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2013年6月8日土曜日

謎解きの味は薄いが、さくさくした味わいのミステリー 近藤史恵「モップ」ミステリーシリーズ

最近、軽めのミステリーに凝っている、うちの奥さんが読んでいるのを横目にみて放置しておいたのだが、歴史小説の重さにちょっと飽いて、読み始めたのが、近藤史恵の「天使はモップを持って」(文春文庫)、「モップの精は深夜に現れる」(文春文庫)の2冊。
主人公はフリーランスの掃除人のキリコという女性なのだが、10代でお洒落で、今風の女の子、という設定にしたのが、このシリーズの斬新さ。

主な展開は、旦那となる「ぼく」こと梶本大介がキリコと出くわし、彼の勤める会社やビル内の事件を解決するのが、第1作目の「天使はモップを持って」(文春文庫)。大介と結婚後、再び時間契約のような形で清掃業務を始め、その業務先で事件を解決していくのが第2作目の「モップの精は深夜に現れる」(文春文庫)。

どことなく気になるのは、キリコが、掃除も料理もできる、ハウスキーピングの達人といったところが、シリーズ最初の頃は斬新なキャラ設定と思わせていたものが、なんとなく鼻についてくること。特に第1作目の事件が軽いタッチなのに対し、2作目の事件は、人間関係がドヨッとしてきて重くなるにつれ、キリコの存在が浮世離れしてきている感がある。

なにはともあれ、ミステリーというのは無聊の時の暇つぶしがもと。小難しいことをいわず、休日の昼下がりや、夕食をすまして面白いTVもない手持ち無沙汰の時、手にとってみてどうだろう。第1作はKindle本も出ているので、深夜のショッピングも可能である。

2013年1月2日水曜日

井川香四郎「ホトガラ彦馬 写真探偵開花帳」(講談社文庫)

時は明治初期。警視庁に、写真家の上野彦馬と富重利平が川路大警視を訪ねてやってくるところから始まる歴史ミステリー。時代背景としては、西郷隆盛が征韓論争に破れ、下野したあたりから、江藤新平が佐賀の乱を起こし制圧されるあたりまでにところ。

構成は

第1話 証拠写真
第2話 西郷の顔
第3話 青い血痕
第4話 幻影都市

となっているが短編集ではなく、謎解きはそれぞれにあるものの連続した中編である。

ざっくりとした紹介をすると

第1話は、牛鍋屋の近くで女装した男が短銃で撃ち殺される事件。この男というのが、幕末の官軍の一派、赤報隊の生き残りとわかって・・・、といった話

第2話では福地桜痴こと福地源一郎登場。彦馬とこの小説の一連の事件の黒幕らしきものとの仲介役をつとめることになる。一連の事件とは、なぜか西郷隆盛の写った写真が狙われているというもの。

第3話は、彦馬と旧知の写真家内田九一の写真館に勤めている女が、海岸へりで死んでいる事件。自殺か他殺かでまず揉めて、明治の法医学をオランダおいねが披瀝する。このあたりでそろそろ一連の事件の黒幕の明治の元勲が姿を現す。

第4話で、彦馬が東京にやってきた理由が明らかになる。第1話では日本で鑑識捜査を確立するため川路から呼ばれたことになっていたのだが、実は西郷との・・・
といった感じ。

殺人事件の謎解きと平行して、西郷は病弱で、実は影武者がいて、なんと、幕末の時も・・・てなことが途中で明らかになってくるのだが、ここでは詳述しない。本書を読んでのお楽しみとしておこうか。

明治といっても、大久保利通や伊藤博文の専制がまだ始まらず、国としてまだ定まっていない頃のことで、そうした時代特有のわさわさした感じやどこか力が流れ込む先を探しているような脈動の時代感覚がいい味付けになっている。いったいに、日清・日露戦争に至るまでの明治というのは、歴史・時代小説にしろ時代ミステリーにしろ、もっと書かれていい面白い時代であるように思っているのだが、どうだろうか。

そういった意味で、このミステリー、筋立ての乱暴さはちょっと感じるのだが、明治初期の勢いが感じられて、それなりに愉しめた。これも、明治の頃は化学に精通した最先端科学者である"写真"の第一人者の"上野彦馬"というキャラクターを造形できた筆者の腕というものか。

大仰な本格・謎解きを期待してはいけないが、幕末好きは、幕末の後に続く"明治"ということで読んでみてはどうだろうか。

2012年6月3日日曜日

柳 広司 「百万のマルコ」(創元推理文庫)

場所はジェノバの牢獄。戦争捕虜として捕まり、暇を持て余していた囚人たちに、「ここから連れ出してやる」となんとも不可能な約束をする、「ヴェネチアの爺さん」こと「マルコ」。牢から出るには、莫大な身代金が必要になるのだが、それをどうやって工面するのか、さて・・・と言う感じで始まる歴史ミステリーっぽいのが本書。「マルコ」とは皆さんご存知のマルコ・ポーロのことなので歴史に材をとった、といえなくもないのだが、マルコ・ポーロが「ほらふきマルコ」と言われたように、一種の歴史風、ミステリー風のの掌編として気軽に読めばいい短編集。

収録は

百万のマルコ」
「賭博に負けなし」
「色は匂えど」
「能弁な猿」
「山の老人」
「半分の半分」
「掟」
「真を告げるものは」
「輝く月の王女」
「雲の南」
「ナヤンの乱」
「一番遠くの景色」
「騙りは牢を破る」

 の13編

で、語られるのは、大ハーンの宮殿や、ハーンの使者として赴いた近隣の国々で出くわす難題の数々を如何にして解決したか、といった話なのだが、「さて、この謎が解けますか」風の大げさなものではなく、小話の連続のような風合いで、軽やかに読めるのが本書の特徴。

東方見聞録でおなじみの「ジパング」は、第1話の「百万のマルコ」で出てくるので、東方見聞録やら、中国の元やら、このあたりの歴史に縁遠い人は、このあたりから勢いをつけて、たまにウィキィペディアあたりで調べながら読むと一層楽しめるかも。

さて、マルコが最初に言う「ここ(牢)から連れ出してやる」というのは、第1話で、マルコの話で、牢にいることの退屈から忘れさせ、さらには牢にいることさせ話をきいている間は忘れただろう、ってなことで、一応の答えとなっているのだが、どうしてどうして、本当の意味は、最後の話まで読むと違った答えになる。この謎解きは本書を読んで、ご自身でどうぞ。

2012年4月22日日曜日

秋梨惟蕎「もろこし紅游録」(創元推理文庫)

銀牌侠」の活躍を描いた、中華風味豊かなミステリー「もろこし銀侠伝」の第2作。

収録は
「子不語」
「殷帝之宝剣」
「鉄鞭一閃」
「風刃水撃」
の4作

いつものようにレビューをすると

「子不語」の舞台は春秋戦国。まあ、この銀牌侠の話の始めの始めのほうといっていい。事件は斉の国の首都でおきる複数の殺人事件。それも下着姿の男が、顔を切り刻まれて殺されている。得物と思われる短矛は離れて場所に転がっていて、という複数の事件の犯人探し。この話で「銀牌」の話で、あちこちでキーのように語られる「勢(システム)」の話の発端がここででてくる。

「殷帝之宝剣」は明の三代目、永楽帝の時代が舞台。山中の道観で起きた、武術の達人の謀殺事件の話。殷帝之宝剣というのは、殷時代の皇帝が持っていたこれがあれば大軍も撃退できるという剣なのだが、この剣を謀殺された破剣道人を持っていたとかいないとか・・。事件の真相は「人間不信」の現れといったところなのだが、この話でもでてくる「明」の時代の創建当時の皇帝というのは、なんとも陰鬱。明という国家にはそんなに変な印象をもっていなかったんだが、ちょっとマイナス方向に変わった感じ。

