2006年7月31日月曜日

舌びらめのムニエル

舌びらめのムニエルは、なんのことはないヒラメに小麦粉をつけて油で焼いたもの。
あっさりとはして夏向きなのだが、ちょっと物足りない。
で、食べるときには、醤油を垂らすのが必須。

刺身は、鰯、鯛、鯵の混合。どれも二切れづつぐらい。
今日も暑い日が続いているが、こんな日こそ、庭の水遣りがかかせない。
ということで、夏休みに入った娘と分担。
ついでに、草ひき(特に牛殺しというつる草がとんでもなくはえているので、それを抜くのが一大事)。
汗ダラダラの一日でした。

2006年7月30日日曜日

肉野菜炒め、塩サバ、冷奴

なぜか、定番が揃い踏みしてしまった。
これは肉野菜炒め

塩サバ

冷奴

夏の夕食は、この3つのどれかを食べていることが多いと思うのは気のせいか・・・・
なにはともあれ、本日は、クーラーを効かせた(といっても熱源のPCはぶんぶん稼動させているのだが)部屋の中にこもって、本のスキャンにいそしんだ。
なにせ、娘が部屋が狭くなったとかいってコミック本を数十冊スキャンしておいてくれ、と置いていっている。
おまけに、私が最近読み飛ばした本も溜まっている・・・、という状態。
この際、いっせいに整理しましょうかねー。

2006年7月28日金曜日

鮭の野菜蒸し

鮭を焼いて、その上にキャベツやもやしやにんじんで蒸し煮にした。
ちゃんちゃん焼きとは違って味噌はつかわない。
あくまで鮭の持ち味が主流(ちょっとに鶏ガラスープは使うらしいが)
あっさりとした味で、なかなかよい。

これは〆さば。刺身醤油で食す。

2006年7月27日木曜日

大江戸博物館

大江戸博物館にも行ってきた。


面白いことは面白いが、バブルっぽいな。


神田明神

出張の合間に、ちょっと寄り道。
神田明神にいってみた。

学生の頃はお茶の水のあたりに学校があったので、そこらあたりを徘徊していたのだが、さすがに若い頃は、行ってみようとは思わなかったのだが、私も年をくってきた、ということか。
都会のまんなかにこうした「江戸」を抱えこんでいる「東京」っていうのは、やっぱり都市としてすごいよね



陸の宝珠

ひさびさに東京に行ってきたので、お土産に、「陸の宝珠」
ひところは、空港の売店で、午前中で売り切れていることが多かったのだが、世の中に喧伝しすぎてしまたのか、たまたま運がよかったのか夕方になってもまだ売っていた。


包みを開けたところ


これは断面
ここのお菓子は、キレイなところがいいよね(高いけど)


2006年7月26日水曜日

冷チャーシュー

チャーシューの薄切り。
何もつけないで食べるのだが、このねっとりとした脂と肉味が、ビールにあうんだよね。
おっと、昨日で、ビールは品切れ。「ぐびなま」を飲んでいる。
小西真奈美のCMにひかれたわけでは・・・・・・あります。


そして、イカ焼きの大盛り。イカを焼いて、短冊に切って、皿に盛り上げる。
で、わしわし食う。
イカは、こんなぐらいに乱暴にしないと、食った気がしない。


2006年7月25日火曜日

しゃこ

ホントーに珍しく、「しゃこ」のご登場。
エビはちょくちょく顔を出すのだが、しゃこはめったに食卓にはのぼらない。
かなり身厚のでぷりぷりしている。
山葵醤油でいただきましょう。

もひとつは、アジの塩焼き。
ちょっと塩をきつめにしておくのが夏のきまりかな。ちょっと残ったうろこのところを剥がして、熱いうちに食す。

2006年7月24日月曜日

鶏の照り焼き

まだ梅雨があけなくて、雨模様が続く。鶏肉の照り焼きは前にもレポートしたよね。
あんまり珍しくない、うちの定番おかず。

刺身はアジ。ちょっとおおぶりに、短冊に切る

2006年7月23日日曜日

ステーキをポン酢で

本日が、奥さんが勤務日だったので、夕食は簡単に仕上がるもの。
ということでステーキ。
ステーキはレア目に焼いてもらうのが常。
で、いつものステーキソースはくどい感じがして、本日は、ポン酢で食す。あっさりとしてなかなか良い。

マグロの目も手に入ったので、これは塩をたっぷりふってオーブンで焼く。グロテスクだが、目のまわりの肉をほじくって食べる。ちょっとなまぐさいが珍味。

これは手長エビ。甘く煮てある。頭の方をもって齧るように食べる。触角のところは、口にささるので、そこまでは食べないが、頭の味噌のところまではきちんと食べよう。


下川裕治・篠原 章「沖縄ナンクル読本」(講談社文庫)

沖縄病患者による、軽症から重症までの沖縄病患者のための、沖縄の本、といっていいのかな。
下川裕治さんは、「タイ病」か「カンボジア病」かと思っていたが、どうも「南国病」らしい。
下川裕治さんや篠原 章さんなどの沖縄もこよなく愛する人たちによるアンソロジーである。
構成は
第1章 沖縄ミステリーワールド
第2章 沖縄暮らし
第3章 オバァという宇宙
第4章 那覇・コザ二都物語
第5章 島酒に酔いしれる
第6章 沖縄B級料理指南&大衆食堂の考察
第7章 音の島、歌の島
第8章 私的ウチナーグチ辞典
第9章 沖縄~昨日・今日・明日
の9章立て。
このほかにも、あれこれとPhotoやTipsのようなものは、散りばめられているので、沖縄好きにはたまらないんだろうなーと思う。
残念ながら、私の場合、沖縄は十数年前に一回行ったことがあるだけで、沖縄病患者とは言い難い。
しかも、その時も雨男の才能を十分に発揮して、沖縄民族村の見物をしていた最中に大雨。
それでも構わずにハブとマングースの闘いを見ている最中に後ろの土が崩れ落ちてきて、連れが階段席を転げ落ちてハブにぶつかりそうになる。
どうにか、出口に着いたら、外はごうごうと水が流れていて、レンタカーが冠水の危機・・・といった具合であった。
でもまあ、ソーキそばとかラフテーとか泡盛とか、しっかり食していたのだから、「沖縄嫌い」というわけではない。むしろ、ほのかに「沖縄」の恋心を寄せるってな風情かな。
でも、周りを見ても「沖縄嫌い」っていうのは、あんまり見かけないような気がして、ここらが「沖縄」の徳のなせる業なのだろう。

