2014年12月7日日曜日

小川和也「デジタルは人間を奪うのか」(講談社学術新書)

ロボットに仕事が奪われる職業についての記事に触発されて、本書を読み始めた。

まずは、デジタルあるいはロボット技術の陽の面から始まる。ボストンの爆弾テロで左足を失った社交ダンスのダンサー ハスレット・デービスさんがバイオニック義肢で再び踊りの世界に復帰したという良いニュースから始まる。

ではあるが、デジタル絶賛の書ではない。むしろ、筆者がこうしたデジタルを中心としたコンピュータ、ロボット技術に詳しいがゆえの、デジタル社会の大きな潮流を少しばかり堰き止めよう、流れを阻害しようとする書であるといっていい

構成は
序章 デジタルの船からは、もはや降りられない
第1章 デジタル社会の光と影
第2章 モノのネット化で変わる生活
第3章 ロボットに仕事を奪われる日
第4章 仮想と現実の境界線が溶ける
第5章 脳と肉体にデジタルが融合する日
第6章 「考える葦」であり続ける
終章 デジタルは人間を奪うのか
となっているが、

例えば

子どもたちがソーシャルメディアを使うようになったことで、友達の反応を求める習慣がつき、その結果、子どもたちが「評判を求める行動」へと系統している

ことや

モノがネット化されることで、自宅の家電や自動車、自分が身につけるウェアラブルコンピュータがハッキングされる危険性を考えてネット化を考えるべき

あるいは

パソコンやスマホ、インターネットを。「外部脳」として頼ることによる前頭葉の退化

などなど、第1章から第5章までは、最新にコンピュータ技術、デジタル化の技術とその影の部分が中心。


そして最終章で

さらにデジタルは、人間の脳、肉体に接近、融合しようと邁進している。もし記憶の複製や永遠に止まらない心臓までをも実現してしまったとすれば、人間の死生観は根底から揺らぐことになる。・・・国家も経済も、仮想と現実の世界の境界線が溶けきってしまえば、仮想はもはや現実となり、現実は大きく塗り替えられることになる。

とし

僕は、デジタルが人間を奪うかもしれないという気色の絵あるさ、不気味さこそが、デジタルがもつ可能性の証だと考えている。そして、人間がデジタルと共存し、そこに豊かな未来がひらけることを信じている。

とあるのだが、どことなく否定的な論調を感じるのはしょうがないか・・。
ただ、なんとなくの予感ではあるのだが、本書で提示される、止まらない心臓、人間の足より性能の良い義肢、人工筋肉など、人間のフィジカルな部分の能力を凌駕する技術の開発が止まらないように、コンピュータ、ロボットなど、我々のメンタルあるいは暮らしに関わる分野に、デジタルがますます侵食し、覆っていくであろうと思わざるをえないのだが、いかがか?

2014年11月16日日曜日

佐々木俊尚「自分でつくるセーフティネット」

人と人との紐帯が弱くなっている現代における、新しい人間関係論。

大きな章立ては

1 セーフティネットは自分でつくる時代 ~ 一生安泰はもう終わり
2 総透明化社会の時代 ~自分を丸見えにすることで得られるもの
3 ゆるいつながりの時代 ~強すぎる「きずな」は「同調圧力」を生み出す
4 見知らぬ人を信頼する時代 ~だからフェイスブックがある
5 「善い人」が生き残る時代 ~嘘がつけないネットでは、善い人も悪い人も丸見え
6 生き方そのものが戦略になる時代 ~善悪は宗教や道徳を超える

となっていて、筆者とほぼ同じ時代背景で働き、そして「強いつながり」に時に息が苦しくなったり、それの中にあることに安心したりしてきて、いまだに組織の「中」にいる身としては、同感したり、首を傾げたり、の双方あるところ

例えば

「見てくれる人は見てる」っていう台詞は、終身雇用の家族的な会社では殺し文句

論路的には正しくて反論できなくても、心の中の感情はそれに反応してしまう。そういう時に、上司とか先輩が情けをかけてくれることで、「理には負けたけれども、情けで救ってもらった」と安心することができた。そういう「理」と「情」の二重底で、社会はうまく動いていたと思うんですよ。
日本には「情の世界」がとても乏しくなっています。会社の終身雇用がだんだん崩壊してきて、若い人が非正規雇用に追いやられて「情」を維持することができなくなっています(P6)

というあたりには、ぽんと膝を打ちたくなるし

昭和の時代は「会社」という枠組みがとても堅かった。会社だけでなく、商店街なら商店街振興組合とか自営業の人の世界にも堅い団結のようなものがあった(メーカーの系列とか)
会社とか組合は「箱」のようなもの
みんながきちんとそこに収まって、外の世界と隔てられて安心できる収納箱のようなもの。会社のほうも安心できる仕組みをたくさんつくって「ほら、うちの箱はこんなに丈夫ですよ」みたいなことを競っていた(P27)

というところでは、バブル時代のやけに躁状態であった社会を思い出す。

2014年11月15日土曜日

キリン ほろ苦チューハイ が結構イケる

もう中高年のオッサンであるので、夕刻を過ぎた出張の帰りは缶ビールなどなどが通例となっているのだが、最近、缶チューハイはなんともあの甘さが苦手で敬遠することが多かったところ。
今回、大阪出張の帰りにCMで見かける、ほろにがチューハイを試しに買ったのだが、これが結構イケる。


甘さはあることはあるのだが、抑えめで、ほろにがとはいっても、街の居酒屋で運が悪いと出くわす妙に苦いチューハイのようなこともない。
缶ビールばかりだと、いくら出張帰りの短い時間とはいえあきてしまうし、さりとて「かのか水割り」や「白角水割り」をぐいぐいというのも乱暴なので、こういうバリエーションが増えるのは酒飲みには喜ばしい限りである。
以上、チーズ入りピリ辛ちくわを当て物にしつつの、帰りの特急の車内からのエントリーであった。

2014年11月14日金曜日

NTTドコモの外付けフェリカカードにエールを送るも、対応サービスが不満な件

NTTドコモがiPhoneの外付けフェリカカード「おサイフケータイ ジャケット01」を発売してから10日ほど経つ。

サービス発表の頃(2014.10.22)や発売(2014.10.30)の頃は、ネットのニュースをはじめいろんなところで話題になっていたのだが、さて今はどうだろうか。
個人的な印象を言うと、今まで「おサイフ」機能の蚊帳の外と思われていたiPhoneユーザーへの福音ともいえなくもないのだが、いかんせん対応するサービスが少ない。
現在、対応しているのがANAスキップサービスとヨドバシカメラ、でiDが2014.12、QUICPayは2014年度内対応ということなのだが、電子マネー大手のEdyやPontaは時期未定であるし、SuicaやT-Pointは告知すらないというのは寂しい限りである。
しかも値段が5400円というのはちょっと高い感じがする。

でiPhoneユーザーが「おサイフ・ケータイ」機能から完全に取り残されているかというとそうでもなくて、実は、ケースを使った「(なんちゃって)おサイフ・ケータイ」という抜け道がある。

もっとも2枚刺しOKとか3枚刺しOKとかの謳い文句はあるが、2枚以上になると干渉が激しくて、自分の経験では実用になるのは1枚刺しくらい。
なので完全な「おサイフ・ケータイ」とはいかないが、EdyやSuicaを差し込んでおいて通勤やちょっとした買い物利用には十分使える。

新しもの好きとしてはドコモのフェリカカードという選択も捨てがたいのだが、サービスが少ない今のところ、「(なんちゃって)おサイフ・ケータイ」という現状に満足しているのである。

農業の人材難に思う「ロボットで置き換え可能なもの」

最近
  「オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった」
「グーグルCEO あなたが、望もうが望むまいが現在の仕事のほとんどが機械で代行される」
「ロボット化で35%が失業する?「20年後」にどう備えるか」 
といった記事を読んで、AIのこととかヒューマノイドやロボットのこととか、あれこれと本を探してポチポチと読み始めている。

 そんな折、確か2014.11.11のNHKの朝のニュースで「茨城県 農業の担い手確保でベトナムと協力」と題して農業の人材難のことをとりあげていた。

 番組では 外国人技能実習生で中国から研修生を受け入れていたのだが、中国の経済発展で実習生の定着が難しくなった。 そこでベトナムに目をつけたのだが、安い労働力は多くの国で人材不足となっていて、人材争奪戦が始まっている ということが、茨城県の農家を例にレポートされていた。

 農業の人材不足、後継者不足というのは、以前から、あちこちで対策が必要と言われているのだが、地方の活性化と並んで、功を奏していないものの代表格であるだろう。 であるなら、ここで「人」の確保はあきらめて機械化にとどまらず、ロボット化を本気でやってみてはどうかな。

上記の記事の中でも主な「消える職業」「なくなる仕事」として「殺虫剤の散布の技術者」「造園・用地管理の作業員」もあげられていることでもあり、いわゆる「手作業の良さ」「セラピー」としての「農業」を残すにしても、「食料生産」としての「農業」はロボット化を考える時期なのかも。

 もちろん機械化とかはかなり進んでいることは承知の上で、「人」が得にくいならば「人」を使わない農業というやつを模索する時期なのかも、と思ったのである。

2014年11月12日水曜日

MicrosoftがiOSにOfficeの無料版の提供

今までは、Office365の登録・加入が必要だったiOS版のOfficeの無料版がリリースされたというので、早速iPhoneとiPad2にインストールした。

どちらがどうこう、ということもないのだが、iPhoneの場合はもともと画面が小さい(筆者の環境はiPhone5)ので、閲覧はするかもしれないが、編集や作成はしないよな、という印象
 
かたやiPadの場合は、画面がネットブック程度は確保できるので、携帯キーボードなどと併用するなら使って見る価値はありそうだ。

ただ、利用が拡大するかというとそうとも感じられなくて、ネックとなるのは、私の場合、原稿書きを始め、多くのものはEvernoteで作成して、クリップ・ペーストしたり、メールで送ったりと、Officeのようなソフトを使わなくなってきていること。さらにはレガシー職場のペーパーレスも徐々には進んでいて、説明資料、メモなどは紙の操作メリットを享受しつつも、大部なものはPDFなどの電子ファイルをタブレットなどで見るというワークスタイルの変化がおきているということである。

このあたりはlifehacking.jpさんの「Office for iPad,iPhone,Androidが無料に!でも時代はそれを置き去りにしつつあるという話」でも指摘されているように、こうした「書類」の作成を前提としたワークスタイルは以前強固に残ってはいるのは間違いないのだが、確実に減少してきているという事実は間違いない。

当然、PCやタブレット、スマホが持ち込めなかったり、会議などの場で使うことがあまり歓迎されない職場もあるし、また紙の一覧性の秀逸さということもあるから、全く、ワードなどのOfficeソフトによる資料作成の場がなくなるとは思わないのだが、増えていくことはないよな、と思う次第。その意味でlifehacking.jpさんがEvernoteの方にチップを置きますよ、というのは正解の確率が高い意見と思う次第。

フリーになるということは喜ばしことで、Microsftの意気込みを歓迎してはいるのだが、なんとなくOfficeソフトと、一世を風靡した和製ソフトの「一太郎」「花子」とが重なってきてしまうのであるのだが・・。
 

2014年11月11日火曜日

Scansnap ix500購入

今までScansnap fi-5110EOXという10年ちょっと前に発売されたものを、ローラーやユニットの交換をしてだましだまし使っていた。
さすがに使用年数には勝てないのか部品を交換しても、紙の吸い込み不良や多重送りが多発する状況となり、ix500をAmazonから購入した。

この機種も発売から数年経つので、そろそろ新機種発売かなとは思うのだが、仕事関係も含めて「紙」は極力少なくする生活が染み付いてきたので、シートフィードスキャナー無しでは、ちょっと生活上のストレスが溜まってしまう。

遅ればせながらの使用感想ではあるのだが、やはり、デフォルトでMACに対応しているのと、iPadやiPhoneとの連携ができるところが秀逸である。無線機能は、実はBuffaloなどのデバイスサーバーを使えば旧機種でも対応可能であるのが実証済みなので、さほどの感動をうけないが、やはりタブレットやスマホなどの多機種対応は、我が家にやってくるハガキを含めた紙書類を、とにかくスキャンしておいてあとでデジタルで確認・処理するやり方にマッチしていると思う次第。

このあたりはダイレクトメールも含めて電子情報への遷移がすすめば不要なのだろうが、店のチラシから電気料金やガスの案内などなど紙で提供されるものは、当分なくなってかないだろうから、紙書類の散乱による部屋の環境悪化と生活情報の紛失から身を守る上で、必須といえなくもない。

ただ一つの誤算は、調子が悪くなったとはいえ、必要最低限は使えていた旧機種のfi-5110の調子が突然ガタガタになって、あちこちイジったりしているうちに反応しなくなってしまったことである。自家用車とかも新しいクルマの購入を決めた途端、拗ねて調子が悪くなることはよくあることなのだが、こうした事務家電でも起こることなんでありますな。

2014年11月9日日曜日

松葉カニの味噌汁

ご当地ご飯のエントリーが最近増えてきていて若干反省はしているのだが、山陰の冬の味覚はやはりエントリーせざるをえまい。
松葉カニとはいうが、こちらでは親ガニというメスのカニである。正直なところ味噌汁にする時はオスよりメスとほうが卵もあって美味い。
まずは全景。