「鉄鞭一閃」の舞台は清の乾隆年間。蘇州の饅頭屋の主人が、首のない状態で殺されているのが発見される。この主人、饅頭をつくるのは巧いが人に恨まれるような人物ではない。さて・・・。ということで行きずりの鉄鞭の達人、呼延雲こと幻陽先生が、殺された主人の息子、小八を助けて、犯人探しと敵討ちをする話。

「風刃水撃」は、さらに時代が下がって太平天国の乱の後、中国が列強に蚕食されながらも革命を起こした中華民国の初期の江仙という都市。ここで起きた妙な風水師たちが起こす妙な占いと、それに起因した殺人事件。しかし、そこに隠されているのは、列強の支配から脱するための革命の動きと世俗の商いの動きがもたらしたものは、ってなところ。といいながら、この中編で話を明るく軽やかにしているのと、話のキーは「甜々」という女の子。彼女の活躍と意外な正体が最後の絶妙な味付けか。


まあ、なにはともあれ銀牌侠の活躍は後生へとつなげられることになる、民国から日本政府支配、そして共産党政府へとつながる中で銀牌侠の活躍はどうなるのか、まあ、そこも気になるのだが、過去の歴史の中での銀牌侠の活躍もまた読みたいものであるのだが、さて、3作、4作目はいかに。

秋梨惟蕎「もろこし銀侠伝」(創元推理文庫)

中国の遙か昔から伝わる黄帝ゆかりの「銀牌」を所持する英雄たちが、か弱き庶民を助け、悪を挫き、といった最近で珍しくなった解りやすくて、気分がすっきりとする活劇的時代ミステリーといったところか。

収録は
「殺三狼」
「北斗南斗」
「雷公撃」
「悪銭滅身」

で、それぞれ南宋、元、明、北宋を舞台にする、「銀牌侠」の大活劇なのだが、、それぞれに登場する銀牌侠は、老人から老婦人まで様々。

簡単に筋立てを紹介すると

「殺三狼」は毒で殺された武術に長けた地元の顔役の犯人扱いされた蒲公英という娘の父親の無実を晴らす話

「北斗南斗」は科挙の会誌を受けるために首都へ向かう途中で女性の殺人事件に巻き込まれた若旦那の苦難をお付きのじいやが救おうとする話。

「雷公撃」は元軍人が密室で殺された事件をキーにしながら明らかになる明帝国の創設者 朱元璋の人間不信の仕業の話

「悪銭滅身」は河北省大名府の顔役が暗殺されたことに始まる連続殺人事件の話。途中、秦の始皇帝の暗殺に使われたという剣も登場したりして、中国風味豊かな中編。


全体として、坂田靖子や横山光輝の中国ものと共通するような中華風味が味わえて、そのあたりが好きな方なら無条件に入り込めるミステリーといっていい。さらに、最近の売れ筋のミステリーに多い「暗さ」がないので、かなり安心して遊べるミステリーである。

2007年8月4日土曜日

多島斗志之「白楼夢ー海峡植民地にて」(創元社推理文庫)

こんな手練れがいたとはしりませんでした、と言うのが第一印象である。
物語の舞台は、大正9年、第一次大戦後のシンガポール。華僑の有力一族の呂家の娘、白蘭が殺害されている現場に主人公 林田がでくわすところから始まるのだが、のっけからぐんぐん読まされて、最後まで引きずられていくこと間違いなしである。


展開としては、犯人に間違われた主人公の逃亡行とそれと並行して、彼がシンガポールに来て、日本人の顔役になっていくいきさつや廃娼(売春宿の廃止と娼婦のシンガポールからの追放運動)、呂一族の若き統率者である呂鳳生との再会と、弟の虎生とのトラブル、そして現地のイギリス人社会の人間模様、華人社会の勢力争いなどがオムニパス的に語られて、主人公がシンガポールから逃亡する最終章へと流れていくのが大きな流れ。


最後のほうで、白蘭の本当の父親や、華人社会の秩序を維持するための、なんとも冷静(冷酷というべきか)な決断が明らかにされて、それがまあ、白蘭殺しの真相なのだが、こうした個人的な怨嗟に基づかない組織的な理由(きわめて民族的でもあるし、太平洋戦争の隠された遠因という意味で、きわめて政治的でもある)に基づく殺人っていうのも、時代的にはありえたのだろうな、国家の利益を巡ったやりとりというものに慣れていない戦後生まれの私としては、無理矢理納得せざるをえないところはあるのだが、読み物としては、良くできているのは間違いない。

こうした犯人捜しとは別にこの本で楽しめるのは、既に日本では失われてしまった「植民地」というものがもつなんとはない倦怠感と、南アジアという立地のもつねっとりとした暑さだろう。とりわけ、一環して流れる植民地のもつ出口のなさそうな閉塞感と疲れのようなものは、もはやリアルの世界ではなかなか経験できないものだ。

そして、それと関連してイギリスの(あるいは欧米列強の)植民地支配の一コマとして語られる


そこで働く技師たちは、総督府の事務官からは一段低く見られている。ーなぜなら、技師は<プロフェッショナル>の<専門職>だからである。
 プロフェッショナルの専門職はアマチュアの総合職から見下される。それが英国の社会だ。
 プロフェッショナルは報酬が目当てで仕事をする。金のためにあくせく働く。ーパブリックスクールを出た<良家の子弟>には、それは軽蔑に値する行為なのだ。
 アマチュアは、報酬などの依存することなく名誉ある公務にたずさわる。生活を支える収入は。かれらの所有する土地がたっぷり生み出してくれる。
 専門職。これも、指導的立場の人間がつくべき仕事ではない。ー専門職は、深い穴を掘り進むために周囲が見えない。総合職は浅い穴からつねに顔を出しているために大局が見える。





かれらが訊く<出身校>とは、当然パブリック・スクールのことであり、大学のことなどどうでもいいのだ


といったあたりは、当時の(あるいは現在の)イギリス支配的な理念として、善悪の判断とは別に、そうしたものがあったのだ、と認識しておかなければならない話ではあり、また、日本にも根強くあるゼネラリスト志向の話としても聞いておくべきであるし、

呂鳳生の弟の虎生と日本人の娼婦との恋愛とその後のその女が自殺した場面の、


「女は日本人だ。しかも女郎だぞ。そんな女を一族に入れたら、幇(パン)の中での呂家の威信は失墜する。今呂家の力が弱まれば。潮州幇そのものの力が揺らぐ。」


といったあたりは、民族の争いと民族内の争いといった、当時の植民地における裏面を読み取るべきだろう。


ちょっとネタバレにはなるが、最後の章で明らかになってくる、シンガポールをはじめとする南方をめぐる欧米列強(とりわけイギリス)と日本のせめぎ合い、謀略比べは、第2次世界大戦につながる話として虚実明らかではないが、あっと驚かされるのも、また楽しい。


殺人事件の単純な謎解きものと思って読むとあれれと肩透かしをくらわされるが、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間のシンガポールを舞台にした時代推理ものとして読むと楽しめること請け合いの一冊である。。

2006年7月16日日曜日

藤原伊織「テロリストのパラソル」(講談社文庫)