で、この本でも、「オバァという宇宙」と「沖縄B級料理指南&大衆食堂の考察」のあたりが、一番の好み。
「オバァという宇宙」にでてくる「オバァ酒場」というのは60歳から70歳にかけてのホステスさんが大半を占め、妙に値段が安く、客と店の人との距離がとんでもなく近く・・・とにかく「オバァ」の経営するスナックやバーである。
まあ、こうした店も本土にもいくつかあるが、どうも、沖縄では「あちこちに、うようよと存在」しているらしいのである。
で、どうもこの傾向、沖縄だけではないらしい。沖縄から韓国、台湾、中国に広がる大オバァ・エリアが存在しているらしいのである。
うーむ、なんか怖いな・・・
といったところで、話を変えて「沖縄B級グルメ・・・」
ここに出てくるB級ぶりはいいなー。
いわくポーク玉子トースト・ハワイおじさん風、豚肉フェジョアーダから始まり、500円で腹一杯食べられる食堂での
丼飯にフライドチキンと野菜炒めののった「親子丼」
皿の御飯に野菜炒めののった「チャンポン」、しかもその高さが半端ではない
なんだかよくわからない「焼き肉炒め」
刺身と卵焼きのついた「そーめん定食」と刺身と御飯とスープまでついてくる「そーめんチャンプルー定食」
といった大衆料理の数々
そして極めつけは、「サッポロ一番みそラーメン」や「チャルメラ」「チキンラーメン」など豊富な種類の中から選べる「インスタントラーメン」というメニュー
トンでもチキンでもなく中身がなくて、カツでフライの「カツフライ」
うーむ、沖縄は底が深い・・・。
てな感じで、まるごと一冊、「沖縄」が楽しめてしまう旅本である。
この本の後遺症は、「沖縄」に行きたくなってしまうことかな・・・

Wakeup on LANを使う

WOLができるルータを買ったのだから、早速WOLの実験。
Windowsマシンからは、標準天応のクライアントソフトを導入すれば、OK
でも、いつも使っているLinuxマシンからWOLに挑戦。
まずSympaticで導入したWOLというソフトは、何度やっても起動せず、別のWOLソフトを導入することにする。見つけたのは@ITのLinuxTipsのページ「Wakeup On LANを使うには」
ここに紹介されている「Wakeonlan」(http://gsd.di.uminho.pt/jpo/software/wakeonlan/)で公開されているwakeonlanというソフトを利用。
rpmファイルが提供されているので、ダウンロードしたら
# rpm -ihv wakeonlan-0.41-0.fde.1.noarch.rpm
でインストール(KDEのrpmパッケージマネージャーを使った方が簡単かも)
インストールが完了したら、Gnomeターミナルの画面から
$ wakeonlan <IPアドレス> <MACアドレス>
と入力して実行。
あら、「このアドレスは変だぞ」「255.255.255.255に向けてパケットを送るぞ」的なメッセージが出るぞ
と思ったら、ヴィンと音がして、ターゲットのメインマシンの電源が入ったのでした。
電源さえ入れば、あとはVNCを立ち上げ。
遠隔操作に突入ーーーー。

2006年7月22日土曜日

肉野菜いため

肉野菜炒めときたら、学生時代の定番のおかずだったような思い出がある。
お金がなくなるにつれ、肉が消えて、単なる「野菜炒め」になっていくのだが・・・
うちの奥さんの肉野菜炒めには、鶏がらスープを使う。
スープのダシが野菜にしみこんで、コクがでて良いんだが、野菜はしゃきしゃきした感じが残る程度の炒め方にしておかないと、炒めているのだが、煮ているのだがわからなくなるので要注意。


これは、揚げだし豆腐と白菜の煮物。豆腐は大好きだ。

ルータを買い換えた。

ルータを買い換えた。
BUFFALOのBHR-4RV
WOLやリモートアクセスができるというふれこみのルータだ。
今まで使っていたルーターは、かれこれ5年ぐらい前の製品なので、ファームウエアの更新もない状態で、スループットもかなり低い。なので、ちょっとうちの家庭内ネットワークでWOLなぞできる機種を買おうと思った次第。
なにせ、私のPCの設置されている部屋は、太陽の光はよう入るが、クーラーも無い。夏暑く、冬寒いという熱暴走にもってこいの環境なのである。おまけに、夏PCを操作していると暑いのなんの。
で、ここは、人間様は涼しい茶の間あたりで、悠然と操作できないかー、と思った次第(VNCは導入済みなので、遠隔のスイッチオンさえできれば御の字なのだ)
ということで、導入とWOLとリモートの顛末はまた後日、レポートしよう。

2006年7月21日金曜日

サバの塩焼き

今日はひさびさの、サバの塩焼き
サバってのは、いつ食べても飽きない不思議な魚だ。
外食が続いて、揚げ物とか多いと、私の場合、ムショウに、サバの塩焼きが食べたくなるときがある。

