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2013年7月30日火曜日

「おべんとうの時間」

飛行機で移動する時、離発着の一定時間はでデジタル機器の使用が禁止されるので、KindleやiPadなどで書類や自炊本、電子書籍を読んでいる身としては、何も読むものがない、という事態に出くわす。そんなとき否応無しに手に取るのが機内誌で、ANA機に乗り合わせた場合、個人的に一番好みの記事は「おべんとうの時間」(ちなみに、2013の7月号は鶴岡市立加茂水族館の副館長の奥泉さん)

記事の構成はまあ簡単といえば簡単で、全国各地の人が自分のお弁当を公開して、お弁当について語る、というものなのだが、どうしてどうして、これがまた深い味わい。

親や妻への感謝あり、不遇時代の思いであり、新婚時代のノロケありといった具合で、個人個人の今昔の「弁当の思い出」が語られるのだが、なんとも泣かせるものあり、微笑ましくなるものありで、今のところ機内誌の記事で一番のお気に入りである。薬味ばっかり食う感じがして、これをまとめた本を買うのは躊躇していたのだが、いっそ買ってしまうかな、と思うこのごろなのである。

2013年6月9日日曜日

グルメを裏からみるとこうなるか・・・ 菅野彰×立花実枝子 「あなたの町の生きてるか死んでるかわからない店探訪します」(新書館 ウィング文庫)

それぞれのジャンルに、裏筋からそのジャンルを扱ったり、頭からなぎ倒したり、といったトンでも本は存在するもので、例えば、旅行記で言えばゲッツ板谷の「怪人紀行」シリーズ 、思想書ぽいジャンルでは、坂口 の「独立国家の作り方」といったところを思いつくのだが、この「あなたの町の・・・」も間違いなく、グルメ本のジャンルのトンでも本に間違いない。

なにせ、どの町にもあるであろう、廃墟とも間違わんばかりの「店」を訪れて、注文し、しかも完食する、という苦行ともいうべきグルメ(?)ルポ、である。

登場する店は、筆者の住む町近くの大泉学園の寿司屋と中華料理屋から始まって(この寿司屋は味は変な店ではなかったようだが)、湘南台のレストランまでの十数店。中華から洋食まで食するものは雑多であるが、さすがに命の危険に直結しそうな、刺身系の生ものの店は入っていないのは、店選びに関する筆者たちの慧眼というべきか、あるいはそこまでいくと洒落にならないという編集部の英知か?

なにせ、「死んでいる」と評された店の共通点はいつのものかわからない食材の古さと使われる油の粗悪さ。お決まりのように食べたもののオールリバース+数日間の寝込み状態というすさまじさなのである。そして、そのすさまじき食べ歩きのルポと4コママンガが、なんともアッケラカーとして陽気なのが、ますますそれらの店の提供する料理のグロさをかきたてるのである。

まあ、体力や気力に溢れている時にはお勧めしないが、暑いときには熱いものを食せ、という避暑法のように、気力が落ちているときのカウンター療法として薬効がある(かも)しれない

2009年9月12日土曜日

泉 麻人「なぞ食探偵」(中公文庫)

町角でふと目にとまった、ちょっと不思議な料理を紹介していきたい。

といったところから始まる、ちょっと変わった食物記である。
とりあげられる食べ物屋が、やはり東京が中心になるのは、筆者の住居と活動の中心がそうであるせいもあるのだろうが、やはりそこは「首都」の威力というもので、人やモノが集まれば集まるほど、妙な食べ物も集積してくるのは人の世の常なんだろうが、本書のエライところは、「不思議な料理」の食物記であって、ゲテモノの食物記になっていないところだろう。

料理は、東京・日本橋の「ドイツ風ライス」からはじまるのだが、「ハムカツ」(東京・上野)や「マカロニグラタン」(東京・浅草)、「カニヤキメシ(東京・人形町)など、名前をみればおおよそ察しがつくのも多いのだが、「ず丼」(東京・新大久保)や「イタリアン」(新潟)、「すじ玉丼」(神戸・三宮)、さらには「セイロンライス」(大阪・西心斎橋)、ナポリライス(東京・銀座)などなど、何を食わされるのかちょっと心配になってくる料理も数々あって、一種怖いものみたさの欲求も満たされる食物記である。

筆者手書きのイラストも味があって、少しばかり暇な時、暇にあかせて、ぱらぱらと読んでいくにお薦め。

(最近、御当地グルメで定番の「佐世保バーガー」などを含んだ「九州篇」も入ってます。)

