2006年3月31日金曜日

豚肉の黄金焼き、鮭のソテー

「豚肉の黄金焼き」は豚肉にとき卵をからめて焼く。どうも、最後の方に一挙に卵をいれてしまったらしく、はがれてしまっているのがあるのが御愛嬌。軽い塩コショウの味がついているだけなので、ウスターソースをかけて食べる。
ウスターソースってのは、今では日常的なごくありきたりのものなのだが、非常に便利な調味料であることには間違いない。島田洋七さんのエッセーに、おばあさんとソースの匂いを嗅いで感動する場面があったが、昔はそれほど特別な調味料だったような気がする。おかずが何もないときは、ご飯にソースをかけてまぜていただく「ソースライス」という料理だかなんだかわからない代物もあって、それなりに美味しかった記憶がある。
「鮭のソテー」は、鮭に塩こしょう、唐揚げ粉を薄くつけてフライパンで焼く。醤油を垂らして食べると、和と洋の見事な調和がある。

2006年3月30日木曜日

牛肉のステーキ、こんにゃくの田楽、はも

ステーキはレア加減で焼いてもらう。半分ほどはきちんとステーキとして食べ、残り半分は、薄く切ってご飯の上に乗せて、ステーキ丼よろしく食べる。肉汁が飯にしみ込んでいるところが旨い。こうした食べかたをする場合は、和牛の霜降り肉でなくてオージービーフなどの脂の少なめの肉の方が良い。
「こんにゃくの田楽」は長細く切って茹でたこんにゃくに田楽味噌をつけていただく。あっさりとした精進料理なのだが、胃腸に良さそうな気がする。
うちから車で20分ほど山の方に行ったところに、こんにゃく田楽など精進料理を食べさせるところがある。バブリーな頃には接待や法事の後の精進落としに賑わっていたものだが、今はどうなっているだろうか。木の芽のてんぷらなど、それなりに楽しめたものなのだが。
「はも」は細かく切れ目をいれて小骨を切ってあるものを煮たもの。鰻よりあっさりしている。土瓶蒸しなどにすれば上品なのだろうが、家庭ではちょっと無理だよな。いわゆる「美食もの」「食通もの」には、「はも」のいろんな上品な料理が定番になっている感があるのだが、身近にこうした食べ方をしていると、いつも食べている「はも」と食通ものの「はも」は魚の種類が違うような錯覚さえ覚えるのだが、「はも」は「はも」。庶民には庶民の食べ方があるのだ。

2006年3月28日火曜日

イワシの煮付け、イワシとタコの三杯酢、麻婆豆腐

年度替りが近いので、送別会など外で飲む機会が多くなり、家で食事をすることが減っている今日この頃。ブックレビューのサイトの更新もままならないのが、悩みのたね。
といったところで、今日は、イワシが多い。イワシとタコの三杯酢は、このままだと味が薄いのでさしみ醤油をつけて食べる。イワシの脂っぽさが酢でよくしまっている。
麻婆豆腐は、飯の上にかけて麻婆丼にする。かけてから仕上げにネギのみじん切りを散らすのが私のやり方。麻婆丼は、子供たちも大好物の食べ方。普通に食べるより、丼にして食べることの方が多い。
日本人の「丼」好きは、遺伝子に組み込まれているのだろうな。

2006年3月26日日曜日

サンマの塩焼き、豚バラ肉とエリンギの炒め物、肉じゃが

ひさびさに「サンマの塩焼き」。開きではなく、塩焼きでこの時期に食べられるのは、科学の進歩というものか。旬の時期には敵わないが、それなりに内臓もくずれていない。
サンマをほじりながら、西岸良平さんの「三丁目の夕日」で、イッペイ(主人公)の父親の友人にサンマの好きな人がいたのを思い出す。たしか、事業が順調な頃は、イッペイの家でサンマを持込して焼いてもらっていた(奥さんがケムリを嫌がるという設定だったかな)とこrから始まって、事業に失敗した後、昼飯にサンマの開きを食べるところで終わる巻があったように記憶する。生サンマからヒラキへ移っていくところに月日の経過と人生の流転を象徴させていたのかな。
話の途中、事業に失敗してから道路工事の仕事をしていて、ローラー車を動かしているときのほうが、事業が順調な頃にベンツに乗っているよりイッペイたちに尊敬される一場面も頭をよぎる。
「豚バラ肉とエリンギの炒めもの」は新参メニュー。エリンギのコリコリ感と豚バラの濃厚な味が、よくあう。ちょっと味付けは濃い目かな。

「肉じゃが」も惣菜物の定番。よく煮込んであったので、じゃがいももほくほくとしている。



PSP(中古)を買ってしまった。

最近、DSの陰に隠れてしまって目立たない存在になってしまったなー、という感じのあるPSPを買ってしまった。
DSは、Liteも含めて、新品は完売状態、中古品も店頭にでてこない状態で、ゲームショップに行っても、「完売」の札が目立つ。
ネットショップでも「○台、緊急入荷しました。」というのが、メールで届いてくるほどだ。
そんな情勢の中で、PSPは売っている。しっかり、在庫がある。
息子には昨年の10月頃、DSの中古を買ってやっているので、当面我が家的には困らないのだが、その頃のPSPとDSの力関係をみると隔世の感である。
という中で、「SONY頑張れ」というわけではないが、「バリューパック中古、箱なし」を買った。(19000円ちょっと)

ついでにソフトも購入。

自分用に、「信長の野望 将星録」(中古)

起動してみると、ファームウェアバージョンは、2.60になっているので、とあるソフトを買わないと、時折ネットで見かけるエミュレータを使うといったことはできないようだ。
まあ、正面から、裏道でない使い方をいろいろ考えてみましょうかね・・・。

2006年3月25日土曜日

ホタテの清蒸、タコの刺身、メンチカツ

ホタテの清蒸(これはうちで勝手に命名しているものなので、一般的な料理名ではありません)は、ホタテを鍋にいれ、少し水を加えて加熱。蒸しあがり前に醤油を加える。貝の味と隠し味のような醤油味で十分美味しいが、薄いようであれば、醤油を少し垂らしてもよい。
タコの刺身は、タコの足を塩茹でして、うすく削ぐように切る。わさび醤油で食べる。醤油は、地元産の「さしみ醤油」。普通の醤油よりコクがあってコッテリしている。タコの「味があるかないか」のような、うっすらとした甘さが旨い。そばにあるのは、イワシの刺身。これも新鮮な甘みがあって、ウマイ。


メンチカツは、ハンバーグに衣をつけて揚げる。うちのメンチにはタマネギがたっぷり入っている。
油が一発で傷むので新しい油のときにはもったいない。お弁当のおかずとか、いろいろ油もので使って古くなったところがメンチカツの揚げどころ。
余れば、翌日、オーブントースターでちょっと加熱して(電子レンジはダメですよ。水っぽくなっちゃうから)半分に切りウスターソースをひとたらし。キャベツの千切りにマヨネーズをあえたものと一緒に、マスタードを薄く塗った食パンに挟んで、メンチカツサンドをつくる。
どうかすると、翌日のメンチカツサンドを食べるために、メンチカツをつくってもらうことさえある。本末転倒の極みである。


LinuxでLinuxサーバへSSHで接続

最近、家庭内モバイルしているThinkPAD-Linuxで、Linuxサーバに接続して、遠隔操作を試みる。
接続はSSHでやることにして、RSA認証に使う公開鍵、秘密鍵の作成方法は、Puttyでのやり方と同じ。
鍵の作成ができたら、秘密鍵をクライアント機の .ssh のフォルダにコピー。
GNOMEターミナルを立ち上げたら(root でなく、ログインするユーザで立ち上げる)、
$ ssh (ログインするユーザ名)@(サーバ機のIPアドレス)
そうすると、パスワードを聞いてくるので入力すれば、OK

2006年3月23日木曜日

カレイの一夜干し、鶏の照り焼き

カレイの一夜干しは、小振りのものを一匹。箸で身のところを横に切れ目をいれ、醤油を垂らす。
一夜干しは塩が甘いことが多いのだが、こうすると、白身のところにも醤油がまんべんなくしみ込んで、ちょうどよい味加減になる。日本海の冬の名物といってよいのではなかろうか。
熱いご飯と一緒に食べると絶妙。
身だけでなく、縁側のところもコリコリして美味。残すところは頭と中骨ぐらい。


鶏の照り焼きは市販のタレなのだが、熱々のところを頬張り、ビールを、うぐうぐ。
合間にレタスで下をリフレッシュ。
肉のしこしこ感と皮のくにゅくにゅ感のマッチングを楽しむ。