もうひとつは、甘長とうがらしの味噌煮。とうがらしといっても辛くない。
今日、注文しておいたルーターが届いた。WOLやリモート操作もできるもの。
明日からセッティングかな。

2006年7月20日木曜日

白ばい

白ばいである。煮付けてあるので、金串なんかで、引っ張り出して食す。
白ばいとは難しくいうと
「白ばい」はエゾバイ科エゾバイ属の一部の貝で、エッチュウバイ、オオエッチュウバイ、アニワバイ、ツバイなどが含まれる。本州以北のやや深い寒冷な海域にすむ。殻は薄く細かな溝がある。模様はなく、薄い褐色の皮を被っている。顕著な特徴がなく種を識別することが難しいため、「白ばい」と呼ばれる。刺身、煮貝、焼貝などにされる。
といったものらしい。
うちには、白ばいの端っこの内臓のところを食べると「踊りだす」(中毒するという意味だろう)という言い伝えがあって、内臓の方までは食べない。貝肉は甘めの味付けがしてある。

カレイの煮付け。貝ばかりでは腹は膨れないので、ちゃんとした煮魚も。

こっちは、肉じゃが。にんじんと肉以外は自家製。

2006年7月19日水曜日

まぐろのヒレ、かま

昨日に引き続き、マグロづくし。
でも今日は、アラのところばかり。これはヒレのところ。見た目はグロテスク。
塩焼きにすると、かなり淡白な味わい。醤油を少し足して食す。

もうひとつは、かまのところ。これも骨の隙間に肉が張り付いているようなのを、ほじって食す。

で、まともな魚も食してますよ、というアピールも少し。
塩鮭である。
どうです。ちゃんとしたものも食べているでしょ。
え・・お肉気ですか?・・・今日もありません。うむヘルシーではある。

下川裕治「週末アジアに行ってきます」(講談社文庫)

この本の最初、「はじめに」の項で、筆者の下川裕治は、こんな風な呟きを記している。
 
 
五年ほど前からだろうか。僕は仕事で出向くたびの日々のなかに、ぽっかりと空いた一日をつくることを試みることにした。
 
僕の仕事はカメラマンと同行することが多い。彼らには悪いが、旅の最後の一日は自分の旅にあてようとした。・・・ようやく手に入れた秘密の一日ー。そんなときはまず、バス停か市内電車の駅に向かう。いままで乗ったことのない路線を選び、知らない町まで行ってみる。あてもなくひとつの角を曲がり、あの先にはなにがあるだろう・・・と進んでいく。僕は旅先ではよく歩くほうだが、二、三時間もするとさすがに疲れる。休みがてらにそば屋に入り、隣でおじさんが食べている麺を指さしてみる。夕暮れ時なら一杯のビールだろうか。
 
 
もう少し時間がとれれば、一泊二日の旅に出ることにしている。先日もバンコクの仕事が終わり、翌日の飛行機でラオスのビエンチャンに出かけた。
 
 
明日はバンコクに戻り、その翌日には東京に戻っているのだが、それまでの時間、アジアに身を任せることができれば、僕は少しだけアジアの空気を体に吹き込ませることができた。
 
 
そんな旅を何回か続けているうちに、僕自身への旅は、日本で働く人々にとっては、「アジアの週末旅」になることに気がついた。 
 
 

それは、アジアへの旅が今までのように自由でなくなって、いろんな拘束(国家的な意味ではなく、社会的な、年齢的な制約や拘束)をもつ中で、できる限り自由を求める筆者の呟きを現しているようで、ちょっと時間の流れを感じてしまう。そういえば、以前の下川さんの著作は、もっといい加減なところがあったよなー、と感慨にしばしふける。 
 
 
とはいいながら、そこはプロの旅人。旅への思いは半端ではないから、時代が経過したならしたなりに、「アジア」を描き出してくれる。 
 
収録は 
 
一章目が「バンコクから足をのばす東南アジア週末旅」 
 
・バスで2時間の距離を二日がかりで走る寛容列車旅(バンコク・ウォンウェンヤイからメークロンへ) 
・カンボジアの車と悪路で蘇るバックパッカーの旅心(カンボジア・パイリン) 
・人と人との間に突き刺さるものがない町(ラオス・ルアンバパン) 
・物乞いの圧力にさらされてこそわかる仏教徒の「謙譲」(バングラデシュ・コックスバザール) 
・中国国民党の老兵たちが待ち続けた出撃命令(タイ・メーサロン) 
・バスに揺られて七時間。コーヒーの花の抗体をつくりにいく(ベトナム・パントメート) 
 
二章目が「お隣アジアへの週末旅」 
 
・気まぐれ無賃無賃乗船で訪ねた島は、夜になると港町が出現する(韓国・ピグム島) 
・懐かし中国夜行列車で訪ねる国境で出会う北朝鮮(中国・丹東) 
・幾重にもねじれた台湾の密輸島(台湾・金門島) 
・年に一回のテレサ・テンの墓参りを去年は実現できなかった(台湾・金山) 
・沖縄宿と街歩きで深みにはまって(日本・沖縄) 
 
(番外編) 
 
・巨木の森で寡黙に浸るアメリカ式キャンプの仄暗い快感(アメリカ・ロサンゼルス) 
 
である。 
 
 
で、語られるアジア、あるいは週末旅といったら 
 
駅のホームの上に自分の家を作ったり、運行本数の少ないのをいいことに線路の上に次々とパラソルを開き、野菜や魚を並べ露天市場を始めたりするタイの田舎町の風景であり、 
 
ピックアップトラックの荷台で国境を目指すが、途中で車のシャフトが折れて断念せざるをえない、カンボジアの旅であり、 
 
コンピュータにフライト時刻はでてくるがその空港のある都市まで行かないと予約はできず、おまけに欠航は当り前で、本当のフライトスケジュールは前日にならないと決まらない国内線の話であったり 
 
