2006年2月28日火曜日

鶏肉のてり焼き

鶏肉の照り焼き。市販のタレをからめて焼いたもの。

魚料理は、「赤魚の煮付け」。きんめと違って安いが、その分油気は少ない。あっさり味の好きな方におすすめ。あとは、ビーフシチュー。肉は安く上げるために、牛のバラ肉を使った。



メイド喫茶とNHK

今朝、ネクタイを結びながらNHKのニュースを見ていると、地域ローカルで○○(地方の中核的都市、あえて名を伏す。)にメイド喫茶ができたとのことをレポートしていた。
まあアキバとかメイド喫茶は珍しくないのだろうが、地方都市だと、まあ珍しいわな。オタクの数も限られているし・・・
と見ていたのだが、なんかあちこち違和感が漂う。
何かなーと考えると、どうも、NHKらしい妙にまじめなレポートが原因。
例えば
「○○さんは、ここでおもむろの購入してきた玩具を開けて、中を確かめます。」
ってな風のアナウンスが入るのだが、「玩具」ってのは何だ、と見ると、美少女フィギュア、しかもDOA「霞」とかいうやつだ・・・。これの朝からアップはマズイんじゃないのー、と思ったら、さすがにフィギュアのアップはない。(NHKの良心か)
といったあたりや
「○○さんは、ここで知り合った気の合う仲間たちと趣味の話を・・・」
というところで、妙にオタクっぽい会話を生で流したり・・・。
まじめにレポートしているのだが、ちょっと引き気味なことがありありで、「朝」「オタク」「NHK」 というしっくりこない取り合わせが、妙に笑いをさそうのであった。
ちなみにはてなダイアリーで「メイド喫茶」を検索すると、全国に結構ある、ある。
おまけにお国柄を象徴するようで
岡山の店舗数が広島や神戸、京都、名古屋より多かったり
四国は、松山や徳島にはあっても、高松にはなかったり
どうも普通の喫茶店でメイドさんの格好をしているだけの店(ご主人さま、とかいわないんだろうな、きっと。)も「メイド喫茶」の範疇に入ってきているよう。オタクたちの不満が溜まりそうである。

2006年2月27日月曜日

エビフライ、サンマの塩焼き、ギョーザ

ちょっと小さいが、エビフライ。タイガーエビとかいうやつか。
産地(フィリピンだかインドネシアだかのような気がしている)では、このエビを輸出した後の「頭」を現地の人がたくさん食べていると何かの本で読んだ。たしかに塩焼きなんかにするとエビの頭は旨い。

そしてサンマの塩焼きとギョーザ。ギョーザは当然・・・市販品である。

そして、・・・そして、・・・「おでん」。一日で食べきるのは難しかった。今日になって、大根、スジの串などが自己主張している。

2006年2月26日日曜日

おでん、豚肉のピカタ、ブリの煮付け

今日は「豚肉のピカタ(黄金焼き)」と「ブリの煮付け」
豚肉のピカタは、たまに食べると高級っぽい。
ブリはしょうがの千切りをいれて煮る。

そして「おでん」。
大根とか卵も入っているのだが、底の方にあって見えない



2006年2月25日土曜日

豚バラ肉と白菜鍋

うちの奥さんが、「きよしとこの夜」で、グッチさんが柴田理恵さんにご馳走していたところを見て、サイトを検索してみつけた一品。あっさりしていて、いくらでも食べられる。最近の我が家の人気の鍋

あとは「鮭のソテー」と「サヤインゲンの胡麻和え」
昨日の残りの「すきやき風煮」



LinuxでWindowsをリモートする

通常なら、LinuxのサーバをWindowsでリモートコントロールするのだが、折角、Linuxでモバイル的に使えるノートが用意できたので、母艦であるWindows機(Pen4 3.2GHz)
をリモートコントロールすることに挑戦。
母艦はすでに他のWindowsノートからリモートコントロールできるようにリモートデスクトップを導入しているから、Linuxノートにリモートソフトを用意すればよいらしい。
早速、リモートソフトを検索。「rdesktop」というのを入れれば良いらしい。
しかもapt-getで簡単インストールできるようなので、早速取り掛かる。
gnome端末を立ち上げて
# apt-get install rdesktop
インストールできたら起動。
$ rdesktop -k ja <母艦のIPアドレス>
ユーザーやパスワードを聞いてくるので、すでに設定しているものを入力。
ちょっと色は悪いが、リモートソフトが立ち上がった。
256色にしか対応していないから、そのせいだろうが、使えそうな気がする。

ラーメン 醤油とんこつ

休日の昼食は、麺類が多い。今日はラーメン。
近くの八百屋さんで取り寄せた通販もの。「井出商店醤油豚骨」とある。
麺は心持ち太目。ツユは結構濃い。ご飯と一緒にラーメンライスにすると良。


Openoffice.orgをインストールする。

apt-getでインストールできた。
# apt-get install openoffice.org
とやると自動でインストール。
(ファイルが大きいので、インストールに時間がかかるので注意)
rootでなく、ユーザ画面から確認すると、メニューに「オフィス」という項目が追加されている。
ここからOpen Officeのソフトを起動すれば利用可能。

2006年2月24日金曜日

ハタハタの煮付けとメンチカツ、チャーハン

今夜は、「ハタハタの煮付け」。東北地方だけでなく、こちら山陰地方でも獲れる。醤油味で煮た。「メンチカツ」は、お手製ではなくて、近くのスーパーの惣菜。実は、私の口には入らなくて、息子に横取りされた。
もう一つは、「すきやき風煮」。糸こんにゃくがたっぷり入っている。どういうわけか、うちは焼き豆腐は入れない

〆は卵チャーハン




荒川静香さんの「金メダル」を祝す!!

荒川静香さんがトリノオリンピック フィギュアで金メダルをとった。
最近、風邪気味で酒をかっくらっては、早めに寝ているので、生放送はパス。
yahooのニュースで知りました。
まずはオメデトウございます。特に、このオリンピックで日本で唯一のメダルになるだろうから、その意味でも、よく頑張ってくれました。
普段は、ほとんど意識していないのだが、オリンピックとかワールドカップとかでは、自然、日本を応援しているから、身に付いた国家意識というのはおそろしい。
近代国家が生み出した「国家」というイデアに、私もどっぷり浸っているわけだ。
といった意味で、フィギュアのメダリストたちも、顔立ちが、それぞれのお国を代表しているようで面白かった。
スルツカヤ選手は、まさにロシア娘、特にあの白くてぷくぷくしてそうなホッペタが、まさにロシアを感じさせたし、
コーエン選手は、彫りの深い顔立ちが、アメリカの生意気娘っぽかった。
そして、荒川静香選手の、ちょっと吊り上った目もとは、まさにアジア、特に北東アジアの顔ですよね。(村主選手の奈良・飛鳥系の顔立ちとは、またちょっと違うよね)


とまあ、演技ばかりでなく、余計なことも考えさせたフィギュアスケートでした。

2006年2月23日木曜日

とり団子鍋

冬は鍋が、やたらと多いのだが、「とり団子」(鶏のミンチを団子にしたもの)と「鶏
肉」の鍋は、飽きがこないので好み。

焼き魚は「サンマ」、大根おろしを添えて。煮物は、昨日の残りの「大根のけんちん煮」




いつの間にか、ロケット打ち上げ

なんとはなしにasahi.comを見ていると、2月22日の記事に、ロケット打ち上げ成功の記事が載っていた。 赤外線天文衛星「アストロF」を載せた国産ロケット「M(ミュー)5」の8号機が22日、鹿児島県肝付町の宇宙航空研究開発機構・内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられ、衛星の分離に成功した。衛星は「あかり」と命名された。地球を周回しながら宇宙からの赤外線を観測し、星の成り立ちなどの研究に役立てられる。  M5の打ち上げは、X線天文衛星「すざく」を載せた昨年7月の6号機以来。1月24日と2月18日には種子島宇宙センターから大型のH2Aが打ち上げられたばかりで、1カ月に3機の打ち上げラッシュを乗り切った。 日本のロケット開発といえば、2003年11月のH-ⅡAロケット6号機の打ち上げ失敗のあたりに、かなり派手に取り上げられ、日本のロケットは、もうダメかなーという印象をもったままだったので、「知らないうちに成功してたのね・・・」と古い知り合いが、いつのまにか有名になってマスコミに出ていたような感慨に襲われる。 どうやら、2003年の失敗からほぼ2年後の2005年7月に打ち上げ成功し、2006年1月に1本、2006年に2本、打ち上げに成功したとのこと。 この3本まとめて成功の時期が、メダルのとれないトリノ・オリンピックと重なって、ほとんど話題になっていないようなのが、なんとも運の悪さを感じてしまうが、運の悪さが本業(ロケット打ち上げ)の方にでないのは「目出度い」とすべきなのだろう。 私の子供の頃は、未来は宇宙の時代だとばかりに、21世紀になったら宇宙旅行も可能になり、月に基地ができているのは当然で、次は火星移住だ、ってなことが子供雑誌には載っていたものだが、現実は甘くない。火星どころか、月にもアポロ計画以降は行っていないし、「アポロの月面着陸も実はヤラセだった」といった話もちらほらする。 そうはいっても、「フロンティアは深海と宇宙しかないだろー」とブラッドベリやハインライン世代のおっさんは思うわけで、宇宙航空研究開発機構(JAXA)には頑張ってほしいのである。

2006年2月22日水曜日

豚肉のしょうが焼き

今日のメインディッシュは、「豚肉のしょうが焼き」。しょうが焼きのタレは市販品。
定食の定番「しょうが焼き」はうちの家庭の夕食の定番でもあった。

あとは、頂き物のサバのから揚げ、鶏のささみのバンバンジー風
もうひとつは、だいこんのけんちん煮と卵と青梗菜のスープ



オリンピック メダル異聞

トリノ・オリンピックいよいよ終盤間近。今朝は、フィギュアスケートの話がNewsの目玉になっている。
昨日は、息子の宿題にも、オリンピックについての感想を書いてくることが出されていて、息子は、「なぜ日本人はメダルがとれないか」をテーマにとりあげて、「寒さに弱いせいだ・・」という妙な結論を出していたので、ついでに、というこことで、オリンピックのメダルについて、ネットで検索。
JOCのオリンピック憲章のページにはこんなことが載っている

