ノマド論争が一頃大流行りしたのだが、どうも本書をその関連性でとりあげるのが嫌であった。
というのも前者がともすれば「組織への帰属論」にあけくれしているように思えたのに対し、この「リモートワーク」は、より良い人材を集めて、効率的に仕事をするのに集合的なオフィスワークは必要か、ということを、よりプラグマティックに論じたものに思えていたからだ。
それは本書の構成でみてとれて、構成が
イントロダクションーオフィスのない世界
リモートワークの時代がやってきた
リモートワークの誤解を解く
リモートのコラボレーション術
リモートワークの落とし穴
リモート時代の人材採用
リモート時代のマネジメント
リモートワーカーの仕事スタイル
となっていて、オフィスの必要性を問う最初のイントロダクション以外はリモートワークをどう実現するか、あい路はなにか、といったところが中心となっている。
本書で主張されているように、仕事が集まってでないとやれないというのはちょっと幻想に近いのだが、「リモートワークをうまく運営するコツは、孤独にいかに陥らせず組織として動いているなのだ(リモートワークのコラボレーション術、リモートワークの落とし穴)」というあたり、リモートワークを地理的に離れ、時間的に分散した優秀なワーカーをいかに集め、いかに集中させて仕事をさせるかという文脈で考えないといけないし、リモートワークをライフスタイル論と切り離すことによって、より多様な人材を、より効率的に使う技術論として考える可能性もあるように思う。
かなり以前から新しいワークスタイルとして注目されているリモートワーク、ノマドワークのスタイル(ここではライフスタイルとしてのそれではなく、ワーキングスタイルとしてのそれね)なのだが、なかなか主流になっていかないのは、当然、工場とか試験検査とか「現場」でないと無理な仕事があるのもちちろんなのだが、性向として「孤独」ではなく「集団」での行動が好ましいと思う生物学的な性向が起因しているのかも、と思う次第で、とりわけ欧米人より集団志向の強いと言われている日本人は苦手とするところなのかもしれない。
しかし、基本的に距離的に離れていても、擬似的な「集団」、「組織化」を行うことは今の技術をもってすれば可能と思うし、人の居住の「集中化」を避け「分散化」を模索していくことが日本が都市国家としてではなくエリア的な国家として存続していくための必須のように思う。
とりわけ、これから少子高齢化が進み、高齢者、介護をする女性などなど様々な環境をもつ人材をいかに活用するか、ということが課題となってくる今後の日本で、労働集約的、集合労働的なワークスタイルでなく新しい可能性を探っていくことが必須となっていくと思うのだがどうだろうか。
日本の人口最少県である鳥取県に住まう、リタイア生活の途上人の田舎の日常のあれこれ。「辺境」には地理的、意識的の二つの側面があり、 あくまで『”中心”ではない』と宣言中。このサイトは、本編「辺境駐在員の備忘録」の過去ログ+私的な記録+補遺なのであしからず
2014年7月6日日曜日
2014年5月18日日曜日
吉田浩一郎「世界の働き方を考えよう」(総合法令出版)
インターネットを使った、アウトソーシングのマッチングサイトである「クラウドワークス」の創設者によるリモートワークの照会本。
筆者のいう「クラウドソーシング」とは「インターネット上で不特定多数の人々を募り、仕事を発注するサービス」のことで、基本的には今までフェイス トゥ フェイスで行われていたアウトソーシングを、インターネットを使って、委託元・先ともに広範囲でマッチングする仕掛け。
本書の構成は
第1章 最初の挫折 演劇の夢破れる
第2章 2度目の挫折 信頼していた役員の裏切り
第3章 再、そしてクラウドワークス始動へ
第4章 クラウドソーシングがもたらす、働き方革命
第5章 クラウドワークスが提唱する、これからの働き方
第6章 ベンチャー立ち上げを通じて学んだ仕事術
となっているのだが、最初の3章ぐらいは筆者の生い立ちやこの事業を始めるまでの立志伝で、リモートワークなどのヒントを期待するとちょっと当て外れ。
