2006年1月29日日曜日

今日のお昼はパスタ

今日は、奥さんの勤務日。

こんな日は、子供たちと外食するのが恒例になっている。ということで、いつものパスタ屋 「グラッチェ」。

ここのお店は、若い店員さんが多いのだが、美人が多くて、しかもみんな元気が良いのだ。

今日食べたものは、小エビのパスタ、PIZZA、ミートソーススパL


エリス・ピーターズ 「死体が多すぎる」(教養文庫)

修道士カドフェル・シリーズの2作目である。


ハヤカワ・ミステリマガジンで、カドフェルものは掌編的なものは読んだことはあるのだが、きちんとまとまった中編は初めてだ。リサイクルショップで、とびとびに買い込んだので順々にレビューしよう。

 まずは、この「死体が多すぎる」である。

時は1138年。舞台はイギリスのシュールズベリ。
といってもシュールズベリってのはどこだ・・・とググッてみると、「中世の都市」ってページがある。

このページによると、イギリスの本島の真ん中より下の辺りかな、ウェールズの近くで、11世紀のノルマン・コンクエストの時に防衛の要としてつくられたとある。



ノルマン・コンクエストってのは何だ、と今度は、この本の解説を見ると、1066年にノルマンディー公ウィリアム、イングランドを征服して「ノルマン王朝」ってのが始めたことのよう。
要はフランス人にイギリス人が負けちゃって王様になられてしまった、っていうことか。


とはいっても、フランスといった国家意識が芽生えている時代ではないから、ノルマンの王様がイングランドも支配下にいれてしまったぐらいの意識だろう。

 このウィリアム1世の没後、三男のウィリアム三世、四男のヘンリー一世が後を継いだが、このヘンリー一世が跡継ぎに娘のモード(この女性はフランス北西部のアンジューの伯爵と結婚していたらしい)を指名するが、旦那の支配地にいる間に、イングランドの貴族がヘンリー一世の妹の息子のスティーブンを王にすることに同意してしまったから、モードがおさまらない。王位を返せって訳で十数年、内戦が続く、といったあたりが、この小説の時代風景。


どうも、このあたりのヨーロッパの歴史は茫洋としていて、記憶にない。
東洋史的にみると1115年に中国では「金」が建国され、1125年に「遼」が、1126年に「北宋」が「金」によって滅ぼされている。日本史的には1156年の保元の乱、1159年には平治の乱がおきて、1167年に平 清盛が太政大臣になっている、といったあたりのようだ。


時代的な確認はここまでにして、この「死体が多すぎる」の筋立ては、スティーブン王がモードに味方するシュールズベリを攻め落としたあたりから始まる。
戦乱の常で、敵の捕虜94人を絞首刑にするが、その死体を埋めようとすると95体ある。しかも、紛れ込んだ死体は、後ろから紐のようなもので絞められていて、この処刑の際に殺されたものではないらしい。こいつは誰だ、といったところが発端。

それからスティーブンの味方についた、アライン・サイウォードという金髪美人が処刑された死体の中に、逃亡したはずの自分の兄を発見したり、アラインに首っ丈っぽい騎士が出てきたり、逃亡した城主のお宝の探索もあったり。

さらに、カドフェルが途中、逃亡したシュールズベリの城主の側近の娘が修道士に化けているところを一瞬で見抜いたり、いった決めシーンを交えながら、殺された男は城主のお宝運びをする予定の兵士で、現場には、トパーズのついた短剣の飾りの一部が残されている。持ち主は誰だ、そして殺人の目的は、といった感じで進行していく。


最後は、悪い奴と思っていたら、実は正義の騎士(ナイト)でした。悪い役人を正義の騎士(ナイト)が成敗して、キレーなお姫様と結ばれました。そのほかの、若い恋人たちは、異国で幸せに暮らすでしょう・・・ってな感じ。
テンポは緩いが、飽きさせず読ませてくれました。


「中世の修道院」っていうとなにやら怪しげな秘法とか、悪魔憑きとかをイメージしてしまうのだが、このカドフェルが十字軍あがりで真っ当な薬の調合を担当している修道士という役回りにしているせいか、妙な魔法くささや宗教くささは微塵もありません。
「ドラゴン アンド ダンジョン」のイメージで読むと間違うけど、とある中世の田舎町の事件という感じで読めばよいと思う。
ちょっと変わった異国情緒は、味わえる点はオススメ。

ファイルの横に文字を表示する

リンクとか写真とかを貼り付けたとき、横に文字が表記する方法がわからなかったのだが、偶然、別のサイトのソースを表示してみつけた。
リンクなりファイルのタグを、例えば左端によせ、右側に文字を入れるなら
<div style="float:left">
</div>
の中に記述する。文字は</div>の後に続けて記述。

2006年1月27日金曜日

大学入試と合否電報

Japan.internet.comで大学入試に関してこんな記事を見つけた。

「インターネットコム株式会社とエクスプレスリサーチが行った入試とインターネットに関する調査によると、受験生とその家族の9割近くが、入試問題速報をインターネットで閲覧したいと思っていることがわかった。
調査対象は、大学や専門学校の受験生やその家族、345人。
調査によると、入試問題の解答・解説・分析をインターネットで閲覧したい、と回答したのは、全体の89.6%(309人)にも及んだ。また閲覧する機器としては PC が97.4%(301人)と、携帯電話の1.9%(6人)を圧倒的に抑えた。
一方、入試合否の通知を受ける手段は、トップが「手紙やはがき」で34.2%(118人)、ついで「PC メール」27.0%(93人)、「電報」14.2%(49人)、「携帯メール」12.8%(44人)だった。]

というもの。
入試問題の閲覧をインターネットで、というのはネットで見る容易性と、紙とかでもらうのであれば、きっと、大学まで出向いたりとか、何か別の小難しい申請をしたりとかが省けるのではないか、という心理が反映しているのかもしれないが、おっ、と思ったのは、入試合否の連絡の最上位が「手紙やはがき」というところ。PCメールと携帯メールを合算すれば、39.8%になるので、「メール」という選択肢であれば最上位は変わったかもしれないが、いずれにせよ、手紙派は多い。
やはり人生の重要イベントは、「紙」ということなのかーーと思いをはせたところで、「電報」という選択肢があるのに気づく。

