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2014年10月5日日曜日

常見藤代「女ノマド、一人砂漠に生きる」(集英社新書)

2012年の初版なので、当時流行していた「ノマド本」と間違われることも多かったであろう本書。
内容は、エジプトの砂漠に住む女性(かなりの高齢だが)のところへ、日本の会社を辞め、フォトジャーナリスト志望の若い女性が、砂漠の生活を何度かともにする、そうした何年かの記録である。

訪問は数年にわたり、はじめは4泊5日から、そして20日と砂漠の生活を送る時間も増えていく。そこで、砂漠あるいは遊牧生活というものが、我々農耕民あるいは定着人と全く異なるメンタルかというとそうでもなくて、砂漠ではあっても、そこに携帯、車といった現代文明はかっちりと根をおろしているし、また、それに伴い、人の意識も変わってくる。また、イスラム世界の一夫多婦制がもたらす、女性の人間関係の軋轢など、洋の東西を問わず、人間(ひと)の世でおきるものは、どこでもおきるのである。

さらに、

彼女の持ち物についても同じだった。最初の頃は、サイーダはラクダに積みきれるだけの荷物で暮らしていると思っていた、しかし、実は、砂漠の中に荷物置き場を数カ所持っており、すぐに必要のない荷物を保管していた。そこにはドラム缶が数個あり、色とりどりのガラビーヤが入っていた、それと一緒にマニキュアや手鏡数個、スカーフ数枚、指輪3個・・・なども。(P244)

のように、そもそも身近な物以外は持たない、というノマドあるいは遊牧民への、定着民の勝手な幻想も、そこここで壊されるのも面白い。

一方で例えば

鍋に小麦粉と水、塩ひとつまみを入れ、ゆっくりとこねる。こね終わる少し前に、山のように盛り上げた枯れ木に火をつけておく
枯れ木が炭になったところで、それらを脇にどけ、」熱くなった地面に平たくしたパン生地を置く。それに炭をのせて片面を焼く。時々棒で表面を触って、焼き具合を確かめる
片面が焼けた頃を見計らって、生地を裏返し、もう片面も焼く
表面についた廃を布でパンパンと勢いよくはたく。ところどころにできた焦げ目を小石で削り落とせばできあがり(P34)

という「ゴルス」という炭と砂で焼くパンや結婚における

遊牧民同士の結婚では、男が新生活に必要な物すべてを用意する。しかし、相手が遊牧民ではない場合、新郎新婦それぞれが分担しあうのが普通(P155)

という風習や女性が人前に出ることが戒律で極度に制限されているがゆえの

結婚した女性の異性との接点は、夫婦間に限りなく限定されていく。そして夫婦関係は緊密になり。それが相手への強い執着につながる(P190)

という性向には、砂漠特有のものやイスラムならではのものを感じさせるし、

遊牧生活は、天候など周囲の環境に大きく左右される。家畜を増やしたくとも、雨が降ってく差が生えなければ、どうすることもできない。そんな彼らの置かれた状況が、運を天にまかせる。すなわち人間以外のもっと大きな、神のような存在を信じる姿勢につながっているのではないか(P80)

には、植物が放っておいても繁茂する、「湿気の多い」島国のメンタリティとは異なる「一神教」の世界を垣間みるような気がする。

ただ、そうはあっても、変わらない、共通するものはある。
世界の隅々まで機械化と断片化とネットワーク化が進んできたことのあらわれなのだろうか、砂漠の民もやはり「自由への渇望」は強いらしく、居住地で働く20代の男性の「昔の遊牧生活は体力的にキツくて収入も少なかったけど、自由に働けるのがよかった」や「昔は仕事は今より大変だったけど、みんな助け合った。今はみんあ自分のことしか考えちゃいな。人のつながりは弱くなってしまった」といった話や「今は1つの場所にたくさんの人が集まっているから、問題が起こる。ずっと昔から、私たちは離れて暮らしてきた。でも心は近かった。今は近くに暮らしてても心は遠い」は、ここ極東の地でも同じようなことが囁かれているのではないか。

昔の姿を懐かしむ意識、しかし、定住を含めた現代文明の流れはとめようもなく、心があちこちできしんでくる、そういった思いを感じさせる「砂漠の滞在記」である。

2012年8月25日土曜日

仲村清司 「ほんとうは怖い沖縄」(新潮文庫)

沖縄ものというのは、旅行記にしろ移住記にしろ、国内ではあるがその歴史と気候が影響しているのかお手軽な異国情緒に溢れていているので、結構好みで、この筆者の「どたばた移住夫婦の沖縄なんくる日和」などはこのブログでもレビューさせてもらってもいるのだが、年月を経て筆者の近辺にも大きな変化が起きていたとは、なんとも・・・なのだが、一風変わった今回の沖縄本が仕上がったのは、そのお陰かもしれない。

構成は

まえがき 心霊列島・沖縄

第1章 私のデージ怖~い体験

 こうして僕は引っ越した/生き霊/魂を落とした人/女の子/カジョーラー/那覇の迷宮空間・三越裏

第2章 沖縄にいると、なにか見えてくる

 見えないものが見える人/ユタ/ヒヌカン/トイレの神様/線香/キジムナーとケンムン

第3章 ウートゥートゥー異次元空間

 口難口事にご用心/家相/海/御嶽/墓の中

第4章 激戦地・沖縄の怖~い戦跡スポット

 豊見城海軍司令部壕/米兵の幽霊/新都心/南部戦跡・糸数壕

第5章 よく出る心霊スポット

 瀬長島/齋場御嶽/大山貝塚/七つ島/久高島/識名坂

あとがきにかえて

まだまだある噂の心霊スポット

という形となっていて、筆者や筆者の周辺の人たちの経験談や聞き取りなどで、沖縄の不思議・怪奇な話やスポットの紹介なのだが、筆者自身が「霊的なものは全く感じない」といっているだけあって自身の目撃談とかはなく、目撃談的なものも非常に冷静な抑えた形で記されているので、そのあたりは心霊際物的な著述ではないことは請け合ってもいい。ただ、もともと自然信仰的なものが色濃く残っている上に、薩摩の支配から太平洋戦争、アメリカ支配、そして日本への復帰後の激変ともいえる開発などが重なり合ってきているのだから、様々な話があったとしてもおかしくはない地域ではある。


とりわけ、ちょっと背筋が寒くなるのは、筆者の実体験である、移住後の離婚等私生活での問題が発生してきていたあたりの回想談である。何かに憑かれて末吉宮に参詣するところとか、女の子の姿を見る、本書のかなり前半のところ。比べると後半にいきとりあげる範囲が沖縄全域や周辺諸島部に広がるにつれ、少し茫漠としてくる気配があるのは残念か。

