2008年8月31日日曜日

岡山 後楽園

休日を利用して、娘が大学に通っている岡山に行ってきました。
これ、といった用事があるわけではなく、娘の下宿の郵便物の回収などなどの雑用処理。
このついでに、ここ数年来訪れたことのなかった後楽園を観光。
日差しの暑い中だったので、できるだけ日陰を歩いたり、途中の東屋風の休憩所で足を冷やしたり、とかなりダルダルの観光でありました。
でも、手入れがいいせいか、緑も濃くて、よいものではありました。
メインの庭園


途中、抹茶で休憩。あんこ入りきびだんごは後楽園限定らしい。土産に購入

草むらに潜んで、昼寝中の猫。就活中と思われるお嬢さんたちが、写真をとっていたので私も一枚。

2008年8月23日土曜日

玄箱Debian-sargeにUSBドライバをいれる

玄箱Debian-etchの方はドライバのインストールをしなくても、USBのハードディスクを認識したのだが、玄箱Debian-sargeの方は、自動で認識しなかったので、ドライバをインストールする。
まずDOS用のファイル関連ソフトをインストール
# aptitude install dosfstools
次にUSBのドライバをインストール。ここは、USB1.1とUSB2.0両方をインストールする。
まず、USB1.1
# modprobe usb-ohci
次にUSB2.0
# modprobe ehci-hcd
最後に仕上げ
# modprobe usb-storage
これで、USBハーフディスクを接続すれば認識するかと

2008年8月22日金曜日

Clie NX70 でGoogleMaps

Clie NX70でGoogleMapsが使えるようになっているらしいので、インストール
このページ
http://www.google.com/gmm/GoogleMaps.prc
からアプリをダウンロードして、Hotsyncでインストール
(MSにFilezでコピーするやり方では、エラーがでてダメだった)
無線LANか通信カードをさして接続。
接続した後、GoogleMapsのアイコンができているので、これをタップして設定をすればOK
今のところは、一回アクセスしただけなので、システムエラーがでるかどうかは、まだ未確認であります。

2008年8月21日木曜日

Clie NX70でFAT32のファイルを使う

デフォルトでは、FATでフォーマットしたMSやCFしか使えなくて、2G超のものは使えないのだが、このパッチをいれると、FAT32のMSやCFも使えるようになる。
出典はココ
http://www.1src.com/forums/showthread.php?t=88022
そしてダウンロードはココ
http://jamerican.net/dmitrygr/FAT32.patched.nx73.prc
NX80/73V用となっているのだが、NX70でも使えました。
今のところ4GのCFで確認しています。

2008年8月20日水曜日

ClieでMPEG4を再生

Clieで動画ファイルがスムーズにみえないかと、あちこちサーチしていたら、こんなサイトを発見
<a href ="http://easyrider.air-nifty.com/pocketbook/2006/10/clie_nx73vmp4_3673.html" target = "_blank">pocketbook  「CLIE NX73VでMP4ファイルを再生する」</a>
動画ファイルを一度変換する手間はあるが、PSPで動画を見るための手順と同じなので、そう手間ではない。
CLIEでMPEG4動画が見えるようになるとは、なんともうれしい話である。

2008年8月15日金曜日

川崎昌平「ネットカフェ難民」(幻冬社新書)

もともとは、日本テレビのドキュメントに端を発したものらしいのだが、その放映が2007年1月で、本書の刊行が2007年9月だから、ほぼ同時代的な「ネットカフェ難民」の記録として考えていいだろう。
 
筆者は、カバー裏を見ると、ひきこもり&ニート生活後、電話で連絡を受けて日雇い生活をするワンコールワーカーの生活に入ったらしい。
まさに現代社会のある一面をきちんと一人で体現している。
 
さて本書は、筆者が実家を出て、ネットカフェ暮らしをはじめ、貯金が心細くなると、携帯で登録して、携帯で連絡を受けて日雇い労働に出かける生活に入り、実家近くで、その日の日雇い労働を終える、という1ヶ月間の暮らしが綴られている。
 
正直なところ、ネットカフェというものには、ほとんど縁がない。インターネットというものが今のように普及した頃には、既に就職してから十数年が過ぎ、子供もいる境遇で、おまけに実社会に出るには、サラリーマンが普通で、自由業は、それこそ恵まれた才能のある人たち用のもの、会社を辞めるのは倒産した時かリストラされた時という時代を生きてきたため、今のようなフリーター、あるいは非正規が普通という世相は、なんとなくいごごちが悪い。
そうした個人的な感覚を持ちながら本書を読むと、なぜか妙な「明るさ」が漂っている感じがするのが不思議だ。
 