中国本土から追われながらも、まだ台湾の国民党政府から出撃の命令を待っている分派がタイの山中に町をつくっていたり、 
 
どこから見てもアジアらしいアジアばかりなのである。 
 
第二章は、近くの国への週末旅。韓国、中国、台湾そして北朝鮮である。 
タイやカンボジアなどに比べ、距離も短く、時間もたっぷりとれる近場の旅が物語られる。 
 
それはアジアの歌姫であるとともに日本人の情感を「もっともうまく歌いあげていたテレサ・テンの墓参りであり、無邪気ともいえる北朝鮮の娘が働く、国境近くの中国の酒場であり、テーブルがどんどん物置になってしまい、住居の方まで食堂が広がってきている沖縄の食堂である。 
 
そして、日本の近くの国とはいっても、ここにはやはり、アジア的な猥雑さが顔を覗かせている。 
 
そうした「アジア」の香りというか匂いに、どことなく安心して、ちょっと肌に粘り着くような空気の感触を漂わせるであろう旅に憧れてしまうのは、私だけだろうか。 
 
また、アジアへの旅をしたくなってきたなー。

2006年7月18日火曜日

まぐろ、ほたて、白イカ・・・刺身たくさん

頻繁に出るとなったら、出るもので、今日も「まぐろ」おまけに「ほたて」「白イカ」の刺身がてんこ盛り状態になった。
でも、安心してね、これを一人で食べるわけではありませんから。家族6人分です。

で、こうしたマグロのアラみたいなのも手に入りだした。
これは、うなじのあたりかな。
大きいことは大きいが、実は身は骨にしがみつくようについているので、そんなに大量にあるわけではない。

最近、輸入ビールを数本もらったので、その一本。

今日は、とんでもない豪雨の一日。梅雨末期とはいえ、ここ数年は、こんなに激しく雨が降ったことって、なかったんじゃなかろうか。

西村 淳「面白南極料理人 笑う食卓」(新潮文庫)

第30次と第35次の南極観測隊で名料理人を務め、あの有名カメラマン、不肖・宮嶋氏の脳味噌にもしっかりと記憶の爪痕を残した、西村淳さんの「面白南極料理人」に続く第2作。
 
といっても、三度めの南極観測に赴いたわけではないので、「南極面白料理人」で書ききれなかった、様々なコボレ話といった感じで考えた方がよいだろう。
 
しかも、である。今度の本は、レシピ付き、さらには、一口メモのような「ポイント」までついている。
 
 
しかし、まあ南極観測隊の面々、ほかに楽しみといってよいものがないせいか、食欲や食へのこだわりの方も相当である。 
 
例えばラーメンでも 
 
 
南極での労働が彼らの体に少しでもカロリーを摂取するように要求したのか、普通の隊員で二杯、調子の良い人で三杯、「麺類命!」を自称する江尻隊長に至っては、三玉オーバーを毎食要求してきた。 
 
 
といった具合のため、みるみる麺の在庫がつきて、自分達で麺打ちをする羽目になったり、
 
日本国内では高級品の「伊勢海老」だが、何度も続くと余ってくる。そこで工夫した伊勢海老料理が 
 
 
次にトライしたのは、すり身。それも「海老しんじょ」だとか「クネル」だとか、お上品なやつではなく、味噌・長ネギ・片栗粉でガッチリと揚げるすり身天ぷらかまぼこにこだわった。 
普通の料理人は、やすい材料を少しでも付加価値を出すべく、包丁を入れたり、煮たり、焼いたり、飾り付けをしたり、盛りつけるものだが、この時はいかに「伊勢海老」から、そのお上品なムードを無くしてしまうかが重要な課題だった。 
そして結果は大好評となった。 
山盛りにした「すり身団子」はみるみる減り、完食された。 
 
 
 
という風に一種豪快な贅沢料理をしてみたり、 
 
 
そしてこんな環境の中では,自然に速やかに体を温めてくれる料理が主役となってくる。 
ただし余った汁を捨てるなんて暴挙をするはずがなく、残った汁を次々と新しい鍋に変えていった。 
これが今でも多分観測隊で愛用されているであろう究極のリサイクル鍋「二泊三日鍋」の始まりである。 
 
 
といった風に、食材の調達がなにせ大量である上に極限の自然の中で隊員の食欲にも変化が生ずるせいか、物資が豊富なのか乏しいのか、贅沢なのか節約しているのだが、よくわからない状況が生まれてくる。
 
そして、これを最も端的に現すのが、乾物の話だろう。 
 
乾物といっても 
 
 
発電機が設置されている機械棟の隅っこにつくられていた食糧庫は、常時気温がプラス20°C以上湿度数%で、乾ききった室内は、乾物といえども数%を残しているであろう水分をますますカラカラに乾燥させ、ほとんどミイラ状態にして 
 
 
このため、 
 
・色あせたかりん糖→干しなまこ 
・ひげの落ちた小さなたわし→干しアワビ 
・雪男の頭皮→フカヒレ 
 
といった感じで、高級食材を面妖で奇怪な物体に変えてしまう。 
 
 
と、まあ、なんとも南極というところは、環境も激烈なせいか、一種豪快な状況に人間の暮らしを変えてしまうものらしい。なんだか、こうした話を読んでいると、自分の今の身の回りのいろんな出来事を笑い飛ばそうな感じになってくるから不思議である。ちょっとした暮らしの圧迫感にさいなまれているなら、こうした南極本はお薦めである。 
 