まあ、実話の怪奇本ではないから、南国の観光地という側面だけではなく、様々な歴史と感情の上に立脚する「沖縄」「琉球」という土地の開設本として読めばよいのかもしれないですね。

2011年3月31日木曜日

ゲッツ板谷 「ベトナム怪人紀行」(角川文庫)

=この記事は「辺境駐在員のブックレビュー」に掲載(2005.10.8)したものです=


日本の怪人、ゲッツとカモちゃんが、今回はベトナムに挑む。今回の旅の不幸な道連れは

ベトナムで日本のテレビ番組のコーディネートをしている鈴木君。

「タイ紀行」と違い、最初は、耳掃除の心地よさやらフォーやラウ・マム(寄せ鍋)をはじめとするベトナム料理のうまさから始まる。なんか雰囲気違うと思うことしきり。「タイ紀行」ではケンカしてる場面が多かったのだがなー。最後は、絶滅が危惧される手乗り鹿を食する話・・・(やっぱり、ここに落ち着くか)。

料理の話が出てくるのは最後まで一貫している。あちこちでの特色ある料理(中には「犬料理」も含まれるのだが)が紹介され、美味そうに描かれている。


お決まりのオカマの人も登場する。タイといいベトナムといい東南アジアでは、大概の本でオカマが登場するのは何故だろう。今回はやけに純粋で可憐なオカマ少年が登場。
この本のオカマ少年もどことなく寂しげである。

と、しんみりしていたかと思うと、突然、○欲まっさかりみたいなことになるのが、この本のよいところ。ベトナム中部で、一人旅をしている独身日本女性に会った途端、変貌していまうわけだ。まあ、最後は、何もなく別れてしまうのが定番なのだが、妙に、このあたりは文体がはずんでいるのがおかしい。

後は、カブトムシ捕獲で一攫千金を狙う話や「犬料理」の話など。「犬」のハムのは、味は悪くないのだが、「犬」の姿を思い浮かべた途端吐き気がこみ上げたというくだりには、愛玩物としてしか認識できない私たちの限界を思う。

今回は、やはりベトナムということで、ベトナム戦争の負の遺産からは自由になれない。随所にベトナム戦争の枯葉剤の影響がでている子供たちや、負けた側の南ベトナムの兵士の話がでてくる。
さらには、太平洋戦争の時に置き去りにされた日本人だと主張するベトナム人。ところが、途中で、カンボジアのポリ・ポト軍を攻めたフン・セン軍に参加した兵士の話から様相が異なってくる。被侵略者であったベトナムが、解放者という名の侵略者へ変わった話など。随所に、元兵士へのインタビューもあり、要所要所を引き締めている。

全体として、「タイ怪人紀行」に比べ、少し重い。それはベトナム戦争こともあるのだろうが、タイとベトナムの違いも影響しているのかもしれない。

2008年10月19日日曜日

ラオス青年に失恋して傷心旅行 -- たかのてるこ「ダライ・ラマに恋して」(幻冬舎文庫)

なんで「ダライ・ラマ」なんだ?と思ったら、どうやら前作で恋仲になったラオス青年に大失恋したのが原因らしい。

前作は、かなりまとまりのない、純愛路線満載で、この旅行記はいったいどうなるんだ、ってな具合だったのだが、今回は恋愛ネタなし(もっとも、ダライ・ラマさま〜ってな具合はあるのだが)のチベット旅行記である。


チベットというところは、ググってみればわかるように、中国の自治区であるところと、インド領とに分かれていて、ダライ・ラマはインド領の方に亡命していて、今回の旅行記は、そのどちらも旅することになる。


チベット自治区では、インド領のダラムサラへの亡命を夢見るチベット人青年や、「もともとチベットは中国のものだから」と言う、近々、チベットの娘さんと結婚する中国人青年に会ったりして、それなりに今のチベットの置かれている状態を考えさせられたりするのだが、まあ、そうした生臭い話は、ちょっとおいておこう。

で、ダライ・ラマと面会できるかもしれないとわずかな期待を抱いて訪れたインドのラダックやダラムサラは民間のシャーマンと会ったり、ナグラン祭りのシャーマンにおもちゃの剣でどつかれたり、前世の記憶のある少女に会ったり、とか、それなりに様々なことはあるのだが、全体として静謐な印象を与えるのは、チベットという土地のもつ性格ゆえなのだろうか。


最後は、ダライ・ラマに会って、目出度し、目出度しになるのだが、このシリーズの中では、ドタバタ感の少ない旅行記であります。

2008年10月12日日曜日

ラオスで恋愛モード炸裂 -- たかのてるこ「モンキームーンの輝く夜に」(幻冬舎文庫)

「モロッコで断食(ラマダーン)」に続く、たかのてるこさんの旅本第4弾。

この人の旅本は、冊数を重ねるに従って、恋愛モードが高まっていくのだが、今回の「モンキームーンの輝く夜に」は、もう恋愛、恋愛、恋愛・・・・、と恋愛モード満開といったところである。

訪れる国は「ラオス」。
お決まりのように、「ラオス」ってのは? と、Wikipediaで調べると、


ラオス人民民主共和国(ラオスじんみんみんしゅきょうわこく)、通称ラオスは、東南アジアの内陸国。北西のミャンマーと中華人民共和国、東のベトナム、南のカンボジア、西のタイの5カ国と国境を接する。


といったところで、社会主義の国らしいのだが、他の社会主義国と同じく西側諸国とのつながりも必須となっているらしく、また、地理的な面からタイやベトナムとの関係ぬきにしては経済が立ち行かない状態のようだ。

で、今回は、恋愛の相手となるラオス青年(なんと10歳年下だ)に、ピエンチャンで、日本語で話しかけられるところがプロローグになっている。

今回は、最初から恋愛モード炸裂である。まあ、本編は、最初は、ピエンチャンの市場で、土産物店の親子に昼ご飯をご馳走になったり、途中で知り合った青年たちとビアパーティーに行ったり、と、いつもの人懐っこい筆者の旅で始まるのだが、途中、今回の純愛旅のお相手であるラオス人青年「シノアン」と出会ったあたりから、話は、どんどん、どんどん、恋愛モード全開になってくるのである。

まあ、一旦、ピエンチャン近くの、彼の村で恋愛モードになった後に、一人で北ラオスに旅立って、ルアンパパーンと言う町で若い坊さんばかりの寺に遊びにいったり、ルアンナムターという町で、英語学校の臨時生徒になったり、コンドームの普及に歩いている青年たちに会ったり、とそれなりの旅の風情はあるのだが、どうも、今回は、底の方に「恋愛、恋愛・・・・」があって、どうにも、お尻のあたりがこそばゆい。


だが、そうはいっても旅は旅。旅の終わりは確実にやってくる。留学試験に受かって、日本に行くという青年と泣く泣く、ラオスの空港で、涙ながらの別れをすることになる。
日本とラオスと離ればなれになりながら、「早く一緒になりたいよー」とインターネットメールで、不安を持ちながらも、愛を確かめ会う恋人たち。果たして、二人は、いつ結ばれるのでしょうか・・・・?

