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2017年3月13日月曜日

News Week 「イギリスで進む「脱」民営化」で思う「顧客」の変化と民営化の理念の風化

News Weekで「イギリスで進む「脱」民営化」という記事がでていて、サッチャー時代に一世を風靡し、日本でもいまだに影響力の強い「民営化」について批判的な内容。 この記事の筆者は電気サービスとか年金とか、公営から民営に移管されたサービスを比較し、最後に
どうやら公営企業は、民間企業に改善を促すような新基準を打ち立てる役割を果たしているようなのだ(たとえば公営のNESTの「脅威」に対抗するために、民間企業の年金ファンドは手数料を下げるようになってきた)。 さらに公営企業は、民間よりしっかりと顧客ニーズに対応できる(民間企業では株主と経営者の利益が最優先だ)。そして公営企業は、大量の顧客を獲得し、効率的な経営ができる。 僕は民営化に対して賛成、反対の確固たる自説があるわけではない。でも僕(自由市場でいろいろな情報を手にしている一消費者だ)の最近の行動を見てみれば、おのずと見えてくる。僕が「消費行動という投票」によって、民営化に反対票を突きつけているということが。
といったことで締めくくっている。 サッチャー首相以来のイギリスの民営化といえば、鉄道からエネルギー産業、年金システムまで、ほぼありとあらゆるものを民営化の対象とし、国営や公営は非効率の極みであるような扱いがされていたもの。

この影響は、日本にも強く及んで、いまだに行政改革といえば「民営化」「民間委託」がいの一番にでるぐらい。 その民営化の本国というところでの「批判」なのだが、記事を見て思ったのが、「民営化」のシステムがどうこうというのではなく、民間企業ではあるが、サービスの基本、「顧客は誰」というところがおろそかになっているのが原因では、と思った次第。

 もともと、国営や公営の欠点といわれるのが、いわゆる「お役所仕事」で顧客たる国民や県民をみていない、ということであったのだが、どうやら、物事が安定化すると「顧客」を見失ってしまうのは、国営だろうが、公営だろうが、民営だろうが関係なくて、要は「惰性」によるシステム疲労を来しているかどうかということであったのかもしれない。 

となると、運営主体をどうこうすれば物事は解決するんじゃなくて、いかに「顧客」をブレさせないシステムを維持するかっていうのが大事であって、それは、競合状態を常に確保しておく、つまりは「独占」をいかに排除するかっていうことにつきるのかもしれないですね。

2014年11月8日土曜日

フィンランド首相の恨み節に思う、複線的路線の大事さ

先だって、ノキア・ブランドが消えてしまうことについてエントリーしたところなのだが、JーCASTニュースのこの記事」によると

2014年10月10日、米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズはフィンランドを最上級のAAAからAA+に評価を引き下げた。これを受け、フィンランドのアレクサンデル・ストゥブ首相は13日、CNBCのインタビューで「アイフォンがノキアを、アイパッドが製紙業を殺した」と発言した。
かつて携帯電話で世界1位のシェアを誇っていたノキアは、スマートフォン市場に対応できず、2013年に携帯電話事業をマイクロソフトに売却。看板産業である製紙業の低迷もアイパッドなど電子リーダーの隆盛に影響を受けたという見立てだ。
一方でストゥブ首相は「われわれは必ずカムバックする」と述べている。

ということのようで、確かに今のノキアの凋落はiPhoneに始まるスマートフォンが携帯電話の世界を一新したことに間違いないだろうから、そうだねと思うところあるが、製紙業のところはどうかな、と思う次第。

個人的な仕事の環境を考えても確かに「紙」を利用する場面は減っているのは間違いないのだが、相変わらず紙の書類や紙の書籍が主流の場面は多いように感じてる。

ちなみに日本紙パルプ商事株式会社のグラフで見る紙のデータのページを見ても、紙の消費量は世界全体で、2008年 391,228千トン、2012年 399,985千トンと、アジア地域の消費が伸びているせいか、むしろ増えている。
もっともヨーロッパ地域では減少傾向にあるし、Kindleを始めとする(けしてiPadではなく)電子書籍の普及はアジアよりアメリカ、ヨーロッパにおいて進んでいるから、その影響をフィンランドの製紙業がもろに受けたというのは正解かもしれないが、紙全体がどうこうというのではなく、アジアへのシフトにうまく対応できていないせいのような気もする。

ただ、まあノキアといい、製紙業といい、モノラルなもので一旦当てると、一国の投資価値を押し上げ、一時代を風靡するのだが、いざ衰退となると一挙にくるな、というのが実感。
特にフィンランドは、ノキアなどによる上げ潮も大きかったから、その分下げ潮を大きく見えるのだろう。