最後に、南極では
 
 
観測隊では、このボンヤリした状態のときは個人が何かの世界にポカリと入り込んでいる時で、この時無理に話かけたりすると、心のバランスが微妙にくずれ、後々決して良いことはないので、放心状態もしくは視線を宙に飛ばしている隊員がいても、話しかけるのはやめるようにみたいなこと 

 
 
を言われるらしい。これは、ひょっとしたら南極だけではなく、普通の世界でも、どこかに旅してそうな人を見かけた時には共通して気をつけなければいけないことなのかもしれないね。

2006年7月17日月曜日

鰯の蒲焼

本日は、朝から大雨。結局、本日も、キス釣りは中止。
晩御飯は、鰯の蒲焼。鰯をいったんムニエルにしておいて、その後に照り焼きのタレをつける。
どうかすると、鰯は小骨がひっかかることが多いのだが、今回はさほどさわらなかった。
蒲焼きは、甘めで鰻の蒲焼きを想定すると、アテがはずれるが、あおれはそれなりの風味がある。

魚のほかは、焼肉のレタス包み

先だっては、庭のレタスが育ちすぎて、樹木状態になっていて断念したが、本日はちゃんとスーパーからレタスを買って決行。
でも、ちょっと葉っぱがでかかった。


本日で三連休も終わり。明日から仕事かーーーー、と何やら面倒くさくなってきている自分。
なんか不完全燃焼感が残る連休だったなー。

え、閉店ですか。「復活書店」の閉店を惜しむ・・・。

今日は、県内中に大雨・洪水警報でまくりの一日。
で、こんな日は古本屋めぐりでしょ、と市内の、そうは数が多くない古本屋めぐり。
でも、古本屋ってのは有り難いよね。
ブックレビューのHPももっているせいか、けっこう本は読む方だと思うのだが、資金(小遣い)が潤沢でない身の上であれば、きれいな本を安価で提供してくれる古本屋というか、リサイクル・ブック・ショップはあり難い。

おまけに、一昨年から、ドキュメント・シート・フィーダ(Scansnapのことだ)を購入してからは、購入した本は読む前に切り開いてPDF化して、PCで読むことすらある状況。
(「本」の形だと、そんなに多くの冊数をあちこち持っていけないが、PDFだとたくさん持ち歩けるし、そこらのPCで読めるから、便利だよ)
できるだけ遠慮なく切り裂ける本が欲しいよーと、リサイクル・ブック・ショップは、そんな本が手に入って、ヒジョーに良いんだが(PDF化するなら陽灼けも余り気にならないしね)、なんと、いきつけのリサイクルショップが近日中に閉店するとのこと・・・。
まあ、経営上の理由もあるんでしょうが・・・。
今のところ閉店セールをやっているので、閉店まで利用しようかと思ってます。
「復活書店」、それが今回のエントリーのお店。
中古ゲームからリサイクルブックまで、非常に重宝した店だったのですが・・・。
御世話になりました。
7月23日に閉店とのこと。

井沢元彦 「逆説の日本史9 戦国野望編」(小学館文庫)

我々が当り前のように思っている「日本史」の常識を、根底から崩して新たな地平を見せてくれる、井沢元彦氏の「逆説の日本史」も文庫判がようやく戦国時代になってきた。 
 
今まで、「怨霊信仰」や「言霊」の思想で、日本人である我々も気づかない、我々の意識の底にある行動原理を解き明かしてくれた「逆説の・・」が、今度は、戦国時代を題材にどんなキレ技をみせてくれるか楽しみになる。
 
収録は
 
琉球王国の興亡論ー「沖縄人」が築いた東アジア大貿易圏 
海と倭寇の歴史編ーニセ倭寇を生み出した朝鮮民族の差別思想 
戦国、この非日本的な時代編ー「和」の原理を崩壊させた実力主義 
天下人の条件1 武田信玄の限界編ー戦国最強の騎馬軍団と経済政策 
天下人乃条件2 織田信長の野望編ー「天下布武」と「平安楽土」の戦略 
 
の5章。
 

 
最初の2章、琉球王国なり倭寇をとりあげた章では、当時の琉球(沖縄)が、現代でも稀な平和的な海洋貿易国家であることを解き明かしていく。とはいっても、沖縄の歴史が、巷間いわれるように平和的なものではけしてなく、戦争と講和の連続、まあ、どこの国でも繰り返されてきたことは、きちんと抑えてある。でも、どうして、沖縄が戦争のなかった平和な島なんて風に、私たちは思い込んでしまったのだろうな。
 
さらに倭寇である。倭寇のうち日本人は2割程度で、残りの8割は中国人か朝鮮人。おまけに倭寇全盛期の頭目は中国人であったあたり、ちょっと目鱗。おまけに、「倭寇」問題が、実は定住を基本とする「農業国家」と定住を基本としない「商業国家」の対立であったとするあたり、国家の有り様というか、スタイルを考えさせて興味深い。 
 
後半の3章は、日本本土の戦国時代をとりあげる。 
 
日本人が一番興味を持っているのが「戦国時代」で、たしか大河ドラマとか歴史ドラマも「戦国時代」を取り上げると、あまり当たり外れはないらしい。
じゃあ、日本人の心情に「戦国時代」が一番フィットしているのか、というと、けしてそうではなくて、日本人の心情の底にあるのは、やはり「和」。戦国時代に憧れるのは、そうした実力主義に染まりきれない我々のないものねだりだ、と喝破するあたり、うーんと感心してしまう。
 
で、「天下人の条件」は戦国時代の武将でも人気を二分するであろう「武田信玄」と「織田信長」をとりあげて、「天下をとる」という概念は、いったいどういうものなのかを詳しく述べてある。
 