といったところで、今回のお話は終わる。
さてさて結末は、というところだが、結果は次作「ダライラマに恋して」を待て、といったところ。

うーむ。年くったおじさんとしては、ちょっと今回のネタは辛かったのが、本音である。

2008年7月19日土曜日

奥田英朗「港町食堂」(新潮文庫)

直木賞作家の奥田英朗氏(といっても、すいません、私、この人の小説呼んだことがありません、ゴメンナサイ。)の日本の港町を訪ねる旅行記。
 
なんだ、よくある日本の田舎の港町旅行記かと最初は思うのだが、この旅行エッセイは、すべてフェリーか何か船を使って寄港するあたりが斬新なところ。
 
訪れる港町は
  土佐清水
  五島列島
  男鹿半島
  釜山(プサン)
  新潟、佐渡
  稚内、礼文島
といったところで、貿易やら観光やら、それなりに盛んなところであるはずなのだが、どういうわけか礼文は真冬に訪れたり、なんとなくうらぶれて印象をもってしまうのは、この作家の持ち味なのだろうか。
 
作家と雑誌社の旅行でありながら、フェリーの個室に泊まらせてもらっているのは最初の時ぐらいで、後は、二等かそれ以下の雑魚寝といった扱いで、そのあたりも、なんとなく貧乏旅行っぽさが漂う。
 
旅行エッセイというと、初めキャピキャピ、最後は説教、といったところに堕してしまうのが、私の最も嫌いなパターンなのだが、大丈夫、この「港町食堂」は、きちんとそれぞれの港町の定番名物料理から、なんということはない喫茶店のカツカレーまで食べて、余計な美食談義はしない。そこで味わえる料理に、うまければ素直に感心し、夕食のあとの〆は、近くのスナックで、そこの若いおネエちゃんと盛り上がるという具合で、なんというか、安心して、サクサクと読めてしまうのである。
 
ということで、一番うまそうで、この旅行エッセイの旨味がでていると思う場面の一節を抜粋(「食い意地のせいなのか? 日本海篇」)
 
 
 イカの刺身、なかなか到着せず。忘れてるんですかね。時間はかからないでしょう、捌くだけだから。
 タロウ君に厨房をのぞかせると女将さんの姿がなかった。ええと、どこへ?
 窓から外の様子をうかがう。女将さんが港からイカを一杯ぶら下げて歩いてきた。あらま、注文も受けてから仕入れに行ったのか。なにやらうれしくなってきた。
 出てきたイカ刺しは甘くて弾力があって、最高の逸品であった。獲れたてとはこんなにおいしいものなのか。ワサビを醤油に溶かし、ちょいと付け、熱々のご飯に載せて、わしわしとかき込む。ほっほっほ。高笑いしたくなるではありませんか。</font>
 
 
どうです。
 

ちょっと、暇で、でも気難しい気分にはなりたくない時にオススメの旅行エッセイであります。

2007年6月25日月曜日

沖縄ナンデモ調査隊「沖縄のナ・ン・ダ」(双葉文庫)

沖縄に生まれ育ったライターや沖縄に移り住んだライターで結成している「沖縄ナンデモ調査隊」による、とりあえず、沖縄のナンデモ本。
 
収録されている内容は
 
・沖縄でなぜ低収入で暮らせるか
・なぜ沖縄の定食は大盛りなのか
 
といった話題から
 
・沖縄人はなぜ歩かないのか(近所でもなぜ車を使うのか)
 
 
・沖縄の飲み屋にはなぜ子供がいるのか
 
はたまた
 
・妖怪キジムナーは存在するか
・沖縄の墓はなぜあんなに大きいか
・マブイ(魂)を落とす?
 
などなど。
 
「オキナワ」のあれやこれやに触れてみたい人に、とりあえずおススメしよう。
ダラダラと「沖縄」を読むのも、また楽しい。

ただし、新刊本では手に入らない可能性が高いので、古本をチェックしてね。

2007年6月6日水曜日

仲村清司「ドタバタ移住夫婦の沖縄なんくる日和」(幻冬社文庫)

沖縄に魅かれて沖縄移住までしてしまった仲村清司氏とその奥さんの沖縄移住記。
下川裕治氏との共著でも出ていたが、自称「強度の恐妻家」で、この本でも、通称「ガメラ妻」のパワーの凄さは、いたるところででてくる。
なにせ、ベンチャー会社を立ち上げたばかりの旦那さんに、その会社を畳まさせて、沖縄移住をさせてしまった御仁なのである。ただ、旦那さんも売れなかった時代は、かなり面倒をみてもらった感じもあって、どっちもどっち的な感じが漂うのであるが。
 
それはさておき、沖縄移住記なのだが、移住記というよりどちらかといえば生活記という感じ。それは、移住してきて10年という年月がさせているのもあるだろうし、沖縄で、ツアーコンダクターとかインストラクターやホテル経営といった職業ではなく、物書きとそれに付随する会社経営という、どちらといえば定着系の仕事であるせいもあるのだろう。「沖縄」の移住記というと、ピカピカした沖縄ばかりが語られることが多いだが、うらぶれた沖縄を含めた、「オキナワ」の暮らしが垣間見えるところが、この本の良いところだろう。
 
個人的な好みをいえば、沖縄のチャンプルの誕生話とか、通常の店の3〜6倍の量があって、もちかえりが通例であった超大盛り食堂「かっちゃん食堂」の伝説とか、やはり大盛り系の食べ物の話題が一番。
 
やはり旅本の圧巻は、「喰い物」だな。
 
 
<2014.9.14追記>
最近の著述をみると、奥さんとは離婚されたようですね。とても元気で仲の良さそうな印象を受けていましたが。

中古でしか、この本も手に入らないようですし、この件、そっとしておいたほうが良いのかもしれない・・

2007年3月25日日曜日

中谷美紀 「インド旅行記 東・西インド編」(幻冬社文庫)

