ラベル ブックレビュー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ブックレビュー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年6月21日土曜日

安藤美冬「未熟でも未完成でも"今の自分"で突き進む」

元気なお嬢さんと自己啓発の記録と宣言本という感じかな。
著者はノマドワーカーの旗手として一躍有名になった安藤美冬氏

構成は
Chapter1. 一歩外へ踏み出す
Chapter2.自分の可能性を広げる
Chapter3.自分メデイアの編集長になる
Chapter4.人との出会いが自分をつくる
Chapter5.自分らしく働く

表題や世間の評判に影響されてリモートワークの技術論を求めてはいけない本。むしろ、新しいプレゼンスに頑張っている女性のPR本のなかにリモートワークのヒントがいくつかある、と考えた方がいい。批判などはあれこれあれど、自分をブランド化するためにはどうしたらいいか、何を取り上げ、何を切り捨てるかといったところをぎりぎり考えて行動に移した、と本人曰くなので、まあ他人がどうこう言うこともないだろう。

また、彼女が大学の講師になった、ということでノマドを捨てたのかといった批判もあるようだが、大学という閉鎖的な世界に少しばかり関わった経験からいうと教授クラス、せめても准教授クラスでないと身分保障からいっても通常の会社員や公務員よりも不安定なことは間違いない。多摩大学という大学運営の面ではアグレッシブなところに勤めるということを評価すべきだろう。

個人的に面白いなと思ったのはまず、「一人合宿」。

情報を適度にシャットアウトとして日常をリセットする。

例えば近郊のホテルに「籠る」という作業。

お薦めは仕事帰りの金曜夜から日曜までの2泊3日携帯の電源をオフにして、積ん読していた本を持ち込んでゆっくりと読書したり、ノートとペンを持って現状の振り返りやこれからやりたいことを書き出し、頭の中を整理する(P78)

ということらしいのだが、時間と周辺環境さえ許せばこうしたリセットができれば有り難いもの。

ただ、家庭があると、まあ、なかなかいろいろ、あれこれあるよね。

もう一つは「自分メディアの編集者」という心持ち。

組織の中で働いて、チーフ的なポジションになってくるとなかなか出来ないものだが、組織人であっても成果に責任を持ち自らの研鑽を怠らない、「優秀な傭兵」的な感覚は忘れたくないものではある。

まとまりがつかなくなったが、彼女の意気盛んなところに思いをいたして、まずまずの自己主張本、自己啓発本と評して、この項は終わりとしよう。

2012年10月21日日曜日

稲垣朝則「ミニバン 車中泊バイブル」

酷暑もおさまり、家庭菜園の世話も一服してくると、どういうわけか旅心やアウトドアへの憧れがさわさわしてくる。


 といっても、かなりのインドア派なので、実際出かけかるかというと、その確率はかなり低くて、大概は、アウトドアのウィンドウ・ショッピングをしたり、その手の本を読んだり、ネットを見たりといったところなのだが、最近は「車中泊」のあたりを彷徨っている。

 ということで、稲垣朝則「ミニバン 車中泊バイブル」である。

 構成は

 第1章 車中泊のメリットとデメリット
 第2章 週末に楽しむ2泊3日の車中泊の旅
 第3章 車中泊なら、やりたいことがもっと楽しめる
 第4章 快適車中泊の構築術
第5章 車中泊におすすめのキャンピングギア
 第6章 車中泊のフィールドテクニック
第7章 車中泊で行く北海道の旅マニュアル

 となっていて、なぜ車中泊をやるのか、といったところから始まって、最後は北海道での車中泊、キャンプ生活という流れ。

インドア派の私が、思わず、自車のプチ・改造や学校のキャンプで息子に買ったはずのシュラフの在処を探したり、といった具合なので、車中泊ないしはアウトドア・ライフ入門本としては良いできだと思う。


 高速道路の休日1000円という、かなり乱暴な政策を、国内の流動を増やしたというよりも、フェリー会社をつぶしただけのように思うし、道学者的な経済政策のおかげで、なんとも沈滞感がずっと続いているのだが、そうした世相も反映してのことだろうか、こうした清貧的なアウトドア・ライフは、控えめながらも、かなり根強い人気のように思う。


 ただ、こうしたのが主流になってくると、鼻についてくるのは、いわゆる自然保護至上主義者が人間の生活そのものを否定してくるのと同じで、やはり通常のキャンプなどの王道のアウトドアと違って、「車中泊」は日陰の花であってほしいな、と思うのは、アームチェア・キャンパーのわがままかもしれない。

 リアルのアウトドア初心者も、バーチャルのアウトドア礼賛者も、読んでおいて損はない。
リアルな人には実際の教則本として、バーチャルの人には妄想をかき立てる入門書としてお奨めである。

2012年6月23日土曜日

立花岳志「ノマドワーカーという生き方」(東洋経済新報社)

最近流行のノマド本なのだが、普通のノマド本と思って読むと少し期待外れだろう。
ノマド本といえば、おすすめのWifiカフェやコワーキングスポットがどう、とか、電源を確保するためにどう、とか、いつものカバンの中身は、とかそんな話題に終始するのだが、ちょっと本書は違う。

構成は

はじめに
Chapter1 これがフリーブロガーの一日だ
Chapter2 ソーシャルとブログによる個人メディアの威力!
Chapter3 社長の座を辞してなった僕の職業は「ブロガー」
Chapter4 フリーブロガーの「デジタル・セルフマネジメント」ノマド&クラウド徹底活用術
Chapter5 今日からできる「個人情報発信」のススメ


となっていて、この目次を見てわかるように、ノマドのワークスタイルのレクチャーというよりも、「ブロガー」としての生き方を吐露したのが本書といっていい。

で、本書で著者が語っている、「ブログ」への思いはかなり強いものがあって、「人生を劇的に変える」ためにブログをはじめ、結果、会社をを辞め、専業のブロガーとしてやっていく覚悟と日々の生活のブロガー・ノウハウが縷々記されている、ということだけで、ブログをちょっと本気を出してやってみようかな、という諸氏は、本書を読んでおいて損はない。
というか、へなちょこブロガーの当方としては、「ブログを書く」という選択をし、優先順位を決めたら一日24時間の中で何を止めてブログの執筆にまわすかですよ、とつきつけらるあたり、たははと笑って膝を折って反省しないといけないのである。

本書は、すべてのへなちょこブロガーは、反省しつつ読まなければいけない書物かもしれないですな。と、まあ、本書で紹介されているブログを書くコツ的なものは別途レビューするとして、ひとまず本書のレビューはこのあたりで。

2012年6月14日木曜日

まつもとあつし 「スマート読書入門」(技術評論社)

hontoやBookWalker、パブリ、日経BPなどなど電子書籍の数は一頃よりは増えてきているのだが、いまだ巨人Amazon Kindleの参入はなく、なんとなく生煮えの状態が続く電子書籍、あるいは電子媒体による読書について、気鋭のITライターであるまつもときよし氏の手による、電子書籍入門本。