全体として、リモートワークの技術的なところとか、はたまたライフスタイル論的なものを求めると、"どうかな"といった印象なのだが、ただ、こうした業態の企業を運営者として、ノマドワーク、クラウドワークの実例と言ったものの情報が得られるのが、本書のメリットではある。
例えば、クラウドソーシングの現在の仕事の方式がプロジェクト方式、コンペ方式、タスク方式と分かれていて、クラウドワークといっても参加する人数や仕事の関与の仕方に違いがあること
や
フリーランスや個人ワーカーの働き方や受発注のやり方で、いわゆる士業のような「顧問契約」的な方法が模索できないか
とか
以外にシニアというか70歳から80歳といった高齢のワーカーもいることや、農家兼システムエンジニアとかバックパッカーのシステムエンジニアとか一風変わったワーキングスタイルの人も結構存在すること
といったネタがつまめるので、新しい働き方に興味にある人はざっと目を通しておいてもよいかも。
もう一つ、途中の対談で紹介されていた5万円以下の仕事には所得税や社会保障税を課税しないというドイツの「ミニジョブ」という制度はちょっと詳しく調べてみようかな、と思った次第である。
筆者のいう「クラウドソーシング」とは「インターネット上で不特定多数の人々を募り、仕事を発注するサービス」のことで、基本的には今までフェイス トゥ フェイスで行われていたアウトソーシングを、インターネットを使って、委託元・先ともに広範囲でマッチングする仕掛け。
本書の構成は
第1章 最初の挫折 演劇の夢破れる
第2章 2度目の挫折 信頼していた役員の裏切り
第3章 再、そしてクラウドワークス始動へ
第4章 クラウドソーシングがもたらす、働き方革命
第5章 クラウドワークスが提唱する、これからの働き方
第6章 ベンチャー立ち上げを通じて学んだ仕事術
となっているのだが、最初の3章ぐらいは筆者の生い立ちやこの事業を始めるまでの立志伝で、リモートワークなどのヒントを期待するとちょっと当て外れ。
全体として、リモートワークの技術的なところとか、はたまたライフスタイル論的なものを求めると、"どうかな"といった印象なのだが、ただ、こうした業態の企業を運営者として、ノマドワーク、クラウドワークの実例と言ったものの情報が得られるのが、本書のメリットではある。
例えば、クラウドソーシングの現在の仕事の方式がプロジェクト方式、コンペ方式、タスク方式と分かれていて、クラウドワークといっても参加する人数や仕事の関与の仕方に違いがあること
や
フリーランスや個人ワーカーの働き方や受発注のやり方で、いわゆる士業のような「顧問契約」的な方法が模索できないか
とか
以外にシニアというか70歳から80歳といった高齢のワーカーもいることや、農家兼システムエンジニアとかバックパッカーのシステムエンジニアとか一風変わったワーキングスタイルの人も結構存在すること
といったネタがつまめるので、新しい働き方に興味にある人はざっと目を通しておいてもよいかも。
もう一つ、途中の対談で紹介されていた5万円以下の仕事には所得税や社会保障税を課税しないというドイツの「ミニジョブ」という制度はちょっと詳しく調べてみようかな、と思った次第である。
2013年11月16日土曜日
ちきりん 「未来の働き方を考えよう」
ちきりん氏の「未来の働き方を考えよう」をブックレビュー。
ちきりん氏の本は実は3冊ともリアルないしは電子本で保有していてはいるのだが、今のところ読了したのはこれが最初の本。
メイロマ氏と同様、好きか嫌いか両端に分かれる可能性の高いコラムニストではあるのだが、論客であることには間違いない。
ちきりんさんのブログは特に「うむ」と唸らされ、時に「ん」と疑念をもったりと、まあ付かず離れずといった感じで購読しているのだが、この「未来の働き方を考えよう」は世情、彼女のキャリアが恵まれているからでしょ、とか、ブログが売れてるもんね、とかamazonでも否定的な談話がない訳でもないが、私的には次代に「働き方」を思い描き、あるいは考察するのに読んでおいたほうが良い一冊として上げておきたい。
特に「ワークシフト」を読もうか、と思っている人はどうかすると「ワークシフト」より先に読む方が指南書駅な位置づけとしてよいのかもしれない、と思う次第。
序章 "働き方本"ブームが示すモノ
第1章 現状維持の先にある未来
