2008年12月27日土曜日

Ubuntuで仮想DVDを使う

茶の間ノート Ubuntu-ThinkPad A21eと本日も遊ぶ。
このノート 大変にレトロなマシンなので、DVDなんてものはRWはおろかDVD-Rもない。
光学ドライブは、レトロPCの定番「CD-R」である。(RWですらないのだよ、諸君)
まあ、光学ドライブが必要な時はWindowsの母艦で対応するので、今まで使ったのはUbuntuをインストールするときぐらいなのだが、なんとか仮想DVDが使えないかチャレンジすることにした。
(なんといっても、仮想DVDプレイヤーが使えれば、ISOファイルさえあれば、なんと茶の間ノートで、DVDが見られるということではないですか。まあ、あくまでISOファイルがあったとしたら、の前提ですがね・・・。)
Windowsなら、仮想DVD/CDのフリーソフトは、Daemon Toolsを始めとして数々あるのだが、Linuxにはないのかしら、と探索。
そうすると、Gmount-iso というのがあるらしいので、さっそくインストール。
「アプリケーション」→「システムツール」→「Gmount-iso」
を起動すると、こんな設定画面がでる。


どうやら、Mount pointを設定しないといけないらしいので、DVD専用のマウントポイントを作成する。
$ sudo mkdir /media/DVD
マウントポイントが設定できたら、読み込むISOファイルを、Gmountの設定画面の「Image File」 の横の「開く(O)」をクリックしてファイルを選択。
次に「Mount point」の横の「開く(O)」をクリックして、「/media/DVD」を選択。
で、仕上げに「mount」をクリックするとISOがマウントできる。
この後、DVDプレイヤーとして使う「SMplayer」の設定をする。
Smplayerはデフォルトでは、デバイスの設定がされていないので、「オプション」→「環境設定」→「ドライブ」でデバイスを設定

CDデバイスは、それぞれの環境で適宜。
DVDデバイスは、さきほどの設定にしたがって、「/media/DVD」を選択。
設定が終わったら、SMPlayerでマウントしたISOのファイルを再生すると・・・・・・
うーむ、綺麗ではないですか??。

2008年12月26日金曜日

UbuntuでNTFS形式のファイルを使う

明日から、年末年始の休暇に入ったので、久しぶりに茶の間ノートであるUbuntu-ThinkPad A21eをいじることにする。
Ubuntuは、FAT方式ならFAT16でもFAT32でもデフォルトで使えるので、通常のメモリーカードを読み書きする分には不自由ないのだが、USB接続のハードディスクなんかを使うときは、やはりWindowsとの共用になるから、そうそうUSBのHDDをext方式でフォーマットもできない。
NTFS方式でフォーマットしたHDDのマウントと読み書きができないか、試してみた。
あちこちググるとntfs-3gを使えばいいらしい。
Ubuntu 8.10だとデフォルトで ntfs-3gはインストールされているので、これに加えてntfs-configをインストール。
(apt で入れてもいいし、synapticでもよい)
インストールすると、「アプリケーション」→「システムツール」に
「NTFS Configration Tool」がでてくるので、これをクリック。
そうすると
ntfs-configのダイアログが開き、その中の
Enable write support for internal device
をチェックして再起動すると、fstabの設定も自動で書き換えてくれて自動マウントできます。
Webの情報では、「これで、OK。簡単だね!」のはずが、この項目をチェックボックスが開かない。
USBのHDDをつないでも、「マウントできません」と蹴られまくり。
うーむ。シクシク。
ということで、いろいろググるが、なんともよくわからない。
しょうがないので、自力でfstabを書き換えることにする。

まずはマウントポイントを作成。今回は、/mediaに/usb_hddというディレクトリをつくることにした(このへんの名前は、お好みに合わせて、どうぞご自由に。)
$ sudo /mkdir/usb_hdd
次はfstabの設定追加
$ sudo vim /etc/fstab
で/etc/fstabを開いて、最終行に
/dev/sdb /media/usb_hdd ntfs-3g force 0 0
を書き加える。(sdbは私の場合にHDDをsdbで認識しただけのことなので、環境によっては、sdaやsdc 、はたまたhdbの場合もある。そのあたりは試行錯誤かな)
ここまでできたら、システムを再起動。
そうすると、ntfs-configのダイアログが開き、その中の
Enable write support for internal device
にチェックできるようになる。
やれやれ、と思って、HDDをつなぐと、今度はrootじゃないとマウントする権限がない、と叱られる。
ubuntuは普通rootでログインする設定になっていないだろー、と思うが、叱られるものはしょうがない。これまた、あちこちのサイトを探訪。
Ubuntu日本語フォーラムのここで解決策を発見。
ここのご託宣にしたがって、/bin/ntfs-3gの設定を変更
$ sudo chmod u+s /bin/ntfs-3g
システムを再起動すると、これでNTFSでフォーマットしたHDDを認識するようになりましたー。

2008年12月25日木曜日

上山信一「だから改革は成功する」(ランダムハウス講談社)





一時代を席捲した「業務改革」の進軍ラッパのような本。

章立ては
第1章 Desigin なぜその改革は成功しないのか
第2章 Organize あの改革はこうして成功した
第3章 Work 本物の改革はこうしてつくられる
第4章 Skill 本物の改革屋はこうしてつくられる
第5章 Will 自分自身を改革する
の5章からなり、章立てでわかるように、改革の成功要因と失敗要因の分析から始まり、改革をするための手法の紹介、改革の実行部隊の作り方と志気の高め方、そうして、さあ頑張ろう、といった流れである。

本書が刊行されたのが、2005年10月で、2005年といえば、アメリカのジョージ・ブッシュが2期目の大統領になって、その年のハリケーンのカトリーナがアメリカを襲って、その対応で、ブッシュ政権の人気が急落した年だ。
日本は、といえば、名古屋で「愛・地球博」が開催され、夏には郵政民営化を焦点に、小泉首相が衆院を解散、自民党が圧倒的な勝利をおさめ、10月には道路公団が分割・民営化された年だ。
まさに、「改革」大流行の年に発行されたわけだ。


こうしたシチューションを踏まえながら、今改めて読み直すと、改革の本質は「改革と改善は違う」「組織の体質そのものを変える」「組織の存在そのものの否定も考える」というあたりや改革に挑むために、各部門、各分野のベストな人材を集めてドリームチームをつくる、などといった、「改革」が、錦の御旗になっていた時代らしい雰囲気がそこかしこに出てきていて、当時の、「それなりに」熱気あふれていた時代の息吹が感じられる。


とはいっても、当時の改革ばやりの世相だけを反映している訳ではなく、

例えば

改革屋になるための必要条件は

①「好奇心」そしてリスクをとることをいとわない精神力
②知らない分野の人たちと円滑な「コミュニケーション」がとれること
③謙虚さ

改革屋になるための十分条件

①物事を深く「分析」し、わかりやすく「まとめる」能力
②「チームマネジメント」の能力
③「ひらめき」と「カリスマ性」

といったあたりや

キャリアデザインを考える3つのポイントは

①得意技を伸ばすこと
②「やりたい時にやりたいことをやる」という楽観主義
③就職という概念を捨てること

といったあたりは、今でも通用するのではないだろうか。


まあ、こうした変転の時代に生きている以上、かってのような一種「平穏」な空気のもとで暮らしていけるケースは、むしろ稀で、自己否定を繰り返しながら、「改革」「変化」というものを、ある程度当たり前のように、こなしながら、ビジネスにしろ生活にしろ、やっていかないといけない時代になっている。

そうした意味で、「改革」の旗を振っていた、あるいは振っている立場から書かれた「改革を鼓舞する書」として、眼を通しておいてもよい本であろう。



2008年12月14日日曜日

ワカサギの煮付け

地元産ではないけれど、大きなのが手に入った。やっぱり、大きなのは、食べがいが、ありますな。


2008年12月7日日曜日

ステーキと赤貝の煮付け

本日はひさびさのステーキである。
奥さんの実家からの頂き物。
ここはレアで焼いてもらって、ポン酢で半分食べて、あと半分は、塩コショーだけで食す。


肉は、あれこれ細工をせずに、シンプルに食うのが一番。
で、こちらは赤貝の煮付け。
最近、よく赤貝が届くのだが、環境かなにかがよくなったのだろうか。(こちらの近くではサルボウとも言うらしいね)
醤油と砂糖とショウガで煮付けるのだが、貝の旨みがあって、小粒でも味は深いのである。


2008年12月6日土曜日

手帳あれこれーその2

もうひとつ、手帳ネタ
年収2000万以上の人の手帳術の特徴は
気付いたことやアイデアをすぐにメモする習慣がある。
特に付箋紙を使ってすぐメモする習慣があり、間違っても次の紙に書けばいいので、その場合の筆記具は鉛筆やシャープペンよりもボールペンや万年筆を使う。
内ポケットに入る小振りの手帳を選ぶ。そのため、行き先を書き写したり、貼り付けるスペースが少ないので、地図や案内は手帳にはさんでおく。手帳の大きさから考えると、それらは用事が済むと捨てられる。
ということらしい。
付箋紙を使うっていうのは、惜しげもなくメモできて、用事が済むと、惜しげもなく捨てられるってあたりがミソかもしれないですね。

2008年12月5日金曜日

手帳あれこれ

PDAにスケジュールやらTO DOを移行してから、私の場合、システム手帳は、すっかり、メモパッド入れ及びカードホルダーと化しているのだが、やはり、紙の手帳というのは気になるもので、時折、手帳の記事やら特集があると思わず目がいってしまう。
少し、旧聞に属するのだが、プレジデントの2008.11.3号に「年収 2000万の手帳術」という特集が載っていたので、いくつか気になる使い方を紹介しよう。
手帳づかいで、気になるのは、やはり組織のトップが、手帳をどんな風につかっているかということだと思うのだが、
中には、
ブリジストン 荒川詔四社長の「常務になった頃からは、メモはできるだけ取らないようにしています。いまは、特に変化の激しい時代です。瞬時の意思決定が求められる立場になって、情報は頭の中に直接叩き込まなければいけないと考えるようになりました。」
やら
SBIホールデングス 北尾吉孝CEOのように「手帳やメモはもったことがない」
とか、ちゃぶ台をひっくり返すような話もあるにはあるのだが、皆、ビジネスマンとしても優秀だったであろう人たちの手帳の使いようなので、ふむふむと唸らせるものは多い。

例えば
コマツ 坂根正弘会長の

発想がわいたらすぐに手帳を開き、実行日の欄に短いキーワードを書き込んでいく。当日、手著運はやるべき内容に関するキーワードが並ぶ。本のインデックスから本文をたどるように、そのキーワードをもとに頭の中に入れておいたファイルをたぐって開いていく。
こ の手帳術は、あらゆる面で「見える化」を追求するという、私の仕事の仕方から生まれた。いわゆる天才は、その場で頭の中からアイデアを引き出すひらめき的 な発想ができる。一方、凡才であっても、思いついたアイデアを常に見える化しておけば、発想が途切れず、天才とのギャップを埋めることができる。

商船三井 芦田昭充社長の

私は、仕事に役立ちそうな数字で役に立ちそうな数字も、ともかくアンテナに引っかかった数字はすべて、一冊のの手帳に収集している。
収集の仕方は、主に新聞の切り抜き。
気になった表やグラフを切り抜いて、手帳に貼り付けていく
小一時間でも時間ができると手帳を開く。そして張子である表やグラフの数字を片っ端から覚えていくのである。
頭に記憶させたさまざまな数字が有機的に結びついたときに、モヤモヤとしていた将来の世界経済の姿が、突然霧が晴れたように見えてきたりする。

などなど
ちょっと頑張って手帳を使いこなしてみようかな、と思うエピソードにぶつかるのが、こうした手帳特集の良さというものですね。

2008年11月30日日曜日

500系ひかり雑感

500系ひかりが引退するということで、今日はあちこちのTVで大賑わいである。
鉄道マニアではない私にとって、「500系」といわれてもピンとこないのだが、あの先の丸っこいの、と言われれば、ああ、と納得してしまうぐらい、あのデザインは「新幹線」の象徴でもある。
でも、インタビュー受けてた人とかも、鉄道マニアばかりではなくて、あの丸っこい新幹線に、自分の人生や、日本が向こう見ずに元気だった頃を重ね合わせているみたいですねー。
たしかに、おもちゃにしても「ひかり号」はいろんなバリエーションのものがでているし、きっと、子供たちが鉄道のおもちゃで、一番に接するのは「新幹線」のおもちゃだろう。そういう意味で、「ひかり号」はわが国の科学技術のシンボルのようなものでもあるわけだ。
そうしてみると、
アメリカのアポロや、フランスのコンコルドといった国を象徴するような技術が消えていくとき、どうかすると国の元気も失われていくことが多いのだが、今回の金融崩壊が、それかもしれない、なんてことを思ってみたりする。
まあ、何はともあれ、東京オリンピックの頃の技術が、今まで使われていたってことを寿ぐべきであって、どこかの国のマスコミの常道のように、あまり悲観的なことは、言わないこととしよう。
こうした技術を生み出した国であることを喜び、こうした技術が数多く誕生していくことを祈るとともに、時代をになう技術者たちに「期待!」である。

瀬戸山 玄「丹精で繁盛」(ちくま新書)

「丹精」という最近では、あまり聞かれなくなってしまった言葉に惹かれて、本書を開いた。
分類的にいえば、「モノづくり」の本である。しかも、単純に「工」に分類される「モノづくり」ではなく、日本人の精神の中に脈々と息づいている、「職人」的な「モノづくり」に携わる人たちの物語である。

本書の章立てによって紹介すると

「第1章 脱上式の引き金」では、地元のいわゆる雑魚を干物にしている(縄文干しという名らしい)干物業者

「第2章 消費者との距離」では、山間地で米作りと林業を営む農林家

「第3章 変化に立ち向かう気骨」は、造船業から鉄材をつくった斬新な建築施工を行う鉄材加工メーカー

「第4章 祝祭を運びこむ職人力」では、飛騨に本拠を置きながら、東京の流行の最先端のビルの内装を扱う左官集団

「第5章 物づくりの勇気」は、イタリアで評価されている、沈滞した老舗から蘇った岐阜の家具製造業者

がそれぞれ扱われている。

いずれも、個性あふれるモノづくりの担い手なのだが、共通しているのは、「丁寧さ」ということ。


「丁寧」というのは、その仕事ぶりや、相手をする消費者に対するものだけでなく、扱う「モノ」に対しても「丁寧」であるということで、例えば、

第1章の干物づくりでは、塩分を少なめにするために、魚の頭と内臓をとって、しかも天日で干さずに陰干しにし、業界の常識では、「バカでねいか」といわれても、「頭つきの干物は、塩分を相当強くしないと、焼いているうちに腹から臓物がでてきてしまうんだ」と頑固にやり方を守ったり、

第3章の鉄材加工メーカーの社長は「勉強はすごくできる20代や30代の若くて頭のよい設計士が、自分で汗した経験もほとんどないまま、どうのこうのいう。私に言わせれば、鉄五キロがどんな重さ、十キロならこんな重さといった実感も分からない設計士が多すぎる」

