2011年3月31日木曜日

Amazonのクラウド上の音楽保存、ストリーミングサービスが案の定、大騒ぎの様子

アメリカのお話ではあるのだが、Tech Crunch Japanの"amazonがAppleやGoogleより先に音楽保存/ストリーミングサービスを開始"によると
 
Amazonは"音楽ロッカー"分野に進出するだけでなく、それをGoogleやAppleよりも先にやってしまった。今夜(米国時間3/28)立ち上げた"Cloud Drive"と"Cloud Player"がそれだ。
 
(中略)
 
以下に、詳細を少し:
 
Amazon MP3で購入したアルバムは無料でCloud Driveに置ける?なかなか良いサービスだ。
Amazon MP3でアルバムを買ったら、無料容量が1年間20GBになる?これもいかしてる。
通常料金では、20GBが1年で20ドル、50GBは50ドル、100GBは100ドル、等々だ。最大の1TBは、1000ドル。
音楽以外のものも置ける。Amazonは、1TBなら70時間ぶんのHDビデオを置ける、と言っている。
写真や文書をアップロードしてもよい。
(以下、略)
 
ということで、案の定、音楽レーベルやらが著作権なりの関係でちょっとした騒ぎになりそうなのだが、またまたamazonが仕掛けてきましたか、ってな感じ。
 
残念ながらKindleによる電子書籍は、日本語と日本の著作権の関係でまったくといっていいほど不発の状態になっているのだが、音楽、特に洋物については言語の問題はクリアできるだろうから、アメリカでなんとか軌道にのれば、日本でもなし崩し的に広まっちゃうのではなかろうか。
Kindleにしても、アメリカのamazonのアカウントを取って買ってる人もいるぐらいだから、音楽についてもアメリカのamazonnアカウントでどーたらこーたら、ってな感じで、建前はどうあれ実質として普及していくような気がしてならない。
 
で、さて、日本のレーベルはどう対応していくんでしょうかねー。
 

高橋克徳ほか「不機嫌な職場」(講談社現代新書)

成果主義あるいは、市場主義の浸透によって、何が変わったかというと、個人的な実感としては、職場の人間関係が一番かな、と思わざるをえない。


 私なぞが勤め始めた1980年代は、今に比べるとかなり牧歌的な時代といえなくもなくて、勤務管理もかなりいい加減であったし、なにかしら、のんびりとした風情が残っていた。具体的な例を挙げれば、週休2日制は、まだ大企業にしか導入されてなくて、大半の会社は土曜日は「半ドン」という形で、勤務時間は午前中までだったので、昼からは同期で集まって麻雀をしたりとか、遊ぶ仲間が集まらないので、
やることがなくて残業したり、といった具合であったし、職場の泊まりがけの忘年会やレクリエーション、運動会もまだまだ健在であった。
  それがいつの間にか、妙に人間関係の薄い、どこなく尖った職場になってきている。そして、こうした職場の在り様を、さほど抵抗なく、皆が受け止めてしまっているという状況のような気がする。

 本書は、そうした出口のない「職場の問題」に対して、なんとか解決のアプローチを探ってみようとしている。

 こうした状況がなぜに生まれたのかというのは、本書でも示されているように、1990年代後半から、様々な側面で進められた「効率化の圧力と成果主義」の動きが、「仕事の定義」の明確化を進め、それは、個々の職場のサラリーマンの専門性を深化させる。そしてそれが、日本の組織の生産性を高めるともに、「調整」「束ねる」といった力を弱める、組織力を弱める、といった方向へと誘導した、というのは恐らく正しいのだろう。
 ただ、それをかなりの力で加速したのは、当時の職場を覆っていた一種の「閉塞感」であったように思う。こうした閉塞感の打破が、当時、アメリカ風で、ぴかぴか輝いていた、専門職化とIT化に包まれ、べたべたした人間関係から離れた労働、というものに人々が傾斜していったせいもあるような気がしているのである。

そうした意味で、つい最近まで運動会をしていたという話があるグーグルの就労環境は、グローバルのエンジニアの集団という特異性の欠陥を補うための戦略的なものかもしれないが、乾いた職場環境だけではない、という意味で注目してもいいだろう。とりわけ、グーグルが採用の時に重視するものは、

①スキル
②コワークできるか(ほかのグーグルの人と一緒に働けるか)
③セルフスターターかどうか(自分で動ける人か)

というあたりは、何かを象徴しているようで興味深い。

本書は、このほかにサーバーエージェントの取り組みやヨリタ歯科クリニックの取り組みが紹介されていて、職場の人間関係の改善や、職場管理を担当しているセクションの方たちには、処方箋も含めて、非常に興味深いだろうし、その手法として本書が提案する「共通目標・価値観の「共有化」や「インォーマル活動の再評価」、「感謝と認知のフィードバック」など職場をリペアするための具体的な教則本として読んでもいいだろう。

で、ここで、天の邪鬼的な辺境駐在員は呟くのである。べたべたな人間関係を嫌ったと思ったら、乾きすぎだと言う。なんとも終わりのない話しではあるのだなー、と。

ゲッツ板谷 「ベトナム怪人紀行」(角川文庫)

=この記事は「辺境駐在員のブックレビュー」に掲載(2005.10.8)したものです=


日本の怪人、ゲッツとカモちゃんが、今回はベトナムに挑む。今回の旅の不幸な道連れは

ベトナムで日本のテレビ番組のコーディネートをしている鈴木君。

「タイ紀行」と違い、最初は、耳掃除の心地よさやらフォーやラウ・マム(寄せ鍋)をはじめとするベトナム料理のうまさから始まる。なんか雰囲気違うと思うことしきり。「タイ紀行」ではケンカしてる場面が多かったのだがなー。最後は、絶滅が危惧される手乗り鹿を食する話・・・(やっぱり、ここに落ち着くか)。