2006年1月24日火曜日

働き方のスタイル その2

昨日に引き続き、「働き方のスタイル」についてとりあげよう。
昨日も引き合いに出した、個人投資家の日常は、2006.1.13/20の週刊ポスト誌によれば

「朝は8時15分に起きて、先物取引の「動向や、米国株の状況を確認したりします。
もちろん(楽天証券の取引ツールである)マーケットスピードで、扱っている銘柄の株価情報も見ます。
新聞やテレビは見ませんね。
あとは、9時になったら、注目している銘柄の売り時や買い時を見つけて、取引するだけです。
午前の取引が終了する11時過ぎに遅い朝食をとって、午後も同じように取引をします。
15時を過ぎたら、その日の反省をしますが、16時以降は株のことは考えないようにしています。
テレビゲームもやりません。
近所に散歩に行くくらいですね」

という働き方らしい。
こうして資金160万円を5年で80億円にしてしまったのだから、ほーっとため息をついて羨むしかないのだが、
毎日(当然、日本の証券市場の立たない時は休むのだろうが)9時から4時までの間をほぼ規則正しく、ディスプレイに向かい、情報収集をし、証券売買をしているのだから、ノルマの有り無しを除けば、銀行や証券会社のトレーダーとさほど変わるところはない。
もっと言えば、以前「株屋」と呼ばれていた人たちが、電報や電話でやっていたことをネットという形でやっているわけで、働き方のスタイルとしては、新しく出現というわけでもない。
では、なぜ気になるかというと、普通の若者が職業選択として、こういうワークスタイルを選び、しかも世間も、当たり前のように認めているということ。それは、すなわち、多くの人の心の中で、「会社へ一同に会して行う仕事のやり方」が、倦まれてきていることではなかろうか。

2006年1月23日月曜日

ライブドア騒動の余波・・・人の働くスタイル

日常のごく細かなことを中心としたブログなので、世間で騒ぎになっていることは余りとりあげないつもりなのだが、このたびのライブドアの騒動で、私のまわりで一番話題になったのは、以前、ジェイコム株の売買で2億円余りの利益をあげていた27歳の個人投資家の青年が、今度は3億円ぐらい損してしまった、と日本TVにでていた話。
家人たちの話題の中心は、株で儲けた損した、というのではなく会社にも勤めず、自宅でのネット取引で160万円の元手を数年間で数億円の財産にしたということ。おまけに2億円の豪邸を建てたが、そのほかは金の使い道がない、といったあたり。
ネタのほとんどは週刊誌から得ている話なので、どこまで真実がどうかを確かめるすべはないのだが、私が興味をもったのは、「働き方のスタイル」の点。
実は、精神状態がすぐれないこともあって、時折仕事に出かけるのが、すごく億劫になる。できれば、PCなどを整備した自宅でネットで仕事ができないか、と思うことしきり(要は人に合うのが極度に面倒になっているのだ)なので、この青年投資家の、ネオニートな働き方には、かなり惹かれるものがある。

2006年1月22日日曜日

壇 一雄 「壇流クッキング」(中公文庫)

先だってレビューした食べ物本の名著「食は広州に在り」と並び立つ「壇流クッキング」である。

著者は、壇 一雄さん。「火宅の人」で有名な小説家とか、壇ふみさんのお父さんといった紹介フレーズがあるのだが、今も通用するかどうか怪しい。

ともかく、そういった有名な方の食べ物本である。時代的には昭和45年にサンケイ新聞に連載されたものなので文中の食べ物の値段やら世相についての記述はさすがに古めいてきているが、昭和40年代を切り取ったエッセーとも考えて読もう。

とりあげられていることは、ものすごく贅沢なものとか貴重なものとかはないのだが、
40数年という時間を感じさせるところが随所にある。


例えば「タケノコの竹林焼き」のあたり。

掘りたてのタケノコ2、3本用意して、それを竹皮のついたまま中に穴をあける。そして生醤油を流し込み、大根かなにかを削ったもので蓋をする。

そして、そして、である。


<そこらの枯葉、枯木を寄せ集めて、あらかじめ焚火を焚いておき、そのタケノコを半分灰の中につっ込むようにして焼くだけだ。>


・・・「だけ」って言われても、今は困りますよね。

また、当時、まだモツを食べるのが珍しい時代だったから、モツ料理の章は、まずモツを肉屋から買う話とモツへの偏見を

<日本人は、清楚で、潔癖な料理をつくることに一生懸命なあまり、ずいぶんと、大切でおいしい部分を棄ててしまうムダな食べ方に、なれ過ぎた。ひとつには、長いこと折衝が禁じられた時代のために、鳥獣のほんとうの食べ方がすっかり忘れられてしまったのである。
日本人は、いわばササミのところばかり食べて、肝腎の、おいしい部分を、ほとんど棄ててしまう気味がある。>

と払拭するところから始まっている。

そういえば、管理人の子供の頃だって、焼肉は食べてもモツは食べたことなかったものな、と思い出す。


構成は、1年を通して、いろんな食材をとりあげて自炊の技や料理の秘訣を、一流文士(かなり古めいた言葉ですねー)がご紹介しようというもので、「春から夏へ」「夏から秋へ」「秋から冬へ」「冬から春へ」という4部構成。



旨い店の紹介本ではなく、旨いものと旨い料理の仕方を綴った本なので、今でも使えそうな料理法やアイデアは満載である。
実は独身時代には、この本の鶏の手羽の料理を参考に、手羽先の炒め物と、手羽のダシスープを使ったラーメンというのが、自炊の食事の定番だった。

通読して、手間と時間は良いものをつくる原点ですよ、とあらためて感じた食べ物本であった。

2006年1月21日土曜日

邱永漢 「食は広州に在り」(中公文庫)

食べ物本について、いくつかレビューを書いたが、最近のものだけでなく、古典といわれるものもとりあげてみよう。

まず、今回は、古典中の古典「食は広州にあり」。
著者は、経済小説から財テクまで幅の広い邱永漢さんである。
この作品。解説をみると昭和29年から32年にかけて雑誌に連載されたものとのこと。しかも、吉田健一「舌鼓ところどころ」、檀 一雄「檀流クッキング」といった作品より前に発表されており、食べ物本、グルメ本の先駆け的存在といってよいだろう。