2008年10月5日日曜日

早瀬圭一「鮨に生きる男たち」 (新潮文庫)

「鮨」の名店を紹介する本と思いきや、「鮨」に人生をかけた男たちあるいは家族たちの物語である。もちろん、「鮨」に全身全霊をかける職人たちであるから、その店はいわゆる「名店」になっていくのは必然ともいえるのだが、その軌跡をたどる、という性質のものではなく、「鮨」に魅せられ、「鮨」に人生のほとんどを費やしてきた職人たちの歩みの軌跡というべき本である。

とりあげられているのは17人というか17店。

掲載されている店をあげれば
「喜(正式は 七が三つ)寿司」、「鮨 水谷」「神保町鶴八」「新橋鶴八」「奈可久」「鮨 青木」「鮨 徳助」「あら輝」「鮨処 喜楽」「すし処 司」「鮨処 成田」「寿し銀」「吉野鮓」「千取寿し」「松乃寿司」「鮨処おざわ」「すきやばし次郎」
といったところで、鮨通なり美食家の人が聞けば、「あー」と頷く店ばかりなのだろうが、残念何ら、辺境に住まう私としては、一つとして入ったことのない店ばかりだ。

場所は東京はもちろん一番多いが、千葉、金沢、名古屋、京都、静岡とかなり広範囲にわたっているし、店の思いでも、筆者が学生の頃の戦前から始まっているから、時代的な幅も広い。

一体に鮨店というのは、緊張を誘うもので、これは「お勘定」の話もあるのだが(だって、「時価」なんて値札のある食い物屋なんて、滅多矢鱈にないと思う。フランス料理やイタ飯屋、高級割烹にはたしかにあるが、鮨屋はどんな場末の店でも、しっかり「時価」っていうのがあるからなー)、それよりなにより、カウンター
が店の中心で、鮨職人と直接相対するってあたりにあるのではないだろうか。

ラーメン屋とか定食屋は確かにカウンター中心の店はあるが、鮨屋ほど、「直に相対する」感の強い食い物屋はないだろう。
そうした1対1の関係のところで、「お任せ」ならまだしも、一品づつ注文するのだから、かなりの緊張感とともに食事をすることになるのは当然で、正直いうと、この「緊張感」は、私はあまり心地よくない。

ただし、緊張するのは私だけではないらしく、この本の筆者も、最初の店となると、しかもそれが評判の店となると緊張するものらしく

(「すきやばし次郎」に初めて入った時は)

もくもくと食べて14、5分、いやそんなにかからなかったかもしれない。
緊張していて、うまいもまずいもなかった。

という具合であるが、これは

「鮨屋は手が命だから」と外出するときに必ず手袋をし、指の腹の柔らかさを保つため、直接モノを持たない(「すきやばし次郎」の小野次郎氏)

というぐらいの精進をする職人の出してくれる「鮨」に報いるためには、これぐらい緊張して食さないとダメですよ、という筆者の忠告なのだろうか。
たしかに、この本にでてくる職人のいずれも(店を継いだか、親新規開業かに拘らず)長い修行の末に店を持っているし、店を持ってからも、自分なりの鮨の有り様を創り上げるのに相当の修行をしてきている。そうした職人の努力を思って、心して戴きなさいよ、ということなのだろう。


と、まあ、どことなく説教くさくなってしまったのだが、最後に「鮨 徳助」のこんな場面で〆としよう。

2006年9月16日土曜日

嵐山光三郎 「文人悪食」(新潮文庫)

一体、「文士」という輩は、どんな食い物を好んでいたか、というよりは、どんな食い物に取り付かれ、彼らの中で「食事をする」というのはどういう位置を占めていたのか、といったあたりを、これでもかってな感じで見せてくれる本である。
 
著者の嵐山光三郎さんは、編集者あがりの作家で、この本に紹介されている文士(小説家じゃないですよ。「文士」ってな表現はがぴったりくるような、教科書の日本文学史にでてくるような人達ですよ)の人の幾人かとも面識が会ったようで、その筆致もやさしいようで、かなり厳しい。まるで、こうした「文士」たちの彼らが隠しておきたかった部分を、ぐいぐいとえぐってくるのである。
 