入門本と言っても、「自炊「のあたりはきちんとふれてあるし、さらには、電子媒体による読書(この本で「スマート読書」といっているので、以下同じ表現にするが)の場合の読書メモの作り方、さらには 現代IT版輪読会、読書会ともいえるソーシャルリーディングまで、かなり欲張った内容になっている。

構成は

第1章 読書だってデジタルでいこう
第2章 「閉じた」読書で終わっていてはもったいない
第3章 快適なデジタル読書のために環境を整えよう
第4章 フロー情報をさばいてストック情報につなげよう
第5章 読書メモをマスターして「読んで終わり」から卒業しよう
第6章 新しい読書のカタチ「ソーシャルリーディング」に乗り出そう
終 章 進化する本との出会いを楽しもう

となっていて、まずは読書端末の紹介から読書におけるデジタルサービスの利用方法、、Scansnapを使った自炊の仕方といったところを第1章~第3章あたりでさっくりとふれて、第3章からはいわばデジタル版読書術といった風合い。

すでに「自炊」の世界に踏み込んでいる人にとっては、ちょっと食い足りないかもしればいが、「はてなブックマーク」の使い方やブクログ、Twitterいよる読書情報の共有なども広範にふれてあるので、おさらいのつもりで読んでもいいだろう。

しかし、爆発的に普及するといわれて久しいが、本当にゆっくりとしか進まない日本の電子書籍の世界。アメリカなぞでは、すでに紙の本より電子書籍のほうが購入数も上回ったというのにねーと思うのは私だけか(なんて書くと、識者からアメリカの本というものは高級なものかペーパーバックしかなくて、そもそも出版事情が云々の講釈されるんだよな、毎度毎度)。言霊の世界では、電子の文字に霊性が降臨しないのだろうか・・・

2012年1月12日木曜日

浅田次郎 「珍妃の井戸」(講談社文庫)

「蒼穹の昴」と「中原の虹」の間に位置する 「珍妃の井戸」 をレビュー。
続編といわず、「間に位置する」といったのは、本作の微妙な感じを表現したつもり

義和団事件で列強の軍隊が北京の宮城の中に攻め寄せ、光緒帝や西太后など帝室が難を逃れるなか、光諸帝の愛姫の珍姫の謎の死を遂げる。その死の真相を、イギリスから派遣されたソールズベリー提督など列強から派遣された面々が探っていくという物語。

時代背景的には、「蒼穹の昴」の続きに当た理、登場人物も共通しているのだが、のだが、続編というわけではない。

筋立ては、前述のソールズベリー提督らが、珍姫の死に関わったであろう人物に次々と会い、その彼女を殺した犯人を捜していくといった形

で、構成を紹介すると

第1章 載沢殿下の舞踏会
第2章 誰が珍妃を殺したかーニューヨーク・タイムズ駐在員 トーマス・E・バートン氏の証言
第3章 老公胡同ー元養心殿出仕御前太監 蘭琴氏の証言
第4章 梟雄ー直隷総督兼北洋通商大臣兼北洋常備軍総司令官 袁世凱将軍の証言
第5章 魔宮からの招待状ー光緒皇帝側室 瑾姫殿下の証言
第6章 現場検証ー永和宮首領太監 劉蓮焦氏の証言
第7章 小さな悪魔ー廃太子 愛親覚羅侗氏の証言
第8章 天子

となっていて、そうそうたるメンバーへの聞き取りが続くのだが、聞き取りが進むにつれ真相がハッキリしてくるかと言ったらそうではなくて、ますます混迷してくる。

有り体に言えば、聞き取りの順番が、犯人と名指しされていく順番といえばいいのだが、その様子を読んだところで、誰が珍姫の死の現場に立ち会っていて、誰の言うことが真実なのか、正直のところ、最後の最後に至るまで、五里霧中の中で読み進めていかされる。

で、最後の最後、嘘をつくことが許されない皇帝という立場にある光諸帝が名指しする犯人とは、といった感じで最終章に至っていくのだが・・・。

珍妃暗殺は西太后の命令によるという話が一番有力らしいのだが、いまだ真相は明らかになっていない。

ネタバレ承知で言えば、このあたりの真相を明かす歴史ミステリーと思って読んだら間違い。義和団事件によって殺されたのは誰、あるいは何だったのか、というところか。

歴史小説というより、清朝滅亡という大歴史ドラマの中の異譚として読むべきか・・・。

2011年12月31日土曜日

浅田次郎 「蒼穹の昴」(上、下)(講談社) 読後感

大部であったせいか、時代が近いくせになじみが薄いせいか、かなり時間がかかったが、やっとのことで読了。

物語は、清朝末。西太后が実権を握っている光緒帝の時代。一言二言で大筋を言ってしまうと、田舎の直隷省の秀才、梁文秀が進士の状元となり、平行して、彼の幼馴染で貧家の春児が宦官となり西太后に仕えというメインキャストと舞台仕立てで展開する。

当然、時代は清朝が音を立てて瓦解していきつつある時代で、この物語は、いわゆる康有為らの変法自強運動が挫折するまでのを背景に描いている。
けして未来が開けている時代ではないのだが、なにかしら妙に明るい感じをうけるのは、王朝が崩れ落ちるときの美しさというか、長い歴史を持った政権が最後にぱっと燃え上がる時にあたるせいなのだろうか。

主人公である、梁文秀も春児も架空の人物ではあるのだが、その時代に生きた片や富裕な郷紳でしかも進士(おまけに状元(成績トップの及第者)といえば宰相も夢ではなかったはず)と、片や極貧のゆえに宦官となり後宮で実権を伸ばしていく者と、両極端の人物を配しながら、双方ともに感情移入してしまうのは、さすが筆者の腕というべきか。
とりわけ印象深いのは、栄禄、李蓮英といったあたりは、定番どおりあくどい人物として扱われているのに、西太后がけして悪者に描かれていないこと。むしろ乾隆大帝の遺鉢を継ぐ、傾いていく王朝を一人で支える健気な女性といった感じで描かれているところは、他にない特徴。

三部作のうちの発端の物語なので、まだまだ先はある。しかも、これから列強,
特に日本の圧迫は強くなっていく流れの中で、彼らがどう生きていくか、次作を読まないといけないようですね。

2011年12月24日土曜日

鶴見良行 「東南アジアを知る」 読後感

小山龍介さんのHACK本で、そのアウトプットの仕方がよく紹介されているので、興味を惹かれて呼んだのだが、いわゆる文化人類学の研究ノートというよりは、アウトプットの仕方や、表現、思考をするにあたっての立ち位置の取り方、とかのHACK本の走りという形で読んだ。

1944年に亡くなった研究者だから、いわゆるWindows以前のPC環境で、情報の扱い方などは、当然、技術的な面では時代を感じるのだが、手法やスタンスは学ぶべき点が多い。

例えば、文字史料へ頼り切る学会の手法を批判し、彼が主要なテーマとしていた「東南アジア認識」の手法を語っている

①現物、現場にたずさわること
②歩くこと
③田舎の重要性、辺境の重要性

といったところは、われわれがビジネスに携わる上でのスタンスに読み替えてもよく、とりわけ③の「辺境」「田舎」の再認識ということでは、中心(今の流行と読み替えてもいいだろう)から離れることによって、今までの既定の枠の中から離れる手法が示唆されていると思うのは、私の錯覚か・・・