書かれているのは、けして波瀾万丈のことがあるわけではなく、派遣労働といっても、千葉の鞄会社での鞄の中敷きを入れる作業や、スーパーでの実演販売、イベントの後片付けといったん、なんとも平凡なもの、女性との出会いといえば、その千葉の会社でバイトの間だけ、同じバイトの女性を一緒に作業をするだけのものだし、寝泊まりは、題名どおりのネットカフェかマクドナルドという生活。
 
ネットカフェ難民に象徴される生活は、最近の陰惨な事件を連想させるように、けして将来に向けての夢とか野望といったことは、かけらも感じさせない生活なのだが、なにか妙な白夜のような明るさを漂わせている。
 
きっと、夜とも昼とも属さず、その間に妙なバランスで挟まれているような生活であるか故の「明るさ」、虚無の前の「黄昏の明るさ」といったものなのかもしれない。
 
 
ただ、本書が書かれた2007年の当初から2008年と時が経っていくにつれ、何かしら壊れていっているものが多くなっているという印象を持つのは、私だけではないはずだ。
「ボヘミアン」という美しい言葉はあるが、本書の内容が指し示していく未来は、黄昏から、夜の暗闇へと移行していく未来のような気がしてならず、願わくば、それが万民の未来でないことを祈るばかりなのである。
 
 
夜明け前が一番暗く、夕暮れ時が一番柔らかく明るいのかもしれない。
 
 
最後の余計事を一つ。
 
 
それぞれの一日の終わりに、用語解説みたいなコラムっぽいのが載ってて、「おじさん」には非常に役立ちます。

2008年8月12日火曜日

佐々木俊尚「次世代ウェブ ー グーグルの次のモデル 」(光文社新書)

インターネットのビジネスモデルをリードする「グーグル」を超えようとしているビジネスモデルの動向を知らせてくれるのが本書。

こうした新しいビジネスモデルを紹介する場合は、アメリカの最新モデルが紹介されることが多くて、なにか遠い世界で起こっている出来事のような印象を受けるケースが多いのだが、本書は、どちらかといえば、日本の新たなビジネスモデルの胎動の紹介に多くのページが割かれていることを評価したい。

取り上げられているのは、ミクシィ、ビジネス寄り、文系寄りのソーシャルニュースコミュニティや日本の新しい検索エンジン開発の動きなど、ネットの世界の住人の方々には、既によく知っている事例も入っているのだが、こうした新書として、広く一般の人々をターゲットとして書かれているものとしては、やむを得まい。

また、若干、時期がずれるせいか、YouTubeは取り上げられているが、「ニコニコ」は出ていないといった、ちょこちょことした不満はあるのだが、ネットビジネスのトレンドを大きく捉えるという目的で読むとすれば、十分目的を達することのできる一冊である。

このうち、気になる言葉などを少し。

それは、楽天のビジネスの話をとりあげている「変化」という章で、faddict.net blogというブログの引用あおしながら語られる「Web2.0」は「地主制度2.0」ではないかという主張だ。

少し引用すると


「利益率は低そうなのに、やらなきゃ乗り遅れるWeb2.0のジリ貧競争に巻き込まれ、同業他社と不毛なサービス合戦をしてボロボロになりながらも、得られるものは5%アフィ程度、どちらが勝とうが結局サービスを提供するGoogle様はしっかり儲かる。まさに氏の死の武器商人に踊らされる紛争地帯、それがWeb2.0なんじゃないだろうか。
 で思うに、マッシュアップやらなんやらというのは、Google様やAmazon様という大地主によって与えられた土地で、小作人として生きる道のことを、なんかキレイに着飾ってごまかしているのにすぎないのではないか


とか


Web2.0というパラダイムのもとでグーグルやアップル、アマゾンなどが垂直統合モデルを再び復活させようとしていて、それはかなりの部分まで成功を収めている。


というあたり。

つまり、自由でフロンティア的なビジネス・フィールドに見えるネット・ビジネスの世界が、実は、その生産や富を生み出す基盤は既にグーグルやアップル、アマゾンなどの欧米先進企業群に押さえられていて、後発あるいはプラットフォーム化のチャンスをつかみ損ねた「企業」(これには「国家」も含まれるのだろう)は、彼らの提供するプラットフォームの中で、年貢を納めながら、生計を立てるしかなく、彼らの機嫌を損ねぬよう経済活動をしていくしかないということを意味している、ということなのだろうか。

そうだとすると、プラットフォーム化のチャンスをつかみ損ねた「日本」という国家の国民としては、「またアメリカが金メダルかよ」といった具合で、なんとも情けなくなってしまうのである。