始まりは「食在広州」という章から。衣食女のうちどれを選ぶかといったら、中国男性は迷わず「食」を選ぶだろう、といったところからスタートしている。

このスタートから見ても、旨いものの紹介本だけではなく、食べ物を材料にしたエッセーとしても考えたほうがよい本であることを窺わさせる。

例えば、

子豚の丸焼きは、中国のとある地方で偶然、豚小屋が火事になり焼けた豚をさわった指を口にしたら非常に旨かったことから始まったが、その地方では子豚の丸焼きを食べるために家に火をつける輩がでてきた、とかいった与太話があるかと思えば、


日本人は目で食い、西洋人は鼻で食い、中国人は口で食うといった、それぞれの「食」についての概念について語られたり、


十二切れの豆腐のために鶏を二羽つぶしてダシをとる「太史豆腐」や麺の中にえびの子の入った「蝦子麺」などなどの料理の話


おまけに、料理人とみなされて奥さんが入国するビザがおりない、とかいった戦争の傷は癒えかけ高度成長に入りかけている時代を反映した話

などなど

しかも、そこかしこに中国と日本の比較論、あるいは実と虚の比較論がちりばめられているといった具合。


とはいっても、正座して読まなければいけない、といった堅苦しい本ではない。
とりあげられている中国料理は、やけに旨そうだ

例えば「三刀の禁」という章の

「(豚の後腱の)肉を三切れか四切れの塊に切って、丸のまま鍋に入れる。べつにねぎの白い所を三、四本、四、五寸の長さに切ったものをぶちこむ。これに醤油と水を半々の割合で加え、とろ火で何時間でも気長に煮た」豆油肉に、「干椎茸や、ゆで玉子をぶちこんでおくと、豚のうまみがそれぞれの中にしみこんで、なかなかいいものである。華南から南洋にかけて中国人の市場の中を歩いたことのある人なら、地べたにしゃがみこんだ労働者が、白いご飯の上に醤油色の玉子をのせて、ふうふう吹きながら食べている光景をみたことがあるに違いない。・・・」

といったあたりを読むと、思わず中華料理屋を捜したくなってきてしまう。


きっと、筆者の

「筆は一本、箸は二本、衆寡敵せず」と昔からいわれているから、ぐずぐずしていると、箸に滅ぼされてしまう。しかし、どうせ滅びるものならば、箸に滅ぼされても本望だ」

というほど、旨いものの好きが伝染してくるのだろう。


初刊から年月は経ているが、内容は古びていない名品である。
昭和30年代の雰囲気も味わいながら、読み返してみてはどうだろう。

2006年1月15日日曜日

岸本葉子 「異国の見える旅」(小学館文庫)

エッセイスト岸本葉子さんが、今度は国境の町を旅する旅本。

国境の町といってもすべて日本。

与那国(台湾)

舞鶴(ロシア)

小笠原(アメリカ)

サハリン(ロシア)

関釜フェリー(韓国)

を旅する。

日本の国境の場合、陸づたいに他国へ入るという状況は第2次大戦で敗れてからはないから、すべて国境というか、異国は、こちら側から海越しに見るか、あるいは、あちらからやってくるものばかりである。

そこには近くにいる隣人としての異国はなく、なにかフィルター越しに見たり、想像したりするしかない異国が存在するのが通例となる。

しかし、この本で取り上げられている国境の町は、ほとんどが以前は国境がなかった、あるいは国境のラインが違う形で引かれていた町である。

たとえば与那国と台湾は、国境がない状況がしばらくあり、戦後もしばらくはないも同然の状況が存在したし、小笠原はアメリカの領土であった状況が戦後しばらくあった(おまけに、この本で初めて知ったのだが、小笠原に初めて定住したのはアメリカ人だったらしい)。また、舞鶴にしても最後の引き上げ港だったせいでロシアとは意識的には陸続きというかたった一つのルートであった時代が長いし、関釜フェリーにいたっては国境の感覚さえ曖昧である。

そうした国境のラインが違っていた、あるいは曖昧な地点に住む人々の視点は時に国というものの存在を曖昧にしていくような気する。

関釜フェリーの章の最後にそれを象徴するような一節がある。

「今日の関釜連絡船に、人々の日常を裂く涙はない。
 生活を乗せたまま、境を越えて行き来する。」

国境が平和な時代が今である。

しかし、以前の国境のために祖国に帰れない人のあるのも今である。

吉田ルイ子「ハーレムの熱い日々」(講談社文庫)

ハーレムに象徴される、アメリカにおける黒人問題に代表される人種差別について書かれた、もう「古典」といっていいほどの本だろう。恥ずかしながら、この本のあまりの有名さに怖気をなしていたのか、今まで読んだことがなかった。人種問題ということからある種の説教臭さ、プロパガンダ臭さを連想してのことだったように思う。


ところが、リサイクルショップで偶然手にして、立ち読みをしたら・・・

どうして、どうして、単純な思想本ではなく、ハーレムに暮らす人々を含めた一時期のアメリカのすばらしいルポではないですか。

本書で綴られているのは、筆者が大学卒業後、白人のアメリカ人と結婚して渡米する1962年から1971年までの記録である。時代的にはベトナム戦争まっさかりで、ケネディ大統領が暗殺されたり、黒人の公民権運動がピークを迎えるが指導者のマルコムXやキング牧師がノーベル平和賞受賞後数年して暗殺されたりしている、(管理人は、幼児期から小学校にかけての茫漠とした頃なので時代的な雰囲気を語れないのだが)かなり世界史的にも騒然としていたであろう頃である。

しかも、冷戦構造がまだ健在というか、バリバリに力を持っていて、ブラックパンサーのバイブルは「毛沢東語録」であるし、アメリカのリベラルも力のあった頃なので、今の「アメリカ一人勝ち時代」とは意識も時代の雰囲気も違う。

こうした時代背景を受けて黒人差別をとりあげて本なので、当然、それなりの思想性を持っていることは否定できない。

しかし、この本が、いわゆるノンフィクション、ルポの「古典」として今まで読み継がれてきているのは、単純に黒人側を擁護、弁明するだけではなく、「白は善、黒は悪」という意識を黒人自らが植え付けらてしまっていたことや黒人問題は黒人と白人の闘いのほかに黒人と黒人の闘いを含んでいることをきちんと描いていること、そして何よりも、ハーレムの暮らしを筆者が楽しんでいること、ハーレムで出会う人々のことを良いも悪いも含めて暖かく描いていることのように思う。