こうした「文士」たちの性癖というか食癖も、それぞれで、なんとなく作品から想像できるものから、えーっといいたくなるような悪趣味なものまでさまざまである。
 
泉鏡花は、大根おろしを煮て食うほどの潔癖症であったあたりや、
 
三島由紀夫は食い物を食うというよりは、食い物の知識を食っているような人であったり
 
とか「やはりね」と思わせるものもあるのだが、
 

例えば
 
厳格な軍医でもあった森鴎外が、饅頭を飯の上にのせた煎茶の御茶漬が大好物であったり
 
太宰治が大柄な男で、実は大食漢で、鮨屋で鶏の丸焼をむしりとって食うような男であったり
 
結核にかかったゴリラみたいな梶井基次郎が、田舎の貧乏な母親からの仕送りを、リプトンの紅茶(当時はとんでもなく高いものだったらしい)や銀座の店でビフテキを食うのに使っていたり
 
などなど
 
一般人の私などからすると、オイオイ、夢壊してくれるよなー、なんてなエピソードもフンダンにでてくるのである。
まあ、小説を書くってのは一つの業みたいなものだから、その業にとりつかれた人は、食い物に対しても業みたいなものがでるんだろうねー、と思わせた一冊でした。
 
大部なので、途中で疲れてくるけれど、頑張って読むと、大食いした後の爽快感みたいなものが味わえる一冊でもあります。

2006年7月18日火曜日

西村 淳「面白南極料理人 笑う食卓」(新潮文庫)

第30次と第35次の南極観測隊で名料理人を務め、あの有名カメラマン、不肖・宮嶋氏の脳味噌にもしっかりと記憶の爪痕を残した、西村淳さんの「面白南極料理人」に続く第2作。
 
といっても、三度めの南極観測に赴いたわけではないので、「南極面白料理人」で書ききれなかった、様々なコボレ話といった感じで考えた方がよいだろう。
 
しかも、である。今度の本は、レシピ付き、さらには、一口メモのような「ポイント」までついている。
 
 
しかし、まあ南極観測隊の面々、ほかに楽しみといってよいものがないせいか、食欲や食へのこだわりの方も相当である。 
 
例えばラーメンでも 
 
 
南極での労働が彼らの体に少しでもカロリーを摂取するように要求したのか、普通の隊員で二杯、調子の良い人で三杯、「麺類命!」を自称する江尻隊長に至っては、三玉オーバーを毎食要求してきた。 
 
 
といった具合のため、みるみる麺の在庫がつきて、自分達で麺打ちをする羽目になったり、
 
日本国内では高級品の「伊勢海老」だが、何度も続くと余ってくる。そこで工夫した伊勢海老料理が 
 
 
次にトライしたのは、すり身。それも「海老しんじょ」だとか「クネル」だとか、お上品なやつではなく、味噌・長ネギ・片栗粉でガッチリと揚げるすり身天ぷらかまぼこにこだわった。 
普通の料理人は、やすい材料を少しでも付加価値を出すべく、包丁を入れたり、煮たり、焼いたり、飾り付けをしたり、盛りつけるものだが、この時はいかに「伊勢海老」から、そのお上品なムードを無くしてしまうかが重要な課題だった。 
そして結果は大好評となった。 
山盛りにした「すり身団子」はみるみる減り、完食された。 
 
 
 
という風に一種豪快な贅沢料理をしてみたり、 
 
 
そしてこんな環境の中では,自然に速やかに体を温めてくれる料理が主役となってくる。 
ただし余った汁を捨てるなんて暴挙をするはずがなく、残った汁を次々と新しい鍋に変えていった。 
これが今でも多分観測隊で愛用されているであろう究極のリサイクル鍋「二泊三日鍋」の始まりである。 
 
 
といった風に、食材の調達がなにせ大量である上に極限の自然の中で隊員の食欲にも変化が生ずるせいか、物資が豊富なのか乏しいのか、贅沢なのか節約しているのだが、よくわからない状況が生まれてくる。
 
そして、これを最も端的に現すのが、乾物の話だろう。 
 
乾物といっても 
 
 
発電機が設置されている機械棟の隅っこにつくられていた食糧庫は、常時気温がプラス20°C以上湿度数%で、乾ききった室内は、乾物といえども数%を残しているであろう水分をますますカラカラに乾燥させ、ほとんどミイラ状態にして 
 
 
このため、 
 
・色あせたかりん糖→干しなまこ 
・ひげの落ちた小さなたわし→干しアワビ 
・雪男の頭皮→フカヒレ 
 
といった感じで、高級食材を面妖で奇怪な物体に変えてしまう。 
 
 
と、まあ、なんとも南極というところは、環境も激烈なせいか、一種豪快な状況に人間の暮らしを変えてしまうものらしい。なんだか、こうした話を読んでいると、自分の今の身の回りのいろんな出来事を笑い飛ばそうな感じになってくるから不思議である。ちょっとした暮らしの圧迫感にさいなまれているなら、こうした南極本はお薦めである。 
 