この作品が、江戸川乱歩賞を受賞したときに、全共闘色が強いとか、学生運動の名残とかいろんな批評がされたらしい。

すでに全共闘、全学連も遠くなり、オウム真理教すらもかなり時間を経た今となっては、ちょっと古びたテロ犯罪のミステリとなっているようだが、どことなくノスタルジックに読めるのは、青春時代を引きずっているような主人公のアル中の中年バーテンダーと事件の謎も、これまた青春時代の復活みたいなところがあるからだろうか。


事件らしい事件は、冒頭の公園での爆弾テロ事件のみ。のみ、といっても昼下がりの日曜日でにぎわう都心の公園での爆弾テロだから、犠牲者は多いし、おまけに警察のエリートが娘と一緒に事件にまきこまれていたり、主人公が若いころ別れた恋人と、別れた原因となった主人公の闘争仲間も犠牲となってしまうという、なにやら過去の因縁が一挙にでてきそうな設定である。

で、期待に違わず、昔の恋人の娘が主人公に絡んできたり、広域暴力団が主人公の口を封じようと(事件の時に黒服の男を目撃した程度のことなのだが)執拗に襲ってきたりとか、主人公が学生時代に爆弾テロ事件を起こしている(1971年に事件を起こして22年間経って時候が完成している状況)ことから、今回のテロ事件の犯人として手配されたり、あれよあれよと展開していくのだが、それなりにテンポよく読ませるところが、流石、乱歩賞受賞と直木賞のダブル受賞作といったところか。

ミステリの時代設定としては1990年代の始めあたりか。

ちょっとその近辺にできごとを拾ってみると、1990年は西ドイツと東ドイツか再統一しているし、1991年はジュリアナ東京のオープンとソビエト連邦の崩壊、湾岸戦争勃発、1992年はバルセロナ・オリンピック、1993年にはJリーグ創設と皇太子殿下が雅子妃と結婚、1994年は松本サリン事件とジュリアナ東京閉店、とバブルの崩壊や社会主義体制の崩壊と、いろんな秩序がひっくりかえった時である。そうした時代背景にしては、爆破事件だけか・・・と思うのは、その後のイラク戦争や、アメリカの飛行機テロとか、どこぞの国のミサイル発射とか物騒な事件に慣れてしまってきているせいだろうか。

そういえば、作品の舞台も東京、新宿なのだが、アジア人であふれ多国籍的な「シンジュク」ではなく、まだ第三世界化していない「新宿」が作品のそこかしこに残っていて、なにかしらなつかしい思いがするのは、私が昔の新宿で若いころを過ごした、全共闘世代の後の「ノンポリ世代」のせいだろうか。


事件のネタばれは、昔の爆弾騒ぎの再現。しかも、若い頃の恋の鞘当てみたいな感情も絡んでいて、動機としては「若い頃の年をとるほど倍加する奴がいる」といったところか。
まあ、その事件を起こした経済的な背景が麻薬とかマネーロンダリングとか、まだ日本の犯罪状況が国際化していない時代を現しているのが、少し古びた印象を受けるのだが、そうした生臭いミステリとしてとらえるのではなく、青春時代の遅れてきた復讐が起こすミステリと捉えるべきなのだろう。


破天荒な国家陰謀を期待するとはずれてしまうが、ちょっとオーソドックスなサスペンスとして、学生運動華やかなりし頃の雰囲気を色濃く受け継ぐサスペンスとして楽しめる作品であると思うのだが、どうだろうか。

2006年7月15日土曜日

黒岩重吾「子麻呂が奔る」(文春文庫)

聖徳太子の腹心 秦 河勝の部下 子麻呂が斑鳩の里の事件を解決していく古代を舞台にした時代ミステリー。
 
収録は「子麻呂と雪女」「二つの遺恨」「獣婚」「新妻は風のごとく」「毒茸の謎」「牧場の影と春」の6編。
 
時代ミステリーといえば、せいぜい江戸時代の捕物帖が普通だろう。それを古代、とりわけ正史の事実の真偽すら定かではないところもある飛鳥時代に材をを求めながら、古代の時代風情をたっぷりと味あわせながら、きちんとしたミステリーに仕上げているのは、文壇(ちょっと古い表現だね)の重鎮 黒岩重吾氏の手練の技だと思う。
 
 
さて、それぞれにレビューすると、一話目の「子麻呂と雪女」は、子麻呂が冬の里で、雪女に見紛うような美しい女(キヌイ)を助ける話。この娘と子麻呂はなにやら怪しげなというか、恋愛沙汰のような関係になってしまうように思っていると、なんと、子麻呂が娘の国家的な大仕事の練習台に使われていることが明らかになるあたり、中年男のワビシサは、ちょっと我が身に凍みる。
 
 
二話目の「二つの遺恨」は、真面目に学問をしていると思った息子が、実は最近学校をサボっている。何故か、という理由探しと、斑鳩の里でおきた村の古くからの無冠ではあるが豪族(平群氏の郡司)の一族の一人と農民とのイザコザの理由さがしが並行して展開する。まあ、息子の方はm親の因果が子に報いといった感じの、息子の学校の教師の逆恨みなのだが、村の方は、この時代の古くからの氏族が衰え、新しい位階制度のもとで新興勢力が台頭していく様子が反映されていて、なにやら現在の様々な姿を彷彿とさせる。

 
 
もともと古代といっても、そこは人間がいろんな欲望や夢をもちながら暮らしていたのは現在と同じ。古代だからといって牧歌的戸は限らない。 
三話目の「獣婚」は官人の一人が、一匹の犬と一緒に獣姦を犯しているような姿で殺害されているのが発見されるというもの。殺害の様子はちょっと猟奇的なのだが、結局は恋の鞘当てのような話であるし、「新妻は風のごとく」では、せっかく再婚できそうになった子麻呂の相手が、呪術師の気があって、子麻呂とのに新床で出奔してしまうし、「毒茸の謎」では、ハイクラスの官人たちのフリーセックスの集まりで、精力を増すというふれこみの茸中毒が蔓延する話である。
 
最後の「牧場の影と春」でも、子麻呂とねんごろになる未亡人が登場し、子麻呂は一緒になってもいいぐらいに思うのだが、そこはそう単純にはいかず、死んだ先夫の使用人とこの未亡人の色恋沙汰めいたものや、先夫の稼業であった牧場の馬の育成にからんだ汚職めいた事件が見え隠れする。
 
古代といっても、人間の話である以上、今と変わらぬ、いろんな思惑があるよねー、と古代ロマンなんてものの幻想を覚まされてしまうのだが、人が生活するということは昔も今も変わらない以上、いたしかたないと思わざるをえないのだろう。古代といっても霞を食って生きていたわけではないのだから無理もないよね、と納得してしまった次第。 
 
 
とはいっても、今とは暮らしぶりも、ものの考え方も今とは違っていた古代の風情を、十分に堪能させてくれる短編集ではある。黒岩氏の古代ロマンに浸ってみるのも一興である。

2006年7月11日火曜日

倉知 淳「日曜の夜は出たくない」(創元推理文庫)

仔猫のようなまん丸い目をした小男で、定職にはついてはいない。どうやって生計をたてているかは全く不明だが、時推理をさせたら抜群の才能を示す、「猫丸先輩」が登場する倉知 淳さんのデビュー作である。

収録は「空中散歩者の最期」「約束」「海に棲む河童」「一六三人の目撃者」「寄生虫舘の殺人」「生首幽霊」「日曜の夜はでたくない」の7作。
デビュー作ではあるが、それぞれに風味のかわった作品ばかりが用意されている。


