コミック版の三国志といえば、横山光輝の三国志があまりに有名なのだが、このたび劉備玄徳の「蜀」側からではなく。曹操孟徳の「魏」側から描いた王 斤太作の「蒼天航路」を通読した。
ざっくりと感想からいうと、作者の画風の違いもあろうが、道徳臭の強い劉備側でなく、俗人臭の強い曹操側から見ると三国志というのがこんなに違って見えるのかいな、というところ。
なにせ、登場人物の行動が「濃い」のである。女性が登場すればすぐに性行為に及ぶところを始めとして、なによりも自らの欲望に忠実すぎて、そこまで欲を出さなくてもいいんじゃないの、と淡白な日本人の私としては思ってしまうぐらい「濃い」のである。
で、これは乱世の物語といえば当たり前のことでもあって、体制の保持という観点が重視される治世の時代は、生の欲望を抑えないと既存の体制そのものが揺らいでしまうのだが、乱世の時代は隙あれば既存の体制をひっくりかえしてやろうという輩ばかりで、そういうのが集まれば、まあやりたい放題の濃い世界が現出しても不思議ではない。
その意味で、乱世の時代であった「三国志」の時代を漢の再興を表向きに歌った劉備玄徳ではなく、乱世の姦雄を嘯いた曹操の視点から描いたこの作品は、横山三国志より「乱世」を強く意識した作品といってよく、様々な視点で揺らぎを見せている現代の日本における「三国志」の解釈といってもいいだろう。
ただ個人的な苦情をいうとすれば、曹操にあまりにも野心的、理想的に描かれる反作用として、劉備があまりにもだらしのない姿で描かれることが多くて、横山三国志でスタートした当方として、そのギャップに苦しむのである
日本の人口最少県である鳥取県に住まう、リタイア生活の途上人の田舎の日常のあれこれ。「辺境」には地理的、意識的の二つの側面があり、 あくまで『”中心”ではない』と宣言中。このサイトは、本編「辺境駐在員の備忘録」の過去ログ+私的な記録+補遺なのであしからず
2014年4月19日土曜日
2014年4月6日日曜日
「釣り吉三平」を読んで思う「失われた古里」
講談社マンガ文庫版の「釣り吉三平」を衝動買いし、数日間、それにかかりきりになっていたのだが、よみすすむにつれ、我々の「ふるさと的原風景」はなんとも遠くにいってしまったのだな、と思った次第。
このマンガの舞台は、おそらくは筆者の故郷である東北(秋田?)の山間部で、時代的には昭和30年代から40年代にかけて、と思っているのだが、そのマンガに中で微細に描かれる自然の濃密さは、すでに我々が想像しようとしても想像できないぐらいの濃さを示していて、どことなく非現実的である。
そして、彼を取り巻く人間模様。一平じいちゃんや百合っぺ、彼女との父母、そして三平の子分である◎◎、いずれも底なしに良い人なのだが、どことなく昔話や昔語りにでてくる登場人物に似ていてなんとも実在感が今となっては希薄に感ずるのである。
おそらくは十数年前までは捜そうとおもえば、まだいくらかは残っていた自然であり人間関係ではあったのではあろうが、ネットとモバイルに占領されてしまった今では、断片化する一方の関係性のなかでもはや見つけることのできない、古(いにしえ)の夢となっている。
そして、そうした関係性を懐かしむ我々のような旧世代がいる間は、なにかしらノスタルジーをもって語られるのだるが、我々の後の世代にとっては、およそ懐かしむ対象でもなく、文献的な記録の対象となっていくしかないのだろう。
せめても、そうした記憶の残っているで世代が、こうしたものを読み継ぎ、過去にあった「美しきもの」として記録に残すのが出来ることのほとんどなのかもしれない。2011年11月27日日曜日
『こざき亜衣 「あさひなぐ」(小学館)』 がオモロイ
最近評判がよいスポ根マンガ、ということでついつい3巻まで買って一気に読んでしまったのだが、主人公の女子高生 東島 旭 におもわず頑張れってな感じで声をかけたくなる、ひさびさにあざとくないスポ根ドラマである。
発端は、今まで全く経験のない主人公が、高校に入ったのを機会に、今までとは一味もふた味も違うようになりたい、といって部活動のオリエンテーリングに出る。そこでひょんなことから、入ることになったのが、マイナーもマイナー、マイナーが裃着てやってきたような「薙刀部」。一緒に入ることになった、剣道部崩れの八十村将子とお嬢さんで長身の紺野さくらと部活生活に入るが・・。