2014年11月8日土曜日

Yosemiteの日本語入力環境をまともにする

やはり、というか、いつもの、というか大規模アップデートにつきものの不具合の情報がYosemiteの場合も出てきていて、個人的にもっとも困ったのが、日本語の入力環境がかなり劣悪で、突然に日本語入力ができなくなったのには非常に困った。

解消方法はあちこちのHPで

最新トレンド情報速報.jp yosemiteで日本語入力できないトラブル時の対策

OS Xで日本語入力できない時の対策

とでていて変換学習をリセットしたり、あるいは、Macのファインダーからoptionキーを押しながらメニューから移動→ライブラリーのホルダーをクリック。
そして、Preferncesのフォルダーの中からcom.apple.JapaneseAnalysisのファイルをデスクトップに移動して、再起動したり、といった方法もあるようなのだが、やはりいちばん確実だったのはgoogleの日本語入力を導入すること。

方法はGoogleのこのサイトからダウンロードして有効化すればOK。
有効化できていたら、文字の入力環境のところをクリックし、「ひらがな(Google)」を選択すればGoogleの日本語入力の環境になり、途中で英語変換にロックされたりといったことはなくなる。
iPhoneのiOS7の時の地図の不具合と同じようにGoogleのお世話になるのはApple信者ならば許しがたいことかもしれないが、一番確実なのがこの方法のような気がする。

フィンランド首相の恨み節に思う、複線的路線の大事さ

先だって、ノキア・ブランドが消えてしまうことについてエントリーしたところなのだが、JーCASTニュースのこの記事」によると

2014年10月10日、米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズはフィンランドを最上級のAAAからAA+に評価を引き下げた。これを受け、フィンランドのアレクサンデル・ストゥブ首相は13日、CNBCのインタビューで「アイフォンがノキアを、アイパッドが製紙業を殺した」と発言した。
かつて携帯電話で世界1位のシェアを誇っていたノキアは、スマートフォン市場に対応できず、2013年に携帯電話事業をマイクロソフトに売却。看板産業である製紙業の低迷もアイパッドなど電子リーダーの隆盛に影響を受けたという見立てだ。
一方でストゥブ首相は「われわれは必ずカムバックする」と述べている。

ということのようで、確かに今のノキアの凋落はiPhoneに始まるスマートフォンが携帯電話の世界を一新したことに間違いないだろうから、そうだねと思うところあるが、製紙業のところはどうかな、と思う次第。

個人的な仕事の環境を考えても確かに「紙」を利用する場面は減っているのは間違いないのだが、相変わらず紙の書類や紙の書籍が主流の場面は多いように感じてる。

ちなみに日本紙パルプ商事株式会社のグラフで見る紙のデータのページを見ても、紙の消費量は世界全体で、2008年 391,228千トン、2012年 399,985千トンと、アジア地域の消費が伸びているせいか、むしろ増えている。
もっともヨーロッパ地域では減少傾向にあるし、Kindleを始めとする(けしてiPadではなく)電子書籍の普及はアジアよりアメリカ、ヨーロッパにおいて進んでいるから、その影響をフィンランドの製紙業がもろに受けたというのは正解かもしれないが、紙全体がどうこうというのではなく、アジアへのシフトにうまく対応できていないせいのような気もする。

ただ、まあノキアといい、製紙業といい、モノラルなもので一旦当てると、一国の投資価値を押し上げ、一時代を風靡するのだが、いざ衰退となると一挙にくるな、というのが実感。
特にフィンランドは、ノキアなどによる上げ潮も大きかったから、その分下げ潮を大きく見えるのだろう。

単線的な大成功ではなく、複線的なそこそこの成功を組み合わせることが大事なのかもしれないですね。

2014年11月3日月曜日

自炊したKindleのmobi、KoboのcbzファイルをNexus7で読む

自炊したKindleのmobi、Koboのcbzファイルをタブレットで読んでみようという動機となったのが、7インチのNexus7での利用環境。

1ページごとに解体してScansnapなどでPDF化したものは、Adobeリーダーとかi文庫 for Androidで読んでもいいのだが、いまいち余白の大きさとかが気になって快適ではない。さらに見開きでスキャンしたものは、字がとても小さくて、老眼状態を発している我が身にはとても厳しい。

そこで、KindleやKobo用に加工したデータを使えば、データの使い回しができるし、文字サイズも大きなもので読めるのでは、と思った次第。このあたり、i文庫 for Androidの機能がiOS版に比べても物足りないのも動機の一つ。

で、まずはmobi

Nexus7での場合も、ほぼiPadと同じようにDropboxのアプリからファイルを開こうとすると「このファイルを開くためのアプリをダウンロードしてください。」とエラーメッセージ。iPadの時と異なり、無理やりKindle for androidで開くこともできない。

そこで上図の「エキスポート」でデバイスの任意の場所に保存する。(容量が小さければ"Send to Kindle"という選択もあるが、大概は送れる容量を超えているのが通例だろう) 

鰤しゃぶ を食す

先日、家族で見ていたTVがきっかけで「鰤しゃぶ」を食すこととなった。
 
下ごしらえはそんなにすごくはなくて、鍋に昆布をいれたひと煮立ち。昆布だしをとったら、水菜を入れて煮ておく。
ブリは刺し身用しか市販していないとは思うが、そんなに上等なものでなくてもいい。どうせ、ダシ汁にひとくぐりさせるんだから、ということで、ちょっと多めに用意したものを薄造りにしておく。
 
ネギと水菜を煮たら、あとは火は弱めにして鰤に火を通す。魚のしゃぶしゃぶの通例で、火を通しすぎるのはよくない。表面の色が変わるぐらいでいい、とはいうものの、大概は火の通し加減に失敗して煮えてしまうのはご愛嬌というものか。
 
あとはポン酢をかけて、ワシワシと食う。
肉のしゃぶしゃぶは途中で脂に負けて食べるスピードが落ちるものだが、魚系のしゃぶしゃぶはそうしたことが少ないような気がする。漁労民族である日本人であるゆえか・・。

2014年11月2日日曜日

鹿肉ウィンナーを食した

以前、イベントの際に頂いた鹿肉ウィンナーを、遅ればせながら食した。

調理法は、茹でて焼く、という、かなりシンプルなもの。

断面はこんな感じ。

脂のつぶつぶは見えないが、かなりジューシーというか脂分たっぷりで肉好きには嬉しい。いい具合に調理してあるのか臭みもなく、どちらかといえば濃厚な味わい。
ジビエの初歩として、こいつは良いね。

Pouch推薦の舟和の芋羊羹のバター焼を食す。意外と美味い。

Pouchのここで推薦していた舟和の芋羊羹を食してみた。


まず素の状態。


通常の羊羹のようにねっとりした食感はなく、あっさり目なお味。ぽくぽくした感じは好みが分かれるところか。

次はオーブンレンジで焼いたもの。


見た目はともかく焼き芋そのまま。甘みが素の時より強調される。
最後にPouch推薦のバター焼+アイス添え


あまり綺麗に写真は撮れなかったか味はこれが一番良し。バターの焦げた風味と芋の出過ぎない甘みとアイスの濃い甘さがベストマッチ。洋菓子というわけではなくて、和魂洋才の味といったところか。


炒めたパリッとしたところにアイスが沁みて、良い感じを出している。
これは結構オススメである。

2014年11月1日土曜日

柚子こしょうを食す。意外に辛い。

うちの奥さんが最近良く見かけると、柚子こしょうというものを買ってきた。
胡椒というから黒胡椒とかと同じような顆粒状のものかと思っていたら、予想外のチューブに入ったペースト状のもの。


色は薄い緑色で、山葵似

ロールキャベツ、おでんで食してみる

柚子の香りがして風味付けには良い感じであるが、味は予想外に辛い。辛さも胡椒辛さではなくて、唐辛子の辛さである。


ただ後を引くことなく、すっと消える辛さなので、けっこうペタペタと付けて食べても良い感じである。
和芥子のツーンとくる感じが苦手な人には代わりに良いかも。

2014年10月29日水曜日

「朝型勤務が注目されている」という話に反発してみる

読売新聞で「朝型勤務で効率アップ、企業に広がる・・・残業削減」という記事を見つけた。(元記事はこちら)
 
 早朝に出社し夜の残業を減らす「朝型勤務」が企業の間に広がりをみせている。
 仕事を効率化させ、社員の私生活の充実や、残業代など経費の削減につなげるのが狙いだ。
 政府も6月にまとめた新しい成長戦略で、仕事と生活の調和を取るために朝型勤務の普及をうたっている。
 ただ、同じ企業内でも部署ごとに仕事内容が違うため、一律の義務づけは難しそうだ。日本総合研究所の村上芽めぐむさんは「(主に社内で仕事が完結する)総務系などの部門では実施しやすいが、社外とのやり取りが多い部門は朝型に抵抗を感じるだろう」と指摘する。 


取り組んでいる企業としては伊藤忠、八木通商、オプトといったところが取り上げられているのだが、「うーむ」と思うのは、朝型勤務が、いわゆる「残業代削減」という文脈で語られているところ。これは、政府の改訂成長戦略でも同様で、「働きすぎ防止のための取組強化」という文脈なので、フレキシブルなワークスタイルの模索と言うより、経営効率のよい「働かせ方」という臭いがして、このあたり好意的でない話もちらほらみかける。

  J-CAST ウオッチ  "政府主導の朝型勤務 「大きなお世話」"
 
 
個人的にいうと、「一律に朝型勤務」というのは単純に労働時間をシフトさせるだけの話だから、時間外短縮の効果ではどうかな、という気がするし、少数の取組なら穴場効果もあるが社会全体が「朝型」になるということは保育所から通勤とか結局、今の状態の時間繰上げになるだけでは、と思う次第。

望むらくは、働き方の自由化というか、フレックスや在宅勤務、ノマド勤務を含め、全体としての勤務環境の緩さの実現手法と、きちんとした勤怠管理、実績管理、貢献度管理(よく実績だけで仕事の成績を評価しようという話が短絡的にでるが集団的組織で仕事をする場合、組織貢献度的な側面も考えないとささくれた職場になってかえって組織全体の成績が落ちる気がしている)の手法の確立がまず全体として必要なのではないかと思う。

一頃のように「ノマド」が一番効率良く生産的な働き方といった論説は、生産現場や研究現場を含めた労働現場全体を見ていない話であったと同様に、今回、「朝型勤務礼賛」もそれがすべての解のようになってくると、これまた全体を見ていない、全体最適を考えない話のように思える。

まあ、あまり一つの方向ばかりに偏らず、、これはこれ、それはそれ、あれはあれ、と複眼的にやったほうがよいのでありましょうな。
 

手話を音声に変換するデバイスがもたらす世界

「IRORIO」のサイトでこういう情報を発見。(元記事はこちら)
UNI」というデバイス。タブレット端末のような見かけだが、内部には手の動きを認識する最新のモーション・センサーが取り付けられており、なんとその場で手話を音声に変換してくれる
    (中 略)
「UNI」は、現在クラウドファンディングの「Indiegogo」にて12月20日まで資金提供を受け付け中。
残念ながら、日本語にはまだ対応していないようだが、未来の社会への投資だと思って、出資してみては?


健常者→障がい者の意思伝達の方法ではないので、障がいのある人にとっては、まだまだ、という思いもあるかもしれないが、ICTや新しいデバイスがキャズムを埋めようとしている試みとして評価していい。健常者→障がい者への対応、例えば、AIを使って音声を手話や骨伝導に変えるとかのことができるようになれば、双方の意思伝達のストレスが激減するよね、と思う。

こうしたことは、「言葉の問題」にも言えて、非英語圏の人間が言葉のハンデを超える手段として、英語に堪能になるということも選択肢ではあるが、google翻訳のように外国語を母国語に引きよせる取り組みがもっと加速されてもいいような気がする。それは母国語が英語でない我々が先導し、英語圏の人々へリリースするという動きが大事で、googleなど英語圏の方から非英語圏のほうへよってくる形ではイニシアティブを向こうにとられたままで、向こう側から必要の薄い言語 と思われれば、はいおしまいということにもなりかねず、それは中国経済の大躍進で日本語を学ぶ欧米人やアジア人が減ったという現象の再来が頭をよぎるのである。

このあたり、「外国語ができる」というのは一種の売り込み材料だから現実的にやる動機が・・・、ということにもなるんだろうが、「ワークシフト」で描かれていた、仕事や業務のグローバル化はさけては通れないだろうから、未来において、「日本語」を母国語環境とする人々が悲哀を感じないように、まとまった形で始まらないものか、と夢想するのである.。

2014年10月28日火曜日

自炊したkindleのmobi、koboのcbzファイルを「iPad」で読む


持ち歩き書籍の減量化のため、書籍を自炊(PDF化)し、何冊かKindeやKoboで読む用にmobiやcbz形式にChainLPで加工してそれぞれの端末で読むということをしている。

KindleやKoboの端末にへは、send to kindle でkindleの個人用のクラウドに送るか、あるいはKinldeやKobo端末とPCをUSBでつないでファイル転送するのが通常なのだが、今回は、iPadで無理やり読めないか、と試してみた。

条件は

①ファイルはDropboxに入れて、そこからダウンドロードする
②ファイルはkindleやKobo用に余白を切ったり、スキャンデータのページ調整をしたmobiあるいはcbzファイル