まとまったレビューは別のところでやるとして、小山龍介氏の思考の原型をたぐっていったような気がする一冊であった。

2011年4月19日火曜日

重松 清 「きみの友だち」(新潮文庫)

重松 清の作品は人前で読まないことにしている、と言ったら笑われるだろうか?
理由は「泣いてしまう」から。
とりわけ、子どもたちが懸命に、自分なりに精一杯に頑張っているものを読むと涙腺がゆるゆるになってしまう。この「きみの友だち」もその例外でなく、というか例外でないどころか涙腺がだだ漏れになってしまった。


収録は
「あいあい傘」
「ねじれの位置」
「ふらふら」
「ぐりこ」
「にゃんこの目」
「別れの曲」
「千羽鶴」
「かげふみ」
「花いちもんめ」
「きみの友だち」
の10編。

事故のため、足が不自由になった恵美と、腎臓の病気で学校を休みがちな由香、そして恵美の弟のブンと、ブンのクラスに転校してきて、出来る奴としてブンの立ち位置を脅かすトモ

これは、恵美が11歳、小学校5年生の頃から中学3年生(ネタバレを承知で言えば、由香が亡くなるまでだ)を中心にした「恵美と由香」の物語 と 同じく 小学校5年生から中学3年生までの 「ブンとトモ」の物語を中心として、「堀田ちゃん」であり「西村さん」であり、「ハナちゃん」であり、「三好くん」である、彼らの周りの子どもたちを主人公としながら繰り広げられる、「友だち」の物語群だ。


この「友だち」の物語群は、恵美と由香が、それぞれの障害を抱えるが故に、「みんな」とは離れており、それは、離れてはいるが、「みんな」の近くにあり、「みんな」もその世界と無縁ではないゆえに、もの悲しい。「みんな」が「みんな」であるうちは、「わたし」をはじく存在であり、「わたし」も「みんな」という顔のない世界に属する限り、「わたし」ではない。そんな物語だ。

そして、「死」ということ、「別れ」しかも、まだ若い、幼いほど「若い」頃の別れを意識しながらの友情であり、友との絆であることが、恵美と由香の物語を、悲しく、しかし、私たちの心を暖めるのだろう。

「ほんとうに悲しいのは、悲しい思い出が残ることじゃないよ。思い出が何も残らないことがいちばん悲しいんだよ。だから、わたし、いま幸せだよ。」という由香の死を間近にしながら思う恵美の言葉を胸に置きながら、由香のお父さんの、由香の誕生日の歌をかみしめる。

「さーんねんせーいっ」「よねんせーいっ」・・・「おとーもだちがでーき、まーし、たっ」

そう、これは、君の、私の、あのひとの、あの娘の、私の娘の、あなたの息子の、「友だち」の物語だ。

「ちゅーがくせいに、なりました」「にーねんせいに、なーりました」

歌はまだまだ続いていい。すべての未来ある者たちへ、すべての過去を持つ者たちへ。

「おとーもだちがでーき、まーし、たっ」

2011年3月6日日曜日

「奇貨居くべし」を読んだ

日曜日に全5巻読了
6年間にわたり著作と言うことで、さすがに分量的にも、内容的にもよみごたえある
少しずつ読み進めてきたので、3月ばかりかかってしまった
中国の歴史的人物の話は、歴史小説や時代小説が好きなせいもあって、結構読むほうだと思うのだが、やはり一面的ねことが多い。
この呂不違の場合も層で、始皇帝の方向からみた話が多くて、陰謀家で、秦の国を我が物にするために、不遇の公子に自分の妾を差し出して、
実は血を分けた実子である始皇帝を通じて、秦の国王の座の禅譲を狙った人物という印象が強い。
そういった意味で、こういう人物に青年時代に光を当て、実は・・・、といった形で、呂不違の新たな姿を示してくれたのは、史実かどうかは別にして筆者の着想と筆の冴えはすばらしいの一言。

2010年1月3日日曜日

浜 なつ子「死んでもいい マニラ行きの男たち」(講談社文庫)

タイや中国あるいは韓国といったアジアの国の旅行記やらそれに類したルポは数々あるのだが、どういうわけか、フィリピンに関する旅行記やルポはあまり見かけないように思う。

それは、やはり、高度成長期の、「買春ツアー」やジャパユキさんに代表される一種のいかがわしさがつきまとうせいかもしれない。

本書も、東京で売れっ子のホストをしていた人物が、フィリピーナに惚れ、どっぷりとフィリピンにはまり込んでいる様子を、彼へのインタビューをさしはさみながら進行する点で、そうしたあやうさを感じさせるのだが、読み進むうちに、熱帯特有のねっとりとした暑さと、想像上のものに過ぎないのだが、フィリピーナたちがもつ熱っぽさと優しさを感じ取ったようになってくるから不思議だ。

構成は

第1章 恐るべしフィリピーナ
第2章 吉原とエルミタ
第3章 女がいっぱい
第4章 はまる人々
第5章 アヤラ・アラバンの女
第6章 たまごっち山崎君
最終章 永遠なり!フィリピン人のホスピタリティ

となっていて、最初の方は、前述のホスト上がりの男性のインタビュー、後半の方は、それ以外のフィリピンにはまる、ないしは暮らしている日本人のさまざまに抱え込んでいるものを含んだインタビューとルポになっている。

2006年12月13日水曜日

重松 清 「ニッポンの単身赴任」(講談社文庫)

日本の庶民の一シーンを切り取ることのできる作家ときたら。この人しかいないだろうってな感じに個人的には思っている重松 清氏が「単身赴任」を切り取っていくルポ。
 
この人の場合、どうかするとこちらの目を潤ませっぱなしの小説や表現に出くわすことが多くて、エラソウにしている「お父さん」としては、ちょっと注意が必要なのだが、このルポは、ちょっと醒めたところから「単身赴任」という事実をきちんと、そのまわりの情感も含めてとらえてある見事な一品である。
 
 
時代背景は、2000年頃から2003年頃にかけてのルポなので、バブル時の前に向かいっぱなしのイケイケドンドンの時期でもなく、「失われた10年」のまっただ中のように、出口の見えない暗さばかりでもない、なにかしら光明が見えそうで見えない、見えないようで見えている、中途半端でこそばゆい時期と「単身赴任」と言う家族の形態としては、ひどく中途半端な状態とが妙にマッチングしている。
 
 
私自身、幸いというか偶然というか「単身赴任」は、同僚や上司、部下たちがそういった暮らし・状況にあるという第三者的な立場からしか接したことがないので、実際のところはわからないのだが、「自由さ」とそれと同じくらいの「寂しさ」が、登場する一人一人の暮らしのそこかしこにじみでてくる。
 