北、南と続いた中谷美紀さんのインド旅行記もこれでインド完全制覇の「東・西インド編」である。
 
 
この旅、忙しい女優業の合間を縫って断続的に、2005年の8月から2006年の1月にかけての4回にわたった合計3月の旅である。
しかし、しかしですよ、3ケ月のインドの一人旅といえば、立派なバックパッカーのような旅ではないですか。うーむ、やるなー。
 
 
東インドの旅の主要な部分は、シッキムを出発点にした、カンチェンジェンガへのトレッキング。トレッキング中のできごともそれなりに面白いのだが、一番は、近くのナーランダやブッダガヤで珍しく宗教談義になっていくのが興味深い。高地っていうのは、人間を神秘に近しいものにしてしまうのかな。
 
 
東インドに続く西インドではゴア(この地名で昔のとあるTV番組を思い出してしまうのは、中年の証拠か)、ムンバイから始まる旅。
高地の空気を反映してか少し冷たい感じのした東インドの旅に比べ、熱を帯びてきているように思うのは、西インドが歴史も古い上にエローラの寺院やら人臭い観光地がたくさんあるせいか、それとも、ベジタリアンをちょっと緩和して、魚ならオッケーとした筆者の心のゆとりのせいだろうか。
 
北インドのちょっとどぎまぎしていたインドの旅も、さすがに4回目ともなり、インドのそこかしこをまわった後となると、どこかしら、筆者の筆致にも旅行作家っぽい風格が出始めている。
 
 
インドの旅の最後は、こんな言葉で締められている。
「いかなる形にせよ、この瞬間をただ生きているということが何にも勝る価値のあることなのだと、改めて気付かせてくれたインドを、大好きだとは言わないが、今は好きだと言いたい。」
 
 

3ヶ月の旅を終わり、控えめなインドフリークが誕生したように思うのは私だけかな。

2007年3月24日土曜日

中谷美紀 「インド旅行記2 南インド編」(幻冬社文庫)

北インドへの一人旅であった「インド旅行記」の続編である。
 
 
今度は南インドである。「インド」というところは、人により好嫌いがはっきり分かれる国だとは、さまざまな旅行記に書かれてあって、どうやら中谷美紀さんは、インド好きの方に分類されてきたようだ。
 
今回の旅は、バンガロール、チェンナイ(マドラス)、コーチン、マイソールなどなど、地図でみると、インドの逆三角形の大陸のとんがった方への旅。
 
 
こうした旅行記を読む楽しみの一つに旅行先の食べ物の話や地元の人とのやりとりを読むことがあって、地元で有名なベジタリアンレストランでの食事や「インド人の家庭の味」あたりのマドゥライのガイドの家庭で家庭料理を御馳走になるあたりやココナツミルクの匂いにやられて、だんだんと食が進まなくなり、イタリア料理やインド式タイ料理に逃避したりといった話は、インドにずぶずぶ浸かってしまって、「インドのものはなんでも一番」になろうとしない結構意地っ張りの女優さんらしく、妙な好感を抱いてしまう。
 

ガイドらしい働きをしないガイドとか、ヨガのクラスに関係していそうなのだが、怪しげな薬の臭いがぷんぷんする怪しい人物とか、インドにありがちで、やはりインドらしい、インド定番のキャストもきちんと登場してくるし、どちらかというとストイックにヨガの修行をできるところを探していたような北インドの旅と趣が変わって、どちらかというと「なじみのインド」らしい仕上りになっている旅行記である。

2006年10月2日月曜日

モロッコ男はかなりチャラい -- たかのてるこ「サハラ砂漠の王子さま」(幻冬社文庫)

大学4年の春のインド一人旅から数月後、やっとの思いで「東映」に就職を決めた筆者の卒業旅行の旅本。
 
目指すは「モロッコ」!!!である。
 
でも、この「モロッコ」ってな選択、普通の女の子はしないんじゃないかな、と思うのだが、モロッコまでの行き道はパリ、スペインと経由していくので、著者も普通の若い女の子の部分あったのね・・・と、ちょっと安心する。
 
で、そのパリからスペインまでなのだが、前作のインド旅行とはちょっと違う。パリでは、同じく卒業間近の美大生と同行したり、スペインでは高校の同級生と再会して、シエラ・ネバダ山脈でスキーをしたり、なんか前作と雰囲気違って、チャラついてるぞー、と思っていたら・・・
 
・・・・モロッコでもそうでした・・・・
 
なにしろ、モロッコ行きのフェリーの中で、乗組員から「結婚しよー」と迫られたり、タンジェという町のレストランでは、トイレで店のボーイに抱きつかれたり、カサブランカで泊まったYMCAでは、アベックの彼女同意のもとで男のほうから襲われそうになるし、このフェロモン出しまくり状態、危険度満載の滑り出しなのである。
 
なにやら、モロッコの男ってのは、イスラムの戒律が厳しい分、肌を見せてる女性はとにかく口説こうってな感じになってしまうのか?ってな誤解をしてしまいそうなぐらいなのである。
で、最後の極めつけは、バルセロナっ子の男の子と、サハラ砂漠の野宿をきっかけにした、ほんの短い間の恋物語である。
 
 
今回のこの本は、どっちかというと「旅本」というよりは「青春記」みたいな感が強くて、モロッコの雰囲気に浸りたいなー、という人や、旅の風情に浸りたいなーってな人には、ちょっと食いたりない仕上り。
 
 

若い娘さんの青春卒業旅行記と思って読みましょう。

2006年9月17日日曜日

ガンジス河で泳ぐととんでもないものにぶつかるぞ --たかのてるこ「ガンジス河でバタフライ」(幻冬社文庫)

なんとなく精神的にというか、人付き合いや世間のあれこれが面倒臭くなって疲れてきた時に、旅本をやたら読み耽る癖があって、今がその時期である。
力が戻ってきたら、ミステリーやSF、果ては歴史物までわしわしと読み進めたいのだが、ちょっと今はダラダラと疑似旅行をしているところ。
 
 
で、そんな今、書店で思わず手にとったのが、本書である。
表紙は若そうな女性がでかい河か海で泳いでいる姿がどんと写っていて、「なんじゃこりゃ」と思ったのがきっかけだった。
 
 
女性の旅本の書き手といえば、私的には岸本葉子さんを一番にあげたくて、彼女のちょっと上品っぽいというかお嬢さんっぽい旅行記やら留学記が好きだったのだが、この本の作者、たかのてるこさんの語り口はちょっとそれとは違う。下品っぽいのだが猥雑ではない、チャラついているようで以外に根をはっている、そんな感じである。
 