最初の「空中散歩者の最期」は、男が墜落死している。ところがあたりの高いビルなどの建造物からは離れたところに落ちており、まるで空中を散歩している途中に、不意のアクシデントで落下して死んだような感じの事件の死因を推理するものであるし、「約束」は、公園でお話をするのを常としていた少女と中年の「おじさん」。その「おじさん」が公園で睡眠役自殺を遂げる。少女に自分の汚職を告白し、警察に自首することにするが、その前にもう一度少女に会って手品を見せる約束を果たさずに死んでしまった中年男の死の謎を解き明かすもの。
ちょっと間を飛ばして「日曜の夜は出たくない」は、恋する相手の男と別れた日曜の夜は近くで通り魔事件が頻発する。もしや、その男性の仕業では、と気をもむ女性の心配を晴らすといった風である。


7作とも、作品の持ち味というか風味が変わっていて、「約束」のリリカルな風情から、「寄生虫舘の殺人」のようなちょっとコミカルなタッチまで、まるで習作というか、作品の味わいとトリックの多様さを試しているかのような手練の技を見せてくれる。

で、ふんふんと作者の技に載せられて読み進んで、まあ、ちょいとした暇つぶしになったよね、と解説にいこうとしたら、なんと、最終話と解説の間に

誰にも解析できないであろうメッセージ



蛇足ーあるいは真夜中の電話

といった挿入話がある。

「なんじゃ、これは」と読むと、最初のは、作者からのなんというか、ちょっと凝り過ぎっぽいお遊びの説明。作品間に脇役のバトン渡しがあるとか、作品内に妙な文章が入っていて、その頭文字をつなげると、妙に目出度いメッセージが隠されているとか、ちょっと誰もみづかないぞー、とばかりの仕掛けのお話。


で、もう一つは、というと・・・。うーむ、こんな「どんでん返し」を最後にもってきちゃいけないじゃないのー、と思った次第である。詳細は原本で、どうぞ。

2006年6月22日木曜日

ダン・ブラウン「ダ・ヴィンチ・コード」

昨日の夕方から雨模様で、本当に梅雨になったのかな、と実感。
 
やっと「ダヴィンチ・コード」文庫本 全3巻を読み終えた。かなり時間がかかってしまったなー、というのが実感。
仕事の方も、ちょっと忙しくなっていたのも読み進めなかったのも一因ではあるのだが、やはり「キリスト教」というあたりが、読み飛ばしていけなかった大きな原因なのだろう。
 
筋書き的には、イエス・キリストとマグダラのマリアとの関係について、ある秘密結社(「シオン修道会」というらしい)が、カトリック教会(というより、教会をはじめとするキリスト教全般)の目から秘密を守り通してきた。その過去の総長の一人がレオナルド・ダ・ヴィンチで、彼は秘密に関する様々な示唆を絵画をはじめとする作品の中に残している、というのが底流にある流れ。
 
発端は、この秘密結社の現代の関係者と(と後でわかる)思われるルーブル美術館の館長が殺される場面から。
死体には自らが細工したと思われる「ダビデの星」やらブラックインクのダイイング・メッセージやらなにやら奇妙な仕掛けがあって、この館長の孫娘と犯人に間違えられたアメリカの学者が、その謎から導き出されるキリストの謎を解き明かしていくという展開である。
 

キリスト原理主義っぽいような教団の信者(これがまた、アメリカやフランスで結構力をもっていて、おまけにバチカンからの支援も受けている、というのが不思議なとこだな)やら、腕利きで国内の有名人である捜査官や、「聖杯」の研究をしていてフランス住まいのイギリスの貴族やらがでてきて、それなりのサスペンスとしての楽しみや、ダ・ヴィンチやキリスト教のペダンチックな知識は面白いのだが、なんか「のれなかった」というのが、読み進むのに時間がかかった原因。
 
で、「のれなかった」原因というのが、「キリストの謎」というのが、仏教徒というかシントーイストというか、無宗教に近い日本人の一人として、「ふーん」というあたりだからだろう。
で、最後の方で、この孫娘が実は、さる高貴な(しかもやたら高貴な)血筋で、死んだと思っていた家族が実は・・・、てなことになってくると、おいおい出来すぎじゃないの、とつぶやきたくなる。
 
もっとも、このあたりは、欧米では、映画の公開にあたってカトリック教会が影響を懸念する声明を出したり、信仰は揺るがないという人もでてきたり、まあ、かなりの騒ぎだったように見受けるのだが、実のところ、キリストが妻帯者であろうと何人の子持ちであろうと、あんまりショックを受けない「異教徒」の私としては、薬味、汁ぬきで蕎麦を食うような面持ちで、なんとも拍子はずれの「話題作」だった。
 
でもまあ、ダ・ヴィンチや古代のキリスト教にまつわるTips、
 
例えば
 
カバラ密教ではアナグラムを重んじ、ヘブライ語の字句を入れ替えて新たな意味を導き出していた。ルネッサンス時代のフランス歴代国王は、アナグラムに魔力があると信じていたため、直属のアナグラム研究家を登用して重要文書の文言(もんごん)の解析にあたらせた
 
とか
 
ダ・ビィンチには、描いただけで制作に移さなかった設計図が難百枚もあった
 
とか
 
ニケーアの公会議が開かれるまで、信者たちはイエスを人間の預言者だとー影響力に飛んだ偉大な人物ではあるが、あくまでも人間とみなしていた。
"神の子"というイエスの地位は、ニケーア公会議で正式に提案され、投票で決まった。しかも、かなりの接戦で。
 
とか
 
新約聖書を編纂するにあたって、80を超える福音書が検討されたが、採用されたのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つだけだった。おまけに、その聖書をまとめたのは、異教徒だったローマのコンスタンチィヌス帝(この皇帝、キリスト教徒に改宗したように思っていたのだが、実は死ぬ間際に先例を受けただけだったらしい)
 
などなどは、面白い。
 
うーむ、まあ、話題作でありますねー。

2006年6月20日火曜日

高野和明「十三階段」(講談社文庫)

犯行時刻の記憶を失ってしまい死刑囚にされている男、「樹原」の冤罪を晴らすため、刑務官と、前科を持つ青年が調査に乗り出すという筋立のミステリー。

書名の由来は、死刑が執行される絞首台の階段数が13であるように言われているところなのだが、どうやら13段の絞首台がつくられたことは、巣鴨プリズンの絞首台を除いて日本ではないらしい、と書中にある。この巣鴨プリズンのものはアメリカ軍作成らしいから、この13というのは、やはりキリスト教盛んなところの風習なのだろう。

このミステリー、最初は、死刑囚が刑の執行のために呼び出される場面から始まる。ページ数にしてはさほど割かれていないのだが、呼び出される男が暴れ、咆哮し、嘔吐する様子が、「樹原」を通して描かれているあたり、かなり陰惨な滑り出しである。
さらに、出所者の出所してからの様子を冷静に書き出しているあたりは、最初の死刑の呼び出しの場面と同じく気が滅入るものではある。例えば、被害者への賠償で工場や家を手放している青年の両親とか、学校を止め、家をでた弟とか、犯罪というのが被害者だけでなく加害者の家族を巻き込むものであることを思いしらされる。


さて、探偵役というか主人公が、刑務官というのも珍しいが、それと前科をもつ出所したての青年というコンビも珍しい。

しかも、この刑務官の南郷が頼まれたのが、前述の樹原の冤罪晴らしのための調査で、成功報酬が一人につき1千万という破格の報酬である。しかも、その調査の相棒に、出所したての青年(三上純一)に頼むなんて、なんか裏があるんじゃないの、と思ってしまうのだが、このあたり詳しく書くと完全にネタばれになるので、これ以上はよしておく。