単線的な大成功ではなく、複線的なそこそこの成功を組み合わせることが大事なのかもしれないですね。

2014年10月25日土曜日

「ノキア」ブランド消滅に思う「ブランド力」というもの

日本経済新聞のWebなどによると
 【シリコンバレー=小川義也】米マイクロソフト(MS)は24日、ノキア(フィンランド)から買収した携帯端末事業のうち、主力のスマートフォン(スマホ)のブランドについて、「ノキア ルミア」から「マイクロソフト ルミア」に名称を変更すると発表した。
 近く発表する新製品から切り替える。「フィーチャーフォン」と呼ばれる従来の携帯電話機は「ノキア」ブランドを当面使い続ける(元記事はこちら)
とのこと。マイクロソフトの公式発表ではないから、定かなことではないかもしれないが、買収の頃から名前がいつまで使ってもらえるか、といったことは取りざたされていたから、ああ、その時期が、ついに来たかといったところではある。
「ブランド名の力」ということを考えれば、今回MSが名前を使うのをやめるというのはわからなくもなくて、新技術と世界標準を示していた「ノキア」という「名前」は、すでに「Apple」や「Google」といったブランドに取って代わられているし、普及性という意味では「Samuson」いや「Xaomi」にすら取って代わられている状態なので、昔、携帯の世界標準であった「ノキア」という名前を使うのは「昔は家柄もよく云々」を表していいるだけになっているから、企業戦略としては納得がいくものではある。
一方で、ひと頃は、アメリカなどの超大国ではない、北欧の中小国であるフィンランドを世界ブランドに押し上げ、フィンランドの教育から社会体制まで、ありとあらゆることを日本は見習うべき、といった論調の根拠(例えば「フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書 (0453))
」など)になっていたメーカーであり、ブランドでもあるので時代の趨勢の変化というのはなーという思いに駆られないでもない。
ノキアの凋落はスマホ対応やら諸々理由があるだろうから、そこは識者の分析に任せるとして、思うのは、ひとつのブランドにイメージを頼ることの怖さであって、このあたり、Samusungと韓国、ひところのSONYと日本といった構図でもある。もちろん、Nokia,Samusung,SONYの業績が悪くなることは、それほどの規模の企業となれば当然その国の経済に悪影響を与えることは間違いないのだが、それ以上に企業のイメージが色あせるのが、国のイメージが色あせてくるような感じがするのだ。
このへん、ひところのGM,,GEといったイメージから何でもありのイメージとなったアメリカや、もともと企業イメージではなくてChineイメージのみの中国とはかなり異なっているように感じていて、複数のイメージを抱え込んでいくほうがかなりタフな戦略をとれるような気がしているのである。

2013年2月10日日曜日

佐藤 優「読書の技法」(東洋経済新報社)

評判と評価の程はいろいろあろうが、インテリジェンスと外交問題では識見の高い筆者の読書論。
もともと外務省時代から、その知識量や情報量にかけては外務省きっての人物であった人の読書論、いや読書論にとまらず情報の処理論と知識の集め方、身のつけ方の処方というべきなのが本書。

構成は
第Ⅰ部 本はどう読むか
 第1章 多読の技法ー筆者はいかにして大量の本を読みこなすようになったか
 第2章 熟読の技法ー基本書をどう読みこなすか
 第3章 速読の技法ー「超速読」と「普通の速読」
 第4章 読書ノートの作り方ー記憶を定着させる抜書きとコメント
第Ⅱ部 何を読めばいいか
 第5章 教科書と学習参考書を使いこなすー知識の欠損部分をどう見つけ、補うか
  【世界史】
  【日本史】
  【政治】
  【経済】
  【国語】
  【数学
 第6章 小説や漫画の読み方
第Ⅲ部 本はいつ、どこで読むか

となっていて分量的には第Ⅱ部もかなりあるのだが、個人的にも読者的にも、やはり興味を引くのは第Ⅰ部の読書の手法の様々だろう。

といって、多くの速読法といった読書技術を競うものではなくて、それぞれの分野の基本をどう熟読するか、どうエッセンスを抽出するか、といった技法が愚直な在り様で教示されているのは、表現者として誠実といっていい。とりわけ、「すでに十分な知識のある分野」でないと速読しても得られる成果はほとんどない、といったあたり、技術一辺倒の速読術への痛烈な批判といっていい。

まあ何はともあれ、本書で語られるのは、知的生産を行ううえで必須である「読書」を通して、知識の集積をどうするか、について「熟読」「超速読」「速読」というステージごとに論じられる手法は、これから知的生産と表現活動を志す人たちにとって参考となることは請け合いである。しかもその手法が、有体にいえば「要点を掴むよう読み、まとめ、ノートに記す」という手間のかかるもであるが故に信頼してもいいのでは、と思う次第なのである。

手法そのものをあれこれ紹介するのは、こうした読書論・技法の書籍のレビューとしては反則行為であるから詳述はしないが、読書手法のノウハウを知るという目的だけでも一読しておいた方がよいと思う一冊である。
(本書で紹介されているテクニックはた別の機会に・・・)

2012年1月29日日曜日

「iPhoneは米国で生産しない」が清々しく聞こえる。

J-CAST Newsによると、アップルのCEOであったジョブズが、オバマ大統領と会談した際、iPhoneをアメリカ国内で生産するつもりはないか質問されたが、言下に「そのつもりはない」と答えたそう。