第2章 世界を変える3つの革命的変化
第3章 新しい働き方を模索する若者たち
第4章 ふたつの人生を生きる
第5章 求められる発想の転換
終章 オリジナル人生を設計するために
という感じで、有り体な感想を言えば、第3章までは、よくある「働き方本」と同工異曲(筆者の40歳までの経験や統計的なデータがでてくるのが他の本、特に若書きのものとの違いではあるのだが)の感が強いのだが、本書の真骨頂は第4章。「40代後半で働き方を選びなお」そうというところだろう。
正直なところ齢五十を過ぎ、一応の定職に就き、部下という存在も一応あり、役職というものも一定程度ある、という我が身に照らすと、これからは競争が厳しくなりますよ、組織に頼って生きるってのは社畜ですよ、悔い改めて弱肉強食の世界に躍り出るか引退しなさい、という雰囲気がぶりぶり出ているモノや定職なんてのは愚者の真骨頂で働かないほうがいいのよ、てな「働き型本」「ノマド本」には「テヤンデぇ、お前らの仕送りはお父さんやお母さんがしてきたんだぞ、この野郎(野郎だけではないかもしれないが)」と悪態をつきたくなる世代なので、ちきりんさんの「今まで20年から30年間働いてきたんだけど、これから70歳代まで、さらに20年から30年同じ仕事を続ける気がある?」という問いかけのほうが、ストンと落ちてくるのである。
冷静に考えれば、昔は50歳や55歳が定年年齢であったものが今は60歳まで伸び、さらには65歳まで延ばす(高齢者の活用なのか、年金支給の関係なのかは知らないが)、そしてさらには70歳代へ、という流れが起きているのは間違いないし、人の寿命も伸びていっているのは間違いないので、ここらで人生90年を見据えて、一体自分はいつまで働く気があって、どんな働き方をしようと思っていて、何で働こうとしているのかってことは、高齢世代に突入しつつある我々の年代こそ考えていかなければいけないものなのかもしれない。
そう考えた時に最初の就職は口に糊するため、40歳後半以降自分の気持ちにあわせてもう一回職業を選択し直してみる、変えないまでも考えてみる、っていうのはなんとも蠱惑的な囁きである。ま、そんな感じで、いわゆる定年なり先が見えてきた世代が、これからの働き方、ひいてか生活のスタイルをどうするか、ということを振り返ってみるにも読んでおいてもいい一冊では。
ちなみにこの本、Koboの90%割引サービスでやけに安価に手に入れることが出来たもの。リアル本では古本でないと無理な仕業だが、このあたりが電子本の良さの一つでもある(筆者にとってはどうかはわからないが・・・)
ちきりん氏の本は実は3冊ともリアルないしは電子本で保有していてはいるのだが、今のところ読了したのはこれが最初の本。
メイロマ氏と同様、好きか嫌いか両端に分かれる可能性の高いコラムニストではあるのだが、論客であることには間違いない。
ちきりんさんのブログは特に「うむ」と唸らされ、時に「ん」と疑念をもったりと、まあ付かず離れずといった感じで購読しているのだが、この「未来の働き方を考えよう」は世情、彼女のキャリアが恵まれているからでしょ、とか、ブログが売れてるもんね、とかamazonでも否定的な談話がない訳でもないが、私的には次代に「働き方」を思い描き、あるいは考察するのに読んでおいたほうが良い一冊として上げておきたい。
特に「ワークシフト」を読もうか、と思っている人はどうかすると「ワークシフト」より先に読む方が指南書駅な位置づけとしてよいのかもしれない、と思う次第。
序章 "働き方本"ブームが示すモノ
第1章 現状維持の先にある未来
第2章 世界を変える3つの革命的変化
第3章 新しい働き方を模索する若者たち
第4章 ふたつの人生を生きる
第5章 求められる発想の転換
終章 オリジナル人生を設計するために
という感じで、有り体な感想を言えば、第3章までは、よくある「働き方本」と同工異曲(筆者の40歳までの経験や統計的なデータがでてくるのが他の本、特に若書きのものとの違いではあるのだが)の感が強いのだが、本書の真骨頂は第4章。「40代後半で働き方を選びなお」そうというところだろう。