と主張を曲げない。

しかし、そこに流れるのは


少数はの物づくりに息づく「丹精」とはつまり、大勢に流されない勇気である


であり、


丹精がもつ暗黙のきまりや採算度外視ぶりが、いまどきの露骨な市場原理主義の経済にそぐわないので、もしや忘れられかけているのではあるまいか
 これにかわってやたら乱発されるようになるのが、「こだわり」という奇妙な流行語だ。本来、小さな事柄に執着して融通がきかないことをさす。そのせいか、こだわりという語感には「すごいだろう」という子どもじみた自己満足の匂いや、まるで水増し請求書を勝手に押し付けられたような、厚かましさがいつもなとわりつく。
 こだわりは狭く、丹精は広い。だから前者は金銭で顔色が移ろい、後者はすんなりと心に響く


という精神なのであろう。

こうした「丹精」の心が、金融崩壊の中で行き所を失っている「物作り」の一筋の光明になるのかもしれない。


最後に、「丹精」がその礎をなると信じて、本書から一節を引いて〆としよう。


一生懸命やっていると偶然が重なり、物事はどんどんよい方向へ進むみたいです。

2008年11月29日土曜日

リーナス・トーパルズ「それが僕には楽しかったから」(小学館)

Linuxの創始者、リーナス・トーパルズの半生記。彼が、PCにどう親しむようになって、どうやってUnixに出会い(この本ではミニックスとなっていて、どうやら、Unixの変形判に出会ったのが最初らしいね)、これをLinuxにつくりかえ、そしてアメリカに渡り、オープンソースの領袖となり、といった、今もなお現在進行形で進んでいるトーパルズの人生でもあり、Linuxの歩みでもある、間違いなく、情報工学の重要な歴史の流れが綴られている。

構成は

第1部 オタクの誕生
第2部 オペレーティング・システムの誕生
第3部 舞踏会の王

となっていて、第1部では、幼少期から大学時代までの間が、第2部ではLinuxの誕生、第3部では、アメリカのシリコンバレーに移住と、オープンソース運動が語られている。

しかし、リーナス・トーパルズの半生記を読みながら、つくづく思うのは、Linuxの創世が、こうした人物の手でよかったよな、ということである。FedoraやDebian、Ubuntu(和製ではVineというのもあるね)などなどの流れに別れてしまっているとはいえ、マイクロソフトのWindowsへ対抗しうる、ただ一つのOSが、仮に、ビル・ゲイツばりのビジネスにも長けた人物であったら、PCの普及も、もっと混迷をきたしていただろうし、フリーなオープンソースといった概念も生まれてこなかっただろう。
(もっとも、WindowsがすべてのPCのOSを支配している、というマイクロソフト長年の夢が叶っていたかもしれないが)

このオープンソースの「フリー」という概念は、非常に魅力的である。
当然、「無料」ということや「誰でも使える」という考えも魅力的なのだが、もうひとつの、ソースコードの公開の義務付けと、商用利用でなければ、誰でも改変ができるという概念は、「情報公開」と「参加の自由」というべきもので、これがPCのOSやアプリケーションに及ぼした影響は計りしれないものがある。
そのおかげで、数々のフリーソフトの恩恵に浴しているし、Googleの誕生も、オープンソースという考えが世になければ、数十年は遅れていたのではなかろうか。

ちょっと、話がとりとめがなくなってきたので、こうしたOSをつくる人間っていうのは、どんな人間なのか、いくつか引用しよう。

リーナス・トーパルズがLinuxを開発したときの暮らしぶりは


 ぼくは素晴らしい満足感を味わった。それは、その夏、コンピュータ意外、何もしなかったことを考えあわせると、とりわけ意義深いものに思われた。
 大げさなことを言ってるわけじゃない。フィンランドの四月から八月といえば、一年で一番いい季節なのだ。人々は多島海でセーリングしたり、ビーチで日光浴したり、夏の別荘でサウナを楽しんだりする。ところが、ぼくときたら、いまが夜なのか昼なのか、ウィークエンドなのかウィークデイか、まるでわかってなかった。れいの分厚い黒のカーテンが、ほとんど沈むことのない太陽から、つまり、外界からぼくを遮っていたのだ。ある日ーある夜かもーぼくはベッドから転がり出て、六十センチと離れていないコンピュータに取りついた。

ってな具合であるし、

12〜14歳の頃は、というと


 コンピュータにまさる楽しみはなかった。家でコンピュータに向かっていると、徹夜をしても平気だった。男の子はみんな毛布の下で<プレイボーイ>を読んで夜更かしをする。けれど、ぼくは<プレイボーイ>を読むかわりに寝たフリをして、ママが行ってしまうとベッドから跳び起きてコンピュータの前に座ったものだ。まだチャットがはやる以前のことだよ。
「リーナス、ご飯よ!」
 そう呼ばれても、部屋から出ないこともある。すると、母は友人のジャーナリストに、この子は維持費のかからない子でね、コンピュータと一緒に暗いクローゼットに入れておいて、時々ドライパスタを放り込んでやればそれで幸せなの、と話し出す。まあ、当たらずとも遠からずだ。

ってな具合だ。

うーむ、「オタク」色いっぱいですな。

2008年11月27日木曜日

吉越誠一郎「デッドライン仕事術」(祥伝社新書)

元トリンプ社長の吉越浩一郎氏の仕事の能率をアップさせて、時間外をなくす仕事のやり方を開陳したビジネス本。
トリンプ当時から、独特の仕事の進め方で、業績を上げてきた吉越氏の著作らしく、明解で、わかりやすいノウハウが満載である。
「デッドライン仕事術」とは簡単に言えば「就業時間も仕事も、すべてに明確な締切りを設定する」ということで、この締切りを意識して仕事をするからこそ、時間外もなくなり、能率も上がる、というものなのだが、よく読むと、単純にそれだけではないらしい。

例えば、締切りを意識し、守らせるために、会議で、かなり厳しく、ボトルネックになっているところを確認して、鞭をいれたり

時間外をなくす意識づけをするために、終業時になると、自動的に電気が切れるシステムを導入したり、

勤務に集中できる時間を確保するために、会社外からの電話を取り次がない時間を設定したり

などなど、「デッドライン」を守るために様々な工夫がされている。

たしかに「締切りを守れ」といったスローガンを叫んでいても、守られないのが「締切り」といったものだから、など「うんうん」と頷けるアドバイスも数々。

ところどころ「ワーク」と「ライフ」はまったく別物だ(この時の「ライフ」は私生活という意味らしい)や「社員教育」は無駄だなど、ちょっと欧米っぽすぎたり、過激過ぎるところがなきにしもあらずだが、かなりぐいぐいと引き込まれて読めるビジネス本である。

ただ、このうちの時間外禁止の話は、聞くところによると、吉越氏が社長の時は実行されていたが、社長が変わって、トリンプでも実行されなくなっている、という話を小耳にはさんだことがある。
変遷というものは、どこの世界にもあるものなのだ。まあ、そんなところを割引しても、ちょっとやってみようかな、と思わせるところの多いビジネス本であることには間違いない。

さらに、かなり論旨が明快なので、サクサク読めることも確かである。ちょっとした時間の合間に読むビジネス本としておすすめ。

2008年11月25日火曜日

魚のモツの煮付け

知り合いの魚屋さんからもらった。
ゲテモノではあるが、ちょっとした珍味である。
よく洗って、ショウガと醤油で煮付けるだけ。
どんな魚のモツなのかは知らないが、シコシコして歯ごたえがあり、肉のモツを食っているような食感である。


2008年11月24日月曜日

割り箸ゴム銃

息子が、この連休中に、ハマってしまった。これは、一作品。作り方を載せたサイトもあり、結構隠れたブームかもしれない。


2008年11月16日日曜日

ドバイよ、お前もか・・・

毎日JPの11月11日の記事にこんなのがでていた。

わずか半年前の「繁栄」が消えうせていた。ペルシャ湾岸のアラブ首長国連邦(UAE)で、オイルマネーを湯水のようにつぎ込み摩天楼の建設ラッシュが続いた金融センター・ドバイ。金融危機を引き金にUAE全体で60兆円規模に達する建設工事(計画を含む)が相次いでストップ、不動産市場では「売り手しか見つからない状態」(地元不動産会社)に落ち込んだ。
 ペルシャ湾でヤシの木の形をした人工島「パーム・ジュメイラ」の開発を手がけるなどドバイ繁栄物語の象徴だった政府系開発会社・ナキール社の経営破綻(はたん)説も流れる。同社の事情に詳しいガルフ・リサーチ・センターのエッカート・ウォルツ氏は「すでに工事は一部ストップしている」と指摘し、「大きすぎてつぶせないんだ」と危機の深刻さを語った。

ああ、ドバイも無傷ではなかったのねー、という感じで、アイスランドといい、ドバイといい、一頃の金融バブルやオイルマネーでわが世の春を謳歌していたところが、こんな具合の凋落するのを見ると、ありきたりの言葉だが、諸行無常といった感じが漂う。
もっとも、一時期とはいえここまで達することのできない国はたくさんあるし、アイスランドにしても、調子のいいときはEUの中でも、かなり強気に出ていて、それがためにイギリスの支援が受けられなかったのだ、といった話もあるから、単純な話ではないのだが、それにしても、まあ、といった感が強い。
一頃は、ドバイでは、日本のリンゴが1個1000円で売られている。珍しいものなら何でも売れる、といった具合で、わが国の農協やら貿易関係者やらも、懸命に売り込みに努めていたようだが、どうやら、ちょっと小休止といったところだろうか。
ただ、株の話ではないのだが、下がったところが買い時といった話やらがあるから、これから、こうした売り込みを全くやめてしまえば良いというわけにはいかないのが、難しいところではありますな。

2008年11月15日土曜日

Firefox 3.0でダウンロードができなくなった。

Firefox 3.0でファイルやアプリがダウンロードできないという現象に出くわした。
ダウンロードマネージャーは「ダウンロードが完了しました」というメッセージを出すのだが、どこを探してもファイルがない。
詳細に見ると、ダウンロードしている途中は、ダウンロードしているファイルがあるのだが、ダウンロードが完了したと同時に削除されているっぽい。
で、あちこちググッって、解決法を検索
MozillaZine.jpのこのページで発見したのだが、念のためメモしておく
Firefoxのロケーションバーに
about:config
を入力。
なにやら警告画面がでるが、かまわず実行。
そうすると、どひゃーっとメニューが表示されるので、中から
browser.download.manager.scanWhenDone
を探し出し。これをクリックして
false
に変える。
あとは、Firefoxを再起動すればダウンロードできるようになりました。

先人に多謝。

2008年11月8日土曜日

自家製カニどんぶり

松葉カニの本年ものが手に入った。
あらかたは、当然ゆでて、そのままいただくのだが、ちょっとイタズラ心を出して、息子にカニどんぶりをつくってやる。
なに、作り方は簡単。海苔をちぎってご飯に上に載せて、カニの身をほぐしたのに、わさびを少しいれた刺身醤油を垂らしてできあがり。


2008年11月3日月曜日

ラーメン大統領

連休で帰省していた娘を送って岡山へ。昼ご飯は、ラーメン大統領というところ。味は、かなり、こってり系だが、どことなく魚のダシの風味もただよい美味。追加のネギは、サービスで、ザルにどんと盛ってでてくる。赤く見えるのは、ニンニクとトウガラシの粉末で結構辛いのである。


2008年10月31日金曜日

モロッコでの純愛物語は・・だが、ラマダーン明けの食事が魅力的 -- たかのてるこ「モロッコで断食」(幻冬舎文庫)

前作の「サハラ砂漠の王子様」では、ちょっと場違いっぽい恋愛旅物語を演じた、たかのてるこさんの、文庫本3作目。

今度の舞台は、「モロッコ」である。

で、モロッコでどこなんだ?とWikipediaを見ると


「モロッコ王国(モロッコおうこく)、通称モロッコは、アフリカの国。首都はラバト。アルジェリアとサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)とスペインの飛び地セウタ・メリリャに接し、大西洋と地中海に面している。アフリカで唯一のアフリカ連合未加盟国。」


というところらしく、気候も温暖で、経済的にもアフリカ諸国の中では豊かなほうらしいのだが、日本人にはあまりなじみのない,
イメージの薄い国といっていいだろう。
(Wikipediaには「40才以上の人には「性転換のメッカ」という印象の強い国」といった表現があるが、私も40才以上だが、あんまりそんな印象は持たなかったぞ。)

そんなところで、何をするんだ、ということになるのだが、まあ、有り体にいえば、「断食(ラマダーン)」体験記とモロッコの田舎でのちょっとした純愛旅物語といったところ。

全体に、たかのてるこさんの旅本は、人との出会い(恋愛っぽいものも含めて)が中心で、食べ物には冷たいところがあるのだが、
今回の本は、「断食(ラマダーン)」が根底に流れているせいか、おやっと思う「食べ物」の話が今回は多い。

もともと、ラマダーンも、路線バスに乗り合わせて、地元の人の視線に逆らえず、一緒にラマダーンをやることになったのだが、その日のラマダーン明けの食事のシーンはこんな具合。


 混雑した店内をかき分け、兄ちゃんと席に着くと、すぐにイフタールのセットが運ばれてきた。早速、ハリラを飲んでみる。ハリラはすり潰した豆のスープで、とろみあるドロッとした舌触りだった。細かく刻まれたトマトやタマネギも入っていて、確かにお腹にやさしい感じのする料理だ。
 私はものスゴい勢いでパンを引きちぎってはハリラで流し込み、ゆで卵を口に押し込んでは、水をガブ飲みした。五臓六腑に食べ物と水分が染み渡っていく快感。


どうです。ちょっと「イフタール」が食べたくなるではないですか?