 
登場する「単身赴任」の逸話は15話。
 
 
単身赴任の代名詞でもある「札チョン」(「札チョン共和国定例国家の巻」)から、ビジネスが大きく動いている中国・上海(「中国上海的獅子奮迅日本商社戦士の巻」)での単身赴任から南極(「やんちゃな鳶職人、南極へ行く」)まで単身赴任の場所もさまざまであれば、職種も役職もさまざま。
 
性別も男だけでなく、東京都の小さな島の村の女性教育長の単身赴任のエピソード(「男女三人「島」物語の巻」)まで登場する。
 
 
で、それぞれの悩みや暮らしぶりも様々なのだが、そこに共通するのは、
 
「単身赴任は、一つの家庭から二つの暮らしを生む。
 赴任先で一人暮らしをする父親と、父親(母親)のいない食卓を生む家族」
 
であり、日本のビジネスシーンと並行して存在する、日本の家族の暮らしの一シーンでもある。
 
 

できれば、働く父親や母親をもつ娘や息子たちに「うちのオトウチャン(オカアチャン)、サエナイけど、ガンバってんのかいな・・・?」と思ったときに、読んでほしいルポである。

2006年5月7日日曜日

小川洋子 「博士の愛した数式」

家政婦さんが次々とかわる札付の家に派遣されてきた家政婦の「私」と数学者の「博士」、そして「私」の息子「ルート」の物語である。


若い頃の事故のせいで、物事を記憶する能力が失われ、1975年で記憶の蓄積がとまり、それ以降は80分だけ記憶が蓄えられると、自動重ね録りのように1975年に戻って記憶が上書きしてしまう、という「博士」。


彼は、毎80分後に更新される記憶をとどめるため、生活に必要なことは全てメモに書き留め、背広にピンでとめておいている。そして、「私」は毎回毎回、毎日毎日、いつも初対面の家政婦勤めを始めることとなる。

また、「私」の子供がいることを知った「博士」の強い要請で、「私」の勤め先に学校が終わると立ち寄り、勤務時間が終わるまで一緒に時間を過ごすことになった息子の「ルート」。

三人の少し奇妙な生活は、「博士」が医療施設に入るまで続く。といった流れなのだが、これは、ちょっと乱暴な要約をすると、「新たに出会った家族」の「家族としての暮らし」の記録である。


80分間という短い時間の連続の中で、血のつながらない、あくまで偶然に出会った人達が、「家族」としての関係をつくりあげていく物語、といえよう。

その「家族」をつくりあげていく道具は、数学上の様々なもの、「素数」であり「三角数」であり、完全数「28」を背番号に持つ江夏 豊と、「ルート」も「博士」も大ファンの「阪神タイガース」。
「数学の数式」と「阪神タイガース」が「家族づくり」の上で等価に扱われて行くのは、今までにない斬新さを覚える。


結局、身体というか、脳の衰弱で、「博士」の記憶は1975年より先に進むことを止めてしまうようになるのだが、成長した「ルート」が中学校の教師になったことを報告する場面、身を乗り出し「ルート」を抱きしめようとする「博士」の姿に、記憶や想い出を共有できないまでも成立した、ひとつの「家族」のお互いへのあふれんばかりの愛情を感じるのである。

映画の方からブレイクして大ヒットになったのかもしれないが、「小説」として読むのもいい。最後の方で、ちょっと、鼻の奧が"つん"として目頭が熱くなること請け合いである。

ちなみに、小説中で、一旦、引きはなされそうになる「私」「ルート」と「博士」を再び元通りに引き戻した重要な役割りを果たすのが、「博士」が義姉に対して「いかん。子供をいじめてはいかん」と言って示す『オイラーの等式』である。

ウィキペディアによれば「オイラーの等式」とは


この式は、全く起源の異なる重要な2定数、円周率(π)とネイピア数(e)が、極めて基本的な数、0, 1, i によって結びついている非常に重要な等式である。 この予想外の調和・連関を明らかにすることから、オイラーの等式は、"人類の至宝 " とも呼ばれる。(詳しくはこちら)

ものらしいのだが、「基本的な数の結び付き」と「予想外の調和・連関」がキーワードかなー、このへんは、まだ筆者の意図が読み取れない。

2006年3月5日日曜日

古今亭 志ん生 「なめくじ艦隊」

もともとは旧幕の槍の指南晩の家で三千石の知行をとっていた家で、父親も警察官をしていた家に生まれたのだが、道楽が過ぎて落語家(「咄家」というほうがぴったりくるか)になってしまった昭和の名人といわれた古今亭志ん生の半生記の自伝である。
 
本書の由来は、志ん生が、とんでもなく貧乏だったころ、本所の業平町の貧乏長屋(なんと家賃がタダの長屋だ)に住んでいたのだが、無料だけあって、ジメジメと湿気が多い。尼が降ると、たちまちあたり一面泥の海になってしまうようなところで、ナマクジが、夜となく昼となく大量に這い回っている。
そうしたナメクジの多い長屋の風景を、徳川夢声が、日本海軍の大艦隊になぞらえて「なめくじ長屋」と称したのを拝借したもの。
 
 
道楽者で酒が好き。おまけに咄家といういろんなエピソードにあふれた世界に生きてきただけあって語られるエピソードも破天荒なものが多い。
 
 
いくつか引用すると
 
 ライスカレーを食ったために給金を下げられた前座がいた。というのも、その頃(大正のころか?)は、よっぽど金持ちか偉い人でないかぎり、西洋料理なんて食えるものではないと諦めていた。「ライスカレーなんて大変なもの」だったから、前座の分際で食うなんて、とんでもない、ということで給金を下げられたらしい。
(当時、前座の給金が15銭ぐらいで、ライスカレの値段が8銭ぐらいしたようだから、今の時代でいうと8万から10万円ぐらいの料理か)
 
といった時代を感じさせる話とか
 
 旅のドサ回りの途中で、お金がないまま宿屋に泊まり、翌朝金がないのがわかったところ、宿屋荒らしと間違えられて留置場行き。そこで地元のヤクザの大親分と仲良くなって、その大親分の差し入れをご馳走になりながら、噺を毎日聞かせていた
 
とか
 
 戦時中、大辻司郎の紹介で、ビールを料理屋でこっそり飲み、帰りの土産に、大きな土瓶にビールを入れてもらったはいいけれど、途中で空襲警報。
「爆弾が落ちて死んだら。これ(土瓶に入ったビール)がもったいない」と地面に座って飲み始めたはいいが、すっかり酔ってしまい、そのまま寝入ってしまった。翌日、土瓶を下げて家に帰ったが、
 
「はげしい大空襲の下で飲んだ時のビールの味なんてものは、忘れられるものじゃやありませんナ」
 
 
といった話を、ちょっと伝法な江戸っ子らしい語り口そのままに読んでいると、まるで高座から志ん生の噺を聞いているような心持がしてくる。
 
 
また落語会というか、噺家の世界のこぼれ話のようなものも、また面白い。
 
例えば「噺家の階級の噺」
 
噺家になると、まず最初は「見習い」。着物だとかはかまのたたみ方。お茶の出し方というようなことをならって噺家の雰囲気てえものを知る。それから「前座」「二つ目」となっていき、二つ目でも古くなって、どこへ出してもお客さんをまんぞくさせるようになってはじめて「真打ち」になる。二つ目のうちは、どんなに年をくっても「兄さん」と呼ばれ「師匠」とはけして呼ばれない。
 
