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2009年9月8日火曜日

塩野七生 「ローマ人の物語ⅩⅤ  ローマ世界の終焉」(新潮社)

長く、長く続いてきた「ローマ人の物語」もこれが最終巻である。そして、千年以上続いてきた、ローマ帝国も、この巻で終焉を迎える。もっとも、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)はこの後も存続するのだが、これはもう、いわゆる「ローマ帝国」とは異なるという説に私も賛成したい。

この巻では
・紀元395年~410年までが「第一部 最後のローマ人」
・紀元410年~476年までが「第二部 ローマ帝国の滅亡」
・紀元476年~が「第三部 帝国以後」
という構成で、西ローマ帝国が瓦解するまでが語られる

しかし、この時代のローマ帝国をめぐる人々の名前が、なんと蛮族的なことか・・・。敵である人は当たり前だが、帝国を支えた人の名前すら蛮族的なのだ。
典型的なのは、皇帝テオドシウスから、死後の息子を託された将軍スティリコであろう。
彼は、ヴァンダル族出身なのだがテオドシウス帝に抜擢され、彼から、若年の皇帝の後見を頼まれるのだが、その彼が、ローマ人よりもローマ人らしく、ローマ帝国の存続に力を尽くし、非業の最期を遂げるたあたりは、衰えた国家を象徴するものなのだろう。

さて、この書では、ローマ帝国の「滅亡」が語られるのだが、不思議なほど、その「滅亡」が静かなのである。というのも、ローマ帝国の滅亡は、大きな戦いによる大破壊とそれに伴う異民族支配、あるいは大災厄に伴う荒廃といった、イベント的な終末を示すのではなく、帝国がいくつかに分裂し、尾民族の侵入が続き、自由な交通が途絶え、ブリタニア、ガリア、北アフリカ、イスパニア、と属州がローマ帝国の支配から離れ、といった具合に、砂の山が、さわさわと崩れていくよう「滅びて」いっているからである。
そして、それは人類史上初めて誕生した「大帝国」、大文明ともいえる「大帝国」であったローマ帝国らしい終わりかたといえばいえなくもない。ちょっと関係ないかもしれないが、「盛者、必衰の理あり」といったところか。


最後に、本書の途中で出会った、一節を紹介して、この稿を終わろう。

帝国は、傘下に置いた諸民族を支配するだけの軍事力を持つから帝国になるのではない。傘下にある人々を防衛する責務を果たすからこそ、人々は帝国の支配を受け入れるのである。

国というだけでなく、人々の理としても、ウムと頷かせる言葉ではないですかねー。

2009年8月15日土曜日

塩野七生 「ローマ人の物語ⅩⅣ キリストの勝利」(新潮社)

ローマ帝国を根本から変えたといっていい、コンスタンティヌス大帝の死後、跡をついだ息子のコンスタンティウス、そして背教者といわれたユリアヌスと続くのが、この巻である。そして非常に象徴的なことに、この巻の最後の第三部は「司教 アンブロシウス」とされていて、皇帝ではなく、キリスト教会の司教の名前が表題である。

まず最初は、コンスタンティヌス大帝の次男であるコンスタンティウスである。とはいっても、最初から、コンスタンティウスが帝国全土を継ぐという形になっていたわけではない。
最初は、コンスタンティヌスの息子三人、甥二人で帝国を5分して統治することとなっていたらしい。
それが、大帝の葬儀の際に、甥二人が暗殺され、その後帝国を三分して統治していた兄弟が、最初は、長兄のコンスタンティヌス二世が、末弟のコンスタンスと北アフリカをめぐって対立して敗死し、コンスタンスは、圧政による民衆の不満を背景にした配下の将軍の謀反により自滅する・・といった経緯をたどって帝国を一人で支配することになったもので、この流れをみて想像出来るように、なんとも疑り深い皇帝であったようだ。そうした皇帝が副帝を任命するというのも不思議なのだが、もう、この時代のローマ帝国は、一人で全土を治めるには、皇帝によほどの能力と体力を必要とするほど、国家の体力が弱っていたということかもしれない。


 そのコンスタンティウスから副帝に任命されたのがユリアヌスで、彼は兄のガルスが謀反の疑いで処刑された後の任命になる。こうしたプレッシャーのかかるシチュエーションであったにもかかわらず、とんでもない力量を発揮している。けして万全の体制と軍備で送り出されたとはいえない、任命後のガリアで、ゲルマン民族を打ち破り、内政を整え、ガリア再興を果たすなど、とても20歳過ぎまで幽閉状態で統治の経験や戦闘歴などなかった若者とは思えない活躍ぶりなのである。さしずめ、哲学者風の織田信長といったところか。
 信長風なのは、そのガリアでの見事な戦ぶりだけでなく、その最期もまた似ている。古のペルシャ帝国の復活を目指して、ローマ帝国東方の攻め入ってきたペルシャ王シャブールとの戦闘で、(おそらくは、ユリアヌスのキリスト教の弱体化に不満をもった)味方のサボタージュにあって、戦闘の最中に、ひょっとすると味方からの槍傷で命を落とすことになるあたり、光秀の謀反にあって、味方と思っていた部下から攻められ最期を迎えるあたりと似ていなくもない。
 そして、もうひとつ共通するのが、宗教への対応ではないだろうか。ユリアヌスがキリスト教の特権を排除しようとした動きは、比叡山焼き討ちや、一向宗との戦に全力をあげた信長の姿がダブって見えてくるのである。

 で、最後の章。こいつが曲者なんだよなー、という思いにかられずにはいられない。時代背景的には、ユリアヌス亡き後のヴァレンティニアヌス、その副帝のヴァレンス、ヴァレンティニアヌス死亡後、ヴァレンスによって帝国の西半分を任されたテオドシウス、そしてヴァレンスがゴート族との戦いで命を落とした後、テオドシウスが帝国全体を治め、といった、まあ、内乱とその後の帝国統一といったお決まりの構図といえなくもないのだが、その陰に見え隠れして、そこかしこでキリスト教の国教化を進め、教会の力を強めているのが、この章の表題でもある「司教 アンブロシウス」で、こいつが時代の黒幕でっせ、と筆者が耳打ちしてくれているように思えてならない。
 こうした宗教者でありながら時代の黒幕的な人物がでてくるってのは、専制君主の体制によく見られるように思えて、共和制や元首制の時のローマが、なんとなく夏の青空を連想させるに対し、この時代のローマは、どんよりとした梅雨空を連想させるのは、おそらくは、こうした、なんとなく胡散臭いというかくぐもったような支配体制の持つ暗さによるのだろう。そして、ヨーロッパ中世を宗教はリアルを支配した時代と考えれば、中世の始まりというのは、西ローマ帝国滅亡で突然始まったわけではなく、こんな頃から、じわじわと墨が布に染みていくように始まっていたのだなと思い、時代の変化というのは、いつもこうした感じですすむのかな、とも思ってしまうのである。

なにはともあれ、ローマ帝国に限らず、すべての体制における「ぐずぐずとした崩壊」に、思いを馳せてしまう一巻でありました。

2009年8月14日金曜日

塩野七生 「ローマ人の物語 ⅩⅢ 最後の努力」(新潮社)