この支配を打破する方法として、本書の最後の方に


<リスペクトーアテンションープロフィット>
という導線をうまく描き出せるかどうかが、今後のアテンションエコノミーにおける収益モデルのカギになるのではないかと思うのである。
 そして、こうしたモデルを確立することができれば、そのときにはグーグルやアマゾン、アップル・コンピュータが支配する「地主制度2.0」を打破し、プラットフォーム支配をはねのけて、新たなエコノミーをつくり出すことができるようになるかもしれないのだ。
 そのモデルをつくり出すのは、これからのインターネットベンチャーの役目である。


となにやら、道のりは遠そうだが、けして不可能ではない方法が掲げられている。

きっと、日本の若きインターネットベンチャーたちへの「がんばれよ」の言葉なのだろう。

2008年8月9日土曜日

ubuntuでスクリーンショットを撮る

難しいやり方へ他にお任せして、単純な方法をメモしておく
PrtSc(Print Screen) で 全画面
Alt+PrtSc で 一番手前にあるwindowのスクリーンショット
が撮れるのはwindowと同じ。
様々なスクリーンショットを撮る方法は
Viva Ubuntu さんのここのエントリーが参考になる。
http://ubuntu.livedoor.biz/archives/53695579.html

2008年8月8日金曜日

Windows、ubuntuのPDFの編集ソフト

PDFファイルを使う機会が飛躍的に増えていて、PDFファイルに注釈をいれたり、メモやマーカーをいれたりしたいと思い、フリーソフトを検索
PDF-Xchange Viewer
というソフトをみつけた。英語版のソフトだが、インストールの際に 「Japanese」を選択すれば日本語のメニューが出る
ダウンロード(Vector)はこちら
http://www.forest.impress.co.jp/lib/offc/document/pdf/pdfxchange.html
ちなみにスクリーンショットはこんなの


これはwindows用で、Linux用は別のソフトをインストールする。

ubuntuには PDF Editor というソフトがあり、synapticでインストールできる。
スクリーンショットはこんな感じ

テキストデータがある場合のマーカーとかメモは入れられるのだが、残念ながら「日本語」のメモは入らない。今後の進化に期待しよう。

2008年8月7日木曜日

ヒラメの頭の煮付け

ちょっとグロテスクだが、味は悪くない。(いつもの魚屋さんからもらったゲテモノだ)
といっても、そんなに食べるところはなくて、頬のところと、首筋の肉をほじるだけなんだけどね。

梅田望夫「ウェブ時代 五つの定理」(文芸春秋)

おなじみの経営コンサルタントというか、ウェブ時代の適切な水先案内人である梅田望夫さんが、シリコンバレーの第一級のビジョナリーたちの言葉を紹介しながら、ウェブ時代の新しい作法や起業の道案内をしてくれるのが本書である。

ビジョナリーとは、テクノロジー業界の最先端を走る起業家や投資家、「普通の人」よりも何歩も先を行く天才的技術者、日々の濃密な経験から世界を俯瞰して眺めている企業経営者、複数の専門性を極めた大学教授といった人たちの中で、とりわけ言語表現能力が高い人々のことで、こうした人々が英語で発する切れ味の良い言葉を読み、その言葉の背景にある思考や発想に寄り添って深く考えることで、

未来を見通すことなど誰にもできないが、こうすればクリアに想像できる

世界の成り立ちなど誰にもわからないけれど、こうすれば見晴らしがよくなる

といったことができると発見し、それを繰り返すことで、変化の予兆を捉えるというのが、筆者の勉強法のようだ。


もとより英語力のない私なぞには、及びもつかないが、こうした先達の言葉を紹介し、その意味と示す未来を魅せてくれる本書のような存在は非常にありがたい。


そしてこうしたビジョナリーの言葉は「五つの定理」として整理され、それぞれのテーマ毎に分類・整理され、構造化されている。

「五つの定理」とは
①アントレプレナーシップ
②チーム力
③技術者の眼
④グーグリネス
⑤大人の流儀

で、いずれも、こうした「ウェブ」の世界を端的に現す言葉であるようだ。

紹介されるビジョナリーは、例えば、グーグルのCEOのエリック・シュミットや副社長のマリッサ・メイヤーからアップルのスティーブ・ジョブス、DEC社のコンピュータ設計者で、初期コンピュータ産業の育ての親ともいわれるゴードン・ベルなどなど多士済々であり、またその言葉も多種多様である。

