2007年7月16日月曜日

徳本 栄一郎「英国機密ファイルの昭和天皇」(新潮社)

組み上げてきたものが時代の流れの中でがらがらと崩れていく「戦前編」と崩れてしまったものを一からピースを集め、組み上げていく「戦後編」とでもいうのだろうか、日英関係の「喪失」と「誕生」と戦前・戦後に英国に関わりながら生きてきた人々の「希望と挫折の記録」を印象づける一冊である。
 
アウトライン的には、「戦前編」は、日中戦争、太平洋戦争へと向かっていく日本の動きをなんとか回避しようとする日本の皇室とそれを支える和平派と英国の親日派の動きを、1924年の秩父宮の英国留学の裏で動く日英の思惑から1941年のチャーチルによる対日宣戦布告までを、そして「戦後編」は1945年のマッカーサー元帥の日本到着から1954年の吉田茂の講和後の英国訪問までを、皇室の廃絶危機、天皇の退位計画、果ては、ローマ教皇まで乗り出した、天皇のカトリック改宗の企てを軸にしながら、英国の公文書館に残されている機密ファイルから洩れ出すデータを、英国の関係者へのインタビューなどを交えながら叙述していくルポである。
 
しかし、単純な日英の皇室をめぐる戦前・戦後史ではなく、平和と日本の自立を目指す皇室、とりわけ昭和天皇の思いと、それを国家的な戦略として利用はするのだが、一方で立憲君主制国家の仲間として、あるいは、日本の行く末を心配する明治以来の友好国としての英国の、冷徹な国家戦略だけでは割り切れない関係性を表現した上質な歴史書といってよい仕上りになっている。
 
しかし、まあ、読み終わって、なんと多くの人達が日英という両国家を軸にしながら、さまざまな思いを、あるいは野望を遂げようとして係わり、夢破れていったことか、という思いにかられる。
 

それは、「戦前編」では、オックスフォード留学を契機に逝去まで親英派であった秩父宮や、戦争回避のため昭和天皇と側近の意を呈して日本政府や軍部の動きに逆らいながら和平工作をすめながらチャーチルのために挫折し、「札付のへま男」と称され外交官時代の吉田茂であり、戦争開始は米国の思惑とそれを阻止しなかった英国政府だと糾弾し、閑職に追われた、クレーギー駐英大使の姿であるし、「戦後編」では、日本の占領政策を通じ象徴天皇制の実現と、GHQ製の憲法と統治体制を作り上げたマッカーサーであり、「親ナチスの教皇」といわれ日本へのカトリックの普及を夢見た教皇ピウス12世であり、戦後の日本の通商政策と外交の黒幕といわれた白洲次郎でもある。
こうした、彼らの個人的な思いに、英国の、冷徹でありながら、立憲君主国の先達としてのなんとはない暖かみを示す外交戦略を織りまぜながら展開されていったのが、1924年から1954年までの日本の歴史の一面でもあるのだろう。
 
個人的な感覚でいえば、この本のような「裏面史」というのは、すでに結論の見えている「歴史の事実」というものを前提にしながら、表からは見えないもの、外にでない思いを書き出す作業という印象をもっていて、どうかすると単なる暴露本に堕してしまう危険性を孕んでいるように思うのだが、幸いなことに、この書は、「英国機密ファイル」という一種怪しげなタイトルでありながら、爽やかな読後感を残してくれる。
 
それは、エピローグで、現在の駐日大使であるフライ大使の「現在、外交の世界では「価値観」が大事にされています。前世紀の初めは、バランス・オブ・パワーが強調されましたが、今は価値観の共有です。それを共有しているからこそ日英関係の基盤は強いのだと思いますよ」という言葉を体現していたともいえる、秩父宮、白洲次郎、そして昭和天皇の、英国への親愛感と信頼が表出しているからかもしれない。

2007年7月15日日曜日

下川裕治「新・バンコク体験」(双葉文庫)