とか
 
三味線が入って高座に上がるのは、関東大震災以後で、それまでは太鼓(「かたしゃぎり」といったらしい)だけで、スッと高座に上がった
 
とか
 
真打になると車(人力車)にのらないといけない。寄席の脇には、みんなの乗ってきた車がズラーッと並んでいて、高座をつとめると、自分の車の待っているところに行って、腕組みをしてツーッと乗る、といった格好の良いところをみせるのだが、実は、真打成り立ての頃は、車屋に払う金にも事欠くのが実態
 
 
などなどの噺が続く。
 
とはいっても、馬鹿馬鹿しい話ばかりではない。
そこは厳しい修行もし、貧乏暮らしも長く、戦中・戦後の大動乱を生き抜いてきただけあって
 
 ほんとうに芸を一身にぶちこんでやれば、眼のある人はきっと見てくれます。そういうことが一つのきっかけとなって、しだいしだいにあたしの芸というものが人々からみとめられ、地位もどうにかなってきたんですよ。
 だから、人間てえものは、無駄なときばかり骨を折ったってだめですナ。何かそういうチャンスがきたときに、それをガッチリとつかまえて奮闘することですよ。けれども、ただ奮闘するといっても、はなに自分がそれだけのものを仕入れていかねえことにゃダメなんで、ネタのない手品は使えないわけですからね。ただ気分だけじゃどうにもならぬ。
 
 
 皮肉な世の中のウラをしゃべろうというのには、どうしても、あらゆることを経験しなければダメなんですね。・・・
 噺家として世の中の人が十分認めるてえのは、ある程度年齢がこないとダメだというのは、つまりそこなんじゃないんですかナ。
 
 
 あんまり早くから売り出すてえと、きっと早くくたびれちまうんですナ。みんな若い時分には威勢がよくて、はなばなしいが、年とってくるとじみになって、ガタンと落ちてくるもんですからね。
 年とってから人気があって、どうにかつとめたというのは、故人になった小勝つぁんぐらいなもんですよ。あんまりいませんね。たいていはいつとはなしに、ローソクの火みたいに消えてしまうんですナ。
 
といった話は、心にトンとくる。
 
 
そして
最後にもう一つ引用して、このレビューを終わろう。
 
 むかしの噺てえものは欲でこさえたものじゃなく、こういうおつな噺があるってんで自然にできあがったものなのに、いまの噺ってえものは、何でもいいから客を笑わせるつもりで、でっち上げるもんだから、鼻持ちならんようなものも出てくる。
 つまりチャチなくすぐりが多くなって、自然のおもしろみやおかしみじゃなくて、とってつけたようなおかしみになってくる。

 
ブログ書きとして自戒すべき言葉である。

2006年2月19日日曜日

サイモン・コンウェイ・モリス 「カンブリア紀の怪物たち」 (講談社現代新書)

珍しく、古生物学の本を読んだ。
 
古生物といっても、恐竜とかマンモスとか剣齒虎といったメジャーで人気のあるものではなく、もっと昔、 カンブリア紀 である。
 
私が、まだ若い頃は、カンブリア紀といえば、茫漠とした太古の時代で、三葉虫が主役。そんな虫みたいなわらじみたいなのが、泥の中や海底の砂の上を這い回ったり、潜り込んだりしている、妙に平和な時代と教えられていたように思う。
 
ところが、カナダのバージェス頁岩や中国の澄江とか、グリーンランドのシリウス・パセットとかの発掘が進むに従って、捕食動物、もっと平たく言うと肉食動物というか肉食の生き物が出現し、食われる方の生き物も硬い殻をつけたりして防御にいそしみはじめた時代で、のどかどころではなかったようだ。
 

しかも、「カンブリアの大爆発」といわれるように生命の形態のとんでもなくたくさんの姿が、まるで実験室かアイデアのブレーンストーミングのように出現した、なんとも賑やかな時代だったらしい。
 
これは、本書の口絵をみるだけでもよくわかる。(というか口絵を見て、あやしげな進化モノかと思って読んだら、真面目な古生物学の本であった。)
 
ゴカイみたいな「セルカーキア」
 
紐で編んだ筒みたいな格好をしている「ヴォーキシア」
 
三葉虫に5つの目をつけて、象の鼻のような触手をつけた「オパピビア」
 
二枚貝とイカを合体したような「オダライア」
 
そして、カンブリア紀の怪物。大きな葉っぱに、デカイエビの頭のような顔と二本の角みたいなカギ爪をつけたアノマロカリス
(アノマロカリスの画像をググッたら、かなりの数がヒットした。なかには、萌え系のアノマロカリスもあったぞ。なんか勘違いしてないか・・・)
 
などなど
 
しかし、子供がもし、こんな動物を書いていたら、「もっと真面目に考えなさい」と言いそうな生き物ばかりだが、こうした奇想のデパートみたいな生き物群も、収斂するというか、一定のデザインに落ち着いていたのだろう、こうした奇妙な生き物を見かけることはない。
 
本書の最後の方に書いてあるように、生き物のデザインは限られるというか、ほぼ、同じパターンが繰り返されることはよくあるようだ。
 
哺乳類の剣歯トラと有袋類の剣歯ネコ(ネコとはいってもカンガルーやオポッサムの仲間らしいが)
 
イクチオサウルスなどの魚竜と哺乳類のイルカ
 
そういえば、生き物は、何度もプロトタイプというか、試作品を重ねて完成品になっていく。
たった一種類、先行するプロトタイプもなしに生まれたのが人類。
もしかしたら人類は、きたるべき生き物のプロトタイプか・・・といったSFもあったような。
 
人が生き物として試作品かどうかは別として、子供の頃の奇想が、いつしか平凡なものに修練していくのも、こうした生き物の法則なのだろうか。また、どんな大人も子供の頃は同じような夢をもつのも生き物の法則なのだろうか・・・

開高 健 「もっと広く 南北両アメリカ大陸縦断記 南米篇」下 (文春文庫)

さて、このシリーズも最終巻である。この巻はペルーから始まり、旅の終わりのマゼラン海峡を望む地、リオ・ガジェゴスまで。


ペルーでは一種、豪快な釣りに同行する。

なにせ、荷物が氷520キロ、水600リットル、米50キロ、ガソリン270リットル、石油60リットル、以下ジャガイモ、トウガラシ、サラダ油・・・と合計2トン、同行者ニ十数名というコルビーナ(イシモチの一種らしいが、体重12キロ、体長1メートル20にまで成長するらしい)や畳のように巨大なヒラメ釣りを数週間にわたって釣る一大旅行というか大イベントである。