ってな感じで、まあ滑り出しは、よくあるスポ根マンガと変わらない。このマンガのいいのは、なんと3巻になっても、主人公の旭は、とっても弱っちいのである。ライバル校の薙刀エリートに上から目線で喋ったり、悪態をついて引っぱたかれたり、といったアクシデントはあるのだが、いまだ体力もなく、不器用で、およそスポ根の主人公らしくない。
スポ根の主人公といえば、実はそのスポーツに隠れた才能があることが見る人が見ればわかっていたり、悲運の怪我で引退した名選手の血筋だったり、とかおいおいそんな設定ありえないだろーが、てなことが多くて引いてしまうのだが、この「あさひなぐ」は都合三冊にいたるまで、主人公がヘタレのままってのがいいのである。
まあ、なんとなくこれから、自分の欠点を逆に生かしてパワーアップ、起死回生の新商品をつかんだ弱小企業の逆転ドラマ、ってな展開が予測されることは予測されるのだが、へそ曲がりなおっさんとしては、ヘタレのままなんだが、どういうわけかまぐれのように試合に勝ってしまって、自己嫌悪しながら、またまた勝ち残る(でもまだ最後の前ぐらいで敗退ーー)ってな感じを貫いていただきたいのである。
ヘタレのスポ根マンガの今後に期待!!
2011年9月25日日曜日
星野之宣 「宗像教授異考録 3」(小学館 ビッグコミックススペシャル)
宗像教授異考録シリーズもいよいよ三作目
収録は
第1話 人穴
第2話 鬼の来た道
第3話 神在月
簡単にレビューすると
まず第1話の「人穴」は長野県の洞窟で発見された蛇体の神像の調査に赴いた宗像が、忌部神奈に出会うところから始まる。当然、いろんなトラブルというかアクシデントをもたらす彼女の登場なので、通常の遺跡調査に終わらないのは想像のとおり。今回は、実在のIT界の革命児を模した網野富倍という人物をトリックスターとして物語が展開。三人が地底の穴に落ちたところから、甲賀三郎伝説、あるいは徳川家康の伊賀越えの話に展開が及んでいく。蛇神像が出てきたり小道具はおどろおどろしいが、本質のところは歴史の謎解きアクション(インディジョーンズみたいなもの?)かな
二つ目の「鬼の来た道」は宗像が学生時代の旧友で、今は歴史ノンフィクション作家になっている若緒と福井県で再会するところから事件が始まる。といっても本来の目的は、日本書紀に登場する「ツヌガアラシト」あるいは鬼、「物部」氏の調査。そのため「鬼狂い神事」を探りにいくあたりで、山深い山村に入り込み、といったところから、いつもの怪しいゾーンに突入。製鉄を生業としていた物部の子孫が、山中で鉄資源を探りながら渡り歩く姿や、製鉄のため激しい音と炎の中で裸で作業する姿が「鬼」の機嫌となっていったのでは、という話のあたりにふむふむと頷かせながら、突然、古代の秘事にもっていく手腕はさすが。
三作目の「神在月」は、日本古代史ではおなじみの舞台「出雲」である。島根の歴史文化館で開催される古代史のシンポジウムに招かれた宗像と忌部神奈が出会う、古の「出雲退社」。それは単なる神道の神社なのか、それとも、巨木遺跡をもつ「縄文」の何らかの意思をあらわした物だったのか?といった感じですかね。この話の狂言廻しを務める「古代史の権威」たちがなんとも神々しくて独特の味わいを醸し出している。
第1作、第2作とヨーロッパやインドの話も混じったグローバルなところがあったのだが、今回は、どちらかというと国内シリーズ。どちらが良いかは好み次第だろう
ただ、ヤマタイカ以降、「縄文」を扱うときの筆者の筆の冴えは、他の作者の追随を許さないように思う。以前と変わらない星野ワールドを堪能してみてはどうだろうか。
収録は
第1話 人穴
第2話 鬼の来た道
第3話 神在月
簡単にレビューすると