この樹原の事件というのが、保護士が自宅で大きな刃物で、頭をかち割られ、脳漿が飛び出たような惨殺される。しかも、息子が発見者で、その息子は、犯人として捕まった樹原が数メートル先でオートバイ事故で倒れているのを目撃して119番通報をしようとして、親の家に立ち寄っている。さらに、この被告人が、事故のショックで、犯行のころの記憶をすっかりなくしている、というおまけつき。

で、この調査の焦点は、その記憶喪失の最中に、樹原が「階段を登っていたような気がする」といった言葉を頼りに、犯罪現場近くの「階段」探しをするのが中心になるだが、最後の方で、突然、階段が出現するあたりは、ちょっとヤラセのドキュメントっぽい。


ネタばれは、職業が聖職と言われていてもいいやつばまりとは限らないということと、いかに悪人であろうとわが子は可愛いという親の煩悩というあたり。ついでに、このミステリー、三上の昔の事件というか出来事もいろいろ絡みこんでくるの、ちょっと重層的な筋立になっているので、そのへんは要注意である。

読後感は、ちょっと重々しいミステリーなのだが、

例えば


昭和天皇崩御の際、恩赦がでることを予想して、死刑判決を裁判で争っていた被告人が、自ら上告などを取り下げて「死刑」を確定させたものがあった。恩赦は、刑が「確定」していないと適用されないことを知ってのことだったが、その時の恩赦には死刑の軽減は含まれず、その被告人たちは自ら死刑を確定させたことになった 

とか


刑の執行ボタンは3つあって、三人の刑務官が同時にそれを押す。スイッチになっているのは一つなのだが、どれが、そのボタンなのか、刑務官本人にかわからないようなしくみになっている 

とか


一度、長期間手錠をはめられた者は、腕を拘束するようなもの、それが腕時計であっても、はめたがらない 


などなど、刑事事件や刑務所や受刑者のあまり知られていない話が随所に織り込まれているので、そうしたところに着目して読んでも興味深い。

ちょっと、重苦しい気分になるけどね。

2006年6月11日日曜日

鯨統一郎「新・世界の七不思議」(創元推理文庫)

バーテンダー松永のバーで繰り広げられる、大学で世界史を専攻している早乙女静香と、民間の与太話的歴史の謎解明を行う雑誌ライター 宮田六郎との、歴史バトル第2弾である。


収録は「アトランティス大陸の不思議」「ストーンヘンジの不思議」「ピラミッドの不思議」「ノアの方船の不思議」「始皇帝の不思議」「ナスカの地上絵の不思議」「モアイ像の不思議」の7篇。

どちらかといえば、日本歴史やアジア歴史の謎対決が多かった、前作に比べ、今回は、とんでもなくグローバルになっている。


しかも、今回のバトルの証人となるのも話がグローバルになったにふさわしく、アメリカはペンシルバニア大学の教授で古代歴史学の権威 ジョゼフ。ハートマン教授である。

で、この教授の前で、早乙女静香と宮田六郎の歴史謎解きバトルが始まるのだが・・・案の定、宮田の推理はキテレツである。

まずは、「アトランティスの謎」。

アトランティスが南極ではないかという話やサントリーニ島ではないか、といったよくある話が紹介されるのだが、宮田の出した結論は、「アトランティスは実在の島や大陸ではなくて、プラトンの師 ソクラテスをなぞらえたものだった」というもの



「ピラミッドの謎」では、昔は王の墓という説が主流だったが、実は大ピラミッド内部の王の間には石棺があるが、その中には王のミイラは入っていない。

どころか、今まで見付かった王のミイラで、ピラミッド内で発見されたものはない、といったエピソードや、ピラミッドはファラオとラーの合体装置だった、といった静香説が紹介された後、宮田説は、なんと・・・ピラミッドはナイル川の氾濫を制御するための「山」の象徴。
で、エジプトのあの世の思想が東洋に伝わり、ナイル川=三途の川になり、ピラミッドは・・・盛り塩になった、

てな説が展開されちゃうんである。

ちょっと、かなりネタばれをしてしまったので、これから読む人には御容赦いただきたいのだが、まあ、こんな奇妙キテレツな説が、全編にわたって展開されてしまう。

おまけに、話の本筋とちょっとはずれたところにでてくる、ちょっとした歴史的小片みたいなのもgood
でも、世田谷区代田が「ダイダラボッチ」に語源をもつ

とか

「平安京」は明治時代まで続いていた

とか

日本の神社の狛犬はエジプトのスフィンクスが伝播したもの
などなど。

まずは御一読あれ。あはは、と笑いながら歴史の隠された秘密に触れたような気がして楽しくなってしまうこと請け合いである。

2006年6月10日土曜日

鯨 統一郎「邪馬台国はどこですか」(創元推理文庫)

ちょっと人を食ったミステリーをいくつも発表している鯨 統一郎氏のデビュー作である。


舞台は、素人に毛の生えた程度のバーテン 松永が勤めるバー.
大学の文学部の教授で日本古代史を専攻している三谷教授と同じ大学の助手の早乙女静香、そして民間の研究家らしい(職業限りなく不明状態の)宮田六郎三人が、酒を飲みながら、世界史の大事件や謎について、推理を与太をとばす、という設定の、なんとも人をくったような設定である。

収録は「悟りを開いたのはいつですか?」「邪馬台国はどこですか?」「聖徳太子はだれですか?」「謀反の動機はなんですか?」「維新が起きたのはなぜですか?」「奇蹟はどのようになされたのですか?」の6篇。

「悟りを開いたのはいつですか」は仏陀の悟り。解脱の時期の話。

まず

仏陀の本当の悩みは人生とか生とか死じゃなく奥さんの浮気だった。
つまりその子ラーフラは仏陀の子じゃなかったから「障害」とか「邪魔者」という意味の名前をつけたんだ(手塚治虫のブッダでは、解脱への邪魔になるから、そう命名したとなっていたが、どっちにしろ子供にしたら迷惑な話だよね)

と仏陀の修行の原因あたりからはじまって

「仏陀は本当に悟りを開いたのか?開いたのなら、解脱後、三ヶ月も坐禅をなぜしたのか」



「雑阿含経によると、仏陀は、解脱したといわれた後も、師を探していた」

といった論拠というかいいがかりを一杯だしてきて、「仏陀はまだ解脱していない、悟りを開いていない」だからまだ輪廻して生まれ変わっているんだ、新興宗教の教祖が仏陀の生まれ変わりというのは、そういうことだ、なんてかなりの結論にまでいってしまうのである。


ほかの5篇も同じようなもので、

邪馬台国は東北にあった。で、卑弥呼の墓は八幡平にある(「邪馬台国はどこですか?」)

とか

蘇我馬子=推古天皇=聖徳太子で、山背大兄皇子一族を滅ぼしたのは中大兄皇子たちだった(「聖徳太子は誰ですか?」)

といった、おいおい本気かよ〜、といった珍説が飛び出してくる。そして、である。この珍説の論拠が、また尤もらしくて思わず信じてしまいそうになる(存外に真実だっったりして)のである。

まあ、説の真贋は別として、話の流れに任せて、ほうほう、へー、と面白がってもいいのではなかろうか
(ただし、入試や試験の答案に書いたら、まちがいなく×だろうな)


ということで、それぞれの話のサマリーは、もろネタばれするようなものなので、ここらへんで止めて
おこう。

あとは原本で、珍説とその珍論拠を楽しんでくださいな

2006年5月31日水曜日

青井夏海 「赤ちゃんがいっぱい」(創元推理文庫)