いかゲソの揚げ物は、おかずの空隙を埋めるにもってこい。ビールやワインにもあうと思うとは、一人よがりかな・・・。皿いっぱいを一人で食べてしまった。



アガサ・クリスティ 「書斎の死体」

まえがきを読むと、メロドラマの「頭の禿げた准男爵」と同じくらい(「頭の禿げた准男爵」っていうのが、どうもピンとこなくて困るのだが)、ミステリーの「書斎の死体」は使い古されている文句らしいが、その「使い古された」テーマで敢えて書こうというのが、クリスティらしいといえば、クリスティらしい。

事件の舞台は、ミス・マープルの住むセント・メアリ・ミード村。しかもマープルの友人のパントリー夫人の夫パントリー大佐の書斎に若い女性の死体が転がっていたというもの。

ミード村の習慣、朝9時から9時半までに村の近所の人達へ電話で朝の挨拶をかける時間になっていて、その日の計画や招待とかの時間も連絡することになっているとか、夜の9時半以降に電話をかけることは、失礼にあたると考えられている、とかいった田舎らしいエピソードも語られる。

この死んでいた女性は、厚化粧で、安っぽい背の開いたイヴニングドレスを着ているといった、ちょっとスキャンダラスな死体。近くのホテルのダンサーをしているという設定だから無理もないのだが、こうした女性に対しては、クリスティはかなり厳しいのが常だから、かなり辛辣である。まあ、このあたりの死体の確認とか、この女の様子とかが、最後の謎解きに向けて、いろんな仕掛けが施されているのだが、ちょっと気がつかなかった。

このほか、映画製作の端くれにいそうな男が妙に高慢ちきで、そのくせなんとも力がなさそうだったり、女子高生が行方不明になって、車の中で焼死体で発見されたり、最初に殺されたダンサーの女性は、お金持ちの老人のお気に入りで、遺産をその娘に残そうとしていることがわかったり、かなりいろんな展開があるのだが、要所、要所でミス・マープルの村人にかこつけた逸話の披露が、ヒントになっているのか撹乱されているのか解からなくなるのは、マープルものの常。例えば、この殺人は校長の奥さんが時計の捩子をまいた時に蛙が飛び出した話のようだとか、ハーボトル老人が、今まで世話をしてくれていた妹が親類の手伝いに家を留守にしている最中に、メイドと仲良くなって、老後を見てもらうことしにしてしまった話なんてのを披瀝されても、どこがどうつながるのか、こいつはちょっと難しい。

ネタバレは、まあ、この若い娘がなぜ他にも良い衣装を持っているのに、なぜ安いふるぼけた衣装を身につけていたのかといったことや、パントリー大佐の家にあった死体は最初から、パントリー大佐の家にあったのか、といったことが謎解きのヒント。まあ、結局は、殺人事件の動機の大半をしめる「金」、とくに「遺産」目当ての殺人ということで、動機はありきたりかもしれないが証人が、実は犯人、優しい顔には注意しろ、といったあたり、またクリスティの手にうかうかとのせられてしまいました。

イギリスの田舎も、日本と同じで、都会や都会者との軋轢はあるんだねー、という感を抱かせる作品でもありました。

2006年3月22日水曜日

カレイの煮付け、八宝菜、ほうれんそうのおひたし

カレイは、一枚を4人に切り分けて煮つけたもの。座蒲団ガレイとまではいかないが、結構大きなもの。
冬の日本海では、カレイがよく捕れるので、冬の煮魚の定番である。
卵もかなり入っていて、食べごたえがある。

八宝菜は、時間がない場合の定番メニューになりつつある。当然、市販の八宝菜のもとを使う。
白菜は二度入れして炒めるらしいのだが、ちょっと炒めかたが少なくて、ごりごりが残ってしまった。


デザートはメロン。普通はデザートなんて洒落たものは食べないのだが、頂きものがあった。
そういえば、子供の頃は、ほとんど口に入らなくて、今ごろは気軽に食べられるものといえば、バナナとメロンだろう。
マスクメロンなんてものは特上級の果物で、マンガとかの病人へのお見舞の場面ぐらいしか登場したことはなかったような気がする。
これも温室栽培が普及したせいか・・・。
私も、地球温暖化に一役も二役もかっているような気がする。



2006年3月21日火曜日

煮豚、キンキの煮付け、ナスの肉味噌炒め

新メニューの「煮豚」登場。
豚肉のブロックを紐で縛って、しょうゆダレ(八角とかも買ってたな、そういえば)で煮たもの。一緒にゆで玉子も煮る。玉子に味が沁みこんでいて、これも旨い。2日間ぐらい煮たそうな。
確か、中華料理でもこんな玉子があったのでは。「食は広州に在り」で、中国の労働者が、こうした煮卵を熱々の粥の上にかけてすするところがあったよう気がする。
「キンキの煮付け」は、最近食卓によくのぼるメニュー。旬なのか脂がよくのっている。小骨がちょっと多いのが難だが、上品な白身魚だ。
もうひとつは、「ナスの肉味噌炒め」。「麻婆茄子」ではない。あくまで和風なので、唐辛子や山椒は入っていない。茄子がちょっと水っぽかったが、肉味噌でカバー。


鳥取県鳥取市松並町「昇龍 たつめん」

伯父の葬儀も無事終わったので、ブログ再開。
今日は「お彼岸」なので、墓参りをした後に外でたべることに。
店は、ひさびさに中華料理屋の「昇龍」。大通りから奥まったところにあるので、店の場所がわかり難いが、「隠れた名店」。
中華料理屋なので、麺類に限らず、他の中華もののメニューも多い。しかも量もたっぷりなので、初めての人は頼みすぎて後悔する事態も見かける。

私と奥さんは「たつめん」。一般的な名前で言えば、「五目あんかけラーメン」。
ちょっと酸味のある味とあんが絶妙である。


これは、サービスのスープ。サービスといっても、普通なら一品物になる「卵スープ」。
これが、セルフで自由に飲めるのが、この店の特徴。店の中に、おおきな寸胴鍋で、でんと置いてあって、客が自由にいれていただく。


娘は「天津飯」。皿からはみだしそうな勢い。あんもたっぷりかかっている。


息子は定番の「しょうゆラーメン」。昔ながらの安心できる味。

一人一品だけだと、ちょっと寂しいので「ギョーザ」を加える。

といった感じで、うちの一家は食べていたのだが、うちのすぐ後に来店してきた家族つれ(おじいさん、おばあさん、夫婦、娘の5人家族)は、豪勢に注文。
「ライス5個、鶏の唐揚げ大盛り、エビチリ、回鍋肉、八宝菜」と頼んで、「あと、ラーメンは、後で頼むかも」といったオーダー。
「すごいなー」と娘と顔を見合わせる私。
さて、きた料理は、まず、ライスは「丼にてんこ盛り」のもの5個。鶏唐(とりから)も、大皿にてんこ盛り(15~20個くらいはありそう)。
この時点で、息を呑む家族連れ。
少し時間が経って、残りの皿が届く。いずれも大皿からはみ出さんばかり。
さらに息を呑む家族連れ・・・・。注文したお父さん、照れ笑い・・・・。
結局、ラーメンのオーダーはありませんでした・・・。
皆さんも中華料理屋で注文するときは、オーダーしすぎに注意しましょう。

2006年3月17日金曜日

豚汁、ぶりの照り焼き

今夜は、豚汁とぶりの照り焼き。
豚汁(うちでは「トンジル」と呼ぶ)には、豚肉のほか、にんじん、ごぼう、だいこんと盛りだくさんの野菜を入れる。味は白味噌仕立て。冬の寒い日の定番メニューなのだが、春めいてきても肌寒い日にはうってつけ。ネギの刻んだものを散らし、好みで七味唐辛子を少々いれる。
「ぶりの照り焼き」は、ちょっと脂が落ちてきた感じ。やはり、冬の寒い頃(12月とか1月)が旬のものかな、と思う。

肉類は、焼肉のレタス包み。市販の「焼肉のタレ」で焼いた焼肉を、サニーレタスで包んで食べる。チチャがあると一番良いのだが、まだ畑にはない。
コチジャンとかニンニク味噌を一緒にくるんで食べるときもあるのだが、今日はなし。



2006年3月16日木曜日

豚バラ肉のとろとろ煮、しいたけとほたてのあっさり煮

今日は新作が登場。まず「豚バラ肉のとろとろ煮」。豚バラ肉をしょうゆダレでやわらかく煮るのが構想。
ただ、実態は、娘曰く「タレはトロトロだけど、肉は固いぞ」
・・・確かに・・・・・・
「しいたけとほたてのあっさり煮」は、しいたけ、白菜とほたてを煮たもの。ダシがよく利いていて美味しいのだが、あっさりはしていない。名前を「しいたけとほたての煮物」にかえたほうがよいかも・・・
と、まあ、新作2本を一日でエントリーする難しさを感じている、うちの奥さんであった。

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さしみは煮物で余ったほたてとほたてのひも、まぐろ。煮魚は「ハタハタ」。こちらは定番形なので安心したお味。ほたてのひもはコリコリしていて良。



割と楽しみにしている”Origami”プロジェクト

大まかなスペックは 同製品は、OSにWindows XP TabletPC Edition 2005(日本語版)を採用し、Origamiプロジェクトで開発されたUMPC用ユーティリティソフト群を備えたPC。本体サイズは228×146×25.1mm(幅×奥行き×高さ)、重量は約860gとなる予定。 主な仕様は、CPUがVIA C7M 1GHz、VIA VN800チップセット(ビデオ機能内蔵)、タッチパネル装備800×480ドット表示対応7型TFT液晶などを搭載。

といったものになるそう


 値段は、3月13日のプレスリリースでは未定となっていたが、今週の週刊アスキーを見ると「10万円を大幅に切るか価格」になると書いてある。 「大幅に切る」という表現は幅があるが、7万円~8万円といったところだろうか。この値段で、WinXPがつかえる小さなPCが買えるとなると・・・・

魅力だ!