ということで、まずはmobiファイル

Dropboxでファイルを選択し、開こうとすると「読み込みエラー」がでるので無視して、「アプリを選んで開く」を強行。
ここで「Kinldeで開く」を選び、Kindle for iOSのアプリで開くと、
 
iPadの画面大になったmobiファイルを読むことができる。


cbzのファイルの場合も「読み込みエラー」が出るのだが、「アプリを選んで開く」ではKoboアプリがでてこないので、別のアプリ「SideBooks」を使う。無料アプリなので財布には特段影響なし。


このアプリの下の方に小さく「dropbox」というアイコンがあるのでこれをタッチ。
 Dropboxにアクセスできるので、保管したところからダウンロードして開けばOK。


画面は同じくiPad大に拡大されている。
しおり機能もあってi文庫風ではある。しおりのメール転送機能もあるようす(試していないので挙動は保証のかぎりではないが)
 
iPadぐらいの画面サイズであれば、pdfファイルをi文庫でダウンロードして読めば、他所から借りた書籍などの必要なところをスキャンした見開きデータもあまりストレスなく読めるので、ここまでやらなくてもいいかもしれない。
 
iPad miniぐらいのサイズだと必要かもしれない。当方、iPad miniは持っていないので、そのあたりは検証できないところである。

2014年10月26日日曜日

佐々木正悟、青木さやか 「書類整理ハックス」(ソーテック社)

すでにコモディティ化してきているともいえるScansnapなどのドキュメントスキャナを使ったファイリングの、改めての入門編といったところだろうか。
こういった類いの書籍は、そもそもなぜスキャニングするのか、とか、いくつかの機種を選定して操作方法やらが書籍の半分ほどを占めてしまうことがよくあるのだが、類書と違って、「とにかくスキャニングする」を大前提にして、方法論からテクニックまでが記されているのが本書の良いところ。

いわゆる「自炊のススメ」というより紙データをどうするかが中心で、スキャンのメリットが,マニアックでなく説かれているのも好印象で、たとえば

紙もデジタル化したからといって、問題が何もなくなるわけではないが、少なくとも物理的にはちらからないし、テクスト化すれば検索できる。
最も重要なメリットは「クラウドに一元化」できること。どんな情報でもiPhoneやiPadがあれば読めるようになる(P48)

と割り切られているところが小気味よくてよい。

本書を読みながら思うのは、やはり、未だ「紙」のデータの豊富さというか、多さだろう。一頃、メールやウェブサービスによって「紙」媒体がとってかわられるような話があったが、自分の身の回りを見渡しても、電気などの請求書、企業からのお知らせ、ダイレクトメールなどなど日常生活で「紙」によって伝えられてくるものは大量にあるし、仕事上に至っては、紙書類は減ってはいるのだろうが未だ膨大であるという事実である。
だからこそ自衛の手段として、こうした「スキャニングのススメ」がまだまだ枯れたネタにならないところで、このあたりは同じような時期に流行った「ノマドのススメ」と違うところだ。


いくつか本書のトピック的なところを紹介すると

従前のドキュメントスキャナを使った紙データ管理に加えられているところは「スキャンしたデータはクラウドにアップする」(P68)、
「大事なものはクラウドのあげる」というルールづくりは不要。買い物メモだろうと、落書きだろうとかまわないからとにかく機械的にアップすること。クラウドにメモの履歴、メモの歴史を築いておく(P72)

とクラウドでの管理が前提となっているあたりは、Dropboxなどのクラウドサービスのコストがとても安価になっている時代背景とマッチしているといってよいし、

レシートのスキャンは習慣化する。1日分まとめてスキャンする。予定というものはカレンダーを見ればなにがしかのことはわかるので、これに紐づけできるようにする(P99)

といったところは昨今のライフログ・ブームにも沿ったところではある。

また、取り込んだ情報の整理に「ピンポイント情報」かどうかという尺度を入れて

「ピンポイントで必要になる情報」は「それが何であるか」で分類する、例えば「名刺」であれば「名刺」というフォルダやEvernote の「名刺」と名付けたノートブックにいれる、とか
「領収書」「交通費」「クレジット明細」など「それが何であるか」で分類整理するのがもっとも現実的
ピンポイント型情報では、「それがいつ利用したものか」をスタンプする
ピンポイント型情報の書類は「もらった日に取り込む」「手に入れた日に取り込む」という習慣をつける。「一言コメントをいれる」習慣をつける)日付、場所など)(P92)

といったところも参考になるか・・・

何にせよ、紙データのスキャニングは、始めないことには実感しようもないものでもであることは事実で、個人的な経験でもやりはじめると、みるみる周りの紙が減っていってすっきりしていくのも事実であるし、スマホやタブレットを使っている人であれば、いつでもどこでもスキャンしたデータにアクセスできる便利さはこたえられないものがある。いきなりハイエンドの機種には敷居も高いかもしれないので、モバイル用のものからスタートするというのも一つの選択肢、本書の購入とセットでドキュメントスキャナ・デビューというのもいかがか、とおススメする次第である

2014年10月25日土曜日

「買い物難民、2025年には598万人に」に思う、集中か分散かの選択

読売オンラインの記事で
 
 農林水産省の農林水産政策研究所は、自宅から生鮮食料品を扱う店まで500メートル以上あり、自動車を持たない65歳以上の「買い物難民」が2025年に全国で598万人にのぼり、10年の382万人から200万人以上増えるとの推計をまとめた。
 
  ( 中 略 )
 
推計によると、買い物難民は、「都市的地域」と「農村地域」のいずれでも増加する。より顕著なのは「都市的地域」で、10年の181万人が25年には349万人とほぼ倍増し、「農村地域」の249万人も上回る。
 
 
というのを発見。
 
日本創生会議が人口激減のシミュレーションを発表してから、人口減少問題や地方の活性化で喧しいのだが、それと同等に。この「地方部、都市部問わず買い物難民増加」の推計もまともに考えないといけないことではないか、と思う。
というのも、創生会議のシミュで人口が持ちこたえるところである都市部ですら「買い物難民」が増加するということは、マスとしての総人口論ではなく、ミクロの個人の暮らしが成り立っていかない、ということを示しているのではないかと思うからである。もちろん、体の丈夫な若い世代や車の運転できる層が引き受ければいいんじゃない、ということかもしれないが、車の運転ができる層が、周りの老人、子供、幼児、障がい者などなど数多の「車の運転ができない人」の買い物や日常生活の細々を代行できようとも思えないのである。
 
こうしたときにとかくコンパクト・シティ、都市化と集中化を進めようということになりがちなのだが、この際、分散して住む、その際の生活手段の解決を機械的な仕組みを使ってなんとかする、てな方向にいかないものだろうか。
というのも、集中化っていうのは手っ取り早いかもしれないが、集中化は一頃のような過度の競争と周辺部の荒廃を招く公算が高い。それに人間というもの、孤立して快適生きていける動物ではないが、さりとて、ひどく密着して生きるのが心地よいほど群集的な動物ではない。
 
分散によるフラット化とフラット化による薄く広がった開発構造にしていくほうが、むしろ息の長い緩やかな発展が望めるのではないか、と思う次第(ひどく感覚的なんだがね)。国土のかなり隅々までカバーしだしているネット・インフラや、ドローンのような物理的な輸送手段の現実化によった社会システムができないものだろうか・・。
 

「ノキア」ブランド消滅に思う「ブランド力」というもの

日本経済新聞のWebなどによると
 【シリコンバレー=小川義也】米マイクロソフト(MS)は24日、ノキア(フィンランド)から買収した携帯端末事業のうち、主力のスマートフォン(スマホ)のブランドについて、「ノキア ルミア」から「マイクロソフト ルミア」に名称を変更すると発表した。
 近く発表する新製品から切り替える。「フィーチャーフォン」と呼ばれる従来の携帯電話機は「ノキア」ブランドを当面使い続ける(元記事はこちら)
とのこと。マイクロソフトの公式発表ではないから、定かなことではないかもしれないが、買収の頃から名前がいつまで使ってもらえるか、といったことは取りざたされていたから、ああ、その時期が、ついに来たかといったところではある。
「ブランド名の力」ということを考えれば、今回MSが名前を使うのをやめるというのはわからなくもなくて、新技術と世界標準を示していた「ノキア」という「名前」は、すでに「Apple」や「Google」といったブランドに取って代わられているし、普及性という意味では「Samuson」いや「Xaomi」にすら取って代わられている状態なので、昔、携帯の世界標準であった「ノキア」という名前を使うのは「昔は家柄もよく云々」を表していいるだけになっているから、企業戦略としては納得がいくものではある。
一方で、ひと頃は、アメリカなどの超大国ではない、北欧の中小国であるフィンランドを世界ブランドに押し上げ、フィンランドの教育から社会体制まで、ありとあらゆることを日本は見習うべき、といった論調の根拠(例えば「フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書 (0453))
」など)になっていたメーカーであり、ブランドでもあるので時代の趨勢の変化というのはなーという思いに駆られないでもない。
ノキアの凋落はスマホ対応やら諸々理由があるだろうから、そこは識者の分析に任せるとして、思うのは、ひとつのブランドにイメージを頼ることの怖さであって、このあたり、Samusungと韓国、ひところのSONYと日本といった構図でもある。もちろん、Nokia,Samusung,SONYの業績が悪くなることは、それほどの規模の企業となれば当然その国の経済に悪影響を与えることは間違いないのだが、それ以上に企業のイメージが色あせるのが、国のイメージが色あせてくるような感じがするのだ。
このへん、ひところのGM,,GEといったイメージから何でもありのイメージとなったアメリカや、もともと企業イメージではなくてChineイメージのみの中国とはかなり異なっているように感じていて、複数のイメージを抱え込んでいくほうがかなりタフな戦略をとれるような気がしているのである。

2014年10月23日木曜日

iPad2にiOS8.1をインストールした

iOS8.1がリリースされたので、おそるおそるではあるが、iPad2にインストールしてみた。
 
「おそるおそる」というのはiOS8.0の時に勇んでインストールしたのはいいが、CPUが非力なためか視覚効果が悪さしてなんとも動きが遅くなり、iOS7に戻そうにも時間切れで戻せなくなってしまったことがよぎったため、
(動きの遅くなったことには、こちらのサイトを見てたいしょしたことはしたのだが、もっさり感は拭えないままである。)
 
インストールは、ダウンロードにもかなり時間がかかって、寝る前にダウンロードを開始させて放置、早朝にインストール。
出勤時間までにインストールが間に合わなかったので、再び放置して出勤、仕事が終わって帰宅後、挙動を確認
 
というかなり時間だけは費やしたアップグレードになった.
 
アップグレード後、操作してみるが、どうも挙動が安定しないので、一旦電源を切って再起動。
 
もっさり感はいまいち残り、アプリが起動するまでに一瞬待つ感じはあるが、、どうにか我慢して使えるレベルまでに達したような感じ。
 
視覚効果を切っているので、スタート画面はこんな感じになるのだが、慣れればなんとかなるか。

とはいっても、買い替えの時期は近いかもしれないですな。
 
 


Yosemiteアップグレード後

" 先だってMac OSをアップグレードしたのだが、その後の状況。
 
Fiderの挙動がうまくいってない印象がある。
PDFの編集をするのに、WindowsのようにAcrobatやCubePDF-Utilityといったアプリを個別にインストールしなくてもデフォルトのFiderでページの削除や結合が簡単にできるので重宝していたのだが、どうもページ結合がうまくいかないことがある。
 
OSを立ち上げて動かすとどうということもなく、ドラッグ&ドロップでPDFの加工ができるのだが、それを閉じて別のファイルを編集しようとするとフリーズしてしまう状態になる。ここでOSを立ち上げなおすと再び編集ができるようになるので、コピー・ペーストの機能がなんかうなくいっていないのかもしれない。
 
OSアップグレード後は、よくある現象といえばそれまでなのだが、早く落ち着いてほしいものではある(まあ、WindowsのOSのアップグレードの場合と比べたら些細なものなんだけどね・・)
 

2014年10月21日火曜日

iOS8.0をiPad2にいれたら激遅になってしまったので改善策を試す

幸いというか、ぎりぎりというかiOS8はiPhone4SとiPad2までは対応しているので、喜び勇んでインストールしたのだが、視覚効果の拡充やらが古いCPUでは荷が重いのか、激しく遅くなたのと、よく落ちるようになってしまった。
 
iOS7まではなんとかついてきていた感じがあるのだが、やはりここらが限界、新しいiPad-Air2も出たので買い換えろ、ということなのかもしれないが、ここはいろいろ足掻いてみるのが、資金難のデバイス好きというもの。
(すでに時間切れでiOS7には戻せないしね)
 
で、ここらのサイト(iOSを入れたiPhone4S/iPad2の動作を軽くする3つの方法)を参考にiOS7の時にも古い機種で効果があったらしい「エフェクト効果」をいじってみる
 
操作は
 
「設定」→「一般」→「アクセシビリティ」とたどり、
 
「視差効果を減らす」を ON
「透明度を下げる」を ON
 
画面の印象が結構変わるので、好き嫌いはあるかもしれないが、iPad2を使い続けるなら我慢のしどころ。
劇的にサクサクというわけにはいかないが、改善はしたように思う。
 
iOS9あたりになると、iPad2やiPhone4Sは、おそらくは対応機種から外されてしまうのだろうが、まだ使える機種の範疇と思うので、ぎりぎりまで頑張ってみようかと思っている次第。
 
このほかにもiscle 「動作が重いiPhone・iPadを軽くする5つの方法」あたりをみると
・常駐アプリの削除・終了
・メモリ解放アプリを使う
・キーボード入力を軽くする
・変換学習をリセット
などいくつか対処方法もあるようなので、順番に試してみますかねー
 