まず第1話の「人穴」は長野県の洞窟で発見された蛇体の神像の調査に赴いた宗像が、忌部神奈に出会うところから始まる。当然、いろんなトラブルというかアクシデントをもたらす彼女の登場なので、通常の遺跡調査に終わらないのは想像のとおり。今回は、実在のIT界の革命児を模した網野富倍という人物をトリックスターとして物語が展開。三人が地底の穴に落ちたところから、甲賀三郎伝説、あるいは徳川家康の伊賀越えの話に展開が及んでいく。蛇神像が出てきたり小道具はおどろおどろしいが、本質のところは歴史の謎解きアクション(インディジョーンズみたいなもの?)かな
二つ目の「鬼の来た道」は宗像が学生時代の旧友で、今は歴史ノンフィクション作家になっている若緒と福井県で再会するところから事件が始まる。といっても本来の目的は、日本書紀に登場する「ツヌガアラシト」あるいは鬼、「物部」氏の調査。そのため「鬼狂い神事」を探りにいくあたりで、山深い山村に入り込み、といったところから、いつもの怪しいゾーンに突入。製鉄を生業としていた物部の子孫が、山中で鉄資源を探りながら渡り歩く姿や、製鉄のため激しい音と炎の中で裸で作業する姿が「鬼」の機嫌となっていったのでは、という話のあたりにふむふむと頷かせながら、突然、古代の秘事にもっていく手腕はさすが。
三作目の「神在月」は、日本古代史ではおなじみの舞台「出雲」である。島根の歴史文化館で開催される古代史のシンポジウムに招かれた宗像と忌部神奈が出会う、古の「出雲退社」。それは単なる神道の神社なのか、それとも、巨木遺跡をもつ「縄文」の何らかの意思をあらわした物だったのか?といった感じですかね。この話の狂言廻しを務める「古代史の権威」たちがなんとも神々しくて独特の味わいを醸し出している。
第1作、第2作とヨーロッパやインドの話も混じったグローバルなところがあったのだが、今回は、どちらかというと国内シリーズ。どちらが良いかは好み次第だろう
ただ、ヤマタイカ以降、「縄文」を扱うときの筆者の筆の冴えは、他の作者の追随を許さないように思う。以前と変わらない星野ワールドを堪能してみてはどうだろうか。
星野之宣 「宗像教授異考録 2」(小学館 ビッグコミックススペシャル)
異端の民俗学者 宗像伝奇(むなかたただくす)が歴史の隠された謎を暴く「宗像教授シリーズ」season2の第2集
収録は
第1話 花咲爺の犬
第2話 割られた鏡
第3話 織女と牽牛
まず1話目の「花咲爺の犬」はおなじみ「花咲爺」の民話に秘められた縄文人と弥生人の「犬」観の違いが興味深く読める話。花咲爺の民話が広く語られるようになった根底に、犬の埋葬に見る縄文→弥生→→鎌倉を経て、戦国時代の愛玩犬の流行、そして徳川綱吉の生類憐れみの令までの、「犬」に対する感情の変化があるとするのは、ちょっと面白い発想。本編の物語は、このあたりとはあまり関係なくて、幼い頃に拾われてきた子犬とともに育った子供が成長につれ、「犬離れ」する。再び会ったときは、その犬の最期の時なのだが、犬は彼女のために・・・、といった「三丁目の夕日」でもありそうなお話
二つ目の「割られた鏡」はうってかわって、正調の「邪馬台国論争」の話。邪馬台国論争では、よく卑弥呼の鏡の所在が語られるのだが、その鏡の所在に、マスコミで持てはやされている考古学教授がからむのだが、実は、その鏡は・・・、といったことが発端。邪馬台国は畿内にあったのか、それとも九州かといったところの宗像の見解は本書を読んでほしいのだが、卑弥呼の鏡が見つからない訳の推理は秀逸。ヒントは、鏡は、姿を映した本人を象徴する、といったところか。もっと言えば、それを完全な形で残すということは・・というあたり。
最後の話は、珍しくヨーロッパからの留学生が登場。おまけに宗像の私設助手となっている姪の瀧ちゃんとのなんとも淡い恋愛沙汰もあったりして、本筋以外にもそのあたりが楽しめる。本編の謎解きは、七夕伝説と日本神話のスサノオが高天原で大暴れしたところとの関係性をメインにしながら、留学生のギリシア神話のミノタウロスとの相関性をめぐって、宗像と彼が大対立といった形で進行。宗像の隠し子疑惑も途中でてくるあたりが、このシリーズらしくなくてご愛嬌。
この巻は、最後の話がギリシア神話に亜半紙が及ぶが、最初の二つの話は、星野之宣が「ヤマタイカ」以来お得意とする、「縄文と弥生」「九州と大和」の話。筆者の手にのって、うかうかと楽しむのが一番良いのではなかろうか。