塩野七生氏の代表作といっていい、「ローマ人の物語」もこの巻あたりになると終幕に近づいてくる。

この巻で語られるのは、三世紀終わりから4世紀はじめの、ディオクレティアヌス帝から、コンスタンティヌス帝の時代である。歴史家によれば、ディオクレティアヌス帝から、ローマ帝国は、元首制から独裁君主制に移行したといわれていて、5世紀には、ローマ帝国も迎えるのだから、このデイオクレティアヌス帝、コンスタンティヌス帝の治世というのは、蝋燭が燃え尽きる前に炎が大きくなる現象に似ていなくもない。

ディオクレティアヌスは、帝国を2人で治める「二頭制」や4人で治める「四頭制」といった、国力の落ちてきているローマ帝国がペルシアや蛮族の侵攻をくいとめる苦肉の策ともいえる統治策を打ち出す。この統治方式はローマ帝国を蛮族から守るシステムとして有効に作用するのだが、このシステムの本質は、長年、苦楽を共にし、心の通じ合った友人や部下と、帝国の統治を分担しあうという美しい側面ではなく、

分担とは、現にあるものを分割したのでは済まないという問題を内包している。分担とは各自の責任を明らかにすることでもあるから、その人々の間に競争状態が生まれるのは、人間の本性からもごく自然な方向とするしかない。四人はいずれも、自分が責任を負うと決まった地域の成績をあげようとする。

システムであるらしい。
しかし、この制度も、彼の引退後の、正帝、副帝の食い合いともいえる内乱が頻発する。やはり、国力の衰えというものは、統治制度だけでは補いきれないものなのだろうと、嘆息せざるをえない。

しかも、このシステム、どうやら、行政改革なんぞとは縁遠く、軍隊と官僚をかなりの規模で増加させ、増税も必要になったらしい。まあ、正帝、副帝とはいっても皇帝は皇帝である。そうであるならば、それぞれの宮殿や国を維持するシステムがそれぞれに作られるようになったであろうし、軍隊もそれぞれで独立してつくり運営されるということになったであろうから、当然の帰結というべきか。


ディオクレティアヌスで、ちょっと悲劇的なのは、まだ体力も知力もあるうちに引退し、後進に道を譲るのだが、影響力の衰えは如何ともしがたく、妻や娘の幽囚を、隠居先で黙って見ていなければならなかったあたり。本人にしてみれば、キングメーカーよろしく、「天下のご意見番」あるいはローマ版「水戸黄門」をきめこみたかったのかもしれないが、現実は甘くなかったらしい。



このディオクレティアヌスの引退後、六帝が並び立つなか、天下を征したのがコンスタンティヌスである。この人、西方の正帝でブリタニア・ガリア・ヒスパニアを統治していたコンスタンティウス・クロヌスの息子なのだが、生みの母親は、父の政略結婚で離婚されていて、ディオクレティアヌスのもとで成長している苦労人であったようで、統治の術も巧みであったようで、ローマ帝国を再び一人で治める体制を作り上げたのは「大帝」という名にふさわしいといえる。(もっとも「大帝」と賞賛されたのは、キリスト教の国教化によるらしく、領土的な拡張によるものではないらしいけどね)

ただ、私には、なんとも「暗いな」と思わせるのである。
それは、元老院の弱体化をはじめローマ帝国を完全な独裁君主国家に仕上げたあたりと、六帝の乱立から、帝国全体を手中に収め、さらには支配体制を確立した程の中で、妻の実兄のマクセンティウス、異母妹が嫁いでいるリキニウス、そして実の息子のクリスプスと、自分のライヴァルあるいは、自分の支配を揺るがす種子になりそうなものを、着実に、じわじわと片付けていく風情にあるのかもしれない。

まあ、なんにせよ、彼の下でキリスト教も国教のみちを歩み始めることになる。彼のキリスト教政策がなければ、ヨーロッパ社会はおろか、世界の姿も変わっていただろうから、平和を享受している今の日本の住まう私としては、ひとまず彼に感謝すべきなのだろうな。

2009年7月2日木曜日

塩野七生 「ローマ人の物語 ⅩⅡ 迷走する帝国」(新潮社)

いつもは安価な文庫本で済ますのだが、今回はちょっと奮発して単行本で読むことにした「ローマ人の物語」である。

時代背景としては、セプティミウス・セヴェルスがイングランドで客死した後、後を継いだカラカラから始まり、ローマ帝国の危機ともいわれ、軍人皇帝が乱立した時代、ディオクラティヌスの即位直前までの3世紀のローマ帝国が描かれている。

紀元211年から284年の、百年間にも満たない期間なのだが、あれあれ、という声が出てしまうほどに様々な出来事、国難満載の世紀である。

例えば、カラカラ帝がローマ帝国の市民権を、帝国住民全員に広げ、ローマ軍の弱体化を招き、オリエント出身のあやしげな(失礼!)宗教の祭司も務める皇帝ヘラガバルスが登場したりして、なんか雲行きが怪しくなったぞ、と思ったら、案の定、新興国ササン朝ペルシアが登場して、皇帝が捕囚の身になるという前代未聞の失態はおきるは、ゲルマンの蛮族がやたら暴れ出して、あろうことか、ガリアが独立したり、シリアのあたりがパルミラとして割拠したり、といったいったことが、次々とおこるのである。

そして、また、この当時の皇帝というのも、最初は正統な、というか伝統どおりの選ばれ方をしていたものが、だんだん元老院の擁立や軍隊の擁立が中心になってきたせいか、召使いを折檻したら腹いせに暗殺されたり、擁立した部下たちに殺されたり、落雷にあったり、なにかしら謀殺や不慮の事故による死亡が多い。いくら、ローマ帝国の皇帝が終身制で、皇帝を変えようと思ったら、皇帝が死ぬか殺すかしかなかったとはいえ、「やりすぎでしょ」と呟かざるをえないような事態である。
その証拠に、この12巻で書かれる73年間で、皇帝は22人も登場している始末で、一番在位の長いアレクサンデル・セヴェルスは13年間在位しているが、そのほかは2年から5年と言った在位期間が多いような状況になっている。

まあ、これは、当時即位していた皇帝の質云々というより、時代の趨勢といった事情の方が強いと思われて(事実、暗帝ばかりでなく、賢帝と呼んでもいい人物もでてきている。アウレリアヌスや、クラウディウス・ゴティクスあたりはそうだろう。)、例えば、ペルシア帝国の再興を目指すササン朝ペルシャや、ゴート族、ヴァンダル族といったゲルマンの蛮族の隆盛も、長い期間のローマ帝国の存在というものを踏み台にして、周辺の国が潤ってきた、あるいは、繁栄のおこぼれが芽を出し始めた結果だといえなくもない。

そういえば、この時代、初代のロムルスから数えてローマ建国1000年を迎えたということで式典が開かれたようで、1000年というのはどうかと思うが、それでも、アウグストゥス即位から数えても300年ぐらいにはなり、そろそろ、いろんなところにガタがきて、ガタの補修をしたところが、またほころび始める、といった状態になってもおかしくはない年数である。
この時期の皇帝で、惜しむらくはアウレリアヌスで、皇帝捕囚後、三分していた帝国を、わずか5年のうちに再統一してしまった手腕は並ではない。ただ、そうした手腕と高い能力を持ちながら、秘書を厳しく叱責したがために、その秘書エロスの手によって暗殺されてしまうのが、この時代らしい病んだところではあるのは間違いないところだ。