2014年10月20日月曜日

MACのOSをYosemiteにアップグレードした

リリースされてから、App Storeの表示がダウンロードを急かして煩いので、新OSリリース時点でよくあるドライバなし、とかの不具合を気にしながらダウンロードすることにした。
 
かかった時間は20分から30分ぐらいだと思うが、出勤前の慌ただしい中でのアップグレードだったのでやけに長く感じたのは確か。ひょっとするともっとかかっているかもしれないが無事アップグレード成功。

 

今のところ、周辺機器のトラブルは極小で、まずまずに滑り出しというところか。
デザインは、iOS8特有ののっぺりしたデザインなのだが、まあiOS7のあたりからその嗜好に慣らされてきた身としては、いずれ気にならなくなるだろうと思う。
 
ただ、妙に用意周到なAppleらしく、デザインに締まりがないと感じた人向けにいくつか設定がいじれるようになっているらしいので興味ある方は試してみてもよいかも
 
 

2014年10月19日日曜日

iftttを使ってみた

アカウントはとっていたのだが、なんとなく億劫で放置していたiftttを遅ればせながら使ってみた。
 
独自のレシピをつくる能力はもとよりないので、既製のレシピを使うことにして、やり方は HOMR画面のChannelsのところで、「Pocket」とか「Toodledo」とかのマークを選んで、レシピを選んで「Add Recip」をクリック。
 
それぞれのアプリを認証を求められるので、それそれ認証して、「Done」をクリックすると My Recipesに追加される
 
日本語表記のものもたまにはあるが、ほとんどが英語表記なので、そのつもりで望むこと
 
今回、導入したのは
 
・PcketでスターをつけるとEvernoteへ保存
 ・Googleカレンダーで新規予定を登録するとToodledoへ保存
 
という二つを一先ず登録
 
なんということもなく、動くのが拍子抜けなのだが、それぞれ反映されるには少々時間がかかるのであせらないことが要点
 
痒い所にイマイチ手が届いていない感じもあるのだが、まあここはおいおいカスタマイズすることにする。
 
いろんなことが自動化されるっていうのは、ちょっと良いことなのだとあらためて思う次第。
 

2014年10月5日日曜日

IIJmioの格安プランがさらに拡大。OCN モバイル ONEも追撃。

Nexus7はSimフリーのタブレットなので、Docomoとかのメジャー・キャリアではなく、MVNOのキャリアを使うのが定番といえば定番で、ここがメジャー・キャリアの勢力下に置かれているiPadのセルラー版へのアドバンテージ。
 
で、私の環境と言えば、以前、安売りしていたビックカメラ系のIIJmioを使っていて、最近、b-mobileやOCN、イオンに押されているよね、と思っていたら、10月1日から、一番安価な月額900円のミニマム・スタートプランで、1Gから2Gへ高速通信のデータ通信の容量が増量された。
 
私が購入した頃は500Gで、少々心もとなかったのだが、それが1Gに増量され、さらに今回2Gになったという次第、誠に喜ばしい。というのも、最近、デスクワークが多くて、Mac book airを持ち歩くことが多いのだが、今までのiPad-wifi+Mac book air+rNTTの光ポターブルからNexus7+Mac book air(with Nexus7のテザリング)という環境にして出来るだけ普段の持ち物が減らせないかな、と思っていたからでもある。
 
もちろん、メインのスマホとして使うには足りないかもしれないが、メインはiPhoneで、MVNOのSIMで使うのはタブレットの通信+Mac Book airのテザリング利用なので、まあこれぐらいあれば、高速通信の切り替えをアクセクしないでも、一応快適に使える状態になるかもしれないと淡い期待を抱く。
 
しかし、Dropboxの容量拡大といい、IIJmioの今回の増量といい、クラウドと通信の世界は、新たなダンピングの世界に突入したような気がする。メガ・キャリアが今後どう動くか、楽しみでもあり、怖くもあり、なのである。
 
とここまでエントリーしたところで、JJImioだけかと思っていたら、OCN モバイル ONEも月額900円のプランで50G/日を70G/日に増量するらしい。こうなると解約しようと思っていた光ポータブルの復活もありか・・・。OCNは追加SIMの料金が安いのと、容量をシェアできるのが強みなんだよな。
 

Nexus7の「マイ・ライブラリ」を編集する

iOSだとこういうお節介な表示は出ないのだがAndroidmを使っていると邪魔になってくるのが、この「マイ・ライブラリ」と「おすすめアプリ」
 
で、この表示を編集・削除する方法を検索。
 
やり方は次のとおり。
 
①「マイ・ライブラリ」「おすすめアプリ」を長押し。そうすると、範囲を編集する囲みラインと「× 削除」の表記がでる(画像の場合はでていないけど)ので、削除ならば×をタッチ(かなり早い速度で消えるのでスピードが大事)。大きさを小さくしたりしておく程度の編集でよいなら「ー●ー」をタッチ、大きさを調整。


②削除してしまったけど、もう一度復活させたいな、という時は、「設定」→「ウィジェット」と辿ると「再生ーマイライブラリ」というのがあるので、これをタップ。そうするとこういう画面になるので、どれを再生するかを選択。
 

まあ、これで大きな面積を占有していた「マイ・ライブラリ」などのアプリの表示面積を編集できる。
ただ、Nexus7はメーカー系の余計な細工が入っていないので、Android端末としてはこれ以上のものはないように思うのだが、iPadに比べてこうした既設定なものが多いような気がする。もともと、Appleのおせっかいなシステムに飽き飽きしたユーザーが飛びついたOSなのだから、基本はスッピンで提供して欲しいところであるな。
 
とはいっても、iPadやiPad miniよりも大きさも小さく、セルラー版にしてもかなりお安いというのはアドバンテージは以前あるのは間違いないな。
 

手書き機能はiPad一択。Nexus7はストレス溜まる。

タブレットを利用するなら手書きで様々なメモや記録残しておきたいのだが、iPadとNexus7を比較すると、やはりiPadに軍配が上がる。
 

同じアプリて試して見ても、Nexus7の方向は感度が悪い。
 
使ったアプリは
Note anytime
Evernoteの手書き
Stetchの手書き機能
 
使ったスタイラスは
Bamboo solo
エレコムのタッチペン
Sofmapの安売りで売っていた伸び縮みするタッチペン
Su-penの改造ペン(Su-penのペン先だけを購入して鉛筆のホルダーに装填したもの)
 
であるのだが、どのアプリ、どのスタイラスもNexus7では途中で反応しなくなったりして、続けて書くには、ストレスが溜まる一方であった。
 
iPadの方は画面サイズが大きいということもあるのだが、やはり専用といわれているBambooやsu-penではさらさらと書けて、途中で反応しなくなることもなかった。しかもさほど力を入れなくても良い。
 
一方、Nexus7の場合は、書いている途中で反応しなくなるトラブルにかなりの頻度で見まわれ、使いものになったのは、Note anytime+Su-penの組み合わせの場合ぐらい。しかも、この場合もかなり強く書かないと難しい、といった状態であった。(Su-penで書いたところはこんな状態。)


Nexus7にはケース付属の安物のフィルムを貼っているのが原因かもしれないが、ひとまず手書きでノート代わりにしようということは考えない方が良さそうだ
 
 

常見藤代「女ノマド、一人砂漠に生きる」(集英社新書)

2012年の初版なので、当時流行していた「ノマド本」と間違われることも多かったであろう本書。
内容は、エジプトの砂漠に住む女性(かなりの高齢だが)のところへ、日本の会社を辞め、フォトジャーナリスト志望の若い女性が、砂漠の生活を何度かともにする、そうした何年かの記録である。

訪問は数年にわたり、はじめは4泊5日から、そして20日と砂漠の生活を送る時間も増えていく。そこで、砂漠あるいは遊牧生活というものが、我々農耕民あるいは定着人と全く異なるメンタルかというとそうでもなくて、砂漠ではあっても、そこに携帯、車といった現代文明はかっちりと根をおろしているし、また、それに伴い、人の意識も変わってくる。また、イスラム世界の一夫多婦制がもたらす、女性の人間関係の軋轢など、洋の東西を問わず、人間(ひと)の世でおきるものは、どこでもおきるのである。

さらに、

彼女の持ち物についても同じだった。最初の頃は、サイーダはラクダに積みきれるだけの荷物で暮らしていると思っていた、しかし、実は、砂漠の中に荷物置き場を数カ所持っており、すぐに必要のない荷物を保管していた。そこにはドラム缶が数個あり、色とりどりのガラビーヤが入っていた、それと一緒にマニキュアや手鏡数個、スカーフ数枚、指輪3個・・・なども。(P244)

のように、そもそも身近な物以外は持たない、というノマドあるいは遊牧民への、定着民の勝手な幻想も、そこここで壊されるのも面白い。

一方で例えば

鍋に小麦粉と水、塩ひとつまみを入れ、ゆっくりとこねる。こね終わる少し前に、山のように盛り上げた枯れ木に火をつけておく
枯れ木が炭になったところで、それらを脇にどけ、」熱くなった地面に平たくしたパン生地を置く。それに炭をのせて片面を焼く。時々棒で表面を触って、焼き具合を確かめる
片面が焼けた頃を見計らって、生地を裏返し、もう片面も焼く
表面についた廃を布でパンパンと勢いよくはたく。ところどころにできた焦げ目を小石で削り落とせばできあがり(P34)

という「ゴルス」という炭と砂で焼くパンや結婚における

遊牧民同士の結婚では、男が新生活に必要な物すべてを用意する。しかし、相手が遊牧民ではない場合、新郎新婦それぞれが分担しあうのが普通(P155)

という風習や女性が人前に出ることが戒律で極度に制限されているがゆえの

結婚した女性の異性との接点は、夫婦間に限りなく限定されていく。そして夫婦関係は緊密になり。それが相手への強い執着につながる(P190)

という性向には、砂漠特有のものやイスラムならではのものを感じさせるし、

遊牧生活は、天候など周囲の環境に大きく左右される。家畜を増やしたくとも、雨が降ってく差が生えなければ、どうすることもできない。そんな彼らの置かれた状況が、運を天にまかせる。すなわち人間以外のもっと大きな、神のような存在を信じる姿勢につながっているのではないか(P80)

には、植物が放っておいても繁茂する、「湿気の多い」島国のメンタリティとは異なる「一神教」の世界を垣間みるような気がする。

ただ、そうはあっても、変わらない、共通するものはある。
世界の隅々まで機械化と断片化とネットワーク化が進んできたことのあらわれなのだろうか、砂漠の民もやはり「自由への渇望」は強いらしく、居住地で働く20代の男性の「昔の遊牧生活は体力的にキツくて収入も少なかったけど、自由に働けるのがよかった」や「昔は仕事は今より大変だったけど、みんな助け合った。今はみんあ自分のことしか考えちゃいな。人のつながりは弱くなってしまった」といった話や「今は1つの場所にたくさんの人が集まっているから、問題が起こる。ずっと昔から、私たちは離れて暮らしてきた。でも心は近かった。今は近くに暮らしてても心は遠い」は、ここ極東の地でも同じようなことが囁かれているのではないか。

昔の姿を懐かしむ意識、しかし、定住を含めた現代文明の流れはとめようもなく、心があちこちできしんでくる、そういった思いを感じさせる「砂漠の滞在記」である。

2014年10月4日土曜日

遅ればせながらNexus7 2013 のバージョンアップ

しばらくOSの管理は放っておいたせいもあって、Nexus7のOSのバージョンが4.4.4にアップしていた。
 
内容はバグ修正とかマイナーな修正のようで、ネットを見てもそうそうのトラブルはないようだから、アップデートすることに。
 
タブレット情報→システムアップデート とたどり、4.4.4が降りてきているのを確認してアップデート。
あとは緑のドロイドくんの腹のところでぐるぐる動いているのを見るだけ・・・
 
自動的に再起動して終わり。不具合も特段発見されないし、そのかわり体感的な変化もない。
 
Nexus7のよいところは素のAndrloidなのでシステムアップデートがあると大概サポートされるところ。
iOS8も出たところであるし、そろそろ次のバージョンのLolipopがリリースされる頃合いでありましょうか?
 