しかも旅行の主催はペルーで大規模な日本料理店を営む人だから、当然料理人つきであり、ここで供されるペルー料理が、また食欲をそそるものばかりだ。

それは、

鍋の底にタマネギやトマトやシジャガイモを敷き詰め、軽く塩をふる。その上に魚をのせる。その上にまたタマネギやトマトを敷き詰め、塩をふり、アヒ(トウガラシ)を入れる。その上にまた魚、その上にまたタマネギやトマト。こういう具合にしたのを、水を一滴もいれないで、トロトロ弱火で煮た、「スダド」というスープ




魚(コルビーナ)のとれとれの端麗な白身を刺身にして大皿に並べ、そこへタマネギやトウガラシをふりかけ、新鮮なライムの鋭い果汁をたっぷりとふりかける。魚の肉が酸に焼けてチリチリと白くなる。はんなりと白くなったところをいただく「セビチェ」

であったり、

牛のコラソン(心臓)をワインビネガー、つぶしたニンニク、コショウの粉、クミンシード、塩、小さいトウガラシ(タカの爪)などにおよそ8時間から12時間つけ、それをコマ切れにして太い青竹の串にさし、炭火で焼いた「アンティクーチョ」

などである。

こうしたものを大量に食しながら大釣行を行うのだが、釣果はかんばしくない。二十年来の不漁だと、いいながら、また食し、釣るのである。
豪快な「釣り」というよりも、豪快な「消費」というべきか。


ペルーを出たとなりの国、チリでは、この旅の当時は、まだ熱い話題でもあり、また本家の体制がまだ厳然として健在であった「社会主義」の崩壊、アジェンダ政権の崩壊について、チリ国民への手当たり次第のインタビューも交えながら、かなりの頁が割かれている。

しかし、これは筆者のせいではないが、アジェンダ政権どころか、いわゆる社会主義、共産主義自体が色褪せてしまった今となっては、昔の知識人は、こういうことに悩めていたんだなー、という感慨をもたらすにすぎない。
崩壊後の世界に生きる我々にとっては、ひどく遠い話になってしまっている。

時代の流れは残酷である。


最後の章はアルゼンチン。大繁栄から一転して国家の破産状態を迎えながら、なぜか国民は元気なアルゼンチンである。そこには思想の昏さはみじんもない。

当然、そこで食されるものも釣りも、元気でなければいけない。

ということで、食するのは

一頭の牛を開いて切り取った肋肉まるごと一枚をカタカナの"キ"の字型の鉄串にぶらさげ、岩塩とコショウをまぶしただけで、じわじわと炭火で焼くバーベキューである。

その金色の汗をしたたらしてボッと炎をたてる肋肉からめいめい好きなところを木
皿にとってきて食べ、ぶどう酒を飲みつつ、大木のかげ、日光をさんさんとあびつつ小咄の交換会をするバーベキューであり

釣りは

疾走する。かけまわる。ブッシュにとびこもうとする。ときには全身をあらわしてブッシュからブッシュへ飛び交うこともある。そいつをすかさず強引にひったくって広場にひっぱりだす「サルモン」

である。


そして、最終地のフエゴ岬。途中、ブラウン・トラウトを釣る場面はあるが、総体として静寂、静謐である。

いままでの豊饒さ、熱烈さ、清冽さを清算するかのように、最後は静かに終わる。

しめくくりは、「清潔な明るい場所」の老人に呟きで終わる。


すべては無(ナーダ)に無(ナーダ)。かつ無(ナーダ)にして無(ナーダ)にすぎぬのだ。

開高 健 「もっと広く 南北両アメリカ大陸縦断記 南米篇」上 (文春文庫)

「もっと遠く」に続いたアメリカ大陸縦断記の南米篇である。
南米篇は、メキシコから始まる。もちろん、南米にメキシコを入れるのは筆者も躊躇しているが、スペイン人の征服によるアステカ帝国の滅亡から現在までの宗教、風俗、史的体験からして北米とは異なるものとして南米篇にいれたものだという。そういえば、今までのオリンピックの開催国で、オリンピック開催後、国威を著しく落としたのはメキシコだけだ、という逸話をどこかで読んだことがある。

そんなメキシコから始まり、コロンビアまでいたるのがこの南米篇の上巻である。

メキシコに入ると、すぐさま「モクテスマの復讐」に襲われる。とはいっても事件ではない。下痢である。コルテスに滅ぼされたアステカ帝国の最後の皇帝  モクテスマ二世が、メキシコにくるあらゆる外国人に、皮膚の色や国籍おかまいなしに、下痢でたたって歩くのだそうだ。アメリカやヨーロッパにやられっぱなしのメキシコのささやかな復讐というわけか。

メキシコで釣った魚は、タイの一種のワティナンゴとハタぐらいでたいしたことはないが、出会う料理は、捨てたものではない。
「ワティナンゴ・ア・ラ・ベラクルサーナ」という料理は、ワティナンゴという魚に軽く衣と油をつけて熱い油で揚げ、それにトマト、タマネギ、ピメンタなどを入れた熱い透明なスープをかけたものなのだが、その味は

魚は赤いけれども肉は白身で、もろく、高雅である。ピメンタは日本のピーマンにそっくりだけれど、とびあがりたくなるくらい辛くて、食べていると、額からタラタラと汗が出てくるほどである。しかし、香ンばしい油、はんなりとした塩味、気品のある白身のまざりぐあいは、まことに逸品であった

というぐらい旨いもののようだ。

メキシコを出てヴェネズエラ、コロンビアに向かうにつれ釣りも少しずつ大物になってくる。

ヴェネズエラで出会うのはヘラブナを巨大化したような(15キロはあるようだ)カチャマという川岸の固い木の実を噛み砕いて食べている魚で、むっちりとした野豚のような白身の肉をもった魚であるし、コロンビアで出会うのは

みごとに成熟した巨体が水しぶきを散らし、全身をぬき、頭をふって跳躍し、どさり、バシャーンッと落ち、ついでニ、三歩走ってもう一回、姿をぬいた。ふたたび、どさり、バシャーンッと落下する。空と、積乱雲と、ジャングルと。湖、すべてに充満する力の精粋を結集し、野性の精華そのものとしてのニ瞬

を見せてくれるパヴォンという魚である。

旅は、ゆっくりと南下していく。豊饒へ、熱情へと向かっていく。

筆者は、その原因とでもいえそうなものを記している。

この大陸はカトリック教に侵されている。あらゆる国がカトリック国である。ヒトの情念には辺境残存法則という法則が作動して、周辺にいけばいくほど中心の本質がいよいよ濃厚に頑強に保持されるという原則がある。ローマのヴァチカン法王庁は伝統のさまざまなタブーにたいして打破はできないまでも少なくとも修正や理解や歩みよりの姿勢を見せているが、私たちが通過しつつある新大陸においては旧教がいよいよ強烈である。

モノにしろ、ヒトにしろ、自然にしろ、旧大陸の熱情が、辺境にはまだ色濃く残っているのかもしれない。

2006年2月16日木曜日

開高 健 「もっと遠く! 南北両アメリカ大陸縦断記 北米篇」下 (文春文庫)