で、話は、そんなモロッコのマラケシュで知り合ったベルベル人の青年(カリッドという名前だ。)に誘われて、彼の故郷の村に遊びに行き、そこで何日も暮らしているうちに、彼の家族の優しさや彼の人柄に惹かれてってな具合で、純愛旅物語が進展していくのだが、この人、結構惚れっぽいよなー、と思うのは、私だけではないはずだ。

まあ、純愛物語だけではなくて、モロッコの田舎の大家族の暖かさや家族愛、そして澄み切ったような自然(けして荒々しいジャングルや砂漠のようなものではなく、飼い慣らされた牧歌的な自然)とあいまって、なにかしら、のんびりとした気分のさせてくれるのが、この旅行記の一番良いところだろう。

そんな家族の暖かさを象徴するような食事のシーンを引用して、このレビューを終わりにしよう。場面は、筆者が青年の故郷の村を訪れて、始めての、青年の大家族とともにとる夕食(その日のラマダーンが終わってからの食事だから「夜食」というべきか)のシーンだ。


 お母さんとお義姉さんが、大きな皿に入ったタジン(煮込み料理)や、どデカいパンを持ってきてくれる。カリッドが直径40センチはあるかと思われる平たいパンをちぎり、皿のまわりに置いていく。

 タジンから湯気がモウモウと上がり、煮込んだ牛肉と野菜と、なんともいえないスパイスのイイ香りがしてくる。さっきからお腹が鳴って仕方がなかった私は、早速パンにタジンをつけ、口の中に放り込んでみた。うま〜っ!!ひとくち、ふたくちと食べるうちに、タジンの美味しさと温かさが全身にじわじわと染み渡っていく。


今夜は、「鍋」にしようかな。

2008年10月30日木曜日

最近のモバイル環境

久々の東京出張。今日のお供は、KOHJINSHAのSA5とCLIE NX70どちらもマイナーっぽい機械だが、使い勝手はまずまずと思っている。
最近はUMPCもサイズが大きくなってきているのだが、やはりあまり大きくなるとB5サイズを持ち歩くのと変わらなくなってしまうので、個人的には7インチでまあしょうがないかな、という感じ。
また、CLIEは、もう絶滅危惧種っぽい状態ではあるのだが、カスタマイズを利かしているので、MP4も見られるし、音楽や、読書端末(本をスキャンして、JPEGして持ち歩くとCFに数十冊は入るよね)として使えば、狭い機内えでこれぐらい重宝するものはない。
まあ、今のところ私的には、出張用もモバイルとしてベストチョイスの状態なのである
(両方とも中古なので、導入コストの面でもね)

2008年10月19日日曜日

ラオス青年に失恋して傷心旅行 -- たかのてるこ「ダライ・ラマに恋して」(幻冬舎文庫)

なんで「ダライ・ラマ」なんだ?と思ったら、どうやら前作で恋仲になったラオス青年に大失恋したのが原因らしい。

前作は、かなりまとまりのない、純愛路線満載で、この旅行記はいったいどうなるんだ、ってな具合だったのだが、今回は恋愛ネタなし(もっとも、ダライ・ラマさま〜ってな具合はあるのだが)のチベット旅行記である。


チベットというところは、ググってみればわかるように、中国の自治区であるところと、インド領とに分かれていて、ダライ・ラマはインド領の方に亡命していて、今回の旅行記は、そのどちらも旅することになる。


チベット自治区では、インド領のダラムサラへの亡命を夢見るチベット人青年や、「もともとチベットは中国のものだから」と言う、近々、チベットの娘さんと結婚する中国人青年に会ったりして、それなりに今のチベットの置かれている状態を考えさせられたりするのだが、まあ、そうした生臭い話は、ちょっとおいておこう。

で、ダライ・ラマと面会できるかもしれないとわずかな期待を抱いて訪れたインドのラダックやダラムサラは民間のシャーマンと会ったり、ナグラン祭りのシャーマンにおもちゃの剣でどつかれたり、前世の記憶のある少女に会ったり、とか、それなりに様々なことはあるのだが、全体として静謐な印象を与えるのは、チベットという土地のもつ性格ゆえなのだろうか。


最後は、ダライ・ラマに会って、目出度し、目出度しになるのだが、このシリーズの中では、ドタバタ感の少ない旅行記であります。

2008年10月13日月曜日

工人舎 SAシリーズにお勧めの無料動画プレイヤー

工人舎 SA5KX08AL (中古)の環境構築の記録。
MPEG4の動画ぐらい見えないとね、ということで、あちこちググルのだが、このPCでは無理っぽい、という情報ばかりであまり芳しくない。
それじゃ試してやれとばかり、MPCやVLCやらを試すのだが、音声が途切れたり、途中でハングしたりとうまくいかない。
で、最後にヒットしたのが、この「GOM PLAYER」
もともとは韓国産のソフトらしいのだが、MPEG4やFLVのコーデックも自動で組み込んであるし、日本語対応もしている。
玄箱Debianサーバにアップしておいた、MP4の動画ファイルも問題なく再生できる。
CPUパワーのない、SAシリーズにはもってこいではないか、と思った次第なのである。

鳥取市”紺のれん”で「ねぎ豚ラーメン」他を食す

初めて入った店。味は、アッサリ系。店の人の数が少ないので回転が悪いのが難といえば難か。


奥さんの頼んだ海老わんたんめん

息子の頼んだ塩ラーメン

これは小包餃子

2008年10月12日日曜日

ラオスで恋愛モード炸裂 -- たかのてるこ「モンキームーンの輝く夜に」(幻冬舎文庫)

「モロッコで断食(ラマダーン)」に続く、たかのてるこさんの旅本第4弾。

この人の旅本は、冊数を重ねるに従って、恋愛モードが高まっていくのだが、今回の「モンキームーンの輝く夜に」は、もう恋愛、恋愛、恋愛・・・・、と恋愛モード満開といったところである。

訪れる国は「ラオス」。
お決まりのように、「ラオス」ってのは? と、Wikipediaで調べると、


ラオス人民民主共和国(ラオスじんみんみんしゅきょうわこく)、通称ラオスは、東南アジアの内陸国。北西のミャンマーと中華人民共和国、東のベトナム、南のカンボジア、西のタイの5カ国と国境を接する。


といったところで、社会主義の国らしいのだが、他の社会主義国と同じく西側諸国とのつながりも必須となっているらしく、また、地理的な面からタイやベトナムとの関係ぬきにしては経済が立ち行かない状態のようだ。

で、今回は、恋愛の相手となるラオス青年(なんと10歳年下だ)に、ピエンチャンで、日本語で話しかけられるところがプロローグになっている。

今回は、最初から恋愛モード炸裂である。まあ、本編は、最初は、ピエンチャンの市場で、土産物店の親子に昼ご飯をご馳走になったり、途中で知り合った青年たちとビアパーティーに行ったり、と、いつもの人懐っこい筆者の旅で始まるのだが、途中、今回の純愛旅のお相手であるラオス人青年「シノアン」と出会ったあたりから、話は、どんどん、どんどん、恋愛モード全開になってくるのである。

まあ、一旦、ピエンチャン近くの、彼の村で恋愛モードになった後に、一人で北ラオスに旅立って、ルアンパパーンと言う町で若い坊さんばかりの寺に遊びにいったり、ルアンナムターという町で、英語学校の臨時生徒になったり、コンドームの普及に歩いている青年たちに会ったり、とそれなりの旅の風情はあるのだが、どうも、今回は、底の方に「恋愛、恋愛・・・・」があって、どうにも、お尻のあたりがこそばゆい。


だが、そうはいっても旅は旅。旅の終わりは確実にやってくる。留学試験に受かって、日本に行くという青年と泣く泣く、ラオスの空港で、涙ながらの別れをすることになる。
日本とラオスと離ればなれになりながら、「早く一緒になりたいよー」とインターネットメールで、不安を持ちながらも、愛を確かめ会う恋人たち。果たして、二人は、いつ結ばれるのでしょうか・・・・?

といったところで、今回のお話は終わる。
さてさて結末は、というところだが、結果は次作「ダライラマに恋して」を待て、といったところ。

うーむ。年くったおじさんとしては、ちょっと今回のネタは辛かったのが、本音である。

2008年10月8日水曜日

塩野七生「ローマ人の物語 31」(新潮文庫)

コモドゥス帝暗殺後の内乱の時代。
4年間の期間らしいのだが、これを長いととるか、短いととるかは、諸説あろう。

はじめに登場するのは、ペルティナクス。66歳の老将である。
キャリアはほんとの叩き上げ。解法奴隷の子として生まれ、シリアの軍団を振り出しに、最後は皇帝までのぼりつめるのだが、近衛兵の長官に裏切られて失脚。理由は、この長官レトーをエジプトの長官にしなかったから

「小事」にまで批判を受けてはならぬという想いで進めると、「大事」が実現できなくなる。大胆な改革を進める者には、小さなことには今のところは眼をつむるぐらいの度量は必要

で、次が、ディディウス・ユリアヌス。この人は、元老院階級に生まれた、根っからのエリート。
このライヴァルになったのが、ペルティナクスの妻の父でフラヴィウス・スルピチアヌス。
この二人は近衛兵の信任投票で皇帝の座を争ったらしいが、決め手は近衛兵へいくら金をわたすかだったらしい。
こんなことをやっていたら、皇帝の信頼が失せるのは、まあ当然で、案の定、皇帝の座を巡って、軍隊を握っていた将軍たちが名乗りをあげる。セブティミウス・セヴェルス、クロディウス・アルビヌス、ペシャンニウス・ニゲルの三人である(あー、名前長くて面倒くさい)。
勝者は、兵力の多いドナウ河防衛戦担当の軍団の支持を受けたセヴェルス。
やはり、実力主義の時代は、良くも悪くも実力(兵力)が決め手なのだね、と思わせるのだが、実は、アルビヌスもリゲルも、セヴェルスと戦うまでに時間を無駄に浪費していたりしたのが敗因になっていて、勝者は勝者なりに、単に兵力が多ければ勝てるというものでもないらしい。


セヴェルスが皇帝になってはじめにやったことは、元老院の彼に敵対する26人の元老院議員の断罪だったのだが、これは、皇帝を争ったライバルのアルビヌス派だった、ということを理由にしてのことらしい。ただ、もともとアルビヌスはセヴェルスの共同皇帝だったのだから、この時の事を持ち出すのはフェアじゃないよな、と思うのだが、泣く子と地頭のなんとやらで、なんとも暗いイメージの新皇帝のスタート。

そのせいか、当時のローマの識者や現代の識者の評価も、筆者の寸評も、どことなく辛(から)い。

いわく、彼のやった軍制改革により軍隊の居心地がよくなったことが、ローマ帝国の軍事政権化をもたらした

いわく、パルティア戦役の結果、パルティアがササン朝ペルシアにとってかわられた遠因となったが、これは、ローマの「三世紀の危機」の時代の「敵」(パルティアのような「仮想敵国」ではなく)をつくったことになった

いわく、生まれ故郷のレプティス・アーニャの大改造は、故郷に錦を飾った、皇帝権力の濫用

などなど。


どうも、このセヴェルスという皇帝、非常に家庭を大事にしたらしいが、息子カラカラによる近衛軍団長官の目の前での殺害事件(もっとも、このカラカラ、後に弟のゲタも母親の前で斬殺しているから、いわくつきの凶暴息子の気配がただようが・、・・)に象徴されるように、なんとなく治世の始まりかあら終わりまでが陰気な印象を受ける。

最期は、軍人皇帝らしく、ブリタニア遠征のために渡英(というか渡ブリタニアか?)先のヨークで死ぬのだが、このあたりも、どんよりと曇ったイングランドの景色のもとで、息を引き取る様子が連想されるのは、私の勝手な妄想かな・・・

2008年10月7日火曜日

塩野七生「ローマ人の物語 30」(新潮文庫)

本書では、最後の五賢帝 マルクス・アウレリウスの治世とその息子のコモドゥスの治世を描いている。

これにでてくるマルクス・アウレリウスは、即位当時の哲人皇帝の静かではあるが、知性的で凛々しい印象が、なんとなく影を潜めているような印象となっている。まあ、始めたはいいが、先の見えないゲルマン諸族との戦いが泥沼状態になっていたこともあるだろうし、エジプトあたりでの反乱も起こっている。

この危機を、マルクス・アウレリウスは実は、現地のドナウ川の前線で、皇后などの家族と一緒に過ごしていて、そこでは

「皇帝の仕事ぶりは、勤勉を超えていた。・・・非常な小食だった。それも日が落ちた後でなければ食事をとらなかった。日中は何も口にせず、テリアクと呼ばれた薬を溶かした水を飲むだけだった。この薬も、多量に飲んでいたのではない。習慣になるのを怖れたのかもしれない」

といった暮らしぶりは、なんとも生真面目ではあるが、ちょっと鬱陶しさを感じさせる。

このへんは、筆者も同じ思いで、戦闘のない冬季には周辺の蛮族の首長などを招いて、将兵が演ずるギリシア悲劇を鑑賞したカエサルの明るさと対比させているのだが、真面目で仕事熱心な人っていうのは、事業を任せるにはいいのだが、共にに暮らすとなると、少々気が重い。で、皇帝がこんな感じだったということは、この当時のローマ帝国の暮らしぶりは堅実ではあっても、生活の華は少なかったかもしれないなーと思ってみたりする。


で、結局は、マルクス・アウレリウスが死亡したというデマによって兵をあげたカシウスの乱を治め、その後の「第2次ゲルマニア戦役」の準備中に倒れ、死期をさとって、薬、食事、無水を絶って死を迎える、という、なんとも優等生のマルクス・アウレリウスらしい死に方をするのである。

正直にいうと、なんとも、辛気臭くはあるなー、という感じ。


で、このくそ真面目なマルクス・アウレリウス帝の後を継いだのが、息子のコモドゥス。

いや、なんとも評判がわるかったらしいですな。この皇帝。

「帝国の災難」とギボンの「ローマ帝国衰亡史」はこの皇帝から始まるとか、いった具合である。果ては、実の父のマルクス・アウレリウスの謀殺の疑いすらかけられている。

評判の悪いのはマルクス・アウレリウスの死後すぐに結んだ蛮族との講和らしいのだが、これは、筆者は、やむをえない選択ではあったが、手をつけると支持率低下必至の政策、と位置づけている。で、あるならば、優れた父を持った、フツーの息子が、よく陥る、例えば武田勝頼とかと同じような
不運さなのかもしれない。

このコモドゥス、その後、実姉による暗殺未遂後、解放奴隷クレアンドロスを重用した側近政治に走り、このクレアンドロスが配給小麦を減らしたりして市民の暴動を招いたり、剣闘の試合に皇帝自ら出場する、といったよくある暗君、馬鹿殿様エピソードを演じたす末に、愛妾と寝所づき召使などに暗殺される、というおきまりの道を歩んでくれる。


いわゆる名君とその不肖の息子の構図は、時代を問わず、世の東西を問わず、という普遍的な原理を示しているような、マルクス・アウレリウス親子の時代絵巻でありました。

2008年10月5日日曜日

早瀬圭一「鮨に生きる男たち」 (新潮文庫)

「鮨」の名店を紹介する本と思いきや、「鮨」に人生をかけた男たちあるいは家族たちの物語である。もちろん、「鮨」に全身全霊をかける職人たちであるから、その店はいわゆる「名店」になっていくのは必然ともいえるのだが、その軌跡をたどる、という性質のものではなく、「鮨」に魅せられ、「鮨」に人生のほとんどを費やしてきた職人たちの歩みの軌跡というべき本である。

とりあげられているのは17人というか17店。

掲載されている店をあげれば
「喜(正式は 七が三つ)寿司」、「鮨 水谷」「神保町鶴八」「新橋鶴八」「奈可久」「鮨 青木」「鮨 徳助」「あら輝」「鮨処 喜楽」「すし処 司」「鮨処 成田」「寿し銀」「吉野鮓」「千取寿し」「松乃寿司」「鮨処おざわ」「すきやばし次郎」
といったところで、鮨通なり美食家の人が聞けば、「あー」と頷く店ばかりなのだろうが、残念何ら、辺境に住まう私としては、一つとして入ったことのない店ばかりだ。

場所は東京はもちろん一番多いが、千葉、金沢、名古屋、京都、静岡とかなり広範囲にわたっているし、店の思いでも、筆者が学生の頃の戦前から始まっているから、時代的な幅も広い。

一体に鮨店というのは、緊張を誘うもので、これは「お勘定」の話もあるのだが(だって、「時価」なんて値札のある食い物屋なんて、滅多矢鱈にないと思う。フランス料理やイタ飯屋、高級割烹にはたしかにあるが、鮨屋はどんな場末の店でも、しっかり「時価」っていうのがあるからなー)、それよりなにより、カウンター
が店の中心で、鮨職人と直接相対するってあたりにあるのではないだろうか。

ラーメン屋とか定食屋は確かにカウンター中心の店はあるが、鮨屋ほど、「直に相対する」感の強い食い物屋はないだろう。
そうした1対1の関係のところで、「お任せ」ならまだしも、一品づつ注文するのだから、かなりの緊張感とともに食事をすることになるのは当然で、正直いうと、この「緊張感」は、私はあまり心地よくない。

ただし、緊張するのは私だけではないらしく、この本の筆者も、最初の店となると、しかもそれが評判の店となると緊張するものらしく

(「すきやばし次郎」に初めて入った時は)