個人種目では、優勝者には銀台金張り(またはメッキ)のメダルと賞状が授与される。第2位には銀メダルと賞状、第3位には銅メダルと賞状が授与される。
メダルは、少なくとも直径60ミリ、厚さ3ミリでなければならない。1位および2位のメダルは銀製で、少なくとも純度1000分の925であるものでなければならない。また、1位のメダルは少なくとも6グラムの純金で金張り(またはメッキ)がほどこされていなければならない

満薗文博さん(東京中日スポーツ報道部長)のこんな話もあった。

『オリンピックのメダル』の話
近代オリンピックの第1回、アテネ五輪では1位の「銀」と2位の「銅」しかなかった。これは当時のオリンピックは「栄誉だけ」のもので、言ってみれば財宝の象徴のような「金」はいかがなものか……と考えられて、銀と銅になったという説が有力。
(中 略)
第4回のロンドン大会からやっと「金メダル」が正式に登場する。また、第2回のパリ大会ではメダルは四角だった。これは当時、オリンピックそのものが世界的にまだ認知されておらず、パリ万博のイベントの1つという位置付けで開催されたため、万博でいろんな人に与えられるメダルを流用したせい。そこでも一応、金メダルも渡されたけど、正式に決まるまでは第4回までかかった。

金メダルがメッキとは知らなかった。おまけに大きさの下限まである。
大きくするのは良いが、小さくするのはダメ、不純物の多いものはダメというわけだ。
「悪メダルが良メダルを駆逐する」のを防ぐ趣旨かな。
また、金メダルが銀メダルの金メッキなのは、最初、財宝の象徴の「金」が避けられたことと、「やっぱり、一等賞は”金”だよね」といった庶民感覚との折衷案か、あるいは、全て金製にするとお値段がばかにならないせいか、謎は深まる。
まあ、今のところ日本はメダルは一個もとれていないわけで、「フィギュアで日本たった一つのメダル。その人は○○○。涙の会見」といったシチュエーションになるのか、「日本メダル0.再起を誓う○○」といったシチュエーションになるのか、結果はもうすぐ。

2006年2月21日火曜日

湯豆腐とステーキ

今日ちょっと豪華版。大好物の湯豆腐。昆布だしだけで煮る。あとはネギと湯豆腐のつゆだけで食す。

もうひとつのメインディッシュはステーキ。ちょっとレアめに焼いてもらう。切ると、中心部が赤い程度が好み。
ほかは、塩サバの焼き物と油揚げと小松菜の煮びたし
おみそ汁は、じゃがいもとたまねぎ。



2006年2月20日月曜日

野菜いための焼肉のせ

今日の夕食は、「野菜いための焼肉のせ」
野菜いためと焼肉は別々につくる。野菜いためは固めがよい。焼き肉のタレが沁み込みはじめたあたりが食べごろ

あとは、「ししゃも」と「卵とえびワンタンスープ」



ネットショッピングを、どこまでできますか?

インターネットコム株式会社とJR東海エクスプレスレサーチが行った車のネット購入についてのユーザー調査が発表された。
これによると

オークションやショッピングなど、インターネットを使ってのオンラインショッピングに人気が集まっており、ヤフーが中古車オークションを開始するなど、車もネットで購入できる時代となっている。しかし、車のネット購入には8割が抵抗を感じているようだ
(中略)
全体330人のうち、車をネット購入することに抵抗を感じますかという質問に対し、「とても感じる」との答えは47.0%(155人)で、「少し感じる」と答えた35.8%(118人)と合計すると82.8%(273人)のユーザーが抵抗を感じているとの結果が出た。

という結果になったらしい。
なんとなく、安心したというか、私も、中古車とはいえ車をネットで買うことには抵抗を感ずる一人。
世の中には、車どころではなくて家までネットで買う人もあるらしいから、感覚的に古いのかもしれないが、 どうも、ここまで大きな耐久消費財は、実物を目で見てから買いたい、というのが本音。
私の感覚的には、本はいうに及ばず、PCもネットで買うには抵抗はないから、きっと、それを買うということが自分にとって「大物」かどうか、といったところがネットで買うかどうかの分かれ道のように感じている。
もう一つ言えば、本でも、私の老父母あたりが、ネットで買ってやろうとしても書店で注文するほうを選ぶことが多いことを考えると、ネットに対する信頼感というか胡散臭さを感じているレベルにもよっているのだろう。
ショッピングの全てをネットが代行する途は、まだまだ険しそうである。

2006年2月19日日曜日

サイモン・コンウェイ・モリス 「カンブリア紀の怪物たち」 (講談社現代新書)

珍しく、古生物学の本を読んだ。
 
古生物といっても、恐竜とかマンモスとか剣齒虎といったメジャーで人気のあるものではなく、もっと昔、 カンブリア紀 である。
 
私が、まだ若い頃は、カンブリア紀といえば、茫漠とした太古の時代で、三葉虫が主役。そんな虫みたいなわらじみたいなのが、泥の中や海底の砂の上を這い回ったり、潜り込んだりしている、妙に平和な時代と教えられていたように思う。
 
ところが、カナダのバージェス頁岩や中国の澄江とか、グリーンランドのシリウス・パセットとかの発掘が進むに従って、捕食動物、もっと平たく言うと肉食動物というか肉食の生き物が出現し、食われる方の生き物も硬い殻をつけたりして防御にいそしみはじめた時代で、のどかどころではなかったようだ。
 

しかも、「カンブリアの大爆発」といわれるように生命の形態のとんでもなくたくさんの姿が、まるで実験室かアイデアのブレーンストーミングのように出現した、なんとも賑やかな時代だったらしい。
 
これは、本書の口絵をみるだけでもよくわかる。(というか口絵を見て、あやしげな進化モノかと思って読んだら、真面目な古生物学の本であった。)
 
ゴカイみたいな「セルカーキア」
 
紐で編んだ筒みたいな格好をしている「ヴォーキシア」
 
三葉虫に5つの目をつけて、象の鼻のような触手をつけた「オパピビア」
 
二枚貝とイカを合体したような「オダライア」
 
そして、カンブリア紀の怪物。大きな葉っぱに、デカイエビの頭のような顔と二本の角みたいなカギ爪をつけたアノマロカリス
(アノマロカリスの画像をググッたら、かなりの数がヒットした。なかには、萌え系のアノマロカリスもあったぞ。なんか勘違いしてないか・・・)
 
などなど
 
しかし、子供がもし、こんな動物を書いていたら、「もっと真面目に考えなさい」と言いそうな生き物ばかりだが、こうした奇想のデパートみたいな生き物群も、収斂するというか、一定のデザインに落ち着いていたのだろう、こうした奇妙な生き物を見かけることはない。
 
本書の最後の方に書いてあるように、生き物のデザインは限られるというか、ほぼ、同じパターンが繰り返されることはよくあるようだ。
 
哺乳類の剣歯トラと有袋類の剣歯ネコ(ネコとはいってもカンガルーやオポッサムの仲間らしいが)
 
イクチオサウルスなどの魚竜と哺乳類のイルカ
 
そういえば、生き物は、何度もプロトタイプというか、試作品を重ねて完成品になっていく。
たった一種類、先行するプロトタイプもなしに生まれたのが人類。
もしかしたら人類は、きたるべき生き物のプロトタイプか・・・といったSFもあったような。
 
人が生き物として試作品かどうかは別として、子供の頃の奇想が、いつしか平凡なものに修練していくのも、こうした生き物の法則なのだろうか。また、どんな大人も子供の頃は同じような夢をもつのも生き物の法則なのだろうか・・・

開高 健 「もっと広く 南北両アメリカ大陸縦断記 南米篇」下 (文春文庫)

さて、このシリーズも最終巻である。この巻はペルーから始まり、旅の終わりのマゼラン海峡を望む地、リオ・ガジェゴスまで。


ペルーでは一種、豪快な釣りに同行する。

なにせ、荷物が氷520キロ、水600リットル、米50キロ、ガソリン270リットル、石油60リットル、以下ジャガイモ、トウガラシ、サラダ油・・・と合計2トン、同行者ニ十数名というコルビーナ(イシモチの一種らしいが、体重12キロ、体長1メートル20にまで成長するらしい)や畳のように巨大なヒラメ釣りを数週間にわたって釣る一大旅行というか大イベントである。

しかも旅行の主催はペルーで大規模な日本料理店を営む人だから、当然料理人つきであり、ここで供されるペルー料理が、また食欲をそそるものばかりだ。

それは、

鍋の底にタマネギやトマトやシジャガイモを敷き詰め、軽く塩をふる。その上に魚をのせる。その上にまたタマネギやトマトを敷き詰め、塩をふり、アヒ(トウガラシ)を入れる。その上にまた魚、その上にまたタマネギやトマト。こういう具合にしたのを、水を一滴もいれないで、トロトロ弱火で煮た、「スダド」というスープ




魚(コルビーナ)のとれとれの端麗な白身を刺身にして大皿に並べ、そこへタマネギやトウガラシをふりかけ、新鮮なライムの鋭い果汁をたっぷりとふりかける。魚の肉が酸に焼けてチリチリと白くなる。はんなりと白くなったところをいただく「セビチェ」

であったり、

牛のコラソン(心臓)をワインビネガー、つぶしたニンニク、コショウの粉、クミンシード、塩、小さいトウガラシ(タカの爪)などにおよそ8時間から12時間つけ、それをコマ切れにして太い青竹の串にさし、炭火で焼いた「アンティクーチョ」