正直なところ齢五十を過ぎ、一応の定職に就き、部下という存在も一応あり、役職というものも一定程度ある、という我が身に照らすと、これからは競争が厳しくなりますよ、組織に頼って生きるってのは社畜ですよ、悔い改めて弱肉強食の世界に躍り出るか引退しなさい、という雰囲気がぶりぶり出ているモノや定職なんてのは愚者の真骨頂で働かないほうがいいのよ、てな「働き型本」「ノマド本」には「テヤンデぇ、お前らの仕送りはお父さんやお母さんがしてきたんだぞ、この野郎(野郎だけではないかもしれないが)」と悪態をつきたくなる世代なので、ちきりんさんの「今まで20年から30年間働いてきたんだけど、これから70歳代まで、さらに20年から30年同じ仕事を続ける気がある?」という問いかけのほうが、ストンと落ちてくるのである。
冷静に考えれば、昔は50歳や55歳が定年年齢であったものが今は60歳まで伸び、さらには65歳まで延ばす(高齢者の活用なのか、年金支給の関係なのかは知らないが)、そしてさらには70歳代へ、という流れが起きているのは間違いないし、人の寿命も伸びていっているのは間違いないので、ここらで人生90年を見据えて、一体自分はいつまで働く気があって、どんな働き方をしようと思っていて、何で働こうとしているのかってことは、高齢世代に突入しつつある我々の年代こそ考えていかなければいけないものなのかもしれない。
そう考えた時に最初の就職は口に糊するため、40歳後半以降自分の気持ちにあわせてもう一回職業を選択し直してみる、変えないまでも考えてみる、っていうのはなんとも蠱惑的な囁きである。ま、そんな感じで、いわゆる定年なり先が見えてきた世代が、これからの働き方、ひいてか生活のスタイルをどうするか、ということを振り返ってみるにも読んでおいてもいい一冊では。
ちなみにこの本、Koboの90%割引サービスでやけに安価に手に入れることが出来たもの。リアル本では古本でないと無理な仕業だが、このあたりが電子本の良さの一つでもある(筆者にとってはどうかはわからないが・・・)
2012年1月29日日曜日
Newsweekの「『平均的な労働者はどん底におちる』」で思ったこと
「平均的な労働者」ってのは私のことでもあるのだが、「まじめの罠」を読んでから日が浅いせいか、こうした記事が、目に飛び込んでくる。
・今の不況は、産業の時代の終焉を象徴しており、さらには「平和な労働者」の時代の終焉を示しており、今の不況は永遠に続く
・産業経済の時代が終わった今、与えられた仕事そすればいいという考えは捨てるべき
・誰かが評価してくれるのを待つのではなく、自分の力でキャリアを切り開くことが必要。大企業に選ばれるのを待つのではなく、自分で自分を選ぶ時代がきた。
ということなのだが、この記事のもとが、そこらの日本のしたり顔の経済人などではなく、アメリカ人で、ヤフーの元副社長でマーケティングのベストセラー作家 ゴーディン氏のトーク番組というあたりが興味深いところ。
どうやら、こういった事態は、日本だけではなく、アメリカでもそうなのだ、というところで、ちょっと大げさに言えば、世界的なホワイトカラーの終焉といったところか。
さらに、最近のノマドといったワークスタイルを考えると、普通に会社や役所に勤めている人も、フリーランス的な精神を根底に持っていないと、いつの間にか切り捨てられてしまうよ、といわれているように思えてならない。
長い不況の中で、再生の切り札として、日本的な勤務環境の再生が言われている。しかし、そのわりに状況が好転しない今、性根を決めて、企業や役所といった「固い組織」の中にフリーランスの精神をどう取りいれるか、外部との「協働」ではなく内部における「連携」による仕事とはどうやればいいのか、ちょっと考えてみるべきなのかも。
2012年1月8日日曜日
中国の企業の採用基準もかなり・・・
MSNの記事による中国の企業で、採用基準に星座や血液型を用いるところがあるらしく
てな具合。
原文記事のコピーはこれ ↓
まあ、理屈は別にして、旧来の地縁、血縁による採用などが崩壊しつつある中で、優秀な従業員を確保し、競争力を維持しようとなると、こうしたものにも頼りたくなるかもしれないですね。でも、まあ、中国企業だからということもなくて、実際、私の実体験でも、十数年前、採用面接で受験生の血液型を真面目に聞いていた試験管に出くわしたことがあるから、日本でも、まだやってるところあるんじゃない、と思ったりもする。