収録は
第1話 花咲爺の犬
第2話 割られた鏡
第3話 織女と牽牛
まず1話目の「花咲爺の犬」はおなじみ「花咲爺」の民話に秘められた縄文人と弥生人の「犬」観の違いが興味深く読める話。花咲爺の民話が広く語られるようになった根底に、犬の埋葬に見る縄文→弥生→→鎌倉を経て、戦国時代の愛玩犬の流行、そして徳川綱吉の生類憐れみの令までの、「犬」に対する感情の変化があるとするのは、ちょっと面白い発想。本編の物語は、このあたりとはあまり関係なくて、幼い頃に拾われてきた子犬とともに育った子供が成長につれ、「犬離れ」する。再び会ったときは、その犬の最期の時なのだが、犬は彼女のために・・・、といった「三丁目の夕日」でもありそうなお話
二つ目の「割られた鏡」はうってかわって、正調の「邪馬台国論争」の話。邪馬台国論争では、よく卑弥呼の鏡の所在が語られるのだが、その鏡の所在に、マスコミで持てはやされている考古学教授がからむのだが、実は、その鏡は・・・、といったことが発端。邪馬台国は畿内にあったのか、それとも九州かといったところの宗像の見解は本書を読んでほしいのだが、卑弥呼の鏡が見つからない訳の推理は秀逸。ヒントは、鏡は、姿を映した本人を象徴する、といったところか。もっと言えば、それを完全な形で残すということは・・というあたり。
最後の話は、珍しくヨーロッパからの留学生が登場。おまけに宗像の私設助手となっている姪の瀧ちゃんとのなんとも淡い恋愛沙汰もあったりして、本筋以外にもそのあたりが楽しめる。本編の謎解きは、七夕伝説と日本神話のスサノオが高天原で大暴れしたところとの関係性をメインにしながら、留学生のギリシア神話のミノタウロスとの相関性をめぐって、宗像と彼が大対立といった形で進行。宗像の隠し子疑惑も途中でてくるあたりが、このシリーズらしくなくてご愛嬌。
この巻は、最後の話がギリシア神話に亜半紙が及ぶが、最初の二つの話は、星野之宣が「ヤマタイカ」以来お得意とする、「縄文と弥生」「九州と大和」の話。筆者の手にのって、うかうかと楽しむのが一番良いのではなかろうか。
2011年9月23日金曜日
星野之宣 「宗像教授異考録 1」(小学館 ビッグコミックススペシャル)
日本の歴史を斬新な角度から読み解き。一種爽快ともいえる新たな解釈を与えてきた、宗像教授伝奇考」の次シリーズ
収録は
第1話 巫女の血脈
第2話 百足と龍
第3話 天平のメリークリスマス
第4話 大天竺鶏足記
の四話
コミックの筋立てを事細かにレビューするのは、これからの読者に興ざめだろうから、ざっくりとしたところをレビュー
「巫女の血脈」は、東北のイタコがテーマ。宗像の教え子が青森から出てくる。どうやら彼女は夫と死別したらしく、その死別もなにやら訳ありの様子。で、宗像は、土面をはじめとする縄文の文化を調べるため、青森に出かけ・・、といった展開。彼女が過去の呪縛からの解放とイタコのインタビューをメインの軸にしながら、縄文の土偶、特に遮光式土偶の謎に及ぶ話。イタコの話が近代の日本の歴史をなぞりながら、古代の悲しみにもオーバーラップするところが物悲しい。
「百足と龍」は、いってみれば宝探し奇譚のようなもの。田原藤太の百足退治の話を発端にしながら、戦国時代の金山の採掘跡を舞台にした、武田信玄の埋蔵金探しの話。この話では狂言廻しともいえる忌部捷一郎が登場。最後のほうで、武田信玄の軍師 山本勘助の意外な正体に及ぶが果たして真実はいかに
「天平のメリークリスマス」の舞台は群馬県。この話で、今後、このシリーズで宗像の、ある意味、大事な相方ともいえる忌部神奈が登場。美人の考古学者だ。で、話のほうはこの地を8世紀初め頃治めていた「羊太夫」という渡来人らしい人物の話から、聖徳太子へとつなげていく。日本へのキリスト教の伝播への考察も絡んできて謎ときとしてはかなり秀逸。
「天竺鶏足記」は文字通りインドが舞台。お寺さんの団体に随行した宗像が出会う、仏陀入滅後、56億7千万年後に現れて衆生を救うといわれている弥勒に関する話。仏陀の高弟 マハーカッサバが入定したのが鶏足山、弥勒が現れるといわれるのが鶏頭山。さて、その関係性は、ということで、古代の化石が絡んできて面白いが、ちょっと乱暴な筋立て。