小さくて、こちょこちょした機械が好きなのは、日本人特有の性向という話を聞いたことがあるが、いまだにSONYのPDAが手放せないClie難民としては、”UMPC”頑張ってほしい。

 Microsoftは携帯とかPDAとは競合しないといったリリースをしていたが、携帯やW-zeroとは競合しないかもしれないが、PDAと確実に競合というか、SONY撤退以後、寂しい限りになってしまったPDA市場は食われてしまいそうな感すらする。

 といって批判的なわけでなく、こうした小さなPCが、手頃な値段で(小さなPCってSONYのVaio-Uとか、何で小さいのに、こんなに高いんだぁー。グラムなんぼやー、といった理由のないアクションを起こしてしまうほど高いものなー)、出てくるようになると、私としては非常に嬉しいのである。 値段と相談だが、私の「欲しいモノ」に高順位でエントリーしたガジェットである。

2006年3月15日水曜日

赤ハタの煮付け、ほうれんそうのおひたし

「赤ハタの煮付け」。キンメ、みたいな感じはあるのだが、そんな高級品ではない。しかし、白身の柔らかな肉で、脂がたっぷり、のっていて美味。
小骨がちょっとさわるときがあるので、ちょっと注意。
「赤ハタ」というのは奥さんに聞いた魚の名前。違っているかもしれないので、識者の人はお教えください、とは奥さんの弁。


あとは焼肉とほうれんそうのおひたし。焼肉は、市販の焼肉のタレ。うちの息子は、韓国風にレタスやチチャに巻いて焼肉を食べるのが好きで、今日も、付け合せの小さなレタスに、無理やり巻いて食べている。
ほうれんそうは、小腸の溝を掃除する大事な役割を果たしているんだ、と奥さんと娘、息子3人がかりで説教される。はいはい、食べますよー、とカツオの削り節と醤油をかける。
おひたしには、根っこに近い、ちょっと赤いところが残っていて、そこは、ちょっと土臭く、独特の風味がある。水上 勉の食のエッセイ「土を喰う日々―わが精進十二ヵ月」で、ほうれんそうの根っこの赤いところも、刻んで、おひたしに入れれば無駄になるところはない、と老師に指導される場面があったのを思いだし、また読んでみたくなった。今度、Books編の方でレビューしてみよう。
もうひとつは、刺身。今日は「マグロの赤身と車海老」。ツマはキュウリと大根の桂剥き。




2006年3月14日火曜日

「上京」ネタにつられて

うーむ。 眞鍋さんも西日本からの「上京組」かー。 しかも、飛行機でひょい、じゃなくて夜行バスだー、と妙に共感にかられました。

 といっても、私の場合は1999年なんて最近じゃなくて、もう20年前の1986年。 「上京」しましたよ、一人で。 夜行列車で。 上京後は、「東京」ってとこは人がうじゃうじゃいて、なんか楽しそうで、なんかうきうきするなー、とばかりに街をうろうろ歩き回ったことを思い出してしまいました。 <その夜行列車も、もうじき廃止だ。

あ、そういえば、その列車で偶然、当時憧れていた同級生の女の子と一緒になって、おしゃべりして。 その後、東京での展開を勝手に期待したのだが、なんも展開しなかった、といったこともあったなー。

下宿していたところは、西部新宿線の「野方」(”寄り道Blog”)の寄り道さんの住んでいる鷺の宮の2つばかり新宿寄りだったはず)で、新宿にも近い絶好のポジション。金のある時は「新宿」か大学のあった「お茶の水」で、ないときは中野か高円寺、阿佐ヶ谷界隈を、用もないのにうろうろしていたのを、最近のことのように思い出してしまったのであります。 (そういえば、眞鍋さんのブログにもあったように、上京したての頃はアンケートとか妙にまじめに応対していたけど、あっという間に、シカトするようになってた。田舎人も短い期間で都会人っぽくなるモノはある。)

 ついでながら、キャッチセールスや客引きのオネーチャン、あるいはモルモン教のガイジンのオニーチャンには、声をかけられたが、「芸能プロダクション」なんてものは全く縁がなかったなー、と今更ながら、眞鍋かをりさんと自分との境遇のギャップに気が付いたのでありました。

2006年3月13日月曜日

とんこつ鍋、イカと里芋の煮物、ししゃも

とんこつ鍋のスープは、この間、スーパーで見つけた新製品。白菜と豚バラ肉、えのき、しめじを入れて煮る。とんこつ味がよくでていてコクがある。最後に、ラーメンの麺をいれて〆。

ほかは、「イカと里芋の煮物」と「ししゃも」。今日のししゃもは、やけに身が細かった。
日本で食べている、いわゆる「ししゃも」は本当の「ししゃも」ではなくて、北欧の方で獲れる魚だと聞いたが、物心ついた頃から、ししゃもはこれなので、いまさら本物を出されても、わかんないだろうな。



ポアロとマープル

最近、アガサ・クリスティのミステリーを読み進めているのだが、一昨年だったろうか、NHKの日曜日のアニメで「ポアロとマープル」っていうのをやっていて、私と息子(当時、小学校1年生)のお気に入りアニメだったのだが、その声優に
ポアロの声を「里見浩太朗」
マープルの声を「八千草 薫」
がやっていたのだが、アニメの影響力は怖いもので、クリスティのミステリーを読んでいてポアロやマープルがしゃべるところでは、頭の中では、お二人の声で喋らせているのである。

北村 薫「秋の花」(創元推理文庫)

「私」と「円紫師匠」のシリーズの「空飛ぶ馬」「夜の蝉」に続く三作目。
今回は長編である。
「空飛ぶ馬」が大学1年生、「夜の蝉」が大学2年生だから、「私」は大学3年生になっている。「正ちゃん」とはいつもながらの付き合いだが、「江美ちゃん」は学生結婚した相手のところに滞在中だ(「江美ちゃん」の旦那さんは大学の先輩で、卒業後すぐ九州に赴任になった)。

今回の事件は、私の身の回りではなく、卒業した高校でおきる、というかおきている。

「私」が幼い頃から知っている近所の女の子が、文化祭の準備をしている夜中、高校の屋上から墜落死したのだ。
そして、その女の子の親友(その娘とも「私」は幼い頃からの顔なじみという設定だ)も、その夜以来、抜け殻のようになって、学校も休みがちの状態。

その親友の女の子をそれとなくサポートしてくれるよう担任の教師に頼まれ、「私」は、その「事故」が親友の女の子の不安定な精神状態に大きな影響を及ぼしていることを感じながら、その女の子が何とか元気になったいくよう関わっていく。

しかし、その「事故」が「事故」ではなく、「事件」で、しかも、二人の女の子が非常に、ひどく仲が良くて、いつも同じ方向を見て歩いていたからこそ、起きたような「事故のような事件」であることが円紫師匠の手で明らかになるとき、二人の女の子の今までの、そして、これからの生涯が「ひどく哀しいもの」として私たちの前に現れるのである。

この話は、円紫師匠と「私」の


「あなたは、まだ人の親になったことはありません。その時に、どう思うかは分かりません。しかし、僕だったら、仕方のない事故だと分かっていても<<許す>>ことは出来そうにありません。ただ」
私は機械のように繰り返した。

「・・・ただ」

「救うことは出来る。そして救わねばならない、と思います。親だから余計、そう思います。」


といった会話でエンディングを迎える。

私も、彼女を「救いたい」と思う。

ミステリーではあるのだが、「泣いてしまう」一冊でもある。
ということで、この本のレビューは短めに終わるのである。(ネタバレになっていても、読む価値ありますよ)