世界的なビジネスを展開しているアップルであるから、その製造が、一国の状況に左右されてはたまらん、ということもあるのかもしれないが、製造の拠点の存置や誘致を望む国や自治体の多い中、こうしたアップルの態度は肝に命じておくべきだが、一方で、テクノロジーや知財の拠点は引き続きアメリカにある、ということに注意しておくべきだろう。
アップルのiPhoneをはじめとした製品の製造は中国であることや、Googleのandroid端末の製造の相手方が韓国のSamusunであり、台湾のHTCであることは周知のことなのだが、技術や研究の中心は依然としてアメリカであることは間違いない。円高が続き、大震災のあと、海外に製造拠点を移す企業が多い中、この際、産業立地について研究機能、開発機能のみを残す方策を考え始めたほうがいいのかもしれない。つい前にエントリーした産業経済の終焉ということが目の前にあるのなら、google,Appleを誘致するにはどうしたらいいか、ぐらいのレベルで考えないといけないのかもしれないですね。

2011年11月27日日曜日

「個衆」の時代の到来かー「出生動向調査」で考えた

日本経済新聞のWebによると
 
 交際している女性がいない未婚男性が初めて6割を超えたことが25日、国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」で分かった。交際相手のいない未婚女性も半数に迫り、過去最高を更新。このうち半数弱は交際自体を望んでいなかった。結婚の意思がある人は9割弱で横ばいだが、「一生結婚するつもりはない」と考える独身志向の未婚者は増えた。
 
 ということらしく、詳細は「「彼女なし」6割突破 うち半数弱、交際望まず  出生動向調査 2011/11/25 19:58」で確認してほしいのだが、まあ最近の不景気と将来の見えなさ加減では結婚しようなんて意欲も萎えるかもな、と思うのだが、気になるのは「「一生結婚するつもりはない」という男性は2.3ポイント増の9.4%、女性も1.2ポイント増の6.8%で、「態度不明の割合が減り、独身志向を表す未婚者が増えた」というあたり。
 
ちょっと乱暴な表現なところもあるのだが、男女ともそこそこ食える、あるいは国際的に見てもかなり上の水準で暮らしていける収入が得られる層の多い(ほとんどの人が飢えないということだけでも世界的にはかなりのもんだ)状況では、生存本能も萎え気味になるのはしょうがないところだろうし、自活の道があれば、意に染まない結婚は願い下げってなとこもあるんだろうが、他と交わることが嫌であるがゆえの非婚願望であるなら、国というよりは、ジャポニカ種の存続の問題としてちょっと心配。
 
個人的な感じとしては、日本の若者の多くが、「個」としての存在はきちんと考えを持ち自覚もあるのだが、集団としては固まった意思のない、まとまりのない「衆」の状態がますます強まっているような気がして、なんとなく、日本人、言い換えればジャポニカ種の生命力の弱まりが出現しているような気がするのである。
 
まあ、「結婚」だけが、日本人の生命力の強さを示すものではないだろうが、雑然さというか猥雑さを日本社会が失いつつある今日、せめて惚れたはれたぐらい元気でいろよ、若者たち、と辺境に住まうオッサンは思うのである。

2011年11月26日土曜日

クレーム処理はレスポンスが大事

風邪が治りきらずぐずぐずしていたことや、治りかけたと思ったら仕事がピークになったり、とやらでなかなかブログの更新ができなかったのだが、ようやく仕事も山場を越したので久々にエントリーをしよう。
 
 
で、実は最近、ScanSnapのWindows7 64bit対応や、アンケートサイトのポイント還元や、DVD変換ソフトのオンライン販売で、トラブルが相次いで、続けざまにクレームというか、お尋ねメールをあちこちに出したのだが、この際に思ったのが、初期のレスポンスの大事さ。
 
紹介先は3つほどあって、そのうち2つは翌日に受付メールがあり、のこり1つは返答メールが翌々日になったのだが、オンラインという顔の見えない環境でのことのせいか、返答や受付しましたよ、といったメールが即座に届くかどうかでなんとなく印象と信頼感が違ってしまう。
 
実は、ソフトのオンライン販売のサイトは1週間が経とうとしているのに、いまだに解決していない状態で、これはこれで対応の雑さにちょっと頭に来始めているのだが、頭の天辺まで血が上りきってしまっている状態でもないのは、最初と途中のレスポンスの速さのせいだと思っている。
 
時間がかかりそうな案件は、ついつい対応が後になったり、レスポンスが遅くなったりしがちなのだが、何はともあれ反応しておくっていうのが大事なのかもしれませんね。
 

2011年11月13日日曜日

アマゾンのビジネススタイルに学ぶ「ひとつの同じ枠の中だけで採算を採ろうとはしない」

瀧口範子さんのブログ「シリコンバレー通信」の2011.11.9のエントリー「電子書籍を貸し出すアマゾンの出欠サービスっぷり」でアマゾンのビジネススタイルについて
 
 それにしても、アマゾンの出血サービスはいつものことだが、最近はますます磨きがかかっている。どうも見ていると、アマゾンという会社のやり方は、何でもひとつの同じ枠の中で採算を採ろうとはしないことだ。別のサービスも含めたもっと大きな図の中で採算を考えているとか、あるいは将来の発展型を想定して、そこから採算をはじき出しているとか、そんな風に見受けられる。
 