前作「赤ちゃんをさがせ」で、ワトソン役の聡子さん、陽奈ちゃん、ホームズ役の「伝説のカリスマ助産婦」明楽先生の最強の助産婦シリーズの2作目で、今回は長編。


ところが、聡子さんは、元ダンの宝田さんとヨリを戻して、2番目の子供ができた為に、育児休業中である。大事な収入源と栄養調達源が休業中に、なんと陽奈ちゃんは。アルバイト先の助産院をリストラされてしまうのである。

さあ、困った。公立病院の採用試験は終わっているし、民間の病院はどこも出産の数自体が減っているから、採用はほとんどない。もう実家にも頼れないしー、ということで、陽奈ちゃんが、聡子さんの紹介で再就職したのが。「ハローベイビー研究所」という似う研究所の妊産婦さんのカウンセリングをやるといった仕事である。


ところが、この研究所、結構怪しげ。

昔(研究所創設当時だ)胎内教育で、天才をつくり出したが、天才をつくるより子供は元気が一番だ、といったことを売り文句にする、研究所に通えば「天才」ができるかもしれませんよー、でも、できなかっても、子供は愛情込めて育てるのが一番よねー、といった抜け道をつくっていながら、信者を集めるやり口。
おまけに、その天才児が、成長してスーパーバイザーを勤めているのである。

まあ、怪しげで。事件が起きないと、ミステリーってものは成立しないのだが、この研究所の研究に利用されたと訴える妊産婦さんの出現とか、研究所の前に赤ちゃんがおきざりにされるとかの事件が発生する。



で、こうした事件の過程で、元天才児が、この研究所の乗っ取り(本人の弁では、元の所有者の返してもらうのだそうだが)を企んでいたり、この研究所の所長や提携の産婦人科医院も、このおきざりの赤ちゃんをなかなか警察に届けようとしないといったことが並行して重なって・・・。研究所と産婦人科医院の秘密が、それもふたつの存続すら脅かす秘密が明らかになっていくのである。

感想からいえば、そうした秘密が、今まで20数年もばれないって、ちょっとないんじゃないのー、という思いはあるが、何か軽快に秘密が暴かれて、悪事を働いていた奴らが、ふんづかまってしまうので、そうした爽快感で許すとしよう。


最期は、研究所と産婦人科医院がつぶれたおかげで、育児休業中の聡子さんも、突然、大量の自宅出産を受けおわないといけなくなるし、そうなると当然、陽奈ちゃんも手伝いに忙しくなるし、生活費のほうも当分は大丈夫だね、と陽奈ちゃんにVサインを送りたくなる結末である。


でも、このシリーズ、ここで終わりかなー、もう少し出ても良いよね、と思う、ほんわかミステリーである。

2006年5月26日金曜日

青井夏海 「赤ちゃんをさがせ」(創元推理文庫)

「スタジアム 虹の事件簿」で自費出版デビューした、青井夏海のユーモアミステリー第2弾。


今度はワトソン役もホームズ役も助産婦さんである。ワトソン役を務めるのは、自宅出産専門の出張助産婦の聡子さんと陽奈(ひな)ちゃんの二人組。そしてホームズ役は、二人の報告を聞いて推理をめぐらす「伝説のカリスマ助産婦」明楽先生という設定である。

分類すれば、安楽椅子探偵の分野に入るのだろうが、ワトソン役の一人、駆け出し助産婦の陽奈ちゃんのドタバタした、とんでもなく明るいところが、こうした安楽椅子探偵ものによくある取り澄ました感じをなくしている。
さて、収録は「お母さんをさがせ」「お父さんをさがせ」「赤ちゃんをさがせ」の三編。


一作目の「お母さんをさがせ」は、剣術屋敷とよばれるでかいが古くさそうな邸宅に、食品会社経営の夫婦に呼ばれるところから始まる。この夫婦、旦那さんの最初の奥さんは病死して再婚で、やっと子供がさずかったのだが、なんとしても、跡継ぎの男の子が欲しい。なんと考え付いたのは、生活に困っている妊婦さんを、昔からこの家に勤めている家政婦さんが、あと二人確保して、生まれた子供は全員面倒をみるし、多額のお礼をはずむ。そのかわり、男の子が生まれたら最初に生まれた男の子を、その夫婦の子供として届け出る、ということを考えた。病院で生むと、そんな取り替えっ子みたいなことはできないから、自宅出産・・というわけなのだ。

さあ、これを聞いた陽奈ちゃん、依頼を断ろうとする聡子さんを説き付せて、この世紀の陰謀(ということのものでもないか)を阻止するため、本当の奥さんを見つけ出そうと、単身、ではなくて二人づれで、この剣術屋敷の自宅出産の仕事にとびこんだという筋立て。

というわけで、本物は誰だとばかりに、三人の妊婦さんに話を聞くのだが、流行らないラーメン屋で、潰れそうな店の奥さんだったり、子供だけをとりあげようとする旦那と姑から逃げてきた奥さんだったり、生活に困窮したシングルマザーだったりという話がいずれももっともらしくて本物は見付からない。そんなこんなのうちに出産日は近付いてくる、さあ、どうしよう。というところで、明楽先生の登場である。謎解きのキーワードは、「なんとしても跡継ぎの男の子」なんて執念みたいな話を一体誰がふきこんだのか、というところ。で、ふきこまれた話の裏に、娘を想う母心といったのがあって、なんのためにこんなことまでするんだー?、といったところの隠された理由になっている。


で、最後は、三人、ほぼ同時の出産、ということになるのだが、さて、その性別は・・・、というところは原本をどうぞ。母性本能は健在ですねーというところで、ちょっとほろり。

2番めの「お父さんをさがせ」は、高校生同士のできちゃった婚(あ、話の段階では結婚はまだしていないから、できちゃった婚約か・・)の自宅出産を頼まれた二人組。

女の子(理帆ちゃんという名前だ)の実家が産婦人科なので、病院では産めない、といった事情らしい。こんな幼そうな女の子に子供が育てられるのかなー、と心配していたら、なんと、子供の父親だとあと二人の男が名乗り出てきた(一人は、この女の子の家庭教師、一人は、メル友の中年男)。うむ。本当の父親は誰だ、そして、この女の子、テキトーに男たちを手玉にとっている娘なのか・・・、というのがこのお話。


話が進んでいくにつれて、この女の子の家庭が皆が仲良く不倫している家だったり、家庭教師がマザコンだったり、中年男の奥さんが、大手ブライダルチェーンを経営するカリスマ主婦だったり、なんとも、いろんな家庭環境のてんこ盛り状態をひきずりながら展開していくのだが、まあ、最後は、この女の子、意外と考えの深い方だったんですねー、と自分だけでなく、他の人達のぐちゃぐちゃした人間関係を、ぴっちりと解決しながら、純愛を貫くお話である。


と、ここで、話の筋とは関係ないのだが、理帆ちゃんの相手の男の子(透君)が自分の父親(画家で今は、アメリカのメインに住んでいる)を評した言葉が妙に気にいったので、ちょっと引用
「ああいう人間ってたぶん、絵描きになりたいとか、なろうとかは考えたこともないんだろうな。絵描きとして生きてるだけ。何になりたいか考えてるようじゃだめなんですよ。」
絵描きに限らず、何かの分野で「天然」に凄いやつってのはこんな感じだよなー、としばし感慨にふける。


最後の「赤ちゃんをさがせ」はでは、聡子さんのカレではなくて、元ダンが登場する。その元ダンナの仕業かどうかわからないのだが、聡子さんの自宅出産の予約の取消が入り始める。そのせいか、聡子さんの体調もなんだ悪そうで・・・。