収録は
 
TRAVEL アジア編
 
TRAVEL インド編
 
のふたつで、「アジア編」の方が、初めての海外旅行。それも当然,貧乏バックパッカー旅行。インド編が、その数年後の大学の卒業旅行である。
 
 
海外一人旅にでかける動機っていうのが、「自分を変える」というか「変わりたい」っていうところで、この辺はそんじょそこらの旅行記とあまり変わらないのだが、思わず笑ってしまうのが、一人海外旅に出ると決めた後、死ぬかもしれん、日本に帰ってこれへんかもしれん、と友人にやたらめったら電話をかけまくるあたり。
かけられた友人も、海外のおっかない話をわんさと喋ゃべくる、とんでもない友人だったりする。
 

で、まあ「アジア編」は、香港、シンガポール、マレーシアと東南アジアの「キレイ系一人旅」である(もうひとつの「汗クサイ系一人旅」=タイ、ヴェトナム、ラオスの旅とは、ちょっと違うのだ)。
 
男ばっかり泊まっているドミトリーに一人泊まってどぎまぎしたり、シンガポールで宿の従業員の青年に「シンガポールが憧れだった」と妙な主張をして、とんでもなく親切にされたり、マレーシアでは夜に駅で女性が列車を待っているのは危険だと、見ず知らずの人に自分の家に泊まれといわれ、歓待をうけたり、とか「結構、いろんなことやってるじゃないの」といった感じで、いろんな人に出会い、いろんな親切を受け、さあ、これでスキさえあれば海外を放浪しようという「バックパッカーの出来上がりー」というところである。
 
 
続く「インド編」は、そうしたバックパッカーの聖地というか、はまる奴はとことんはまるし、合わない奴はとことん合わないという、わがまま大陸「インド」である。
 
どうも筆者のお兄さんがインドで伝染病にかかったりしてとんでもない目に遭っているせいか、最初旅立つ前はおっかなびっくりというか、そんなに怖いのに行くのか?ってな具合なのだが、ついた時が「ホーリー」というインドの祭のときで、すっかりそのハチャメチャな雰囲気に洗脳されて、「インド」にどっぷり浸かって、馴染んでしまうのが、この人の凄いところである。
 
で、馴染んだところで旅するところは、カルカッタ、ブッダガヤ、バラナシである。
どうも、このインドというところ、ニューデリー系を旅する人とバラナシ系を旅する人の旅行記には微妙な違いがあるような気がして、バラナシ系の人の方は、どことなく「南」のノー天気さが強いような気がする。
そんなわけで、インドでもカルカッタでは到着した早々、祭の色水の洗礼を浴びてダンダラの初められるし、ブッダガヤでは、寺院のボッタクリのおっさんを日本で悪名高いと脅したり、途中の列車で知り合った人の家にしっかり御世話になったりしている。
 
そして「バラナシ」である。
 
ガンジスのほとりの超有名巡礼地なので、人によってはボラレタり、遺体を火葬する様子を見ようとして、遺族の追いかけられたりサンザンな目に遭う人もいるのだが、筆者の場合、相性がよいというのか、なんというのか、しっかりはまりこんでいて、地元の人もちょっと危険視する店で食事をしても、ガンジスで水浴びしても下痢一つしないし、果てはお坊さんと哲学問答までしてしまうぐらいなのである。
 
 
で、レビューの終わりはいかにもインドらしい、そうしたお坊さんとの会話を引用して終わりにしよう。
 
「ゆっくりと、自分自身を見つめることです。今、あなたは、私と話をしています。でも実は自分自身とも話をしているのです。今だけではありません。どこにいようと、常にあなたは、あなた自身と話をしているのです」
 
どうです、インドっぽいでしょう。
 
 
なにはともあれ、また一人、手練れの女性旅行記作家を発見したことを祝すとしよう。

2006年9月11日月曜日

宮嶋茂樹「不肖・宮嶋 空爆されたらサヨウナラ」(詳伝社黄金文庫)

体をはって、世界の戦場をかけめぐる、毎度おなじみのカメラマン宮嶋茂樹さんのコソボ紛争の体当り撮影記である。
 
 
と書いたところで「コソボ紛争」ってなんだったかな?と国際情勢にもかなり疎く、宮嶋氏の言葉で言えば「平和ボケ」している管理人は、素朴な疑問を抱いてしまい、ちょっとググってみる。
 
 
WikPediaによると
 
 
紛争は自治州内で90%を占めるアルバニア系住民が独立運動を行なったことにセルビア系住民及び連邦・セルビア政府が反発したことに端を発する。 
 
コソボ自治州ではチトー時代の1974年憲法により大幅な自治権が認められていたが、セルビア当局は1990年7月、自治州政府・議会を廃止、事実上自治権を剥奪した。これを受けて9月には
アルバニア人議員が「コソボ共和国」の独立を宣言する。 
 
しかし「コソボ共和国」は国際社会からも無視され、1995年のボスニア紛争終結の和平会議でもまったく顧みられることはなかった。 
 
一向に進展しない情勢に業を煮やしたアルバニア系住民の中には、ルコバの非暴力主義では埒が明かないと、武力闘争を辞さない強硬派のコソボ解放軍(KLA)を支持する者も多くなった。
 
またアメリカやEUがコソボ解放軍を支援していたとの情報もある。コソボ解放軍は1997年7月頃からセルビア系住民へ対しての殺害や誘拐などのテロ活動を行うようになり、1998年には遂にユーゴ連邦政府は反乱を鎮定するべく連邦軍を送り込み、コソボ解放軍との間で戦闘となった。 
 
 
というあたりが発端らしい。そして
 
 
1999年3月、コソボ問題の和平交渉が行われたが、その最終段階でコソボだけではなくユーゴ全域を実質的に占領するという和平案をアメリカが提出したため、ユーゴ側はこれを拒否した。それを口実にNATO軍は制裁の空爆を行った。 
 
2000年にセルビア軍はコソボから撤退し、一応の終結。以後、コソボは国連の監視下に置かれているが、今度はセルビア系住民に対するアルバニア系住民の迫害が問題となり、セルビア系住民の多くが難民となってコソボを追い出された。 
 
 
ということらしいのだが、それなりに当時は日本でも報道がされていたのだろうが、いつのまにかコソボどころかセルビアなんて国のことどもも、きれいさっぱり消えてしまっているところの、なんというか時代の流れの秦さというか、私たちの移り気なところをつかれてような気がするのだが、まあ、それはさておき、宮嶋カメラマンのコソボ潜入記である。 
 