という記述を見つけた。
 
出血サービスをやりながら中期的なところではしっかり大きな利益を出しているアマゾンのやり方を表しているのだが、私たちの個人的なビジネススタイルを考えるにあたっても参考にしたいところ。
ともすれば、一つの限られた職場、仕事の中で利益を出す・成功を得るところに血道をあげてしまいがちであるし、一つの道だけに専心することを美徳としがちなのだが、採算をとる・成功するレンジ(範囲)を広く構えておく努力をする、ということは、常に考えておくべきことなのだろう。
仕事上の失敗で落ち込んでいるときや、なんとなく閉塞感に苛まれているときは、「今はアマゾンのように出血サービスをしているところさ」と嘯きながら、ビジネスの側面、プライベートの側面、すべてを総合したところで「採算を採る」というのはどういうことか、じっくり考えてみてもいいかもしれないですね。

2011年10月6日木曜日

スティーブ・ジョブズ 追悼

新型iPhoneの発表から時を経ずして、突然の訃報というのもなんか劇的なのだが、ついに来るべきものがきた、ということだろう。

少なくとも21世紀の前半を象徴する企業人というよりは、電子機器を媒体とした一人の思想家が亡くなった、というべきだろう。

辺境に住まう私は、iPhoneやiPadぐらいを使っている、マカーとはいえない存在で、むしろWindowsのお世話になっていることが多い輩なのだが、それでもジョブズの思想の明快さ、彼の生み出した数々のガジェットが我々の生活様式だけでなく、思考スタイルにまで多くの影響を及ぼしていたと感じている。

彼を失って、Appleがどう変わっていくのか、あるいは数々のモバイル・コンピューティングがどう変化していくのか、東アジアの辺境の住人にはおよそ想像もできないことなのだが、すくなくとも革新的なアイデアの創出源の一つが失われたことは間違いない。
彼の冥福を祈って、合掌。

2011年9月27日火曜日

マクドナルドの定年制復活に思う「ナレッジマネジメント」

J-CAST NEWS の「日本マクドナルドが定年制を復活 「成果主義」思惑はずれ若手育たず」によると
 
   日本マクドナルドは2012年1月から、60歳定年制を復活する。同社は年功序列の人事・賃金制度の廃止など、成果主義の人事体系を目指しており、その一環として06年に定年制を廃止していた。
   いったん定年制を廃止したものの、復活するケースは非常にめずらしいという。
 
  定年制の復活について、同社は「若手社員を伸ばしていく企業文化を根づかせていくため、年功序列を廃止するなど、実力主義への意識を高めようとしたなかで、定年制を廃止すべきと考えたが、時期尚早だった」と説明する。
   定年制の廃止は、ベテラン社員の経験やノウハウ、スキルが活かされるメリットがある。しかし同社によると、経験豊かなベテラン社員が自身の成果をあげることを優先してしまい、若手社員の育成が疎かになってしまったという。ベテラン社員のもつノウハウなどの若手社員への伝承がうまく進まなかったと反省している。
 
とのこと.
 
マニュアル至上主義の感のある同社で、こうした理由での定年制復活は妙に興味深い出来事。
 
ただ、社員の方からすると、マニュアルが最重視されて、若手育成が成果主義の下での評価がさほどではないのであれば、好き好んで力をいれないよな、というのはまあ、人の常というものだろう。
 
これが定年制の復活ということで、社員の一定期間の在職は確保されることになるのだろうが、若手育成に対する評価をきちんと上位にもってこないと、そのへんのモチベーションは働かないのではなかろうか。
 
確かに、昔は、物を教えてくれる先輩とか、部下に気をつかってサポートしてくれる上司とかが、ノンオフィシャルな意味でも尊敬され、いわば「おせっかい」が歓迎された時代ではあったが、現代の職場環境は、成果主義、個人主義の浸透によって、とても、「おせっかい」を歓迎する雰囲気ではないし、むしろそんな暇があったら自分の成績を上げろよ、と言われんばかりの風情すらある。
 
もし、こうした若手育成、ベテランのノウハウや技術の移転ということをまじめに考えるなら、そうした育成をしている間や手間の部分で、どうしても個人の成績の面ではロスになるのは間違いないのだから、そこを補う明確な評価というか報償のシステムを考えるべきなのだろう。いかに社員とはいえ、人の持っているノウハウは安く使おうというのか考えないほうがいいですよねー、と辺境にある身としては思ってしまうのである。

2011年9月11日日曜日

「夏休みの宿題をためない方策」は、仕事のやり方に通ずるものがある

所さんの目がテンの再放送(うちは田舎なので、8/27放送分が、今日の午前中に放送される)をふと見ていると、子供がなぜ「夏休みの宿題を、ギリギリまでためてしまうか」というのをテーマにしていた。
 
それによると
 
「子どもはペース配分が苦手なため、まとめて渡すと、すぐにできると思い、遊んでしまうのに対し、小分けに渡した場合、宿題のペースが掴めるので、集中して計画的に終わらせることができる」
 