もくもくと食べて14、5分、いやそんなにかからなかったかもしれない。
緊張していて、うまいもまずいもなかった。

という具合であるが、これは

「鮨屋は手が命だから」と外出するときに必ず手袋をし、指の腹の柔らかさを保つため、直接モノを持たない(「すきやばし次郎」の小野次郎氏)

というぐらいの精進をする職人の出してくれる「鮨」に報いるためには、これぐらい緊張して食さないとダメですよ、という筆者の忠告なのだろうか。
たしかに、この本にでてくる職人のいずれも(店を継いだか、親新規開業かに拘らず)長い修行の末に店を持っているし、店を持ってからも、自分なりの鮨の有り様を創り上げるのに相当の修行をしてきている。そうした職人の努力を思って、心して戴きなさいよ、ということなのだろう。


と、まあ、どことなく説教くさくなってしまったのだが、最後に「鮨 徳助」のこんな場面で〆としよう。

2008年9月27日土曜日

佐々木俊尚「フラット革命」(講談社)

「ウェブ世界」の水先案内人として確かな判断を示してくれる筆者の2007年の論考。


今回取り上げられているのは「インターネットのつくるフラットな空間がマスメディアや人間関係、政治などにどのような影響を与えつつあるのか」ということ。

構成は
第一章 フラット化するマスメディア
第二章 よるべなく漂流する人たち
第三章 組み替えられる人間関係
第四章 公共性をだれが保証するのか
といった構成で

インターネットとマスコミュニケーション、とりわけ、「ネット君臨」に見られる新聞系のマスコミから発信されるインターネット不信あるいはクズ論への論考

から始まり、

インターネットの普及とともに、崩壊と希薄化を増してきた戦後社会の「企業社会にくるまれた」家族主義の姿から、「ミクシィ」で象徴される、個々人を媒体とした新しい関係性の構築の姿

へと展開し、

集団である一定の価値観を共有(それが半ば強制された共有であっても)していた時代、いわば「われわれ」の時代から、インターネットによて、個々の価値観がいくつかの繋がりは持ちながらも、混じらない個体として存立する時代の「公共」のあり方、へと結ばれていく。

 純粋に個人的な感想をいえば、最初の旧来のマスコミが、インターネットの出現によりその足場を侵食されていく姿、本書の言葉を借りれば「匿名言論の出現」「取材の可視化」「ブログ論壇の出現」により、自らの不可侵性を失い、報道する、表現する自らが、報道・表現される客体となってしまう姿は、一種、旧勢力の崩壊の爽快さを感じてしまうところがなきにしもあらずではある。
 だが、章が進み、それでは、旧制度がまがりなりにも担保していた「公共性」あるいは「ぶつかり合う価値観の調整機能」を誰が、どう担っていくか、という問題には「うーむ」と唸って、立ちすくんでしまいそうになる。

インターネットが、個々人の自由なコミュニケーションの領域を開き、あらたな情報共有と議論の場であることを牧歌的に信じていればよかった時代は過ぎてしまい、インターネットの世界が、現実の世界と同じように人間関係の泥臭さにまみれていることがわかり(学校「裏掲示板」なんてのはその典型だろう)、その一方で旧来の人間系の情報システムを破壊してしまっている時代に突入してしまっていることは、おそらく間違いなくて、それは、戦後の「会社」を中心として生活や人生設計すればよかった時代が、「グローバル化」とともに、よるべない「個」の世界へ解体されていっていることと並行している。

そうしたネットの世界を象徴する言葉として。「サラダボウル」という表現が書中にでてきて、それはいわゆる「坩堝」と対比されて使われていて、少し引用すると


ネットの世界では、坩堝という言葉はあまり使われない。坩堝は投げ込まれたいくつもの素材を溶かし、それらの素材を融合させてひとつにしていく。だが、ネットの世界では、投げ込まれた人々や情報は、決して融合するわけではない。差異はそのままで残されて、融合されることなく混沌とそこに存在しているのだ。
 だからネットの世界は、坩堝ではなく「サラダボウル」のようなものなのだ。サラダボウルの中にはトマトやレタス、キュウリ、セロリなどさまざまな野菜が投げ込まれ、しかし決して交じり合うことなく、しかしひとつの調和を保ってそこに存在している


ということらしいのだが、そのボウルの中で、トマトとキュウリのぶつかりあいの調整や、レタスとセロリの味の違いを調和を、図っていくのかということが「公共性の確保」ということなのだろう。


残念ながら、だからこうすればいい、という万能の処方箋はまだ、本書に限らず、どこからも提案されていない、と私は思っている。本書にも、ひとつの提案というか方向性は示されている。それは、本書の最後の最後のほうで

 批判、それに対する反論、そして再反論、そうした議論のすべてが可視化されていくことこそが、新たな公共性を生み出していくのだ。
 そしてインターネットにおける議論という公共性は、新たな民主主義の可能性へとつながっている。
 それはラディカルな民主主義である。

といったくだりで示されているのだが、この具現化はまだまだ、言葉と実践の集積が必要なのだろう。

ただ、言えることは、インターネット不要論者のいう世界には、もはや戻れないということだろう。いくぶんかの世代やグループが、機械文明を避けて隠遁的な生活送った故事のようにインターネットから逃げ出すような暮らしは可能であっても、すべての人々にネットと無縁の生活を遅らせることは不可能だろう。
であるならば、こうした事実や世界を受け入れながら、新しい表現の形、コミュニケーションの形、公共の形を探っていくしかない、ということなのだろう。

2008年9月23日火曜日

松茸御飯!松茸御飯!

カナダ産だけど、れっきとした松茸。ホイル焼きにして、ポン酢、というのもありだが、やはりインパクトの強いのは松茸御飯である。

2008年9月21日日曜日

アカバナと鮭のフライ、豆腐とキノコの餡掛け

アカバナはブリの若子のことらしい。結構あっさりしている。豆腐の餡掛けは味が薄いのが、ちょっと不満だが、まあ良しとする。


イノシシの糞?

お彼岸の墓参りに来て発見。確かに、「イノシシ注意」の看板は出ているのだが、本物なのだろうか?


2008年9月16日火曜日

わかさぎのフライ

ひさびさに地物のわかさぎが手に入ったので、奥さんがフライにしてくれた。
ソースだぼだぼというのも、無粋なので、本日は、塩だけでいただくことにしよう。

2008年9月15日月曜日

MTmailつながりました

投稿できました。。
これで携帯からも投稿できるというものです。画像のアップロードのテストは、また今度。

2008年8月31日日曜日

岡山 後楽園

休日を利用して、娘が大学に通っている岡山に行ってきました。
これ、といった用事があるわけではなく、娘の下宿の郵便物の回収などなどの雑用処理。
このついでに、ここ数年来訪れたことのなかった後楽園を観光。
日差しの暑い中だったので、できるだけ日陰を歩いたり、途中の東屋風の休憩所で足を冷やしたり、とかなりダルダルの観光でありました。
でも、手入れがいいせいか、緑も濃くて、よいものではありました。
メインの庭園


途中、抹茶で休憩。あんこ入りきびだんごは後楽園限定らしい。土産に購入

草むらに潜んで、昼寝中の猫。就活中と思われるお嬢さんたちが、写真をとっていたので私も一枚。

2008年8月23日土曜日

玄箱Debian-sargeにUSBドライバをいれる

玄箱Debian-etchの方はドライバのインストールをしなくても、USBのハードディスクを認識したのだが、玄箱Debian-sargeの方は、自動で認識しなかったので、ドライバをインストールする。
まずDOS用のファイル関連ソフトをインストール
# aptitude install dosfstools
次にUSBのドライバをインストール。ここは、USB1.1とUSB2.0両方をインストールする。
まず、USB1.1
# modprobe usb-ohci
次にUSB2.0
# modprobe ehci-hcd
最後に仕上げ
# modprobe usb-storage
これで、USBハーフディスクを接続すれば認識するかと

2008年8月22日金曜日

Clie NX70 でGoogleMaps

Clie NX70でGoogleMapsが使えるようになっているらしいので、インストール
このページ
http://www.google.com/gmm/GoogleMaps.prc
からアプリをダウンロードして、Hotsyncでインストール
(MSにFilezでコピーするやり方では、エラーがでてダメだった)
無線LANか通信カードをさして接続。
接続した後、GoogleMapsのアイコンができているので、これをタップして設定をすればOK
今のところは、一回アクセスしただけなので、システムエラーがでるかどうかは、まだ未確認であります。

2008年8月21日木曜日

Clie NX70でFAT32のファイルを使う

デフォルトでは、FATでフォーマットしたMSやCFしか使えなくて、2G超のものは使えないのだが、このパッチをいれると、FAT32のMSやCFも使えるようになる。
出典はココ
http://www.1src.com/forums/showthread.php?t=88022
そしてダウンロードはココ
http://jamerican.net/dmitrygr/FAT32.patched.nx73.prc
NX80/73V用となっているのだが、NX70でも使えました。
今のところ4GのCFで確認しています。

2008年8月20日水曜日

ClieでMPEG4を再生

Clieで動画ファイルがスムーズにみえないかと、あちこちサーチしていたら、こんなサイトを発見
<a href ="http://easyrider.air-nifty.com/pocketbook/2006/10/clie_nx73vmp4_3673.html" target = "_blank">pocketbook  「CLIE NX73VでMP4ファイルを再生する」</a>
動画ファイルを一度変換する手間はあるが、PSPで動画を見るための手順と同じなので、そう手間ではない。
CLIEでMPEG4動画が見えるようになるとは、なんともうれしい話である。

2008年8月15日金曜日

川崎昌平「ネットカフェ難民」(幻冬社新書)

もともとは、日本テレビのドキュメントに端を発したものらしいのだが、その放映が2007年1月で、本書の刊行が2007年9月だから、ほぼ同時代的な「ネットカフェ難民」の記録として考えていいだろう。
 
筆者は、カバー裏を見ると、ひきこもり&ニート生活後、電話で連絡を受けて日雇い生活をするワンコールワーカーの生活に入ったらしい。
まさに現代社会のある一面をきちんと一人で体現している。
 
さて本書は、筆者が実家を出て、ネットカフェ暮らしをはじめ、貯金が心細くなると、携帯で登録して、携帯で連絡を受けて日雇い労働に出かける生活に入り、実家近くで、その日の日雇い労働を終える、という1ヶ月間の暮らしが綴られている。
 
正直なところ、ネットカフェというものには、ほとんど縁がない。インターネットというものが今のように普及した頃には、既に就職してから十数年が過ぎ、子供もいる境遇で、おまけに実社会に出るには、サラリーマンが普通で、自由業は、それこそ恵まれた才能のある人たち用のもの、会社を辞めるのは倒産した時かリストラされた時という時代を生きてきたため、今のようなフリーター、あるいは非正規が普通という世相は、なんとなくいごごちが悪い。
そうした個人的な感覚を持ちながら本書を読むと、なぜか妙な「明るさ」が漂っている感じがするのが不思議だ。
 

書かれているのは、けして波瀾万丈のことがあるわけではなく、派遣労働といっても、千葉の鞄会社での鞄の中敷きを入れる作業や、スーパーでの実演販売、イベントの後片付けといったん、なんとも平凡なもの、女性との出会いといえば、その千葉の会社でバイトの間だけ、同じバイトの女性を一緒に作業をするだけのものだし、寝泊まりは、題名どおりのネットカフェかマクドナルドという生活。
 
ネットカフェ難民に象徴される生活は、最近の陰惨な事件を連想させるように、けして将来に向けての夢とか野望といったことは、かけらも感じさせない生活なのだが、なにか妙な白夜のような明るさを漂わせている。
 
きっと、夜とも昼とも属さず、その間に妙なバランスで挟まれているような生活であるか故の「明るさ」、虚無の前の「黄昏の明るさ」といったものなのかもしれない。
 
 
ただ、本書が書かれた2007年の当初から2008年と時が経っていくにつれ、何かしら壊れていっているものが多くなっているという印象を持つのは、私だけではないはずだ。
「ボヘミアン」という美しい言葉はあるが、本書の内容が指し示していく未来は、黄昏から、夜の暗闇へと移行していく未来のような気がしてならず、願わくば、それが万民の未来でないことを祈るばかりなのである。
 
 
夜明け前が一番暗く、夕暮れ時が一番柔らかく明るいのかもしれない。
 
 
最後の余計事を一つ。
 
 
それぞれの一日の終わりに、用語解説みたいなコラムっぽいのが載ってて、「おじさん」には非常に役立ちます。

2008年8月12日火曜日

佐々木俊尚「次世代ウェブ ー グーグルの次のモデル 」(光文社新書)

インターネットのビジネスモデルをリードする「グーグル」を超えようとしているビジネスモデルの動向を知らせてくれるのが本書。

こうした新しいビジネスモデルを紹介する場合は、アメリカの最新モデルが紹介されることが多くて、なにか遠い世界で起こっている出来事のような印象を受けるケースが多いのだが、本書は、どちらかといえば、日本の新たなビジネスモデルの胎動の紹介に多くのページが割かれていることを評価したい。

取り上げられているのは、ミクシィ、ビジネス寄り、文系寄りのソーシャルニュースコミュニティや日本の新しい検索エンジン開発の動きなど、ネットの世界の住人の方々には、既によく知っている事例も入っているのだが、こうした新書として、広く一般の人々をターゲットとして書かれているものとしては、やむを得まい。

また、若干、時期がずれるせいか、YouTubeは取り上げられているが、「ニコニコ」は出ていないといった、ちょこちょことした不満はあるのだが、ネットビジネスのトレンドを大きく捉えるという目的で読むとすれば、十分目的を達することのできる一冊である。

このうち、気になる言葉などを少し。

それは、楽天のビジネスの話をとりあげている「変化」という章で、faddict.net blogというブログの引用あおしながら語られる「Web2.0」は「地主制度2.0」ではないかという主張だ。

少し引用すると


「利益率は低そうなのに、やらなきゃ乗り遅れるWeb2.0のジリ貧競争に巻き込まれ、同業他社と不毛なサービス合戦をしてボロボロになりながらも、得られるものは5%アフィ程度、どちらが勝とうが結局サービスを提供するGoogle様はしっかり儲かる。まさに氏の死の武器商人に踊らされる紛争地帯、それがWeb2.0なんじゃないだろうか。
 で思うに、マッシュアップやらなんやらというのは、Google様やAmazon様という大地主によって与えられた土地で、小作人として生きる道のことを、なんかキレイに着飾ってごまかしているのにすぎないのではないか


とか


Web2.0というパラダイムのもとでグーグルやアップル、アマゾンなどが垂直統合モデルを再び復活させようとしていて、それはかなりの部分まで成功を収めている。


というあたり。

つまり、自由でフロンティア的なビジネス・フィールドに見えるネット・ビジネスの世界が、実は、その生産や富を生み出す基盤は既にグーグルやアップル、アマゾンなどの欧米先進企業群に押さえられていて、後発あるいはプラットフォーム化のチャンスをつかみ損ねた「企業」(これには「国家」も含まれるのだろう)は、彼らの提供するプラットフォームの中で、年貢を納めながら、生計を立てるしかなく、彼らの機嫌を損ねぬよう経済活動をしていくしかないということを意味している、ということなのだろうか。

そうだとすると、プラットフォーム化のチャンスをつかみ損ねた「日本」という国家の国民としては、「またアメリカが金メダルかよ」といった具合で、なんとも情けなくなってしまうのである。