それは、例えば、

ハーレムへ再び帰ってきて、数学が好きで優等生だったジミー、白人の女の子と学校に入ると遊べなくなって「ボクがニグロだからでしょ」としょげていたジミーが、麻薬を始め、感化院に送られたと知り、

「何か本を送ってあげようと思った。ここ(ハーレム)よりかえって静かに勉強できるかもしれない。
黒人運動の指導者の中にも、過去のある時期に、ポン引きや、ヤクの売人、中毒患者だった者だっているのだ。刑務所のなかで、立派な本を書いた人もいるではないか」

といったくだりに象徴されているといってよい。

この本は、文章だけでなく、ハーレムの「ピクチュア・ウーマン」として撮られた写真と一緒にあわせて読み問いていくべき本であろう。そして読み解いていくとき、単に黒人開放運動の本としてではなく、黒人を含んだ一時期のアメリカの姿(醜い姿も含めてを浮きが浮き彫りにされていく本である。

思想本としてではなく、一つの時代を切り取ったノンフィクションとしてお奨めである。

小林紀晴 「ASIA ROAD」(講談社文庫)

デビュー作「ASIAN JAPANESE」の4年後の続編。

旅するときは1995年の夏から翌年の夏までの1年間。東京からバンコクにわたり、タイ、ベトナム、中国、台湾、沖縄、東京とめぐる、ASIAN JAPANESEの旅をなぞるかのような旅である。文章だけでなく、ふんだんに挿入されている写真がよい効果を出している。文書だけでなく、写真を読み取っていく必要のある本である。

1995年夏から1996年夏にかけてに何がおこっていたのか、Wikipediaで調べてみると、1995年は、7月にPHSサービスがはじまり、8月にベトナムがアメリカと国交回復、11月にWindows95が発売されている。7月以前に阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件がおきているから、騒然とした年であったことはまちがいない。芸能的には、安室奈美恵、TRFといた小室ファミリーが大ブレークしていた時だ。1996年は、1月に村山首相退陣、橋本首相の誕生。3月に台湾初めての総統選挙で李登輝氏が当選、7月にアトランタ五輪が開催されている。

こうした世情的には、あまり平穏とはいえない時勢の中で旅をしているのだが、こうした時勢の影響は、ほとんどない。これは、旅をするということが、その地で起こる事件、すなわち、地域と密接に関連性を有することから逃れていくことであるという風に考えれば当然のことだろう。旅して滞在する地は、さまざまに変わっていくから、事件もさまざまに変わっていく。とりわけ、この本の「旅」が地域をまわるという性格のものでなく、自分の内面へ。「地域」をてがかりにしておりていくという性格をもっているからなのかもしれない。

しかし、いくら内面への旅であっても、出会う人、出会う地域によって、内面へおりていくために手繰っていく道筋は変わっていかざるをえないだろう。

「バンコクと張り合えるのはニューヨークぐらいでしょ。ニッポンなんて目じゃないわ」というバンコクの女装している男子学生

「バンコクはタイではあってタイではないんだよ」というタイ人

ラオスの首都(ヴィエンチャン)で「出会う顔は一口でいえば、ゆるんでいた。ふわふわとほほ笑んでいるように穏やかで、とけるようだ。それは、ここが都市ではないということを明確に表している。」

「(あと10年経てば)もっと発展して、ホーチミンはほかの国の都市に劣らない街になっていると思います」と自信をもって言うベトナム人の女学生。

一番ほしいものは「もちろん、お金」、夢は「独立」という言葉が躊躇なく返ってくる上海

といった事象や人に出会うとき、やはり自らと「とうきょう」という都市とのかかわり、「日本」という国とのかかわりに結びつかざるをえない。

また、読みながら感じるのは、「ASIAN JAPANESE」での旅する地とのなにかしらの「連帯感」が希薄になっていることである。


旅をしていながらその地域、話をする人との隔たり感、筆者の孤独感が強くなっているのである。
それはボカラで「コバヤシ、汚くないね。きれいになった」といわれることに象徴されるように4年の年月が地域と人、いや筆者自体を変えているのだろう。



そして、再びの旅の終わりは、こうした言葉でしめくくられている。

「ベトナムで出会った青年は

「十年後には、この街は東京みたいになっている」
と言った。正直、かなわないと思った。少なくとも僕はそんな言葉を持ち合わせてはいない。
十年後、東京ははたして東京であり続けることができるのだろうか」

東京という言葉は「僕」あるいは「私」という言葉に置き換えられるのかもしれない。

2006年1月14日土曜日

とんどさん

今日は「とんどさん」である。
「とんど」「とんど焼き」「どんど焼き」「どんどや」などいろんな呼び名があるらしい。日本全国で行われている行事で、ネットで調べると
小正月(こしょうがつ)の行事で、正月の松飾りなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすことである。神事から始まったのではあろうが、現在では宗教的意味あいは少ない。どんどやの火にあたったり、残り火で鏡餅を焼いて食べれば、その1年間健康などの言い伝えもあり、無病息災・五穀豊穣(むびょうそくさい・ごこくほうじょう)を祈る民間伝承行事である。
語源については、火が燃えるのを「尊(とうと)や尊(とうと)」と囃(はや)し立てたことから、その囃し言葉が訛(なま)ったとか、どんどん燃える様子からとも。「どんどん焼き」、「どんど焼き」などの名称もあり、日本全国にある正月の火祭り行事。地方によっては「とんど」、「どんど」、「どんだら焼き」、「どんどろ祭り」、「左義長(さぎちょう)」、「おんべ焼き」、「さいとう焼き」、「ほっけんぎょう」、「三九郎焼き」、他にも「法成就]がなまって「ほちょじ」、「ほじょり」、「ほうじょり」など、名称は全国に色々。お盆の火祭りにも「とんど」と言う名称を用いる地方も。(東京堂出版発行「年中行事辞典」などより)
ということらしい。

うちのあたりでは、近所の神社でやる。小正月ということなので、1月15日が正式なのだろうが、今年は休日の具合で1月14日となったらしい。休暇の日と一緒になるのは珍しいので、何年かぶりにでかけてみる。
あいにくの雨、しかもひさかたぶりの大雨で、各地になだれの注意報がでている。息子も始めてなので、一体何があるのか興味深々で同行してきたが、お飾りやお札を火に投ずるだけと知ると、にわかに興味を失っていた。
こうした年中行事は、何をするのかわからない神秘的なうちが華なのかもしれない。
子供の頃、正月やクリスマスが待ち遠しかったが、その日になると、日常とあまりかわらない日であったものなー。