こんな感じで、こうした時代の歴史がつまらないか、といえば、そうもいえなくて、例えば五賢帝やカエサルの時のような、大俳優が演ずる大スペクタルや立志伝のような感動巨編はないものの、ちょっと癖のある性格俳優が主演を演じる小劇場の演劇か、あるいは異色作家の短編集を読むような感じで、単に太平楽な時代に比べて、小味であはあるけれど、それなりの楽しみが味わえる時代である(当時、暮らしていた人はたまったもんじゃないだろうけどね)。

そうして、こうした時代ほど、なんとか頑張ろうとして途半ばにして倒れる悲劇の人あれば、脳天気に暮らして後で手ひどいしっぺ返しを食う人もあり、詩の一編も口にしたことのない武骨者から、とんでもない軟弱者まで、多士済々で、まあ、人間絵巻としては「スゴイ」時代といっていい。

一気に読み通すのは、いろんな人物が出てきて、その毒に充てられそうになるので、よしといた方がいいが、ポツポツと読むには、適度な毒を薬にできて、長く楽しめること間違いなしの一冊である。

2009年6月5日金曜日

塩野七生「ローマから日本が見える」

塩野七生氏のエッセイ。ほとんどの人が、一度は手に取るか、一部を読んだことがあるであろう「ローマ人の物語」から、ちょっとこぼれたエピソードや論述などがまとまっている。
古代ローマ史の年表的位置関係でいえば、ローマの建国からアウグストゥスの初代皇帝への就任あたりまでで、エピソード的には、カルタゴとの戦争とカエサルやその周辺の人々にまつわるものが印象に残る。

本編の「ローマ人の物語」はすでに完結していて、今は、古代ローマ帝国後の地中海世界の話に最近の筆者の著作は動いているのだが、残念ながら、私は五賢帝後の軍人皇帝時代のはじめあたりまでしか読んでいないので、全体を俯瞰したものいいは注意しなければいけないのだが、ローマ帝国にとって、上り調子で、まだ爛熟に達していない時代が、カルタゴとのフェニキア戦争やカエサルとその近辺の時代だと思うので、読んでいても、


例えば、「改革」ということについても、今までの勝者が一夜明けたら落魄していたといわんばかりの市場主義批判が頻出する現代とひき比べながら

「改革は単に思い切りがよければいいのかと言えば、けっしてそうではない。
 なぜならば、それぞれの国家や組織にはそれぞれの伝統があり、これを無視した改革を行ってもうまくいくはずがないからです。
 自分の手持ちカードが何であるかをじっと見据え、それらの中で現在でも通用するものと、もはや通用しなくなったものを分類する。そして、今でも通用するカードを組み合わせて、最大の効果を狙う。これがまさに再構築という意味での真のリストラだと私は考えます。
ローマ人たちは、その点に関しても達人でした。」

といったあたりや

「ともすれば改革とは、古きを否定し、新しきを打ち立てることだと思われがちですが、けっしてそうではない。
 成功した改革とは、自分たちの現在の姿を見つめ直し、その中で有効なものを取り出していき、それが最大限の効果を上げるよう再構築していく作業なのではないか。ローマの歴史を見ていると、そう思わざるをえないのです。」

といったあたり、思わず「嗚呼」とつぶやかざるをえないし、

「人材難」ということに関連して

「どれだけ人材がいても、それを活用するメカニズムが機能しなければ、結局のところは人材がいないのと変わらないのです。
 国家に限らずあらゆる組織が衰退するのは、人材が払底したからではありません。人材はいつの世にもいるし、どの組織にもいるのです。ただ、衰退期に入ると、人材を活用するメカニズムが狂ってくるのです」

といった記述には、「うむ」と納得をさせられる。

「古代ローマ人」というすでに滅んでしまったといっていい民族(今のイタリアは、ローマ人の末裔ではあっても、直系のようには、私には思えないのだ)に託して、今を批判的に語るのは、ちょっと狡猾いんじゃないの、という思いもないことはないのだが、でてくる「ローマ人」のキャストがカエサルにしろ、スキピオにしろ、はたまたローマの敵役のハンニバルにしても、筆者の筆致がさえわたっていて、とにかく格好が良い。そのせいかうーむと納得して頷かざるをえなくなるのは、やはり筆者の術中に、まんまとはまり込んでいる証左なのだろう。

いったいに、「古代ローマ 帝国」あるいは「古代ローマ人」が、極東の日本に、ここまで膾炙したのは筆者の力といっていいだろうし、また、「古代ローマの歴史」というものを単なる歴史の話としてではなく、血わき肉踊るものにしたのも、筆者の功績といってよい。最近、戦国もののゲームに端を発して戦国武将人気が若い女性たちの間で高まっているらしく、カエサルを主人公にしたゲームや小説がでれば結構ヒットするかもしれないのだが、カエサルが登場する最近の小説は、ジョン・マドックス・ロバーツの「古代ローマの殺人」あたりしか、今のところ思い浮かばないのは残念。


最後に、本書からイタリアの高校の教科書にでているローマ人らしいリーダーの姿を引用して、この稿を終わろう。

「指導者に求められる資質は、次の5つである。
知力。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。
カエサルだけが、このすべてをもっていた。

 筆者が、こうした基準に照らして、リーダーとして高得点をつけているのは、カエサル、スキピオ、アウグストゥスあたりなのだが、昨今日本で、政治家をはじめとしたリーダーたちでこれに当てはまる人物はどれぐらいいるだろうか?


できれば、「ローマ人の物語」を読んでから、あるいは読み進めながら、箸休め的に読んだほうがいいものではある。

2008年10月8日水曜日

塩野七生「ローマ人の物語 31」(新潮文庫)

コモドゥス帝暗殺後の内乱の時代。
4年間の期間らしいのだが、これを長いととるか、短いととるかは、諸説あろう。

はじめに登場するのは、ペルティナクス。66歳の老将である。
キャリアはほんとの叩き上げ。解法奴隷の子として生まれ、シリアの軍団を振り出しに、最後は皇帝までのぼりつめるのだが、近衛兵の長官に裏切られて失脚。理由は、この長官レトーをエジプトの長官にしなかったから

「小事」にまで批判を受けてはならぬという想いで進めると、「大事」が実現できなくなる。大胆な改革を進める者には、小さなことには今のところは眼をつむるぐらいの度量は必要

で、次が、ディディウス・ユリアヌス。この人は、元老院階級に生まれた、根っからのエリート。
このライヴァルになったのが、ペルティナクスの妻の父でフラヴィウス・スルピチアヌス。
この二人は近衛兵の信任投票で皇帝の座を争ったらしいが、決め手は近衛兵へいくら金をわたすかだったらしい。
こんなことをやっていたら、皇帝の信頼が失せるのは、まあ当然で、案の定、皇帝の座を巡って、軍隊を握っていた将軍たちが名乗りをあげる。セブティミウス・セヴェルス、クロディウス・アルビヌス、ペシャンニウス・ニゲルの三人である(あー、名前長くて面倒くさい)。
勝者は、兵力の多いドナウ河防衛戦担当の軍団の支持を受けたセヴェルス。
やはり、実力主義の時代は、良くも悪くも実力(兵力)が決め手なのだね、と思わせるのだが、実は、アルビヌスもリゲルも、セヴェルスと戦うまでに時間を無駄に浪費していたりしたのが敗因になっていて、勝者は勝者なりに、単に兵力が多ければ勝てるというものでもないらしい。