この支配を打破する方法として、本書の最後の方に


<リスペクトーアテンションープロフィット>
という導線をうまく描き出せるかどうかが、今後のアテンションエコノミーにおける収益モデルのカギになるのではないかと思うのである。
 そして、こうしたモデルを確立することができれば、そのときにはグーグルやアマゾン、アップル・コンピュータが支配する「地主制度2.0」を打破し、プラットフォーム支配をはねのけて、新たなエコノミーをつくり出すことができるようになるかもしれないのだ。
 そのモデルをつくり出すのは、これからのインターネットベンチャーの役目である。


となにやら、道のりは遠そうだが、けして不可能ではない方法が掲げられている。

きっと、日本の若きインターネットベンチャーたちへの「がんばれよ」の言葉なのだろう。

2008年8月9日土曜日

ubuntuでスクリーンショットを撮る

難しいやり方へ他にお任せして、単純な方法をメモしておく
PrtSc(Print Screen) で 全画面
Alt+PrtSc で 一番手前にあるwindowのスクリーンショット
が撮れるのはwindowと同じ。
様々なスクリーンショットを撮る方法は
Viva Ubuntu さんのここのエントリーが参考になる。
http://ubuntu.livedoor.biz/archives/53695579.html

2008年8月8日金曜日

Windows、ubuntuのPDFの編集ソフト

PDFファイルを使う機会が飛躍的に増えていて、PDFファイルに注釈をいれたり、メモやマーカーをいれたりしたいと思い、フリーソフトを検索
PDF-Xchange Viewer
というソフトをみつけた。英語版のソフトだが、インストールの際に 「Japanese」を選択すれば日本語のメニューが出る
ダウンロード(Vector)はこちら
http://www.forest.impress.co.jp/lib/offc/document/pdf/pdfxchange.html
ちなみにスクリーンショットはこんなの


これはwindows用で、Linux用は別のソフトをインストールする。

ubuntuには PDF Editor というソフトがあり、synapticでインストールできる。
スクリーンショットはこんな感じ

テキストデータがある場合のマーカーとかメモは入れられるのだが、残念ながら「日本語」のメモは入らない。今後の進化に期待しよう。

2008年8月7日木曜日

ヒラメの頭の煮付け

ちょっとグロテスクだが、味は悪くない。(いつもの魚屋さんからもらったゲテモノだ)
といっても、そんなに食べるところはなくて、頬のところと、首筋の肉をほじるだけなんだけどね。

梅田望夫「ウェブ時代 五つの定理」(文芸春秋)

おなじみの経営コンサルタントというか、ウェブ時代の適切な水先案内人である梅田望夫さんが、シリコンバレーの第一級のビジョナリーたちの言葉を紹介しながら、ウェブ時代の新しい作法や起業の道案内をしてくれるのが本書である。

ビジョナリーとは、テクノロジー業界の最先端を走る起業家や投資家、「普通の人」よりも何歩も先を行く天才的技術者、日々の濃密な経験から世界を俯瞰して眺めている企業経営者、複数の専門性を極めた大学教授といった人たちの中で、とりわけ言語表現能力が高い人々のことで、こうした人々が英語で発する切れ味の良い言葉を読み、その言葉の背景にある思考や発想に寄り添って深く考えることで、

未来を見通すことなど誰にもできないが、こうすればクリアに想像できる

世界の成り立ちなど誰にもわからないけれど、こうすれば見晴らしがよくなる

といったことができると発見し、それを繰り返すことで、変化の予兆を捉えるというのが、筆者の勉強法のようだ。


もとより英語力のない私なぞには、及びもつかないが、こうした先達の言葉を紹介し、その意味と示す未来を魅せてくれる本書のような存在は非常にありがたい。


そしてこうしたビジョナリーの言葉は「五つの定理」として整理され、それぞれのテーマ毎に分類・整理され、構造化されている。

「五つの定理」とは
①アントレプレナーシップ
②チーム力
③技術者の眼
④グーグリネス
⑤大人の流儀

で、いずれも、こうした「ウェブ」の世界を端的に現す言葉であるようだ。

紹介されるビジョナリーは、例えば、グーグルのCEOのエリック・シュミットや副社長のマリッサ・メイヤーからアップルのスティーブ・ジョブス、DEC社のコンピュータ設計者で、初期コンピュータ産業の育ての親ともいわれるゴードン・ベルなどなど多士済々であり、またその言葉も多種多様である。

その言葉群には、直接、本書にあたって参照していただきたいが、切れ味が良くて、「ふむ」と立ち止まって、考えさせられる言葉ばかりであることには間違いない。

確かに、こうした切れ味のいい言葉に日常的に接して思考を続けていれば、かすみがちな私の目も「時代の変わり目」をうっすらとでもわかるようになるかもしれないなー、と誇大妄想気味に考えてしまうのである。


多くの言葉を引用すると、営業妨害になってしまうので、最後にスタンフォード大学の卒業生向け講演でのスティーブ・ジョブスの元気の出る言葉を引用して〆とする


君たちの時間は限られている。
その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。
ドグマにとらわれてはいけない。
それでは他人の思考の結果とともに生きることになる。
他人の意見の雑音で、自分の内なる声を掻き消してはいけない。
最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。
心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、もうとうの昔に知っているものだ。
だからそれ以外のことは全て二の次でいい。

=スティーブン・ジョブス=



ゆっくり時間をかけて読んでも、けして損をした気にはならない一冊である。

2008年8月5日火曜日

ソウルに行ってきました-その4

おっと、定番観光地を忘れていました。
ちゃんと南大門にも行きました。

南大門市場もね。

ソウルに行ってきました-その3

おやつ系も少し
明洞で最近流行らしいアイスクリーム



屋台で売っている果物。氷の上に置いてあるので冷たくて美味。
衛生状態・・・・? そんなことは不問にふすこと。

このあと、二口ほど囓って、息子は地面に落としてしまった。なんというドジ。


ソウルに行ってきました-その2

記録の意味で、食べたものをアップしておこう。
これは到着した日の夕食。明洞近くの焼き肉屋で、サムギョプサル


次の日の朝は、ホテル近くの「瑞源」という店でおかゆ


お昼は、定番中の定番の「全州飯店」でビビンバップ

夜は、「福清」の焼き肉のセットメニュー

帰りの日の朝は、明洞をちょっと足を伸ばして、「シンソンソルロンタン」でソルロンタン


初心者お勧めコースを家族自力で巡ったのでありました。

ソウルに行ってきました

ソウルに8月3日から4日の日程で旅行してまいりました。
竹島問題に端を発して、またなにやら日韓政府の関係は雲行きが怪しくなっていて、あちこちの国際交流事業にも影響がでているのですが、ソウルは・・・・・・相変わらずでありました。

2泊3日の日程なので、そんなにあちこちを歩き回れる日程でもなく、また家族連れでもあったので、南大門市場での買い物や明洞でのショッピングへのお付き合いや食事(なんと今回、月に一度のデパートの休日にぶつかってしまい、デパ地下散策はできずであった。残念)という観光客おきまりのコースなのだが、
「日本人ですか? 今これ人気高いですよ」
「これ安くしとくますよ。」
あるいは
「本当のニセモノあるよ。見ていかない?」
といった、いつもながらの市場であったし、明洞も、いつもどおり、韓国人や日本人や欧米人で賑わう、いつもの明洞であった。
こうした領土問題が起こるたびに、マスコミの論調や政府の発表では、韓国のいたるところで、日本人排斥運動がおこっているような報道がなされるのだが、現地、特に観光地を控える大都市では非常にクールで、いつもながらの対応が続けられていることが多い。あまり、「オオカミがきた」状態の報道が続くと、本当に極度の対立関係がおこりそうになったときに、妙な世論をつくってしまうことにはならないだろうか、と勝手に心配もしてみるのである。

それにしても、今回の旅行でも、南大門市場近くで、現地のおばちゃんに話しかけられ、「安くて良心的な店知っているから、教えてあげる」、といわれ、行ってみたら、そのおばちゃんの店だった、といったまるでコントのようなこともあり、いつもながら、あちらの商売人の方々のバイタリティの強さには、ただただ頭が下がるのである。

2008年8月2日土曜日

梅田望夫「シリコンバレー精神」(ちくま文庫)

1996年秋から2001年夏にかけて、筆者のシリコンバレーの経験に基づくエッセイというか、シリコンバレーの一時期を切り取った、現地にいた当事者の記録の集合体である。
いくつか、ネット関連のエポックとなるものがいつ起こったのか調べてみると
windows95の発売が文字通り1995年
グーグルの創業が1998年
ネットバブルの崩壊が2000年
となっている。
そうした意味で、単なるネットに関するエッセイとしてではなく、インターネット時代の幕開けとして「シリコンバレー」が輝き初め、ネットバブルの波の到来と崩壊、そして再生へ、といっためまぐるしくはあるが、私たちの生活に大きな変化を与えた一時代の記録としても貴重な一冊である。
ただ、「シリコンバレー」あるいはそれに代表される「ネットの世界」に住む人たちのスタイルも丁寧に書かれているので、時代の記録集としてだけではなく、「ネット」あるいは「ウェブ」という、一種特殊ではあるが、確実に私たちに浸透してきている思考スタイルや行動スタイルのついての評論集としても読むべきであろう。
いくつか、その一端を引用すると、ベンチャー企業の興廃著しいシリコンバレーのビジネススタイルは
第一に、事業の成功・失敗はあくまでもビジネスというルールのある世界でのゲームで、それを絶対に人生に反映させないこと
第二に、事業とは「失敗するのが普通、成功したら凄いぞ」というある種「いい加減な」遊び感覚を心の底から持つこと。「成功するのが当たり前、失敗したら終わり」という「まじめ」発想を一掃しなければならない。
第三に、失敗したときに、「投資家や従業員や取引先といった関係者に迷惑がかかる」という考えを捨てること。皆、自己責任の原則で集まってきているのだと、自分勝手に「都合良く思いこまなければならない
この3つの知恵は、不運や失敗をしたたかに乗り切っていくための救命胴着
なのであり、その中で挫けることなく挑戦を続ける人々の心の有り様を「マドル・スルー」という言葉で表現している。
「マドル・スルー」とは
 文字通りには「泥の中を通り抜ける」だが、「先行きが見えない中、手探りで困難に立ち向かう」の意。中西輝政京都大学教授に よれば、アングロサクソンには「マドル・スルー」の状態自体をプロセスとして楽しむ骨太の行動文化があり、その文化の存在こそが「霧に立ちこめ始めた時 代」にアメリカやイギリスが活力を保持している所以だとのこと(「国まさに滅びんとす」「なぜ国家は衰亡するのか」)
「泥の中を通り抜ける」、「先行きが見えない中、手探りで困難に立ち向かう」とおう意味だが、その状態自体を「目標に到達するための苦難」だと思わずに楽しむこと
といったもので、そうした「マドル・スルー」を基礎にして、
限られた情報と限られた能力で、限られた時間内に拙いながらも何かを判断しつづけ、その判断に基づいてリスクをとって行動する。行動することで新しい情報が 生まれる。行動するモノ同士でそれらの情報が連鎖し、未来が創造される。行動する者がいなかれば生まれなかったはずの未来がである。未来志向の行動の連鎖 を引き起こす核となる精神
人種や移民に対する底抜けのオープン性、競争社会の実力主義、アンチ・エスタブリッシュメント的気分、開拓者(フロンティア)精神、技術への信頼に根ざしたオプティミズム(楽天主義)、果敢な行動主義といった諸要素が混じり合った空気の中で、未来を創造するために執拗に何かをし続ける「狂気にも近い営み」を、面白がり楽しむ心の在り様
が、シリコンバレーにおける思考スタイルというか行動スタイルである「シリコンバレー精神」だと主張されている。
こうした「シリコンバレー精神」に対する筆者のスタンスは、あくまでも楽天的であり、信頼を寄せているのは、いくつかの章を読めば容易に感じ取れる。
最近、ネットにまつわる、あるいはネットに起因しているといわれるいくつかの陰惨な事件を契機に、ネットの「排斥」運動ないしは、ネットの「ラッダイト運動」的な風向きを感じるのだが、やはり私としても、梅田望夫氏のように、こうした「シリコンバレー精神」に代表される「ネットの未来」、あるいは「ネットによって招来される新しい行動の形」を信頼したいのである。
そして、それは
1998年のクリスマス商戦でアメリカの消費者は約50億ドルの買い物をネット上で行ったが、爆発的に普及するネット通販は既存の小売・流通業をかなりの スピードで破壊する。顧客と直接コミュニケーションできる効率よい道具を得たために、製造業ではネット直販方式に転換して必要なくなった人をレイオフする 企業が増えた。金融・証券も同様。具体例を挙げればきりがないが、予想を上回る勢いで大切な何かを失っていく危険
世界中の「働きたいヒト」の詳細情報や過去の実績がインターネット上で流通する時代の到来は、「置き換え可能」な人材の報酬がグローバル労働市場とリンク する方向を示唆している。米国の法律で定められた最低時給賃金は州によって異なるが四ドルから七ドルの間くらいである。これを下限とした価格競争メカニズ ムは、これまでブルーカラーや低レベルの対人サービス従業者に対してのみ働いてきたが、この範囲がさらに拡大していく

といった負の面を抱え込んでいることは事実であるとしても、閉塞感のある現代を切り開く、有力な選
択肢の一つとして、(何はともあれ)考えていきたいのである。

2008年7月31日木曜日

玄箱のファイルを自動バックアップする

ext3でフォーマットしたHDDができあがったので、自動バックアップシステムの導入に進む。
次のサイトを参考というか、ほとんど真似して設定
http://blog.dc-d.jp/archives/607.html(データセンター ダイレクト ブログ)
玄箱のUSBに外付けHDDを接続。ターミナルから作業を開始
$ sudo e2label dev/sda1
$ sudo e2label /dev/sda1 usb-hdd
でファイルのラベル付け。
次は
$ sudo mkdir /mnt/usb-hdd
でマウントポイントを作成。
自動でマウントできるようにfstabを編集。
$ gedit /etc/fstab
末尾に
LABEL=usb-hdd /mnt/usb-hdd ext3 defaults 0 0
を追記して保存。
$ mount /dev/sda1 /mnt/usb-hdd/
でHDDをマウントする。
ここまでできたら、あと少し。
玄箱のファイルをバックアップ用のHDDに書きこむためのソフトをインストール。
今回はrsyncを使うので
$ sudo aptitude install rsync
でシンクロ用のソフトをインストール。
インストールできたら、ファイルをバックアップ用のHDDに書き込み。
$ sudo rsync -a --deliete /mnt/public/ /mnt/usb-hdd/
(/mnt/publicは私の環境の場合なので、適宜、それぞれの環境に応じて変更してね。あと、コピーのディレクトリが変わってしまうので最後の/は必ずつけること)
ファイルのバックアップが終わったら、次は自動バックアップの設定。
crontabに編集してもいいのだが、Webminでcronを設定。
[システム] → [予定済みCron作業]
「Cronジョブのスケジュール」の「cronジョブの編集」の「コマンド」に
rsync -a --deliete /mnt/public/ /mnt/usb-hdd/
を記入して、おそらく何も作業をしない朝の3時ころにcronジョブを実行する設定にして保存。
あとは、きちんとコピーがとれているか確認して出来上がり。
1日1回コピーをとるシステムで、RAIDじゃないけど、まあ、自宅鯖のバックアップシステムとしては、こんなもので上等ではないでしょうか。

ubuntuでext3形式でHDDをフォーマットする

玄箱DebianをSambaでファイルサーバとして使っているのだが、バックアップを手動で他のHDDやDVDなどのメディアに焼くのも面倒になってきたので、自動でバックアップできないかチャレンジすることにした。