 
で、読み口は、あいかわらずの軽妙な語り口。
 
なぜかギリシアに舞い戻ってしまった最初の潜入行の様子から、
 
車は借りれてもガソリンがないベオグラード、
 
そして、NATOの空爆で炎上する内務省のシャッターチャンスをを逃してしまったり、
 
千載一遇の撮影チャンスのコソボ・ツアーには、大メディアの後ろだてのないためあやうく落選しかかったり、
 
とか、
 
なんでもあり(なし か?)の状態に直面しながらも、その語り口のおかげか、いやらしい深刻味を感じさせないのは、この人の著作に共通している。
 
 
まあ、紛争の現場、戦争の現場なんてのは、どんなに深刻ぶった語り口で語られても、実体験していない「平和」な我々には、どうしても他所事になってしまうのが通例。こうした軽い語り口で語らないと、語れないような実体験もあるのだろうな、と想像の及ばないところを、敢えて想像してみようと試みるが、なかなか、そううまくいくものでもない。 
 
で、本の終わりは、停戦前にベオグラードをどうにかこうにか脱出して、コソボ解放は安全なところで見守ることになるのだが、その後、コソボがどうなったかというと 
 
 
コソボは形式上は未だにセルビア共和国に帰属しているが、事実上の独立国となっている。
 
しかし、旧ユーゴスラビア連邦の中で、コソボは最も貧しい地域であり、最先進地域でEU加盟も果たしたスロベニアとは8倍もの経済格差がある。
 
国家再生の足かせになるコソボに対し、セルビアが断固として独立を認めなかった理由は、それはコソボは中世セルビア王国の首都が置かれた場所であり、セルビア正教の聖地でもあったことである。1389年セルビア王国はコソボの戦いにおいてオスマントルコ帝国に敗れ、以後長らくコソボをオスマン支配下に置かれたこともある。
 
コソボは民族の栄光と悲劇を象徴する場所でもあった。 

 
 
ということらしく、なにやら経済だけでなく民族の記憶やら民族意識といったものが絡み合っているようで、まだ闇は深そうだ。

2006年9月4日月曜日

沖縄ナンデモ調査隊「沖縄美味(ウマイ)のナ・ン・ダ」(双葉文庫)

ひさびさのエントリーで、ちょっと気張ってみようかな、とも思ったのだが、結局「食べ物本」でしかも「沖縄本」に落ち着いてしまった。
章立ては
第1章 コンビニエンスストアーなじみの店で発見したオキナワ
第2章 スーパーマーケットー常備しておきたい沖縄の味のもと
第3章 市場ー公設市場で見つけた気になる沖縄素材たち
第4章 沖縄菓子屋ー小腹が空いたおやつどき3時の危険地帯
第5章 健康食品ー長寿社会を支える沖縄の秘密兵器
第6章 食い物屋・飲み屋ー世界に類をみない個性的ひと皿
第7章 沖縄の食卓ー覗いてみたい沖縄伝承の味
第8章 沖縄食材お持ち帰りーこだわりの味を再現実験してみる
で、この章立てを見てもわかるように、単なる沖縄の名物料理の紹介本ではない。というよりも、沖縄の家庭からスーパーマーケットまでの、沖縄で暮らしている人が日常、気にもとめずに食べ、飲んでいる食べ物をあれやこれやと取り上げた一冊である。
とりあげられるものは、チャンプルーやポーク玉子、泡盛から島豆腐や、果てはくるま麸、シマナからダシ昆布まで、と幅広い。
しかも、執筆している人たちが、沖縄生まれで今も沖縄に住んでいる人から、今は本土(っていう表現でよいのかな、ウツナーンチュー的には)に住んでいる人から、本土生まれで沖縄に深く見せられてしまった、いわゆる沖縄中毒の方たちまでと、これまた幅広いのが、沖縄の美味いものの紹介本としての厚みを出している。
どんな食べ物がでてくるのかは、この本を買って、じっくり賞味していただきたいが、ちょっと紹介すると
ジャンクフード系では
缶詰食品のポークランチョンミートのスライスと卵を焼いて、それにライスがつく大衆食堂の定番料理の「ポーク玉子」をそのままおにぎりにした「ポーク玉子おにぎり」
とか

ご飯にトンカツ3切れ、揚げたポークランチョンミート、チキン空揚1個、エビクリークコロッケ3切れ、卵焼き(トマトケチャップかけ)、豚ショウガ焼き、野菜は、きんぴらごぼうとカラシ菜漬けがほんの少し、これに沖縄そばがつくというカロリーと胸やけのかたまりのような「ウチナー弁当」
などなどや、
凝った、変わったところでは
豚の内蔵をよく洗って、2、3時間ぐらい沸騰させた湯で何度も煮て、最後に鰹節の中にゆでた中味(内蔵、まさに中身だ)とシイタケ、コンニャクなどを煮た「中味汁」(中身ではなく、中味らしい)
キャベツやニンジン、タマネギなどの野菜とポークを炒めたものを卵でとし、それを皿盛りのご飯の上にかけ、スプーンで食べる「チャンポン」
や、
究極の家庭料理ともいうべき
お椀にカツオ節をたっぷりと入れ、湯を注いで、醤油か味噌で味を調整するだけの超インスタント料理「カチューユ」
とか
まあ、なんとも乱暴なのだが、そのくせ、興味をひきそうな沖縄モノがわさわさと出てくるのである。
沖縄といえば、青い澄んだ海や白い浜を惹かれる人ばかりではなくて、こうした一見怪しげでありながら食欲を刺激する食べ物に惹かれる人もおなじくらいいるはず。
そうした砂浜よりも市場を彷徨うのが好きな人たちには是非勧めたい一冊である。

2006年2月8日水曜日

林 巧 「アジアもののけ、島めぐり」 (光文社文庫)

副題が「妖怪と暮らす人々を訪ねて」で、訪問するところは、バリ、沖縄、ボルネオである。それぞれの地を訪ね、人に会い、それを綴る、という旅行記の基本はおさえてあるのだが、ちょっと普通の旅行記とは違う。

それは、目に見えるもののレポートだけでなく、目に見えないもの、いわゆる「おばけ」を見ようとする、あるいは感じようとする旅でもあるからだろう。
そして、いわゆる異世界探訪ものとは、また違うのは、そうした目に見えない世界を、我々の住む世界とは異なる世界としてリポートしようとするのではなく、我々と地続きの世界としてレポートしようとしているからだろう。