料理の話が出てくるのは最後まで一貫している。あちこちでの特色ある料理(中には「犬料理」も含まれるのだが)が紹介され、美味そうに描かれている。


お決まりのオカマの人も登場する。タイといいベトナムといい東南アジアでは、大概の本でオカマが登場するのは何故だろう。今回はやけに純粋で可憐なオカマ少年が登場。
この本のオカマ少年もどことなく寂しげである。

と、しんみりしていたかと思うと、突然、○欲まっさかりみたいなことになるのが、この本のよいところ。ベトナム中部で、一人旅をしている独身日本女性に会った途端、変貌していまうわけだ。まあ、最後は、何もなく別れてしまうのが定番なのだが、妙に、このあたりは文体がはずんでいるのがおかしい。

後は、カブトムシ捕獲で一攫千金を狙う話や「犬料理」の話など。「犬」のハムのは、味は悪くないのだが、「犬」の姿を思い浮かべた途端吐き気がこみ上げたというくだりには、愛玩物としてしか認識できない私たちの限界を思う。

今回は、やはりベトナムということで、ベトナム戦争の負の遺産からは自由になれない。随所にベトナム戦争の枯葉剤の影響がでている子供たちや、負けた側の南ベトナムの兵士の話がでてくる。
さらには、太平洋戦争の時に置き去りにされた日本人だと主張するベトナム人。ところが、途中で、カンボジアのポリ・ポト軍を攻めたフン・セン軍に参加した兵士の話から様相が異なってくる。被侵略者であったベトナムが、解放者という名の侵略者へ変わった話など。随所に、元兵士へのインタビューもあり、要所要所を引き締めている。

全体として、「タイ怪人紀行」に比べ、少し重い。それはベトナム戦争こともあるのだろうが、タイとベトナムの違いも影響しているのかもしれない。

2011年3月30日水曜日

EvernoteのWeb版が変わった

LifeHacking.jpの大幅に高速化して新機能満載の Evernote 新ウェブ版を試してみようを見て、早速、EvernoteのWeb版にアクセスしてみた。
 
自宅のメインPCではデスクトップ版のEvernoteを使っているのだが、職場やモバイル(ネットブックだ。初期型なので、当然スペックは低い)は、セキュリティの関係やPCの容量の関係でWeb版を使っている。さらに寝室のPCは古いノートブックでおまけにUbuntuという環境なので、Web版にならざるをえないのだ。
 
で、使った感想は、というと
 
まず、デザインがクールになったのが良。これがMac用のデザインなのかなー、とWindows使いの私としては想像するしかないのだが、非常にノートがないようも含め一覧しやすくなった。
さらに、理速度も上がっているような気がする。
 
このほかに新機能としては
 
ノートブック・スタックへの対応
編集中のオートセーブ機能
共有機能のノート単位、Facebookを通した共有の機能の追加
 
といったことが追加になっているらしい。
 
まだまだ使い込んでいないなー、というのが自分のEvernoteの利用レベルなのだが、仕事や生活の必須アイテムになりつつあるのは間違いない。
 

2011年3月29日火曜日

「学校」というものの原初的な姿

GIGAZINEの「先生やめないで!」、教師の一時解雇を止めるため3年間ためたお小遣いを全額寄付した小5女子
 
予算削減のために数千人の教師に一時解雇通知が送られたことを知り、自分を教えてくれている先生たちが辞めないで済むようにと、自分がコツコツ3年間ためてきたお小遣いをすべて寄付した小学5年生の女の子が現れました。
彼女の全財産では、残念なことに教職員のポスト1人分すら確保することもできない額だったのですが、彼女の誠意に心動かされた学生や保護者たちが募金を集め、2万ドルもの資金を集めることができたそうです
 
というのは、アメリカのカリフォルニアの話。
 
ひょっとすると、これが「教育」あるいは「学校」というものの原初的な姿、出発点なのかもしれない。
 
「何かを教えてもらうお礼に、自分食べ物を節約して届ける」ってなことが学校の始まりのような気がしていて、こうした直接的な結びつき、直裁的なつながりが、これからの教育を再生させる上で大事なことかもしれない。
 
でも、こうやって支援してもらえる先生ってのは、先生冥利に尽きますよね。

2011年3月28日月曜日

「アンドロイド普及ツールになりかけている「iPod touch」 」という皮肉な話

NIKKEY Trendy のアンドロイド普及ツールになりかけている「iPod touch」によると
 

スティーブ・ジョブズが「補助輪」と呼んだのは、iPod touchが、「次のiPhoneユーザーとなる顧客層を生み出してくれる」という意味だった。スマートフォンの購入を検討している携帯ユーザーや、まだ金銭的にスマートフォンを所有する余裕がないティーンエイジャーが最初にiPod touchを購入することで、スマートフォンを疑似体験できるというわけだ。
 
  (略)
 
 つまり、これまでは、iPod touchを購入した5000万人の人々が、のちにスマートフォンを購入するという美しい仕組みが成立していたのだ。
しかしこの仕組みは皮肉な形へと変容しようとしている。iPod touchでスマートフォンの楽しさを啓蒙された人々の前に、「アンドロイド携帯」というもう1つの選択肢が登場した。その結果、補助輪を外したユーザーが向かう先が、当初の思惑とは異なってしまった。
 
 
 ということらしいのだが、「iPod touch から iPhoneに切り替えた人」ってのに、見事に当てはまる私としては少々複雑な話.。
 
 
 切り替えた当時は、Androidといった選択肢はほぼなくて(willcomのWindows-mobile(Windows Phoneじゃないよ)という選択肢はあったが・・・)、まともに使えて、しかも維持費も手頃というスマートフォンはiPhoneしかなかった。
その意味で、評判はいろいろあるがSoftBankの功績は大きいと思う。 
 
ただ、iPod touchでスマートフォンの楽しさを云々というのは、少々疑問のような気がする。
 
 今のAndroid人気は、Docomoやauでスマートフォンに乗り換えたくても、今のキャリアを変えるきっかけや、いつも使い慣れている携帯メールの環境を変えたくないという消極的スマートフォン派が増えているからで、iPod touchユーザーが流れ込んでいるってのはかなー、という気がする。
 