これを読むと、当り前のように思っていた「信長」の発想自体が、とんでもなく独創的というかとんでもなく破天荒な考えであったこと。信玄が、いかに時代にオーソドックスな人で、その意味で「天下人」という概念にはおそらく近づけなかったであろうとするあたり、信玄ファンには申し訳ないが、納得させられてしまう。
 
あと、「戦国武将が誰もが京都に上って天下をとることを夢見ていた」わけではない、といったあたり、サラリーマンが見全員、社長を目指しているわけではないことを考えると頷ける話なのだが、ここではっきり言われるまで、定かには認識しなかった。言われれば、そうだよね、と思わず納得した次第。
 
 
ちょっと全体的に論証がクドクなってきた感じがするが、歴史解説として、現在の「定番」のようになってきたと思わせるシリーズの一作である。

2006年7月16日日曜日

藤原伊織「テロリストのパラソル」(講談社文庫)

この作品が、江戸川乱歩賞を受賞したときに、全共闘色が強いとか、学生運動の名残とかいろんな批評がされたらしい。

すでに全共闘、全学連も遠くなり、オウム真理教すらもかなり時間を経た今となっては、ちょっと古びたテロ犯罪のミステリとなっているようだが、どことなくノスタルジックに読めるのは、青春時代を引きずっているような主人公のアル中の中年バーテンダーと事件の謎も、これまた青春時代の復活みたいなところがあるからだろうか。


事件らしい事件は、冒頭の公園での爆弾テロ事件のみ。のみ、といっても昼下がりの日曜日でにぎわう都心の公園での爆弾テロだから、犠牲者は多いし、おまけに警察のエリートが娘と一緒に事件にまきこまれていたり、主人公が若いころ別れた恋人と、別れた原因となった主人公の闘争仲間も犠牲となってしまうという、なにやら過去の因縁が一挙にでてきそうな設定である。

で、期待に違わず、昔の恋人の娘が主人公に絡んできたり、広域暴力団が主人公の口を封じようと(事件の時に黒服の男を目撃した程度のことなのだが)執拗に襲ってきたりとか、主人公が学生時代に爆弾テロ事件を起こしている(1971年に事件を起こして22年間経って時候が完成している状況)ことから、今回のテロ事件の犯人として手配されたり、あれよあれよと展開していくのだが、それなりにテンポよく読ませるところが、流石、乱歩賞受賞と直木賞のダブル受賞作といったところか。

ミステリの時代設定としては1990年代の始めあたりか。

ちょっとその近辺にできごとを拾ってみると、1990年は西ドイツと東ドイツか再統一しているし、1991年はジュリアナ東京のオープンとソビエト連邦の崩壊、湾岸戦争勃発、1992年はバルセロナ・オリンピック、1993年にはJリーグ創設と皇太子殿下が雅子妃と結婚、1994年は松本サリン事件とジュリアナ東京閉店、とバブルの崩壊や社会主義体制の崩壊と、いろんな秩序がひっくりかえった時である。そうした時代背景にしては、爆破事件だけか・・・と思うのは、その後のイラク戦争や、アメリカの飛行機テロとか、どこぞの国のミサイル発射とか物騒な事件に慣れてしまってきているせいだろうか。

そういえば、作品の舞台も東京、新宿なのだが、アジア人であふれ多国籍的な「シンジュク」ではなく、まだ第三世界化していない「新宿」が作品のそこかしこに残っていて、なにかしらなつかしい思いがするのは、私が昔の新宿で若いころを過ごした、全共闘世代の後の「ノンポリ世代」のせいだろうか。


事件のネタばれは、昔の爆弾騒ぎの再現。しかも、若い頃の恋の鞘当てみたいな感情も絡んでいて、動機としては「若い頃の年をとるほど倍加する奴がいる」といったところか。
まあ、その事件を起こした経済的な背景が麻薬とかマネーロンダリングとか、まだ日本の犯罪状況が国際化していない時代を現しているのが、少し古びた印象を受けるのだが、そうした生臭いミステリとしてとらえるのではなく、青春時代の遅れてきた復讐が起こすミステリと捉えるべきなのだろう。


破天荒な国家陰謀を期待するとはずれてしまうが、ちょっとオーソドックスなサスペンスとして、学生運動華やかなりし頃の雰囲気を色濃く受け継ぐサスペンスとして楽しめる作品であると思うのだが、どうだろうか。

鱚の塩焼き

今朝は鱚釣りに行く予定だったのだが、雨で断念。
雨といえば聞こえはいいが、音を聞けば豪雨である。
朝6時頃出発かな、と子供達に言っておいたが、なんのことはない。親の方が先に目を覚ましてしまう。
で、目を覚まして、今日も青空になりそうだねー、となれば釣り日和なのだが、あいにく叩きつけるような雨の音で目を覚ましたという次第。
ということで、本日は、鱚釣りはなし。明日に望みをつなごう、ということで一日を過ごす。
途中、庭木の剪定に乗り出すが、これも豪雨でびしょ濡れになり断念。
結局、最近、気になっているルーター探しに電機店などなどを巡り、結局は、娘に、誕生日祝いの「電子辞書」を奥さんと「共同でプレゼントという始末である。
でも、電子辞書ってのはすごいな。広辞苑まで入っているんだ。先日、亡くなった親戚の伯父さんが一生ものだから、と娘の中学の入学祝いに「広辞苑」をプレゼントしてくれたことを思い出す。
それが今は、辞書の一アイテムですか・・・。ITの進化ってのは、夢も希望も、ごたまぜに平均化してしまうなー、と実感。
それはさておき、鱚の塩焼。奥さんは息子に「きすだよー。ちゅーだよ」と奇妙なことを言って、息子にケリをいれられている。釣りにいっても、こんな立派な鱚は釣れないから、まあ良しとしよう。塩加減も良し。やっぱり、鱚は塩焼だよなー、と身をペロンととって食す。