だから、夏休みの宿題のようにまとめて渡してしまうと、ついつい遊んでしまっ、夏休みの終わりの頃までためてしまうことになりがち
 
とのことなのだが、これは普段の仕事のやり方にも通じるものがあるのでは。
 
何かのプロジェクトとか、イベントとかを任されたとき、あれやこれや会議をしたり、いろいろ準備をしたり、けして仕事をしていないわけではないのだが、どういうわけか本体の準備や本筋が遅れ遅れになり、期限ぎりぎりになって、大慌てするのはよくあること。
こんな時、スケジュールや計画をじっくり組み立てておけば良かった、と悔やむのだが、この夏休みの宿題のように、そもそも、プロジェクトやイベントを、「丸ごと」の状態で認識して、「丸ごと」仕上げようとしているのが、間違いなのかも。
宿題を「算数」「国語」「理科」「自由研究」といったように分類し、小分けしてプリントを片付けていくように、仕事を、要素ごとに分類、小分けして、それを片付けていく、というやり方が、目標達成までの近道かもしれませんね。
 
 
ちなみに、「所さんの目がテン」のHPはこちら http://www.ntv.co.jp/megaten/

2011年8月25日木曜日

始まりの終わり と 終わりの始まり ー ジョブズ引退

ついに、というか、さすがのジョブズも病には如何ともできず、引退の日を迎えてしまった。

C-netの記事を引用すると

ついにその日が来た。Steve Jobs氏がAppleの最高経営責任者(CEO)を辞任することになった。米国時間8月24日に発表された声明によると、後任は同社最高執行責任者(COO)のTim Cook氏で、Jobs氏は会長に選任されるという。

ということで、個人的には、島田紳助さんや管直人首相の引退よりも、実は重く受け止めたニュース。

個人的な感想をいえば、スティーブ・ジョブズはPCメーカーのCEOということを超えて、20世紀終わりから21世紀初頭にかけて、我々の新しい精神生活のあり方やネットというものを中心においた新しい生活のあり方をマッキントッシュやiPhone、iPadというデバイスを通じて、語りかけていた、一人の思想家だと思うので、今回の引退は、一人の思想家の実質的な引退と思いたい。とりわけ、こうしたデバイスを通じて語りかけていた思想家は、新たなデバイスを創造する環境にいなくなったことが、すなわち思想を表明する手段を失ったことに近いから、残念ながら、もはや、ジョブズの思想的な肉声を聞くこともないのだろうと思う。

願わくば、appleが失速することなく、新しいデバイスを出し続けることを期待したい。というのも、青木恵美さんの「信州発ITライターの憂鬱」でApple TVのエントリー(Apple TVがやってきた~魔法のようなAirPlayにびっくり)を読んでApple TVが欲しくなっているんで、できれば、appleにはこれからも今の勢いを持続して欲しいんである。

追記

GIZMODEの「ジョブズは今後もアップルの未来を描き続ける」によると
アップルのスティーブ・ジョブズCEOとしての職をCOOのティム・クックに譲りました。でもウォールストリート・ジャーナルによれば、今後もアップルの戦略には積極的に関わっていくようです。
ということのようですね。となると、まだまだジャブズ流儀のアップル製品がでてくるということか・・。うーむ、Apple TV 買うかな・・

2011年3月21日月曜日

組織と人材について

昨日、横山光輝の「三国志」に絡めて、魏と蜀の人材供給の差について「またあらためて」と言っていたのだが、実はこれに関連して、塩野七生さんの「ローマ亡き後の地中海世界 下」で参考になりそうなフレーズがある。
P355

この時代のスペインは、ヨーロッパ一の強国であっただけでなく、新大陸までも支配下に収め、軍事面に留まらず経済面でも超がつく大国であったのだ。
「パクス・ロマーナ」とは「ローマによる世界秩序の確立」だが、この時代、「スペインによる世界秩序の確立」が成り立ったとしても不思議ではなかった、スペインは、大植民地帝国にはなった。だが、「パクス・ブリタニカ」になる以前に、「パクス・ヒスパニカ」の時代は訪れなかったのだ。その要因の第一は、近視眼的、とするしかないスペイン人の政治感覚、にあったのではないかと思う。つまり、自分たち以外の他の民族を活用する才能に欠けていた、ということである

そしてこれは、トルコ帝国にもいえて、あれほどルネサンス期に広大な領土を領していながら、「パクス・オトマニカ(オスマン帝国による平和)」が「パクス・ロマーナ」のような輝きをもたないのは

P323

一神教徒のトルコ人は、多神教徒のローマ人ではなかった。神は、自分の信ずる神のみ、と考える一神教では、信仰に熱心であればあるほど、自分とは異なる信仰を持つ者を同等には考えられないのである
といったところに原因があるのではないかと思う。
そして、この他民族への不寛容さ、もっと砕いて言うと、他者に対する不寛容さ、というのは、三国志の「蜀」にも通じるような気がしていて、それは、この国の精神的な成立根拠である「漢王朝の復興」という新時代の勃興を許さない「時代の変化に対する不寛容さ」に根ざしているともいえなくはない。
一体に、蜀の劉備元徳、諸葛孔明と魏の曹操を比較すると、人間的には、前二者が清廉である一方でひどく真面目な狭量な印象があるに対し、後者は濁のイメージを持ちながらも、なんとなはない才能が生かせる自由さを感じさせる。本当の話かどうかわからないが、南宋の世説新語の曹操の歌姫のエピソードのように、ある程度の傷には目をつぶって才ある者を使う、という象徴されるものがある。
そして、これは現代の組織における人材の育成、発見にもいえて、あまり綱紀に厳粛になると人を萎縮させ、異能ある人の意欲を削いでしまい、結果として組織の層の薄さを招いてしまうことになりかねない。やはり、人材の輩出を望むなら、ある程度の猥雑さを許容していたほうがよいのではなかろうか。