などである。

こうしたものを大量に食しながら大釣行を行うのだが、釣果はかんばしくない。二十年来の不漁だと、いいながら、また食し、釣るのである。
豪快な「釣り」というよりも、豪快な「消費」というべきか。


ペルーを出たとなりの国、チリでは、この旅の当時は、まだ熱い話題でもあり、また本家の体制がまだ厳然として健在であった「社会主義」の崩壊、アジェンダ政権の崩壊について、チリ国民への手当たり次第のインタビューも交えながら、かなりの頁が割かれている。

しかし、これは筆者のせいではないが、アジェンダ政権どころか、いわゆる社会主義、共産主義自体が色褪せてしまった今となっては、昔の知識人は、こういうことに悩めていたんだなー、という感慨をもたらすにすぎない。
崩壊後の世界に生きる我々にとっては、ひどく遠い話になってしまっている。

時代の流れは残酷である。


最後の章はアルゼンチン。大繁栄から一転して国家の破産状態を迎えながら、なぜか国民は元気なアルゼンチンである。そこには思想の昏さはみじんもない。

当然、そこで食されるものも釣りも、元気でなければいけない。

ということで、食するのは

一頭の牛を開いて切り取った肋肉まるごと一枚をカタカナの"キ"の字型の鉄串にぶらさげ、岩塩とコショウをまぶしただけで、じわじわと炭火で焼くバーベキューである。

その金色の汗をしたたらしてボッと炎をたてる肋肉からめいめい好きなところを木
皿にとってきて食べ、ぶどう酒を飲みつつ、大木のかげ、日光をさんさんとあびつつ小咄の交換会をするバーベキューであり

釣りは

疾走する。かけまわる。ブッシュにとびこもうとする。ときには全身をあらわしてブッシュからブッシュへ飛び交うこともある。そいつをすかさず強引にひったくって広場にひっぱりだす「サルモン」

である。


そして、最終地のフエゴ岬。途中、ブラウン・トラウトを釣る場面はあるが、総体として静寂、静謐である。

いままでの豊饒さ、熱烈さ、清冽さを清算するかのように、最後は静かに終わる。

しめくくりは、「清潔な明るい場所」の老人に呟きで終わる。


すべては無(ナーダ)に無(ナーダ)。かつ無(ナーダ)にして無(ナーダ)にすぎぬのだ。

開高 健 「もっと広く 南北両アメリカ大陸縦断記 南米篇」上 (文春文庫)

「もっと遠く」に続いたアメリカ大陸縦断記の南米篇である。
南米篇は、メキシコから始まる。もちろん、南米にメキシコを入れるのは筆者も躊躇しているが、スペイン人の征服によるアステカ帝国の滅亡から現在までの宗教、風俗、史的体験からして北米とは異なるものとして南米篇にいれたものだという。そういえば、今までのオリンピックの開催国で、オリンピック開催後、国威を著しく落としたのはメキシコだけだ、という逸話をどこかで読んだことがある。

そんなメキシコから始まり、コロンビアまでいたるのがこの南米篇の上巻である。

メキシコに入ると、すぐさま「モクテスマの復讐」に襲われる。とはいっても事件ではない。下痢である。コルテスに滅ぼされたアステカ帝国の最後の皇帝  モクテスマ二世が、メキシコにくるあらゆる外国人に、皮膚の色や国籍おかまいなしに、下痢でたたって歩くのだそうだ。アメリカやヨーロッパにやられっぱなしのメキシコのささやかな復讐というわけか。

メキシコで釣った魚は、タイの一種のワティナンゴとハタぐらいでたいしたことはないが、出会う料理は、捨てたものではない。
「ワティナンゴ・ア・ラ・ベラクルサーナ」という料理は、ワティナンゴという魚に軽く衣と油をつけて熱い油で揚げ、それにトマト、タマネギ、ピメンタなどを入れた熱い透明なスープをかけたものなのだが、その味は

魚は赤いけれども肉は白身で、もろく、高雅である。ピメンタは日本のピーマンにそっくりだけれど、とびあがりたくなるくらい辛くて、食べていると、額からタラタラと汗が出てくるほどである。しかし、香ンばしい油、はんなりとした塩味、気品のある白身のまざりぐあいは、まことに逸品であった

というぐらい旨いもののようだ。

メキシコを出てヴェネズエラ、コロンビアに向かうにつれ釣りも少しずつ大物になってくる。

ヴェネズエラで出会うのはヘラブナを巨大化したような(15キロはあるようだ)カチャマという川岸の固い木の実を噛み砕いて食べている魚で、むっちりとした野豚のような白身の肉をもった魚であるし、コロンビアで出会うのは

みごとに成熟した巨体が水しぶきを散らし、全身をぬき、頭をふって跳躍し、どさり、バシャーンッと落ち、ついでニ、三歩走ってもう一回、姿をぬいた。ふたたび、どさり、バシャーンッと落下する。空と、積乱雲と、ジャングルと。湖、すべてに充満する力の精粋を結集し、野性の精華そのものとしてのニ瞬

を見せてくれるパヴォンという魚である。

旅は、ゆっくりと南下していく。豊饒へ、熱情へと向かっていく。

筆者は、その原因とでもいえそうなものを記している。

この大陸はカトリック教に侵されている。あらゆる国がカトリック国である。ヒトの情念には辺境残存法則という法則が作動して、周辺にいけばいくほど中心の本質がいよいよ濃厚に頑強に保持されるという原則がある。ローマのヴァチカン法王庁は伝統のさまざまなタブーにたいして打破はできないまでも少なくとも修正や理解や歩みよりの姿勢を見せているが、私たちが通過しつつある新大陸においては旧教がいよいよ強烈である。

モノにしろ、ヒトにしろ、自然にしろ、旧大陸の熱情が、辺境にはまだ色濃く残っているのかもしれない。

Vine Linux 3.2 に FireFoxをインストール

Vine Linuxで無線LANでの接続に成功し、ネットサーフィンしていたのだが、どうもプリインストールのMozillaはなんともなー、と思い始め、FireFoxを導入することに勝手に決定。
というわけでFireFoxのサイトに行って、Linuxへのインストールをお勉強。えーっとtarボールをダウンロードして・・・、とやっていたのだが、どうもうまくいかない。
うーむ、というわけで、困ったときのGoogle頼み。
ありました。ありました。どうやら


# apt-get install firefox


でよいらしい。早速、GNOME端末を立ち上げて実行・・・・・


あっさり成功・・・。うーん、今までの時間はなんだったのだ・・・・
メニューのインターネットのところをみるとFirefoxがしっかり追加されていました。

2006年2月18日土曜日

男の自立

父親が入院しており、ほぼ毎日見舞いも兼ねて様子を見にいくのだが、老人の多い病棟なので、いろんなことがある。
今日、出会ったのは、奥さんの姿を捜し求めて、うろうろしたり部屋の入り口で待ちわびている旦那さん。
様子を聞いてみると、ずっと奥さんが付き添っていたのだが、退院が近くなり、家の片付けとか退院の準備があるため、奥さんもちょくちょく家へ帰ったりしていて、付き添う時間の間が空くらしい。
その時間が、どうも、すごく不安らしくて見舞い客がくれば覗きにくる。当然、奥さんではないから、あたりを探し回る。最後には、部屋の前で奥さんの帰りを待ちわびる、といったことになるらしい。
看護士さんが気がつくと、ベッドに戻すのだが、しばらくすると、また同じ行動。
うちの家人は、「すごく奥さんのことが気になっているんだろうねー。珍しいねー」と言うのだが、多かれ少なかれ、男は、そんなところがあるよなー、我が身を振りかえって、そう思う。
いわゆる「濡れ落葉」ってやつなんだろうが、幼い頃は母親を頼り、成長してからは配偶者を頼り・・・。
うーん、男はいつまでたっても自立できていないのかもしれない。

Vine Linux 3.2 で 無線LANを使う

年末に知人からIBMのThinkPad A21eというノートを手に入れ、しばらくはLinuxをインストールしてサーバとして使っていたのだが、10G程度のHDDしかない上に、ファンの風切音がキーンという金属音が混じってきて結構ウルサイ。
そんなわけで、サーバーはデスクトップのConpaqにお任せして、ThinkPadは、家の中の適当なところで、ネットサーフィンやブログ更新に使うモバイル利用にすることに決定。
そうなると、有線LANでは使えても、無線でもつなげないと、ちょっと動きが悪い。
ということで、無線LANの導入を思い立ったのだが、これが結構はまってしまった。
無線カードは、BUFFALOのWLT-PCM-L11GP。居間にある家族共有のノートPCから一時借用。
カードスロットに差し込むと、ピッピッという2回鳴る音がして、あっさり認識。これは簡単かなと思って無線LANのネットワーク接続をeth1で新規作成するが、ネットワークが有効にならない。(ドライバは3.2バージョンであればはじめからインストールされているよう)
うーんと思って、ネットリサーチ。なんだ /etc/pcmcia/wireless.optsってやつをいじればよいのか、とBUFFALOのLANカードに関係するところをいじるが、全然つながらない。


と・・・悪戦苦闘・・・数時間

結局のところ


etc/sysconfig/networkに、
ESSID="Hoge" ←アクセスポイントに設定したESS ID
MODE="Managed" ←アクセスポイントに接続(インフラストラクチャモード)
KEY="s:Hoge" ←暗号化(WEP)のキー(s:が必要。これもはまた原因の一つ)
を追加して保存。
ネットワーク接続の eth0(私の設定は、通常のLANカードの設定のまま) を無効にする
その後、無線LANカードを差し込んだまま、再起動。
Linuxが立ち上がったら、ネットワーク接続の eth0 を有効にする。(有効にするまでは、ネットワーク接続がすべてOFFになっているので、LANカードの電源は入っていない)
と、どういうわけか無線LANカードの電源が入り、無線で接続できるようになった。