まず、バックアップ用のHDDを準備する。玄箱のHDDの容量は250Gなのだが、あいにく、空きHDDはそれより小さなものしか手持ちがない。自動バックアップが目的なので、250GのバルクHDD(中古 IDE)を新規購入。

あわせて、HDDの外付けケースを購入。IDEにしたのは、規格が古びてきているので、外付けケースも割安なものがでているからなので、ケースも割安な玄人志向のGWS3.5AI-U2/CSを購入。

用意ができたら、次はHDDnoフォーマット。玄箱Debianに接続してやる方法もあるらしいのだが、よくわからないので、Ubuntuをいれて使っている茶の間ノートのThinkPad A21eでフォーマットすることにする。

まずは、必要なソフトをインストール。

Synapticでgpartedをインストール

次にフォーマットをGUIでできるようにする nautilus-gksu もあわせてインストール。
インストールしたら再起動。
準備が調ったところでフォーマットにとりかかる。

ターミナルでgpartedを起動

$ sudo gparted

そうすると、nautilus-gksuの、こんな画面が立ち上がる。(ギビバイトとなっているのがご愛嬌)

メニューから
[編集] → [すべてのパーティションをクリア]
を選択して、念のため、既存のパーティションを削除
次に
[パーティション] → [フォーマット]
を選択。そうすると、フォーマットの形式とかを選択する画面になるので、形式は「ext3」を選択。
フォーマットする容量は、今回の場合、250G全部を選択。
で、「すべての保留を適用」を選択すると、フォーマットが始まる。時間がかかるので、しばらくお茶でも飲んで待ちましょう。

塩野七生「ローマ人の物語 29」(新潮文庫)

古代ローマの賢帝の中でも、極めつけの賢帝と評価のある哲人皇帝 マルクス・アウレリウスの登場である。
 
といっても、この巻の最初は、誕生から前の皇帝であるアントニヌス・ピウスの「長い」次期皇帝(皇太子)時代が続く。
この「次期皇帝」時代の印象は、激情家ではなく非常に穏やかで、騒がしいことの嫌いな、前皇帝のもとで、すくすくと(表現としては適当でないかもしれないが、子供の成長の一つの姿を現す、この言葉がぴったりくるんですよね)皇帝修行をしている、「恵まれた若旦那さん」的な暮らしである。
 
マルクス・アウレリウスといえば、「自省録」など、哲学者の面も有名なのだが、かなりの独裁者で帝国内を飛び歩いているハドリアヌスにかわって統治の責任者を務めているといってもいいヴェルスの孫として、若い頃からかなりの優遇を受け(本書の途中にトラヤヌスからマルクス・アウレリウスまでの執政官などへの就任年齢を比較した表があるのだが、マルクスはやけに若くして就任しているものばかりなのだ)、また、財産もある。そうした若旦那的な生活スタイルが、哲学におぼれさせる一因でもあったのではないか、とも思う次第である。
しかも、ピウスの方針だったのかもしれないが、次期皇帝に指名される前も後も、辺境の地で軍務に就くという経歴もなく、さしずめ、お金持ちで名門のシティボーイといった暮らしを、皇帝就任まで続けることができたということは、それはそれで幸運なことではある。
 

で、なのだが、こうした穏やかな前半生とうってかわって、皇帝となってからの後半生は、帝国のあちこちで反乱ののろしがあがり、その鎮圧に奔走する、といったものだったらしい。そのあたりの原因について、著者は前皇帝アントヌヌス・ピウスの責任もなかったわけではないような件はあるのだが、まあ一番大きな要因は、時代の流れというか、ユーラシア大陸全体の遊牧民族の動きが、古代ローマにも及んで着始めたのと、永らくのパックス・ロマーナの中で、全体的に帝国の気風がトロンとしたものになって、それが帝国の周りの民族につけこめそうな雰囲気を与えだしたということなのだろう。
 
ということで、この巻は、マルクス・アウレリウスの平穏で学究的な前半生を中心に、波乱怒濤の後半生の幕開けといったところで、次の巻に続くのであった。

2008年7月30日水曜日

塩野七生「ローマ人の物語 28 すべての道はローマに通ず 下」(新潮文庫)

ローマ帝国のインフラを描いた巻の下巻が本書。
 
とりあげられるのは
 
ハードなインフラとして、水道
 
ソフトなインフラとして、医療、教育
 
である。
 
で、最初は「水道」である
 
ローマ帝国の代表である「アッピア水道」というのは、本書によれば、全長16.617キロ、うち地下が16.528キロで、ローマの東に連なる山地からローマ市内まで、延々と引いたもので、この距離を、当時、水道を引こうというのは、よほどの理念というか執念がないとできそうもない。おまけにローマというのは水資源はかなり豊富だったらしいから、同じように水資源の豊富な日本の住む管理人としては、わざわざなんでそこまでやるの、とツッコミをいれたくなるような代物である。
 
この「アッピア水道」以外にも「ユリア水道」やら「アルシエティーナ水道」やら「クラウディア水道」やら何本も水道を建設しているから、こいつはもう「道」や「橋」と一緒で、とにかく「繋ぎたい」という民族的な衝動なんだろうか、と非合理的な理由で片付けたくもなる。
 
 
特に驚くべきなのは、このアッピア水道の建設に取り掛かったのが、アッピウス・クラウディウスという人物で、アッピア街道の敷設をした人物と同一人物であるということだ。
 
 
道あるいは水道の整備というのは、古代に限らず現代でも、なまなかの期間では終結しないし、長い期間がかかればこそ、反対者もでてくる。そうした二つの事業を同時に動かすというのは、並大抵の精神力ではない。筆者が「アッピウスはインフラを、単なる土木事業ではなくて国政であると考えていたのにちがいない。そうでなければ、国家百年の計どころか、結果的には国家八百年の計になるローマ街道とローマ水道の二つともを立案し実行に移すことなどありえなかったと思うからである」と誉めそやすのも納得である。
 
そうした水道なのだが、このローマ水道が運んでくる水の配水先に占める「公」と「私」の比率が6対4で、この割合はかえられなかったらしく、このあたり「公」「パブリック」というものを重視したローマ人の律儀な性格ででている。
 
 
さて、次のソフトのインフラなのだが、ここででてくるのも、あのカエサルである。
教職と医療に従事する者にローマ市民権を全員に与えたのもカエサルかららしくて、いやはや、ローマ帝国の骨をつくったのは、やはりこの人物だったのね、と改めて思い知らされる。
 
で、へーと思ったのが、もともとローマ帝国時代は、教育は家庭で担うものと考えられていて、はじめは全部、私立でカリキュラムとか、そんなものは全く自由だったのが、キリスト教の支配が強化されるのと教育制度の公営化は歩調をともにして進み、教師の資格も、試験を受けた上で決まるようになった。そこで試されるのは、キリスト教への信仰の有無であった、というあたり。
教育というものに、干渉を強めるかどうかは、一神教的ともいえる価値観の単一化とひょっとしたら関連しているのかいな・・・と、まあいろんな論調を思い起こしながら、つぶやいて見るのであった。
 
 
で、ローマのインフラを扱った本書のレビューは、次の筆者の言葉で締めくくろう。
 
 
インフラは、それを維持するという強固な意志と力をもつ国家が機能していないかぎり、いかに良いものをつくっても滅びるしかない。これは、ハードなインフラだけにかぎったことではなく、ソフトなインフラでも同じことなのである。

 
 
「公」というものに関わる全ての人が、心に留めておくべき言葉である。

UbuntuにMetaFlameをインストール

ほとんど使う人はいないだろうが、シンクライアント・ソフトのMetaFlameのインストール方法をメモ
まずCitrixのHPからLinix対応のものをダウンロード。
tar版になっているので、任意の場所に解凍。
解凍したファイルのうち
setupwfc
をクリックするとインストール手続きが始まる。

①まず、「インストール」か「削除」か「セットアップの終了」を選択する画面がでるので
1(インストール)
を選択
②インストールするディレクトリを聞かれるので
y(デフォルト)
を選択
③ライセンス契約への承諾を求められるので
「1 同意する」
を選択
④新しいWebブラウザがどーとかと聞かれるので
y(デフォルト)
を選択
⑤エントリを新しいインストールと置き換えるか

と、ここまででインストールが完了。後はセットオプションの画面に戻るので、「セットアップの終了」を選択する
クライアント証明書による認証がある場合は、証明書を
ICACliant/linux86/keystore/cacerts
にコピー。
FireFox3.0の場合は、ブラウザ画面で、証明書の認証の例外も認めるかどうかを聞かれるので、例外を認めるをクリックするとアクセスできる。

2008年7月29日火曜日

塩野七生「ローマ人の物語 27 すべての道はローマに通ず 上」(新潮文庫)

ローマの五賢帝のうちアントニヌス・ピウスとマルクス・アウレリススの時代を描く巻の間に挟まれるようにして置かれているのが、この「すべての道はローマに通ず」の巻である。
 
ローマ帝国は、マルクス・アウレリウスの死後、その力を衰えさせていくのだが、その要因はマルクス・アウレリウスの時代に既に仕込まれていたといえなくはないので、いわば、ローマ帝国の物語の上り坂と下り坂のちょうど中間、峠のようなポジションで描かれているのが、この「すべての道はローマに通ず」の巻といっていい。
 
で、何が描かれるかといえば、人物ではなくモノ、「インフラ」である。当然、「インフラ」というのは、自然発生してくるものではないので、それをつくる人、つくるように計画した人はあるのだが、主役は「インフラ」である。いや、これも正確ではないな。「インフラ」にシンボライズされた「ローマ人の精神」とでもいうべきだろう。
 
 
この27巻では、そのインフラのうち
 
街道
 
 
といったものがとりあげられていて、インフラのうちでも、まあデカイものだ。
 

巻頭にいくつかの写真がでているが、まあ本当に立派というか、「元祖ローマ帝国製作」と看板がでていそうな代物である。(ローマの水道橋は教科書にも出る定番の建造物だよね)
 
 
で、思うのは、こうした「道」とか「橋」を国家として整備し、メンテし続けたというのが、やはり「ローマ帝国」というものの神髄を現してると思う。さらには、同じ建造物でも、エジプトやマヤ、アステカのピラミッドや中国の万里の長城あるいは、仏教遺跡のようなものではなく、人と人、町と町を「つなぐ」機能をもつ建造物を整備し続けたというのが、ローマ帝国が他の文明あるいは古代国家と違うところであろう。
 
それは、「開かれた」精神、あるいは「広がっていく」心といってもいい。こうした精神の基礎があったからこそ、「パクス・ロマーナ」といわれた世界国家が長期間にわたって存立しえたのであろう。
 
そこは、同じ世界国家であっても、「つなぐ」という設備を考えなかったモンゴル帝国とも、一番異なるところであろうし、筆者も最初の方に書いているが、「防ぐ」施設である「長城」を建設した中国の諸王朝とも異なる。
そして、結果的によかったかどうかわからないが、あまねくローマ市民権を与えたローマと、華と夷を峻別し、中心を明確にしていた中華帝国との違いでもあるのだろう。
 
 
そんな文明論的なことは抜きにしても、このローマの「街道」(この本でもう一つのインフラとしてあがっている「橋」も、街道を川といった障害物を越えて、伸ばす手段であるから「街道」の一環として捉えていいと思っている)のレベルと国土に張り巡らされている度合い、メンテの周到さは、執念みたいなものを感じて、これは、軍団を駐屯する際も、必ず「基地」という形で、様々な施設を含んだ「擬似都市」を作り上げるのが常であった、ローマ人のインフラ・フェチとでも言うべき性向があってのことなのだろう。
 
 
この「すべての道はローマに通ず」の巻は、派手な英雄も登場しないし、戦闘シーンもないので、読み通すのはちょっと骨が折れる(著者も最初の方で断りをいれているがね)が、腰を落ち着けて読めば、スルメのように味の出る巻である。

工人舎 SA5KX08AL 雑感

UMPCがほしくなって、そうは言っても、資金がないので、
Sofmapの中古で「SA5KX08AL」をゲット。
プールポイントとかを使う前のお値段が4万ちょっと、ということで、FeePc901の影響か、程度の割合に比べかなり値段も下がっている。
解像度は800×400で、かなりパフォーマンスは低いのだが、FireFox3.0であれば、画面のズームで縮小表示もできるようになったし、Sleipnierでも「表示」の「文字のサイズ」で小さなフォントを選べるようになっているので、その点はあまり苦にならない。
HDDの容量も80Gあるので、EEEpcのような苦労は必要ないし、YouTubeなんかは、出先ではほとんど見ないので不満はあまりないのだが、たった一つ不満なのは、スティックポインタやタッチパッドのドライバの認識が、時によってというか、2回のうち1回は必ずこけて、どちらかが使えなくなる状態になること。
いろいろググると、Biosの設定をDefaultにしておくといいとか、一度、画面を閉じて開くといいとか、システムの復元で、使えていたところまで戻す、とかあるのだが、どうも私の買ったものは、どうしても
2回に1回はドライバの読み込みでこけるのである。
しょうがないから、小さめのUSBマウスをつけて使っているのだが、誰か抜本的な解決法をしらないだろうか?
と、まあ、不満な点はあれど、欲を言わなければ(パワーのいるものはメイン機で処理し、データの大半は自鯖かNASに格納する、といった使い方を前提として、という意味ですよ)、軽くて安いマシンである。

2008年7月23日水曜日

勝間和代「新・知的生産術ー自分をGoogle化する方法」(ダイヤモンド社)

今、売れっ子の経済評論家である勝間和代さんの知的体力アップを図るノウハウと考え方が満載された本である。
こうしたビジネス本の効用の一つには、著者のパワフルさが読んでいるうちに伝染してくるっていうのがあって、
そうした伝染力が強ければ強いほど、読後は、「よし、俺も」っと元気がでるっていうことがあり、この本もそのパワーを十分秘めております。
「捨てる技術で大切なのは「Not to do list」を「つくること。すなわちやってはいけないことのリストをつくること」といった発想の転換に気づかせてくれたり、インプット力やアウトプット力を高める具体的な技術が、キチキチと提案されていたりとか、(「○○を高める6つの技術」とか「▲▲を見極める5つの方法」とか、なんとなくコンサルタントと話をしてきるような気分になるのは、著者の商売柄かもしれないが)、なんとなく勉強の凄くできる生徒会長から、勉強法を懇切丁寧に教わっているような気持ちになってくる。
なかには、ちょっとデジタル依存なんじゃない、と思ってしまったり(オーディオブックはそういった意味で、まだ、私にはなじみが薄いんだよな)、「本を読むときはスピード最優先で、線引きやまとめ書きといった面倒なことはしない」といった、おいおい、頭の良い人はいいけど、それじゃ俺らは頭に残んないんだよね、と思ってしまうところがないわけではないのだが、総じて、ふむふむ、これは良いですよね、といったアイデアと使えそうなノウハウが満載である。 

著者も「1%の本質を見極める5つの技術」の一つとして「本代をケチらずに良書を読むこと」とおっしゃっておられることでもあり、ここは千円札2枚と割り切って購入して、ワシワシ読んだ方が得だと思う一冊である。