2006年1月9日月曜日

田沢竜次 「B級グルメ大当たりガイド」(ちくま文庫)

B級グルメという言葉を最初に使ったらしい元祖B級グルメライターによるB級グルメガイド本。

といってもグラビア本やいわゆるグルメ本と違って、写真は一枚もないのでご注意。

そのかわり桑田乃梨子さんのイラストが満載。写真がなくても、このイラストが結構楽しくて面白い。

食べ物ネタは「B級グルメ」の本らしくカツ丼、牛丼、豚丼、生姜焼き、ソース焼きそば、チャーハン、ラーメン、スパゲッティ・ナポリタン・・・

うーん、B級グルメの名に恥じない品揃え。

とはいって、安い・汚いをやたらホメるグルメライターでないところと管理人と年代が近く、しかも神保町、高田馬場あたりが筆者の根城だったせいかでてくる店に、あー、そういえば、と頷けるものが多いのが嬉しい。バブルの前の、やたら腹を減らしていた70年代の学生生活を彷彿させるのである。

中でも

高田馬場の早稲田の学生御用達の定食屋でまわりの学生と一緒に生姜焼き定食をパクつきながら、「若者は丼めし食ってナンボのもんじゃな」

といったところや

そもそも貧乏人の味方はラーメンだったのではないか、と嘆く場面や

ウィンナーソーセージというと高級で、お弁当のタコの形を思い出す

とか

美味しい天ぷらは塩で、なんて高級な世界があるけど、やっぱりつゆだくでいきたい

といったあたりは、膝をたたいて、あたりまえだのクラッカー、などと死語になったギャグをつぶやいてみる。

最後のほうでB級グルメライターの仕事で一番つらいのは同一メニューのはしごというところは面白い。

夏の暑い盛りに、3~4日も、朝、昼、晩、夜の4食ともラーメン、

とか

飯系のはしご取材は、なぜか寿司系のものは、ほとんどなくて丼系がほとんどだが、丼系は数がこなせない

などなど

グルメの資料本というより、グルメライターの書いたグルメエッセイとしてお奨めする。

PDAとスケジュール管理

japan.internet.comの2005年11月28日の記事によれば

「インターネットコム株式会社と株式会社インフォプラントが行った、スケジュール管理ツールに関する調査によると、「手帳」を使っている人が204人と、「携帯電話」(139人)、「PC」(107人)を大きく上回った。
調査対象は、全国の20代~50代の会社員300人。年齢層分布は20代22.0%、30代42.0%、40代25.0%、50代11.0%。男女別構成比は男性74.0%、女性26.0%。
全体300人に対し、現在、スケジュール管理の道具(手帳、PDA、携帯電話、PC など)をいくつ使用しているか聞いてみたところ、「1つ」がトップで39.3%(118)、続いて「2つ」が35.0%(105)となった。「3つ」使っている人は17.7%(53人)、「4つ」は1.0%(3人)で、「5つ」以上という人もいた(1人)。
具体的には、「手帳」を使っている人が204人、「携帯電話」が139人、「PC」が107人、「PDA」が28人という内訳だ(複数回答)。」


ということなので、PDAによるスケジュール管理をしている人は、まだまだ少数派には違いないのだが、個人的には、PCでの管理と併用して、スケジュールだけでなく、今までの仕事の記録や備忘録までPDAにいれている上に、かなりの数の個人の備忘録も収納している。おまけにブログのデータもいれて、ちょこちょこ合間をみては書き加えているから、これを紙ベースに戻すことは不可能に近い状態である。

ところが最近になって不満が積もってきている。
 今までHandSpringのVisorから始まって、今はSONYのCLIE(PEG NX70)を使っていて、立ち上がりは軽くて、画面も広くてよく、その点では満足しているのだが、、さすがに2002年発売から時間が経過しているので、ディスプレイやバッテリーに古さがでてきている。
おまけに、SONYのPDA市場からの撤退を受けて、日本語対応の新しいPalmソフトが極度になくなってきていることやPalm関係の日本語サイトが次々閉鎖したり更新をやめたりしていっているので、なんとなく将来性を考えてしまうのである。
(そういえば、私の使うPCやPDAは、撤退するメーカーがどうも多い。最初のPCはCompaqだったし、PDAのHandSpringは日本市場から、SONYはPDA市場から撤退した。)

基本は、PCとPDA両方でスケジュールやタスク管理をしているので、管理の中心はPCに集約して、モバイル環境ではケータイのPIM機能を使おうと思ってやってみたのだが、Outlookとの連携がシームレスでなく、また、新規入力に難が残る。
(かといってウィルコムのWZやM-1000は、人気高くて手に入らないし)
そんなこんなで、PDAを買い換えようかなー、と思案している。

とはいってPalmはSONYの中古機か海外版になるので遠慮したい気持ち大。

Linuxザウルスは、2005年6月のC-3100の発表以来、最近、新機種の話を聞かないので、「撤退か~?」と疑ってしまう。

となるとWindowsOSのHPかMitacかDellかPocketLooks,はたまたGenio・・・といった選択になるのだが、WindowsOS機は、結構値段もはるので悩みまくっているこのごろである。

文藝春秋編「B級グルメの基礎知識 平成版」(文春文庫ビジュアル版)

リサイクル書店をぶらついていると、文春文庫のB級グルメの本を見つけて購入。
このシリーズが出たときは、もう東京住まいを引き上げて田舎に移り住んでいたから、紹介されている店に頻繁に行くという機会には恵まれなかったが、いくつかの店や、いくつかの東京の街のたたづまいに懐かしさを覚えるとともに、一種の旅本を読むワクワク感があった。

なぜなのかと考えてみると、やはり、「東京」という街によるせいだろう。
日本の首都で一番の人口集積地であるというだけではなく、古くからの歴史を有しているからというだけでもなく、人それぞれに「東京」への思いを抱かせてしまっているということなのかと思う。住んでいる人も、住んだことのある人も、住んだことのない人も、それぞれに「東京」への憧れや郷愁や嫌悪をもってしまっている。それはマスメディアから国のあり方が、この「とうきょう」を中心に回っているということと表裏一体なのだろう。