 Pod touchを使っていた経験からいうと、iOSの敷居の低さ洗練度やApp storeの便利さに到達するまでには、まだまだAndroidは努力しないといけないような気がする。とりわけ、度重なるバージョンアップと互換性の問題は、長期間の利用者を考えるとなんとかしなければいけない課題だろう。
 
 
 フィーチャーフォンからの乗り換えが一巡したあたりが、本当のiPhone(iOS)とAndoridのシェアの戦いのような気がしているのだが・・・

2011年3月26日土曜日

城 繁幸 「3年で辞めた若者はどこへいったのか」(ちくま新書)

「自分としては、若い世代に対し、昭和的価値感に従わず生きる人たちの仕事や人生観を紹介することで、若者が平成的価値観をはぐくむ手助けとしたい。 


といった、「はじめに」の言葉で始まる本書。

 本書の言う「昭和的価値感に従わず生きる人たち」とは

 ・大手流通企業から外資系生保に転職、年収が2倍になった彼
 ・大手新聞社の文化部記者という生き方
 ・企業でなく、IT企業に就職したという意識を持つ男
といった形で競争社会につきあっている若者や

 ・赤門から仏門へ、東大卒業後、出家した彼の人生
 ・フリーター雑誌が模索する、新しい生き方

 といった、競争社会に背を向ける生き方であり、ざらっとみると、いわゆる古い働き方から平成的な働き方やライフスタイルを提案する書のように見える。
しかし、「読み違い」の恐れを承知しながら、あえて言うと、本書の肝は、むしろ、そうした様々な人々の生活のスタイルのインタビュー記事の間に挟まれる「コラム」にあるのではないだろうか。


もともと、本書の最初の姿はWebちくまに「アウトサイダーズ 平成的生き方のススメ」という形で連載されてものらしいので、最初のスタイルは、インタビュー記事が中心であるのだろうが、「企業に求められる多様性とは」「21世紀の大学システム」「格差のなくし方」といったコラムが挿入されることで、違った様相を示してきている気がする。

 そして、それは、いわゆる「正規職員と非正規職員の格差」や、「中高年労働者と若年労働者の配分の不均衡」への問題提起でもあり、筆者のいう「再配分の必要性」と「旧来の労働スタイルの破壊と再構築」「真性の意味での職務給の確立」といったことがその解答であるのだろう。

しかし、雑誌連載が2007年、そして本書が出たのが2008年。

その後、我々は「秋葉原通り魔事件」を経験し、リーマンショックを経験し、政権交代も経験した。


 残念ながら、本書の「はじめに」の最後の部分の


「彼らはどのような壁に直面し、何を目指してレールを降りたのか。そして今後、企業や社会が目指すべき改革とはどのようなものか」

に対する答えはまだ混迷に中にあるといわざるをえない。

2011年3月25日金曜日

三枝 匡 「V字回復の経営」(日経ビジネス人文庫)

出張と飲み会が続いていて更新が滞っていたが、出張中に読んだ本がこれ。

アスター工業という架空の会社を舞台にした会社再建ドラマ。ただ、作者の実際のコンサルタント経験の中の実話をもとにしているらしいので、結構、迫力のある話に仕上がっている。

こうした話は、なんとなく感情移入してしまって、経営改革を自分がやっているようにように思えて、気分が高揚してくるから不思議。
本当は、こうした話の随所にでてくる様々なエピソードを自分の中に取り込んで、咀嚼していかないといけないのだが、なかなかできないのが世の常、というか私の常ではある。



でもまあ、少しでも自分の血肉にするため、本書中の「(経営改革の)成功の要因とステップ」を引用

1 改革コンセプトへのこだわり
2 存在価値のない事業を捨てる覚悟
3 戦略的思考と経営手法の創意工夫
4 実行者による計画づくり
5 実行フォローへの厳密な落とし込み
6 経営トップの後押し
7 時間軸の明示
8 オープンでわかりやすい説明
9 気骨の人事
10  しっかり叱る
11  ハンズオンによる実行

それぞれに意味深い言葉だが、詳しくは本書を読んでほしい。

最後に、最近、本社を離れてプロジェクト的な仕事をしていると

P359

米国のような金まみれのインセンティブ方式が、会社の長期の繁栄にとって有効だという証拠はない。しかしそれにしても日本企業では、リスクをとった者への報酬が不当に低いことが多すぎる。・・・ことが終わってしまったらまたぞろ年功による平等論が出てきて、人事的にも金銭的にも報われなかったという話を聞いたりすると、当事者でなくとも胸くそが悪くなる。進んでリスクをとった社員にそこまで甘えるのか。・・・

ってなところに微妙に共感してしまうのが悲しい。

2011年3月21日月曜日

MT5に切り替えた

遅ればせながら、MT5に切り替えた。そろそろ切り替えないとセキュリティの心配があったのと、2005年から同じブログURLを使っているので、カテゴリーやらが、かなりぐちゃぐちゃになっていたためだ。
切り替え自体は、このブログを設置しているロリポップに簡単インストールの設定もあり、結構スムーズに移行できた(サイトアドレスを変えないように設定するのが、ちょっと手間取ったけどね)。
ロリポップって、レンタルサーバ初心者には結構おすすめである。

組織と人材について

昨日、横山光輝の「三国志」に絡めて、魏と蜀の人材供給の差について「またあらためて」と言っていたのだが、実はこれに関連して、塩野七生さんの「ローマ亡き後の地中海世界 下」で参考になりそうなフレーズがある。
P355