セヴェルスが皇帝になってはじめにやったことは、元老院の彼に敵対する26人の元老院議員の断罪だったのだが、これは、皇帝を争ったライバルのアルビヌス派だった、ということを理由にしてのことらしい。ただ、もともとアルビヌスはセヴェルスの共同皇帝だったのだから、この時の事を持ち出すのはフェアじゃないよな、と思うのだが、泣く子と地頭のなんとやらで、なんとも暗いイメージの新皇帝のスタート。

そのせいか、当時のローマの識者や現代の識者の評価も、筆者の寸評も、どことなく辛(から)い。

いわく、彼のやった軍制改革により軍隊の居心地がよくなったことが、ローマ帝国の軍事政権化をもたらした

いわく、パルティア戦役の結果、パルティアがササン朝ペルシアにとってかわられた遠因となったが、これは、ローマの「三世紀の危機」の時代の「敵」(パルティアのような「仮想敵国」ではなく)をつくったことになった

いわく、生まれ故郷のレプティス・アーニャの大改造は、故郷に錦を飾った、皇帝権力の濫用

などなど。


どうも、このセヴェルスという皇帝、非常に家庭を大事にしたらしいが、息子カラカラによる近衛軍団長官の目の前での殺害事件(もっとも、このカラカラ、後に弟のゲタも母親の前で斬殺しているから、いわくつきの凶暴息子の気配がただようが・、・・)に象徴されるように、なんとなく治世の始まりかあら終わりまでが陰気な印象を受ける。

最期は、軍人皇帝らしく、ブリタニア遠征のために渡英(というか渡ブリタニアか?)先のヨークで死ぬのだが、このあたりも、どんよりと曇ったイングランドの景色のもとで、息を引き取る様子が連想されるのは、私の勝手な妄想かな・・・

2008年10月7日火曜日

塩野七生「ローマ人の物語 30」(新潮文庫)

本書では、最後の五賢帝 マルクス・アウレリウスの治世とその息子のコモドゥスの治世を描いている。

これにでてくるマルクス・アウレリウスは、即位当時の哲人皇帝の静かではあるが、知性的で凛々しい印象が、なんとなく影を潜めているような印象となっている。まあ、始めたはいいが、先の見えないゲルマン諸族との戦いが泥沼状態になっていたこともあるだろうし、エジプトあたりでの反乱も起こっている。

この危機を、マルクス・アウレリウスは実は、現地のドナウ川の前線で、皇后などの家族と一緒に過ごしていて、そこでは

「皇帝の仕事ぶりは、勤勉を超えていた。・・・非常な小食だった。それも日が落ちた後でなければ食事をとらなかった。日中は何も口にせず、テリアクと呼ばれた薬を溶かした水を飲むだけだった。この薬も、多量に飲んでいたのではない。習慣になるのを怖れたのかもしれない」

といった暮らしぶりは、なんとも生真面目ではあるが、ちょっと鬱陶しさを感じさせる。

このへんは、筆者も同じ思いで、戦闘のない冬季には周辺の蛮族の首長などを招いて、将兵が演ずるギリシア悲劇を鑑賞したカエサルの明るさと対比させているのだが、真面目で仕事熱心な人っていうのは、事業を任せるにはいいのだが、共にに暮らすとなると、少々気が重い。で、皇帝がこんな感じだったということは、この当時のローマ帝国の暮らしぶりは堅実ではあっても、生活の華は少なかったかもしれないなーと思ってみたりする。


で、結局は、マルクス・アウレリウスが死亡したというデマによって兵をあげたカシウスの乱を治め、その後の「第2次ゲルマニア戦役」の準備中に倒れ、死期をさとって、薬、食事、無水を絶って死を迎える、という、なんとも優等生のマルクス・アウレリウスらしい死に方をするのである。

正直にいうと、なんとも、辛気臭くはあるなー、という感じ。


で、このくそ真面目なマルクス・アウレリウス帝の後を継いだのが、息子のコモドゥス。

いや、なんとも評判がわるかったらしいですな。この皇帝。

「帝国の災難」とギボンの「ローマ帝国衰亡史」はこの皇帝から始まるとか、いった具合である。果ては、実の父のマルクス・アウレリウスの謀殺の疑いすらかけられている。

評判の悪いのはマルクス・アウレリウスの死後すぐに結んだ蛮族との講和らしいのだが、これは、筆者は、やむをえない選択ではあったが、手をつけると支持率低下必至の政策、と位置づけている。で、あるならば、優れた父を持った、フツーの息子が、よく陥る、例えば武田勝頼とかと同じような
不運さなのかもしれない。

このコモドゥス、その後、実姉による暗殺未遂後、解放奴隷クレアンドロスを重用した側近政治に走り、このクレアンドロスが配給小麦を減らしたりして市民の暴動を招いたり、剣闘の試合に皇帝自ら出場する、といったよくある暗君、馬鹿殿様エピソードを演じたす末に、愛妾と寝所づき召使などに暗殺される、というおきまりの道を歩んでくれる。


いわゆる名君とその不肖の息子の構図は、時代を問わず、世の東西を問わず、という普遍的な原理を示しているような、マルクス・アウレリウス親子の時代絵巻でありました。

2008年7月31日木曜日

塩野七生「ローマ人の物語 29」(新潮文庫)

古代ローマの賢帝の中でも、極めつけの賢帝と評価のある哲人皇帝 マルクス・アウレリウスの登場である。
 
といっても、この巻の最初は、誕生から前の皇帝であるアントニヌス・ピウスの「長い」次期皇帝(皇太子)時代が続く。
この「次期皇帝」時代の印象は、激情家ではなく非常に穏やかで、騒がしいことの嫌いな、前皇帝のもとで、すくすくと(表現としては適当でないかもしれないが、子供の成長の一つの姿を現す、この言葉がぴったりくるんですよね)皇帝修行をしている、「恵まれた若旦那さん」的な暮らしである。
 
マルクス・アウレリウスといえば、「自省録」など、哲学者の面も有名なのだが、かなりの独裁者で帝国内を飛び歩いているハドリアヌスにかわって統治の責任者を務めているといってもいいヴェルスの孫として、若い頃からかなりの優遇を受け(本書の途中にトラヤヌスからマルクス・アウレリウスまでの執政官などへの就任年齢を比較した表があるのだが、マルクスはやけに若くして就任しているものばかりなのだ)、また、財産もある。そうした若旦那的な生活スタイルが、哲学におぼれさせる一因でもあったのではないか、とも思う次第である。
しかも、ピウスの方針だったのかもしれないが、次期皇帝に指名される前も後も、辺境の地で軍務に就くという経歴もなく、さしずめ、お金持ちで名門のシティボーイといった暮らしを、皇帝就任まで続けることができたということは、それはそれで幸運なことではある。
 