こうした「もののけ」や「おばけ」を身近に感じながら生活する、生きるということは、私たちの普段の暮らしを、端の方からその存在を揺るがすものとなる。

筆者が、


人はただ暮しやすい場所を選んで、世界全体のほんの片隅で暮している、ということがボルネオでは疑いようもなくわかる。

世界は人間だけのものではない。人が知ることのできない、いろいろなものごとがボルネオではどこかで確実におこっている。


というとき、私たちの暮らしというのが、目に見えないものも含めた広大な"世界"の中で、ごく小さな居場所しかもっていないことに、あらためて気づかされるのである。

終わりには、水木しげる氏と京極夏彦氏のエッセーが寄せられている。

その京極夏彦氏の 文書を引用して、この書の実相を象徴するよすがとしよう。


私達の国は博物学的視座に立つことによって要領よく近代化を成し遂げたような感がある。それ以来私達は、恰も西洋人が興味本位で東洋の文化を眺めるように自分達の本来の姿を自分達の生活から切り離して眺めていはしないか。そうだとすればその、ある意味高みから見下ろす視線こそが、私達と「島」を切り離している理由なのだろう。私達が忘れてしまったこととは、即ち自分達の姿をありのままに見据えるまなざしなのである。


私達の暮らしは、世界の、ほんの一部分を占めているにすぎない・・・

阿川佐和子 「タタタタ旅の素」 (文春文庫)

阿川佐和子さんの旅本・・・というより旅をテーマにしたエッセイである。阿川佐和子さんといえば、週刊文春の、上品だが切れ味鋭いインタビュアーである。こうした人の旅エッセイだから、きっと切れ味鋭すぎて・・うー、と思ったら大間違い、なんともほぁっとしたエッセイである。

舞台となる国というか地域は、それこそ多種多様。でも、どちらかというと外国でいうとアメリカ、香港、シンガポール、ヨーロッパ、日本では京都、軽井沢、長野、広島といったあたりが舞台となるのは、そこらのバックパッカーの旅本とは違うところ。どことなく上品である。

しかし、文中にでてくる話やエピソードは、ありきたりの旅本と違って、うーむとうならされるところが多い。

たとえば、

世の中には、道を聞くという行為に対して消極的な人がいる。地図を見てもわからない。間違った道を来てしまったか。困ってしばし立ち止まり・・・・と、この段階において、なお、じっと考え込み、あるいはとことん歩き回り、なんとしても自力で見つけ出してやると頑張る人がいる

てなあたり、「あ、俺だ」と思ったり、

どうも父君や兄君と違って乗り物オタクではなさそうだな、と安心したり、

シンガポールでお気に入りの土産物が「ハッピーブッダ」であることや、新幹線や飛行機で移動していることを求めながら、そのスピードになんか疲れてしまったりすることに思わず同感してしまったり、

なんとなく、年上の人でありながら、可愛らしくて、なんとも許せてしまうのである。

だからだろうか、

日本人は、山というものを「景観」として認識しているそうだ。友人の山持ちに教えられたことがある。彼曰く、西洋人が山を、「生活の場」と理解するのに対して日本人はむしろ、遠くから見て物思いに耽る。だから、山を「管理する」とか森を「育てる」という意識が薄いのだという。



絶対安全なんてところは世界中どこを探したってありゃしないよ。問題は、自分自身がどの程度その町の危険性を認識して生活するかってことさ

ってなお説教にも素直に「ハイ」と言ってしまうのだ。

まあ、なんとも、はんなりとした旅行エッセイであります。

2006年2月1日水曜日

中谷美紀 「インド旅行記1 北インド編」(幻冬社文庫)

旅本というのは、旅の記録を読むというほかに、著者を読んでいるようなところがあって、著者の旅ぶりがしっくりくると、その著者のものを続けて読んでしまうが、そりがあわなかったりすると、どうにも読み進められないきらいがある。

そういった意味で、女優さんや歌い手さんの書く旅本というのは、あたりはずれがおおきいのだが、中谷美紀さんのこの本は、美人で神経質な雰囲気がそこかしこにでているあたりが、かえってしっくりきた。

なにしろ、旅の発端というかきっかけは「嫌われ松子の一生」の映画撮影に、とことん絞り尽くされたあげくなのだが、その目的が、「ヨガ」「インド」なのである。
キレーな女優さんなら 「ヨーロッパ」やろー!! 「エステ」やろー!!と思わず呟いてしまうのだが、そのインドを一人旅してしまうところが、この旅本がありきたりの女優の旅本とは違うところだろう。

で、インドはというと、やっぱりインドはインドである。こうした女優さんがヨガをやりに来ようが、その女優さんが、インドで突然ベジタリアンに目覚め、野菜のカレーなどばかりを食して、タンドーリチキンなぞには目もくれなくなろうが、やはりインドはインドらしくて、バクシーシはあるし、ガイドやリキシャの運転士は、隙あればボロうとするし、盗難にはあうし、でも、親切な人はしっかり親切で、やっぱり暑い、という具合なのである。

こうしたインドに対して、チューブ入りワサビをもちこんで消毒(といっても、食後になめるといった乱暴なものなのだが)したり、たまには中華料理、タイ料理を食べて、東アジアの人としてのアイデンティティを取り戻したりするのだが、最終的には、「インド」に屈伏して結構ボロボロになってしまう、という定番的展開となってしまうのが、やはりインド旅行記らしい。

一定の地歩を確立している女優さんの一人旅なので、ほかのバックパッカーものと違って、きれいなところが多いし、危ないところは少ないのだが、中谷美紀さんの違った一面が覗ける旅本である。

2006年1月15日日曜日

小林紀晴 「ASIA ROAD」(講談社文庫)

デビュー作「ASIAN JAPANESE」の4年後の続編。

旅するときは1995年の夏から翌年の夏までの1年間。東京からバンコクにわたり、タイ、ベトナム、中国、台湾、沖縄、東京とめぐる、ASIAN JAPANESEの旅をなぞるかのような旅である。文章だけでなく、ふんだんに挿入されている写真がよい効果を出している。文書だけでなく、写真を読み取っていく必要のある本である。

1995年夏から1996年夏にかけてに何がおこっていたのか、Wikipediaで調べてみると、1995年は、7月にPHSサービスがはじまり、8月にベトナムがアメリカと国交回復、11月にWindows95が発売されている。7月以前に阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件がおきているから、騒然とした年であったことはまちがいない。芸能的には、安室奈美恵、TRFといた小室ファミリーが大ブレークしていた時だ。1996年は、1月に村山首相退陣、橋本首相の誕生。3月に台湾初めての総統選挙で李登輝氏が当選、7月にアトランタ五輪が開催されている。

