代を問わず、世の東西を問わず、という普遍的な原理を示しているような、マルクス・アウレリウス親子の時代絵巻でありました。

2008年10月5日日曜日

早瀬圭一「鮨に生きる男たち」 (新潮文庫)

「鮨」の名店を紹介する本と思いきや、「鮨」に人生をかけた男たちあるいは家族たちの物語である。もちろん、「鮨」に全身全霊をかける職人たちであるから、その店はいわゆる「名店」になっていくのは必然ともいえるのだが、その軌跡をたどる、という性質のものではなく、「鮨」に魅せられ、「鮨」に人生のほとんどを費やしてきた職人たちの歩みの軌跡というべき本である。

とりあげられているのは17人というか17店。

掲載されている店をあげれば
「喜(正式は 七が三つ)寿司」、「鮨 水谷」「神保町鶴八」「新橋鶴八」「奈可久」「鮨 青木」「鮨 徳助」「あら輝」「鮨処 喜楽」「すし処 司」「鮨処 成田」「寿し銀」「吉野鮓」「千取寿し」「松乃寿司」「鮨処おざわ」「すきやばし次郎」
といったところで、鮨通なり美食家の人が聞けば、「あー」と頷く店ばかりなのだろうが、残念何ら、辺境に住まう私としては、一つとして入ったことのない店ばかりだ。

場所は東京はもちろん一番多いが、千葉、金沢、名古屋、京都、静岡とかなり広範囲にわたっているし、店の思いでも、筆者が学生の頃の戦前から始まっているから、時代的な幅も広い。

一体に鮨店というのは、緊張を誘うもので、これは「お勘定」の話もあるのだが(だって、「時価」なんて値札のある食い物屋なんて、滅多矢鱈にないと思う。フランス料理やイタ飯屋、高級割烹にはたしかにあるが、鮨屋はどんな場末の店でも、しっかり「時価」っていうのがあるからなー)、それよりなにより、カウンター
が店の中心で、鮨職人と直接相対するってあたりにあるのではないだろうか。

ラーメン屋とか定食屋は確かにカウンター中心の店はあるが、鮨屋ほど、「直に相対する」感の強い食い物屋はないだろう。
そうした1対1の関係のところで、「お任せ」ならまだしも、一品づつ注文するのだから、かなりの緊張感とともに食事をすることになるのは当然で、正直いうと、この「緊張感」は、私はあまり心地よくない。

ただし、緊張するのは私だけではないらしく、この本の筆者も、最初の店となると、しかもそれが評判の店となると緊張するものらしく

(「すきやばし次郎」に初めて入った時は)

もくもくと食べて14、5分、いやそんなにかからなかったかもしれない。
緊張していて、うまいもまずいもなかった。

という具合であるが、これは

「鮨屋は手が命だから」と外出するときに必ず手袋をし、指の腹の柔らかさを保つため、直接モノを持たない(「すきやばし次郎」の小野次郎氏)

というぐらいの精進をする職人の出してくれる「鮨」に報いるためには、これぐらい緊張して食さないとダメですよ、という筆者の忠告なのだろうか。
たしかに、この本にでてくる職人のいずれも(店を継いだか、親新規開業かに拘らず)長い修行の末に店を持っているし、店を持ってからも、自分なりの鮨の有り様を創り上げるのに相当の修行をしてきている。そうした職人の努力を思って、心して戴きなさいよ、ということなのだろう。


と、まあ、どことなく説教くさくなってしまったのだが、最後に「鮨 徳助」のこんな場面で〆としよう。