この時代のスペインは、ヨーロッパ一の強国であっただけでなく、新大陸までも支配下に収め、軍事面に留まらず経済面でも超がつく大国であったのだ。
「パクス・ロマーナ」とは「ローマによる世界秩序の確立」だが、この時代、「スペインによる世界秩序の確立」が成り立ったとしても不思議ではなかった、スペインは、大植民地帝国にはなった。だが、「パクス・ブリタニカ」になる以前に、「パクス・ヒスパニカ」の時代は訪れなかったのだ。その要因の第一は、近視眼的、とするしかないスペイン人の政治感覚、にあったのではないかと思う。つまり、自分たち以外の他の民族を活用する才能に欠けていた、ということである

そしてこれは、トルコ帝国にもいえて、あれほどルネサンス期に広大な領土を領していながら、「パクス・オトマニカ(オスマン帝国による平和)」が「パクス・ロマーナ」のような輝きをもたないのは

P323

一神教徒のトルコ人は、多神教徒のローマ人ではなかった。神は、自分の信ずる神のみ、と考える一神教では、信仰に熱心であればあるほど、自分とは異なる信仰を持つ者を同等には考えられないのである
といったところに原因があるのではないかと思う。
そして、この他民族への不寛容さ、もっと砕いて言うと、他者に対する不寛容さ、というのは、三国志の「蜀」にも通じるような気がしていて、それは、この国の精神的な成立根拠である「漢王朝の復興」という新時代の勃興を許さない「時代の変化に対する不寛容さ」に根ざしているともいえなくはない。
一体に、蜀の劉備元徳、諸葛孔明と魏の曹操を比較すると、人間的には、前二者が清廉である一方でひどく真面目な狭量な印象があるに対し、後者は濁のイメージを持ちながらも、なんとなはない才能が生かせる自由さを感じさせる。本当の話かどうかわからないが、南宋の世説新語の曹操の歌姫のエピソードのように、ある程度の傷には目をつぶって才ある者を使う、という象徴されるものがある。
そして、これは現代の組織における人材の育成、発見にもいえて、あまり綱紀に厳粛になると人を萎縮させ、異能ある人の意欲を削いでしまい、結果として組織の層の薄さを招いてしまうことになりかねない。やはり、人材の輩出を望むなら、ある程度の猥雑さを許容していたほうがよいのではなかろうか。

2011年3月20日日曜日

横山光輝 「三国志」ほぼ読了

横山光輝の三国志(潮漫画文庫版)をほぼ読み終えた。ほぼ、といったのは、23巻がまだ手に入ってなくて、イーブックオフからの配達待ちになっているから。
ただ、23巻は「孔明の南蛮行」となっていて、孔明が、東南アジア諸国を攻めたところらしいので、中原の覇権争いには直接関係ないよね、ということで、三国志は、ほぼ読了した、としておく。
一気読みしたせいか、戦乱また戦乱で、攻めたり攻められたり、名将死す、かと思うと名将現るってな具合で、少々茫漠とした思いにかられているのだが、簡単な読後感をエントリーしておこう。
もともと、三国志演義の中心は劉備元徳、関羽、張飛が、桃園の誓いをし、漢王朝の復興を目指し、孔明が参画し、てなところだと思うので(本当の中心人物は曹操だ、という話もあるにはあるのだが、それにしては、ちょっと悪役すぎる描かれぶりだ)、当然、話の中心は「蜀」になるのだが、この物語の見所、読みどころは、そこだけじゃなくて、周囲にいる個性豊かな脇役陣、とりわけ、敵国の呉であり、魏の名臣たちの活躍ぶりにもある。
とりわけ、唸らされるのは、周愈と司馬仲達。両者とも孔明に煮え湯を飲まされることが多い描かれようなのだが、二人が孔明と戦う様は、インテリジェンスの極致といってよい。
そして、戦場での負傷が元で亡くなる際、「天はこの周愈を地上に生まれさせながら、何故孔明まで生まれさせたのだ」と嘆く周愈の姿に、不幸にして同時代に巨大な才能と居合わせてしまったナンバー2の悲しさをみることができる(巻15)し、孔明に何度も破れ、魏の中でも、その力を疑われて一度は失脚しながらも、復活し、魏王朝を脅かすまでの力を蓄えていく司馬仲達の姿(26巻、30巻)に不遇の時にあっても復活をあきらめない不屈の人の姿をみることができる。(仲達が失脚していた時に、必ず再度お召しがくるからと、「のんびりと待ちなされ」という、司馬師、司馬昭とのやりとりは、短い頁数ではあるが、司馬一族の懐の深さが感じられて、なんか印象的)
それにしても、次から次へと人材が排出されてくる「魏」に比べ、時が経つにつれ、人材が薄くなってくる「蜀」そして「呉」。
このあたりが、天下の形勢を分けたのだろうな、思うことしきり。では、なぜ、人材の多さ少なさを招いたのかってなところは、三国志のエピソード以外で思うところもあるので、また別のエントリーで。

2011年3月18日金曜日

プロ野球のセ・リーグが3/25開催って、どうなんだ。

プロ野球のセ・リーグが3/25開催することに決めたらしい。
 被災者の前代未聞の苦境に思いをはせない、心を揺さぶられない日本人などおりません。物心両面でできるだけの支援をしたいと皆思っています。
  プロ野球の果たすべき役割は何なのでしょうか。被災地が復興することを祈り、復興にメドがつくまで公式戦を行わず、練習だけを行い、ただじっと待っているだけでいいのでしょうか。
  苦しいときこそ必死でプレーする姿勢をお見せすることこそがプロ野球界に求められている使命であり責務ではないかと確信するに至りました。
 ということらしいんだが、本当に野球で勇気づけられるのかってな疑問が沸々。
まあ、私は、もともと野球にあんまり興味がなくて、子供の頃、皆が巨人だ、阪神だと大騒ぎしているのに、どうにもなじめなかった方なので、発言する資格はないほうだとは思っているのだが、どうにも違和感がぬぐい去れない。
国家の大事の時は歌舞音曲は慎むべしってな話が中国の古典あたりにはありそうな気がするのと、サッカーやほかの球技が自粛しているのに野球ってのはそんなに特別なスポーツなのか?おまけにセ・リーグだけが???てな感じが強い。 
お年寄りを慰めるんなら、チャリティ相撲のほうがなんぼか効果あるんじゃなかろうか