2011年3月2日水曜日

面と向かって話をすることの大事さ

10月から特定のプロジェクトチームに所属させられていて、本社から場所的に離れていて、取引先(合併先?)とでもいう所に間借りして仕事をしているせいか、最近とみに、面と向かって情報交換することの大事さというか、必要性を感じている。
 
今の仕事は、その間借り先で数機関との利害調整(自分の会社も含めて)をする場面が多いので、結構ストレスが貯まる仕事で、やはりリアルタイムで相互の意向が確認できないので、疎外感を感じがちになってしまうのは否めない。
 
おそらく、こういった疎外感が高じていけば、自分の立ち位置やら、存在意義なんかを確認するために暴走したりすることもありうるわけで、本社から離れた海外支社や海外の駐留軍が暴発したりするのも、このあたりが原因かもしれない。
「愚痴を聞く」という趣旨ではなく、互いに情報を交換しあう、現状を共通理解をもつという趣旨で、面と向かって話をする機会を積極的に持つことが、外地あるいは敵地で仕事をしている派遣者を安心させて仕事をさせる必須の条件なのではなかろうか。
 
 このあたり LifeHackerのSkype/VNCを使ってオフィスにバーチャル出社する方法 や Skype を使ってバーチャルオフィス化する方法 あたりでで紹介している方法で賄えるところも多いのだろうが、肝心なのは、息づかいやら、微妙な表情の変化や、声の調子を肉感として感じ取れるような形になっているかどうかだろう。
 
 
佐々木俊尚氏の「仕事をするのにあればオフィスはいらない」の中で紹介されていたアメリカ人のピップ・コバーン氏の投資コンサルタント会社の場合も、
 
「一番問題だったのは、メールやインスタントメッセンジャーでのやりとりだけだと、お互いの表情がわからないこと」で「表情がわからないから、ちょとした行き違いが誤解を招き、思わぬ対立を招いてしまったりする」。
 
このため「仕事の時間以外にも、パーティを開いたり、バーベキュー大会を実施したりして、お互いの交流を兼ねてリアルに会う機会を増やすように」すると「お互いのコミュニケーションはなめらかになり、メールの内容も誤解してしまうことも少なく」なったそうだから、やはり洋の東西を問わず、フェイス・トゥ・フェイスの効用というのは変わらないものなのだろうな。
 

2009年7月23日木曜日

「はじっこ」って意外に人気あったんだ

アイシェアの市場調査「はじっこ席に『座りたい』7割 ~はじっこがおいしいのは「パン」「ベーコン」「太巻き」!」
によると

パンやケーキ、ベーコンの切れ端などの食べ物のはじっこは好きかを聞いたところ、「大好き」が11.9%、「どちらかというと好き」が49.2%で、合わせると『好き』派が61.0%。女性は66.1%と男性よりも9ポイント高く、また40代では20代より10ポイント高い65.6%と、はじっこは女性や上の世代からの支持が高い傾向が見られた。
続いて、乗り物や飲食店などで、はじっこの席に座りたいかを問うと「かなり座りたい」が28.0%、「できれば座りたい」が45.3%と『好き派』が73.2%。全体の3人に2人がはじっこ好きであることがわかった。性別年代を問わず『好き派』は7割を超えている

ということで、以外に「端っこ」が人気あるので驚いた。
まあ、電車などの乗り物のはじっこの席は、右か左のどちらかしか人は座ってこないので、間に挟まれて、しかも両方とも汗っかきのオヤジってなケースの巻き込まれるよりは良いよな、と私の場合もできれば、はじっこの席を選択するのだが、食べ物の「はじっこ」が好きな人が多いのは、ちょっとおもしろい。
実は、うちの奥さんと息子もはじっこ好きである。いつぞや、何の気なしに「太巻き」のはじっこに箸を伸ばしかけて、すごい目つきで奥さんに睨まれて、おもわず取り落としたことがあるし、息子は息子で、パンの耳は自分が食べるので誰も手を出すな、と高らかに宣言する(誰も手を出さないのに、本人は至ってまじめに言うのが可笑しい)。
で、なんで好きかと聞くと、奥さん曰く、具と味が凝縮されていてお得な感じがするのだそうだ。ま、たしかに太巻きの真ん中の素っ気ない感じよりも、はしっこの具がはみ出したところの方が具が多くて味が濃い感じがしないでもないのだが、それしても睨むほどのことでもなかろうに、と思わないでもない。
まあ、端っこってのは、真ん中のところよりも数が少ない、希少性があるのは確かだから、そんなあたりがそそるのかもしれませんね。