最後に、南極では
 
 
観測隊では、このボンヤリした状態のときは個人が何かの世界にポカリと入り込んでいる時で、この時無理に話かけたりすると、心のバランスが微妙にくずれ、後々決して良いことはないので、放心状態もしくは視線を宙に飛ばしている隊員がいても、話しかけるのはやめるようにみたいなこと 

 
 
を言われるらしい。これは、ひょっとしたら南極だけではなく、普通の世界でも、どこかに旅してそうな人を見かけた時には共通して気をつけなければいけないことなのかもしれないね。

2006年6月26日月曜日

小泉武夫「旅せざるもの食うべからず」(光文社 知恵の森文庫)

世界の奇怪な味と腐っているのだか発酵しているのだがわからない珍味の探求家、醸造学の権威 小泉武夫さんの食エッセイである。紹介される食べ物は、絶妙な珍味から、そこらにあるのだが気づかない珍味まで、多士済済である。
 
 
収録は「牛肉に昇天」「オキナワは美味しい」「オキンワは美味美味」「カニ食い大魔王」「我が輩はドクター。エビスキー」「ウイグルで羊を食べつくす」「中国は豚の王国」「干物は官能的」「粗は宝だ」「壮絶!マグロの飼いたい」「スッポンの嘆き」「塩湖は眩しい」「鮟鱇に首ったけ!!」「忘れ得ぬ味」「富津物語」「至福のフグ」「ミャンマーに首ったけ」「右利きのカツオ」の18話。 
 
いくつか、美味そうなところを引用すると 
 
口に入れまして、ひと噛みしますと、ぶ厚い肉からチュルルルルとうま汁が滲み出てきましてな、さらにふた噛み致しますとうま汁だけとではなく、ややジューシーな感じの濃味が湧き出て参りましてな、そこに上品な甘味のようなものも追っかけて出てきましてな、口の中はもう美味汁であふれんばかりになりました。(「牛肉に昇天」) 
とか
 

「カニ食い大魔王」では 
 
福島県の相馬地方の名物カニ鍋らしい「ガニマギ」というものの紹介があって、それは
 
海からコッパガニのような奴を一山、生きたまま石臼に入れ、それを野菜のバットのような丸太ん棒で上からついてトrントロンになるまで潰します。・・・つき上げたものを目の粗いザルにいれて漉しますと、からは除けてドロドロの濃い汁が得られます。これを鍋にとり、少し湯を加えて増量させてから煮立て、途中、とうふとネギ、」エノキダケなどを入れて、少しの酒、味噌などで調味しますと出来上がりである。カニの濃汁は、カニのエキスが汁の表面でフワフワと漂って、ちょうど玉子とじのような形となりますので、この鍋料理を別名「カニのフワフワ汁」とも申します。これを椀に盛って。その熱いのをフーフーと息を吹きながら賞味するわけです。 
 
というもの。 
 
 
さらに 
 
特殊な脂肪をハケで塗りながらカリカリに子豚を焼き上げて出されたのですが・・・カリカリの豚皮をはぐように薄く切り取って、それに甘ダレ味噌をちょんと付け、さらにほそ長く切った長ネギをはさみ、春餅で包んで食べるのでありました。(「中国は豚の王国」) 
 
ってな具合である。どうです、ちょっと涎がでそうでしょ。 
 
 
で、最後に「あとがき」のサバの水煮缶を使ったチープな御馳走を紹介しておこう。 
 
それは 
 
開缶して表れた鯖をまな板の上にのせ、少し固めの背に区のほうとブヨブヨの「腹も」を取り分け、背肉はくずしてマヨネーズであえると立派な酒の肴になります。丼に熱い飯を盛り、腹もを全部載せ、さらに缶に残った水煮汁もガバッと全部ぶっかける。醤油をざっとかけ、一度ざっとかき回し、ガツガツと胃袋に送り込むのであります。 
 
というものなのである。なんとも安っぽいが、あのサバの水煮缶の御世話になった人なら、うん、と頷くこと請け合いのものである。 
 
 
まあ、グルメというのは、豪華なものからグロテスクなものまで、高価なものからチープなものまで、幅広いものであるますねー。

2006年6月10日土曜日

佐藤隆介・近藤文夫・茂出木雅章「池波正太郎の食卓」(新潮文庫)