下巻は、ニューヨークからニューオーリンズまで。北米というからメキシコまで入るのかと思ったら、どうやら生粋の「アメリカ」まで。

この巻は釣りだけでなく、食い物についても唸る一節の多い巻である。

一体に、開高 健の「食い物」「旨いもの」の表現は、汁(つゆ)がしたたるようであり、湯後が沸き立つようであり、なんとも唾を飲み込みそうな表現が多いのだが、この巻もその期待に違わない。

例えば、ニューヨークのオイスターバーで貝(ハナグリ)を食べるところでは


かわいいハマグリの淡桃色を一刷き。あえかに刷いた、白い、むっちりとした肉、それにレモンをしぼりかけると、キュッとちぢむ。オツユをこぼさないようにそろそろ口にはこび、オツユも肉も一息にすすりこむ。オツユは貝殻に口をつけて最後の一滴まですすりこむ。ムッツリだまったまま、つぎつぎと一ダース、二皿で合計二十四個。


同じニューヨークのチャイナタウンで小汚い中華料理屋に飛び込み、


魚片の入った熱アツの粥をたのむとうれしいことに香油(ゴマ油)を一滴ふりかけてくれた。油條をちぎりちぎりその粥に浸し、香菜(コエンドロ)をふりかけ、垢だらけの欠けレンゲですくう。口にはこびつつ、粥とゴマ油の香りと油條を少しずつ呑みこみ、ついでに声も呑みこんでしまう。


といったところや、

南部のフロリダで


"完全に南部風だ"という宣言はメニュにある。他の地域ではあまりお目にかかれない料理がある。たとえば"グリッツ"であり、たとえば"ナマズのフライ"である。グリッツというのは純白のトウモロコシの製粉粉で、これを茹でたのを添え物としてゴッテリと、どんな皿にものせる。ただトウモロコシ粉を茹でただけで何の味もなく、ちょっとザラザラした重湯かオートミールといったところである。それからビフテキやフライドチキンはどこでも同じ型どおりだが、南部特産料理はチャンネルキャットというナマズのフライで、皿いっぱいにドカドカと盛り上げて出す。頭を落とし、ヒレをとり、皮をすっぽりとハイだのを、三枚におろしたり、切り身にしたりして、粉をまぶして油で揚げるのである


といったあたり、そんじょそこらの料理書やグルメ本にない、旨そうなもの、ちょっと食指が動きそうにないもの、ドッテコトなさそうなもの、ひっくるめて筋の太い味を出している。


それに加えて、フィッシュ・ファイトである。ここでも相手とする魚は巨大であり、乱暴な戦闘相手である。

カナダのトロントで出会う、パイクの親戚のような魚"マスキー"は


ひとくちでいうと、足のないワニである。巨大な、固い、ゴツゴツした頭があり、耳があるなら耳まで裂けたといいたくなるような口である。その内側には炭素鋼製のような鋭い歯がギッシリと生えている。この歯が曲者で、大きいのも小さいのも、ことごとく釣針のように内側に向かって反っていて、一度くわえこんだえさは、小魚であれ、カエルであれ、本人が吐き出したいと思っても咽喉へ咽喉へと送り込むしかないという仕掛けになっている。


こうした魚と格闘し、釣り上げた時、「完璧の時」「裸の知覚」を感じとるのだろう。

諸事に倦み、疲れていたであろう開高 健が、晩年にいたるにつれ、釣りにおぼれこんでいった快楽がわかるような気がするのである。

2006年2月12日日曜日

開高 健 「もっと遠く! 南北両アメリカ大陸横断記 北米篇」(上)文春文庫

一時期は、熱狂して読み漁っていたのに、なにかの折にパタンと読まなくなってしまう作家というのがある。私の場合、「開高 健」もその一人だ。「最後の晩餐」といった食エッセーから、ベトナムを題材にした数々の小説群、釣りのエッセイや対談集など、買い漁っては、読み、その書癖というか、熱狂を秘めながら、冷めているという特性のある表現を好んでいたのだが、なんとはなしに冷めてしまった。

それは、いわゆるフライやルアーの「釣り」が匂わせるスノッブさが嫌になったのかもしれないし、ベトナム戦争から現在までの時代の流れの中で、いわゆる社会主義が色あせるどころか瓦解していくといった変化に、これらの小説群を読む、こちらの視線が、あてどなく、他所へいってしまったせいかもしれない。

そんなあまり理由のないことで遠ざかっていたのだが、ふと書庫の片隅から引っ張り出したところ、なんとなく懐かしい。なにか昔よき時代の話を聞いてるような感じがしてきてレビューしてみたくなった次第。


さて時代背景だが、1979年から1980年にかけてのアメリカ大陸横断である。世界史的には1979年10月の韓国の朴大統領が暗殺されたり、イラン革命がおこっている。
1980年にはモスクワオリンピックのボイコットやイラン・イラク戦争がおきている。またレーガンがアメリカ大統領となり、ジョン・レノンが暗殺された年だ。

いわゆる冷戦構造が健在で、共産主義と資本主義の牙城は双方健在であった頃。ロシアはまだソビエトで、アメリカはアメリカだった頃だ。この頃は、現代でも「宗教」が国を動かす、あるいは国を脅かす存在であるとは思いもしない頃だ。

そんな中で、アラスカから始まりフエゴ岬まで、釣竿片手に大陸縦断する旅の記録である。
久々に「開高節」とでもいいいたくなるような


 いつも軽くしびれてしくしく痛む右手が氷雨やリールの金属の肌やで骨まで冷えこみ、凍りついたみたいにこわばっている、竿をふった瞬間に疼痛が右腕を走り抜けて肩をふるわせる。しかし、電撃が糸から竿の穂さきに達した瞬間、三十年が消える。十八歳の声が洩れる。昇華する。放電する。
 氷雨が音をたてはじめた。


というような表現を見つけると、「ああ、これだ、これ。」と昔の友人に久方ぶりに会ったような感覚がよみがえる。

この巻の舞台は、アラスカからニューヨークの近く、ケープコッドまでである。
出会う魚は、北米の寒さ、冷たさを体現するかのような清冽な魚たち、レイク・トラウト、レッド・サーモン、パイク、スチールなどなどである。

そして、そして、である。こうした魚を釣り上げる時の文章の清冽さは凄い。こんな時は、余計な感想はやめて、原著から引用しよう。

スチールという海から上がってきたニジマスを攻める時は、


(スチール)は水中で身ぶるいプラグには真っ二つ割れそうな荒々しさで噛みつく。鉤にかかると一瞬で100メートルを突進して川の対岸までいったり、ダイナマイトの炸裂のように水しぶきをたてて大跳躍したり、上流へ走ってみたり、下流へ走ってみたり、スチールの闘争は千変万化する。激流というものには岩やら沈木やらが陰鬱にあちらこちらにうずくまっているから、糸はそれらとすれたとたんにバンと爆発音をたてて切れる。これがある。あれがある。釣師は忘我の狂熱、潜熱に駆り立てられて、スチールを尊敬しつつ呪いつつ、愛しつつ憎みつつ、孤独なたたかいに没入するのである。