とはいっても、星座による性格診断は信用していないが、血液型の性格診断は結構信じている、家族全員の血液型がB型の管理人なのである。
2008年7月9日水曜日
「リスクヘッジのために辞める」という価値観
NECのビジネス情報サイト Wisdom の 田中信彦さんのコラム 「新装中国ー巨大市場の底流を読む」の第1回 「中国人はなぜやめるのか」を読んで、最近の会社意識について、いろいろ思ったので雑感を少し。
(サイトURLは https://www.blwisdom.com/vp/china/01/)
コラムの中で、中国人が会社をやめる時の動機が3つあげられているのだが、
中国人には、一つの仕事を長く続けること、同じ組織に長くいることをリスクと捉えて「リスクヘッジのために辞める」という概念があるということにまず驚く。
この考え方の基本には、日本人と中国人の「安定」に対する考え方の違いがあって、日本人は「1対1の関係」(1対1で信頼関係を築くといったことだろう)になることで安定感・安心感を得るに対して、中国人は「1対1」の関係になることによって、選択肢を失ってしまうことに「不安定」を感ずる、といったことらしい。
確かに、日本人の「1対1の安定感」は昨今の、成果主義の見直しや新・家族主義の流れを象徴するものだと思うし、私も日本人として、共感するものが多い。
ただ、もう一つ、中国と日本の歴史的背景の違いに根ざす、「家族」への信頼度の違いがありはしないだろうか。
このコラムでも、一般の中国人が、リスクヘッジとして「副業」を持つことが多く、その内容が、家族や親族との会社経営であったり、夫婦共働きであったりすることをみると、根幹に「家族」というものが据えられているように思う。
一方の日本の「新・家族主義」が「家族」という名前はついているものの、その多くの内容が、会社における社員同士の親睦会や飲み会の開催や、運動会の復活に見られるように、その実態が「会社」の疑似家族化であって、血縁による家族の復権ではないように感ずる。
中国人の生き方の根幹に
「他者に自分の命運を握られない」よう最大の努力を傾けるのが中国人的生き方の真髄である。他者に自分の人生を左右される状態になってはいけない。人生のハンドルは常に自分が握る。そうでなければ安心できない
という意識がある、と、このコラムでもいわれているが、激変の歴史の中で、最後に信頼できるのは血縁の家族だけだった、という中国と、何らかの形で旧来の権威構造が存続できた日本との歴史経験の違いが、こうしたそれぞれの民族の反応の違いを生んでいるのではないだろうか。
それで、なのだが
こうした中国人の行動スタイルは、あながち否定的にとらえるべきなのかな、と思う、今日この頃なのである。
たしかに、こうした世渡りをされては、組織内に経験や知識も集積しないし、集団としての組織だった動きなんてできないよな、と思うし、最近の社会というか、多くの会社で、社員自体が活気を失ってしまっている状態が多くなっている中で、(その原因は、成果主義や個人主義の徹底やIT化による社員同士の分断といったことなんだろうが)その解決策として、教えあいや話し合いを増やすことや、会社内でのフォーマルでないつきあい(運動会といったようなもの)の復活が有効であろうことは分かるのだが、一方で、それが「新・家族主義」という名目のもとで昔ながらの会社への一方的忠誠心を求め、ややもすると応援団長と風紀委員的雰囲気の漂う「旧・会社主義」の復活に陥ってしまわないだろうか、という懸念も抱くのである。
「新・○○」と銘打って、また、どちらかというと息苦しさを感じるところもあった、高度成長期やバブル期の「みんな仲間だ、一緒にいこうぜ。なぜ一緒にこないんだ、仲間じゃないな」といった風潮の単純な復活は好むところではない。
結局のところ
会社が社員の人生全てをフォローできなくなっている現在、会社は会社で能率をあげて生き残るために、新・家族主義をツールに社員の紐帯を強めいくだろうし、社員は社員で、そんな環境の中で、いざという時と自分の精神的な逃げ道として、こうした中国人的な考え方を、スパイス的にもっている、という生き方が最良なのかもしれませんね、と、未だ日本的なサラリーマン環境にいる私としては思うのである。