2008年7月22日火曜日

フエダイの刺身

いつもの魚屋さんから「珍しいものが入ったよー」
と連絡があり、届けてもらった。
「フエダイ」という魚である。
刺身にすると、こんな感じになる


これが原型

Web魚図鑑によれば、南日本から香港にかけての黒潮域で獲れる魚らしい。「南」といっても静岡あたりでも獲れているから高知、九州の専売特許というわけでもなさそうだ。
山陰でも獲れるのかどうかは、確認し忘れた。
身は、鯛より締まっていて、コリコリしている割に、脂が多いね。Web魚図鑑の食味評価でも星4つ(非常においしく食べられる魚)になっている。納得である

2008年7月20日日曜日

宋 文州「仕事ができない人は話も長い」(日経BP出版センター)

元ソフトブレーンの創業者で、辛口の経済評論の宋 文州さんのメルマガをまとめた著作。
 
宋さんのコラムはNikkeiBPにも以前連載されていて(「宋文州の傍目八目」)、まだいくつかは読めるので、興味ある人は読んでみるとよい。
著者は名前で推測できるように、中国籍で、日本に留学したのが縁で、日本でビジネスを始められたのだが、その経歴と日本人の思考スタイルにどっぷりと浸かっていない、そのくせ日本人の思考スタイルを、どうかすると普通の日本人より理解している評論は、辛口ながら教務深く読める。
 
本書は、2004年から2006年までのメルマガをまとめたもので、宋氏自身もソフトブレーンの取締役を辞任したりしているのだが、世間ではホリエモンや村上氏などのネットバブルを謳歌した人たちが凋落した時と重なっていて、日本のネットバブルのまっただ中にいた人の証言禄として読んでも面白い。
 
で、いくつか印象に残ったフレーズを引用すると
 
「我々が他人に言われるから努力するケースは、ほとんどない。努力したい時に努力しているだけである。努力したくなるような環境をつくることが、上司や親ができるせいぜいの「努力」である
 
とか
 
他人がまだやったことのない新しいことをやり出すとき、いくら正しいこと、価値のあることであっても、すぐ理解される保証はない。初期段階ではむしろ誤解されたり、白い目で見られてりすることもよくある。開拓精神やベンチャー精神といえば聞こえはいいが、実行する人には大変な信念と勇気と忍耐が必要である。
 
新人のゴミ拾いと大声挨拶はこのためにある。正しいことだが、恥ずかしいし、泥臭い。それを抵抗なく実行してしまうのは、ベンチャー精神であり、引っ込んでしまうのは大手病である。
 
とか
 
いわゆる「統制」がとれている会社や、「戦闘力」あある会社ほど選択肢と柔軟性がない。そんな会社は変化した社会に適応できなくなるとトップが焦ってくる。「変化!変化!」といくら呼びかけても変化できない。社員の多様な選択肢を許し育てない組織の脆さである。
 
などなど。
 
ベンチャー企業の経営者らしく、変化と多様性に信頼を寄せている論調で、閉塞感のある時のビジネス書として読めば元気が出る。
 
最後に、この人の人生へのスタンスを最も現しているな、ともった一文を紹介してレビューの〆としよう。
 

「群れない。こびを売らない。傲慢にもならない。しっかり自己を持つ」

2008年7月19日土曜日

うちわえび

娘がパスポートをとりに、帰省していて、そのついでに御馳走を整える。
ひさびさに「うちわえび」を入手。よく行く魚屋さんが、娘が魚好きなのを知っていて、どういうわけか、「そろそろ帰省してくるんじゃないかと思ってた」ということで仕入れてくれていた。

最近は、あまり大きなものは手に入らないのだが、こぶりな方が味が細やかに感じたりする。
姿形はビラ聖人なので、グロテスクであっても味がよければ良い、という人にお勧めである。
味は、エビを繊細にしたような感じかな。塩ゆでにして、包丁に半分にきって、身をほじくり出して、そのまま食すのが良。


奥田英朗「港町食堂」(新潮文庫)

直木賞作家の奥田英朗氏(といっても、すいません、私、この人の小説呼んだことがありません、ゴメンナサイ。)の日本の港町を訪ねる旅行記。
 
なんだ、よくある日本の田舎の港町旅行記かと最初は思うのだが、この旅行エッセイは、すべてフェリーか何か船を使って寄港するあたりが斬新なところ。
 
訪れる港町は
  土佐清水
  五島列島
  男鹿半島
  釜山(プサン)
  新潟、佐渡
  稚内、礼文島
といったところで、貿易やら観光やら、それなりに盛んなところであるはずなのだが、どういうわけか礼文は真冬に訪れたり、なんとなくうらぶれて印象をもってしまうのは、この作家の持ち味なのだろうか。
 
作家と雑誌社の旅行でありながら、フェリーの個室に泊まらせてもらっているのは最初の時ぐらいで、後は、二等かそれ以下の雑魚寝といった扱いで、そのあたりも、なんとなく貧乏旅行っぽさが漂う。
 
旅行エッセイというと、初めキャピキャピ、最後は説教、といったところに堕してしまうのが、私の最も嫌いなパターンなのだが、大丈夫、この「港町食堂」は、きちんとそれぞれの港町の定番名物料理から、なんということはない喫茶店のカツカレーまで食べて、余計な美食談義はしない。そこで味わえる料理に、うまければ素直に感心し、夕食のあとの〆は、近くのスナックで、そこの若いおネエちゃんと盛り上がるという具合で、なんというか、安心して、サクサクと読めてしまうのである。
 
ということで、一番うまそうで、この旅行エッセイの旨味がでていると思う場面の一節を抜粋(「食い意地のせいなのか? 日本海篇」)
 
 
 イカの刺身、なかなか到着せず。忘れてるんですかね。時間はかからないでしょう、捌くだけだから。
 タロウ君に厨房をのぞかせると女将さんの姿がなかった。ええと、どこへ?
 窓から外の様子をうかがう。女将さんが港からイカを一杯ぶら下げて歩いてきた。あらま、注文も受けてから仕入れに行ったのか。なにやらうれしくなってきた。
 出てきたイカ刺しは甘くて弾力があって、最高の逸品であった。獲れたてとはこんなにおいしいものなのか。ワサビを醤油に溶かし、ちょいと付け、熱々のご飯に載せて、わしわしとかき込む。ほっほっほ。高笑いしたくなるではありませんか。</font>
 
 
どうです。
 

ちょっと、暇で、でも気難しい気分にはなりたくない時にオススメの旅行エッセイであります。

2008年7月12日土曜日

iPhone雑感

iPhoneが売り出されて、どこのTVでもその様子を放映しているのだが、携帯電話というものにイマイチそそられない私として、なんとなく乗り切れない。きっと、しばらくたって、口の端にものらなくなってから、ふいに買ったりするんだろうな、と思う程度である。
このiPhoneの争奪で、ソフトバンクとDocomoが争っていたのは、まだ記憶の隅っこに残っていて、たしか、この争奪戦に負けたのが原因かどうかしらないが、この後にDocomoはブラックベリーの個人用の販売を始めたはず。
Willcomやソフトバンクのスマートフォンだけでなく、これを機会に、DocomoがtreoやNokia、そしてiPhoneの対抗馬ともいわれたPalm Centroあたりを大々的に取り込んで、できたら日本でもPalmのスマートフォンが使えたらよいよねーと、いまだにClieを使っていて、キーボードがあると安心する、PDA残党は思ってしまうのである。
ついでに、kiyonariさんのブログによれば、香港発売のIPhoneはSIMフリーらしいんだが、こんなのが手に入るようになったら、ソフトバンクさん、やばいんじゃないですか・・・

2008年7月10日木曜日

ヨコワの刺身

身はちょっとゆるいのだが、脂もそこそこのっている。
マグロほど脂ぎっていないせいか、思ったよりサクサクと食べられる。脂が少ない分、ご飯よりビールや酒のつまみとして食す方がぴったりくる。
大トロとまでの贅沢はできないが、こうした贅沢はちょくちょくしたいね、と思う小市民である。

2008年7月9日水曜日

「リスクヘッジのために辞める」という価値観

NECのビジネス情報サイト Wisdom の 田中信彦さんのコラム 「新装中国ー巨大市場の底流を読む」の第1回 「中国人はなぜやめるのか」を読んで、最近の会社意識について、いろいろ思ったので雑感を少し。
(サイトURLは https://www.blwisdom.com/vp/china/01/)

コラムの中で、中国人が会社をやめる時の動機が3つあげられているのだが、
中国人には、一つの仕事を長く続けること、同じ組織に長くいることをリスクと捉えて「リスクヘッジのために辞める」という概念があるということにまず驚く。
この考え方の基本には、日本人と中国人の「安定」に対する考え方の違いがあって、日本人は「1対1の関係」(1対1で信頼関係を築くといったことだろう)になることで安定感・安心感を得るに対して、中国人は「1対1」の関係になることによって、選択肢を失ってしまうことに「不安定」を感ずる、といったことらしい。
確かに、日本人の「1対1の安定感」は昨今の、成果主義の見直しや新・家族主義の流れを象徴するものだと思うし、私も日本人として、共感するものが多い。
ただ、もう一つ、中国と日本の歴史的背景の違いに根ざす、「家族」への信頼度の違いがありはしないだろうか。

このコラムでも、一般の中国人が、リスクヘッジとして「副業」を持つことが多く、その内容が、家族や親族との会社経営であったり、夫婦共働きであったりすることをみると、根幹に「家族」というものが据えられているように思う。
一方の日本の「新・家族主義」が「家族」という名前はついているものの、その多くの内容が、会社における社員同士の親睦会や飲み会の開催や、運動会の復活に見られるように、その実態が「会社」の疑似家族化であって、血縁による家族の復権ではないように感ずる。
中国人の生き方の根幹に
「他者に自分の命運を握られない」よう最大の努力を傾けるのが中国人的生き方の真髄である。他者に自分の人生を左右される状態になってはいけない。人生のハンドルは常に自分が握る。そうでなければ安心できない
という意識がある、と、このコラムでもいわれているが、激変の歴史の中で、最後に信頼できるのは血縁の家族だけだった、という中国と、何らかの形で旧来の権威構造が存続できた日本との歴史経験の違いが、こうしたそれぞれの民族の反応の違いを生んでいるのではないだろうか。
それで、なのだが
こうした中国人の行動スタイルは、あながち否定的にとらえるべきなのかな、と思う、今日この頃なのである。
たしかに、こうした世渡りをされては、組織内に経験や知識も集積しないし、集団としての組織だった動きなんてできないよな、と思うし、最近の社会というか、多くの会社で、社員自体が活気を失ってしまっている状態が多くなっている中で、(その原因は、成果主義や個人主義の徹底やIT化による社員同士の分断といったことなんだろうが)その解決策として、教えあいや話し合いを増やすことや、会社内でのフォーマルでないつきあい(運動会といったようなもの)の復活が有効であろうことは分かるのだが、一方で、それが「新・家族主義」という名目のもとで昔ながらの会社への一方的忠誠心を求め、ややもすると応援団長と風紀委員的雰囲気の漂う「旧・会社主義」の復活に陥ってしまわないだろうか、という懸念も抱くのである。
「新・○○」と銘打って、また、どちらかというと息苦しさを感じるところもあった、高度成長期やバブル期の「みんな仲間だ、一緒にいこうぜ。なぜ一緒にこないんだ、仲間じゃないな」といった風潮の単純な復活は好むところではない。
結局のところ
会社が社員の人生全てをフォローできなくなっている現在、会社は会社で能率をあげて生き残るために、新・家族主義をツールに社員の紐帯を強めいくだろうし、社員は社員で、そんな環境の中で、いざという時と自分の精神的な逃げ道として、こうした中国人的な考え方を、スパイス的にもっている、という生き方が最良なのかもしれませんね、と、未だ日本的なサラリーマン環境にいる私としては思うのである。

2008年7月1日火曜日

Clieの本体メモリを節約ーLINKSTART

Clie NX70の本体メモリは、11Mしかないので、たくさんアプリを入れたり、メールで大容量のデータにあたったりすると、とたんに困ることになる。

 MSMountで大概のソフトはMS上に移せるのだが、ClieMailのデータベースとか、移せないものもあるので対応策を検索。 PowerRUNというシェアウェアを使うと対応できそうなのだが、そこはあくまでフリーソフトを探すというポリシーを貫くことする。

 あちこち探しまくるとLINKSTATIONというフリーソフトがあり、これが使えそうだ。

 参考サイトはココ(shino-jiのPalmware日記annex) でダウンロードページはココ(LinkStart for PalmOS)

参考サイトの解説どおり、フリーなのに、ClieMailのデータベースもMSに逃がすことができました。 MSMountと併用するのがお奨め。

2008年6月30日月曜日

鰹の頭の煮付け

時折、いつもよく買う魚屋で、おっというものが手に入るのだが、今日は鰹の頭が手に入った。
実は、娘がこういうアラ系は好きなのだが、私は、正直なところ、魚の食べ方が下手で、ちょっと苦戦。
でも、目の裏や頬肉など、すみずみまで解体できました。味は、さすがに鰹なだけあるし、頭はいろんな味が凝縮されているところなので、旨いことこの上ない。
とりわけ、目玉の裏の肉とゼラチンは絶妙であります。

小アユの天ぷら

養殖アユなのだが、小ぶりなものが手に入ったので、天ぷらにした。
身も柔らかいし、骨も柔らかいので、そのまま頭から囓ることができる。
上品にやれば、塩をパラパラッとふっていただくのだろうが、何、構うことはない、天ぷらのつゆにどぶんとつけて、汁がしたたるままのやつを、そのまま熱い飯の上にのせる。
で、ハフハフしながら、ワシワシと食す。

2008年6月29日日曜日

Ubuntu で Youtube

本日は、茶の間ノートに続いて、Ubuntuに乗り換えたCompaq Presarioの無線LAN環境に四苦八苦(USB無線を認識させるのに手間をくったのではなく、機種によって認識の度合いと電波を拾う度合いが偉く違うもので、苦労いたしました。詳細は、別エントリーで)したのですが、ようやく、午後の終わりに片付いたので、夕方からは、茶の間ノート ThinPad A21eでUtubeが視聴できる環境設定とWineでIEが使える環境の設定に挑戦いたしました。
まずはYoutube
参考サイトは独学Linux UbuntuのTotem動画プレーヤがYoutubeに対応
Ubuntu標準搭載の動画プレイヤーTotemがYoutubeに対応したらしいので、その設定。
Totemを起動すると、プラグインがない!とまず叱られる。で、私のThinPad A21e環境の場合、どういうわけかツールバーからはsynapticも「アプリケーションの削除と追加」も起動しなくなったので、ターミナルから
$ sudo synaptic
でsynapticを起動
synapticで ubuntu-restricted-extrasをインストール。
ついでに、このサイトの勧めにしたがってH264のプラグインも導入。
ダウンロードはコチラ(init 7 H264 Youtube Video in Totem)から
で、次はTotemの設定を行う。
Totemのメニューの「編集」→「プラグイン」でYoutubeのプラグインにチェックをいれて、Ubuntuを再起動。
これで、TotemでYoutubebのVideoの検索・視聴ができるようになりました。

とはいっても、Firefoxで再生した時は、映像は再生するのだが、音が聞こえない。
Totemで映像を探してもいいのだが、ちょっと雰囲気がでないので、再度、ブラウザからYoutubeを視聴する方法に挑戦。
であちこちググッて、Ubuntu日本語フォーラムのこの記事を参考にsynapticでlibflashsupportをインストール。
Ubuntuを再起動して、Firefoxを立ち上げ、Youtubeを再生してみると、オッケーでした。
Ubuntu-ThinkPadのYoutube最初の再生成功映像は、小西真奈美さんの「大丈夫だよ」でした。
(これ結構お奨めです。元気がでますよ。ホント)