はたまた、バスを攻める時は、


 バスは鈎にかかると突進、猛進、水底へ水底へと走ったり、右に左に走ったり、ときには水しぶきたてて壮烈な跳躍をしたりする。怒りが全身をかけめぐってであろうか、ハードボイルド作家なら、アドレナリンの奔流が体内いっぱいに走ってと書くところだが、それまで胃のなかにあったもの、つまりとけかかった小魚を何匹となく水面に吐き出すことがある。バスが生簀に入れられたあと、波紋が静まって、夕暮れの蒼暗な湖に体の崩れた小魚があちらこちらに漂ったり、ゆっくりと沈んだりするところを見ると、戦場を見るようである。


そして、釣師って奴は、アメリカだろうが日本だろうが、魚しか目に入らないものらしい。



あるアメリカ人の釣師はスチールに狂ったあげく、都会を捨て、スチールの川の流れている森林地帯、それを領地としている林業会社をさがし、森林監督官として就職して山小屋に住みつき、寸暇を惜しんで川通いに没頭したところ、とうとう奥さんに離婚を宣言されたが、言下に承諾し、ああ、セイセイしたといって、ふたたび竿をとりあげて小屋をでていったとのことである。


ああ、釣師って奴は・・・。男って奴は・・・・。と「開高」風に締めてみよう

2006年1月15日日曜日

吉田ルイ子「ハーレムの熱い日々」(講談社文庫)

ハーレムに象徴される、アメリカにおける黒人問題に代表される人種差別について書かれた、もう「古典」といっていいほどの本だろう。恥ずかしながら、この本のあまりの有名さに怖気をなしていたのか、今まで読んだことがなかった。人種問題ということからある種の説教臭さ、プロパガンダ臭さを連想してのことだったように思う。


ところが、リサイクルショップで偶然手にして、立ち読みをしたら・・・

どうして、どうして、単純な思想本ではなく、ハーレムに暮らす人々を含めた一時期のアメリカのすばらしいルポではないですか。

本書で綴られているのは、筆者が大学卒業後、白人のアメリカ人と結婚して渡米する1962年から1971年までの記録である。時代的にはベトナム戦争まっさかりで、ケネディ大統領が暗殺されたり、黒人の公民権運動がピークを迎えるが指導者のマルコムXやキング牧師がノーベル平和賞受賞後数年して暗殺されたりしている、(管理人は、幼児期から小学校にかけての茫漠とした頃なので時代的な雰囲気を語れないのだが)かなり世界史的にも騒然としていたであろう頃である。

しかも、冷戦構造がまだ健在というか、バリバリに力を持っていて、ブラックパンサーのバイブルは「毛沢東語録」であるし、アメリカのリベラルも力のあった頃なので、今の「アメリカ一人勝ち時代」とは意識も時代の雰囲気も違う。

こうした時代背景を受けて黒人差別をとりあげて本なので、当然、それなりの思想性を持っていることは否定できない。

しかし、この本が、いわゆるノンフィクション、ルポの「古典」として今まで読み継がれてきているのは、単純に黒人側を擁護、弁明するだけではなく、「白は善、黒は悪」という意識を黒人自らが植え付けらてしまっていたことや黒人問題は黒人と白人の闘いのほかに黒人と黒人の闘いを含んでいることをきちんと描いていること、そして何よりも、ハーレムの暮らしを筆者が楽しんでいること、ハーレムで出会う人々のことを良いも悪いも含めて暖かく描いていることのように思う。

それは、例えば、

ハーレムへ再び帰ってきて、数学が好きで優等生だったジミー、白人の女の子と学校に入ると遊べなくなって「ボクがニグロだからでしょ」としょげていたジミーが、麻薬を始め、感化院に送られたと知り、

「何か本を送ってあげようと思った。ここ(ハーレム)よりかえって静かに勉強できるかもしれない。
黒人運動の指導者の中にも、過去のある時期に、ポン引きや、ヤクの売人、中毒患者だった者だっているのだ。刑務所のなかで、立派な本を書いた人もいるではないか」

といったくだりに象徴されているといってよい。

この本は、文章だけでなく、ハーレムの「ピクチュア・ウーマン」として撮られた写真と一緒にあわせて読み問いていくべき本であろう。そして読み解いていくとき、単に黒人開放運動の本としてではなく、黒人を含んだ一時期のアメリカの姿(醜い姿も含めてを浮きが浮き彫りにされていく本である。

思想本としてではなく、一つの時代を切り取ったノンフィクションとしてお奨めである。

2005年12月11日日曜日

内田洋子「イタリア人の働き方ー国民全員が社長の国」(光文社文庫)

イタリアというと正直のところ、あまり勤勉なイメージを持っていない。恋を語るには熱心だが、ビジネスとか仕事ということになると、とたんにテンションが下がってしまう国民のように思っていた。なぜローマ帝国やルネッサンス期のヴェネチア共和国のような優れた政体や政治を持っていた国が、そうなったのか。そのくせ、一メーカーをとってみると業界リーダーのような会社がなぜ多いのか、ずっと疑問をもっていたときに出会ったのがこの本。

一読してすべて氷解というわけではないのだが、一番の収穫は、国家とか自治体とか、そういう組織には関係なく元気で個性のあるイタリアの零細企業の数々を知ったこと。

紹介されているのは

たくさんの有名人が訪れる靴磨きの名人の店(ロザリーナ・ダッラーゴ)

何を着て何を買えばよいか、金持ちたちの買い物すべてにアドバイスするパーソナルショッパー(クラウディア・ベルトリーニ)

世界的な絵画修復家(グイド。ニコラ)

イタリアの首相ですら年4本しか手に入らないハムを製造していて(年間の総生産量1500本だそうだ)、しかも儲かることがわかっているのに製造量を増やさないハム製造会社(ロレンツォ・ロズヴァルド)

大量生産は絶対しないし、いくら評判が良くなっても値段を上げない幻のラガービールを製造する酒造会社(メナブレア社)

会社経営の第一目的は<人間としての尊厳を保つこと>におく引く手あまたのカシミアメーカー(ブルネッロ・クチネッリ社)

などなど

どれもこれも、個性だらけのメーカーや事業家たちである。また、だれもが貧困の中から立ち上がって、会社をつくったり、大きくしたりしているのが共通する特色。そして、大事にしているのは家族とか、古くからの従業員たちとの結束。政府とか自治体が面倒を見てくれるなんてことは少しも期待していないかわりに、政府への協力はさほど考えていない、といったところ。

こうした零細だが元気な企業家がたくさんいると経済も底力があるだろうが、国家としての威勢とかそんなことを発揮するのは無理だろうなーと思う。国家とか組織とかを自分の身代わりのように育て、生活を捧げてきた「日本」とは真反対。

もっとも、それは頼りにできる国家が昔からあったかどうかにも関わってくるので一概にどちらが良いか、決め付けるわけにはいかないだろう。しかし、政府とか組織とかが頼りにならなくなってきている今、イタリア人の姿は一考に値する。

ちょっと立ち止まって、今までの私たちの働き方を振り返りたくなる本である。