このシリーズ「伝奇考」の頃から、その伝奇性が魅力。真偽は別として、古代史のロマンにひたってみるにはお勧め。
紙の本以外にもebookjapanで電子書籍にもなっているので、タブレットをお持ちの方はそちらも良いかも。自炊した場合よりも画面はクリアなので私は結構愛用しております。
収録は
第1話 巫女の血脈
第2話 百足と龍
第3話 天平のメリークリスマス
第4話 大天竺鶏足記
の四話
コミックの筋立てを事細かにレビューするのは、これからの読者に興ざめだろうから、ざっくりとしたところをレビュー
「巫女の血脈」は、東北のイタコがテーマ。宗像の教え子が青森から出てくる。どうやら彼女は夫と死別したらしく、その死別もなにやら訳ありの様子。で、宗像は、土面をはじめとする縄文の文化を調べるため、青森に出かけ・・、といった展開。彼女が過去の呪縛からの解放とイタコのインタビューをメインの軸にしながら、縄文の土偶、特に遮光式土偶の謎に及ぶ話。イタコの話が近代の日本の歴史をなぞりながら、古代の悲しみにもオーバーラップするところが物悲しい。
「百足と龍」は、いってみれば宝探し奇譚のようなもの。田原藤太の百足退治の話を発端にしながら、戦国時代の金山の採掘跡を舞台にした、武田信玄の埋蔵金探しの話。この話では狂言廻しともいえる忌部捷一郎が登場。最後のほうで、武田信玄の軍師 山本勘助の意外な正体に及ぶが果たして真実はいかに
「天平のメリークリスマス」の舞台は群馬県。この話で、今後、このシリーズで宗像の、ある意味、大事な相方ともいえる忌部神奈が登場。美人の考古学者だ。で、話のほうはこの地を8世紀初め頃治めていた「羊太夫」という渡来人らしい人物の話から、聖徳太子へとつなげていく。日本へのキリスト教の伝播への考察も絡んできて謎ときとしてはかなり秀逸。
「天竺鶏足記」は文字通りインドが舞台。お寺さんの団体に随行した宗像が出会う、仏陀入滅後、56億7千万年後に現れて衆生を救うといわれている弥勒に関する話。仏陀の高弟 マハーカッサバが入定したのが鶏足山、弥勒が現れるといわれるのが鶏頭山。さて、その関係性は、ということで、古代の化石が絡んできて面白いが、ちょっと乱暴な筋立て。
このシリーズ「伝奇考」の頃から、その伝奇性が魅力。真偽は別として、古代史のロマンにひたってみるにはお勧め。
紙の本以外にもebookjapanで電子書籍にもなっているので、タブレットをお持ちの方はそちらも良いかも。自炊した場合よりも画面はクリアなので私は結構愛用しております。
2011年7月23日土曜日
村上もとか 「JIN-仁ー」(集英社文庫)全13巻 読了
テレビドラマでもおなじみの「JIN-仁ー」を読了した。
今更ながらの筋立ては、現代(2000年)の脳外科医が、身元不明の患者と病院内でもみ合っているうちに転落し、幕末の江戸時代へタイムスリップ。
そこで、旗本の橘家の厄介になりながら、医院を開き、そのうち、坂本龍馬や勝海舟、西郷隆盛、さらには和宮や徳川慶喜などなどの幕末を動かしていた人物たちと知り合いになり、そして・・・、てな感じの、乱暴な表現でいえば、幕末医療大アクションものといっていいのだが、その本質は、現代の遅すぎた青年(なにせ、南方仁先生は30代の後半、40歳になろうかという歳だ)の、江戸時代を舞台にした自らの居場所を見つけ出す成長物語といったところにあると思っている。
医師の腕は立つが、なんとなく心もとない感じのする彼が、橘咲に出会い、幕末の傑物たちと出会う中で、医術を通じて、彼も、時代に影響を及ぼし、時代を回転させていく姿は、一種の爽快感を与えるのである。
そして、こうしたタイムスリップものの最大の課題は、タイムスリップに伴う過去の変更といったことを、どう処理して物語を閉じるか、といったところなのだが、その点も、この「JIN-仁ー」は、余韻のある、巧い処理をしており、筆者の手腕はさすがというべき。
タイムスリップものといえば、SF小説では、かなり書かれているネタで、ハインラインの「夏の扉」や、日本では半村良の「戦国自衛隊」など秀作といっていいものが数多く書かれているのだが、この「JIN-仁ー」も、その一つにリストアップしてよいのではなかろうか。