で、なのだが、こうした穏やかな前半生とうってかわって、皇帝となってからの後半生は、帝国のあちこちで反乱ののろしがあがり、その鎮圧に奔走する、といったものだったらしい。そのあたりの原因について、著者は前皇帝アントヌヌス・ピウスの責任もなかったわけではないような件はあるのだが、まあ一番大きな要因は、時代の流れというか、ユーラシア大陸全体の遊牧民族の動きが、古代ローマにも及んで着始めたのと、永らくのパックス・ロマーナの中で、全体的に帝国の気風がトロンとしたものになって、それが帝国の周りの民族につけこめそうな雰囲気を与えだしたということなのだろう。
 
ということで、この巻は、マルクス・アウレリウスの平穏で学究的な前半生を中心に、波乱怒濤の後半生の幕開けといったところで、次の巻に続くのであった。

2008年7月30日水曜日

塩野七生「ローマ人の物語 28 すべての道はローマに通ず 下」(新潮文庫)

ローマ帝国のインフラを描いた巻の下巻が本書。
 
とりあげられるのは
 
ハードなインフラとして、水道
 
ソフトなインフラとして、医療、教育
 
である。
 
で、最初は「水道」である
 
ローマ帝国の代表である「アッピア水道」というのは、本書によれば、全長16.617キロ、うち地下が16.528キロで、ローマの東に連なる山地からローマ市内まで、延々と引いたもので、この距離を、当時、水道を引こうというのは、よほどの理念というか執念がないとできそうもない。おまけにローマというのは水資源はかなり豊富だったらしいから、同じように水資源の豊富な日本の住む管理人としては、わざわざなんでそこまでやるの、とツッコミをいれたくなるような代物である。
 
この「アッピア水道」以外にも「ユリア水道」やら「アルシエティーナ水道」やら「クラウディア水道」やら何本も水道を建設しているから、こいつはもう「道」や「橋」と一緒で、とにかく「繋ぎたい」という民族的な衝動なんだろうか、と非合理的な理由で片付けたくもなる。
 
 
特に驚くべきなのは、このアッピア水道の建設に取り掛かったのが、アッピウス・クラウディウスという人物で、アッピア街道の敷設をした人物と同一人物であるということだ。
 
 
道あるいは水道の整備というのは、古代に限らず現代でも、なまなかの期間では終結しないし、長い期間がかかればこそ、反対者もでてくる。そうした二つの事業を同時に動かすというのは、並大抵の精神力ではない。筆者が「アッピウスはインフラを、単なる土木事業ではなくて国政であると考えていたのにちがいない。そうでなければ、国家百年の計どころか、結果的には国家八百年の計になるローマ街道とローマ水道の二つともを立案し実行に移すことなどありえなかったと思うからである」と誉めそやすのも納得である。
 
そうした水道なのだが、このローマ水道が運んでくる水の配水先に占める「公」と「私」の比率が6対4で、この割合はかえられなかったらしく、このあたり「公」「パブリック」というものを重視したローマ人の律儀な性格ででている。
 
 
さて、次のソフトのインフラなのだが、ここででてくるのも、あのカエサルである。
教職と医療に従事する者にローマ市民権を全員に与えたのもカエサルかららしくて、いやはや、ローマ帝国の骨をつくったのは、やはりこの人物だったのね、と改めて思い知らされる。
 
で、へーと思ったのが、もともとローマ帝国時代は、教育は家庭で担うものと考えられていて、はじめは全部、私立でカリキュラムとか、そんなものは全く自由だったのが、キリスト教の支配が強化されるのと教育制度の公営化は歩調をともにして進み、教師の資格も、試験を受けた上で決まるようになった。そこで試されるのは、キリスト教への信仰の有無であった、というあたり。
教育というものに、干渉を強めるかどうかは、一神教的ともいえる価値観の単一化とひょっとしたら関連しているのかいな・・・と、まあいろんな論調を思い起こしながら、つぶやいて見るのであった。
 
 
で、ローマのインフラを扱った本書のレビューは、次の筆者の言葉で締めくくろう。
 
 
インフラは、それを維持するという強固な意志と力をもつ国家が機能していないかぎり、いかに良いものをつくっても滅びるしかない。これは、ハードなインフラだけにかぎったことではなく、ソフトなインフラでも同じことなのである。

 
 
「公」というものに関わる全ての人が、心に留めておくべき言葉である。

2007年3月26日月曜日

塩野七生「ローマ人の物語 26 賢帝の世紀 下」(新潮文庫)

芸術にも造詣が深くて、やる気もまんまんのハドリアヌス帝の後半生が書かれる。
この皇帝、首都ローマにいたよりも、外地で統治していた期間のほうが長かった皇帝らしいのだが、そういった形の統治自体が成立したこと自体が、ローマ帝国がすでにかなり成熟した国家であったことの証でもあるのだろう。
 
おまけに、「一貫していないことでは一貫していた」のではなく、自らに忠実に振舞うことでは「一貫していた」といった人物だったらしいから、さぞや周辺の家臣たちは振り回されただろうなー、と古の人ながら同情をしてしまう。
 
この皇帝のときに、離散(ディアスボラ)の始まりとなる、ユダヤ反乱が起きるのだが、どうもこれが、単純な民族反乱や、どこかの王が反旗を翻したっていうのとは違うらしく、そうしたあたりは、本書の
 
 
ギリシアやローマの人々とユダヤ人では、自由の概念でもちがっていた。
もしもあなたが、自由の中には選択の自由もあると考えるとしたら、それはあなたがギリシア・ローマ的な自由の概念をもっているということである。ユダヤ教徒の、そして近代までのキリスト教徒にとっての自由には、選択の自由は入っていない。まず何よりも、神の教えに沿った国家を建設することが、この人々にとっての自由なのである。この自由が認められない状態で、公職や兵役の免除を認められ、土曜や日曜の急速日もOK、だから自由は認めているのではないかと言われても、この人々の側に立てば、自由はない、となるのが当然なのだ。
 
 

というところにも象徴されていて、おまけに、自分に素直な「デキル」皇帝の時に起きたのだから、これは結構、大事(おおごと)になるよなー、と思ってしまう。
 
何はともあれ、このハドリアヌスも年を取って、本国ローマで病床についてしまうのだが、病になってから我が家に帰ってくるあたり、ひところのモーレツ企業戦士さながらである。
 
このハドリアヌスの没後、次の皇帝になるのが、アントニヌス・ピアス。この人の治世を本書によれば「秩序の支配する平穏」というらしく、先帝の強引さとは対照的に、穏やかではあるが、一本筋の通っている「旦那さん」の皇帝といったあたりか。
その辺は、本書で哲人皇帝マルクス・アウレリウスが、アントニヌス・ピウスを「わたしは彼を、太陽を愛するように、月を愛するように、いや人生を、愛しき人の息吹きを愛するように愛していたのだ。そして、わたしが彼に親愛の情を抱いていたように、彼もまたわたしに親愛の情を感じてくれていたと、常に確信していられたのであった」にも象徴されていて、たぶん、能力的にも優れていたのだろうし、統治者としての目配りも優れていたのだろうが、こんな感じで誉められる人は、少々のことがあっても、きっと見逃してもらえるよね、と羨ましく思ってしまう。
 
人格者に、ならんといかんですねー。私も見習おうということで、この巻を読了したのであった。

2007年1月23日火曜日

塩野七生「ローマ人の物語25 賢帝の世紀 中」(新潮文庫)