その言葉群には、直接、本書にあたって参照していただきたいが、切れ味が良くて、「ふむ」と立ち止まって、考えさせられる言葉ばかりであることには間違いない。

確かに、こうした切れ味のいい言葉に日常的に接して思考を続けていれば、かすみがちな私の目も「時代の変わり目」をうっすらとでもわかるようになるかもしれないなー、と誇大妄想気味に考えてしまうのである。


多くの言葉を引用すると、営業妨害になってしまうので、最後にスタンフォード大学の卒業生向け講演でのスティーブ・ジョブスの元気の出る言葉を引用して〆とする


君たちの時間は限られている。
その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。
ドグマにとらわれてはいけない。
それでは他人の思考の結果とともに生きることになる。
他人の意見の雑音で、自分の内なる声を掻き消してはいけない。
最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。
心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、もうとうの昔に知っているものだ。
だからそれ以外のことは全て二の次でいい。

=スティーブン・ジョブス=



ゆっくり時間をかけて読んでも、けして損をした気にはならない一冊である。

2008年8月5日火曜日

ソウルに行ってきました-その4

おっと、定番観光地を忘れていました。
ちゃんと南大門にも行きました。

南大門市場もね。

ソウルに行ってきました-その3

おやつ系も少し
明洞で最近流行らしいアイスクリーム



屋台で売っている果物。氷の上に置いてあるので冷たくて美味。
衛生状態・・・・? そんなことは不問にふすこと。

このあと、二口ほど囓って、息子は地面に落としてしまった。なんというドジ。


ソウルに行ってきました-その2

記録の意味で、食べたものをアップしておこう。
これは到着した日の夕食。明洞近くの焼き肉屋で、サムギョプサル


次の日の朝は、ホテル近くの「瑞源」という店でおかゆ


お昼は、定番中の定番の「全州飯店」でビビンバップ

夜は、「福清」の焼き肉のセットメニュー

帰りの日の朝は、明洞をちょっと足を伸ばして、「シンソンソルロンタン」でソルロンタン


初心者お勧めコースを家族自力で巡ったのでありました。

ソウルに行ってきました

ソウルに8月3日から4日の日程で旅行してまいりました。
竹島問題に端を発して、またなにやら日韓政府の関係は雲行きが怪しくなっていて、あちこちの国際交流事業にも影響がでているのですが、ソウルは・・・・・・相変わらずでありました。

2泊3日の日程なので、そんなにあちこちを歩き回れる日程でもなく、また家族連れでもあったので、南大門市場での買い物や明洞でのショッピングへのお付き合いや食事(なんと今回、月に一度のデパートの休日にぶつかってしまい、デパ地下散策はできずであった。残念)という観光客おきまりのコースなのだが、
「日本人ですか? 今これ人気高いですよ」
「これ安くしとくますよ。」
あるいは
「本当のニセモノあるよ。見ていかない?」
といった、いつもながらの市場であったし、明洞も、いつもどおり、韓国人や日本人や欧米人で賑わう、いつもの明洞であった。
こうした領土問題が起こるたびに、マスコミの論調や政府の発表では、韓国のいたるところで、日本人排斥運動がおこっているような報道がなされるのだが、現地、特に観光地を控える大都市では非常にクールで、いつもながらの対応が続けられていることが多い。あまり、「オオカミがきた」状態の報道が続くと、本当に極度の対立関係がおこりそうになったときに、妙な世論をつくってしまうことにはならないだろうか、と勝手に心配もしてみるのである。

それにしても、今回の旅行でも、南大門市場近くで、現地のおばちゃんに話しかけられ、「安くて良心的な店知っているから、教えてあげる」、といわれ、行ってみたら、そのおばちゃんの店だった、といったまるでコントのようなこともあり、いつもながら、あちらの商売人の方々のバイタリティの強さには、ただただ頭が下がるのである。

2008年8月2日土曜日

梅田望夫「シリコンバレー精神」(ちくま文庫)