2008年6月28日土曜日

Ubuntuのターミナルでrootになる

Ubuntuはデフォルトでは、rootのパスワードが設定されていないので、ターミナルでアプリのインストールやアップデートをするときは
$ sudo AAAAA
とかして次にパスワードをいれればいいのだが、 # 環境で操作したいという気持ちもわからんではない。(というか個人的に $ のモードで、システムを操作するのが、どうも座りが悪いのよね)

そんなときは
$ sudo -i
で、パスワードを聞いてくるので、パスワードをいれると、
#
になります

2008年6月19日木曜日

長崎ちくわ

長崎の親戚から、毎年のように贈ってもらうのが、この「長崎ちくわ」

白身の魚のすり身からつくるらしいのだが、身はプリップリッとしていて、焼皮はしんなりとして歯ごたえがあって、これ絶品なんですよね。
少し日にちがたったら、油で素揚げしてもいいのだが、新鮮なうちは、どんどんどんと大ぶりに包丁で切るか、手でちぎっていただきましょう。
同じものかどうか判らないが、楽天でも売っているみたい。今度、買うかな。


2008年6月16日月曜日

イガイのみそ汁

こちら(山陰)では「イガイ」というのだが、一般的には「カラス貝」だろう。地域によって食したり、食さなかったり、という話をきいたことがある。見た目はあまりきれいでないから、えっと思われる方もあるかもしれないが、磯の香りが非常にして、珍味であると個人的には思う。
吸い物が一般的なのだろうが、今夜はみそ汁にした。磯の香りが苦手な人は、みそ汁の方がお薦めまもしれない。


2008年5月27日火曜日

Ubuntuでアドビリーダーを使う

Debianの時は、アドビのサイトからtarパッケージをとってきて、makeしてインストール、といった手間をかけていたのだが、いつの間にか、アドビのサイトにdebパッケージができている。
これをダウンロードすると、自動的にパッケージをインストールするかどうか聞いてくる。で、OKすると勝手に展開してインストールしてくれるのであります。
便利になったものです。

2008年5月26日月曜日

Debian EtchからUbuntuに乗り換え

最近の流行に惹かれたのかもしれないが、茶の間ノートのThinkPad A21eをDebian EtchからUbuntuに乗り換えた。
ThinkPadは、ついでに40Gに換装。今までは10Gだったので、かなりの容量UPである。
A21eのスペックは増強したとはいえ、セレロン600Mhz、メモリー256M(これが最大の積載量。おまけにSO-DIMMだ)という貧弱なものなので、うまくインストールできるか不安だった(紹介本にはCPUは1Gが推奨なんて書いてあるしね)のだが、なんなくインストール成功。
で、ちょっと起動の際のもたつきはあるものの、不自由なく動いている。
Ubuntuの良いところというか、楽なところは、OOoとかTotemとか、ある程度使うかなー、と思うアプリが既にたくさん入っているところですね。スリム好みのDebian好きは、余計なものを入れやがって、と思うかもしれませんが、楽ちんなことは間違いないですな。
これで、WillcomのA420Sが使えたり、Youtubeが見られたり、Skypeが使えると言うことなしなのだが、おいおいセットアップしてみましょう。

2008年5月24日土曜日

Debian EtchにSSLをいれる

Debian Etch にはapache2-ssl-certificateが入っていないので、WebDAVのBASIC認証の設定にえらく苦労した。
参考サイトは
よしだメモ

digitalnomad::net

www.mkjinet.com
こちらを参考、というかほとんど同じように設定。
しかし、Etch設計者は、なんでこんな設定にしたんだ?

2008年5月20日火曜日

ThinkPad A21e のHDD換装

ThinkPadはきちんと保守マニュアルが公開されているので、部品の交換も楽。
このページから保守マニュアルをダウンロードして、HDD換装のところを見ればよい。
手順は、裏面のHDDを留めているねじを大きめのドライバか10円玉ではずし、HDDのスロットを引っ張り出せばOK。あとは、HDDを固定しているネジをはずして新しい2.5インチのHDDに交換する。
デフォルトでは、両面テープでHDDと取り付け金具が固定されているので、無理せずに、ゆっくりはがした方がいい。
換装できるHDDの上限やメーカーは不明なんだが、私の場合は40G、HITACHI-IBMで、なんのトラブルもなく認識してくれました。もともとCeleron 600MHzのマシンなのであまり大きな期待はしない方がいいと判断。CPUの換装はあちこち調べると、M/B直づけらしく不可能なようです。
あと、OSはUbuntuにしたのでWindowsの場合は、きちんと認識するかどうかは、保証の限りではありません、念のため。

ベーコン炒めとメイタガレイ

本日は、息子の課外クラブの日。学校の取り決めで、平日の夜の練習から帰る時は保護者が同伴して帰ることになっている。本日は、奥さんの都合がつかなくて、急遽、私が迎えに行く。
さて、ベーコンは、きちんとスライスしてあるものより、端切れを詰めたものの方が安い上に、いろんな味が楽しめる。生でもいいのだが、どちらかというと火をを通した方が、味わいが深くなる気がする。
メイタガレイは、この季節になると薄っぺらになってきて、あまり美味しくはない。
このほかに、ほうれん草のゆでたものを大量に食す。
以前はマヨネーズやドレッシングをかけていたのだが、ダイエット中なので、本日はポン酢をかけて食す。これはこれで美味である。

本日は不意に思い立って茶の間ノートのThinkPad A21eにUbuntuをインストール。なんとか動いているみたい。
ついでに、Debian etchのConpaqサーバでsslがうまく動かないのを再発見。
あちこちググってなんとか解決策らしきものを見つける。試すのは明日にしょう。


2008年5月19日月曜日

焼き肉レタス包みと鮭のソテー

焼き肉レタス包みは、個人的には普通のレタスよりサニーレタスのような柔らかめの方が、肉の歯ごたえとレタスの柔らかさがマッチして良いように思う。普通のレタスも、しゃくしゃくして捨てがたいのではあるが、そこは好みの分かれるところだろう。
本来ならチチャが一番良いのだが、残念ながら、うちの庭のものはまだ育ちきっていない。後日に期待である。
鮭のソテーは、胡椒を少しきつめにする。これに醤油をかけると、良。
「ソイ・ソース」は世界に冠たる調味料であると実感する。
皮のところは、好き嫌いが分かれるところ。確か、ショートショート作家の星新一さんは、新巻鮭の皮のところが大好きで、かなうことなら、焼いた新巻鮭の皮のところだけを剥いで思う存分食いたい、といったエッセイがあったように思う。
私の場合、カリカリになっているとよいのだが、少しでもベタついていると、ちょっと敬遠する。ただ、皮と身の間の油は、こそげるようにして、ありがたく頂く。ハラスになっているところは、もちろん皮も一緒に脂のうまさを堪能することに。


2008年5月17日土曜日

回鍋肉とカマスの塩焼き

回鍋肉のタレは当然のように市販品。こいつを熱い飯の上にのせると、キャベツのシャクシャクと肉と味噌の旨味が混ざり合って、飯が何杯でも食えるんだよねー、と思うのだが、最近メタボ気味の腹をさすりつつ自重する。
私の職場の近くにあった中華料理屋では、この回鍋肉を飯の上にかけたのを「味噌丼」と称して、メニューに載っていない裏メニューだったのだが、これがまた絶品でありました。「味噌丼」の名称は、ほかで聴いたことがないので、この店オリジナルの命名なのだろうか。
カマスの塩焼きは、カマス自体がかなり生臭いので、塩をこれでもかとふりかけて焼かないといただけない代物になる。その意味で、太っ腹な人に料理させるとよい魚かもしれない。


2008年5月15日木曜日

焼き鯖と鳥唐、牡蠣フライ

焼き鯖は山陰の味覚といってもいいと思うぐらい、幼い頃から食べ慣れた味である。
最近は、大振りなものは少なくなって、どうかすると息子と二人で、一匹をたいらげてしまうこともある。
写真では素のままだが、これに醤油をかけ、おろしショウガをたっぷり添えて食す。
鳥唐と牡蠣フライは市販品。
よく見ると、今夜はやけに油っぽい品が多いことに気づく。


2008年5月14日水曜日

ハタハタと牛肉のタタキ

牛肉のタタキはひさびさである。店によっては、厚く切ってあるのはいいのだが、どうにもかみ切れないほどのところもあり、ものはほどほどが大事なことを実感させる料理である。本日のは、適度に、というか、結構薄くて、かみ切れないことはありませんでした。

2008年5月11日日曜日

祭り

昨日が雨だったので、今日、お参りすることにする。
半分は、小学生の息子の日記ネタづくりだ。
ランプが輝いている夜店の出ている宵宮でないと、なんか感じでないな、と思うのは私だけかな。

2008年5月10日土曜日

牛しゃぶ

今日は近くの神社の祭りなのだが、昼前からあいにくの雨。
朝はったしめ縄の御幣も濡れて落ちてしまっている。
祭りの日の御馳走、というわけでもないのだが、奮発して牛しゃぶ。
しゃぶしゃぶといっても、最近は豚しゃぶがほとんどなので、久々の贅沢である。

そのほかは、鱧の煮付けと胡麻豆腐。胡麻豆腐はほとんど食べてしまってから、醤油はつけないのかと家人に指摘された。「醤油はつけないほうが味がわかる」と負け惜しみで言ってみる。素直じゃないね。

2008年5月9日金曜日

玄箱etchでSambaを使う

玄箱etchでSambaが機能しなくなって、どうにも原因がわからないので、動いている別のサーバのSambaを確認する。 と、玄箱sargeのバージョンはSamba 3.0.14-Debianとなっていて、PCサーバーのバージョンはSamba 3.0.24となっている。じゃあ、PCと玄箱etchのsmb.confの記述を比べると、エラク違う。

おんなじバージョンでなんじゃこりゃ、と思うのだが、さすがに、PCの方の記述をそっくりコピーする勇気はない。 うーむ、とあちこちググると、玄箱にetchをいれてSambaが動かなくなった、といった情報がみつかる。

 ひょっとすると、Sambaのバージョンアップにあわせて玄箱のDebianで使えない設定になっているのかもしれない、と暗澹となる。 NASが使えないようなら、こりゃ、デフォルト玄箱に戻すしかないかもねー、と思って、なおググっていたら、「いまさら玄箱(初代)いじる」というサイトでこんな記事を見つけ藁をもすがる気持ちで、試してみる。

まず、共有フォルダを作成。ただし、SWATから作成するとコケそうなので、直接 /etc/samba/smb.conf をいじることにする。

まず、フォルダの作成
# mkdir /mnt/public
# chmod 777 /mnt/public
※パーミッションを777にすると危険かもしれないが、まあLANの中でしか使わないので、おまけだ。

次に、[grobal]のセッションに
unix charset = UTF-8
dos charset = CP932
interfaces = 127.0.0.1 192.168.0.0/255 eth0
を追記。

[public]を
comment = /mnt/public
path = /mnt/public
validuser = ○○○
writeable = Yes
user = ○○○
writelist = ○○○
と記述して保存。

その後、Sambaのユーザーパスワードを設定
# smbpasswd -a -U ○○○
New SMB passord:
と出るのでパスワードを入力。

面倒くさいので、Unixと同じものを使用する。

Retype new SMB password:
でパスワードをリタイプ。

最後にSambaを再起動。
# /etc/init.d/samba restart
Windows機から確認すると、やっと共有フォルダにアクセスできました。

もっとも、茶の間Debianノートのnautilusからは共有フォルダが見えないのだが、FTPではアップロードもダウンロードもできるし、文字化けしていないので、とりあえずOKとしておこう。
Sambaについてあちこちのサイトを見てみると、どうも3.0.20か3.0.21あたりからパッケージの内容が大幅に変わっている様子で、今回も、その辺が原因かもしれないのだが、このあたりにたどり着くまでに結構捜しまくる必要があるのが、Debianのキツイところだなー。

それにつけても、初代玄箱をまだいじりつづけていただいている先人たちに
多謝!!

追記


この設定はSWATを先に使ってしまった時に有効の設定のよう。どうもSWATが/etc/samba/smb.confの設定を大幅に書き換えているようだ。
PCサーバーのDebianは、Webminを強制インストールして設定したので、そのあたりが違っているのではないかと思う。

玄箱を再び Debian etch にする

先だって、kernelを2.6にして、それから/etc/apt/source.list を編集してetch化を果たしたのだが、アップデートの時のgpgエラーが消えない。
あんまりエラーが出るので嫌になって、sargeにインストールしなおしたのだが、どういうわけか、Sambaが動かない。
これは、Sambaのパッケージが変わったせいかと勝手に判断して、再び、etchにアップグレードすることにした。
今回もカーネルを2.6にあげた時と同様に LifeScape さんのカーネルとetchイメージを使わせてもらうことにする。
導入は、LifeScape さんの記事(http://lifescape.seesaa.net/article/41200934.html)に従う。

ーーここからは LifeScape さんの記事を記録のために再掲 ーー
まずはEMモード化。既にDebiam化しているので
# /etc/kuroevtd/resetpress
でリセットボタンのスクリプトを実行し、自動的に再起動するのを待つ。(私の環境の場合、背面ボタンの長押しではリセットできなかったため)
telnetで玄箱にログイン(ユーザーはroot,
パスワードはkuro)
# /sbin/mfdisk -e /dev/hda
# sh /sbin/mffilesystem.sh
# mounnt /dev/hda1 /mnt
# mount /dev/hda3 /mnt2
ダウンロードしたetch化済イメージを /mnt2 へFTPで転送
# cd /mnt
# tar xvzf /mnt2/debian-etch-2.6.23.1-kuroBOX-DHCP-20071216.tgz
ドワーッとファイルがインストールされるので、ぼんやりと眺めて待つ。
インストールが済んだら、EMモードを抜ける
# /usr/bin/write_ok
# reboot
再起動したら、再度telnetでログインしてネットワークの設定をする。
ログインユーザーは tmp-kun パスワードは tmp-kun
ログイン後のルートパスワードはroot
無事、etch化できました。
先人たちに 多謝!!

玄箱サーバーのSamba動作せず。

思わず衝動買いしてしまった、玄箱の2台目におきまりのようにDebianをインストールして、etchにアップグレードしたのだが、セキュリティ関連の取得がうまくいかなくて、UPDATEのときに、認証されていないだのなんだのと、エラーがでるのが嫌になって、再びsargeに戻す。
ところが、Sambaが動かなくなって、ファイルサーバーの用をなさない状態になってしまった。
SSHやFTPでは繋がるし、ファイルのアップロードもできるので、ひとえにSambaの動作がうまくいっていないのは明らかなのだが、なにせ原因がわからない状況である。
一から出直しますかねー、とため息まじりに思うこの頃なのである。

2008年5月5日月曜日

コナン館

連休を利用していってきました。
近場の施設というのはなかなか訪れないものですね。
連休中とあって、かなりのにぎわいでありました。
近くの倉吉市では、「昭和レトロ展」ということで、TVチャンピオンで有名な山田卓司さんの作品や海王堂の作品も出展されているらしいので、そちらにも足を伸ばしました。そちらも、かなりの人手で入場制限まであったのは、ビックリでありました。
-こちらはコナン館前のコナンたちの銅像。子供と親が群がっての写真撮影の合間をねらう-