Nexusの2014バージョンの噂もちらほらしているし・・・
 

2014年9月27日土曜日

南場智子「不格好経営 チームDeNAの挑戦」(日本経済新聞出版社)

元DeNAの社長で、現在は取締役の南場智子氏のDenaの創業からの回顧録。


企業の浮沈、経営の毀誉褒貶は浮き世の常なので、善悪、良し悪しの評価ではなく、変化の激しいITベンチャーが立ち上がり、有力企業へと一気に育っていくに関わった経営者の「記録」として読んでおく。

こうした新興の企業の創業者の話は、時間単位で企業の様子が変化していっているので、その経営にまつわる話もスピード感あふれているとともに、短期間の企業成長なので、それぞれに独特の味(当然、その中には灰汁も含まれているのだが)を持っていて、自分の人生にどこまで使えるかは別として、効果の強いカンフル剤のような心地をうけるもではある。


とりわけ、彼女のようにコンサルタントではあったものの経営の素人から会社をつくり、業務開始前にシステムの「コードが一行もかかれていない」といった終末的なトラブルに見舞われるも、なんとかクリア。しかし、その後もYahooなどの大手との競り合いのすえのモバオクの成功、モバゲーの成功、そしてそれと並行するシステムトラブルの解決や、会社がぐんぐんと成長していく様を、どんどん流れていく動画のように読ませるのが本書といっていい。

構成は


第1章 立ち上げ
第2章 生い立ち
第3章 金策
第4章 モバイルシフト
第5章 ソーシャルゲーム
第6章 退任
第7章 人と組織
第8章 これから

となっているが、マッキンゼー時代やDeNAの会社立ち上げや成長物語は第6章まで。この辺りは現物にあたって、そのスピード感を味わって欲しい。

ビジネス書的に、おっと思われたところは

P91
なんの寄る辺なく起業する人は、有名な大企業のサポートをとても心強く感じてしまいがちだ。けれども、大企業を大株主にぬか得る場合、状況は変わりうる、という当然のことを頭に入れておく必要がある。・・・あちらも変われば、こちらも変わる。支援の内容や有用性、株の保有意向など、不変なものなど、ひとつもないのである。

P198
この意思決定については、緊急でもない事案も含め、「継続討議」にしないとおいうことが極めて重要だ。コンサルタントから経営者になり、一番苦労した点でもあった。
継続検討はとても甘くてらくちんな逃げ場である。決定には勇気もいり、迷うことも多い。もっと情報を集めて決めよう、とやてしまいたくなる。けれども仮に1週間後に情報が集まっても、結局また迷うのである。・・・こうしたことが、動きの速いこの業界では致命的になることも多い。だから「決定的な重要情報」が欠落していない場合は、迷ってもその場で決める。

P200
自分の仕事にオーナーシップを持っているメンバーは、必要な仕事を進めるために使えるものは有効に使うもので、そこに社長が含まれている場合も多い。

P204
決定したプランを実行チーム全員に話すときは、これしかない、いける、という信念を前面に出したほうがよい。本当は迷いだらけだし、そしてとても怖い。でもそれを見せないほうが成功確率は格段に上がる。事業を実行に移した初日から、企画段階ではよ予測できなかった大小さまざまな何台が次々と襲ってくる。その壁を毎日ぶち破っていかなければならない。迷いのないチームは迷いのあるチームよりも突破力がはるかに強い。

P214
人は、人によって育てられるのではなく、仕事で育つ。しかも成功体験でジャンプする。それも簡単な成功ではなく、失敗を重ね、のたうちまわって七転八倒したあげくの成功なら大きなジャンプとなる。
人の成長は、グラフで表せるものではないが、もしあえてグラフにするならコンスタントな右肩上がりのカーブを描くことは珍しく、多くは階段型だ。しばらく何も身動きできない苦しい時期がある。ところがそれを乗り越え小さくても成功したときはグンと階段を上がるようにジャンプする。

最後に、文筆業に専念するためにDeNAを退職する社員のメッセージが、この会社の→のようなまっすぐさを、ひとまずは表現していると思うので、引用して〆とする。

P229
7年前、DeNAに就職することが決まったことを告げた時も(退職して文筆業に専念すると伝えた時のように)彼らは同じように言っていました。
「お前、大丈夫か?」「将来をちゃんと考えているか?」と。
"選択"に正しいも誤りもなく、選択を正しかったものにする行動があるかどうかだけだと信じています。
この考え方は、DeNAで学んだ多くのことのうちの一つです

2014年9月21日日曜日

iOS8とiPhone6にかこつけてWifiルーターを買い替えた

息子のiPhone4をiPhone6に機種変更することして、本日がその到着日。
 
で、データの移行をさせるべきiTunesのアップデートやら、私のiPhone5やiPadやらのアプリのアップデートをしようとするのだが、やけに遅い。App storeがやけに混みあっているような印象。
 
もともとWifi環境もCoregaの古い無線ルーターなので、パフォーマンスも悪いのだが、これ幸いと無線ルーターの新調を奥さんに提案したところ、息子がウームと唸っているせいもあるのか、あっさりOKされた。
 
で、注文したのはこれ。今までと違ってアンテナが内蔵されているのは、少し気になるがざっくりと見た限りで評判の良いのをチョイスした。
 
本当は、奥さんの許しがあったので、フラッグシップであるBUFFALO 11ac(Draft) 1300プラス450Mbps 無線LAN親機 WZR-1750DHP2/N [フラストレーションフリーパッケージ(FFP)]
を注文しようかと思ったのだが、amazonの評価の悪いこと、悪いこと。どうもBuffaloはフラッグシップで失敗する傾向がある。玄人志向など裏バージョンでは、エッジの立ったものを出すし、エントリーモデルではコストパフォーマンスの良いものを出すのになぜかな?
 
まあ、今回のApp storeの混雑は、iOSの発表、iPhone6が発表されて最初の土・日曜日だからアクセスも最高潮だったからだろうが、まあ、これを口実にルーターが更新できたのは、漁父の利、というもかもしれないですな。
 

2014年9月20日土曜日

自然保護とスポーツツーリズム

今、自然保護関係の仕事にも関わっているのだが、そこでイベント、とりわけスポーツ・ツーリズムのようなものを仕掛けることが多く、自然保護とどう関係するんだ、と効かれることもあるので、釈明を兼ねて、自然保護とスポーツツーリズムについての所見を少し。

自然保護と相性の良いのは、エコツアー、ネイチャー・ツーリズムであるのは当然なのだが、そこに焦点をあてているだけでは自然保護への理解を示す層が狭くならないか、ということが懸念としてある。特にネイチャー・ツーリズムは、「保護」という観念が強く示されることが多いので、限られた人数にしか提供できないのでは、という思いが強い。

もちろん、貴重な自然の遺されたところは、そこができるだけ荒らさないようにする、というのが最優先になることはもちろんだが、そうでないところは、できるだけ広い層に提供する仕掛けをつくって、そこの自然に触れ合ってもらう、興味をもってもらうことが、そこの自然を守らないとね、というきっかけ、動機づけになるのではないか、と思うのである。

人間誰しも、自分と遠い存在への愛着は薄くなるのが通例だから、体験面、意識面で近い存在としていくことが、天然記念物ではなく身近な自然を守っていく、育てていくことにつながるのではないか、というのが自然豊かなところでイベントをしかけるべきでは、という主張の一つの柱。

そして、なぜ、スポーツか、というと凄く高尚な理屈はなくて、会うポーツやる人ってのは、もともとアウトドア好きだから、「自然の中」っていうのにも親和性が高いから、いわゆるインドア系の読書家やゲーム好きにターゲットを絞るより、「自然派」になってくれる可能性も高いのでは、というぐらいのことである。

まあ、こうした「自然保護」といった分野、ともするとカルト的になってしまうような気がするので、できるだけ、いかに「庶民的」にやるのが肝要かな、と思う次第である。

ジビエと鳥獣捕獲

過疎地域に属する町の町長さんと機会あって、ちょっと雑談した。

その町では、過疎地域の町村の常として、イノシシ、シカ、クマが人家近くまで出没して、様々な対策をとるのだが、なかなか思うようには・・・。駆除した獣肉は、ハムやソーセージに加工して販売もしているのだが、特産として大々的に売り出すには、有害駆除のものであるので捕獲量も安定しないという課題もあって、というお話であった。

「ジビエはヨーロッパでは貴族の食べ物で」などと大上段に振りかぶる話でなく、その時思ったのは、今、鳥獣保護法が改正されて、来年5月の施行を待っているのだが、その中の「鳥獣捕獲事業者」の制度(「鳥獣保護法」から「鳥獣保護管理法」へ ~増えすぎたシカやイノシシとの共生のために~)がうまく使えないかな、ということ。

もともと、この法改正は、最近被害がひどい鳥獣害に対処するため、一部の鳥獣について「保護」→「管理」という環境省にしては画期的な思想転換を図った法改正だと思っているのだが、この事業者を過疎地の自治体が育成あるいは専属でつくって一定の地域の鳥獣の「捕獲の請負」と「捕獲した獣肉の加工」、もう一つ加えると「販売」まで一括してやれるようなシステムができないかな、ということである。

 
民活に任すという手もあるのだが、ビジネスになる「鳥獣」が量とれるところなぞは限定されるし、捕獲も加工も資格や設備がいるから、本当に鳥獣害に悩んでいる過疎町村で「民間」が手を伸ばしてくれるかははなはだ疑わしいの思うのである。それならば、どのみち有害鳥獣の駆除が必須なら、「公的マタギ」をつくって、地域振興のネタもつくりながら駆除もできる仕掛けをkんが得手もいいのでは、と思う。
 
コスパがどうかね、といった議論もあろうが、もともとほっといておいても増える鳥獣被害である、輸入穀物に頼っている「肉」の自給率を高める方策としていろんところでやってみてはどうかな、と妄想しているのである。
 

2014年9月19日金曜日

NHKプレミアム おそろし 三島屋変調百物語

宮部みゆきの時代劇人情ホラー「おそろし 三島屋変調百物語事始め」のテレビドラマ化。
都合5回の放映の3回目で、あと2回あるから感想めいたものはそれからでもよいのだが、原作と同じ章立ての5回であり、NHKのこと、そうは外れていかないだろうと思うので、このあたりで。ひとまず個人的に勝手に総括。

波瑠の主人公おちか役は、はまり役といってもいい。許嫁を目の前で殺された痛手を抱えた若い娘の様子が、あの大きな目とどうかするとぽぉとした感じが抜けない感じとでなんともアンバランスな様子が漂うのが、役どころの「おちか」の立場の不安定さと不安を象徴しているようでなかなかよい。

それにもまして、「曼珠沙華」、「凶宅」、「邪恋」と続いた3回までの秀逸は、なんといっても「凶宅」の小島聖。あまり他の番組で見ないのだが、今回の役は、ちょっと狂的なところが、なんともあの薄い顔立ちとマッチして不気味さを醸し出していた。声がなんともか細いのと、演技なのだろうが、貼り付いたような笑顔が、まあ、なんとも美人なのだが儚いような怖いような,、恐ろしいような・・。

今後の放映は「魔鏡」、「家鳴り 」と続いて、最終話では「安藤坂の御屋敷」との対決もあろうから、ひょっとすると再びの出演となるかもしれないので楽しみにしておこうかしら

2014年9月14日日曜日

下川裕治「週末台湾でちょっと一息」

「週末バンコクでちょっと脱力」に続く週末シリーズの書き下ろし。
もともと下川氏のシリーズにはタイ・バンコクもの、飛行機・鉄道ものに加えて、沖縄ものがあるのだが、台湾の旅行記は、どちらかというとその「沖縄もの」の一環であったように思う。
今回は、最近ちょっと手あかがついてきた感がある「沖縄」から少し独立して「台湾」を正面からとらえたものとしては興味深い一作。

構成は

第一章 空港バスが淡水河を越えるときー日本からの飛行機
第二章 台湾式連れ込み安宿に流れ着いたーハンバーガー屋のメニューに入り込んだ蚤餅
第三章 ご飯とスープを勝手によそって、台湾に来たな・・・と思うービールを勝手に冷蔵庫からとり出す店の値頃感
第四章 自転車で淡水往復 五十キロの表道と裏道ー北海岸をバスで走り、テレサ・テンの墓へ
第五章 夜市の蟻地獄テーブルに座って、赤肉食加里飯を逃すー下に刷り込まれてしまった日本食
第六章 濃密な自然のエネルギーを腕の痒みで知らされるー漢民族のなかの軋轢
第七章 独立派の根城のビールが教えてくれる"政治の時代"ー台湾省
第八章 北回帰線から鹿港へ。清の時代の街並みのなかで悩むー各駅停車で台湾一周を試みたが
第九章 台湾在住者が提案する週末台湾

で、「週末バンコク」と同様、数日間の短期旅行としてのしつらえは同じである。

ただ、バンコクと違って、(最近の領土問題を巡る事象は出てこないまでも)中国との台湾の微妙な立ち位置や第二次世界大戦時の日本軍統治の時代の複雑な案件は垣間見えて、親日的な感じにほっとしつつも、手放しで"南国最髙"といったノーテンキな状態にはならないのはしょうがないところ。

さりとて、下町の食堂の風情や料理、夜市のメニューで昔風のカレーライスがあることやタクシー運転手の気の優しさなど、他の国とは違う台湾ならではの「なごみ感」を行間に感じるところが、当地の嬉しいところではある。さらに、挿入されている写真を見ても、繁体字といえ「漢字」があるのは、やはり漢字文化圏の日本人としては安心感を紡ぎだす作用があるのは致し方ない。
観光案内、現地案内として読もうとすると期待はずれになるが、異国の、しかも日本に近しい国の現地の佇まいを楽しむには良い本である。

2014年8月31日日曜日

DropBoxの大盤振る舞いに驚く

有料プランにしてはいたものの容量のチェックまではいなかったのだが、いつの間にか100Gから1Tにグレードアップしていた。何かの間違いかと思い、申し込んでいるプランを確認するが間違いない。DropBoxのサイトで確認するとどうやらプロのプランが一律に1200円/月の料金でグレードアップしているらしい。いやはや太っ腹な対応に驚きました、恐れいりました。

DropBoxもいまや様々なオンライン・ストレージ・サービスから追われる立場だからの措置なんだろうが、この料金でこの容量を提供されると、ちょっとほかに乗り換えようと言う気が失せてしまった。おまけにいままであちこちのストレージサービスに預けていたファイルをまとめてみようかと思い、思わず内蔵のHDDの注文をしてしまった次第である。

正直なところ、動画などのデータを除いて、自炊本のデータや仕事関係のデータ、写真などなど、ほとんどの個人用のデータは1T内にほとんど収まってしまうのである。そんなわけで、Pogoplugとか玄箱DebianのSambaサーバーとかの容量がそっくり浮くことになりそうである。