ということで、この予約キャンセルを阻止すべく、われらが陽奈ちゃんが立ち上がる、といった筋立て。


キャンセルの内側には、キャリアウーマンの高齢出産の悲哀みたいなのや、本妻に対抗してくる愛人の鞘当てみたいなのもあるのだが、そのうちに、今回の話の本筋、自然の出産を呼びかけ、結構ぼってそうな◯◯宗教まがいのセミナーの誘拐事件に巻き込まれていく。誘拐された自宅出産の依頼人を救うため、三人(陽奈と聡子さん。そして元ダン)は、セミナーの本拠に潜入するが・・・。といった展開である。

この誘拐騒動が、なにやら別の事件などを連想させてしまうのだが、ちょっと時間が経つと、この辺りは風化してしまうのだろうな、と思ってみたりもする。ただ、あやしげな勧誘ものっていうのは種こそ変われ、時代を超えて不変なような気もするから、時代と場所が変われば、また別のことを連想するのかもしれない。


で、まあ、事件の解決の具合は、原本にあたってほしいのだが、このお話で聡子さんは、元ダンとヨリを戻してしまうのだが、この夫婦と陽奈とのつきあいは、次作「赤ちゃんがいっぱい」でもしっかりと続いていくのである。

2006年2月5日日曜日

井沢元彦「暗鬼」(新潮文庫)

歴史の謎を解き明かす、といった筋立てではないので、歴史ミステリーにいれていいのかどうか迷うのだが、いくばくかは「歴史」の「何故?」を描いたものとして歴史ミステリーに分類しておこう。

時代は、桶狭間の戦いの前後から関が原の合戦の前後まで。

ドラマとか映画や小説で、もっとも書かれることの多い戦国から安土桃山の天下統一の歴史の周辺事である。井沢元彦さんの戦国ミステリーには、織田信長が探偵役をつとめる「修道士の首」といった作品があるのだが、その周辺の作品と考えてもよいかもしれない。


収録は、「暗鬼」「光秀の密書」「楔」「賢者の復讐」「抜け穴」「ひとよがたり」「最後の罠」の7編。

いくつか簡単に、ネタバレにならないようにレビューすると

「暗鬼」は今川の客将として遇されていた時代の徳川家康。家康が、その境遇を脱するためにどんな仕掛けを桶狭間で行ったか。そして、信康、秀康をはじめ始めの子供たちに冷淡にみえる家康の秘密とは・・・。
ということで、子供嫌いではなかったかとも言われる家康の秘密にある仮説が示される。
長男の信康殺しは、実娘の密告を受けた信長の差し金ともいわれるが、家康との関係を極度に悪化させてしまうかもしれない嫡子の処分を、信長ともあろう武将が軽々と命じるとも思えないのだが、家康にこんな事情があればねー、と思わせる一篇。

「光秀の密書」は、本能寺の変の後、毛利への光秀の使いが、なぜ秀吉の陣に迷い込んだのかの真相を、暗号ものをセットにしたもの。
豪雨の中とはいえ、敵になる男の陣に入り込んで捕らえられてしまう密使ってシチュエーションが本当にあるのかな、と疑問に答えてくれる。特に、諜報というものを重要視していた毛利方が、秀吉と和睦し、しかも、信長の死が知れても何故追わなかったのか、を解き明かしてくれる。

最後の「最後の罠」は茶屋四郎次郎が献上した鯛のテンプラを食べ過ぎて死んだといわれる家康の死の真相を推理したもの。
薬物や医術の嗜みもあり、粗食を常としていた家康が、年取っていたとはいえ、テンプラの食べすぎといった、結構間抜けな死に方をするのかなー?、といった疑問へ、実は、石田光秀の片腕、島左近に頼まれた医師の毒殺事件ではないか、と新たな答えを示してくる。

歴史ミステリーは、大筋というか歴史的な事実関係はかなり強固に存在してしまうから、そのスキマを探して謎を見つけ、ひょっとしたら、と思わせるものを挿入するものだから、かなりの手練れがやらないと、ボロがでてくるものだが、さすがに井沢元彦さんの歴史ミステリーは、そうしたこともなく、最後まで、ぐいぐいと読ませる仕上がりである。


今年のNHKの大河ドラマも戦国時代だし、久々に「戦国時代」にはまってみましょうかねー、という人に、ちょっと横から見た戦国ミステリーとしてお奨め。

2006年2月4日土曜日

エリス・ピーターズ 「修道士の頭巾」(教養文庫)

修道士カドフェル・シリーズの第3作目。

年代的には1138年の冬。第2作は、この年の前半にイングランド王スティーブンと女帝モードとの争いがシュールズベリで行われていた時のことなので、かなり血なまぐさい話が多かったが、3作目は、そのしばらく後の話。
修道院長が、スティーブン王の要請でローマ教皇庁から、体制改革のため派遣された枢機卿に呼び出され、副修道院長が実権を握ろうとするなど、内戦の余波はあるが、まあまあ平穏な時期のが舞台となっている。


事件は、この修道院に財産の全て(金とか宝石とかじゃなくて荘園まるごとなのが豪快)を寄付して、食事とか飲み物、住宅の提供を受けて余生を過ごそうとしている金持ちの老人の殺人事件である。

ところが、この殺人の道具に、カドフェルが鎮痛の貼り薬として調合している薬が使われ、しかもその薬が、副修道院長が、お裾分けで、その金持ちに届けた料理に仕込まれていた、といったところから修道院あげての捜査となり、カドフェルが捜査に関わらざるをえなくなる。

しかも、その金持ちの老人の後妻は、カドフェルが若い頃、将来を約束しながら結婚できなかった女性。そして、女性の連れ子に殺人の嫌疑がかかる・・・・

といった、ちょっと、ひところのメロドラマっぽい筋立てである。

「修道士の頭巾」とはトリカブトのこと、ということで、ちょっと昔に話題になったトリカブト殺人事件が頭に浮かんだが、このお話は、そういったトリック系の話ではなく、誰が、どんな理由で殺したのか、といった系統のミステリー。

犯人になりそうな奴で

・継父と仲が悪くて、今は職人の修行をしている義理の息子

・嫡出子でないが故に荘園の相続権がなく生活費だけもらっている息子

・小作のつもりでいたら、いつの間にか農奴になっていた使用人

とか、登場する。

事件解決のヒントが、イングランドとウェールズの法律の違いといったことだったりして、イングランドとウェールズってのは別の国だったんだな(今でもサッカーやラグビーは違うナショナルチームを出してるから、英国ってのは連合王国であって、意識的には別の国なのかな・・・)ということを最後に感じさせてくれる。

この、お話でカドフェルは、昔の恋人の息子を守る善玉になってるわけだが、どうも十字軍に参加して、オリエントでなにやら自由気儘に暮していたっぽい印象を受けるから、本当は、女性泣かせの夢見る起業家って感じに修正しなきゃならないのかな、とも思う作品である。

2006年1月29日日曜日

エリス・ピーターズ 「死体が多すぎる」(教養文庫)

修道士カドフェル・シリーズの2作目である。


ハヤカワ・ミステリマガジンで、カドフェルものは掌編的なものは読んだことはあるのだが、きちんとまとまった中編は初めてだ。リサイクルショップで、とびとびに買い込んだので順々にレビューしよう。