2011年3月17日木曜日

紙ノートとEvernote

紙ベースのノート(B5)とEvernoteの併用を始めてから半年ぐらいになる。
 
以前は、仕事関係のメモはB6サイズのメモ用紙にメモし、それをスキャンして持ち歩く。基本はデスクのノートPCで管理、作業といったことをしていたのだが、6月前に仕事の内容が変わり、デスクワークだけでない対外的な打ち合わせや会議が増えたのと、本社から離れたサテライト的な場所(支社、支店といった会社の勢力圏内ではなく、別会社の机を常時間借りして仕事を進めているような環境だ)で、利害が完全には一致しない間借りしているところと交渉する、といった仕事(有り体に言うと経営の立て直しのために、そこに派遣されて仕事しているようなもの)になったので、モバイル的な仕事尾の仕方が必要になったためだ。
 
最初の数ヶ月は、紙のノートとEvernoteの割り振りがうまくつかず、紙のノートに全てを集中しようとしたりして混乱に陥ったりしたのだが、最近は、なんとなく棲み分けも落ち着いてきた感じがする。
 
今の棲み分けは
 
・メールなどのデジタルデータの保管やアイデアメモ、仕事関連の作業中のドキュメントなどをEvernote
・アナログ系の紙の保管や会議でのリアルのメモ取り、アイデアスケッチなどは紙ノート(堅い上に、ちょっと古い仕事場なので、iPadやPCで会議記録をとったりすると、怪訝な顔をされるんだよね。)
・紙ノートはアナログ保管の母艦的に使っているので、外出中やちょっとした思いつきは、B7メモ(ロディア、といいいたいところだが、節約のため、百均のロディアまがいのメモ帳)にメモ。後で、iPhoneで撮影してEvernoteに入れるか、紙ノートに貼り付け
・紙ノートを使い切ったらスキャンしてPDF化。このファイルをiPhoneとiPadにいれてGoodreaderで管理(ただし、インデックスはEvernoteに記録するのと、バックアップは母艦PCに)
 
という形
 
iPhoneは常時持ち歩いているし、仕事の時は、ファイルビューワも兼ねてiPadも手元にあるので、こんな感じが、今のところは予定調和しているかな、と思っている。
 
ちょっとまごつくのは、他人からもらう非定型の紙のメモや領収書といったドキュメントの管理。今は紙ノートに糊で貼り付けているのだが、いつも見返すものでもないので、もらった都度スキャンして、使い切ったノートをPDF化するときに、一緒にバインドしてしまうのもありかな、とも思っているところである。
 
まあ、こうしたノートやEvernoteの使い方は、もちろん仕事の生産性を上げるという目的もあるのだが、使い方をいろいろ考えるというところが楽しい、みたいなところもあるので、あれこれ悩みながら試行錯誤してみることにしよう。

2011年3月16日水曜日

世界中から寄せられた東北関東地震の被災者を励ますメッセージ

日本の大学生が、東北関東地震の被災者の方に寄せられた応援メッセージを紹介するprayforjapan
 
日本もすてたもんじゃない、って気持ちがこみあげてくる。
 
被災地の皆さん、頑張ってください。
 

2011年3月15日火曜日

横山光輝 「三国志」 を読み始めた

地震の被害が明らかになるにつれ、被災された方々の苦境、心労を思うと痛ましいばかり。あらためて、心からお見舞い申し上げたい。
さはさりながら、日々の暮らしはいつものように過ぎ去るもので、実は数日前から、横山光輝の三国志(潮漫画文庫版)を読み始めた。
もともと、いつかは通読を、と思っていたのだが、なにせ、「きぼうコミックス版」では60巻、「潮漫画文庫版」でも30巻という大著なので、ヤフオクで手に入れるにしても、結構値もはるので躊躇していたのだが、最近、仕事の方が一山越したお祝いと、ブックオフで少々のこぼれはあるにせよ20冊ばかり半値以下ででていたので、エイヤッとばかりに買い込んでしまった。
(こぼれの巻は、新刊やamazonで読み進むにつれて買い足し中)
読み始めると、いや、なかなか面白い。
劉備玄徳の聖人君子ぶりがちょっと鼻につく感じはあるのだが、曹操の悪辣な才子ぶり、孫策の直情ぶり(今日のところは孫権はやっと即位したばかりなので印象薄い)、そしてこれらの主役級を取り巻く董卓、袁術、袁紹らの傲慢であったり、せせこましかったりの人間描写など、いや、さすがに古典を題材にとった横山光輝氏の筆の冴えは素晴らしい。
まあ、読むにつれ、登場人物が幾何級数的に増殖するのと、読んでも読んでも戦乱また戦乱、国をとったり、とられたり、の連続なので、いささか茫漠とした思いにかられていないわけでもないのだが、おもわずページを繰ってしまうのである。

2011年3月11日金曜日

気になった記事「世界タブレット市場は「Apple支配がしばらく続く」、米IDC予測」

IT pro のニュースによると
 
米IDCは米国時間2011年3月10日、2010年第4四半期におけるタブレット端末の世界出荷台数が前期の450万台から2倍以上の1010万台になったと発表した。このうちAppleの「iPad」のシェアは73%、韓国Samsung Electronicsの「GALAXY Tab」は約17%だった。GALAXY Tabが有力な競合製品になったことで、iPadのシェアは前期の93%から低下したが、それでもAppleの地位は盤石で、同社の市場支配はしばらく続くとIDCは見ている。
 
とのことで、やはりiPad強し、のようだ。
 
確かに身近でも、iPad2を買うぞー、と意気込んでいる声は聞くのだが、GalaxyTabを買うぞー、と意気込む声は聞こえてこない。そこがandroidのスマートフォンの場合との違いかな。タブレットで、iPadのシェアが危なくなるのは、iPhoneのシェアがもっと落ち込んだ後かもしれないですね