理由の不明なところをはらみつつ、成功したのでした。

2006年2月16日木曜日

開高 健 「もっと遠く! 南北両アメリカ大陸縦断記 北米篇」下 (文春文庫)

下巻は、ニューヨークからニューオーリンズまで。北米というからメキシコまで入るのかと思ったら、どうやら生粋の「アメリカ」まで。

この巻は釣りだけでなく、食い物についても唸る一節の多い巻である。

一体に、開高 健の「食い物」「旨いもの」の表現は、汁(つゆ)がしたたるようであり、湯後が沸き立つようであり、なんとも唾を飲み込みそうな表現が多いのだが、この巻もその期待に違わない。

例えば、ニューヨークのオイスターバーで貝(ハナグリ)を食べるところでは


かわいいハマグリの淡桃色を一刷き。あえかに刷いた、白い、むっちりとした肉、それにレモンをしぼりかけると、キュッとちぢむ。オツユをこぼさないようにそろそろ口にはこび、オツユも肉も一息にすすりこむ。オツユは貝殻に口をつけて最後の一滴まですすりこむ。ムッツリだまったまま、つぎつぎと一ダース、二皿で合計二十四個。


同じニューヨークのチャイナタウンで小汚い中華料理屋に飛び込み、


魚片の入った熱アツの粥をたのむとうれしいことに香油(ゴマ油)を一滴ふりかけてくれた。油條をちぎりちぎりその粥に浸し、香菜(コエンドロ)をふりかけ、垢だらけの欠けレンゲですくう。口にはこびつつ、粥とゴマ油の香りと油條を少しずつ呑みこみ、ついでに声も呑みこんでしまう。


といったところや、

南部のフロリダで


"完全に南部風だ"という宣言はメニュにある。他の地域ではあまりお目にかかれない料理がある。たとえば"グリッツ"であり、たとえば"ナマズのフライ"である。グリッツというのは純白のトウモロコシの製粉粉で、これを茹でたのを添え物としてゴッテリと、どんな皿にものせる。ただトウモロコシ粉を茹でただけで何の味もなく、ちょっとザラザラした重湯かオートミールといったところである。それからビフテキやフライドチキンはどこでも同じ型どおりだが、南部特産料理はチャンネルキャットというナマズのフライで、皿いっぱいにドカドカと盛り上げて出す。頭を落とし、ヒレをとり、皮をすっぽりとハイだのを、三枚におろしたり、切り身にしたりして、粉をまぶして油で揚げるのである


といったあたり、そんじょそこらの料理書やグルメ本にない、旨そうなもの、ちょっと食指が動きそうにないもの、ドッテコトなさそうなもの、ひっくるめて筋の太い味を出している。


それに加えて、フィッシュ・ファイトである。ここでも相手とする魚は巨大であり、乱暴な戦闘相手である。

カナダのトロントで出会う、パイクの親戚のような魚"マスキー"は


ひとくちでいうと、足のないワニである。巨大な、固い、ゴツゴツした頭があり、耳があるなら耳まで裂けたといいたくなるような口である。その内側には炭素鋼製のような鋭い歯がギッシリと生えている。この歯が曲者で、大きいのも小さいのも、ことごとく釣針のように内側に向かって反っていて、一度くわえこんだえさは、小魚であれ、カエルであれ、本人が吐き出したいと思っても咽喉へ咽喉へと送り込むしかないという仕掛けになっている。


こうした魚と格闘し、釣り上げた時、「完璧の時」「裸の知覚」を感じとるのだろう。

諸事に倦み、疲れていたであろう開高 健が、晩年にいたるにつれ、釣りにおぼれこんでいった快楽がわかるような気がするのである。

2006年2月15日水曜日

バレンタインデー異聞

バレンタインデーについて、娘と話をしていたら、、今は「本命チョコ」「義理チョコ」のほかに「友チョコ」というのがあるらしい。
女の子が、同性の友達に配るらしい。義理チョコは廃れ気味だけど、友チョコは流行ってるね、とのこと。
ふーん、ということでググッてみる。「はてなダイアリー」によると

バレンタインデーに女性の友人同士で贈りあうチョコレートを称す。
一点のみで単価が高い「本命チョコ」、不況で不振の「義理チョコ」につぐ、バレンタイン商戦の新たな市場となりつつある。他に家族に贈る「ファミチョコ」、お世話になった人に贈る「世話チョコ」などがある模様。

てなことで、このほかにもいろんな形態があるらしいが、「模様」という表現が、まだ流動的なバレンタイン情勢を示しているようで面白い。
娘は、通っている予備校で、男の子同士の
 「バレンタインチョコ食べ過ぎて気持ち悪い・・・」
 「オマエ、ちょっとモテルと思って自慢するなよなー」
といった会話を耳にして、
「久しぶりに、昔ながらの学園マンガのせりふを聞いた・・・」
と妙に、感じ入っていた。


バレンタインデーをめぐる青春風景は、今もまだ健在のようである。

2006年2月12日日曜日

開高 健 「もっと遠く! 南北両アメリカ大陸横断記 北米篇」(上)文春文庫

一時期は、熱狂して読み漁っていたのに、なにかの折にパタンと読まなくなってしまう作家というのがある。私の場合、「開高 健」もその一人だ。「最後の晩餐」といった食エッセーから、ベトナムを題材にした数々の小説群、釣りのエッセイや対談集など、買い漁っては、読み、その書癖というか、熱狂を秘めながら、冷めているという特性のある表現を好んでいたのだが、なんとはなしに冷めてしまった。

それは、いわゆるフライやルアーの「釣り」が匂わせるスノッブさが嫌になったのかもしれないし、ベトナム戦争から現在までの時代の流れの中で、いわゆる社会主義が色あせるどころか瓦解していくといった変化に、これらの小説群を読む、こちらの視線が、あてどなく、他所へいってしまったせいかもしれない。

そんなあまり理由のないことで遠ざかっていたのだが、ふと書庫の片隅から引っ張り出したところ、なんとなく懐かしい。なにか昔よき時代の話を聞いてるような感じがしてきてレビューしてみたくなった次第。


さて時代背景だが、1979年から1980年にかけてのアメリカ大陸横断である。世界史的には1979年10月の韓国の朴大統領が暗殺されたり、イラン革命がおこっている。
1980年にはモスクワオリンピックのボイコットやイラン・イラク戦争がおきている。またレーガンがアメリカ大統領となり、ジョン・レノンが暗殺された年だ。

いわゆる冷戦構造が健在で、共産主義と資本主義の牙城は双方健在であった頃。ロシアはまだソビエトで、アメリカはアメリカだった頃だ。この頃は、現代でも「宗教」が国を動かす、あるいは国を脅かす存在であるとは思いもしない頃だ。

そんな中で、アラスカから始まりフエゴ岬まで、釣竿片手に大陸縦断する旅の記録である。
久々に「開高節」とでもいいいたくなるような


 いつも軽くしびれてしくしく痛む右手が氷雨やリールの金属の肌やで骨まで冷えこみ、凍りついたみたいにこわばっている、竿をふった瞬間に疼痛が右腕を走り抜けて肩をふるわせる。しかし、電撃が糸から竿の穂さきに達した瞬間、三十年が消える。十八歳の声が洩れる。昇華する。放電する。
 氷雨が音をたてはじめた。


というような表現を見つけると、「ああ、これだ、これ。」と昔の友人に久方ぶりに会ったような感覚がよみがえる。

この巻の舞台は、アラスカからニューヨークの近く、ケープコッドまでである。
出会う魚は、北米の寒さ、冷たさを体現するかのような清冽な魚たち、レイク・トラウト、レッド・サーモン、パイク、スチールなどなどである。

そして、そして、である。こうした魚を釣り上げる時の文章の清冽さは凄い。こんな時は、余計な感想はやめて、原著から引用しよう。

スチールという海から上がってきたニジマスを攻める時は、


(スチール)は水中で身ぶるいプラグには真っ二つ割れそうな荒々しさで噛みつく。鉤にかかると一瞬で100メートルを突進して川の対岸までいったり、ダイナマイトの炸裂のように水しぶきをたてて大跳躍したり、上流へ走ってみたり、下流へ走ってみたり、スチールの闘争は千変万化する。激流というものには岩やら沈木やらが陰鬱にあちらこちらにうずくまっているから、糸はそれらとすれたとたんにバンと爆発音をたてて切れる。これがある。あれがある。釣師は忘我の狂熱、潜熱に駆り立てられて、スチールを尊敬しつつ呪いつつ、愛しつつ憎みつつ、孤独なたたかいに没入するのである。


はたまた、バスを攻める時は、


 バスは鈎にかかると突進、猛進、水底へ水底へと走ったり、右に左に走ったり、ときには水しぶきたてて壮烈な跳躍をしたりする。怒りが全身をかけめぐってであろうか、ハードボイルド作家なら、アドレナリンの奔流が体内いっぱいに走ってと書くところだが、それまで胃のなかにあったもの、つまりとけかかった小魚を何匹となく水面に吐き出すことがある。バスが生簀に入れられたあと、波紋が静まって、夕暮れの蒼暗な湖に体の崩れた小魚があちらこちらに漂ったり、ゆっくりと沈んだりするところを見ると、戦場を見るようである。


そして、釣師って奴は、アメリカだろうが日本だろうが、魚しか目に入らないものらしい。



あるアメリカ人の釣師はスチールに狂ったあげく、都会を捨て、スチールの川の流れている森林地帯、それを領地としている林業会社をさがし、森林監督官として就職して山小屋に住みつき、寸暇を惜しんで川通いに没頭したところ、とうとう奥さんに離婚を宣言されたが、言下に承諾し、ああ、セイセイしたといって、ふたたび竿をとりあげて小屋をでていったとのことである。