といった、よちよちした東京評論はひとまず置いておいて、この本のレビュー。

まず最初は、「豚肉の生姜焼き」からドーンと始まる。
こうしたビジュアル本の醍醐味なのだが、掲載されている食べ物の写真の数と迫力なのだが、ジューシーな生姜焼きの皿の数々が、どんどんと載っている。

生姜焼きの後は、ヨコハマ、中華街、神楽坂などなど、舶来の味から下町の味までいろいろ。西日本の住んでいる管理人には神戸の南京町の方が身近なのだが、中華街というと横浜の方を連想してしまうのは、これらのB級グルメ本に影響されているところが大きい。
面妖な中華街グッズもしっかり紹介されているのがうれしい(特に中国製缶詰なんかは怪しくてよいなー)



途中でB級グルメはなぜ東京(しかも東東京中心に)と横浜中心の記事が多いかの答えになりそうな一節をみつけたので引用。

「江戸は維新で薩長に乗っとられ、さらに西洋の味の激突を受けた。一時にダブルパンチを受けた都市は希である。食の文化を含む生活の習慣と常識が、すべてくつがえされた。大阪はいまだに郷土の味をもっているが、東京は喪失させられた。・・・そんな不条理の克服から東京風の気負いが生まれた。心で泣きながら無理を通して、エイッ、と気合いを入れてみんなで食べたのが東京のB級食である。・・・B級グルメとは旨味だけで語れない東京の傷の味だ」

うーん、たしかに、東京の食文化は維新、戦後で分断されているよなーと納得。B級グルメも深いのだなー、と感心。(やたら江戸文化の華とか下町、下町ばかりを強調するグルメ本も多いけどね)

最後にB級グルメ本らしく、正しい(?)「生姜焼き定食の食べ方」を紹介

「まずは一口分を切り残しておこう。その一切れは、キャベツにタレがしみるまでの"待ち時間"に味わう貴重な存在なのである。そして、あとの肉は全部キャベツの上に乗せてしまい、これを箸でジュワジュワと三回押さえつけておくのだ。

・・・

まずは、切り分けておいた一切れを口にポイ。弾力のある脂身を噛みしめ、おちついて充分咀しゃくしよう。とろける脂身のまろやかさが存在感のある甘辛タレと溶け合って、口の中いっぱいに旨さがジュワーッと広がっていく。」

どうです。涎がでてきませんか。

このあとタレのしみたキャベツ、肉本体、ポテサラとつづくのだが、詳細は原本でどうぞ。


このシリーズには、このほかに「B級東京グルメ」とか「B級グルメの東京一番しぼり」とかがあるし、鮨本とかもでていたように思う。こういうグルメ本は読み出すと癖になるんだよねー。

東海林さだお 「猫めしの丸かじり」(文春文庫)

ご存知「丸かじり」シリーズの一冊。

この本にでてくるのはソーセージ、ハムカツ、ローストビーフ、牡蠣の土手ナベ、そして猫めし などなど。

とりあげる素材もいろいろあって面白いが、このシリーズのよさは一遍一遍に、きゅっと凝縮したようなワン・フレーズが存在するところにあるのだろう。

例えば、猫めしを食べようとして「でもなんだか恥ずかしいなあ。特に猫に見られたら、恥ずかしいなあ。軽蔑されるだろうなあ」

とか

キュウリは「実力はない。しかし会社にいてもらわなくては困る」存在だ

とか

熱い味噌汁をすするとなぜ「アー」がでるのか

とか

おもわず頷き、その後の、ちょっと飛躍の多い文章に、そのままの勢いでのせられてしまう、例えは悪いが、屋台で威勢のいい売り口上に乗せられて、おもわず買い物をしてしまう感覚に似ているのかも。

(あ、けして騙されて不愉快というわけではないですよ。むしろ、やられたなー、と笑ってしまう感覚)


百円レストランとかおにぎりスタンドとか、目新しい「食」がとりあげられているのも、こってり、たっぷりとしたご馳走を食べた合間の口直しみたいでまた良。

最後に、東海林さだおさんの文章の最大の魅力、擬音語にあふれた「玉子丼」の一節を紹介しよう。

玉子丼のツユは親子丼よりも少し甘めがおいしい。
ツユも親子丼より多めがおいしい。
丼の底に少したまって少しビシャビシャするくらいがいい。
玉子の黄色いところと白いところがマダラに分かれ、そのマダラのところに甘めのツユがからんでいて、口の中に入れても、その黄色いところと白いところとツユのところが味わい分けられそうに思うところに玉子丼のおいしさがある。
このマダラ君がヤワヤワしていて、トロトロしていて、このヤワヤワ、トロトロがゴハンといっしょになったときの"ユルユルの幸せ"が玉子丼のダイゴミなのだ

どうです。このところだけでも、この本が読みたくなって、


おまけに玉子丼が食べたくなりませんか・・・

2006年1月8日日曜日

池波正太郎 「散歩のとき何か食べたくなって」(新潮文庫)

食いしん坊の食通でも有名な池波正太郎さんが、昔の店や味を懐旧しながら名店や旨いものを書いた、いわば昔の味の記録としても楽しめる本。

店の種類は洋食屋から鮨、居酒屋、懐石まで、場所は東京・銀座から京都、大阪まで幅広いが、料理の種類より、池波さんの昔語りを交えた語り口が良い。

例えば、

下町に育った私どもは、子供のころ、大人のまねをしたいときは、先ず食べるものからやった。・・・・上野の松坂屋の食堂でビーフステーキを食べたりして
「世の中に、こんなうまいものがあったのか」
目を白黒させたりした

とか

それぞれの町内には、かならず二、三の蕎麦やがあったものだし、また、それぞれにうまかった。
大人たちは、銭湯の帰りにも、ふところにわずかでも余裕(ゆとり)があれば、かならずといっていいほど、最寄りの蕎麦やに立ち寄ったものだ

というあたり、町内でほとんどの用が足りた(下町に限らず)昔のゆとりのあった生活ぶりが彷彿とさせられる。


ただ、やはり、この本が昭和52年初出であることは、本のあちこちに時代を覗かせる。挿入されている写真は、記録写真をみる感じがするし、文中のそこここにでてくる街の様子は、バブルの荒波など全く予測もさせないような風情である。