池波正太郎さんと面識の深かった人たちによる食のエッセイである。

和食篇、洋食篇とふたつに分かれていて、それぞれに1月から12月まで池波正太郎の好んだ料理の数々が紹介されるほか、その品が登場する池波正太郎作品や料理のレシピもあわせて紹介されているという、かなり詰め込み状態の一冊である。

その品は、和食は天ぷらから泥鰌、鮎、鰻、新子、秋刀魚、洋食は食はコロッケ(クロケットというべきか)からカレーライス、ステーキ丼、もんじゃ焼き、カツレツなどなど、さすが池波正太郎の食道楽を象徴してか幅広い。そして、その料理もかなり凝っているものからざっかけないものまで多種多様である。

いくつか引用すると、鮎のところ(「和食篇 文月」)では

やっぱり鮎の塩焼きは、なりふり構わずこうやって食べるに限る。てづかみで、骨ごと頭からシッポまで食べてこそ鮎の塩焼きである。大体、骨ごと全部食べられるくらいの小ぶりの鮎でないとうまくない

といったあたり、鮎の香りが漂うようなところに、思わず唾を飲み込んだり、

秋刀魚の項(「和食篇 神無月」)では

七輪にもうもうたる煙をあげながら銀座の典座がいった。秋刀魚の塩焼は盛大に煙を上げて焼かなくては本当の味にならない。やっぱり七輪で内輪バタバタというのが一番なんですよ。秋刀魚で一番脂のある腹のところから脂が炭火の上に落ちて、その煙がしたから噴き上がって腹のワタのある部分を包み込む。それでちょうどうまい具合にバランスのとれた焼き加減になる

といったあたりで、そこらの町食堂に入って「秋刀魚定食!!!」と叫びたくなったり。


はたまた、パリでカレーライスを食おう(「洋食篇 水無月」)ということになったところでは

むろん、メニューにカレーライスなんぞあるわけがない。これはフランス料理でないばかりか洋食ですらなく、もともと"日本食"というべき日本人の発明だからである。私はあわてた。使い始めたばかりの老眼鏡をかけ直して、改めてメニューの隅から隅まで探したが、ないものはない。大汗かいている私に池波正太郎がいった。
「若鶏のカレー煮込みというのがあるだろ」
確かにそれならある。
「それを頼んで白い御飯をもらえばいいんだよ」
アルジェ風の鶏カレー煮と御飯で、なるほど文句なしのチキンカレーになった。

といった即妙の技に感心したり、

カツレツのところ(洋食篇 霜月)では

揚げたてのカリカリしたカツレツが、真白い皿の上へ・・・その味も、そえてあるキャベツの若草のようなやわらかく香り高い舌ざわりも、ウスター・ソースの匂いも、今まで食べたカツレツなど、
(あんなのは、カツレツじゃあなかったんだ。)
それほどまでにすばらしい味がしたものだ。

といったあたりで、読むほどに、見るほどに、涎のでてきそうになったり。

写真も豊富に使ってあるから、なおさら食欲を刺激するのだろう。
少し、スノッブな感じが漂うところが鼻につくかもしれないが、「池波正太郎」の時代物にでてくる料理にあこがれている方なら一読して損はない一冊ではなかろうか。

2006年4月10日月曜日

小泉武夫 「地球を肴に飲む男」

発酵・醸造学の権威であるとともに、「食の探検家」または「歩く胃袋」「カニクイザル」などなどの異名をもつ小泉先生の食エッセイである。当然、エッセイの中心は酒と肴が中心なのだが、その酒も、肴も只者ではないというか、ありきたりのものではない。
 
例えば、「虫を肴に酒を飲る」では、メキシコのメスカル(テキーラ)の飲み方。メスカルというのはテキーラのコクを出すというか飲みやすくするために蛆虫とか蜂の蛹をいれたものらしいのだが、 
 
その飲み方は 
 
洗面器のようなものの上に笊を置いて、その上からメスカルを注ぐんです。すると、瓶の中に入っていた何百匹という蛹は笊にひっかかるのですが、酒は笊の目を通って洗面器に集まります。その酒を瓶に戻してから飲み始めるわけですが、笊に残った虫の幼虫は、そのまま男たちの酒の肴になるんですね。 
 
 
といった具合だったり、あるいはラオスで 
 
 
皮を剥し、背骨を中心にして、開いた肉身をそのまま燻して、乾燥状態で売っている、ネズミの燻製を肴に、道端で老婆と酒盛りをしたり 
 
といった具合である。 
 
 
もちろん、医者が禁ずるほどのフォアグラを食したり、モクズガニをつぶして味噌で味付けしたものを湯の中に落とし、絹ごし豆腐とネギで食べるモクズガニのフワフワ汁など、普通でも涎のでそうなものは食べているのだが、この先生の食エッセイの醍醐味は、こうした得体の知れない食べ物の数々を、楽しみながら(まあ、何度かは吐きながら、ということでもあるようだが)胃の腑におさめていく、小泉先生の健啖さである。 
 