(サイトURLは https://www.blwisdom.com/vp/china/01/)
コラムの中で、中国人が会社をやめる時の動機が3つあげられているのだが、
中国人には、一つの仕事を長く続けること、同じ組織に長くいることをリスクと捉えて「リスクヘッジのために辞める」という概念があるということにまず驚く。
この考え方の基本には、日本人と中国人の「安定」に対する考え方の違いがあって、日本人は「1対1の関係」(1対1で信頼関係を築くといったことだろう)になることで安定感・安心感を得るに対して、中国人は「1対1」の関係になることによって、選択肢を失ってしまうことに「不安定」を感ずる、といったことらしい。
確かに、日本人の「1対1の安定感」は昨今の、成果主義の見直しや新・家族主義の流れを象徴するものだと思うし、私も日本人として、共感するものが多い。
ただ、もう一つ、中国と日本の歴史的背景の違いに根ざす、「家族」への信頼度の違いがありはしないだろうか。
このコラムでも、一般の中国人が、リスクヘッジとして「副業」を持つことが多く、その内容が、家族や親族との会社経営であったり、夫婦共働きであったりすることをみると、根幹に「家族」というものが据えられているように思う。
一方の日本の「新・家族主義」が「家族」という名前はついているものの、その多くの内容が、会社における社員同士の親睦会や飲み会の開催や、運動会の復活に見られるように、その実態が「会社」の疑似家族化であって、血縁による家族の復権ではないように感ずる。
中国人の生き方の根幹に
「他者に自分の命運を握られない」よう最大の努力を傾けるのが中国人的生き方の真髄である。他者に自分の人生を左右される状態になってはいけない。人生のハンドルは常に自分が握る。そうでなければ安心できない
という意識がある、と、このコラムでもいわれているが、激変の歴史の中で、最後に信頼できるのは血縁の家族だけだった、という中国と、何らかの形で旧来の権威構造が存続できた日本との歴史経験の違いが、こうしたそれぞれの民族の反応の違いを生んでいるのではないだろうか。
それで、なのだが
こうした中国人の行動スタイルは、あながち否定的にとらえるべきなのかな、と思う、今日この頃なのである。
たしかに、こうした世渡りをされては、組織内に経験や知識も集積しないし、集団としての組織だった動きなんてできないよな、と思うし、最近の社会というか、多くの会社で、社員自体が活気を失ってしまっている状態が多くなっている中で、(その原因は、成果主義や個人主義の徹底やIT化による社員同士の分断といったことなんだろうが)その解決策として、教えあいや話し合いを増やすことや、会社内でのフォーマルでないつきあい(運動会といったようなもの)の復活が有効であろうことは分かるのだが、一方で、それが「新・家族主義」という名目のもとで昔ながらの会社への一方的忠誠心を求め、ややもすると応援団長と風紀委員的雰囲気の漂う「旧・会社主義」の復活に陥ってしまわないだろうか、という懸念も抱くのである。
「新・○○」と銘打って、また、どちらかというと息苦しさを感じるところもあった、高度成長期やバブル期の「みんな仲間だ、一緒にいこうぜ。なぜ一緒にこないんだ、仲間じゃないな」といった風潮の単純な復活は好むところではない。
結局のところ
会社が社員の人生全てをフォローできなくなっている現在、会社は会社で能率をあげて生き残るために、新・家族主義をツールに社員の紐帯を強めいくだろうし、社員は社員で、そんな環境の中で、いざという時と自分の精神的な逃げ道として、こうした中国人的な考え方を、スパイス的にもっている、という生き方が最良なのかもしれませんね、と、未だ日本的なサラリーマン環境にいる私としては思うのである。
2006年4月26日水曜日
会社と個人の間にあるもの
nikkei BP の「上海時報」の2006.4.26付けのコラムでこんな記事(「娘のご飯をつくりに、会社にくるお母さん」)を見つけた。
趣旨は、
中国社会では、いったん仕事を与えられると、それは自分の領域内の問題と認識され、仕事に絡む場所や道具、職務上の権限といったものは自分の支配下に入るという感覚が強いように思える。個人は会社の一部なのではなく、まず自分個人があって、その個人が仕事を会社から請け負ったという感覚に近い