無料半のDropBoxユーザーで容量が一杯なりそうな人や、あちこちのオンライン・ストレージ・サービスを併用している人はDropBox一手に絞ってもいいかもしれない、と思った次第である。
 

2014年8月19日火曜日

Rhodia No.11で使うボールペンを発見した

紙の手帳とはかなり前にご無沙汰となっているのだが、ちょっとした覚え書きやアイデアメモには、やはり紙のメモ帳はかかせないもの。メモ帳は普遍の人気のRhodia No.11にカバーをつけて使っているのだが、このサイズに合うボールペンを探していたところ、ジャストフィットっぽいものを発見。
 
ZEBRAのSL-F1ミニという伸び縮みするボールペン。
 
縮めた時の長さは8.3cm、伸ばした時は10.7cm

で、何が良いかというとRhodiaのカバーにぴたっと差せるところ。
このカバーは内側のカバーとRhodiaの隙間があまりないので無理なのだが、隙間の多いカバーなら内部に差しておくことも可能だろう。(Rhodia込みで1200円〜1400円でビックカメラに売っていたもの(このカバーは確か800円ぐらい)はもっと余裕があったと思う)
 
Rhodiaをカバー付きでお使いの方は検討されてみてはいかがか。

グロースハック本を2冊読んでみた。

2012年頃から流行言葉になっているらしく、検索してみると取組事例や売り込みがぞろぞろとでてくる「グロースハック」について、遅ればせながら2冊ほど読んでみたところでの雑感

グロースハック、あるいはグロースハッカーというのは、あちこちの定義らしきものをみると「極力お金を使わずに、仕組みやアイデアでサービスを継続的に延ばすこと」で「成長(グロース)をエンジニアリングの力を利用して仕組み化(ハッキング)すること」をグロースハック、こういうグロースハックを担う人材を「グロースハッカー」というらしい。

注目を集めたのは2012年のアメリカ大統領選挙で、この手法を使ったロムニー陣営が、ウェブサイトやSNSなどのメディアを使ったマーケティングで短い期間で多額の選挙献金を集めたところかららしく、どうしてもその中心にウェブというものがどんとあるな、という印象は否めない。

そのせいか、ハックの手法の中心はどうしてもWeb系が中心で、HPの画面遷移の違いによるユーザーの行動などWebの分析手法であるとか、それに基づいたWebページの改善やアクセス改善が中心の話となるので、デジタル系だけではなく面と向かった折衝であるとか説得行為が多い仕事(おそらくこの世の仕事の多くを占めると思う)、あるいは実際の手作業が必要な技術的業務の場合は、座り心地が悪いのは間違いない。

ただ、そうしたアナログ中心の仕事で全く使えない代物かというとそうとも思えなくて、それは「グロースハックの要所はPDCAのサイクルをいかに早く回すかということ」であったり「グロースハックとは、ツールキットというよりマインドセット(考え方)」といったあたりで窺うことができると思う。

2014年8月14日木曜日

墓参りでイノシシに遭遇した

わが田舎のお盆では夕方に墓の灯籠に火をつけに行くというのが、ならわしになっているのだが、その際にイノシシに出くわしてしまった。
 
田舎と言っても、地方の県庁所在地のそんなに深くない山の一角につくられた墓所で、近くには住宅団地もあろうかというところなのだが、そんなところでの遭遇である。イノシシをはじめとする獣害は、山間部ではよく聞く話なんおだが、こんな身近なところで体験するとは思ってもみなかった次第。
 
しかし、住宅地の近くに出没するということは、山間ではもっと頻繁に出没するということで、なにやら獣と人との協会が再び曖昧になっていて、今後、地方の過疎が進んでいけば、以前の人獣混在の世が再び訪れるのかもしれない。
 
古は人が獣を追いやった訳だが、今回ははたしてどうなることか・・

2014年8月2日土曜日

デバイスサーバー LDV-2UHを使ってみる

リンクプレイヤーを購入したのをきっかけに、最近、家の中のデバイスをネットワークでどうつなげようか、と考えることが多くなった。
すでに玄箱DebianサーバーやNAS、Pogoplugといったのは導入しているし、今回、まあなんとかながらテレビもネットワークに参加できた。プリンターは安物のエントリー機ながら無線LAN対応なので、残るはScansnap f5110という古いドキュメントスキャナを残すのみとなった。
最近のFI-IX500なぞを買えば当然ネットワーク対応しているのだが、部品交換をしてまだまだ使えるので、お蔵入りするのはなんとも惜しい。
 
ということで、Buffaloのデバイスサーバー LDV-2UHを購入。I-O DATAという選択もあったのだが、評判もおなじぐらいであるので、より安価な方を選んだ次第。
 
設定の方は、なんとも悩むほどのこともなく、LDV-2UHとハブ、ScansnapやUSB-HDDとLDV-2UHと繋いで、添付のCDからドライバとアプリをインストールして終了。Mac BookはMavericksには対応していなかったので、Buffaloのサポートページから最新のものをダウンロード→インストール。
 
設定画面が立ち上がる(これはMac bookの画面)ので、接続したいデバイスを選択してリンクすればUSBで接続していたと同じように使えるようになる。
 
速度はScansnapなどのスキャナはUSB接続の場合と違いは感じられないのだが、USB-HDDの場合、特に今回試してみたのが 1.5T、2Tの容量のものだと無線接続の場合は読み込み、切断に時間がかなりかかったので、HDDの場合は有線でLANに接続していたほうが良い感じである。
 
iPadとの連携も成功(windows8、Mavericksともfi-5110を動かすには日本版でなくGlobal版のドライバが必要なのだが、Mavericksのバージョンはs1300のバージョンで動作するんですよね)。
 
かなり使えそうなデバイスサーバーでありそうな予感がする。
 

2014年8月1日金曜日

鳥取のカレーメンチカツサンド

最近、出張で羽田空港を使う際、息子の土産+自分のおつまみ用にカツサンドを買うことが多い。
先だっても、ヨシカミのカツサンドを買って帰ったところなのだが、それに触発されたのか、家人が鳥取のカレーメンチカツサンドなるものを買って帰ってきた。
 
鳥取といえば、カレー(ルウ)の消費量が以前に日本一になったのきっかけに、カレーで町おこし的なことをやっているので、それ系の製品であるらしい。(ルウが日本一ということで、駅前に餃子の像があったり町を歩くと餃子屋ばかりが目に付く宇都宮あたりとは違って、インドよろしくカレースパイズの匂いで街中が埋め尽くされているわけではない、念のため=そうなれば。どれはそれで面白いだろうが=)
 
追加のカレースパイスが入っていて、物足りないむきはどうぞ、ということなのだが、当方、こういうものは味見もせずにかけるのが習性で、少々かけすぎたのは後で反省。
 
肉はメンチカツということでヒレカツやロースカツサンドに比べると少々物足りないが、カレー風味が効いているので美味しく食せる。キャベツとか余計なものがあまりないので、カレー、メンチカツ、パン、とごつごつとした素材が味わえるのが良いところかも。パンはトーストのほうが個人的には好みかもしれないな。
 
まあ、駅や空港で見かけたら食してみてはいかがであろうか。
 

2014年7月31日木曜日

紫蘇の醤油漬け

庭に紫蘇が大繁殖していて、刺身のツマやそうめんの具というのも消費に限界があって、なにかないものかと探していると
この【簡単レシピ】「シソの醤油漬けが簡単な上に冷や奴や白ご飯にマッチして美味い!アレンジが楽しい!!」のエントリーを発見。よく探すとクックパッドでもいろいろ紹介されている逸品であった。
 
で早速、真似をする。
 
1 シソを洗う
2 シソを容器に入れる
3 調味料を適当に入れる
 
とあるので、こうした時の習い症で、勝手に翻案。
 
調味料として醤油をヒタヒタ、みりんを少々。醤油は途中からたまり醤油も使用。そして、シソとシソの間にスライスにんにく、わさびをたっぷり溶かし入れ、という製法で作成。
 
シソが少なくなれば、また摘んできて漬ける、といった感じで漬け汁が濃縮していくほど旨味が出る気がする。
かれこれ1週間ほど漬けては食し、食してはまた漬けるという繰り返し。熱い白飯にはもちろんいいのだが、なによりお薦めは「冷や奴」である。
 
一晩置けば食せるのだが、漬け込んでいったほうがニンニクの香りがついて、個人的には好み。
もっともかなりにんにくの匂いがあるの気に入られたい女性に会うときはご注意を。
 

2014年7月27日日曜日

お薬手帳の電子化・クラウド化を希望する件

日経コンピュータで「ソニーとパナソニックが電子お薬手帳を展開、異分野参入の狙いとは」という記事。
ソニーとパナソニックが、電子お薬手帳ビジネスに乗り出している。ソニーは2014年7月から、2013年秋から試験運用している「電子お薬手帳サービスharmo(ハルモ)」の運用地域を拡大。
パナソニックヘルスケアは7月15日に、電子お薬手帳を運用できるサービスを、「ヘルスケア手帳」の名称で調剤薬局に向けて発売した。
 
ということなのだが、個人的には電子化を加速してほしいのはもちろん、あわせて病院の診察券や保険証も含めて電子化を進めて欲しいところ。
 
なにせ、齢も重ねると持病も増えてきて、あちこちの病院に定期的に通院するようになってきているのだが、いつも面倒なのが、それぞれの病院の診察券と保険証とお薬手帳の持参。特に診察券とお薬手帳は忘れてしまいがち。
忘れたところで総合病院でなければ、カルテだしに時間をくったりなどのことぐらいなのだが、いちいち「お持ちになってますか?お忘れですか?」といちいち聞かれるのも面倒で、しかも違う病院の診察券を出して苦笑されるのもしゃくである。
 
ということで「診察券」+「保険証」+「お薬手帳」という感じで一つのカードなりにまとめれるようになると嬉しいんですが、どこに頼めばいいのだろう?誰かやってくれないかな。
 

2014年7月26日土曜日

ミョウガのチアリーダー

暑さはまだこれからなのだが、地中的には夏も過ぎつつあるのかもしれなくて、我が家のへっぽこ菜園の遅成りのミョウガが出始めた。
今年は昨年よりも雨が多いので、ミョウガの成長も良く、そうめんの季節に間に合ったという次第か。
で、その中に先っぽに芽が出ていて、チアリーディングしてくれているようなミョウガを見つけたのでご披露。


2014年7月22日火曜日

京丹後市の立岩

京丹後市で会議があったので、ついでに立岩のあたりまで足を延ばしてみた
 
山陰の松島や天橋立のあたりとは似ているようで少し違って、のんびりとした風情が漂う
 
川がとろとろと流れているせいか、とりわけ時間の流れがないように感じる。
海水浴シーズンではあるのに、人一人いない砂浜海岸というのは、なにか取り残されたような感じが漂って寂しい限り。
 

川にかかった橋の上から見るとこんな感じ。


ただ、観光、観光と言わない頃の景勝地というものは、普段はこんなものであったのかもしれなくて、文人墨客、俳人あたりはこうしたうらぶれたところをかえって好んだのかもしれないですね。
 

ひさびさに「亀の手」

先日、海岸ベリを遊覧船で巡ったときに、岩にびっしりついていて、そういえば久しく食していないな、と思っていたら、家人もそう思ったのか、本日の食卓に。
 

最初に食べた人は本当にエライものだと思うが、案外イカもの食いは人の習性なのかもしれなくて、そう考えれれば、ホヤとか納豆とか、普通なら食わなかっただろ、というものが普通に食されている。
 
食に飽いてこうしたものを食すのではなくて、とにかく変わったものを求めるっていうのが、人の性なのかもしれないですな
 

2014年7月13日日曜日

AV-LS700の設定の件 その4

思うような設定ができず、いい加減頭に血が昇っているAV-LS 700の設定なのだが、「ファイル共有」の設定で判明したことがいくつか。
 
マスタブラウザがないとファイル共有機能が使えないので、ネットワーク内でPCガ少なくとも1台は動いていないとダメなことは、価格COMのHPでも紹介されているのだが、どうもそれだけでは無理で、ワークグループの設定もからんでくるよう。
 
というのは、偶然娘が自分のPCを立ち上げている時に。AV-LS700のファイル共有を立ち上げるとそのPCを認識した、という次第。早速、手持ちの動画鑑賞用に使っているノートPCのワークグループ名をWORKGROUP(これはWindowsのデフォルトの設定だよな)にすると、まあ、「目出たく」認識されたという次第。もっともログインの認証ができないので、万事解決というわけではないし、相変わらず裸のNASは認識しないので、これで快適に使えます、ってなわけではない。さらにいうと、ワークグループ名の任意設定ができず、デフォルトの名前でないと認識しないっていうのもどうかと思う。
 
ここ1〜2週間、AV-LS700の設定をあれこれするのも疲れてきて、総評すればけして使いやすい機械ではないという印象。
まあ、TVでisoファイルが再生できる機械が1万円程度で手に入ると考えれば、まあ、そんなものかと思うのだが、なんにせよ設定が手強い機種であることには間違いない。試行錯誤を厭わない人むけであるな。

AV-LS700の設定の件 その3

DLNAサーバー機能はあまり悩まずに認識するし、ファイル表示もするのだが、なにせ再生環境がかなりお粗末。当然DLNAなのでisoファイルの再生はDLNA自体が対応していないし、本機特有の設定らしくMPEG4もファイルによってはダメなものもあり。
 