アガサ・クリスティ「クリスマス・プディングの冒険」

ポアロもの4篇、マープルもの1篇の短編集。
収録は
ポアロものが
「クリスマス・プディングの冒険」「スペイン櫃の秘密」「負け犬」「二十四羽の黒つぐみ」
の4篇

マープルものが
「グリーンショウ氏の阿房宮」
の1篇である。

「クリスマス・プディングの冒険」は、東洋の国の王子のもとから持ち逃げされたルビーのあとをおって、ポアロがイギリスの田舎のレイシイ一家のもとでクリスマスを過ごしながら、ルビー泥棒からルビーを取り戻す話。
レイシイ一家には、レイシイ夫妻のほか、セアラという一人娘。セアラの恋人になっているリーウォートリィという男と彼の妹という女性(この女性は、手術後の具合が悪いということでポアロの前に最後にならないと現れない)
ダイアナ・ミドルトンというキツそうな女性、そして孫息子のコリンとその友人のマイケル。いとこのブリジッド(この娘は黒髪だ。金髪でないということは、クリスティが好意をもっている証拠だネ)が泊まっていて、この三人の子供たちが、ポアロを一杯ひっかけようとして殺人事件をでっちあげるといったハプニングをうまく利用して、ルビー泥棒を追っ払うストーリーである。

話は、クリスティらしく手馴れているが、この話の見せ所というか読ませ所の一つは、「イギリスの昔ながらのクリスマス」だろう。
カキのスープ、詰め物をした七面鳥料理、それから指輪だとか独身者用のボタン(これは何だかよくわからないが)をいれたプラム・プディングを皆で食べるシーン とか ヤドリギの下に立っている女性にはキスしていいという風習だとか、イギリスのクリスマス(それも昔風の)の情景は楽しい。

二作目の「スペイン櫃の秘密」では、長年、ワトソン役をやっていたヘイスティングスの後釜(ヘイスティングスは結婚して南米に行った設定になっていたかと思う)の秘書 ミス・レモンが姿を見せる。
起きる事件は、裕福な独身者 リッチ少佐の晩餐会に招待された5人のうちの一人で、大蔵省に勤めるアーノルド・クレイトンが翌日、リッチ少佐の居間のスペイン櫃(エリザベス朝期の大きな櫃)の中で、首に短剣を刺されて死んでいる状態で発見される。このクレイトンの妻(マーガリータ)とリッチ少佐が恋仲だというウワサから、リッチ少佐が、その夫を殺したのだと疑われるが、果たしてそうか・・・、といったことで事件にポアロが関わる、というストーリー。
マーガリータは、美人の金髪で、ちょっと無邪気な小悪魔という設定で、クリスティの筆は、やっぱり厳しい。ところが、こうした美人に、男は弱いもので、やはり、この事件も、この女性にずっと以前から想いをよせている一人の男が、この女性を手に入れようとして、あるいは頼りにされようとして起こす事件で、まあ、男ってのは、懲りないのである。

三作目の「負け犬」は、"塔の部屋"と呼ばれる書斎で金持ちの老人(ルーベン・アストウェル卿)が殴り殺されていた事件。この老人の甥と老人とが、その夜遅く言い争っていることを執事が耳にしていて、その甥が犯人と疑われる。しかし、「甥は無実。やったのは老人の秘書の(弱気な)トレファシス」と妙な直感で固く信じる老人の妻に頼まれ、ポアロが捜査に乗り出すもの。
途中、夫人の秘書のリリーが、ルーベン卿の旧悪(彼はお不利化の金鉱山を騙し取ったことがあるらしい)を調べるために、経歴を偽って雇われているらしいことや、短気で喧嘩っ早そうなルーベンの弟、ビクターが登場したりするが、犯人は、ポアロが、家人の聞き取りをしているときに、執事のパースンズに言う

「むしろ気性の一番穏やかな人物は誰か、と訊きたかったのですよ。」

という言葉が象徴している。

「気性の激しさは、それ自体、一種の安全弁となります。吠える犬は噛み付きません」
という謎解きの最後で言うポアロの言葉は、いろんな事件に共通しているように思う。

次の「二十四羽の黒つぐみ」は、毎週火曜日と木曜日にギャランド・エンデヴァというレストランに来ることを習慣にしていた老人(ヘンリ・ガスマイン)が、なぜか月曜日にやってきた、普段注文しないもの(キドニー・プディングや黒いいちご入りタルト)を食べて帰っていった。その日の夜、階段から落ちて死亡する、といった事件。
このレストランで友人と一緒に食事をしていたポアロが、その死に不審を抱いて事故ではなく、真犯人を探していくもの。この事件、ポアロは誰に頼まれて捜査を始めている。結構、おせっかいなオッサンではある。

事件のキーは「その人が死んで誰が一番得をしそうか」というオーソドックスなもの。遺産のありそうな金持ちの親戚が妙にタイムリーに登場するのは、クリスティの癖みたいなものか、それとも、イギリスには、こうした金持ちが隠れているのだろうか。

謎解きは別にして、印象的なフレーズを引用しよう。そのレストランのメイドのモリイとポアロの会話

「僕の好みをよく心得ているね、きみは」
と彼は言った。
「あら、ちょくちょくおいで下さいますから。お好みを存じ上げるぐらい当たり前です。」
エルキュール・ポアロがいった。
「すると人の好みはいつも同じなのかな。たまには変えたくはないものだろうか。」
「殿方はお変えになりませんです。ご婦人方は、変わったものを召し上がりますが、殿方はいつも同じものを召し上がります。」

そういえば、管理人も、昼飯とか、同じ店の定食を交代で食べていることが多いなーと思い当たる。男は食い物に保守的なんだろうか。

さて、四作目の「夢」は、ポアロが、ある金持ちに呼ばれ、毎日、ある決まった時間にピストルで自殺する夢を見る、なんとかしてほしい、頼まれるところから始まる。
その金持ちは、数日後、本当にその時間にピストルで自殺してしまうのだが、ポアロは、これが巧妙に偽装された他殺と見抜く。まあ、ポアロを証人に仕立てようとする「なりすまし」。
金持ちと付き合いなれているポアロが、すりかわった偽金持ちに会ったとき、どうも芝居がかっているとか、俗物根性のしみついたペテン師と思うあたり、金持ちは金持ちの臭いを発しているということかな。金持ちといえない管理人は、ちょっとスネたりするのである。

最後の「グリーンショウ氏の阿房宮」は、マープルもの。グリーンショウという昔の金持ちが建てたバカデカイ建造物が舞台。その孫娘(とはいっても、もう老婆なのだが)の殺人事件をマープルが解き明かすもの。

その老婆が矢をつきたてられて死にそうになっている場面を、マープルの知り合いが、館の2階から目撃するのだが、その目撃シーンそのものが、巧妙に証人を立てるためのトリックだとしたら・・・というもの。
殺人事件の犯人さがしは、「この殺人によって誰が得をするか」が常道だが、この場合は「この殺人によって誰が利益を失わないか」というところ。

謎解きとは関係ないが、話と途中でレイモンド(マープルの甥)がマープルを評して
「殺人を犯すやつがいる。殺人事件に巻き込まれる連中がいる。そのほかに殺人事件と見ると、とたんに出しゃばってくる人物がいる。僕の伯母のジェーン(・マープル)はこの第三の類型に属してましてね」というあたり、マープルに限らず、名探偵全てを評しているようでおかしい。

アガサ・クリスティ「メソポタミアの殺人」

事件の舞台はメソポタミア。今のイラクかな。アッシリアとかの発掘作業をしている作業チームの宿舎が現場になる。

話は、看護婦である エイミー・レザラン が遺跡調査をしている考古学者 エリック・レイドナー から妻の ルイズ の付き添いをしてもらいたいと申し出られるところからはじまる。

このルイズという女性、何かの「恐怖症」にかかっていて、神経衰弱になっているというのだ。
遺跡発掘を行っている町に着き、ルイズが恐れている原因を聞くと、彼女は既に(第1次世界大戦中に)死んだはずの前夫からの脅迫状に怯えている。(この前夫っていうのをドイツのスパイだとルイズが告発したのが死んだ一因のよう)この脅迫状は、彼女が誰か別の男性と結婚しようとすると、きまって舞い込んでくる。レイドナー博士と結婚するときは、こなかったので安心していたら、結婚して数月したらやってきた。
この発掘現場にも脅迫状が届くようになり、おまけに時折、仮面のような顔が窓から覗く時がある。
この脅迫状が段々エスカレートしてきて、ついには「殺す」といった文面になった、とのことである。

この脅迫者は、、本当に前夫なのか、彼は生きているのか、あるいは他の者が、ルイズに恨みを抱いているのか・・・と、脅迫状の犯人探しをしているうちに殺人事件がおこる。

殺されるのは

ルイズ

である。

彼女は、部屋で石臼で撲殺される。しかし、部屋に鍵かかかっているし、発掘チームの面々にはアリバイがある。
この事件に偶然、バクダッドに旅行にきていたポアロが、この殺人事件の捜査を頼まれることになる。
ポアロが「殺人は癖になりますから、要注意ですな」なんてノンキなことを言っているうちに第二の殺人事件がおこる。