派手見せはしないが、世間通で、そのくせ働き者のトライアヌス帝の跡継ぎのハドリアヌスの元気盛んな頃が、この25巻。
 
もともとは、昔は有名だったが羽振りが効かなくなった名家で、父の早死のせいで、トライアヌスが代父となったのが、皇帝へ道が開けるもととなっているのだが、そこは働き者のトライアヌス、ハドリアヌスが青年になってからは、行政官やら兵役やら、あれこれ忙しい目をさせているから、あながち幸運ばかりではなくて、やはりハドリアヌスの才も秀でたものがあったのだろう。
 
おまけにトライアヌスの皇后にも気に入られていて、若々しくて(単に若いといったことではなくてエネルギッシュということだろうね)、頭脳明晰で野心家といった人だったらしいから、近くにいると、凡人なら熱気で煽られるか、洗脳されてしまうか、どっちかになってしまうタイプだろう。
途中、皇后サビーナの肖像がでてくるが、どちらかというと控えめそうで、こいつはハドリアヌスと合わないだろうねと、途中読み進めながら思った次第で、やはり夫婦仲はよそよそしかったらしい。
 
で、こういうちょっと派手派手しいのが、トライアヌスがパルティアの反乱平定中に病死するときに、次期皇帝に指名されたってのだから、これは本当にそんな経緯があったのか当時から胡散臭く思われていたらしい。でも、まあ、なんとなく後継者として認められてしまうあたりが、このハドリアヌスって男の才覚というか才能のなせる業なんだろうね。
 

 
とはいっても、皇帝になった直後やらないといけなかったのがパルティア戦役の収束であったし、それにくっつくかのようにやってしまったのが、先帝に仕えていた忠実な4人の将軍の暗殺といったことだったので、最初はあまり人気はなかったらしい。こうした時に、派手好みの人が何をやるかといったら、やはり盛大な贈り物とか減税とかで、案の定、ハドリアヌスも皇帝になったときの一時下賜金の大盤振る舞いやら税の滞納分の帳消や経済的な困窮者への貸付金の創設など、矢継ぎ早に繰り出している。その結果、人気が出るのは、昔も今も変わらなくて、この人気回復が、ハドリアヌスの長い治世の基礎になったのは間違いないだろう。
 
こうした人気のもと、じゃあ、ハドリアヌスが大人しく帝国を治めたかというと、こうした派手好みの人がそんなことになるわけもなく、治世21年のうち、本国ローマにいたのは3回、合計で7年間しかなかった、といった具合である。最初は、ライン地域のゲルマンの反乱あたりで皇帝自らが乗り出したといったのが発端のようだが、次はブリタニア、その後は北アフリカと、まあ腰が座らないというか、出歩き好きというか、活動的で、勢精力的で、やる気にあふれた政治家や実業家によく見るタイプだったんだろうね、と思う。ついでにギリシア文化にとことん惚れ込んでいたらしいから、文化好きの大企業経営者とか知事に、いるような感じがしますねー。
 
でもまあ、21年間にわたって、出ずっぱりながら本国からも目立った不満もでず、帝国も繁栄していたってのは、やはり只者ではない証拠ではあろう。
 
地味めのトライアヌスの後の、派手目のハドリアヌスというのは、さながら、田舎からでてきて苦労して店を大店にした初代の後を、元気の良い二代目がさらに店をでかくしたってな感じで、老舗大企業のサクセスストーリーそのままといった感じなのでありました。

2007年1月3日水曜日

塩野七生「ローマ人の物語24 賢帝の世紀 上」(新潮文庫)

さてさて、神格化どころではなく、暗殺されて記録抹殺刑になったドミティアヌスの後を受けたネルヴァ帝から帝位を受け継いで、「賢帝」の代表格でもあるトライアヌス帝を取り上げた一巻である。
 
ドミティアヌス帝ってのがどんなことをしたかってのは、記録抹殺刑に処せられたおかげで、はっきりと記されたものは残っていないようなのだが、どうも、この皇帝、馬鹿でも暴君でもなくって、それなりの切れ者だったらしいし、軍隊にも人気があったらしい。(元老院にはとんでもなく不人気で、それが暗殺の一因ともいわれているようだけど)
 
(しかし、この「記録抹殺刑」っていうのはすごいよね。その皇帝の記録や業績、肖像を全部なくしてしまうものらしい。歴史的にいなかったことにするからね・・・てなもので、国家的に「シカト」行為をするんだからなー。)
 
 
で、その後をついだ。年齢のいった人柄だけが取り柄みたいなネルヴァ帝に、ローマ本国ではなく属州生まれで軍隊経験も長く、下積みの苦労もよく知っている、ってなあたりで、トライアヌスは後継指名されたのかなってな感じである。ドミティアヌスが、育ちも才能もあって、おまけに自身満々の若僧ってな雰囲気をプンプンさせていたあたりが元老院が嫌った主因だろうから、その逆をいくだけで、少なくとも嫌われはしないよね、といった人選である。
 
トライアヌス自身も、皇帝になって初めてローマ入りを騎馬でなく徒歩でやるような地味目でもあるし、皇后も地味めだったらしいから、無理をしたってなわけでもなさそうなあたりが幸いしたっていうところか。
 

 
ところが、こうした下積み経験が長くて、見ため地味な人が、やることも地味かというと、そんなことはないっていうのは、よくある話で、派手見せを気にしない分、実質的にやることはデカイってのが、どうもトライアヌス帝の場合もあてはまるようだ。
 
ダキア(今のルーマニアあたりらしい)を完全に平定して属州化して東方の愁いをなくしたり、財政の立て直しをしたり、トライアヌスのフォールムといわれる大回廊やトライアヌス橋の建設や、ローマ本国の幹線道路であったアッピア街道の複線化と、なんか働き者の農家親父さんが、黙って朝も夜もたゆまず働くように、「着々」といった感じで事を仕上げていくのである。そして、死を迎えるのも、反乱を起こした「パルティア」の平定のための遠征中だったというのも、何かしらこの人を象徴しているようだ。
 
こうしたあたりは作者も非常に気にかかっているようで、この皇帝の章の最後に「あなたはなぜ、ああもがんばったのですか」とトライアヌスの肖像に語りかけ、「属州出身者としてはじめてのローマ皇帝だからと思って、人並以上にがんばったのですね」といった言で結んでいる。
 
このトライアヌス帝の時代を表すと「頑張りやさん」が「頑張りやさん」として成果を出せた時代だったということだろう。そしてそれは、非常に健全な時代でもあったということのように思えるのである。

2005年11月13日日曜日

塩野七生「ローマ人の物語 23 危機と克服〔下〕」(新潮文庫)

ヴェスパシアヌス死後、二人の息子が順番に即位。しかし、それぞれ病死、暗殺といった不幸な形で政権を譲っている。この二人が若くして死んでしまうので、フラビウス朝は、ここで断絶。その後、ネルヴァ、トラヤヌスと続く、いわゆる5賢帝の時代へ続いていく。
この本では、トラヤヌスが即位するところまで。

ヴェスパシアヌスの没した後、まず長子のティトゥスが即位。やる気があって、経験も豊富、暖かくて素直な人柄の人だったらしいが、いろんな事件が多すぎた。ポンペイを生き埋めにしたベスビオス火山の噴火、その後に、首都ローマの大火事。その次の年にはイタリア中に疫病が蔓延。即位していた期間は2年間らしいが、立て続けに災厄が訪れたらしい。ティトゥスは、不眠不休で陣頭指揮。ついでに自分も疫病にかかりあえなく死去。