ということで
ある日本人駐在員が外出先からオフィスに戻ってみたら、傍らのデスクで見知らぬ女性が働いている。驚いて「あなたは誰か」と聞いたら、部下の男性のガールフレンドだという。「この仕事は私の方が得意なので手伝っている」とニコニコしている。悪気はなさそうなのだが、やはりまずいので丁重にお引き取りいただいた。
といったエピソードや
また別の中国人経営者の話。ある日、昼時になって食事をどうしようかと考えていると、社内の給湯室のようなスペースで誰か料理を作っている人がいる。何者かと思って尋ねたら、ある女性社員の母親だった。
「娘にいいものを食べさせてやりたいので食事を作っている。社長さんも一緒にどうか」とあっけらかんとしている。この経営者は「過保護にもほどがある。怒るというより呆れてしまった」と嘆いていた。
といったエピソードが紹介されていた。
中国社会の「仕事」「ビジネス」についての感覚は、このコラムに書いてあるとおりなんだろうが、それ以前に、中国のビジネス現場をめぐる奇妙な話としても、可笑しい。
きっと、この娘さんは、彼氏のために一所懸命尽くす一心だろうし、このお母さんも娘の身体を心配する一心での所業だろう。それが、もう、一点集中的に、守衛やら会社の他の社員の怪訝な目線も、なんのその、とばかり会社の中に入り込んでいったのだろう。
でも、日本でも、ここまではないにしろ、息子の仕事について会社に電話してくる母親とか、同じようなエピソードは聞くよね。
会社と個人の間に、グレーなもやもやがあるのは、程度の差こそあれ、アジア系の社会には、ありがちなことなのねー、妙な実感を覚えたのでした。
趣旨は、
中国社会では、いったん仕事を与えられると、それは自分の領域内の問題と認識され、仕事に絡む場所や道具、職務上の権限といったものは自分の支配下に入るという感覚が強いように思える。個人は会社の一部なのではなく、まず自分個人があって、その個人が仕事を会社から請け負ったという感覚に近い
ということで
ある日本人駐在員が外出先からオフィスに戻ってみたら、傍らのデスクで見知らぬ女性が働いている。驚いて「あなたは誰か」と聞いたら、部下の男性のガールフレンドだという。「この仕事は私の方が得意なので手伝っている」とニコニコしている。悪気はなさそうなのだが、やはりまずいので丁重にお引き取りいただいた。
といったエピソードや
また別の中国人経営者の話。ある日、昼時になって食事をどうしようかと考えていると、社内の給湯室のようなスペースで誰か料理を作っている人がいる。何者かと思って尋ねたら、ある女性社員の母親だった。
「娘にいいものを食べさせてやりたいので食事を作っている。社長さんも一緒にどうか」とあっけらかんとしている。この経営者は「過保護にもほどがある。怒るというより呆れてしまった」と嘆いていた。
といったエピソードが紹介されていた。
中国社会の「仕事」「ビジネス」についての感覚は、このコラムに書いてあるとおりなんだろうが、それ以前に、中国のビジネス現場をめぐる奇妙な話としても、可笑しい。
きっと、この娘さんは、彼氏のために一所懸命尽くす一心だろうし、このお母さんも娘の身体を心配する一心での所業だろう。それが、もう、一点集中的に、守衛やら会社の他の社員の怪訝な目線も、なんのその、とばかり会社の中に入り込んでいったのだろう。
でも、日本でも、ここまではないにしろ、息子の仕事について会社に電話してくる母親とか、同じようなエピソードは聞くよね。
会社と個人の間に、グレーなもやもやがあるのは、程度の差こそあれ、アジア系の社会には、ありがちなことなのねー、妙な実感を覚えたのでした。
2005年12月11日日曜日
内田洋子「イタリア人の働き方ー国民全員が社長の国」(光文社文庫)
イタリアというと正直のところ、あまり勤勉なイメージを持っていない。恋を語るには熱心だが、ビジネスとか仕事ということになると、とたんにテンションが下がってしまう国民のように思っていた。なぜローマ帝国やルネッサンス期のヴェネチア共和国のような優れた政体や政治を持っていた国が、そうなったのか。そのくせ、一メーカーをとってみると業界リーダーのような会社がなぜ多いのか、ずっと疑問をもっていたときに出会ったのがこの本。