2011年3月10日木曜日

"「HYBRID W-ZERO3」の販売、在庫限りで終了することが明らかに"とのことでちょっと寂しいですね

GIGAZINさんの記事によると
 
 
ということで、スマートフォンの」先駆けであったWillcomのスマートフォンの細々とした灯火も、どうやら、この機種を最後に消えそうである。
 
Hybrid W-zero3は幾たびの苦難を乗り越えて再販されてきただけに、現在のWillcomの音声重視の方向からみるとやむを得ないとは思うもののやはり寂しいですな。「誰とでも定額」と「もう1台無料」キャンペーンのおかげで、復活の兆しがほのかに見えてきているので、ここで一つandroidを、と思わないでもないのだが、現在の経営状況ではちょっと無理なんでしょうね。
つくづく、不幸な機種だな、と思わないでもない。まあ、GARAPAGOSへ力を集中し始めたシャープが新しいPHSスマートフォンの製造を続けるとも思えないので、まあ順当な結果と言えなくもないのだが・・・。
 
もっとも、私の場合、iPhoneとad-es(「誰とでも定額」に入ってしまった)の2台持ち状態で、スマートフォン的な部分はiPhoneで満足しているので、android機が出ても、乗り換える可能性はかなり低いのだが・・・。
音声端末をad-esでいけるとことまで行って、フリスク。フォンの登場を待つこととしようかなー。

2011年3月9日水曜日

クリエイターとは何か

SAMURAI 佐藤悦子流 "夢を形にするマネジメント術"でクリエイターについてのちょっと気になる記事を発見。
クリエイター=自分の頭の中にあるアイディアやイメージを形にする表現者。佐藤可士和氏は、そうした一般的なクリエイター像とは明らかに違っている。
 「自分が作りたいものを発表するのはアーティストであって、クリエイターとは別の存在だと思います。私たちの認識では、クリエイターは表現者であると同時に問題解決者。頭の中にある"自分の作りたいもの"を具現化するのではなく、クライアントの意向を理解し、課題を共有して、どこに問題点があるのかを見出しながら、目指すゴールへの道筋を提案するのがクリエイターではないかと考えているのです
と佐藤可士和氏はクリエイターを定義しているらしく、こう考えると、クリエイターってのは、いわゆるデザイナー系のアーティストに限定しなくてよく、世の中の様々な課題を解決しようと取り組んでいる人ととらえることも可能となる。
 
であるならば、普通の会社で働いているビジネスマンもクリエイターと考えることもできるわけで、日々の細かな仕事に忙殺されている我々も、「クリエイターなんだ」と思うことで、少しは仕事の憂さも晴れるかもしれないですね

クリエイターとは何か

SAMURAI 佐藤悦子流 "夢を形にするマネジメント術"でクリエイターについてのちょっと気になる記事を発見。
クリエイター=自分の頭の中にあるアイディアやイメージを形にする表現者。佐藤可士和氏は、そうした一般的なクリエイター像とは明らかに違っている。
 「自分が作りたいものを発表するのはアーティストであって、クリエイターとは別の存在だと思います。私たちの認識では、クリエイターは表現者であると同時に問題解決者。頭の中にある"自分の作りたいもの"を具現化するのではなく、クライアントの意向を理解し、課題を共有して、どこに問題点があるのかを見出しながら、目指すゴールへの道筋を提案するのがクリエイターではないかと考えているのです
と佐藤可士和氏はクリエイターを定義しているらしく、こう考えると、クリエイターってのは、いわゆるデザイナー系のアーティストに限定しなくてよく、世の中の様々な課題を解決しようと取り組んでいる人ととらえることも可能となる。
 
であるならば、普通の会社で働いているビジネスマンもクリエイターと考えることもできるわけで、日々の細かな仕事に忙殺されている我々も、「クリエイターなんだ」と思うことで、少しは仕事の憂さも晴れるかもしれないですね

大きな仕事を着実に達成するためのアイデア

どこから手をつけていいのか途方にくれてしまいそうになる大きな仕事を片付けていくためには、こんな考えが大事かもと思っている。
 
「山を森へ
  森を林へ
   林を木へ
     分解する」
 
肝は、問題の大きさ、課題の大きさにひるんだり、呆然とするのではなく、少しずつ、例えば、ジェンガみたいに、全体を崩さないように、少しずつ積み木を取り去っていく活動、ということかな。

2011年3月8日火曜日

朝から元気な人が増えているようだ

「私、朝は弱くて・・。」というのが美人の代名詞であったり、ビジネスマンも「朝はぎりぎりまで寝ていて、朝食抜きか駅のミルクスタンドで牛乳でパンを流し込む」といった姿が様変わりしてきているようだ。
 
日本経済新聞のネットによると
 
「30代の女性、8割が朝型」(2011.1.15)
 
早起きして家事やスポーツに励む「朝型」の割合が最も高いのは30代女性であることが、NTTアド(東京)の調査で15日までに分かった。その割合は78.1%と1年前の調査より約15ポイント上昇。同年代の男性と比べても20ポイント以上高く、30代女性の活動的な様子がうかがえる。
 
朝型の活動内容は、家事、買い物、ニュースやメールのチェックに加え、読書やジョギングに励む人も多い。朝型にした理由は「自分の時間を確保できる」「健康によい」「(作業の)効率がいい」などを挙げる。
(以下 略)
 
「朝は外食でしっかり、丼や食べ放題・・・早起きの人増え」(2011.3.7)
 
平日の朝から丼物や食べ放題などでしっかり食事をする消費者が増えている。朝の時間を仕事や運動、自己研さんに充てる「朝活」が浸透し、消費者の6割が生活を朝型に変えていることも背景にあるようだ。朝から頑張る消費者に飲食店側もボリューム感のある朝食限定メニューを用意するなど対応を進めている。
(以下 略)
 