2009年7月3日金曜日

中国家電販売大手の日本進出

いささか旧聞に属すのだが
秋葉原の老舗ラオックスを手に入れた中国・蘇寧電器の前途

中国家電量販大手の蘇寧電器集団(南京市)が経営再建中のラオックスを傘下に収める。出資額はそれほど大きくないが、中国企業が日本の上場流通企業の経営権を握るのは初めてで中国でも注目を浴びている。

ということで、中国の家電量販大手の蘇寧電器集団がラオックスを傘下におさめる。

ラオックスは、最近は業績の悪化で店舗を閉鎖してきているので、まあ、どこかの傘下に入るのも時間の問題かな、と思ってはいたのだが、十数年前の秋葉原の象徴のような「LAOX」のネオンの輝きを覚えている身としては、若干の寂しさを覚えないではない。
今回の出資の件については、中国側にも経営戦略的な面で賛否両論あるようだし、蘇寧電器集団側も、中国最大手の国美電器への対抗的な策でもあるようで、単純な日本進出という話でもなさそうなのだが、冷たく考えれば、東アジアの大マーケットである日本に、中国側が橋頭堡を設けたがるということは素直に納得できるような気がする。

少し国粋的で、手前味噌的な話になるかもしれないが、日本側の技術というか販売ノウハウというか、そういったノウハウ的なものが手中にできるといった思惑も働いているのだろう。

日本側にとって、良いか悪いかとなると、かっての製造業の技術やノウハウが海外移転してしまった例を思うと、良いことばかりではないだろうが、まあ、時代の趨勢なのかなといった感じである。

今回のような出資というと「えっ」とちょっと驚くが、これがPCのハードやパーツの話になるとAsusやAcer、恵安からエバーグリーンまで、台湾メーカーのオンパレードなのだから、昨今の中国企業の力からいえばありうる話とすべきなのだろう。

きっと2例目は、こんなには報道されないだろう。こんな感じで、だらだらと大アジア化は進んでいくんでしょうね。

2008年11月16日日曜日

ドバイよ、お前もか・・・

毎日JPの11月11日の記事にこんなのがでていた。

わずか半年前の「繁栄」が消えうせていた。ペルシャ湾岸のアラブ首長国連邦(UAE)で、オイルマネーを湯水のようにつぎ込み摩天楼の建設ラッシュが続いた金融センター・ドバイ。金融危機を引き金にUAE全体で60兆円規模に達する建設工事(計画を含む)が相次いでストップ、不動産市場では「売り手しか見つからない状態」(地元不動産会社)に落ち込んだ。
 ペルシャ湾でヤシの木の形をした人工島「パーム・ジュメイラ」の開発を手がけるなどドバイ繁栄物語の象徴だった政府系開発会社・ナキール社の経営破綻(はたん)説も流れる。同社の事情に詳しいガルフ・リサーチ・センターのエッカート・ウォルツ氏は「すでに工事は一部ストップしている」と指摘し、「大きすぎてつぶせないんだ」と危機の深刻さを語った。

ああ、ドバイも無傷ではなかったのねー、という感じで、アイスランドといい、ドバイといい、一頃の金融バブルやオイルマネーでわが世の春を謳歌していたところが、こんな具合の凋落するのを見ると、ありきたりの言葉だが、諸行無常といった感じが漂う。
もっとも、一時期とはいえここまで達することのできない国はたくさんあるし、アイスランドにしても、調子のいいときはEUの中でも、かなり強気に出ていて、それがためにイギリスの支援が受けられなかったのだ、といった話もあるから、単純な話ではないのだが、それにしても、まあ、といった感が強い。
一頃は、ドバイでは、日本のリンゴが1個1000円で売られている。珍しいものなら何でも売れる、といった具合で、わが国の農協やら貿易関係者やらも、懸命に売り込みに努めていたようだが、どうやら、ちょっと小休止といったところだろうか。
ただ、株の話ではないのだが、下がったところが買い時といった話やらがあるから、これから、こうした売り込みを全くやめてしまえば良いというわけにはいかないのが、難しいところではありますな。

2007年5月27日日曜日

私の中の「セイゾウ」偏重

NBOnlineの5月17日の宋文州さんの傍目八目のコラム「長男「セイゾウ」がそのお下がりを弟たちに着せる 」にしばらく考えさせられた。
「この「セイゾウ」的な雇用慣習が人々の雇用心理まで支配し、社会の人的資産の流動性を阻害し、新しい企業の誕生と発展の妨げになる」
といったあたりや、
「企業家精神の後退は企業家の問題ではなく、雇用形態に代表されているような長期にわたって「セイゾウ」という名の長男を優先した結果」
といったところ。
「このセイゾウ的発想が創造的なソフトウエア開発を阻害し、日本のソフトウエア産業を世界のそれから遅らせた遠因」
といった辺は、かなり激越な表現かとも思うのだが、自分の中の「セイゾウ」偏重は確かにあり、それは、安定とか磐石とかいった概念とも結びついていて、これは私だけの感覚というわけではないだろうと思う。
そう思う基は、地方政府の雇用対策や企業立地対策も、やはり「製造」を中心に進められているようなあたりであるし、最近の日豪のFTAをめぐる貿易論争における工業と農業の対立の議論で主張される「工業の足を引っ張る農業」論でもある。
私たちのような40歳代というか、高度成長時代に基礎教育を受けた世代というのは、「工業」や「製造業」が国の発展の根幹といった教育を受けてきたようなもので、われわれが、それなりに社会の中で発言権をもってきた時代の流れは、すなわち、人工物への信頼感と都市へ移動、定着をしていく流れとも符合していっている気がするし、それは一方で、第1次産業から離れていく軌跡でもあるし、田舎や地方が疲弊していく歴史でもあるような気がしている。
こうした思考のパターンは、私たちのような世代だけかと思っていたのだが、宋さんのコラムを読むと、どうもそうではなく、若い世代にもあるものらしく、宋さんが若人に「製造業の大切さ」を説かれた話も引用されている。
こうしてみると、「セイゾウ」偏重というのは、ひょっとしたら、現代日本人共通の性癖なのかもしれず、それが気になったせいなのか、野村進氏の「千年、働いてきましたー老舗企業大国ニッポン」を衝動買いしてしまった(衝動買いというほど高価な本ではないのだがね)。
この本を読みながら、「製造」というものへの考え方とか、あるいは定着と流動ということについて、あれこれ迷想にふけろうかな、と思っているところである。