 まずは、この「死体が多すぎる」である。

時は1138年。舞台はイギリスのシュールズベリ。
といってもシュールズベリってのはどこだ・・・とググッてみると、「中世の都市」ってページがある。

このページによると、イギリスの本島の真ん中より下の辺りかな、ウェールズの近くで、11世紀のノルマン・コンクエストの時に防衛の要としてつくられたとある。



ノルマン・コンクエストってのは何だ、と今度は、この本の解説を見ると、1066年にノルマンディー公ウィリアム、イングランドを征服して「ノルマン王朝」ってのが始めたことのよう。
要はフランス人にイギリス人が負けちゃって王様になられてしまった、っていうことか。


とはいっても、フランスといった国家意識が芽生えている時代ではないから、ノルマンの王様がイングランドも支配下にいれてしまったぐらいの意識だろう。

 このウィリアム1世の没後、三男のウィリアム三世、四男のヘンリー一世が後を継いだが、このヘンリー一世が跡継ぎに娘のモード(この女性はフランス北西部のアンジューの伯爵と結婚していたらしい)を指名するが、旦那の支配地にいる間に、イングランドの貴族がヘンリー一世の妹の息子のスティーブンを王にすることに同意してしまったから、モードがおさまらない。王位を返せって訳で十数年、内戦が続く、といったあたりが、この小説の時代風景。


どうも、このあたりのヨーロッパの歴史は茫洋としていて、記憶にない。
東洋史的にみると1115年に中国では「金」が建国され、1125年に「遼」が、1126年に「北宋」が「金」によって滅ぼされている。日本史的には1156年の保元の乱、1159年には平治の乱がおきて、1167年に平 清盛が太政大臣になっている、といったあたりのようだ。


時代的な確認はここまでにして、この「死体が多すぎる」の筋立ては、スティーブン王がモードに味方するシュールズベリを攻め落としたあたりから始まる。
戦乱の常で、敵の捕虜94人を絞首刑にするが、その死体を埋めようとすると95体ある。しかも、紛れ込んだ死体は、後ろから紐のようなもので絞められていて、この処刑の際に殺されたものではないらしい。こいつは誰だ、といったところが発端。

それからスティーブンの味方についた、アライン・サイウォードという金髪美人が処刑された死体の中に、逃亡したはずの自分の兄を発見したり、アラインに首っ丈っぽい騎士が出てきたり、逃亡した城主のお宝の探索もあったり。

さらに、カドフェルが途中、逃亡したシュールズベリの城主の側近の娘が修道士に化けているところを一瞬で見抜いたり、いった決めシーンを交えながら、殺された男は城主のお宝運びをする予定の兵士で、現場には、トパーズのついた短剣の飾りの一部が残されている。持ち主は誰だ、そして殺人の目的は、といった感じで進行していく。


最後は、悪い奴と思っていたら、実は正義の騎士(ナイト)でした。悪い役人を正義の騎士(ナイト)が成敗して、キレーなお姫様と結ばれました。そのほかの、若い恋人たちは、異国で幸せに暮らすでしょう・・・ってな感じ。
テンポは緩いが、飽きさせず読ませてくれました。


「中世の修道院」っていうとなにやら怪しげな秘法とか、悪魔憑きとかをイメージしてしまうのだが、このカドフェルが十字軍あがりで真っ当な薬の調合を担当している修道士という役回りにしているせいか、妙な魔法くささや宗教くささは微塵もありません。
「ドラゴン アンド ダンジョン」のイメージで読むと間違うけど、とある中世の田舎町の事件という感じで読めばよいと思う。
ちょっと変わった異国情緒は、味わえる点はオススメ。

2005年11月20日日曜日

中津文彦 「消えた義経」(PHP文庫)

源義経は平泉で死なず、北へ向かったという北行伝説を推理する歴史ミステリー。

プロローグは、津軽の十三湊(とさみなと)で鎌倉の諜者が、北の大陸から大量に渡ってくる船に驚愕している。噂では御曹司(源 義経)が靺鞨(まっかつ)の騎馬軍団をつれてくる船だということだが、果たして・・・という

というところから、小説は、平家滅亡後、頼朝と義経の仲が悪化し、義経が都から姿を消した時点からスタートする。話は、鎌倉幕府から義経の捜索を命ぜられた和田義盛配下の武士の目から語られる。

義経の逃亡と死については、いわれてみると謎ばかりである。

追討の院宣が下されていながら、なぜ、義経は西国から奥州まで(さほどの事件もなく、妻と子供づれで)逃亡することができたのか。そして、一時は、義経の居所をつかんだようなのに、なぜ頼朝は、しゃにむに義経を探し出し、討伐しようとしなかったのか。

頼朝に代表される東国の鎌倉政権に従うことをよしとしない後白河法皇をはじめとする朝廷、西国の武士、比叡山をはじめとする寺社、それに対して、守護・地頭の派遣、配置を通じて、日本全国を東国政権の支配下におこうとする頼朝たちの虚々実々の駆引きの中で、泳がされているような義経の姿が描かれる。

そして、平泉でも同様なことがある。

なぜ、あれほど義経の滞在を認めなかった藤原氏が突然、義経の存在を認め、しかも戦の際は義経の下知に従うことになっていながら、当主自らが義経を攻め滅ぼしたのか。また義経が死んだため名目がなくなったはずの奥州追討を院宣の届くのをまたず、なぜ頼朝は強行したのか

こうした不自然な動きの底には、義経を戴いて戦端が開かれれば、鎌倉を揺るがしかねない奇策が潜んでいたのではないか、と問いかけるのがこのミステリーである。

歴史ミステリーは、結論を皆が知っているという制約を受けるのはやむをえないのだが、それにもまして、なんとなく全体として淡白な印象をうけるのは、「義経」がほとんど肉体をもった姿で登場しないからだろうか。

義経も、都落ちした時点から、鎌倉幕府のアンチテーゼとしての「義経」というシンボルとして必要とされたに過ぎず、肉体としての実在は求められなかったということか。

2005年10月11日火曜日

ジェフリー・ディーヴァー 「生まれついての悪人」(ハヤカワミステリマガジン 2005.4月号)

最近、積読状態だったSFマガジンとミステリマガジンを集中的に読んでいるので、その中から。ミステリマガジンの2005.4月号は「悪女特集」
出だしは、年老いた母親が、出て行った娘と過ごした頃を思い起こすことから始まる。小さな頃は、無邪気だった娘が、だんだん親の言うことを聞かなくなっていくこと。悪い仲間と付き合い始め、外泊も多くなってきたこと、などが追想される。どうも、この娘、母親だけでなく父親にも反発していたらしい。
母親は、裁縫が得意で、父親は親譲りの倉庫業を営んでいるらしい。
娘はティーンエージャーの頃、万引きでつかまったことも。
その後、現在へと移り、娘が母親のところへ会いにくる場面へ。
母親は、宝石店での銃撃戦にまきこまれて腕に古傷を負っているらしい。
母親が今住んでいる小さな(しかし調度品は贅沢な)家へ娘が会いにくることに。
娘の不行跡の始末をつけようと、母親は護身用の銃を手にするが、撃てない。
そして二人が庭に出たとき、警察が到着するが・・・。
といったところで、娘が実は刑事になっていて、実は母親と父親は、強盗と盗品売買を手広くやっている、筋金入りの悪党であることが娘の口から喋られる。娘の手で母親は手錠をかけられるが、母親は、ろくでもない娘だと。
万引きは、親の盗んだものを返しにいってつかまったもの、悪い友達は、盗みに手を染めない優等生たち、といったことらしい。
最後まで読めば、なんとはない落ちなのかもしれないが、娘を持ってい父親としては、だまされてしまう短編。