ということらしく、朝型の人が増えているようだ。
 
朝型生活のメリットは、様々に言われているのだが(最近では、池田千恵さんの「朝4時起き」ですべて」とか)なかなかに実行に移せないという本音のところだろう。私も暖かうなってくる4月とか5月とかは朝活を始めるのだが、寒くなってくるといつの間にか、布団にくるまることが増えてきて、おまけに年度で区切られた仕事をしているので、1月から年度末になると仕事に忙殺されて、いつもまにか朝活も・・・というのが習い性になっている。
 
「今年こそは、朝活を」、と春も近くなっているこの頃、再び思い立ち始めているのである。
 

2011年3月7日月曜日

気になった記事「講談社コミック約7000冊をiPad/iPhone向けに配信」

 
ということで、タブレット向けのコンテンツが増えるのは目出度いこと。
 
特に講談社のebookjapanは、一定の端末やOSに囲い込むことなく提供する方向で進んでいるので、個人的には特に応援したい。
昨年から、日本でも電子書籍に関する動きが加速しているように見えるのだが、実は、それぞれのメーカーが、それぞれの端末に囲い込もうとする動きがセットで動いていることに懸念を覚えているのである。
アメリカのようなオープンな形で進むことが、功罪はあれ、電子書籍の普及には欠かせないように思うのだが、どうだろうか。

2011年3月6日日曜日

「奇貨居くべし」を読んだ

日曜日に全5巻読了
6年間にわたり著作と言うことで、さすがに分量的にも、内容的にもよみごたえある
少しずつ読み進めてきたので、3月ばかりかかってしまった
中国の歴史的人物の話は、歴史小説や時代小説が好きなせいもあって、結構読むほうだと思うのだが、やはり一面的ねことが多い。
この呂不違の場合も層で、始皇帝の方向からみた話が多くて、陰謀家で、秦の国を我が物にするために、不遇の公子に自分の妾を差し出して、
実は血を分けた実子である始皇帝を通じて、秦の国王の座の禅譲を狙った人物という印象が強い。
そういった意味で、こういう人物に青年時代に光を当て、実は・・・、といった形で、呂不違の新たな姿を示してくれたのは、史実かどうかは別にして筆者の着想と筆の冴えはすばらしいの一言。

2011年3月5日土曜日

気がふさぐ出来事が多いので、「父は忘れる」を引用しておく

子供が犠牲になったりするような気がふさぐ出来事が多いので、カーネギーの「人を動かす」に引用されている「父は忘れる」を引用してみる。
 
父は忘れる

リヴィングストン・ラーネッド

坊や、きいておくれ。お前は小さな手に頬をのせ、汗ばんだ額に金髪の巻き毛をくっつけて、安らかに眠っているね。

お父さんは、ひとりで、こっそりお前の部屋にやってきた。

今しがたまで、お父さんは書斎で新聞を読んでいたが、急に、息苦しい悔恨の念にせまられた。罪の意識にさいなまれてお前のそばへやってきたのだ。

お父さんは考えた。これまでわたしはお前にずいぶんつらく当たっていたのだ。

お前が学校へ行く支度をしている最中に、タオルで顔をちょっとなでただけだといって、叱った。靴を磨かないからといって、叱りつけた。また、持ち物を床の上に放り投げたといっては、どなりつけた。

今朝も食事中に小言を言った。食物をこぼすとか、丸呑みにするとか、テーブルに肘をつくとか、パンにバターをつけすぎるとかいって、叱りつけた。

それから、お前は遊びに出かけるし、お父さんは停車場へ行くので、一緒に家を出たが、別れるとき、おまえは振り返って手を振りながら、「お父さん、行っていらっしゃい!」といった。すると、お父さんは、顔をしかめて、「胸を張りなさい!」といった。

同じようなことがまた夕方に繰り返された。

わたしは帰ってくると、お前は地面に膝をついて、ビー玉で遊んでいた。
長靴下は膝のところが穴だらけになっていた。お父さんはお前を家へ追いかえし、友達の前で恥をかかせた。
「靴下は高いのだ。お前が自分で金をもうけて買うんだったら、もっと大切にするはずだ!」

-これが、お父さんの口から出た言葉だから、われながら情けない!

それから夜になってお父さんが書斎で新聞を読んでいる時、お前は、悲しげな目つきをして、おずおずと部屋に入ってきたね。

うるさそうにわたしが目をあげると、お前は、入口のところで、ためらった。

「何の用だ」とわたしがどなると、お前は何もいわずに、さっとわたしのそばに駆け寄ってきた。

両の手をわたしの首に巻きつけて、わたしに接吻した。
お前の小さな両腕には、神さまがうえつけてくださった愛情がこもっていた。

どんなにないがしろにされても、決して枯れることのない愛情だ。

やがて、お前は、ばたばたと足音をたてて、二階の部屋へ行ってしまった。

ところが、坊や、そのすぐ後で、お父さんは突然なんともいえない不安におそわれ、手にしていた新聞を思わず取り落としたのだ。

何という習慣に、お父さんは、取りつかれていたのだろう!

叱ってばかりいる習慣-まだほんの子供にすぎないお前に、お父さんは何ということをしてきたのだろう!