ローマ市民みんな早死を悲しんだらしいが、中には「治世が短ければ、誰だって善き皇帝でいられる」と皮肉った人もいたらしい。これはちょっと酷評すぎると思うが、ついてない皇帝であったことは確か。力量や能力にかかわらず、巡りあわせの悪い人の一言。ただ、運の悪い人と一緒にいると,、悪運もうつるってのはあるよね。


その後は、弟のドミティアヌスが即位。これまたやる気まんまんの真面目皇帝だったらしい。この人、死んだ後、「記録抹殺刑」にされている。

公式記録、碑文の名前を削ったり、その人の像を壊したり、元老院の了解を得ずに出された法律は無効にしたり、といった刑らしい。いなくなってから、あいつのことなんか、とーに忘れたけんね。思い出しもせんけんねー、といった集団で知らん振り、なかったことにするという、結構ガキっぽい刑だ。

しかし、死んだ後、記録抹消にされたからといって、この人のやったことは、忘れたいほどひどいことではなかったらしい。ゲルマンからローマを防衛する「リメス・ゲルマニクス」(監視用の塔、補助部隊が詰める基地、主力の詰める基地、それらをつなぐ道路網の複合体)の建設を開始したり、司法を厳格にしたり、蛮族相手の戦争をして負けなかったり、水道などのインフラ整備を進め、そのくせぞ財政は破綻していないということだったらしい。
なんで、こーゆー(良い)奴が殺されるの?といった素朴な疑問を持つが、暗殺したのは、養子にした息子の実の父母が異教徒(キリスト教らしいですが・・)になったのを咎めて死刑と流罪にしたら、次は自分の番か、とトチ狂った親戚の仕業。

逆上した奴には皇帝もかなわなかったってことか・・・・。

ドミティアヌスが死んだ後、突然、記録抹消刑だーってことを元老院が決めてしまう。ガキ大将が怪我したら、今までいじめられても文句をいえなかったのが集団で、とっちめるといった構図かな。ドミティアヌスの場合は、いじめたという訳でなく、やたら厳格で真面目だったようだから、ガキ大将というより、やたら煩い学級委員長への仕返しかな。

特に、フラビウス朝の出身は騎士階級で、ねっからの元老院階級、いわゆる貴族(パトリキ)でなかったから、名門のボンボンやご隠居様、大殿様たちの仕返しの側面もある様子。

ドミティアヌスの死後は、元老院階級の出身で、長老格のネルヴァが即位。誰が見てもショートリリーフだったらしいが、彼が、後継者として指名したのが、属州出身のトラヤヌスだったから、皆あっと驚いたらしい。まあ、そうだよね。元老院にしてみたら、騎士階級出身のくせに法律に厳格で、おまけに能力も高い、しゃくにさわる奴が自滅してくれたと思ったら、貴族(パトリキ)ではあるがイスパニアの属州出身の男が次期皇帝に選ばれたのだから。ただし、ローマの軍団は、異論なかったらしい(もっとも、ローマ軍団はドミティアヌスに不満でなかったらしいから、当然か)。詳しくは次の巻。

<追記>

この本で、印象に残った言葉たち

ローマがあれほど長命だったのは、ローマ人が他民族を支配したのではなく、他民族までローマ人にしたからだ。

ローマ史とはリレー競争に似ている。既成の指導者階級の機能が衰えてくると、必ず新しい人材が、ライン上でバトンタッチを待っているという感じだ。
権力者が権力を保持し続ける要因には、その人に代わりうる人物がいないからやむをえず続投してもらう、である場合が少なくない。言い換えれば、後継者難のおかげで、機能不全に陥った既成の支配階級でもあいかわらず権力を保持し続ける、という状態である。そしてこの結果は、衰退を止められなくなったあげくにやってくる、共同体そのものの崩壊だ。つまり、バトンタッチする者がいないために走り続け、ついにはトラック上で倒れて死ぬ、という図式である。

2005年10月29日土曜日

塩野七生 「ローマ人の物語 22 危機と克服〔中〕」(新潮文庫)

ネロの死後の3人の頼りにならない皇帝が即位している間、といっても、皇帝ガルバの即位が紀元68年6月で、三人目の皇帝ヴィテリウスの死が紀元69年12月だから、ほんの1年半ぐらいの間、ローマ人の同士討ちに触発されて、ゲルマン、ガリア、ユダヤで氾濫がおきる。

この巻の前半は、この反乱と鎮圧の話。ゲルマン・ガリアの内乱は、かなり大規模でローマもあわや、という側面もあったらしいが、なにやらガリヤ(今のフランス)とゲルマン(今のドイツ)の仲にスキマ風がふいたあたりから、急激に瓦解する。
フランスとドイツが仲が悪いのは近代に入ってからではないらしい。
現代でも、なにかといがみあうのはローマ以来の筋金入りというわけだ。

一方、ユダヤの内乱の方は、かなり長引く上に辛気臭いものがつきまとう。
宗教や、ユダヤ人同士の対立が見え隠れするせいだろうか、ゲルマンの反乱に比べ陰気な反乱。おまけに最後は篭城攻めをされて、あえなく敗北。非戦闘員もたくさん死ぬ、おまけに身内で殺しあう集団自殺のおまけつき。

巻の後半は、皇帝ヴェスパシアヌスの治世。反乱と内乱の後始末といった苦労なこともあったろうに、手堅い政治をしている。
ナンバー2のムキアヌスも有能だったようだが、この人も只者ではなかったようだ。容貌は、まるまっちい、風采のあがらない田舎の親父といったものだったらしいが、外面で人を判断してはならないというローマ帝国時代の見本のような人。

後継者問題、新しい税源問題といった難問を、着実にこなしながら、70歳で没。ローマ帝国時代の徳川家康といったところか。
(まてよ、時代はヴェスパシアヌスの方が古いから逆か・・・)

2005年10月24日月曜日

塩野七生 「ローマ人の物語 21 危機と克服〔上〕」(新潮文庫)

ネロが自殺した後のローマ帝国。
死後、ガルバ、オトー、ヴィテリウスと3人の公定が順番に即位するが、ガルバが6ヶ月、オトーが3ヶ月、ヴィテリウスが8ヶ月という短期間で入れ替わる。しかも、3人とも殺されるか、自殺。それでも、ローマ帝国は続いたのだから、屋台骨がしっかりしていて、民族が力を失っていない間は、少々、上がぼんくらでも大丈夫という実証。

ガルバは、血筋は良いが、人事にしろ財務にしろ、悪いほう悪いほうへ、わざわざ梶をきっていく方向音痴

オトーは、手堅い行政官だが、大事なところでひるんでしまい、結局、角を矯めて牛を殺してしまうドジ。

ヴィテリウスは、水に落ちた犬を叩きのめしたら、後で噛み付かれて重症を負ってしまう怠惰な大食らい。

といった感じなのだが、皇帝にならなかったら、それなりにまっとうな人生をおくれたんじゃないかと思う。どこでにでもいる人間が、これといった自覚もなしにエライ人になってしまい、とんでもない目にあうお話そのまま。