なおかつ、VOBファイルもダメ・・・。これは痛いな。ファイル共有機能が使い物にならない状態ではネットワークプレイヤーとしては、せめてVOB対応ぐらいはしてほしいのだが、これではネットワークプレイヤーとして使い物にならない状態。
 
古いTVでアクトビラとかYOUTUBE対応になるのは便利なのだが、今のところ、当方の環境としては、USB接続のiso再生機としての使い道ぐらいしか特筆するものがない。
 
ファイル共有機能が強化されれば、ネットワークプレイヤーとして使えるのかもしれないが、お値段の割に、うたい文句は別にして機能が実質お粗末な気がする。あまりお買い得ではないなと実感。

2014年7月12日土曜日

AV-LS700の設定の件 その2

ファイル共有がかなり不調というか、全く機能しない状態なのでしかたなくUSB接続でHDDをつないでみる。
 
ISOファイルは1.5Tと2.0TのHDDに溜め込んでいて、今使っているHDDケースは1本のUSB
で2つとも接続できるものなのだが、無事、2つとも認識してくれる。
 
ファイルの表示構造はあまり誉められた構造ではないのだが、まずあず英語表記のものなら文字化けしない。日本語表記のものはつぶさに見る時間がないので後日検証することにする。
 
isoファイルは特段のトラブルもなく再生。
送るボタンで一応スキップもできる。Chapterも表示されるのでUSB接続の場合はまずまず使えそうな気がしてきた。
 
ただ、メデイアサーバーとして動かしてみたのだが、HDDが2つ繋がっているので×と蹴られる。1つでないとダメみたい。

2014年7月11日金曜日

AV-LS700の設定の件

溜め込んでいるDVD-isoのファイルをつれづれ、暇な時にみたい、それもTVで、と思い立ち、少々古い機種ではあるのだが、I-O DATAのAV-LS700を購入した。
 
最後までBuffaloのLT-V200と迷ったのだが、こちらの方がDTCP-IPに対応していているので動画再生には何かと融通がきくだろうと思った次第。
 
初期設定は既に最新のファームウェアが導入されていたりしたのでどうともなかったのだが、その後の設定が難物で、いまだに試行錯誤中である。
 
まず「ファイル共有」機能を選択しても、「サーバーが見つかりません」状態のまま。決定ボタンを何度か押すと「しばらくお待ちください」になってそのまま・・・という現象。
 
使っているNASは「裸族のNAS  CRIB35NAS」で当然サポート対象外であるので、大口は叩けない(当然、玄箱DebianのSMBサーバーごときは認識してもらえないものと諦めてます)のだが、Windows7 64bit機でファイル共有設定をしても同じ状態なのが解せない。
 
ネットにはWindows7 64bit機で接続できないという記事も散見するのだが、なんとも理由がわからないところ。マニュアルに沿ってpingを打ってみると反応しているようであるし、NASのメディアサーバー機能には対応するので何かしら認識はされているようなのだが・・・
 
ひょっとしてワークグループ名をデフォルトから変えている(WORKGROUPのままで使うのが一般的なんだろうか?)のでそのせいか、とも思ったのだがAV-LS700にはワークグループ名を変更する機能が見当たらない、ときている。
 
で、ここ2日間あれこれしたのだが、少々頭に血が上ってしばらく中断。USB接続のHDDからはisoファイルも再生できることがわかったので、しばらくそうして使おうと思うのだが、これでは "ネットワーク"メディアプレーヤーではないよな・・・
 

2014年7月6日日曜日

蔵前仁一 「あの日、僕は旅に出た」(幻冬社)

本書の「はじめに」によれば、氏の職業は「文章書き、編集者、グラフィック・デザイナー及び出版社社長」であるそうなのだが、アームチェア・トラベラーを自負する私にとっては氏の処女作である「ゴーゴーインド」は読み遅れたが、「旅、ときどき沈没」に始まり、「旅で眠りたい」「世界最低最悪の旅」などなど、アジアを中心とするバックパッカーの貧乏で少しヤバくはあるが蠱惑的な旅の話を読ませてくれる旅行記の語り手という存在。

ただ本書は「旅の記録」というわけではなく、その裏手の話。

構成は

第一章 インドへ
第二章 アジアへ
第三章 再びアジアへ
第四章 「遊星通信」の時代
第五章 「旅行人」の時代
第六章 転機

となっていて、インド旅行から「インド病」にかかり、それをきっかけにデザイン事務所を退職、旅行記作家+出版業、そして再びの旅行記作家へ、という氏の半生記である。

半生記といっても、そこは氏らしく、我が来し方を語るといった風情ではなく、旅行が好きで、旅行で見知った様々な地を人に教えるのが好きで、といったバックパッカーよろしくの悪戦苦闘の話でもある。

思えば、蔵前仁一氏や下川裕治氏などの旅行記と日本人の海外旅行の隆盛とが重なっていて、彼らの旅行記の出版がとびとびになっていくにつれ、日本人の海外旅行も、よく言えば落ち着いてきて、今の内向きな性向が顕著になってきた気がする。

氏の言う

初めからこうしようと思って始めたことはなにもない。・・・
自分がおもしろそうだなと思ったことにただ一歩を踏み出す。うまくいかないときもあればいかないときもある。それだけのことだ。(P350)

という風情で盛んになった日本人の旅行熱も熟成してきたのと、インターネットを初めとした他の「旅」も出現し、多様化し断片化する世界へ到達したということか。

総ずれば、路地裏から見たバックパッカーの旅行記始末といった感じで、あの頃の旅行記のいかがわしいワクワクさは薄れているが、あの頃の熱気を懐かしく思う人には、自らの思い出を呼び起こしながら読むと味がある、「違う意味での旅行記」である。

ジェイソン・フリードほか「強いチームはオフィスを捨てる」37シグナルズが考える働き方革命 

ノマド論争が一頃大流行りしたのだが、どうも本書をその関連性でとりあげるのが嫌であった。
というのも前者がともすれば「組織への帰属論」にあけくれしているように思えたのに対し、この「リモートワーク」は、より良い人材を集めて、効率的に仕事をするのに集合的なオフィスワークは必要か、ということを、よりプラグマティックに論じたものに思えていたからだ。

それは本書の構成でみてとれて、構成が

イントロダクションーオフィスのない世界
リモートワークの時代がやってきた
リモートワークの誤解を解く
リモートのコラボレーション術
リモートワークの落とし穴
 リモート時代の人材採用
 リモート時代のマネジメント
 リモートワーカーの仕事スタイル

となっていて、オフィスの必要性を問う最初のイントロダクション以外はリモートワークをどう実現するか、あい路はなにか、といったところが中心となっている。

本書で主張されているように、仕事が集まってでないとやれないというのはちょっと幻想に近いのだが、「リモートワークをうまく運営するコツは、孤独にいかに陥らせず組織として動いているなのだ(リモートワークのコラボレーション術、リモートワークの落とし穴)」というあたり、リモートワークを地理的に離れ、時間的に分散した優秀なワーカーをいかに集め、いかに集中させて仕事をさせるかという文脈で考えないといけないし、リモートワークをライフスタイル論と切り離すことによって、より多様な人材を、より効率的に使う技術論として考える可能性もあるように思う。

かなり以前から新しいワークスタイルとして注目されているリモートワーク、ノマドワークのスタイル(ここではライフスタイルとしてのそれではなく、ワーキングスタイルとしてのそれね)なのだが、なかなか主流になっていかないのは、当然、工場とか試験検査とか「現場」でないと無理な仕事があるのもちちろんなのだが、性向として「孤独」ではなく「集団」での行動が好ましいと思う生物学的な性向が起因しているのかも、と思う次第で、とりわけ欧米人より集団志向の強いと言われている日本人は苦手とするところなのかもしれない。

しかし、基本的に距離的に離れていても、擬似的な「集団」、「組織化」を行うことは今の技術をもってすれば可能と思うし、人の居住の「集中化」を避け「分散化」を模索していくことが日本が都市国家としてではなくエリア的な国家として存続していくための必須のように思う。
とりわけ、これから少子高齢化が進み、高齢者、介護をする女性などなど様々な環境をもつ人材をいかに活用するか、ということが課題となってくる今後の日本で、労働集約的、集合労働的なワークスタイルでなく新しい可能性を探っていくことが必須となっていくと思うのだがどうだろうか。

加齢と文章の長さ

この最近、どういう気まぐれか「俳句」というものになにやら興味がわいてきている。
といっても、どこかの結社に入ってどうこうというレベルではまだなく雑誌やら入門書やらをぽちぽつと読んでいkるぐらいなのだが、俳句に興味を持った原因ともいえるのは、文章の長さに対するこらえ性がなくなってきていることではないかと。
 
どうも年をとるにつれ、そうなってきている気がして、仕事の上でも長い文章に我慢がならなくなって短いセンテンスでの表現を求めたりすることが多くなってきているし、どうかすると味も素っ気もなく、事実と分析だけを表記した箇条書きが仕事の文章表現で最適だ、とすら思ってしまうことが多い。
 
で、短い文章をなぜ好むようになったのは体力の衰えあるいは知的持続力が衰えてきているのでは、といったところである。
 
文章が長い、あるいは話が長いというのか特に年齢に関わりなく、その人の特性みたいなものと思うが、こちらが長さにこらえ性がなくなるのは、「長さ」の中に含まれている冗長さ、寄り道の多さに体力的についていけない。文章を読んでいるうちに継続して思考するのに飽きるというかヘトヘトになってくるのである。運動的な能力はトレーニングでカバーできるところもあるのだろうが、思考の持続性を鍛えるのはいったいどうしたらいいものか見当もつかないまま、五七五の名句にほう、といったりして、短いセンテンスに囲まれて暮らそうとしてしまうのである。
 
はてさて、よいことか悪いことか・・

2014年6月28日土曜日

巨大キュウリの収穫

そろそろ梅雨の雨と合間の日差しで、キュウリの成長が半端なくなってきているのだが、葉っぱがやけに茂ってきたため、陰になっていたものを見落としていたら、この大きさのキュウリが収穫
 
大きさの比較は、近くに置いたKindle Paperwhiteと比較してほしいのだが、まあこうなると失笑するしかない状態。
 

タスクの見積もりで注意すべきこと

日経BP.netのココカラ企業日記の第三回「企業未経験者のためのスケジュール管理」でタスクの見積もりで良いヒント
それは

目標からの逆算ではなく、タスクの積み上げでスケジュールを作成する
 
未経験の事業分野の計画をたてる場合には、必要な時間を把握することが非常に困難です。そのため、まずwebサイトをオープンする目標期日を定め、その日から逆算して「企業への営業はサイトオープンの2ヶ月前に開始」「事業計画は営業開始までに作成」などとスケジュールを立ててしまいがちです。

しかし、そうやって立てられたスケジュールはあくまで理想論の上になりたつスケジュールであり、実際に日々の進捗を管理するためには全く役に立ちません。すぐにスケジュールに遅れが発生し、チームが落ち込んでいく結果が目に見えています。
 いくらweb未経験でも、無い知識を振り絞ってひとつひとつのタスクにかかる時間を見積り、その時間を積み上げてスケジュールを作成すべきです。



というもの。

タスク管理が破綻するもとは、想定できないこと、よく理解していないこと(仕事のタスク管理やスケジュールを考える場合にはこうした事態がほとんどなのだが)についてスケジュールを立て、タスクを整理しなきゃいけないところだから、思いつく限り詳細にタスクを想像するという作業を行うことは、これからの仕事の展開をあらかじめシミュレートすることに繋がって、タスク管理ひいてはプロジェクト管理が破綻することを防止してくれるのだろう。

プロジェクトの失敗は想定できなかったこと、あるいは低めに見積もっていたリスクの影響が大きいと思うので、その回避のためのシミュレーションを綿密にする意味でも想像できないことを想像するというシンドイ作業が必須なのかもしれないですね。

2014年6月22日日曜日

家庭菜園の功罪

今、家庭菜園に少し凝っていて、トマト、キュウリ、ピーマン、瓜などなど駐車場のそばで栽培しているのだが、日々、収穫があったり、雑草を抜いたり、庭木の剪定をしたりとか、まあかなり作業も多く忙しいのだが、それなりに収穫物があるのが嬉しい。
 

ただ、最近、作業がそれなりに増えたのと、キュウリやトマトの収穫が増えてくるに伴って、ブログとか書き物系に意識が行かなくなってきている。晴耕雨読という言葉はあるのだが、雨の時は雨の時で、次の作業をどうしようかと考えることが多くて、雨であっても「読」とはいかないところ。
 
どうも、それなりに日々作業があって作業の完了もあり、それに伴う収穫もあって、ということで、何が返ってくるかわからない「書き物」という、成果が目に見えないものへ駆り立てるものが少なくなっているということかと思ったところ。
 
いわゆる文明や文化というものは、農産物の収穫が当てになる所で成熟していくのが常なのだろうが、それは収穫の集積を利用できる支配層にいえることで、生産に携わる層は日々のことで充実が得られれば、それ以上のことはあまり思わないということなのかと。
 
とりあえず本日は、穫れたキュウリの浅漬けで一杯呑むことにして、難しいことはひとまず後回しに・・


 