池波さんが

二十年前に私どもがなじんでいた宿屋や酒場や食べ物屋の多くが〔サンライズ〕のように店をやめてしまっている。存分に手をまわして客をもてなすという余裕が、東京にも大阪にもなくなってしまったのだ

と、古いものの味わいが失われてしまったと嘆く場面を読んで、この本が昭和52年に初出であることを考えると我々の時代がすでに、もっと遠くへきていることに気づく。

初出の昭和52年の際の後書きに

私が知っていて、すでに廃業してしまった店は、この本に書いた店の三倍にも四倍にもなるのではないか・・・
現代人の食生活は、複雑で予断をゆるさぬ時代の変転につれて、刻々と変わりつつある。
そうした意味で、この後二十年もたてば、この本は小さな資料になるかも知れない

とあるのが象徴的である。

まあ、こうした湿っぽい話は、食べ物本のレビューの締めくくりにはふさわしくない。前に書いた「定食バンザイ」で老舗の名店とされていたトンカツ屋の目黒「とんき」が躍進し始めた時の店内を書いた一節を引用して〆としよう。

半袖の白いユニホームを身につけて、溌剌と立ちはたらくサーヴィスの乙女たち。
新鮮なキャベツがなくなると、彼女たちが走り寄って来て、さっとおかわりのキャベツを皿に入れてくる。
・・・
みがきぬいた清潔な店内。
皿の上でタップ・ダンスでも踊りそうに、生きがいいカツレツ。
私は先ず、ロース・カツレツで酒かビールをのみ、ついで串カツレツで飯を食べることにしている。

うーん。今日はトンカツでも食うかな。

2006年1月7日土曜日

鴨志田 穣・西原理恵子 「煮え煮え アジアパー伝」

アジアパー伝の三作目。他のシリーズ本と同じく、西原理恵子さんの漫画と鴨志田 譲さんの旅というかアジア滞在記エッセイのダブル搭載。漫画とエッセイとは別物だから、一冊で二度美味しいということか。

鴨志田さんのエッセイのほうは、まず韓国から始まる。韓国を出て東京へ留学、就職、その後再び韓国に帰って不遇を抱えているカクさんと取材旅行をしているところから始まる。とはいっても取材の様子はほとんどなく、飲む。飲む。飲むの記録である。

こんな調子で、神戸の震災の際のルポ、ミャンマーでの出家、タイでの暮らしやまわりの人々を綴っていく。だから、本音のところ、真面目なミャンマーやタイの滞在記と思ってはいけない。自らの生活と体を、わざと壊していく印象を受ける。


しかも、登場する人も、変わったというか、まっとうな人はほとんどでてこない。最初の韓国人のカクさんは祖国に不満をもちながらやっぱり熱い韓国青年であるし、タイのミヤタのおっさんは娑婆に色気をまだ持っている、どうしようもない飲んだくれだし、タイのバーの知り合いのソイは、博打にはまったタイ人でカナダへ移住するらしいが、その地で客死するか、尾羽打ち枯らしてタイへ帰ってきそうな女性だ。

本の中の一節を引用するのを許してもらえば

自分を含めて

「人を騙して生きていけるような人でもない。
 嘘がはっきりと見えてしまうんだから騙しようもない
 気が小さいのだけれども、何かになりたい、何者かになってやりたい。
 その気持ちだけで生きている人」

ような人たちのお話である。旅の楽しみや、アジアの国の生活の楽しみを期待して読んではいけないが、アジアにまつわる、ちょっと切ない思いをしたかったら一読してみてほしい。


西原さんのエッセイは、鴨志田さんをネタにしながら、日々の、あまり通常とはいえない暮らしの漫画。カメラマンと漫画家を夫婦にすると、こんな家族生活になるのかー!!とひとごとと思って読んだ。

文章と漫画がまったくマッチしていないところが妙に、goodです。

2006年1月4日水曜日

長崎快宏 「アジアケチケチ一人旅」(PHP文庫)

旅行記の楽しみは、日本とかけ離れた異国の情緒を、実際に旅することなしにふれあうこと以外に、ちょっと古い旅行本だと、今は失われてしまった外国の一時代に触れるという、ちょっとうがった楽しみがある。
この本も1998年3月に書き下ろしされたものだから7年前か、それ以上前のアジアの姿と暮らしが描かれたものといってよい。だから、旅の新しい知識を仕入れたり、穴場を発見するつもりで読むと痛い目をあうことになるが、ちょっと昔の歴史の記録やルポルタージュを読む気で読むと、かなり面白い。

舞台は、タイ・バンコクとバックパッカーのメッカ・カオサンロード(今もそうかどうかは知らないが)から始まり、パキスタン、イラン、インド、ミャンマー、韓国、フィリピンとアジアをほとんど総ナメしている。
しかも、ここにあるのは、まだ良きアジアというべき時代のアジアである。アフガニスタンはアメリカの侵攻どころかタリバンの陰すらないし、インドはまだIT革命の波にもまれていない眠れる偉大な地方のままである。そこで、現地の人と一緒に食べる食事、100円のカレーや麺類の数々は、あまり清潔とはいえないが懐かしい味がしそうであるし、道端で商売をしているのは、露天のカメラ屋や代書屋。移動の手段は、バイクを改造したトゥクトゥクである。
収録されている逸話は、旅本に定番の食べ物、安宿などにとまらない、女子学生の制服やトイレにまで及んでいるのが、この本のちょっと変わったところ。
ちょっとなつかしいアジアの旅、今はもうないかもしれないが、かってはあったアジアを疑似体験できる本である。しかも、写真ばかりでなく、アジアの屋台やトイレや食べ物などの豊富なイラストも入っている。新刊本では手に入り難いかもしれないが、古本屋でみつけたらぜひどうぞ。

2006年1月3日火曜日

黒田勝弘「韓国を食べる」

韓国に20年以上駐在している有名新聞の支局長さんの本である。

食べ物のジャンルで紹介していいのか迷う。韓国の旨いものや有名店の紹介本ではなく、食物を通した韓国の文化や政治、生活や考え方への筆者の暖かい思いのあふれる本である。

とはいいながら、やはり食べ物は食べ物の本。でてくる素材も魅力的である。臭いがキツクてもやめられない世界に誇る嫌悪食品のエイ(ホンオ料理)やソウルオリンピック開催前にも規制された犬料理(赤犬が旨いらしいが)はともかく、韓国に行けば一回は食べるサムゲタンやフグ、そして韓定食などなど。