今度は、レイドナー博士の長年の助手をしている アン・ジョンソン

彼女は、酸を飲まされ、気管や食道を焼けただらせて殺されてしまう。彼女が死ぬ間際に言い残す言葉 「窓」 は一体何を意味するのか、犯人はルイズの前夫なのか・・・

といったことを軸にしてポアロの推理が展開していくのだが、オチは、クリスティのミステリーによくあるように、「犯人は身近にいる」ということと「犯人に見えない奴が犯人」言い換えれば「善人が実は犯人」、もう一つ言えば、「美しいものは独占したくなるよねー。でも美人って浮気だよね」といったところ。(これ以上は、下手なネタバラシになるので、このあたりでやめとこう)
<br>
この「メソポタミアの殺人」も一種の密室ものである。一体に、犯人の候補者が次から次へと増えていくのは、ちょっとアンフェアでしょ、と感じることが多いのだが、シチュエーションから犯人の候補を発掘隊のメンバーに限っていくように筋立てをもっていくあたり、やはりクリスティの筆運びのうまさだろう。安心して、ポアロの謎解きが進んでいくに身を任せていればいい。


筋立てとは関係ないのだが、この「メソポタミアの殺人」にも、クリスティのミステリーによく登場する、男性に人気があって、ちょっと小悪魔的なくせいに無邪気な、金髪に美人が登場する。そして、いつものように彼女に対するクリスティの扱いというか仕打ちは、非常に冷たくて。案の定、殺人の被害者とされてしまう。どうも、小説の形を借りて、こうした美人たちに合法的な復讐をしているように思えるのだが、どうだろうか・・・

北村 薫「夜の蝉」(創元推理文庫)

女子大学生の「私」と「円紫師匠」のお話の2冊目。
収録は、「朧夜の底」「六月の花嫁」「夜の蝉」の三作。

「朧夜の底」の舞台は3月。「私」の友人の高岡正子(「正ちゃん」だ)がバイトしている神田の大きな書店の国文学のコーナーで、7、8冊の本の向きが逆に並べてあるのにでくわす。
途中に、「私」が、ちょっといいな、と思う男子学生を正ちゃんの企みで、妙に変な名前で呼び続けていたといったエピソードや「私」の姉と正ちゃんと江美ちゃんが偶然出くわし、姉がとんでもない美人であることに驚愕されたりといったエピソードをはさむが、謎の中心は、その後二度も、その書店の国文のコーナーで1列、本の上下が逆さまにされていたり、箱と中身が入れ替えられている(おまけにスリップまでも)ところに出くわすことである。

話のリードは、落語の落ちの一つ「仕込みオチ」
枕の方で、オチの伏線になる説明をそれとなくしておいて、オチを訊いた途端「なるほど」と思わせるものである。この本屋のいたずらも、何か目的が秘められた「仕込み」が隠されているようだ。最後の方の円紫師匠の謎解きで、その「仕込み」は、どうも知識は自分の前にはタダで提供されるものだ、という傲慢な自尊心が隠されていることが明らかになるのである。

「花盗人」もやはり「泥棒」には違いない。

次の「六月の花嫁」は、1年半前、友人の江美ちゃんと同じサークルの先輩たち、江美ちゃんの同級生(「峰ゆかり」という名のいかにもお嬢様といった娘。ただ、この話の主役ではない)が、別荘の水を停めるという名目で、小旅行をしたときの話である。
お昼に別荘の二階で「江美ちゃん」と先輩の「吉村さん」がチェスをした後、夕食後、再度チェスをしようとすると白のクィーンが消えている。ところが、それが冷蔵庫の中から見つかる、と思ったら、今度は卵が消える。そして卵が風呂の脱衣場でみつかると、今度は鏡がない、といた順々めぐりの消失事件がおきて、なんのことだか、寝る前に江美ちゃんが、こっそり私に謝る、といった面妖なもの。
この面妖な謎を、円紫師匠が解くのだが、まあ、タネを明かせば、他愛のない、江美ちゃんが結婚に至るまでのラブストーリーを垣間見るお話。

最後の「夜の蝉」は、「私」と「私の姉」の姉妹の縁固めの話。
「私」のお姉さんは、どうも座っているだけで人目をひく、あるいは、街を歩いていては、振り向く人が必ず出るぐらいの美人らしい。(私は伊東美咲さんを思い浮かべて読みました。皆さんもお好みにあわせてどうぞ。ちなみに、「私」のイメージは石原さとみさんに設定しています)
その「姉」が本気でつきあっていた会社の男性との仲が新入社員の女の子の登場でうまくいかなくなった事件ー「姉」が会社の封筒を使って、その彼氏に、接待の余りもので頂いた歌舞伎の券を送るが、なんと、当日その席には彼氏ではなく、件の新入社員が座っている。新入社員のところへは彼氏の名前で券が送られてきており、「姉」がタチの悪い悪戯をしたと思われ、彼氏との仲は冷めてしまうーの真相を探っていくところから始まり、失意の「姉」と旅行にでかけ、姉妹のつながりを再認識する、というお話。
「姉」と彼氏ををめぐる一連の事件は、友人といっても恋愛ごとになると信用できないよ、といったことと可愛い子ぶりっこしている娘の怖さ、底意地の悪さ、といったところがキーになるのだが、この話の主眼は「私」と「姉」が姉妹になっていった時の話、いいかえれば「姉」が「姉」になった時の思い出話だろう。
「姉妹」になっていった、といっても実の姉妹だから、血統や籍の話ではなく、意識としていつ、なぜ「姉」は「姉」になっていったのか、ということ。

よく考えれば、「妹」や「弟」は生れ落ちたところから「妹」や「弟」であることが大半なのだが、「姉」や「兄」はそうではない。生まれてから1年以上経った後に、はじめて(これは本人が希望するかどうかにかかわらず)「姉」や「兄」にされてしまう。
その「されてしまう」状態を受け入れ、「姉」や「兄」になっていく、「妹」や「弟」を保護してやる存在として認識していく、納得していく過程の話には、長男で「兄」である私も、うーむとうなってしまう。きっと「妹」や「弟」である人にはわからないだろうなー、と「私」の「姉」に妙な親近感をもってしまう。

たしかに「おねえちゃん」あるいは「おにいちゃん」と弟妹から呼ばれる時、なにかしら責任感もセットで感じてしまうなーと実感してしまうのである。

2006年3月12日日曜日

ハンバーグと白菜のオイスターソース煮

奥さんが新しい料理に挑戦した。ハンバーグと白菜をオイスターソースで煮たもの。
ハンバーグは、うちの奥さんの得意料理で、子供たちの評判も、(今時の子供らしく)良いのだが、これについては
 娘 ・・・(無言)
 息子 ビミョー
ということでした。私の感想ですか・・・? マズくはないんですが・・・・・・・・

ほかは、「サンマの開き」と「厚揚げのきのこ餡かけ」
こちらは、落ち着いた、というか、こなれたというか、安心した味でした。



KDEでofficeを使う

KDEの環境で、OpenOfficeOrgを使おうと起動したら、フォントのところが空欄になっていて、日本語の表記をしてくれない。
うーん、どうなったんだー、と調べると、どうもKDEの環境では、OpenOfficeがそのままでは使えないらしい。使うためには面倒な設定が必要らしく手に負えない。他に何か方法はないのか、さらに調べると、KDE用のOffice 「koffice」というのがあるようだ。おまけにaptでインストールできそうだ。
早速
# apt-get install koffice
でインストール。
Kメニューの「オフィス」のところにKWord(ワードプロセッサ)とかKSpread(表計算)やKPresenter(スライドプレゼンテーション)とかオフィスらしいソフトが使えるようになっているではないですか・・・
ちょっと感激

鳥取県鳥取市 グラッチェ 「トマトとにんにくのスパゲティ、マルガリータ」

今日のお昼は、外で食べる。で、やはりスパゲティ、ピザ。私の食べたのは、オーソドックスに「トマトとにんにくのスパゲティ」。トマトの酸味が利いている。にんにくの香りも食欲をそそりますねー。


子供たちも、オーソドックスに、というかいつもと同じワンパターンに、「ミートソーススパ Lサイズ」


で、最後。うちの奥さんは、ときどきチャレンジャーに変身するのだが、「ピザの王道。これなくして「ピザ」は語れません。ピザの基本中の基本。」とお品書きにある「マルガリータ」を注文。
お、来た、来た。トマトソースとモッツァレッラチーズが使ってある、とあるな。
うちの奥さん、しばらく賞味。