2014年6月21日土曜日

安藤美冬「未熟でも未完成でも"今の自分"で突き進む」

元気なお嬢さんと自己啓発の記録と宣言本という感じかな。
著者はノマドワーカーの旗手として一躍有名になった安藤美冬氏

構成は
Chapter1. 一歩外へ踏み出す
Chapter2.自分の可能性を広げる
Chapter3.自分メデイアの編集長になる
Chapter4.人との出会いが自分をつくる
Chapter5.自分らしく働く

表題や世間の評判に影響されてリモートワークの技術論を求めてはいけない本。むしろ、新しいプレゼンスに頑張っている女性のPR本のなかにリモートワークのヒントがいくつかある、と考えた方がいい。批判などはあれこれあれど、自分をブランド化するためにはどうしたらいいか、何を取り上げ、何を切り捨てるかといったところをぎりぎり考えて行動に移した、と本人曰くなので、まあ他人がどうこう言うこともないだろう。

また、彼女が大学の講師になった、ということでノマドを捨てたのかといった批判もあるようだが、大学という閉鎖的な世界に少しばかり関わった経験からいうと教授クラス、せめても准教授クラスでないと身分保障からいっても通常の会社員や公務員よりも不安定なことは間違いない。多摩大学という大学運営の面ではアグレッシブなところに勤めるということを評価すべきだろう。

個人的に面白いなと思ったのはまず、「一人合宿」。

情報を適度にシャットアウトとして日常をリセットする。

例えば近郊のホテルに「籠る」という作業。

お薦めは仕事帰りの金曜夜から日曜までの2泊3日携帯の電源をオフにして、積ん読していた本を持ち込んでゆっくりと読書したり、ノートとペンを持って現状の振り返りやこれからやりたいことを書き出し、頭の中を整理する(P78)

ということらしいのだが、時間と周辺環境さえ許せばこうしたリセットができれば有り難いもの。

ただ、家庭があると、まあ、なかなかいろいろ、あれこれあるよね。

もう一つは「自分メディアの編集者」という心持ち。

組織の中で働いて、チーフ的なポジションになってくるとなかなか出来ないものだが、組織人であっても成果に責任を持ち自らの研鑽を怠らない、「優秀な傭兵」的な感覚は忘れたくないものではある。

まとまりがつかなくなったが、彼女の意気盛んなところに思いをいたして、まずまずの自己主張本、自己啓発本と評して、この項は終わりとしよう。

2014年6月1日日曜日

ヤマダイーブックサービス停止に関し、あれこれ思うこと

ヤマダ電機のヤマダイーブックサービスが7月に中止され、新しいサービスへの移行を模索している中で、購入した電子書籍が読めなくなると報道されて、批判が出始めるやポイント還元を認めたり、このあおりでディスカヴァー・トゥエンティワンが外部サービスが中止になった時の自社サービスの提供を発表したりとかしている。
買った電子書籍が無駄になる」は「記載不備」 ヤマダイーブックがサービス終了告知についておわび
大騒ぎ、といった風になっていかないのは、電子書籍の市場がほとんどがKindle、少々がKoboといったことになっているせいだろうか。

個人的には国産の電子書籍サービスを排斥するほうではなく、いまだにe-book japanなどなどのコンテンツを買っているので、まあ擁護派といっていいと思うんだが、なぜ、サービス廃止に伴って今までの既販売分もチャラってな発想が、記載不備だってことは認めるとしても一時的にも堂々と出てきたってことが不思議なこと。

もちろん電子書籍が閲覧権だってことはあるのだが、提供側が営業不振となれば一方的に打ち切り、しかも既販売分のサポートもしないっていうのは、国産電子書籍の心意気もそこまでか、と失望を禁じ得なかった次第。

楽天KoboもRABOOのサービスの終了時を思うと安閑としてはいられない気がするし、せめてもの救いというか期待はヨーロッパでのSony Reader終了時にKoboへの移行をしたっていうことか・・・。
国産電子書籍サービスの行方は定かではないが、サービス終了時の担保をきちんと示さないと、ますます暗澹とせざるをえないのだが・・。

2014年5月18日日曜日

吉田浩一郎「世界の働き方を考えよう」(総合法令出版)

インターネットを使った、アウトソーシングのマッチングサイトである「クラウドワークス」の創設者によるリモートワークの照会本。



筆者のいう「クラウドソーシング」とは「インターネット上で不特定多数の人々を募り、仕事を発注するサービス」のことで、基本的には今までフェイス トゥ フェイスで行われていたアウトソーシングを、インターネットを使って、委託元・先ともに広範囲でマッチングする仕掛け。


本書の構成は

第1章 最初の挫折 演劇の夢破れる
第2章 2度目の挫折 信頼していた役員の裏切り
第3章 再、そしてクラウドワークス始動へ
第4章 クラウドソーシングがもたらす、働き方革命
第5章 クラウドワークスが提唱する、これからの働き方
第6章 ベンチャー立ち上げを通じて学んだ仕事術

となっているのだが、最初の3章ぐらいは筆者の生い立ちやこの事業を始めるまでの立志伝で、リモートワークなどのヒントを期待するとちょっと当て外れ。
全体として、リモートワークの技術的なところとか、はたまたライフスタイル論的なものを求めると、"どうかな"といった印象なのだが、ただ、こうした業態の企業を運営者として、ノマドワーク、クラウドワークの実例と言ったものの情報が得られるのが、本書のメリットではある。

例えば、クラウドソーシングの現在の仕事の方式がプロジェクト方式、コンペ方式、タスク方式と分かれていて、クラウドワークといっても参加する人数や仕事の関与の仕方に違いがあること



フリーランスや個人ワーカーの働き方や受発注のやり方で、いわゆる士業のような「顧問契約」的な方法が模索できないか

とか

以外にシニアというか70歳から80歳といった高齢のワーカーもいることや、農家兼システムエンジニアとかバックパッカーのシステムエンジニアとか一風変わったワーキングスタイルの人も結構存在すること

といったネタがつまめるので、新しい働き方に興味にある人はざっと目を通しておいてもよいかも。

もう一つ、途中の対談で紹介されていた5万円以下の仕事には所得税や社会保障税を課税しないというドイツの「ミニジョブ」という制度はちょっと詳しく調べてみようかな、と思った次第である。

組織の将来像の一つは「タスク管理形式のクラウドワーク」にあるのかも

クラウドワークスの創設者である吉田浩一郎氏の「世界の働き方を変えよう
ークラウドソーシングが生み出す新しいワークスタイル」を読んでいたら、クラウドワークの3つの類型を示す記述があった(私のブックレビューはこちら)のだが、その一つのタスク管理方式のクラウドワークに興味を持った。
クラウドワークの3類型とは
・プロジェクト形式
  
仕事1案件に対し不特定多数の個人ワーカーの中から受注者一人を募集し、その一  人が最初から最後までその仕事を感家湯させる形式
・コンペ形式

企業がロゴマーク、ネーミングといった"作品"をサイトで募集。この仕事に参画し  たい登録者が自分尾作品を制作し、サイトにアップ。企業は集まった作品の中から  どれを採用するか決め、採用した作品の制作者だけに報酬を支払うもの
・タスク形式
1案件に対し、1人の個人ワーカーではなく複数の個人ワーカーが参画するもの。例 えば「リスト作成」といった仕事があるとAさんがまず50件をリストアップ、次にBさんが重複しない70件をリストアップ、といった風に複数の個人ワーカーが一つのタスクに関わり、タスクが完了したと企業が承認すれば、タスクに関わった個人ワーカーに報酬が支払われるもの
といったことのようだが、対面でのジョブマッチングやコンペをネットでやるようにした風のプロジェクト形式、コンペ形式(コンペ形式は報酬が採用者だけに支払われ、しかも少額のものでもできるという意味で画期的ではあるのだが)はこれからのリモートワーク。クラウド(ノマド)ワークとして新しみを感じないのだが、タスク形式は方法さえきっちりと構築していけば
というのも、例示されているのはリスト作成といった単純な例なのだが、例えば◎◎地区の販売網をつくるといったプロジェクトがあった際に、プロジェクトを細かなタスク(地区内の顧客情報の収集や販売店の募集といったあたり)に分解し、それを管理していくことによって一つのプロジェクトを仕上げていく、っていうのは通常の組織が、自分のところの社員や委託先を使って通常やることなのだが、タスクがきちんと仕上がるシステムができれば、今は一定の固い組織体がやるのが定番のことを個人ワーカーを臨時的に集団化することで成し遂げることができるのかも、と思った次第である。
このタスクがきちんと仕上がるシステムというのがなかなかの曲者かもしれないが、将来的な組織のあり方、仕事の仕方として方法論を詰めてみてもいいような気がする。

Mac book air の充電器を追加購入した

最近、出張にもMac book airを持ち出しては作業することが多くなり、さすがに泊りがけともなるとバッテリーがもたない。
当然、充電器も持って行くことになるのだか、純正の充電器をコンセントから外して持って行くの面倒になり、持ち出し用のものを追加で購入することにした。
かといって純正は高価でちょっと躊躇したので、代用機を購入。
3000円以下なのがお買い得と思いながらも一抹の不安を抱えつつ、買ったのは、海援隊というところのこんなの。


保証書もついているのが良心的ではある。


2014年5月17日土曜日

ノマド、そしてリモートワークということ

ちょっと時期外れになったのだが、安藤美冬氏の「冒険にでよう 未熟でも未完成でも今の自分で突き進む」とフリードの「強いチームはオフォスを捨てる」を続けて読んで、今更のようにノマド、リモートワークについて考えてみた。

「ノマド」はかなり手垢のついた状態になっていて、もはや揶揄と一緒に語られることが多いのだが、ノマドの持つリモートワークという技術的、あるいは純粋に働き方・仕事の仕方の側面が、フリーランスとか組織への帰属論とともに語られることによって、どこかにすっ飛んでしまったことが残念に思える。

基本的には、物理的、距離的に離れた状態でいかに効率よく仕事するか、ということは、組織への帰属といったメンタルな話とは別に、純粋にセキュリティの話や物理的・精神的なパフォーマンスの話として、いわゆる労働生産性の話として語られていい側面もあるのに、なまじライフスタイルの側面とともに語られるものだから、ウェットな議論になっている気がしている。

労働生産性の面から言えば、一頃揶揄の対象となったスタバでドヤ顔と言ったことは守秘の面からいえば当然慎むべきであって、むしろ議論の焦点を、パブリックな場所において守秘性を担保しながら働かせるにはどうしたらいいか、という技術的な部分で考えても良かったのでは、と思うのである。
とりわけ、冷静に考えれば、リモートワークによって、地方部においては才能ある人材の確保の可能性が広がるし、都市部においてはオフィス確保の費用面、労働者側に採っては通勤時間や居住環境の面など、メリットとして見いだせるものは数々あるのだから、もっと技術的・労働生産性の確保のやり方といった面から議論は再開してもいいのではないか、と思うのである。

幸いなことに一頃の雰囲気的な「ノマド」が語られることはなくなっている。ここらで労働生産性とオフォスなどの基礎投資費用の面などをあわせて、リモートで働く手段、手法の再考をはじめてもいいのではないだろうか。
 

2014年5月10日土曜日

Doit.imを使い始めてみた

連休になるとプロジェクト管理やらタスク管理の新しい方法論やアプリに浮気を始めるのが悪い癖なのだが、今年も暇にまかせて、今使っているToodledoの手入れをすることにした。

手入れをしているうちに、以前も感じていたプロジェクトとタスクの混在がどうにも始末がつかなくなってきた。特に、様々な部署を指揮するポジションになると高見から進捗を管理しておけばよいものと、進捗がはかばかしくないなどの理由でダイレクトに指揮しないといけないものが混在するので、Toodledoのタスクーサブタスクのタスク管理では対応が困難になってきた。

というわけで、佐々木正悟氏の「クラウド時代のタスク管理」などの参考本に従って、プロジェクト管理とタスク管理を分けることにしようと思った次第。

さてどのアプリを使うかな、となるのだが「クラウド時代のタスク管理」などのタスク管理本で推奨のOmniffocusやNozbeは、評価はいろいろあれど、ちと高価で、三日坊主がよくある我が身としては敷居が高い。何かないものか、検索していたところ、Doit.imというウェブ・アプリを見つけた。

仕立てとしては、GTDにかなり忠実なつくりになっていて、サブタスクに期限が振れない所がちょっと気になるが、このアプリとToodledoの二本立てでタスク管理をやってみようかな、と思っているところである。
 

2014年5月6日火曜日

家庭菜園の作業の効用は「頭の中を空白にできること」

5月のゴールデンウィークの頃はトマトとかキュウリの植え付けが最中になるので、仕事が入らない限りは極力、家庭菜園に出て、草取りやら植えた苗の手入れやらに時間を費やすことが多い。
 
こうした農作業の効用は、もちろん新鮮な野菜が手に入ることでもあるのだが、肥料から何から込めた費用から言うと大もうけできるわけでもなく、効用の一番は日頃のあくせくした仕事から離れて頭の中を空白にできることではないか、と最近は思っている。
 
作業を始めたときは、あれこれとうまくいっていないプロジェクトとか、これからかからないといけないのだが、どうも難物そうな仕事とかが頭に浮かんで、あれこれと考えることは多いのだが、菜園の草を取っていたり、野菜の棚をこしらえたりしているうちに、そうしたことはどこかにいってしまって、頭の中からそうした難しいことが出て行って、空っぽのままで作業に没頭している、といった状態が舞い降りてくるのがなんとも心地よい。
 
ま、こうした状態が舞い降りたといっても、難物であった仕事がうまくいくかどうかはわからないのだが、ひととき解放されるというのが効用なのでありましょうね。