こいつは、豚カルビの塩焼。デジカルビってやつですな。塩胡椒がちょっとキツメだが、豚は、もともと肉味が淡泊だから強めの味付けがいい。ビールのあてものにピッタリ。

もうひとつは、ナスの肉味噌炒め。タレは市販品。皮が固めだが、構わず食す。
秋ナスは嫁に食わすな、というが夏のナスもどうして捨てたものではない。


といいながら、天気予報を見ると・・・・。えーっ。明日は本気で豪雨ですかいな・・・。
警報まで出そうではないですか・・・。
息子はあわてて、てるてるぼうずをつくり、軒先に吊るす。
さて、明日の天気はいかに、てるてるぼうずの命運やいかに・・・

2006年7月15日土曜日

豚肉の竜田揚げ

豚肉に衣をつけて揚げた。竜田揚げ風である。ちょっと肉が薄くて、最初、鶏か何かの皮かな、と思ったのだが、豚肉であった。結構、さくさくとした食感。

もう一品は麻婆豆腐。ちょっと辛目につくってもらった。いつもは子供用に、甘めのものが多いのだが、飯の上にかけるときは、やはり辛目がいい。でも、ちょっと加減して中辛目。

本日は、午前中は、職場の同僚のおとうさんの葬儀に出席するため車で出かける。1時間程度、車を走らせたところの葬儀場で葬儀。
帰ったら、明日の朝は鱚釣りにいくぞー、と子供達に宣言して、投げ竿を1本と(家族全員で行くとなると1本では足りない、と断言された。)餌(青虫というやつだ)を購入。さて、竿にリールをセットし準備万端、と思いきや、なんと、明日は雨ですとー!!!

黒岩重吾「子麻呂が奔る」(文春文庫)

聖徳太子の腹心 秦 河勝の部下 子麻呂が斑鳩の里の事件を解決していく古代を舞台にした時代ミステリー。
 
収録は「子麻呂と雪女」「二つの遺恨」「獣婚」「新妻は風のごとく」「毒茸の謎」「牧場の影と春」の6編。
 
時代ミステリーといえば、せいぜい江戸時代の捕物帖が普通だろう。それを古代、とりわけ正史の事実の真偽すら定かではないところもある飛鳥時代に材をを求めながら、古代の時代風情をたっぷりと味あわせながら、きちんとしたミステリーに仕上げているのは、文壇(ちょっと古い表現だね)の重鎮 黒岩重吾氏の手練の技だと思う。
 
 
さて、それぞれにレビューすると、一話目の「子麻呂と雪女」は、子麻呂が冬の里で、雪女に見紛うような美しい女(キヌイ)を助ける話。この娘と子麻呂はなにやら怪しげなというか、恋愛沙汰のような関係になってしまうように思っていると、なんと、子麻呂が娘の国家的な大仕事の練習台に使われていることが明らかになるあたり、中年男のワビシサは、ちょっと我が身に凍みる。
 
 
二話目の「二つの遺恨」は、真面目に学問をしていると思った息子が、実は最近学校をサボっている。何故か、という理由探しと、斑鳩の里でおきた村の古くからの無冠ではあるが豪族(平群氏の郡司)の一族の一人と農民とのイザコザの理由さがしが並行して展開する。まあ、息子の方はm親の因果が子に報いといった感じの、息子の学校の教師の逆恨みなのだが、村の方は、この時代の古くからの氏族が衰え、新しい位階制度のもとで新興勢力が台頭していく様子が反映されていて、なにやら現在の様々な姿を彷彿とさせる。

 
 
もともと古代といっても、そこは人間がいろんな欲望や夢をもちながら暮らしていたのは現在と同じ。古代だからといって牧歌的戸は限らない。 
三話目の「獣婚」は官人の一人が、一匹の犬と一緒に獣姦を犯しているような姿で殺害されているのが発見されるというもの。殺害の様子はちょっと猟奇的なのだが、結局は恋の鞘当てのような話であるし、「新妻は風のごとく」では、せっかく再婚できそうになった子麻呂の相手が、呪術師の気があって、子麻呂とのに新床で出奔してしまうし、「毒茸の謎」では、ハイクラスの官人たちのフリーセックスの集まりで、精力を増すというふれこみの茸中毒が蔓延する話である。
 
最後の「牧場の影と春」でも、子麻呂とねんごろになる未亡人が登場し、子麻呂は一緒になってもいいぐらいに思うのだが、そこはそう単純にはいかず、死んだ先夫の使用人とこの未亡人の色恋沙汰めいたものや、先夫の稼業であった牧場の馬の育成にからんだ汚職めいた事件が見え隠れする。
 
古代といっても、人間の話である以上、今と変わらぬ、いろんな思惑があるよねー、と古代ロマンなんてものの幻想を覚まされてしまうのだが、人が生活するということは昔も今も変わらない以上、いたしかたないと思わざるをえないのだろう。古代といっても霞を食って生きていたわけではないのだから無理もないよね、と納得してしまった次第。 
 
 
とはいっても、今とは暮らしぶりも、ものの考え方も今とは違っていた古代の風情を、十分に堪能させてくれる短編集ではある。黒岩氏の古代ロマンに浸ってみるのも一興である。