ああ、釣師って奴は・・・。男って奴は・・・・。と「開高」風に締めてみよう

2006年2月11日土曜日

森永卓郎「新版 年収300万円時代を生き抜く経済学」(知恵の森文庫)

小泉政権の推し進める「構造改革」によって、「総中流」といわれていた日本の階層は、「富裕層」と「貧困層」に極度に分化していく。きっと、一般サラリーマンの年収は300万円程度になるだろう。いや、それも気楽に獲得できる収入ではなくて下手をすると年収100万円程度の階層へなる危険性も秘められている。

さあ、どうしますか。と問いかけてくる本である。

著者は、いわゆる小泉改革に賛成ではない、というか、むしろ反対派だろう。小泉政策を、金持ちと官僚に住みやすい国をつくろうとしている政策だ、とまで言い切っている。
しかも民主党も、同じ穴の狢ぐらいに言ってたんじゃなかったかしら。
少し昔になるが、道路公団の会議の時も委員長どころか改革派といわれていた猪瀬直樹氏にも噛み付いていたし、郵政改革のときも派手に反対論をぶつけていたように思う。

そうした筆者が、小泉改革の果てにある貧富の差の拡大した「新・階級社会」となる日本で、日本人を幸せにするモデルをアメリカとヨーロッパを比較して考えると、

アメリカもヨーロッパも貧富の差は歴然としてある。その違いは、アメリカは所得と社会的地位が比例する社会、大陸ヨーロッパは厳然とした階級分断(貴族と一般庶民)が残る世界。アメリカには数は希少とはいえ「アメリカンドリーム」の夢はあるが、ヨーロッパでは、一般庶民が貴族になりあがることはない。

それらを総体として考えても、今後、貧富の差が大きくなっていく日本で日本人を幸せにするモデルは「大陸ヨーロッパ」。お金はちょっときつくなっても、「ゆとり」を目指す生活を始めては、というのが主な論旨。

これからビジネスでもおこしてやろうかってな感じの人にしたら、「ウルセイ」といって投げつけるような類の本かもしれないが、長年、サラリーマン稼業を続けてきて、ちょっと最近疲れてるかな、と思う私のような年代の者には、一種頷けるところが多い本である。

しかし、世界のサラリーマンの標準年収が300万円~400万円とは知らなかった。
私達は、ちょっとアメリカの、とんでもなくタフでしゃかりきに働いているエグゼクティブの情報ばかりを、摂取しすぎていたのかもしれない。寸暇を惜しんでビジネスに身も心も捧げるのは、特定の(収入も地位も高い)エリートがやるべきことで、全ての人間が、それを追い求める必要はないのではないか、という主張はかなり説得力をもつ。


そして、年収300万となったときの筆者が提示する生活のスタイルは、一種すがすがしいというか、あっさりとして魅力的な点もある。

要約すると

背伸びはやめなさい。
自分の好きなことにお金をつかいなさい。
収入源は複数確保するようにして滅私奉公なぞやめなさい。
自分が楽しいと思うことを仕事にするようがんばりなさい。

そして

収入の範囲内で暮す(身の丈にあった暮らしをする)ことを原則として、資産が少しでも合ったらリスクの低いものを選択して、しかもリスクは分散する

ということのようだ。

筆者が


必要なのは「夢(ドリーム)」ではなく「課題(タスク)」。思いついたらすぐにやる。駄目だったら、すぐに別のものに乗り換える。

大切なことは、一日でも早く始めることだ。早く始めれば始めるほど、プロとして自立できるチャンスが膨らむ。


と言う時、「勝ち組」「エグゼクティブ」「エリート」といった言葉、階級とは別の、タフな「庶民の生き方を、私達の前に示そうとしているかもしれない。

岸本葉子「「和」の旅、ひとり旅」(小学館文庫)

おひさしぶりに読んだ、岸本葉子さんの旅本、というか旅エッセイである。
岸本葉子さんといえば、「アジア発、東へ西へ」や「旅はお肌の曲がり角」あたりから旅本として読み始めたのだが、最初の頃の、元気な北京留学娘をほうふつとさせるものから、年を経るにつれ、段々と「上品」になってきているような感じがする。


そういえば、表紙カバーのお写真も、(大変失礼ながら)ちょっとお年を召されたセレブの奥様といった雰囲気を醸し出されているのである。でも、キレーで賢そうな人だな、と思わせる風情十分である。


とまあ、容姿の話はさておき、この本の構成は

自分の中の「旅」を問い直すような内への旅を思わせる「「私」と出会う」

日本のあちこち、とはいっても騒々しい観光地ではなく、北海道・ニセコ、安曇野、天草などなどの、謂れや風情のありそうなところが多い旅行記、「元気をもらいに」と「時間を超えて」

季節の移り変わりを、花や野草をネタにとりあげた「季節を感じる」


旅行記の中で、おろ、と思ったのが「南大東島」

この島、人が住み始めたのが1900年(明治33年)。鳥島のあほう鳥の羽を売って巨万の富を築いた玉置という人が、製糖業をはじめるために企業ぐるみで移住をはじめ、島は玉置氏の私有。島内では「玉置券」というのが貨幣がわり流通し、教育・医療・郵政・警察もすべて会社が行っていたというもの。

うーむ。ジュラシックパークやロボコップなんかででてくる、巨大企業みたいではないか・・・。ここで、あやしげな研究開発が行われていれば、まさにそのものなのだが、現実は、地道に製糖業が行われていた模様。
ちょっとがっかりだが、なんとなく訪れてきたくなるところである。


しかし、この本のお奨めは、こうした旅行記より最後の「季節を感じる」のこれまた最後の方の野草や山菜をテーマに季節を描くところ。

この人、確か、食エッセイも達者だったように思う。

「蕗」「うど」「あいこ」「みず」「こごみ」など、私より年下なのに、ちょっと○寄りくさいぞーという印象は否めないのだが、


(こごみを)湯に通すと、空豆のような薄い緑色に変わる。いかにも、春のはじめのお弁当にふさわしい色だ。
 茹で上げた芽は、水をはじいて、つやつやしている。かじると、かすかなぬめりがある。水気をよき切り、たっぷりのかつお節と醤油をまぶす。かつお節が、味をからませるのにちょうどいい。


とか


 下ごしらえした蕗を煮る。蕗だけでもいいが、私はよく厚揚げと炊き合わせる。醤油と酒とだしでもいいし、醤油の代わりにいしるでもいい。いしるは能登半島で作られている魚醤で、発酵臭が鼻につくという人もいるが、煮物などに含ませると、なつかしいような味わいになる。色は醤油よりも薄いので、目ではなく、舌で加減する。
 煮詰めずに、汁に具がひたるくらいで止め、ゆっくりと味をしみこませる。長さが揃った蕗と、いしるの色でかすかに染まった厚揚げが並ぶ鉢を見ると、いかにも春の煮物だと思う。


山菜とか野菜の煮物は、あんまり得意な方じゃないのだが、これはそそられますねー。

旅本ではなく、旅にまつわるエッセイ、食べ物のエッセイ、季節の花のエッセイと思って読んでください。

鳥取県鳥取市 ”ゆめや”「白ねぎラーメン みそ」

今日のお昼は、「ゆめや」でラーメン。
刺激をちょっとほしいな、と思って白ねぎがたっぷりとのっている「白ねぎラーメン みそ」


息子は普通の「しょう油ラーメン」

2006年2月9日木曜日

斉藤 孝 「三色ボールペン情報活用術」 (角川oneテーマ21)

いまさら、という感じがして恥ずかしいのだが、やっと読みました。

斉藤 孝さんって、やたら賢そうで、妙に納得させられそうで、苦手だったんですよね。
でも、思い切って読むと・・・、妙に納得させられて感化されてしまいました。

三色チェックは、資料を「自分」の中に取り込む作業だ

ということで、三色ボールペンといっても、実は三色ではない。黒を除外するから、四色ボールぺンの「赤」「青」「緑」を使って、書物に限らず、テキストを読み砕き、優先順位をつけ、資料を解体して、自分の血肉とする手法、というよりは「哲学」を語った本である。

「赤」は、それを落としてしまうと本質を欠くという部分

「青」は、そこまで強くない。とりあえず重要というところ

「緑」は、自分のセンス、自分のアンテナに引っかかってくるところ。とにかく自分はよいなと思うところ

といった基準で、本から資料から、ありとあらゆるテキストに、その基準で線を引き、丸でぐるぐる囲いをし、果てはメモや手帳もその色分けで記そうと提案しているのが、この本である。


いくつか、気をひいたところを引用すると

キーワードを見つけながら読むという方法は、その本の著者、あるいはその資料の作成者の表現したいことを的確につかむこと・・・いうなれば「情報ハンター」になることだと思う。

とか

三色でメモすることは・・・自分自身がその瞬間に何を考えたのかが言語化されやすくなるということだ。・・・アイディアな豊富な人、クリエイティブな仕事をする人というのは、相手の言ったことではなくて、そこからインスパイアされた自分の考え、思いつきなどをメモしているケースが多い

とか

(手帳の)書き込み方式は

最重要の用事は赤で書きこんでいく。・・・青で書くのは、まあ忘れてはいけない用事。・・・緑は趣味的にやる仕事。・・・私は、これは社会的な用事か、個人的な用事か、という判断をして、個人的に、遊び感覚を活かしながらやることは、みんな緑で書くことにしている。だから仕事であっても緑で書いているところがたくさんある。


三色に(手帳のスケジュールが)色分けされていると、パッと人目見ただけで、今週は赤が多い週だ、あるいは今週は緑が多い週になりそうだというイメージができてくる
私がなぜこんなに手帳の色分けを重視しているかというかというと、それを見て、事前にその週のコンディションを終わらせておくからだ。

とか

緑というのは、行き当たりばったりでマークしているようだが、じつは人間の単純な気まぐれなどではない。
自分なりの緑のつけ方にはある種のクセのようなものがある。そこをつとめて意識化していくと、自分が緑としてある一定の角度というものを持っていることがわかってくる。