2007年3月8日木曜日

プロシューマって何?

瀧口範子さんの「シリコンバレー通信」の3/8のコラムに『「自分でやる」ことのもう一つの意味』で、こんな記事をみつけた。

『第三の波』には「プロシューマー」ということばが出てくる。トフラー夫妻の造語で、モノを生産するプロデューサーと、そうしたモノを消費するコンシューマーが一体化して、消費者自身がモノを生み出すようになる。それが社会を変化させていくというのだ。
 トフラーによると、プロシューマーの行為には、たとえばATM機を使って自分でお金を引き出すことや、デジタルカメラを使って写真を撮ることなどが含まれる。
(中略)
無数の人々が無数のことを自分でやるようになるにつれ、貨幣経済の外側の活動がどんどん増え、貨幣経済と拮抗するようになる。近未来の人々は、そのふたつの経済を組み合わせて生きていくというのだ。

で、貨幣経済の外側の活動というのは

ある人は、実験的なことが好きだから自分でやる。あるいは趣味だから自分でやりたい。趣味の模型づくりがインターネットで売れたというのは、この類だ。あるいは、社会に対して責任を感じてやる人もいる。今ボランティアが増えているのも、その徴候だと彼らは見ている。トフラー自身は、学生向けに無料で講義をして、その代償に学生たちが家のペンキ塗りをしてくれたこと

といったことらしく、卑近な言葉で言えば、なんだ、近所や知り合い同士の助け合いみたいなものか、とも思ってしまい、近所の年寄りのPCを見てあげたり、蛍光灯の交換をしてあげて、お礼に芋の煮っころがしを頂くといったものかと一人合点する。
宵越しの金は持たねー、困った時はお互い様さってな、江戸っ子の下町的世界が、インターネットの発達で実現するかもねってなことかな。

2006年5月30日火曜日

企業は田舎に貢献できるか?

IT による経済発展を目指す米国内の経済後進地域大学を IBM が支援という記事を見つけた。
概略は

IBM (NYSE:IBM) は先ごろ、米国のアパラチア山脈中部周辺5州 (ケンタッキー、ノースカロライナ、テネシー、バージニア、ウェストバージニア) の私立教養大学および私立総合大学35校が所属する Appalachian College Association (ACA) との共同取り組みを発表した。同協会所属校の学生が財政的に豊かな大学の学生に遅れを取らないよう、IBM のソフトウェアやサービスを無料で提供するというものだ。
「テクノロジには、競争条件の不平等や地域格差を是正する力があると思える。われわれがやろうとしているのは、アパラチア地方の学生たちに世界という舞台で競争する機会と、それを可能にする技術を与えることだ。そして IBM は、次代を担う従業員およびその従業員を輩出するであろう地域のことに関心を抱いている」

ということで、狙いは企業の優秀な従業員の囲い込みの一環なのだろうが、こうした、いわゆる過疎地域に企業が投資をしていくのは賛成である。
IT技術の進化っていうのは、人口の集積地と非集積地の差を縮める、あるいは地方の格差を埋める、っていった謡い文句もあったような気がするが、現実のところは、人口集積地にますますITやネットワークの様々なサービスや技術が集積していくという、製造業などの第2次産業の集積と同じ構造を辿っているように思う。
考えてみれば、IT産業であっても、収益をとる構造は、他の産業と同じだから、人口が集積している地域で、その集積をさせるのは自明の理であるし、人口が多ければ、その分優秀な技術者が確保できる確率も高くなるから、拠点を人口集積地に求めるのも当然のことなのだが、、なにか「IT」あるいは「ネットワーク」という語感に騙されて、人口の非集積地においても集積地と同じサービスや技術集積ができるよう思いこんだこちらが悪いのかもしれない。
ではありながら、である。IBMのこういった取組は評価したい。IBMがんばれって応援したいのである。テクノロジの条件不平等や格差是正をする力っていうのは、確かにあると思うので、人口非集積地(まあ、田舎のことだよね)が元気がでそうなことは、日本の企業にもマネをしてほしい、と田舎住まいの私としては素直に思ってしまうのである。