こうした料理もののはしばしに韓国のいろんな文化論とか文明論とかが散りばめられてくるのが、こうした食べ物本の面白さであろう。

いわく、「韓国人は寂しがりやだから一人では食べない」とか「コリアン文化には「借金してでも客をもてなす」というところがある」それほど情に厚いのだが、逆に言えば見栄っぱりでもある」とか「韓国人の「パリパリ(早く、早く)が料理にも反映している」とか韓国に旅行したり、知り合いがいると、頷いてしまうところがある。

ちょっと気になるのが、韓国の人も若い人は、辛いものをあまり好まなくなっているというくだり。実は下川祐治さんの旅本でも辛いものが苦手なタイ人の若者が増えているというくだりを読んだことがある。

国が繁栄し、豊かになると、こうした辛いものや塩辛いものへの嗜好を失っていくということなのかな、と思ってしまう(日本だって、貧しい頃は塩辛いシャケの一切れや梅干が唯一の弁当のおかずだったことがあるのだ)。それは、辛いもの、塩辛いものへの嗜好を失うことだけでなく猥雑さや野性味を失っていくことなのかもしれない。

こうした感慨も筆者のいう、西洋的な環境(オキシデンタル)に身をおきながら、野生を求めるオリエンタリズムの悪弊かもしれないが、経済的な力がついていくことは全ての生活文化をいやおうなしに変えていくものであるし、変わっていくことはやむを得ないものなのだと感じる。(SF者的にいえば、民族が老成していことなのだ、ってなことを言うのかな。しかし韓民族にしても、タイ民族にしても歴史的、文化的には古い歴史をもっているから、すでに老成している民族の一変化と捉えるべきなのかもしれない)

なにはともあれ、ひさびさに面白い食べ物本に出会った感。このブログでも食べ物本をしばらくとりあげてみようかなー。

WebDAVで日本語ファイルを使う???

日本語のファイルを使うため、mod_encoding.cをインストールしたが、そのファイルを使うための次の設定をApacheの設定ファイルに追加

LoadModule encoding_module modules/mod_encoding.so
<Ifmodule mod_encoding.c>
EncodingEngine on
SetServerEncoding UTF-8
DefaultClientEncoding JA-AUTO-SJIS-MS SJIS
AddclientEncoding "cadaver/" EUC-JP
NormalizeUsername on
</Ifmodule>


この設定を追加した後、マイクロソフト製のソフトを使ったファイル(ワードやエクセルなど)やテキストファイルは日本語設定が使えるようになったが、一太郎やアドビのPDFなどは日本語でファイル転送すると文字化けをしたまま。
今のところ、この解決法が見つからない。もっとも英数字のファイル名であれば認識するので、WebDAVで提供するファイルは英数字のファイル名で使用。
解決法が見つかったら、またレポートしたい

2006年1月2日月曜日

鳥取県鳥取市 ”グラッチェ” 「キャベツとソーセージのスパゲッティ」

正月も2日目になると、正月料理にも少々飽きてくる。
御節料理は、当たり前のことだが毎年、定番の料理だから味も様子もいつもと同じ。
元旦は親戚が集まって一緒に飲むのだが、料理もあらかた予測がつく。
ということで、正月の2日は、外食。
最近は2日になるとほとんどの店が開いているのでありがたい。今日は、「グラッチェ」というスパゲッティとピザの店。安くて量もあるので、うちの家族はお気に入りの店だ。
私は今日は、「キャベツとソーセージのスペゲッティ」Lサイズ。
一人で全部食べるわけではなく、皆と分け合って食べる。
キャベツはしっかりスープの味がついている割にシャクシャク感が残っている。これは好みの問題なのだが、私の場合、炒め物にしろ野菜のシャクシャク感が残っているほうが旨く感じる。
ソーセージも細切りにしてあって、これも良し。
美味しくいただきました。


娘の好きな「クラムチャウダー」

娘と息子の頼んだ「ミートソース・スパゲッティ」Lサイズ

奥さんの頼んだ「きのことえびの和風スパゲッティ」

2006年1月1日日曜日

2006年の初詣で

毎年、元旦は近くの神社に初詣ですることにしている。
小さな神社なのだが、元旦はかなり賑やかだ。ここで家内安全の祈願をしてもらってから、おみくじをひいたり、福蓑か熊手を買ってかえるのが通例。
今年は、ちょうど麒麟獅子舞の奉納の時に出会った。


この子は、この後、厄除けにパクリと噛まれた。


あけましておめでとうございます

2006年元旦
あけましておめでとうございます。
いつもとかわらない新年の始まりですが、今年は、晴れの日でスタートです。
昨年は、年初から春にかけて仕事上の軋轢から落ち込むことが多く、めげた日を送り、夏になって自宅サーバの構築を始めたあたりから持ち直しはじめ、9月からブログをはじめるに至り、ふっきれたように回復した一年でした。
表現の方法として「ブログ」という一手段を手に入れ、自分の存在、仕事、家庭に対して、少し冷静な自分なりの立場を確立する道筋が少し見えてきたような一年でした。
今年は、この表現の方法としての手段を、もう少し本格化させてみようと思ってます。
「ブログ」という表現手段は、世間的には昨年一大ブームを巻き起こしたのですが、インターネットや携帯電話が一部の好事家や企業家のものから、普通のものとなっていたように、今年は、ブログがごく当たり前の人が、ごく当たり前に表現する手段として定着していくように思います。
そして、私も、よちよち歩きの「ブロガー」として一緒に歩んでいきたいと思います。
ネットワークに表現の手段を持つということは、自分の存在をより認識できる、自分の精神の平穏性を担保することのできる有効な方法であることを、私は経験の中で知ったように感じています。
では、皆さん、今年もよろしくお願いします。



自宅PCとしては
そろそろ光を導入したいと思う。ひょんなことから年末に型落ちのノートPCも手に入れ、サーバも2台となったことだし、自宅サーバ環境を増強してみようと思う。
ついでにモバイル環境もちょっと考えよう。PDAをどうするかも一つだ。
仕事的には、自立をめざして、いつでも独立できるような準備を始めたいと思う。価値観や収入源を一つに頼る危険さをなんとなく感じているので、複線化を図っていきたいと思う。
そして家族とは、もっと一緒にいる時間をつくっていきたいなーと思う。
とりあえずこんなところかな