2011年3月20日日曜日
横山光輝 「三国志」ほぼ読了
横山光輝の三国志(潮漫画文庫版)をほぼ読み終えた。ほぼ、といったのは、23巻がまだ手に入ってなくて、イーブックオフからの配達待ちになっているから。
もともと、三国志演義の中心は劉備元徳、関羽、張飛が、桃園の誓いをし、漢王朝の復興を目指し、孔明が参画し、てなところだと思うので(本当の中心人物は曹操だ、という話もあるにはあるのだが、それにしては、ちょっと悪役すぎる描かれぶりだ)、当然、話の中心は「蜀」になるのだが、この物語の見所、読みどころは、そこだけじゃなくて、周囲にいる個性豊かな脇役陣、とりわけ、敵国の呉であり、魏の名臣たちの活躍ぶりにもある。
ただ、23巻は「孔明の南蛮行」となっていて、孔明が、東南アジア諸国を攻めたところらしいので、中原の覇権争いには直接関係ないよね、ということで、三国志は、ほぼ読了した、としておく。
一気読みしたせいか、戦乱また戦乱で、攻めたり攻められたり、名将死す、かと思うと名将現るってな具合で、少々茫漠とした思いにかられているのだが、簡単な読後感をエントリーしておこう。
とりわけ、唸らされるのは、周愈と司馬仲達。両者とも孔明に煮え湯を飲まされることが多い描かれようなのだが、二人が孔明と戦う様は、インテリジェンスの極致といってよい。
そして、戦場での負傷が元で亡くなる際、「天はこの周愈を地上に生まれさせながら、何故孔明まで生まれさせたのだ」と嘆く周愈の姿に、不幸にして同時代に巨大な才能と居合わせてしまったナンバー2の悲しさをみることができる(巻15)し、孔明に何度も破れ、魏の中でも、その力を疑われて一度は失脚しながらも、復活し、魏王朝を脅かすまでの力を蓄えていく司馬仲達の姿(26巻、30巻)に不遇の時にあっても復活をあきらめない不屈の人の姿をみることができる。(仲達が失脚していた時に、必ず再度お召しがくるからと、「のんびりと待ちなされ」という、司馬師、司馬昭とのやりとりは、短い頁数ではあるが、司馬一族の懐の深さが感じられて、なんか印象的)
それにしても、次から次へと人材が排出されてくる「魏」に比べ、時が経つにつれ、人材が薄くなってくる「蜀」そして「呉」。
このあたりが、天下の形勢を分けたのだろうな、思うことしきり。では、なぜ、人材の多さ少なさを招いたのかってなところは、三国志のエピソード以外で思うところもあるので、また別のエントリーで。
2011年3月15日火曜日
横山光輝 「三国志」 を読み始めた
地震の被害が明らかになるにつれ、被災された方々の苦境、心労を思うと痛ましいばかり。あらためて、心からお見舞い申し上げたい。
さはさりながら、日々の暮らしはいつものように過ぎ去るもので、実は数日前から、横山光輝の三国志(潮漫画文庫版)を読み始めた。
もともと、いつかは通読を、と思っていたのだが、なにせ、「きぼうコミックス版」では60巻、「潮漫画文庫版」でも30巻という大著なので、ヤフオクで手に入れるにしても、結構値もはるので躊躇していたのだが、最近、仕事の方が一山越したお祝いと、ブックオフで少々のこぼれはあるにせよ20冊ばかり半値以下ででていたので、エイヤッとばかりに買い込んでしまった。
(こぼれの巻は、新刊やamazonで読み進むにつれて買い足し中)
読み始めると、いや、なかなか面白い。
劉備玄徳の聖人君子ぶりがちょっと鼻につく感じはあるのだが、曹操の悪辣な才子ぶり、孫策の直情ぶり(今日のところは孫権はやっと即位したばかりなので印象薄い)、そしてこれらの主役級を取り巻く董卓、袁術、袁紹らの傲慢であったり、せせこましかったりの人間描写など、いや、さすがに古典を題材にとった横山光輝氏の筆の冴えは素晴らしい。
まあ、読むにつれ、登場人物が幾何級数的に増殖するのと、読んでも読んでも戦乱また戦乱、国をとったり、とられたり、の連続なので、いささか茫漠とした思いにかられていないわけでもないのだが、おもわずページを繰ってしまうのである。
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