半分ほど食べたところで、みんなを見て。「残りはみんな食べてください。」「どうしたの?」「飽きた・・・」
はぁー、ってことで、みんなで分けたのだが。
うーむ。これを一人で食べると・・・・飽きるな、確かに・・・。なにせ、トマトとチーズのアジだけだからなー。
ということで、「王道」「基本中の基本」という言葉の意味を噛みしめたのでした

北村 薫「空飛ぶ馬」(創元推理文庫)

落語家の円紫師匠と、ヒロインの女子大生の「私」が様々な事件に会い、解決していく過程の中で「私」が成長していく姿も見せていくシリーズの第1作。

この「空飛ぶ馬」でじゃ大学の1年生の頃、円紫師匠と出会うところから始まる。

収録は、「織部の霊」「砂糖合戦」「胡桃の中の小鳥」「赤頭巾」「空飛ぶ馬」の五篇。

まず、「織部の霊」

このシリーズの初作であろう。主人公と円紫(正式には"春桜亭円紫"という。)が出会う話。出会うといってもロマンチィックなものではない。「私」の恩師と一緒に大学の雑誌の「卒業生と語る」のシリーズ対談の聞き手になる、というもの。ありそうで、あまりない出会いなのだが、これをきっかけに円紫師匠をホームズ役にして「私」のまわりでおきる謎(それは大きな事件であったり、ささいな不思議であったりするのだが)をという解いていく、という連作シリーズが始まるのである。

このシリーズの特徴として、それぞれの話に、落語とか文学の話、歴史上の出来事などが、散りばめられ、それが話の味を深くするとともに、謎を解くヒントともなっているのだが、「織部の霊」では、「私」の恩師の子供の頃、叔父の家に泊まると怖い夢ー割腹して座っている烏帽子と素襖姿の男ーを見るが、その男が、叔父が秘蔵していて、子供の目にふれるはずのない巻物に描かれている古田織部正にそっくりであった。「織部正」の名すら知らない小学生が、なぜその姿を見、しかも腹を切った(切らされた)ことを知っていたのかという謎である。
恩師の叔父のことを語るゆったりとした語り口と、謎解きをする円紫師匠の穏やかな口調がのどやかで、ゆったりと謎解きを楽しませてくれる。

「砂糖合戦」は7月末、「私」が円紫師匠と入った喫茶店での事件。キーになるのはシェイクスピアのマクベス。マクベスでも本当の主人公ではなくて、三人の魔女のほう。
「私」の近くに陣取っていた二十歳前後の女の子三人が、紅茶に競って砂糖をいれている。一人でスプーンに7、8杯ぐらいいれただろうか。そしてあまりうまくなさそうに紅茶を飲んでいるが、何故・・・といった話。
意趣返し、特に女の子がかくれてやる復讐は、ちょっと暗いなー、という印象。若い女の子を叱る時は注意、注意・・・。そういえば、職場のお茶くみという言葉が、まだ死後でない頃、気に入らない上司のお茶には、ゴミを混ぜてやる、といったいやがらせを聞いたようことがあるような、ないような・・・

三作目の「胡桃の中の小鳥」は、8月。同級生の「正ちゃん」(この娘は正月生まれの「しょう」ちゃん、という設定)と江美ちゃん(この娘は、2番目の本の時に学生結婚しちゃうんだよね)との東北へのドライブ旅行中の事件。
蔵王の駐車場で、「私」たちの乗った車からシートカバーがそっくり盗られてしまう。このカバー、市販品のよくあるもので高価ではないし、シートカバー以外のものは、そっくり車内に残されている。誰が、何の目的でそんなことを・・・といったもの。
物語の中で語られる話は、落語の「百人坊主」(「大山詣り」(「おおやま」ですよ。「だいせん」ではないですよ。)ともいう。大山まいりの途中で宿で暴れて、罰として丸坊主にされた「熊さん」が、仕返しに長屋のおかみさんたちを騙して坊主頭にしてしまう話)。この坊主頭を後ろから見たら、誰の頭かわからない、といったところが、シートカバー泥棒の目的のよう。
事件の真相は、「捨て子」なのだが、殺しがないので、救われる。

四作目は「赤頭巾」。10月のお話である。「私」の近くの公園では、日曜の夜の9時きっかりに、公園のキリンの前に必ず赤いものを身につけた女の子が立つ。時間にしたら30秒そこそこぐらい立ち尽くして、あとは溶けたみたいに消えてしまう、という怪談めいた話。
話の中の話は、表題どおり、「赤頭巾」。赤頭巾とオオカミは女と男の隠喩という説がある。オオカミは、なぜ森で最初に出会ったときに、赤頭巾を食べてしまわなかったのか、というのもちょっと不思議。
謎解きのヒントは、「赤頭巾は三人いる」という円紫師匠の言葉。この話、「私」が幼い頃から憧れていたような風情のある女性が登場するのだが、謎解き前と後では、この女性へのこちらの印象ががらっと変わってしまうのが恐ろしい。
「不倫」は今では、ちょっとありきたりの話になってしまっているが、子供をダシにしちゃいけない。ちょっと読み口が苦いな。

最後の「空飛ぶ馬」は12月。クリスマス前後のお話。
近くの幼稚園に木馬(木でできた馬じゃなくて、百円いれたら前後上下に動くあれのこわれたもの)が、地元の商店からプレゼントされたのだが、その木馬が、クリスマス会の真夜中には姿を消していて、朝になると戻ってきていた、というもの。話の中の話は「三味線栗毛」。酒井雅楽守の三男が家を継ぐまでの苦労のお話。
木馬の送り主の「かど屋」の若主人は、結婚が遅れていて、やっと相手が見つかったようなのだが、恋のためには、木馬も空を飛ばせます、といったところか。
前の「赤頭巾」の後だけに、読み口は温かい。円紫師匠が最後の方でつぶやく「-どうです。人間というのも捨てたものじゃないでしょう」という言葉が、ほんのりと滲みるようだ。

この本は、北村薫のデビュー作らしいのだが、達者なストーリーは流石である。「私」と「円紫師匠」の穏やかなおしゃべりに誘われて、うかうかと最後まで、読ませられてしまう名品である。

2006年3月11日土曜日

新潟加島屋 いくらの醤油漬け

これは頂き物なのだが、正直、旨い!!!!!
いくらの醤油漬けは、醤油辛くなったり、生臭みが抜けなかったり、というのが多いのだが、これは薄味でダシの味がしっかりしていて、おまけに生臭くないのある。
熱い飯の上に豪快に載せて、かっこんでもよし。スプーンで少しずつすくって、酒の肴にチビチビやってもよし、である。


カレーライス、イワシの煮付け

今夜は、娘の部活の定期演奏会があるので、変則的に2回食べた。
まず、出かける前の腹ごしらえでカレーライス。


演奏会が終わってから、イワシの煮付けで晩酌。


演奏会が終わってから、イワシの煮付けで晩酌。
娘に演奏会の感想を聞かれたので、「とってもよかった。おまけに後半部分では、弟の○○は、レースで1着を3度とったし、お父さんは、二つほど小さな事件を解決した。」と述べた。
娘の目が・・・。
実は、息子が退屈したので、後半部分をエスケープ。ロビーで息子はニンテンドーDS、私はミステリーを読んでいたのであった。

ラーメン

今日のお昼はラーメン。
ちょっと昔風に、しょうゆ味で、おまけにナルトをのせてみた。


konquerorでSAMBAにアクセス

さて、KDEのインストールが済んだところで、konquerorでアクセスする。
konquerorは「Kメニュー」の「インターネット」のメニューの中から選択してクリック。
起動したら、「場所」のところに
smb://(サーバやNASのIPアドレス)
を入力してenter
やったー!!、sambaのディレクトリが表示されましたー。
次は、WebDAVだ・・・・・・。

GNOMEからKDEへ変更

KDEにウィンドウマネージャーを変更してみると、これがなかなか良いではないか。
Windowsのデスクトップに似た感じなので、ばりばりのLinux使いは好みではないかもしれないが、「普段は当然Windows」の普通のPC使いの私としては、こっちの方がよい。
ということで、ウィンドウマネージャーをデフォルトでKDEが立ち上げる設定にした。
最初にログインする画面の「システムの設定」のところで、KDEを通常使うウィンドウマネージャーに指定すればOK

KDEのインストール

家庭内モバイル利用しているIBM機(Vine LInux)からサーバ機やNASのSAMBAやWebDAVにアクセスしたいのだが、FTPレベルでしか成功しない。
なんとか、Windowsでアクセスする時みたくGUIベースでアクセスしたくて、いろいろ調べた。
どうやら、KDEというウィンドウマネージャーを使って、そのKonquerorというブラウザを使えばなんとかなりそうだ。
Vine Linuxには最初からインストールされていないので、別途、インストールが必要。
まず/etc/apt/sources.listを修正
# (kddlabs mirror)の rpm のところの#を削除して保存。
その後、パッケージ情報の更新
# apt-get update
こうするとKDEのパッケージ類が読み込みできるようになるらしい。RPMパッケージからやってもいいらしいが、何をインストールすればいいのか暗闇状態なので、aptを使う。
# apt-get install task-kde
無事、インストール成功。
次は、Xーウィンドウを切替え
$ setwm kde
とやると
OK, restart X to move to kde
と表示される。
そこで
$ startX
とやると・・・・・・・・・KDEが起動したー!