この間、ユダヤの反乱とかいろいろおきているのだが、とりあえず帝国は滅びない。
この巻では、水におちた犬(ドナウ軍団)が、落ちたのをいいことに笠に着ていじめた奴(ライン軍団)に仕返しをし、親玉のヴィテリウスを殺してしまうまで。本命(ヴェシパシアヌス)は次の巻から登場。

2005年10月5日水曜日

塩野七生 「ローマ人の物語 20 悪名高き皇帝たち[四]」(新潮文庫)

今に至るまで、暴君、暗君として評価されるネロの登場である。

しかし、この本を読む限り、馬鹿でどうしようもない皇帝ではない。
特に統治の最初の頃は、セネカなどの補佐が良かったせいかもしれないが、ローマ市民や元老院の評判は悪くなかった。むしろ熱狂をもって迎えられていたとは意外。
もっとも、見栄えのしないクラウディウスの後なので、若くて見栄えがよければ、誰でもよかったのかもしれないが・・・・。


ただ、ネロの言行を見ても、そんなヘンな奴ではない。優柔不断だったり、ボンボンっぽいところで、なんか的外れだったりするところはあるが、自分を神だといって悦にいていたカリグラに比べれば、ずいぶんマシな皇帝である。いろんなことが気にかかって、結局何も、まともに仕上げられない気の優しい優等生の典型なのかも。

もっとも、やたら歌を評価されたがるところは、願い下げの感はある。こういった旦那芸の披露が不人気に結びついているんじゃないだろうか。最後は、元老院からも市民からも見放されて、自死させられるのだが、旦那芸の無理強いが遠因ではないかと思うことしきり。芸は身を助けなかったわけだ。

ネロの死によって、アウグストゥス以来の皇帝の血統は絶えることになる。ネロまでは、やたら血統にこだわっていたローマ市民も、これ以後はカエサルの血統にこだわらなくなるそうだ。一般の市民が飽きっぽいところは、どこでも同じようだ・・・

2005年9月25日日曜日

塩野七生「ローマ人の物語」 19 悪名高き皇帝たち[三](新潮文庫)

カリグラが暗殺されて、歴史家皇帝クラウディウスが即位。「歴史家皇帝」といえば聞こえはよいが、スポーツもできず、格好も悪い男が、勉強に逃げ込んだという構図かな。本人も皇帝になるなんて露ほども思っていなかった様子。

派手な出演者の後は、地味な芸達者が締めるのは通例で、このクラウディウスも、そんなタイプ。いい味だしていたらしい。しかし、風采があがらないと、ファンはつかない・カリグラの財政や外交の失敗を帳消しにして帝国を再び安定させたのに、ほとんど尊敬されなかったらしい。

しかし、この人の奥さんは、そろいもそろってヒドイね~。メッサリーナってのは浮気し放題だし、アグリッピーナってのは息子を皇帝にするために毒殺までするんだから。

もっとも、クラウディウスが政治に異常に熱心だったのは、奥さんに馬鹿にされ続けたことも一因だったようだから、家庭にい辛くて残業に励む、一時期のワーカーホリックの一人だったのかも。

あと、この人、解放奴隷の使用人を秘書として重用したらしい。この奴隷たちに慇懃にあしらわれて怒った元老院議員がたくさんいたそうな。ローマ時代の柳沢吉保ってとこかな(水戸黄門はいないけど)

塩野七生「ローマ人の物語 18 悪名高き皇帝たち[二](新潮文庫)

ティベリウスがカプリ島へ隠遁(というか、遠隔政治)を始めるころから。手堅くてみんなが本当は平和でハッピーなはずなのだが、まったく人気が出ないまま死没。その跡は、やたらノー天気のカリグラが即位して、派手なことばかりやってるうちに、腹心の部下によって暗殺されるまで。

とうとう、陰気なティベリウス親父は離れ島に引っ込む。とはいっても政治の実権は手離さず、手紙を元老院へ送っては承認を求めるやり方。やっぱり、なんか陰険だな。「やるときゃ隠れてないで、表出てこいー」って元老院議員も言いたかっただろうな。あと、この人、元老院や今までの仲間に結構、粛清の嵐を吹かせたらしい。
とはいっても、政治は安定していて庶民は食うに困らなかったが、辛気臭いので人気が最後まで出なかったという親の心子知らずの典型

このティベリウスの死んだ後、皇帝になるのが、カリグラ。ティベリウスの養子ゲルマニクスの子供。カリグラって名前はちっちゃな軍靴(カリガ)という意味なことは、この本で初めて知った。(本名はガイウス・カエサルって言うらしい)
小さな頃は、親父の軍団のマスコット。でも、親父は早死。お袋と兄貴は、皇帝に逆らって流刑死。

こういうのが成長して実権手に入れると、箍(たが)がはずれちゃうよねー。やたら、派手な皇帝だったらしい。
どこのお店(たな)でもしみったれの因業親父の後は、ぬっぺりとした放蕩息子が継ぐのが定番だから、ローマ帝国も、同じってことか。

でもまあ、剣闘士の試合といった娯楽だけでなく、公共水道の整備とか港の建設とかインフラ整備道楽もしたのが、そこらの若旦那の遊びとは違うところ。(道楽の究極、庭道楽に手をだしちゃった、ということかな)

財政破綻の始末をつけようと税制度かえたり、不満な元老院議員を反逆罪で告発して財産没収したり、なんか結構ワヤなことやったみたいだが、最後は、近衛軍団の軍団長に暗殺されて一巻の終わり。

暗殺した近衛軍団の軍団長は、亡き親父に目をかけられていた人らしいから、不肖の若君を、亡き殿にかわってじいやが泣く泣く手にかけたってことかな。(この軍団長、弁解もせず死刑になったところも、なんか切腹っぽい)

塩野七生「ローマ人の物語 17 悪名高き皇帝たち[一](新潮文庫)

初代皇帝 アウグスティヌス没後のローマ皇帝(5代皇帝 ネロまで)のシリーズの文庫本第17巻。

あちら(ヨーロッパ、アメリカ)では評判悪い皇帝達らしいが、先入観ないこちら(私みたいな輩)は構わず読み進めよう。

この巻は、陰気な2代皇帝 ティべリウスのお話。

無用な戦争は避ける勇気もあり、食糧政策や国家運営も十分にこなし、私生活では浮気もせず、派手なギャンブルもしない品行方正な親父の不人気物語。
(あちらでは隠居後の島で、美少年達と酒池肉林なんて話があるらしいですが・・・どうもガセ)

出来の良い息子の早死という気の毒なことや、義父の威厳を笠にきたような女房の気位の高さとか同情すべきこととか、あるんだけど、いまいち感情移入できないのは、「・・・なんか・・・暗い。・・・うざい・・・」という感じを抱くからかな。
(弁護すれば、義理の息子の即位を条件に皇帝になれた、ってことらしい。人格歪むのも尤もかも・・・)

実際、治安や生活面では、先代の皇帝の時以上に楽になっているんだし、不満のもとが「暗いから」ってのは、ちょっと、勘弁してよ~、というのは理解できないでもない。

だからといって、実権もったまま、孤島で帝国をリモートコントロールって発想に直結するってのは、人気取れない証拠。自業自得と思うけど・・・・