まさに「戦う胃袋」である小泉先生の戦闘の日々が、また続いていくであろうことを期待するのである。 
 
 
それはともかく、先生の命名する「シンデレラリカー」、酒やワインの酒粕を蒸留した、いわゆるカストリや、ブルゴーニュのワインやポルトガルのポートワインの澱を飲むあたり、なんとも旨そうで、思わず喉がなった次第であります。
 

 

2006年2月6日月曜日

「駅弁」雑感

小泉武夫さんの「不味い!」や阿川佐和子さんの「タタタタ旅の素」を読んでいたら期せずして、駅弁や幕の内弁当をとりあげた章があった。これに触発されて。「駅弁」についての雑感。

阿川佐和子さんは、前掲の本の「駅弁旅情」の中で

「この路線に新幹線が通過するのも、もうまもなくのことである。新幹線が通るようになったら、釜めしや玄米弁当、横川駅のこの光景はどうなるのだろう。まさかあの、新幹線独特のコンビニ風弁当一色になってしまうのだろうか」

と昔ながらの「駅弁」とそれを取り巻く駅の風景について書いている。

ところが、私の場合、「駅弁」への憧れがひどく薄くなっている。

学生時代、地方から上京していて休暇の際に帰省する手段は、鉄道が主流だった。(スカイメイトなんてシステムもあったが、飛行機はまだまだ高嶺の花だった。)。実家は山陰だったから、東京からは、ほぼ一日がかりの小旅行で、(切符代しかないことも、もちろんあって、その時は飲まず食わずで帰省することになるのだが)大概の場合、駅弁を一度か二度は食べることになる。

当時、500円あれば普通のきちんとした定食が食べられる時代だったから、それに比べると駅弁は高価だったように思う。

そのせいもあってか、なにか「駅弁」は普段、街で食べる食事より美味しかったような気がしていたし、就職してから、紐をひいたら暖かくなる駅弁が発売されたときは、妙に感動したものだ。


ところが、最近、とんと駅弁を買わない。コンビニの弁当がやたら普及したということもあるだろうし、出張や旅行も飛行機を多用し始めたということもあるのだろうが、「駅弁」というものに魅力を感じなくなっている自分に気が付くのである。

2006年2月5日日曜日

池波正太郎「むかしの味」 (新潮文庫)

「散歩の途中で何か食べたくなって」に続いて、池波正太郎さんの食べ物談義をとりあげよう。


根っからの旨いもの好きが幸いするのか、この人の食べ物本は嫌味がなくて、しかも、唾を飲み込んでしまいそうなところが多い。この本も、昭和56年1月から2ヵ年にわたって書かれたもので、実は「むかしの味」どころか「むかしむかしの味」といっていいぐらい月日が経っている。

文中で、筆者が

「新富寿し」の章で


私が、この店の鮨が好きなのは、種と飯との具合がちょうどよくて、飯の炊き方が好みに合っているからだ。
つまり、むかしの味がするからだろう。
〔新富寿し〕が、いかに客へ対して良心的であるかということは、鮨を食べて勘定を払ってみれば、たちどころにわかる。いや、わかる人にはわかるといってよい。


っていうあたりや


鮨は何といっても、口へいれたとき、種と飯とが渾然一体となっているのが私は好きだ。
飯の舌ざわりよりも、部厚い種が、まるで魚の羊羹のように口中いっぱいにひろがってしまうような鮨は、私にはどうにもならない


あるいは「〔まつや〕の蕎麦」の章で


多くの人たちは、もりをやっている。
つまるところは、もりがうまいのだろう。
私などは、時分どきをはずして入り、ゆっくりと酒をのみながら、テレビの日本シリーズなどをたのしむ
いまは食べ物屋の経営が非常にむずかしくなった。

・・・

だから〔新富寿し〕といい、この〔まつや〕といい、むかしの味もさることながら、むしろ、「むかしの店・・」の気分を、ありがたく思う。


など、こうした諸々の舌ざわりや店のたたずまいなどが、「むかしの味」「むかしの店」といったものなのだろうが、ちょっと、そうしたあたりの想像が辛くなっている。

こうした「むかし」へのこだわりを含めた、池波正太郎の味というか味覚感は、戦後というか、日本の近代の大きな転換であった太平洋戦争、第2次世界大戦というものの影響抜きには話せないようだ。