ぎょうざ、カレイの煮付け

エントリーは3月11日なのだが、残業で午前様になったため。気分的には3月10日の晩御飯。
今日は、もう寝ます。


2006年3月9日木曜日

豚バラと白菜鍋、アジとカレイの刺身

我が家の鍋の定番になりつつある「豚バラと白菜鍋」。今日は、ちょっと遅くなったので、かなり消費された後の鍋。けっこう煮詰まっているが、味が沁みていて、それなりに煮詰まっても美味しい。


刺身は「アジ、カレイの子まぶり」。意外にアジに脂がのっていて美味しい。
あとは、昨日の焼きサバの残りをタマネギと一緒に煮付けたものと、ファミマのおでん、再び。
(昨日は息子が食べられなかったとダダをこねたので、今日、再び購入したらしい。甘ーいっ!!)



データ移動は何使う

▼2006年3月7日 14:40付の記事

インターネットコム株式会社と goo リサーチが行った、USB フラッシュメモリに関するユーザー調査によると、 USB フラッシュメモリを「使ったことがある」ユーザーは全体の7割弱、フロッピーディスクの現利用者は3割弱となった。
調査対象は10代~60代のインターネットユーザー1,094人。年齢層は10代2.74%、20代21.94%、30代42.23%、40代22.94%、50代8.32%、60代1.83%。男女別構成比は男性44.42%、女性55.58%。
全体1,094人のうち、 USB フラッシュメモリを「知っている」ユーザーは80.26%(878人)で、「知らない」ユーザー19.74%(216人)を引き離す。
 (中 略)
ちなみにフロッピーディスクを「現在利用している」ユーザーは29.25%。65.17%は「現在は利用していない」と回答した。なお、「利用したことがない」は5.58%。


フロッピィディスクよ、お前も時代の波には勝てなかったか・・・、といったことか。
私がPCに触り始めた頃(Windowsなんてなかった頃ですよ。DosとかBasicとかCobolといったフレーズが現役だった頃です)は、まだ5インチのフロッピィがデータの持ち運びの主流で(今みたいにハードなつくりでなくて、ふにゃふにゃのソフトなものだった)、データだけでなく、ソフトもそれをいれて使うのがほとんどだったように記憶している。
SFなんかも、これが最新機器で登場する場面があったような。
それから、随分年月が経って・・・、やはり、こういうことになりましたか。
そういえば、ウルトラFDDなんてものもあったが、そんな際物だけじゃなく、FDDそのものを見なくなっている。(見るのは、結構、年配の方々が使っている場面が多いのは気のせいか・・)
ちなみに、私は、フラッシュメモリではなくて、2.5インチのHDDを持ち歩いてます。
そんなに持ち歩くデータがあるのか、という疑問はあるのだが、まあ、精神安定剤代わりかな。

2006年3月8日水曜日

焼きサバ、豚肉しょうが焼き

魚は「焼きサバ」。サバ1本を塩などもせず焼いただけのもの。これを生姜醤油で食べる。サバの脂はほどほどに抜けていて、どんどん食べられる。小さなサバだと1本は一人でいける。
私の子供の頃は、サバがもっと大きかったような気がするのは気のせいか・・・・
「豚肉のしょうが焼き」は我が家のお助けメニュー。まあ、飽きないからよしとするか。


これはおまけ。ファミマのおでん。



ニュースソースは何だ?

インターネットコム株式会社と株式会社クロス・マーケティングが行った、ニュースに関するユーザー調査によると、

全体300人のうち、もっともよく利用するニュースに使うメディアに「インターネット」をあげるユーザーは28.7%(86人)。もっとも多かった「テレビ」の44.0%(132人)に次いで多いという結果となった。3位は「新聞」で20.3%(61人)。
インターネットやテレビなど、無料で利用できるメディアに人気が集まっているが、そのメディアを利用している理由に「無料、あるいは安価で情報が得られる」をあげたユーザーはわずか4.0%(12人)。メディアを選んだ理由には「生活習慣に適している」が38.0%(113人)、「読みやすい・見やすい・聞きやすい」が20.2%(60人)と、利用のしやすさを重視する意見が多かった。「情報が豊富」を選んだユーザーは20.5%(61人)と、情報量を求める声も無視はできない。

という記事を読んだ。
自分にふりかえって、・・・確かに・・・と思う。
新聞はとってはいるが地方紙で、主に全国のネットとかにのらない地方限定のニュースを知るためにとっているようなもの。
地方版をチェックするぐらいの利用度だ。。
ニュースの主情報源は、やはりインターネットで、全国紙のネットはみるが、紙版はめったに読まない。リアルタイムに情報が発信されることもあるし、ニュース解説も、書きぶりが、紙とネットでは違う、ということもある。
ということはだ。
紙による情報を得ている人と、ネットで情報を得ている人では、情報格差というより以前に、手にする情報自体が異なっている、ということもあるのでは、ないのだろうか、という思いにかられた。
ニュースをはじめとする「情報」は、生のデータとしては意味をなさないことが多くて、普通、そのデータを読み取る付加的なもの、解説とか論評とかを含めて理解している。
ということは、その付加的なものの違いが、考えや行動の違いを生んでくるとはいえないだろうか、などと世代間ギャップについて思うのである。

2006年3月5日日曜日

ぶたしゃぶ、ホウレン草のオムレツ、うなぎ蒲焼

「ぶたしゃぶ」は、しゃぶしゃぶの肉を豚肉の薄切りで。タレはゴマだれ。牛乳をまぜて、伸ばしてタレをマイルドにすることもあるのだが、豚肉の場合は、ちょっとあっさりしすぎるので今日はやらない。

ホウレン草があまり気味だったので、オムレツにしたと奥さんの弁。おひたし程度では消費量も限られるし、子供たちは食べないので、ホウレン草を食べさせる手段。
うなぎは、スーパーで買った養殖もの。
養殖の悪口は多々あるが、昔は、ほとんど口にできなかった食材が手軽に手に入るようにした功績は大ではないか。「スローフード」や地物、天然物を持ち上げる思想性はわかるが、こうした養殖物によって提供される食材の種類の豊富さを抜きにして、一般庶民の食事は語れない時代になっているように思う。






アガサ・クリスティ「ビッグ4」

ポアロものには珍しく、冒険アクションっぽいストーリーである。


発端は、ポアロの古くからの友人で、ホームズものでいうワトソン役をつとめるヘイスティングスが、南米から帰ってくるところから始まる。
彼がポアロのもとを訪ねた時に、泥まみれで憔悴しきった男が訪ねてくる。男は不意に「ビッグ4」のことを喋り始め、そのまま昏倒する。その男が、ポアロの留守中に、何ものかに毒殺される。しかもさるぐつわをはめられたままで・・

といったところから物語は始まる。

"ビッグ4"というのは、

ナンバー・ワンはリー・チャン・チェンという名の中国人で、中国の実質の支配者
ナンバー・ツーはアメリカ人で、金力の象徴
ナンバー・スリーは、女性でフランス人。花柳界の妖婦という評判。
ナンバー・フォーは、実態がわからない。ただ「破壊者」と呼ばれている。

といった設定で、どうも、この"ビッグ4"が世界の支配を企んでおり、ポアロのところを訪ねた男は、その魔の手から逃れてきた男らしい。


この後、

ビッグ4に追われているホェイリィという老人が殺されたり、

科学者のハリディが誘拐されて、その救出の過程で、ビッグ4のナンバー・ツーが、実はフランスの有名な女性物理学者であることが判明したり、

ナンバー・フォーの昔の妻だったと名乗る女が殺されるが、彼女の洩らすナンバーフォーの癖が、最後まで重要なキーであったり、

はたまた、ポアロのアパートにマッチ箱にしかけられた爆弾が爆発し、ポアロがあわや死んだのでは、と思わせるような展開があったり、

そして最後に、ポアロがビッグ4のたてこもるイタリアの城に潜入し、敵の野望を打ち砕くが、そのために、ナンバーツーを寝返らせるため、ポアロのとった手は・・・・。

といった展開なのだが、なんとも最後まで違和感がつきまとった。

どうも、私の頭の中で、灰色の脳細胞をもつ、ずんぐりとした小男と、この話で展開される冒険アクションとが、うまく結びつかないせいらしい。


いつもの「ポアロもの」と思って読むと、ちょっとアテがはずれる。

「ポアロ外伝」あるいは「ポアロ異聞」くらいのつもりで読んだほうがよい。

古今亭 志ん生 「なめくじ艦隊」

もともとは旧幕の槍の指南晩の家で三千石の知行をとっていた家で、父親も警察官をしていた家に生まれたのだが、道楽が過ぎて落語家(「咄家」というほうがぴったりくるか)になってしまった昭和の名人といわれた古今亭志ん生の半生記の自伝である。
 