一読してすべて氷解というわけではないのだが、一番の収穫は、国家とか自治体とか、そういう組織には関係なく元気で個性のあるイタリアの零細企業の数々を知ったこと。
紹介されているのは
たくさんの有名人が訪れる靴磨きの名人の店(ロザリーナ・ダッラーゴ)
何を着て何を買えばよいか、金持ちたちの買い物すべてにアドバイスするパーソナルショッパー(クラウディア・ベルトリーニ)
世界的な絵画修復家(グイド。ニコラ)
イタリアの首相ですら年4本しか手に入らないハムを製造していて(年間の総生産量1500本だそうだ)、しかも儲かることがわかっているのに製造量を増やさないハム製造会社(ロレンツォ・ロズヴァルド)
大量生産は絶対しないし、いくら評判が良くなっても値段を上げない幻のラガービールを製造する酒造会社(メナブレア社)
会社経営の第一目的は<人間としての尊厳を保つこと>におく引く手あまたのカシミアメーカー(ブルネッロ・クチネッリ社)
などなど
どれもこれも、個性だらけのメーカーや事業家たちである。また、だれもが貧困の中から立ち上がって、会社をつくったり、大きくしたりしているのが共通する特色。そして、大事にしているのは家族とか、古くからの従業員たちとの結束。政府とか自治体が面倒を見てくれるなんてことは少しも期待していないかわりに、政府への協力はさほど考えていない、といったところ。
こうした零細だが元気な企業家がたくさんいると経済も底力があるだろうが、国家としての威勢とかそんなことを発揮するのは無理だろうなーと思う。国家とか組織とかを自分の身代わりのように育て、生活を捧げてきた「日本」とは真反対。
もっとも、それは頼りにできる国家が昔からあったかどうかにも関わってくるので一概にどちらが良いか、決め付けるわけにはいかないだろう。しかし、政府とか組織とかが頼りにならなくなってきている今、イタリア人の姿は一考に値する。
ちょっと立ち止まって、今までの私たちの働き方を振り返りたくなる本である。
一読してすべて氷解というわけではないのだが、一番の収穫は、国家とか自治体とか、そういう組織には関係なく元気で個性のあるイタリアの零細企業の数々を知ったこと。
紹介されているのは
たくさんの有名人が訪れる靴磨きの名人の店(ロザリーナ・ダッラーゴ)
何を着て何を買えばよいか、金持ちたちの買い物すべてにアドバイスするパーソナルショッパー(クラウディア・ベルトリーニ)
世界的な絵画修復家(グイド。ニコラ)
イタリアの首相ですら年4本しか手に入らないハムを製造していて(年間の総生産量1500本だそうだ)、しかも儲かることがわかっているのに製造量を増やさないハム製造会社(ロレンツォ・ロズヴァルド)
大量生産は絶対しないし、いくら評判が良くなっても値段を上げない幻のラガービールを製造する酒造会社(メナブレア社)
会社経営の第一目的は<人間としての尊厳を保つこと>におく引く手あまたのカシミアメーカー(ブルネッロ・クチネッリ社)
などなど
どれもこれも、個性だらけのメーカーや事業家たちである。また、だれもが貧困の中から立ち上がって、会社をつくったり、大きくしたりしているのが共通する特色。そして、大事にしているのは家族とか、古くからの従業員たちとの結束。政府とか自治体が面倒を見てくれるなんてことは少しも期待していないかわりに、政府への協力はさほど考えていない、といったところ。
こうした零細だが元気な企業家がたくさんいると経済も底力があるだろうが、国家としての威勢とかそんなことを発揮するのは無理だろうなーと思う。国家とか組織とかを自分の身代わりのように育て、生活を捧げてきた「日本」とは真反対。
もっとも、それは頼りにできる国家が昔からあったかどうかにも関わってくるので一概にどちらが良いか、決め付けるわけにはいかないだろう。しかし、政府とか組織とかが頼りにならなくなってきている今、イタリア人の姿は一考に値する。
ちょっと立ち止まって、今までの私たちの働き方を振り返りたくなる本である。
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