こうした世情的には、あまり平穏とはいえない時勢の中で旅をしているのだが、こうした時勢の影響は、ほとんどない。これは、旅をするということが、その地で起こる事件、すなわち、地域と密接に関連性を有することから逃れていくことであるという風に考えれば当然のことだろう。旅して滞在する地は、さまざまに変わっていくから、事件もさまざまに変わっていく。とりわけ、この本の「旅」が地域をまわるという性格のものでなく、自分の内面へ。「地域」をてがかりにしておりていくという性格をもっているからなのかもしれない。

しかし、いくら内面への旅であっても、出会う人、出会う地域によって、内面へおりていくために手繰っていく道筋は変わっていかざるをえないだろう。

「バンコクと張り合えるのはニューヨークぐらいでしょ。ニッポンなんて目じゃないわ」というバンコクの女装している男子学生

「バンコクはタイではあってタイではないんだよ」というタイ人

ラオスの首都(ヴィエンチャン)で「出会う顔は一口でいえば、ゆるんでいた。ふわふわとほほ笑んでいるように穏やかで、とけるようだ。それは、ここが都市ではないということを明確に表している。」

「(あと10年経てば)もっと発展して、ホーチミンはほかの国の都市に劣らない街になっていると思います」と自信をもって言うベトナム人の女学生。

一番ほしいものは「もちろん、お金」、夢は「独立」という言葉が躊躇なく返ってくる上海

といった事象や人に出会うとき、やはり自らと「とうきょう」という都市とのかかわり、「日本」という国とのかかわりに結びつかざるをえない。

また、読みながら感じるのは、「ASIAN JAPANESE」での旅する地とのなにかしらの「連帯感」が希薄になっていることである。


旅をしていながらその地域、話をする人との隔たり感、筆者の孤独感が強くなっているのである。
それはボカラで「コバヤシ、汚くないね。きれいになった」といわれることに象徴されるように4年の年月が地域と人、いや筆者自体を変えているのだろう。



そして、再びの旅の終わりは、こうした言葉でしめくくられている。

「ベトナムで出会った青年は

「十年後には、この街は東京みたいになっている」
と言った。正直、かなわないと思った。少なくとも僕はそんな言葉を持ち合わせてはいない。
十年後、東京ははたして東京であり続けることができるのだろうか」

東京という言葉は「僕」あるいは「私」という言葉に置き換えられるのかもしれない。

2006年1月7日土曜日

鴨志田 穣・西原理恵子 「煮え煮え アジアパー伝」

アジアパー伝の三作目。他のシリーズ本と同じく、西原理恵子さんの漫画と鴨志田 譲さんの旅というかアジア滞在記エッセイのダブル搭載。漫画とエッセイとは別物だから、一冊で二度美味しいということか。

鴨志田さんのエッセイのほうは、まず韓国から始まる。韓国を出て東京へ留学、就職、その後再び韓国に帰って不遇を抱えているカクさんと取材旅行をしているところから始まる。とはいっても取材の様子はほとんどなく、飲む。飲む。飲むの記録である。

こんな調子で、神戸の震災の際のルポ、ミャンマーでの出家、タイでの暮らしやまわりの人々を綴っていく。だから、本音のところ、真面目なミャンマーやタイの滞在記と思ってはいけない。自らの生活と体を、わざと壊していく印象を受ける。


しかも、登場する人も、変わったというか、まっとうな人はほとんどでてこない。最初の韓国人のカクさんは祖国に不満をもちながらやっぱり熱い韓国青年であるし、タイのミヤタのおっさんは娑婆に色気をまだ持っている、どうしようもない飲んだくれだし、タイのバーの知り合いのソイは、博打にはまったタイ人でカナダへ移住するらしいが、その地で客死するか、尾羽打ち枯らしてタイへ帰ってきそうな女性だ。

本の中の一節を引用するのを許してもらえば

自分を含めて

「人を騙して生きていけるような人でもない。
 嘘がはっきりと見えてしまうんだから騙しようもない
 気が小さいのだけれども、何かになりたい、何者かになってやりたい。
 その気持ちだけで生きている人」

ような人たちのお話である。旅の楽しみや、アジアの国の生活の楽しみを期待して読んではいけないが、アジアにまつわる、ちょっと切ない思いをしたかったら一読してみてほしい。


西原さんのエッセイは、鴨志田さんをネタにしながら、日々の、あまり通常とはいえない暮らしの漫画。カメラマンと漫画家を夫婦にすると、こんな家族生活になるのかー!!とひとごとと思って読んだ。

文章と漫画がまったくマッチしていないところが妙に、goodです。

2006年1月4日水曜日

長崎快宏 「アジアケチケチ一人旅」(PHP文庫)

旅行記の楽しみは、日本とかけ離れた異国の情緒を、実際に旅することなしにふれあうこと以外に、ちょっと古い旅行本だと、今は失われてしまった外国の一時代に触れるという、ちょっとうがった楽しみがある。
この本も1998年3月に書き下ろしされたものだから7年前か、それ以上前のアジアの姿と暮らしが描かれたものといってよい。だから、旅の新しい知識を仕入れたり、穴場を発見するつもりで読むと痛い目をあうことになるが、ちょっと昔の歴史の記録やルポルタージュを読む気で読むと、かなり面白い。

舞台は、タイ・バンコクとバックパッカーのメッカ・カオサンロード(今もそうかどうかは知らないが)から始まり、パキスタン、イラン、インド、ミャンマー、韓国、フィリピンとアジアをほとんど総ナメしている。
しかも、ここにあるのは、まだ良きアジアというべき時代のアジアである。アフガニスタンはアメリカの侵攻どころかタリバンの陰すらないし、インドはまだIT革命の波にもまれていない眠れる偉大な地方のままである。そこで、現地の人と一緒に食べる食事、100円のカレーや麺類の数々は、あまり清潔とはいえないが懐かしい味がしそうであるし、道端で商売をしているのは、露天のカメラ屋や代書屋。移動の手段は、バイクを改造したトゥクトゥクである。
収録されている逸話は、旅本に定番の食べ物、安宿などにとまらない、女子学生の制服やトイレにまで及んでいるのが、この本のちょっと変わったところ。
ちょっとなつかしいアジアの旅、今はもうないかもしれないが、かってはあったアジアを疑似体験できる本である。しかも、写真ばかりでなく、アジアの屋台やトイレや食べ物などの豊富なイラストも入っている。新刊本では手に入り難いかもしれないが、古本屋でみつけたらぜひどうぞ。