本書の由来は、志ん生が、とんでもなく貧乏だったころ、本所の業平町の貧乏長屋(なんと家賃がタダの長屋だ)に住んでいたのだが、無料だけあって、ジメジメと湿気が多い。尼が降ると、たちまちあたり一面泥の海になってしまうようなところで、ナマクジが、夜となく昼となく大量に這い回っている。
そうしたナメクジの多い長屋の風景を、徳川夢声が、日本海軍の大艦隊になぞらえて「なめくじ長屋」と称したのを拝借したもの。
 
 
道楽者で酒が好き。おまけに咄家といういろんなエピソードにあふれた世界に生きてきただけあって語られるエピソードも破天荒なものが多い。
 
 
いくつか引用すると
 
 ライスカレーを食ったために給金を下げられた前座がいた。というのも、その頃(大正のころか?)は、よっぽど金持ちか偉い人でないかぎり、西洋料理なんて食えるものではないと諦めていた。「ライスカレーなんて大変なもの」だったから、前座の分際で食うなんて、とんでもない、ということで給金を下げられたらしい。
(当時、前座の給金が15銭ぐらいで、ライスカレの値段が8銭ぐらいしたようだから、今の時代でいうと8万から10万円ぐらいの料理か)
 
といった時代を感じさせる話とか
 
 旅のドサ回りの途中で、お金がないまま宿屋に泊まり、翌朝金がないのがわかったところ、宿屋荒らしと間違えられて留置場行き。そこで地元のヤクザの大親分と仲良くなって、その大親分の差し入れをご馳走になりながら、噺を毎日聞かせていた
 
とか
 
 戦時中、大辻司郎の紹介で、ビールを料理屋でこっそり飲み、帰りの土産に、大きな土瓶にビールを入れてもらったはいいけれど、途中で空襲警報。
「爆弾が落ちて死んだら。これ(土瓶に入ったビール)がもったいない」と地面に座って飲み始めたはいいが、すっかり酔ってしまい、そのまま寝入ってしまった。翌日、土瓶を下げて家に帰ったが、
 
「はげしい大空襲の下で飲んだ時のビールの味なんてものは、忘れられるものじゃやありませんナ」
 
 
といった話を、ちょっと伝法な江戸っ子らしい語り口そのままに読んでいると、まるで高座から志ん生の噺を聞いているような心持がしてくる。
 
 
また落語会というか、噺家の世界のこぼれ話のようなものも、また面白い。
 
例えば「噺家の階級の噺」
 
噺家になると、まず最初は「見習い」。着物だとかはかまのたたみ方。お茶の出し方というようなことをならって噺家の雰囲気てえものを知る。それから「前座」「二つ目」となっていき、二つ目でも古くなって、どこへ出してもお客さんをまんぞくさせるようになってはじめて「真打ち」になる。二つ目のうちは、どんなに年をくっても「兄さん」と呼ばれ「師匠」とはけして呼ばれない。
 
とか
 
三味線が入って高座に上がるのは、関東大震災以後で、それまでは太鼓(「かたしゃぎり」といったらしい)だけで、スッと高座に上がった
 
とか
 
真打になると車(人力車)にのらないといけない。寄席の脇には、みんなの乗ってきた車がズラーッと並んでいて、高座をつとめると、自分の車の待っているところに行って、腕組みをしてツーッと乗る、といった格好の良いところをみせるのだが、実は、真打成り立ての頃は、車屋に払う金にも事欠くのが実態
 
 
などなどの噺が続く。
 
とはいっても、馬鹿馬鹿しい話ばかりではない。
そこは厳しい修行もし、貧乏暮らしも長く、戦中・戦後の大動乱を生き抜いてきただけあって
 
 ほんとうに芸を一身にぶちこんでやれば、眼のある人はきっと見てくれます。そういうことが一つのきっかけとなって、しだいしだいにあたしの芸というものが人々からみとめられ、地位もどうにかなってきたんですよ。
 だから、人間てえものは、無駄なときばかり骨を折ったってだめですナ。何かそういうチャンスがきたときに、それをガッチリとつかまえて奮闘することですよ。けれども、ただ奮闘するといっても、はなに自分がそれだけのものを仕入れていかねえことにゃダメなんで、ネタのない手品は使えないわけですからね。ただ気分だけじゃどうにもならぬ。
 
 
 皮肉な世の中のウラをしゃべろうというのには、どうしても、あらゆることを経験しなければダメなんですね。・・・
 噺家として世の中の人が十分認めるてえのは、ある程度年齢がこないとダメだというのは、つまりそこなんじゃないんですかナ。
 
 
 あんまり早くから売り出すてえと、きっと早くくたびれちまうんですナ。みんな若い時分には威勢がよくて、はなばなしいが、年とってくるとじみになって、ガタンと落ちてくるもんですからね。
 年とってから人気があって、どうにかつとめたというのは、故人になった小勝つぁんぐらいなもんですよ。あんまりいませんね。たいていはいつとはなしに、ローソクの火みたいに消えてしまうんですナ。
 
といった話は、心にトンとくる。
 
 
そして
最後にもう一つ引用して、このレビューを終わろう。
 
 むかしの噺てえものは欲でこさえたものじゃなく、こういうおつな噺があるってんで自然にできあがったものなのに、いまの噺ってえものは、何でもいいから客を笑わせるつもりで、でっち上げるもんだから、鼻持ちならんようなものも出てくる。
 つまりチャチなくすぐりが多くなって、自然のおもしろみやおかしみじゃなくて、とってつけたようなおかしみになってくる。

 
ブログ書きとして自戒すべき言葉である。

2006年3月4日土曜日

カレイの子まぶり、イワシの刺身、サンマの開き

今日は久々に和食系が強い。
刺身はカレイにカレイの卵をまぶしたものとイワシ。
イワシには生姜のおろしたものをまぶして臭みを消してある。
とろりと脂がのっていて美味。海に近いところに住んでいることを感謝。
焼き物は、サンマの開き。薄塩で干してあり、小骨もポリポリ食べられる。
たまに和食を食べると日本人の遺伝子の組み込まれた「魚」の影響力の大きさを実感。
まあ、本来、肉食であった猫を魚好きにしてしまった国だものな。

魚だけでは、ちと寂しいので、焼き肉を少し。白菜の千切りの上に乗せてサラダ風に。



2006年3月3日金曜日

カレイの煮付け、モツ焼き、エビワンタンスープ

カレイの煮付けは、頭と尻尾の半身に分けて煮付けたもの。山陰の冬の食卓、というか我が家の冬の食卓には、よくのぼる。頭のほうだと大きな卵が入っているのだが、こちらは尻尾の方なので、卵は少し。
私は、魚の食べかたが非常に下手で、魚肉をあちこち残してしまうので、子供にも食べやすい尻尾の方が出されることが多い。
隣は、鶉卵いりのさつま揚げを野菜と煮たもの。

こちらは、モツを焼肉のタレにからめて焼いただけのモツ焼き。うちの奥さんは、モツの臭いが苦手なのだが、娘と私は、モツ好き。頼み込んで焼いてもらう。
いろんな部位が混ざっていて、ハツからパイプ腸までいろいろ。パイプ腸をつい食べ過ぎて、毎度、あの脂が着実に贅肉になっていくことを後悔するが、次に食べるときには忘れている。
モツ焼きに関しては、鶏の脳みそと同じレベルの記憶容量。
そういえば、檀 一雄のエッセイに、彼が家出したときに転がり込んでいたうちは貧乏だったが、その当時(戦後まもない頃)は人があまり食べないモツを盛大に食べていたので、一家は丸々としていて元気だった、といったような一節があったようなことを思い出す。


汁物は、最近良く出る「エビワンタンスープ」。ハウスのCookDOの新製品らしい。ハウスのCookDoが市場に出始めてから家庭の中華料理レベルは格段に進歩したと思うのだが、どうだろうか。


駅弁 鳥取牛弁当

老父の入院に付き添っている母親が差し入れをいただいたもの。孫娘がありがたく代わりに頂戴した。
近年でたお弁当。ときおり食べるのだが、味付けはくどくなく、美味しい。ただ、一緒に入っているささがきゴボウの唐辛子がちょっと辛い。
ご飯を一杯食べた後で、しっかり平らげていた。若者の食欲は凄い・・・