2006年7月14日金曜日

じゃがいもの塩茹で

なんと、うちの庭で収穫した「じゃがいも」。
栽培しているわけではなくて、料理に使った皮のところを庭に、他の野菜屑と一緒に庭に捨てていたら、そこから芽が出て、芋ができた、という次第。
で、あれこれ細工をせずに塩茹でである。
じゃがいもも大きいものを塩茹ですると、ちょっとぎょっとしてしまうのだが、小芋の塩茹では、つるんと皮をむいて、そのまま頬張ると非常に具合が良い。一口で頬張れてて食べられるのが、また嬉しいのである。


これはナスを軽く油で炒めたもの。しょうがをたっぷりきかした醤油で食す。皮のところはちょっと固いので歯でしごくように身をとる。さっぱりして、これぞ「夏野菜」という感じである。

野菜だけだと寂しいよね、とばかりに鯛の塩焼。塩はあまり強くきかせず、ほんのりと。
身も厚くて結構でした。

今日は、リンガーハットの会長さんの講演を聞いて帰ったら、ちょっと遅くなってしまった。
でも、いわゆる外食産業からの視点というのが、面白かったので、また後日エントリーしよう。期待かけずに待っててね。

2006年7月13日木曜日

まぐろ、まぐろ、まぐろ

肉ではない。まぐろである。
たくさん水揚げされている、という話だけ伝わって、一向に姿を見せなかった「まぐろ」がようやくお目見えである。
ちょっとはりこんで、今日はまぐろづくし。
二日間ほど外で食べることが続いていて、ひさびさのエントリー。外で食べるといっても、宴会だったから酔っ払い状態。で、今日は、ひさびさにうちごはん。しかも、「まぐろ」である。

スーパーでトロのとこだけとか頼んでいるわけではなく、魚屋さんに頼んだので、良いとこどりはできなくて、いろんな部位の寄せ集めである。
でも、まぐろのいろんな味が楽しめることは確か。赤身が好きな人とか、トロっぽいところが好きな人とか、家族でも好みが結構別れるのが面白い。まぐろもこうしてみるといろんな味があって、「美味しんぼ」とかを受け売りした人がいうように、赤身の魚は単純ともいい難い。赤身には違いないが、それぞれに味わいが違うのである

最後に、「目玉」の塩焼き。
ちょっとグロテスクで生臭っぽいのだが、一度好みになるとヤミツキになる。塩気をかなりきかせるので、飯のオカズかビールの友がいい。冷めると生臭さが強くなるので、熱いうちにハフハフ食べるのがコツである。

2006年7月11日火曜日

倉知 淳「日曜の夜は出たくない」(創元推理文庫)

仔猫のようなまん丸い目をした小男で、定職にはついてはいない。どうやって生計をたてているかは全く不明だが、時推理をさせたら抜群の才能を示す、「猫丸先輩」が登場する倉知 淳さんのデビュー作である。

収録は「空中散歩者の最期」「約束」「海に棲む河童」「一六三人の目撃者」「寄生虫舘の殺人」「生首幽霊」「日曜の夜はでたくない」の7作。
デビュー作ではあるが、それぞれに風味のかわった作品ばかりが用意されている。


最初の「空中散歩者の最期」は、男が墜落死している。ところがあたりの高いビルなどの建造物からは離れたところに落ちており、まるで空中を散歩している途中に、不意のアクシデントで落下して死んだような感じの事件の死因を推理するものであるし、「約束」は、公園でお話をするのを常としていた少女と中年の「おじさん」。その「おじさん」が公園で睡眠役自殺を遂げる。少女に自分の汚職を告白し、警察に自首することにするが、その前にもう一度少女に会って手品を見せる約束を果たさずに死んでしまった中年男の死の謎を解き明かすもの。
ちょっと間を飛ばして「日曜の夜は出たくない」は、恋する相手の男と別れた日曜の夜は近くで通り魔事件が頻発する。もしや、その男性の仕業では、と気をもむ女性の心配を晴らすといった風である。


7作とも、作品の持ち味というか風味が変わっていて、「約束」のリリカルな風情から、「寄生虫舘の殺人」のようなちょっとコミカルなタッチまで、まるで習作というか、作品の味わいとトリックの多様さを試しているかのような手練の技を見せてくれる。

で、ふんふんと作者の技に載せられて読み進んで、まあ、ちょいとした暇つぶしになったよね、と解説にいこうとしたら、なんと、最終話と解説の間に

誰にも解析できないであろうメッセージ



蛇足ーあるいは真夜中の電話

といった挿入話がある。

「なんじゃ、これは」と読むと、最初のは、作者からのなんというか、ちょっと凝り過ぎっぽいお遊びの説明。作品間に脇役のバトン渡しがあるとか、作品内に妙な文章が入っていて、その頭文字をつなげると、妙に目出度いメッセージが隠されているとか、ちょっと誰もみづかないぞー、とばかりの仕掛けのお話。


で、もう一つは、というと・・・。うーむ、こんな「どんでん返し」を最後にもってきちゃいけないじゃないのー、と思った次第である。詳細は原本で、どうぞ。

2006年7月10日月曜日

シイラの塩焼

子供のころの夏の魚といえば、塩辛い、「シイラ」ばっかりだっな、と思い出話をしていたら、早速届いた。
皮の黄色いところが「シイラ」らしい。
少し塩を甘めにしてあるので、「しょっからい」という感じはない。ほどよい塩からさである。
子供の頃の「シイラの塩焼」はとんでもなく塩辛かった気がするのだが、これも時代と、こちらの味覚がかわったせいか。
身もほどよく脂がのっているが、焼くとちょっと乾いた感じになるのは、シイラ特有の身のせいかも。


昨日に続き、お通じの薬。今日は「海の幸サラダ」
刺身のはしきれを集めて、海藻、こんにゃく、レタスでサラダにする。
ちょっとこんにゃくが多かったかな