旅行記や滞在記というのは、ちょっと旅行のガイド本とは違う、少し昔を書いた歴史書といった愉しみかたをすべきものではないかと思っている。というのも、旅行ガイド誌などに掲載されてから時間を経過してから、単行本や文庫本にまとめられた形になったとき、その国ではすでに昔のできごとになってしまっているし、こちら側としても日本の状況も変わってしまっているからだ。
 
そういった意味で、1998年頃に初出された本書は、20世紀の最後のタイ、バンコクの一シーンを切り取ったものとして楽しむべきだろう。
この1998年当時、タイは通貨危機の最中にあったから、書中にもでてくるバイクタクシーの衰亡の話や、バンコクから渋滞が消えた話、そしてバンコクっ子がワインをありがたがるのをやめて、再びタイ・ウィスキーに回帰しはじめた話などは、再度、経済成長を開始し、アジアの工業国としての立場を確立している現代のタイでは、すでに過去の話となっているかもしれない。ただ、その「当時」をタイではなく日本ではあるが、共有していた人間として、その時代を再度ふりかえって妙になつかしくなるのは間違いない。
 

章立ては
 
「道端のバンコク」
「バスの迷宮」
「タイ料理の進化論」
「南国の時間」
 
の4章
 
今の「タイ」であるかどうかはわからないが、我々のイメージの中にある南国の「タイ」にぴったりした旅のエピソードを提供してくれるのは間違ない。
 
それは
 
タイのタクシーはメーター制が主流になっているが、ひとたびスコールとなると、昔の交渉制の料金体系に変わっていく
 
とか
 
タイの野菜は、厳しい陽射しと肥料ももらえない状態でないと、あの辛味はでない
 
といったエピソード群であり、タイに浸って長い筆者によって紡がれる安心して読める「タイ」である。

2007年7月14日土曜日

井沢元彦「逆説の日本史 11 戦国乱世編」(小学館)

この巻は、豊臣秀吉が天下をとってから、朝鮮への外征の失敗までがテーマ。
のっけから、秀吉の指は6本あったといった、ちょっと眉唾したくなるようなところから始まる。この話は前田家文書からといった引用はあり、その真贋を確かめようもないので、その説の是非は問わないとしても、秀吉(藤吉郎時代)の姓であったとされる「木下」の疑わしさや羽柴という姓の由来への疑問など、「逆説」の名にふさわしく、この巻も定説へのチャレンジで始まっている。
 
本当は清洲会議の結果、信長の孫の三法師を手中に収めることになった柴田勝家や織田信孝の方が天下取り(というより信孝の立場からすれば天下の維持かな)には有利だった
 
とか
 
賤ヶ岳の戦で柴田勝家が負けたのは、実は前田利家が原因
 
とか
 
織田家が崩壊して、秀吉の天下取りに成功した最後の決め手になったのは、池田恒興(勝入)を秀吉が味方に引き入れた(筆者は金で転ばせたといっている)のがキー
 
とか、あいかわらず、ふむふむと読んでしまうとこは多いのだが、
 
この巻でうーむとうならさせるのは、
 
戦国時代末期〜安土・桃山〜江戸初期というのは織田信長〜豊臣秀吉〜徳川家康とセットでとらえるべきで、その最終的な仕上げが「宗教勢力(寺)の非武装化」だったといった話のひろがる「第4章 豊臣の平和編」
 
 
文禄の役の本当の目的は中国(明)の征服にあって、その遠因は、カトリック勢力の東アジア侵攻に対抗してのもので、当初、共同して進めようとしていた(外征用の船の提供を受けようとしていた)キリシタン側から拒絶にあったから伴天連追放令がだされたといった話のでてくる「第5章 太閤の外征編」
 
だろう。
 
 

まあ、真説・異説あるいは賛否両論あると思うが、筆者の掌上に転がって楽しむのも一興の一冊ではなかろうか。