緑は、自分の脳の暗黙知と深くかかわり合った、個人のあり方にとってきわめて本質的な部分だといえる。

これを継続的にやっていると、やがてそれは、その人独自の視点ということになってくる


などなど。なんか、三色ボールペンを片手に線や丸をつけながら読んでいると、なんか自分が"切れ者"になっていく感じがしませんか。


私事で恐縮ながら、・・・四色ボールペン・・買いました。線引きながら、本読んでます。
(ミステリーが多いけど)

使えますよ、これ。
なんか、頭良くなったような感じがするのは確か。
一読およびお試しあれ。

2006年2月8日水曜日

プレジデント リザーブ リッカドンナ

昨年のクリスマスの時に買っておきながら、結局、クリスマスには飲み損ねて年明けに飲んだスパークリング・ワイン。
アメリカ産。
スパークリングワインに、ときおりある強い発泡感はなく、マイルドな味。

林 巧 「アジアもののけ、島めぐり」 (光文社文庫)

副題が「妖怪と暮らす人々を訪ねて」で、訪問するところは、バリ、沖縄、ボルネオである。それぞれの地を訪ね、人に会い、それを綴る、という旅行記の基本はおさえてあるのだが、ちょっと普通の旅行記とは違う。

それは、目に見えるもののレポートだけでなく、目に見えないもの、いわゆる「おばけ」を見ようとする、あるいは感じようとする旅でもあるからだろう。
そして、いわゆる異世界探訪ものとは、また違うのは、そうした目に見えない世界を、我々の住む世界とは異なる世界としてリポートしようとするのではなく、我々と地続きの世界としてレポートしようとしているからだろう。


こうした「もののけ」や「おばけ」を身近に感じながら生活する、生きるということは、私たちの普段の暮らしを、端の方からその存在を揺るがすものとなる。

筆者が、


人はただ暮しやすい場所を選んで、世界全体のほんの片隅で暮している、ということがボルネオでは疑いようもなくわかる。

世界は人間だけのものではない。人が知ることのできない、いろいろなものごとがボルネオではどこかで確実におこっている。


というとき、私たちの暮らしというのが、目に見えないものも含めた広大な"世界"の中で、ごく小さな居場所しかもっていないことに、あらためて気づかされるのである。

終わりには、水木しげる氏と京極夏彦氏のエッセーが寄せられている。

その京極夏彦氏の 文書を引用して、この書の実相を象徴するよすがとしよう。


私達の国は博物学的視座に立つことによって要領よく近代化を成し遂げたような感がある。それ以来私達は、恰も西洋人が興味本位で東洋の文化を眺めるように自分達の本来の姿を自分達の生活から切り離して眺めていはしないか。そうだとすればその、ある意味高みから見下ろす視線こそが、私達と「島」を切り離している理由なのだろう。私達が忘れてしまったこととは、即ち自分達の姿をありのままに見据えるまなざしなのである。


私達の暮らしは、世界の、ほんの一部分を占めているにすぎない・・・

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阿川佐和子 「タタタタ旅の素」 (文春文庫)

阿川佐和子さんの旅本・・・というより旅をテーマにしたエッセイである。阿川佐和子さんといえば、週刊文春の、上品だが切れ味鋭いインタビュアーである。こうした人の旅エッセイだから、きっと切れ味鋭すぎて・・うー、と思ったら大間違い、なんともほぁっとしたエッセイである。

舞台となる国というか地域は、それこそ多種多様。でも、どちらかというと外国でいうとアメリカ、香港、シンガポール、ヨーロッパ、日本では京都、軽井沢、長野、広島といったあたりが舞台となるのは、そこらのバックパッカーの旅本とは違うところ。どことなく上品である。

しかし、文中にでてくる話やエピソードは、ありきたりの旅本と違って、うーむとうならされるところが多い。

たとえば、

世の中には、道を聞くという行為に対して消極的な人がいる。地図を見てもわからない。間違った道を来てしまったか。困ってしばし立ち止まり・・・・と、この段階において、なお、じっと考え込み、あるいはとことん歩き回り、なんとしても自力で見つけ出してやると頑張る人がいる

てなあたり、「あ、俺だ」と思ったり、

どうも父君や兄君と違って乗り物オタクではなさそうだな、と安心したり、

シンガポールでお気に入りの土産物が「ハッピーブッダ」であることや、新幹線や飛行機で移動していることを求めながら、そのスピードになんか疲れてしまったりすることに思わず同感してしまったり、

なんとなく、年上の人でありながら、可愛らしくて、なんとも許せてしまうのである。

だからだろうか、

日本人は、山というものを「景観」として認識しているそうだ。友人の山持ちに教えられたことがある。彼曰く、西洋人が山を、「生活の場」と理解するのに対して日本人はむしろ、遠くから見て物思いに耽る。だから、山を「管理する」とか森を「育てる」という意識が薄いのだという。



絶対安全なんてところは世界中どこを探したってありゃしないよ。問題は、自分自身がどの程度その町の危険性を認識して生活するかってことさ

ってなお説教にも素直に「ハイ」と言ってしまうのだ。

まあ、なんとも、はんなりとした旅行エッセイであります。

2006年2月7日火曜日

赤いウィンナー

小泉武夫さんの「不味い!」を読んでいると、幕の内弁当のところで、こんな風に書かれている。


この(幕の内)弁当の本来のおかずは、卵焼き、カマボコ、シイタケ、鶏煮付、魚の照焼き、栗の実のふくめ煮である。とすると、俺の買った幕の内弁当のおかずにかなり似ている。魚の照焼きの代わりに焼いた塩鮭を置き換えれば昔の幕の内のおかずは大体揃っている。問題は余計なものがあることで、それはウィンナーソーセージとパン粉をからめて揚げたフライとハンバーグである。

 ( 中 略 )

食紅で染められたような真っ赤なウィンナーソーセージは噛むとモソリモソリとしていて、とてつもなく大不味。


赤いウィンナー、ボロクソである。
たしかに赤いウィンナーは、上等なものじゃないけれど、私としては「魚肉ソーセージ」と並んで愛着があって、単純に旨い、不味いでは語れない。

まごぐすり

1月の終わりに入院した父の様態が、やっと安定してきた。
入院当初は、脳梗塞でも軽い方だといわれたので気を許していたら、肺炎を併発してしまい、その時は少し脅されたのだが、ようやく酸素マスクもとれ、流動食も始まった。


老親の看護や介護をしておられる方々からみれば、何とはないことなのであろうが、やはり家族の入院というのは気苦労や時間的・身体的負担が大きい。


その中で思ったのが、家族というか、子供のもつ治癒力というもの。

ほとんど意識がないと思われる時でも、孫(私の娘と息子)がくると目を開けるし、すこし良くなってくると手を伸ばして、孫と手をつなごうとする。私が話しかけても大した返事はしないのだが、孫とは、一所懸命話そうとする。


入院したての時、病院の看護士さんから、「一番良く効くのは”孫薬”(まごぐすり)だからね」といわれた意味がなんとなく解ったような気がする。

アメリカ人の歴史観はハリウッド映画から。では日本人は・・・

Google、歴史的な映像分野にも進出という記事をjapan.internet.comで発見。 概略は、 米国人の多くは、歴史観をハリウッド映画から得ている。これもまた、インターネットが変えることになる。 その変化は24日に始まった。Google (NASDAQ:GOOG) が、米国立公文書館にある歴史的な映画やドキュメンタリなどのフィルム映像を、自社の動画検索サービス『Google Video』の対象にし始めたからだ Google Video 上級プロダクトマネージャ Peter Chane 氏は、取材に応え、次のように述べた。「こうした歴史的映像を世界に紹介できることを,喜ばしく思う。以前なら、これら映像を見るには、ワシントン DC にある公文書館まで出向かねばならなかった。今後は、世界のどこにいても、コンピュータの前に座って歴史を見ることができる」 ということらしいのだが、アメリカ人の歴史観はハリウッド映画から得ている、というところが、妙に気にかかった。 ハリウッド映画からということは、古くは、西部劇ものから始まって、第二次世界大戦もの、ベトナム戦争ものなどによって歴史観が構成されているということか・・・ と思いながら、じゃあ、日本人の歴史観は何から得ているのだ、と連想が飛ぶ。 私より年配の世代や、私の子供の世代はどうかわかならいが、日本の高度成長からバブルまでの歴史と自分の成長期が重なる私のような世代にとって、歴史観を得たものといえば・・・
「大河ドラマ」 かな。
歴史観といっても大げさなものではないが、ある人物の名前を聞くと、特定の俳優の顔が浮かんで、その人物のイメージが、その俳優のイメージに重なってしまうという現象が私の中にある。 具体的にいうと     織田信長は 緒方直人     上杉謙信は 石坂浩二     豊臣秀吉は 西田敏行     徳川家康は 滝田 栄 といった風に、歴史上の人物の名前をきくと反射的に浮かんでしまう顔がある。 その人物が登場する歴史物や時代物を読むときは、知らず知らず、その俳優に頭の中で演技をさせている自分に気がつくのである。 なんともTVに毒されているといえば、毒されているのだが、「歴史はドラマなのだ」と割り切ればそれも良いか、と思ってしまうのである。

2006年2月6日月曜日

「駅弁」雑感

小泉武夫さんの「不味い!」や阿川佐和子さんの「タタタタ旅の素」を読んでいたら期せずして、駅弁や幕の内弁当をとりあげた章があった。これに触発されて。「駅弁」についての雑感。

阿川佐和子さんは、前掲の本の「駅弁旅情」の中で

「この路線に新幹線が通過するのも、もうまもなくのことである。新幹線が通るようになったら、釜めしや玄米弁当、横川駅のこの光景はどうなるのだろう。まさかあの、新幹線独特のコンビニ風弁当一色になってしまうのだろうか」