決してお前を愛していないわけではない。お父さんは、まだ年端もゆかないお前に、無理なことを期待しすぎていたのだ。お前を大人と同列に考えていたのだ。

お前の中には、善良な、立派な、真実なものがいっぱいある。

お前の優しい心根は、ちょうど、山の向こうからひろがってくるあけぼのを見るようだ。

お前がこのお父さんにとびつき、お休みの接吻をした時、そのことが、お父さんにははっきりわかった。ほかのことは問題ではない。

お父さんは、お前に詫びたくて、こうしてひざまずいているのだ。

お父さんとしては、これが、せめてものつぐないだ。

昼間にこういうことを話しても、お前にはわかるまい。だが、明日からは、きっと、よいお父さんになってみせる。

お前と仲よしになって、一緒に遊んだり悲しんだりしよう。小言を言いたくなったら舌をかもう。そして、お前が子供だということを常に忘れないようにしよう。

お父さんはお前を一人前の人間とみなしていたようだ。こうして、あどけない寝顔を見ていると、やはりお前はまだ赤ちゃんだ。

昨日も、お母さんに抱っこされて、肩にもたれかかっていたではないか。お父さんの注文が多すぎたのだ。


「人を動かす」 デール・カーネギー著 より
 
 
子供を持っているお父さんは、ちょっとグッとくるはず。
 

2011年3月3日木曜日

SilverStone Milo 黒 デスクトップ型 SST-ML03B を買った

居間用のHTPCのケースとしてSilverStone Milo 黒 デスクトップ型 SST-ML03Bを購入
 
当初、Sofmapで購入する予定だったのだが、間一髪で売り切れ。
Amazonで買うことにしたのだが、2~3日で届くはずが、ここも2週間待ちとなった。
 
まあ、総体的な感想を言えば、待った甲斐はあったよね、という感じ。
 
色は黒で、かなりしっかりしたつくり。テレビラックの中に納めてもまったく違和感はない。
あえて難を言えば、5インチベイと電源との隙間が狭くて、IDEのドライブを使うとケーブルの取り回しに苦労したところぐらい。
これも、シリアルATAにするかスリムケーブルを使えば、そんなに問題にはならないだろう。
 
私の場合は、古めのsocket775のCore Duoで、CPUファンはリテール、電源は静音と謳ってはいるがあまり高価でない400W電源。
HDDは300Gのシステム用(OSはWindows7)と1Tのデータ用の3.5インチシリアルHDDという構成で組み立て。
 
ケースの厚さもしっかりしているせいか、稼働音もさほど気にならない。まあ、うちの居間は、オープンキッチンと隣接しているので、いろんな音が流れ込んでくるんで、静謐な環境とはいえないので、そのあたりは割り引いて考えてほしい(深夜には動かしていないのであしからず)
 
送料込みで私の場合は7360円。安価なHTPC用のケースをご希望なら、選択枝の一つに加えても損はないと思う。
 

本日の気になる記事「Androidは元気な若者に人気, Apple/RIMはやや年配層」で思うこと

TechClanchによると「Androidは元気な若者に人気, Apple/RIMはやや年配層」だそうだ。
 
これによるとAndoroidを使っている人がスマートフォンを使っている人の29%を占めていて、このうち14%が34歳以下。iPhoneは全体の27%で、うち12%が34歳以下ということらしい。

アメリカでは携帯電話を使っている人の25%がスマートフォンらしいから、人数的には割り戻せば、結構な数の差になるんだろうが、数字だけみると、そうかなと思わないでもないのだが、たかだか2%じゃないの、という気がしないでもない。むしろ、Apple1メーカーでまだ、複数メーカーのAndroidとタメかよ、と軽い驚きを覚えないではない。
ただ、どうですかねー、AndroidとiPhoneのシェアということより、田舎に住んでいるせいか、スマートフォン自体が爆発的に増えている感じがしないのだが・・・。まあ、若い人が多い職場でもないので、断定的なことは言えないんだが、都会と違って、まだまだ、田舎の方はスマートフォンが身近になるのは、これからのような気がする。特に年配層に聞いてみると、「使いこなせるかなー」という反応が多い。携帯電話を機種変するときは、使いこなせるかなってな感じで機種変しないでしょ、言いたくなるのだが、やはり、そこはPCやネットの持つ年配層への敷居の高さが影響しているような気がする。
50歳過ぎのiPhone利用者としては、とりあえず使ってみたらいいじゃね、便利だし、面白いよ、と携帯キャリアやAppleの援護射撃をしてみるのである。

2011年3月2日水曜日

面と向かって話をすることの大事さ

10月から特定のプロジェクトチームに所属させられていて、本社から場所的に離れていて、取引先(合併先?)とでもいう所に間借りして仕事をしているせいか、最近とみに、面と向かって情報交換することの大事さというか、必要性を感じている。
 
今の仕事は、その間借り先で数機関との利害調整(自分の会社も含めて)をする場面が多いので、結構ストレスが貯まる仕事で、やはりリアルタイムで相互の意向が確認できないので、疎外感を感じがちになってしまうのは否めない。
 
おそらく、こういった疎外感が高じていけば、自分の立ち位置やら、存在意義なんかを確認するために暴走したりすることもありうるわけで、本社から離れた海外支社や海外の駐留軍が暴発したりするのも、このあたりが原因かもしれない。
「愚痴を聞く」という趣旨ではなく、互いに情報を交換しあう、現状を共通理解をもつという趣旨で、面と向かって話をする機会を積極的に持つことが、外地あるいは敵地で仕事をしている派遣者を安心させて仕事をさせる必須の条件なのではなかろうか。
 
 このあたり LifeHackerのSkype/VNCを使ってオフィスにバーチャル出社する方法 や Skype を使ってバーチャルオフィス化する方法 あたりでで紹介している方法で賄えるところも多いのだろうが、肝心なのは、息づかいやら、微妙な表情の変化や、声の調子を肉感として感じ取れるような形になっているかどうかだろう。
 
 
佐々木俊尚氏の「仕事をするのにあればオフィスはいらない」の中で紹介されていたアメリカ人のピップ・コバーン氏の投資コンサルタント会社の場合も、
 
「一番問題だったのは、メールやインスタントメッセンジャーでのやりとりだけだと、お互いの表情がわからないこと」で「表情がわからないから、ちょとした行き違いが誤解を招き、思わぬ対立を招いてしまったりする」。
 
このため「仕事の時間以外にも、パーティを開いたり、バーベキュー大会を実施したりして、お互いの交流を兼ねてリアルに会う機会を増やすように」すると「お互いのコミュニケーションはなめらかになり、メールの内容も誤解してしまうことも少なく」なったそうだから、やはり洋の東西を問わず、フェイス・トゥ・フェイスの効用というのは変わらないものなのだろうな。