例えばそれは

〔まつや〕の蕎麦 のところで

   弁当なしで出勤することが可能になったのは、たしか昭和二十五年頃ではなかったろうか。
   蕎麦が食べられるようになったからである。
   一般的にいって、外食の復興は、蕎麦から始まった。

あるいは、「チキンライスとミート・コロッケなど」の章で

戦前の銀座の匂いは、まさにバターと香水の匂いがしていた。そのモダンな香りに井上も 私も 酔い痴れていたといってよい。

また「中華料理」の章で

私たちと同業の若者たちが召集されると、どうも戦病死が多かった。
ペンと算盤しか持ったことがなかった従兄も、たちまち、軍隊に生気を吸い取られてしまい、
 重病 にかかり、兵役を免除されて東京へ帰ってきたが、これが原因となって戦後間もなく亡くなってしまった。

などに見ることが出来る。戦争あるいは兵役という形で、死ということに正面から向き合わざるをえなかった歴史と、その中での「食べ物」というものを浮き彫りにしているかのようである。
<br><br>
こうした、「むかしの味」「むかしの店」への憧憬や失われたものへの愛着は別にして、失われた蜜月を知らない私たちにも、旨そうでたまらない一品の紹介。

それは、「ポーツカツレツとハヤシライス」の章。

 都会のカツレツのように体裁をととのえるわけでもなく、ただ豚肉をぶった切って揚げただけにすぎないという、山の湯の宿の武骨なアkツレツ。
 これを・・・半分残しておき、ソースをたっぷりかけ、女中に
「これは、朝になって食べるから、此処へ置いといてくれ」
と、いっておく。
 ・・・朝になると、カツレツの白い脂とソースが溶け合い、まるで煮凝りのようになっている。
これを炬燵へもぐり込んで熱い飯へかけて食べる旨さは、余人はさておき、私にはたまらないものだった。

ってあたり、思わず涎がでそうである。


小難しいことはさておいて、時代を超えて、旨いものは旨いのだ、と思ってしまった一節である。

小泉 武夫 「不味い!」 (新潮文庫)

醸造学、発酵学の権威にして、名だたる食いしん坊の、小泉武夫さんの食べ物本。

しかし、「不味い!」とは、いかにも人を食った書名である。
なぜこんな書名なのかと「あとがき」から引用すると

「不味いもの」は「美味いもの」があってはじめて成立するものなのだから、味覚文化の上からは実はちても大切なことなのである。人はその長い歴史の中で、常にその「不味いもの」を見本として、いかにそれより「美味いもの」をつくり上げるかの繰り返しであった。だからこそ「不味いもの」はいつの世にも残しておくべき「負の食文化」ともいえよう。

といった尤もらしいことから始まるのだが、どうしてこうして、ついつい本音がでてきて、

美味しそうだなあと思って入った食堂、買った食べ物などが、とんでもなく不味いものであった時の悔しさと怒りは、誰だってそう簡単には治まらない。

( 中 略 )

かくいう俺も、ずいぶんと遣り切れない悔しさを長年積み重ねてこれまで来たものである。
そこで俺は、いつかはこの鬱憤を晴らしてやろうと機を狙い、文章でそれを遂げたのが本書である。


といった不敵な本が、本書である。

とはいっても、この人の「不味いもの」は、いわゆるグルメ本によくある、どこそこの産じゃないとか、昔はよかった、あそこはよかった的な本ではない。第一、この先生、発酵学の権威らしく、臭いのきつい(普通の人なら、うっとなりそうなものだろうなきっと)食品から虫まで、かなり、その間口が広い人である。
(「世界怪食紀行」などを読むと、およそとんでもないものも旨い、旨いと食べているのである)


その人が「不味い」というのだから、その不味いものは、調理に手が抜かれているものから、おおそ素材から不味いもの、哲学という味付けなしには食べようとは思わないもの、といった読みなり「不味そ~~~」と声を上げたくなりそうなものがでてくる。

例えば

かなり寂れた食堂のカツ丼から途中で種目変更したような「ソース味の親子丼」

ホテルで飾り物程度に置かれているお茶のティーバッグ

カラスの肉のろうそく焼き

しけったピーナッツやビールの体をなしていない焦げ臭かったり、ホップが全く効いていない「地ビール」

「つゆ」ではなく冷たい水をつゆ代わりに食べる「水そば」

などなどである。


しかし、しかし、である。小泉先生は、そんな「不味い」ものにも果敢に挑戦するのである。しかも、悪戦苦闘しながら、どうも全部たいらげているらしいのである。

食文化は、こうした鉄どころかジュラルミンの胃袋を持つ偉大な先人たちによって築かれてきたのだなー、と妙な感慨さえ覚えてしまう。

まあ、御一読ください。「美食本」ではないですが、単純な「不味い本」でもないですよ。
これぐらい、不味いものがどんどこでてくると、むしろ爽快感さえ覚えてしまった本でした。