と昔ながらの「駅弁」とそれを取り巻く駅の風景について書いている。

ところが、私の場合、「駅弁」への憧れがひどく薄くなっている。

学生時代、地方から上京していて休暇の際に帰省する手段は、鉄道が主流だった。(スカイメイトなんてシステムもあったが、飛行機はまだまだ高嶺の花だった。)。実家は山陰だったから、東京からは、ほぼ一日がかりの小旅行で、(切符代しかないことも、もちろんあって、その時は飲まず食わずで帰省することになるのだが)大概の場合、駅弁を一度か二度は食べることになる。

当時、500円あれば普通のきちんとした定食が食べられる時代だったから、それに比べると駅弁は高価だったように思う。

そのせいもあってか、なにか「駅弁」は普段、街で食べる食事より美味しかったような気がしていたし、就職してから、紐をひいたら暖かくなる駅弁が発売されたときは、妙に感動したものだ。


ところが、最近、とんと駅弁を買わない。コンビニの弁当がやたら普及したということもあるだろうし、出張や旅行も飛行機を多用し始めたということもあるのだろうが、「駅弁」というものに魅力を感じなくなっている自分に気が付くのである。

2006年2月5日日曜日

BIN3 カベルネ・ソーヴィニヨン&シラーズ&カベルネブラン2003

チリ産
BIN3は3つのセラーを意味するとのこと。
チリのぶどう三種をブレンドした赤ワイン。
完熟ベリー、カシスの風味豊かなワイン、とのお品書き
飲口はちょっと重いが、風味がある。

池波正太郎「むかしの味」 (新潮文庫)

「散歩の途中で何か食べたくなって」に続いて、池波正太郎さんの食べ物談義をとりあげよう。


根っからの旨いもの好きが幸いするのか、この人の食べ物本は嫌味がなくて、しかも、唾を飲み込んでしまいそうなところが多い。この本も、昭和56年1月から2ヵ年にわたって書かれたもので、実は「むかしの味」どころか「むかしむかしの味」といっていいぐらい月日が経っている。

文中で、筆者が

「新富寿し」の章で


私が、この店の鮨が好きなのは、種と飯との具合がちょうどよくて、飯の炊き方が好みに合っているからだ。
つまり、むかしの味がするからだろう。
〔新富寿し〕が、いかに客へ対して良心的であるかということは、鮨を食べて勘定を払ってみれば、たちどころにわかる。いや、わかる人にはわかるといってよい。


っていうあたりや


鮨は何といっても、口へいれたとき、種と飯とが渾然一体となっているのが私は好きだ。
飯の舌ざわりよりも、部厚い種が、まるで魚の羊羹のように口中いっぱいにひろがってしまうような鮨は、私にはどうにもならない


あるいは「〔まつや〕の蕎麦」の章で


多くの人たちは、もりをやっている。
つまるところは、もりがうまいのだろう。
私などは、時分どきをはずして入り、ゆっくりと酒をのみながら、テレビの日本シリーズなどをたのしむ
いまは食べ物屋の経営が非常にむずかしくなった。

・・・

だから〔新富寿し〕といい、この〔まつや〕といい、むかしの味もさることながら、むしろ、「むかしの店・・」の気分を、ありがたく思う。


など、こうした諸々の舌ざわりや店のたたずまいなどが、「むかしの味」「むかしの店」といったものなのだろうが、ちょっと、そうしたあたりの想像が辛くなっている。

こうした「むかし」へのこだわりを含めた、池波正太郎の味というか味覚感は、戦後というか、日本の近代の大きな転換であった太平洋戦争、第2次世界大戦というものの影響抜きには話せないようだ。

例えばそれは

〔まつや〕の蕎麦 のところで

   弁当なしで出勤することが可能になったのは、たしか昭和二十五年頃ではなかったろうか。
   蕎麦が食べられるようになったからである。
   一般的にいって、外食の復興は、蕎麦から始まった。

あるいは、「チキンライスとミート・コロッケなど」の章で

戦前の銀座の匂いは、まさにバターと香水の匂いがしていた。そのモダンな香りに井上も 私も 酔い痴れていたといってよい。

また「中華料理」の章で

私たちと同業の若者たちが召集されると、どうも戦病死が多かった。
ペンと算盤しか持ったことがなかった従兄も、たちまち、軍隊に生気を吸い取られてしまい、
 重病 にかかり、兵役を免除されて東京へ帰ってきたが、これが原因となって戦後間もなく亡くなってしまった。

などに見ることが出来る。戦争あるいは兵役という形で、死ということに正面から向き合わざるをえなかった歴史と、その中での「食べ物」というものを浮き彫りにしているかのようである。
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こうした、「むかしの味」「むかしの店」への憧憬や失われたものへの愛着は別にして、失われた蜜月を知らない私たちにも、旨そうでたまらない一品の紹介。

それは、「ポーツカツレツとハヤシライス」の章。

 都会のカツレツのように体裁をととのえるわけでもなく、ただ豚肉をぶった切って揚げただけにすぎないという、山の湯の宿の武骨なアkツレツ。
 これを・・・半分残しておき、ソースをたっぷりかけ、女中に
「これは、朝になって食べるから、此処へ置いといてくれ」
と、いっておく。
 ・・・朝になると、カツレツの白い脂とソースが溶け合い、まるで煮凝りのようになっている。
これを炬燵へもぐり込んで熱い飯へかけて食べる旨さは、余人はさておき、私にはたまらないものだった。

ってあたり、思わず涎がでそうである。


小難しいことはさておいて、時代を超えて、旨いものは旨いのだ、と思ってしまった一節である。

鳥取県鳥取市 グラッチェ「またまたパスタ」

父親が入院していて、病院通いが続いている。できるだけ手間をかけないため、今日の昼も外食で済ますことになった。

うちの子供たちは、土日の昼ごはんには、妙なこだわりを持っていて、土曜日はラーメン、日曜日はパスタ、と決めているので、今日も「パスタ」。

息子に言わせると、この組み合わせは「バランスが良い」のだそうだ。
何の「バランス」かは、本人に聞いても要領を得ない。


なにはともあれ、パスタといえば、我が家お決まりの「グラッチェ」


まず、定番のミートソース Lサイズ。


奥さんは、カルボナーラ。

といったところで、最近、スパが続いている娘と私と息子は、プチ謀反。

シーフードドリアと

イタ飯(シュリンプ)を注文。おいしゅうございました。


井沢元彦「暗鬼」(新潮文庫)

歴史の謎を解き明かす、といった筋立てではないので、歴史ミステリーにいれていいのかどうか迷うのだが、いくばくかは「歴史」の「何故?」を描いたものとして歴史ミステリーに分類しておこう。

時代は、桶狭間の戦いの前後から関が原の合戦の前後まで。

ドラマとか映画や小説で、もっとも書かれることの多い戦国から安土桃山の天下統一の歴史の周辺事である。井沢元彦さんの戦国ミステリーには、織田信長が探偵役をつとめる「修道士の首」といった作品があるのだが、その周辺の作品と考えてもよいかもしれない。


収録は、「暗鬼」「光秀の密書」「楔」「賢者の復讐」「抜け穴」「ひとよがたり」「最後の罠」の7編。

いくつか簡単に、ネタバレにならないようにレビューすると

「暗鬼」は今川の客将として遇されていた時代の徳川家康。家康が、その境遇を脱するためにどんな仕掛けを桶狭間で行ったか。そして、信康、秀康をはじめ始めの子供たちに冷淡にみえる家康の秘密とは・・・。
ということで、子供嫌いではなかったかとも言われる家康の秘密にある仮説が示される。
長男の信康殺しは、実娘の密告を受けた信長の差し金ともいわれるが、家康との関係を極度に悪化させてしまうかもしれない嫡子の処分を、信長ともあろう武将が軽々と命じるとも思えないのだが、家康にこんな事情があればねー、と思わせる一篇。

「光秀の密書」は、本能寺の変の後、毛利への光秀の使いが、なぜ秀吉の陣に迷い込んだのかの真相を、暗号ものをセットにしたもの。
豪雨の中とはいえ、敵になる男の陣に入り込んで捕らえられてしまう密使ってシチュエーションが本当にあるのかな、と疑問に答えてくれる。特に、諜報というものを重要視していた毛利方が、秀吉と和睦し、しかも、信長の死が知れても何故追わなかったのか、を解き明かしてくれる。

最後の「最後の罠」は茶屋四郎次郎が献上した鯛のテンプラを食べ過ぎて死んだといわれる家康の死の真相を推理したもの。
薬物や医術の嗜みもあり、粗食を常としていた家康が、年取っていたとはいえ、テンプラの食べすぎといった、結構間抜けな死に方をするのかなー?、といった疑問へ、実は、石田光秀の片腕、島左近に頼まれた医師の毒殺事件ではないか、と新たな答えを示してくる。

歴史ミステリーは、大筋というか歴史的な事実関係はかなり強固に存在してしまうから、そのスキマを探して謎を見つけ、ひょっとしたら、と思わせるものを挿入するものだから、かなりの手練れがやらないと、ボロがでてくるものだが、さすがに井沢元彦さんの歴史ミステリーは、そうしたこともなく、最後まで、ぐいぐいと読ませる仕上がりである。


今年のNHKの大河ドラマも戦国時代だし、久々に「戦国時代」にはまってみましょうかねー、という人に、ちょっと横から見た戦国ミステリーとしてお奨め。

小泉 武夫 「不味い!」 (新潮文庫)

醸造学、発酵学の権威にして、名だたる食いしん坊の、小泉武夫さんの食べ物本。

しかし、「不味い!」とは、いかにも人を食った書名である。
なぜこんな書名なのかと「あとがき」から引用すると

「不味いもの」は「美味いもの」があってはじめて成立するものなのだから、味覚文化の上からは実はちても大切なことなのである。人はその長い歴史の中で、常にその「不味いもの」を見本として、いかにそれより「美味いもの」をつくり上げるかの繰り返しであった。だからこそ「不味いもの」はいつの世にも残しておくべき「負の食文化」ともいえよう。