1996年秋から2001年夏にかけて、筆者のシリコンバレーの経験に基づくエッセイというか、シリコンバレーの一時期を切り取った、現地にいた当事者の記録の集合体である。
いくつか、ネット関連のエポックとなるものがいつ起こったのか調べてみると
windows95の発売が文字通り1995年
グーグルの創業が1998年
ネットバブルの崩壊が2000年
となっている。
そうした意味で、単なるネットに関するエッセイとしてではなく、インターネット時代の幕開けとして「シリコンバレー」が輝き初め、ネットバブルの波の到来と崩壊、そして再生へ、といっためまぐるしくはあるが、私たちの生活に大きな変化を与えた一時代の記録としても貴重な一冊である。
ただ、「シリコンバレー」あるいはそれに代表される「ネットの世界」に住む人たちのスタイルも丁寧に書かれているので、時代の記録集としてだけではなく、「ネット」あるいは「ウェブ」という、一種特殊ではあるが、確実に私たちに浸透してきている思考スタイルや行動スタイルのついての評論集としても読むべきであろう。
いくつか、その一端を引用すると、ベンチャー企業の興廃著しいシリコンバレーのビジネススタイルは
第一に、事業の成功・失敗はあくまでもビジネスというルールのある世界でのゲームで、それを絶対に人生に反映させないこと
第二に、事業とは「失敗するのが普通、成功したら凄いぞ」というある種「いい加減な」遊び感覚を心の底から持つこと。「成功するのが当たり前、失敗したら終わり」という「まじめ」発想を一掃しなければならない。
第三に、失敗したときに、「投資家や従業員や取引先といった関係者に迷惑がかかる」という考えを捨てること。皆、自己責任の原則で集まってきているのだと、自分勝手に「都合良く思いこまなければならない
この3つの知恵は、不運や失敗をしたたかに乗り切っていくための救命胴着
なのであり、その中で挫けることなく挑戦を続ける人々の心の有り様を「マドル・スルー」という言葉で表現している。
「マドル・スルー」とは
 文字通りには「泥の中を通り抜ける」だが、「先行きが見えない中、手探りで困難に立ち向かう」の意。中西輝政京都大学教授に よれば、アングロサクソンには「マドル・スルー」の状態自体をプロセスとして楽しむ骨太の行動文化があり、その文化の存在こそが「霧に立ちこめ始めた時 代」にアメリカやイギリスが活力を保持している所以だとのこと(「国まさに滅びんとす」「なぜ国家は衰亡するのか」)
「泥の中を通り抜ける」、「先行きが見えない中、手探りで困難に立ち向かう」とおう意味だが、その状態自体を「目標に到達するための苦難」だと思わずに楽しむこと
といったもので、そうした「マドル・スルー」を基礎にして、
限られた情報と限られた能力で、限られた時間内に拙いながらも何かを判断しつづけ、その判断に基づいてリスクをとって行動する。行動することで新しい情報が 生まれる。行動するモノ同士でそれらの情報が連鎖し、未来が創造される。行動する者がいなかれば生まれなかったはずの未来がである。未来志向の行動の連鎖 を引き起こす核となる精神
人種や移民に対する底抜けのオープン性、競争社会の実力主義、アンチ・エスタブリッシュメント的気分、開拓者(フロンティア)精神、技術への信頼に根ざしたオプティミズム(楽天主義)、果敢な行動主義といった諸要素が混じり合った空気の中で、未来を創造するために執拗に何かをし続ける「狂気にも近い営み」を、面白がり楽しむ心の在り様
が、シリコンバレーにおける思考スタイルというか行動スタイルである「シリコンバレー精神」だと主張されている。
こうした「シリコンバレー精神」に対する筆者のスタンスは、あくまでも楽天的であり、信頼を寄せているのは、いくつかの章を読めば容易に感じ取れる。
最近、ネットにまつわる、あるいはネットに起因しているといわれるいくつかの陰惨な事件を契機に、ネットの「排斥」運動ないしは、ネットの「ラッダイト運動」的な風向きを感じるのだが、やはり私としても、梅田望夫氏のように、こうした「シリコンバレー精神」に代表される「ネットの未来」、あるいは「ネットによって招来される新しい行動の形」を信頼したいのである。
そして、それは
1998年のクリスマス商戦でアメリカの消費者は約50億ドルの買い物をネット上で行ったが、爆発的に普及するネット通販は既存の小売・流通業をかなりの スピードで破壊する。顧客と直接コミュニケーションできる効率よい道具を得たために、製造業ではネット直販方式に転換して必要なくなった人をレイオフする 企業が増えた。金融・証券も同様。具体例を挙げればきりがないが、予想を上回る勢いで大切な何かを失っていく危険
世界中の「働きたいヒト」の詳細情報や過去の実績がインターネット上で流通する時代の到来は、「置き換え可能」な人材の報酬がグローバル労働市場とリンク する方向を示唆している。米国の法律で定められた最低時給賃金は州によって異なるが四ドルから七ドルの間くらいである。これを下限とした価格競争メカニズ ムは、これまでブルーカラーや低レベルの対人サービス従業者に対してのみ働いてきたが、この範囲がさらに拡大していく

といった負の面を抱え込んでいることは事実であるとしても、閉塞感のある現代を切り開く、有力な選
択肢の一つとして、(何はともあれ)考えていきたいのである。