といった尤もらしいことから始まるのだが、どうしてこうして、ついつい本音がでてきて、

美味しそうだなあと思って入った食堂、買った食べ物などが、とんでもなく不味いものであった時の悔しさと怒りは、誰だってそう簡単には治まらない。

( 中 略 )

かくいう俺も、ずいぶんと遣り切れない悔しさを長年積み重ねてこれまで来たものである。
そこで俺は、いつかはこの鬱憤を晴らしてやろうと機を狙い、文章でそれを遂げたのが本書である。


といった不敵な本が、本書である。

とはいっても、この人の「不味いもの」は、いわゆるグルメ本によくある、どこそこの産じゃないとか、昔はよかった、あそこはよかった的な本ではない。第一、この先生、発酵学の権威らしく、臭いのきつい(普通の人なら、うっとなりそうなものだろうなきっと)食品から虫まで、かなり、その間口が広い人である。
(「世界怪食紀行」などを読むと、およそとんでもないものも旨い、旨いと食べているのである)


その人が「不味い」というのだから、その不味いものは、調理に手が抜かれているものから、おおそ素材から不味いもの、哲学という味付けなしには食べようとは思わないもの、といった読みなり「不味そ~~~」と声を上げたくなりそうなものがでてくる。

例えば

かなり寂れた食堂のカツ丼から途中で種目変更したような「ソース味の親子丼」

ホテルで飾り物程度に置かれているお茶のティーバッグ

カラスの肉のろうそく焼き

しけったピーナッツやビールの体をなしていない焦げ臭かったり、ホップが全く効いていない「地ビール」

「つゆ」ではなく冷たい水をつゆ代わりに食べる「水そば」

などなどである。


しかし、しかし、である。小泉先生は、そんな「不味い」ものにも果敢に挑戦するのである。しかも、悪戦苦闘しながら、どうも全部たいらげているらしいのである。

食文化は、こうした鉄どころかジュラルミンの胃袋を持つ偉大な先人たちによって築かれてきたのだなー、と妙な感慨さえ覚えてしまう。

まあ、御一読ください。「美食本」ではないですが、単純な「不味い本」でもないですよ。
これぐらい、不味いものがどんどこでてくると、むしろ爽快感さえ覚えてしまった本でした。

2006年2月4日土曜日

節分

三世代同居のせいか、季節の行事は、かなりマメにやらされる。
ということで今日、2月3日は「節分」。
オヤジが入院しているのだが、こんなときこそ、きちんとやらないといけないと奥さんと、おふくろに厳命され、小学生の息子と二人で執り行う。

とはいっても、豆まきをして、柊の葉をつけた鰯の頭を、家の入り口などにつけていくぐらい。

後は、昔はやったことがなかったが、最近は定番になっている「丸かぶり寿司」とやらをやる。恵方向いて、巻き寿司を丸かじりするアレだ。
本当は、普通の巻き寿司でやるのだろうが、私の分は鉄火巻きにしてもらう。よくみると、息子はカッパ巻き、娘は鰻巻きだ。おまけに息子はカッパじゃなくてお新香巻きがよかったと不満をもらしている。

丸かじりすると、それなりに旨いが、とても一本は食べられないのが難点。


そういえば、子供のころ、節分の次の日、道の四辻に半紙に豆をくるんだものがおいてあった光景を思い出す。水木しげるさんのエッセーには、その豆を食べて腹を下した話があったような気がする。

こうした厄除けの光景も、あまり見なくなった。


エリス・ピーターズ 「修道士の頭巾」(教養文庫)

修道士カドフェル・シリーズの第3作目。

年代的には1138年の冬。第2作は、この年の前半にイングランド王スティーブンと女帝モードとの争いがシュールズベリで行われていた時のことなので、かなり血なまぐさい話が多かったが、3作目は、そのしばらく後の話。
修道院長が、スティーブン王の要請でローマ教皇庁から、体制改革のため派遣された枢機卿に呼び出され、副修道院長が実権を握ろうとするなど、内戦の余波はあるが、まあまあ平穏な時期のが舞台となっている。


事件は、この修道院に財産の全て(金とか宝石とかじゃなくて荘園まるごとなのが豪快)を寄付して、食事とか飲み物、住宅の提供を受けて余生を過ごそうとしている金持ちの老人の殺人事件である。

ところが、この殺人の道具に、カドフェルが鎮痛の貼り薬として調合している薬が使われ、しかもその薬が、副修道院長が、お裾分けで、その金持ちに届けた料理に仕込まれていた、といったところから修道院あげての捜査となり、カドフェルが捜査に関わらざるをえなくなる。

しかも、その金持ちの老人の後妻は、カドフェルが若い頃、将来を約束しながら結婚できなかった女性。そして、女性の連れ子に殺人の嫌疑がかかる・・・・

といった、ちょっと、ひところのメロドラマっぽい筋立てである。

「修道士の頭巾」とはトリカブトのこと、ということで、ちょっと昔に話題になったトリカブト殺人事件が頭に浮かんだが、このお話は、そういったトリック系の話ではなく、誰が、どんな理由で殺したのか、といった系統のミステリー。

犯人になりそうな奴で

・継父と仲が悪くて、今は職人の修行をしている義理の息子

・嫡出子でないが故に荘園の相続権がなく生活費だけもらっている息子

・小作のつもりでいたら、いつの間にか農奴になっていた使用人

とか、登場する。

事件解決のヒントが、イングランドとウェールズの法律の違いといったことだったりして、イングランドとウェールズってのは別の国だったんだな(今でもサッカーやラグビーは違うナショナルチームを出してるから、英国ってのは連合王国であって、意識的には別の国なのかな・・・)ということを最後に感じさせてくれる。

この、お話でカドフェルは、昔の恋人の息子を守る善玉になってるわけだが、どうも十字軍に参加して、オリエントでなにやら自由気儘に暮していたっぽい印象を受けるから、本当は、女性泣かせの夢見る起業家って感じに修正しなきゃならないのかな、とも思う作品である。

2006年2月3日金曜日

「テレワーク」という働き方

ちょっと精神的に落ち込んでいたのと、家族が病気で入院したため更新が滞っていたが、ひさびさの更新。
ライブドア騒動の後は、東横インの無断改造問題と、世間は相変わらず喧しいのだが、このブログはそうした大問題や世間の大関心事はとりあげないで、小さなことや周辺の事々をとりあげることを身上としているので、今日は、「テレワーク」について書こう。
テレワークについては、日本ユニシスの人が、レポートを書いていて、その中にこんな一節があった。

■ テレワークとは、「IT を利用した場所・時間にとらわれない働き方」を意味する。テレワークの起源は、1962年にイギリスで6名の女性だけでスタートしたソフトウェア開発会社と言われている。
テレワークは、一般的に在宅勤務のように思われがちだが、働く場所には、サテライトオフィス(職住接近型)、スポットオフィス(移動中の立ち寄り型)、そしてリゾートオフィス(安曇野、ニセコ、八ヶ岳…)などがある。一方、テレワーカーの就業形態により雇用型、自営型、内職副業型に区分され、雇用型テレワーカーはさらに外勤型、内勤型、通勤困難型に区分される。また、実施頻度により常時型や随時型に区分される。
■ 日本における雇用型テレワーク人口は、日本テレワーク協会の公表によると、2002年で約286万人、2007年には約563万人と推計されている。(この数字は大企業の従業員に対する調査であり、請負の在宅ワークなどは含まれていない)。携帯電話やインターネットの普及など情報ネットワークの急速な進展とともに、企業の経営者はスピード経営への対応が必要となり、テレワークが普及推進されつつある。

2006年2月1日水曜日

中谷美紀 「インド旅行記1 北インド編」(幻冬社文庫)

旅本というのは、旅の記録を読むというほかに、著者を読んでいるようなところがあって、著者の旅ぶりがしっくりくると、その著者のものを続けて読んでしまうが、そりがあわなかったりすると、どうにも読み進められないきらいがある。

そういった意味で、女優さんや歌い手さんの書く旅本というのは、あたりはずれがおおきいのだが、中谷美紀さんのこの本は、美人で神経質な雰囲気がそこかしこにでているあたりが、かえってしっくりきた。

なにしろ、旅の発端というかきっかけは「嫌われ松子の一生」の映画撮影に、とことん絞り尽くされたあげくなのだが、その目的が、「ヨガ」「インド」なのである。
キレーな女優さんなら 「ヨーロッパ」やろー!! 「エステ」やろー!!と思わず呟いてしまうのだが、そのインドを一人旅してしまうところが、この旅本がありきたりの女優の旅本とは違うところだろう。

で、インドはというと、やっぱりインドはインドである。こうした女優さんがヨガをやりに来ようが、その女優さんが、インドで突然ベジタリアンに目覚め、野菜のカレーなどばかりを食して、タンドーリチキンなぞには目もくれなくなろうが、やはりインドはインドらしくて、バクシーシはあるし、ガイドやリキシャの運転士は、隙あればボロうとするし、盗難にはあうし、でも、親切な人はしっかり親切で、やっぱり暑い、という具合なのである。

こうしたインドに対して、チューブ入りワサビをもちこんで消毒(といっても、食後になめるといった乱暴なものなのだが)したり、たまには中華料理、タイ料理を食べて、東アジアの人としてのアイデンティティを取り戻したりするのだが、最終的には、「インド」に屈伏して結構ボロボロになってしまう、という定番的展開となってしまうのが、やはりインド旅行記らしい。

一定の地歩を確立している女優さんの一人旅なので、ほかのバックパッカーものと違って、きれいなところが多いし、危ないところは少ないのだが、中谷美紀さんの違った一面が覗ける旅本である。