2006年1月22日日曜日

壇 一雄 「壇流クッキング」(中公文庫)

先だってレビューした食べ物本の名著「食は広州に在り」と並び立つ「壇流クッキング」である。

著者は、壇 一雄さん。「火宅の人」で有名な小説家とか、壇ふみさんのお父さんといった紹介フレーズがあるのだが、今も通用するかどうか怪しい。

ともかく、そういった有名な方の食べ物本である。時代的には昭和45年にサンケイ新聞に連載されたものなので文中の食べ物の値段やら世相についての記述はさすがに古めいてきているが、昭和40年代を切り取ったエッセーとも考えて読もう。

とりあげられていることは、ものすごく贅沢なものとか貴重なものとかはないのだが、
40数年という時間を感じさせるところが随所にある。


例えば「タケノコの竹林焼き」のあたり。

掘りたてのタケノコ2、3本用意して、それを竹皮のついたまま中に穴をあける。そして生醤油を流し込み、大根かなにかを削ったもので蓋をする。

そして、そして、である。


<そこらの枯葉、枯木を寄せ集めて、あらかじめ焚火を焚いておき、そのタケノコを半分灰の中につっ込むようにして焼くだけだ。>


・・・「だけ」って言われても、今は困りますよね。

また、当時、まだモツを食べるのが珍しい時代だったから、モツ料理の章は、まずモツを肉屋から買う話とモツへの偏見を

<日本人は、清楚で、潔癖な料理をつくることに一生懸命なあまり、ずいぶんと、大切でおいしい部分を棄ててしまうムダな食べ方に、なれ過ぎた。ひとつには、長いこと折衝が禁じられた時代のために、鳥獣のほんとうの食べ方がすっかり忘れられてしまったのである。
日本人は、いわばササミのところばかり食べて、肝腎の、おいしい部分を、ほとんど棄ててしまう気味がある。>

と払拭するところから始まっている。

そういえば、管理人の子供の頃だって、焼肉は食べてもモツは食べたことなかったものな、と思い出す。


構成は、1年を通して、いろんな食材をとりあげて自炊の技や料理の秘訣を、一流文士(かなり古めいた言葉ですねー)がご紹介しようというもので、「春から夏へ」「夏から秋へ」「秋から冬へ」「冬から春へ」という4部構成。



旨い店の紹介本ではなく、旨いものと旨い料理の仕方を綴った本なので、今でも使えそうな料理法やアイデアは満載である。
実は独身時代には、この本の鶏の手羽の料理を参考に、手羽先の炒め物と、手羽のダシスープを使ったラーメンというのが、自炊の食事の定番だった。

通読して、手間と時間は良いものをつくる原点ですよ、とあらためて感じた食べ物本であった。

2006年1月21日土曜日

邱永漢 「食は広州に在り」(中公文庫)

食べ物本について、いくつかレビューを書いたが、最近のものだけでなく、古典といわれるものもとりあげてみよう。

まず、今回は、古典中の古典「食は広州にあり」。
著者は、経済小説から財テクまで幅の広い邱永漢さんである。
この作品。解説をみると昭和29年から32年にかけて雑誌に連載されたものとのこと。しかも、吉田健一「舌鼓ところどころ」、檀 一雄「檀流クッキング」といった作品より前に発表されており、食べ物本、グルメ本の先駆け的存在といってよいだろう。

始まりは「食在広州」という章から。衣食女のうちどれを選ぶかといったら、中国男性は迷わず「食」を選ぶだろう、といったところからスタートしている。

このスタートから見ても、旨いものの紹介本だけではなく、食べ物を材料にしたエッセーとしても考えたほうがよい本であることを窺わさせる。

例えば、

子豚の丸焼きは、中国のとある地方で偶然、豚小屋が火事になり焼けた豚をさわった指を口にしたら非常に旨かったことから始まったが、その地方では子豚の丸焼きを食べるために家に火をつける輩がでてきた、とかいった与太話があるかと思えば、


日本人は目で食い、西洋人は鼻で食い、中国人は口で食うといった、それぞれの「食」についての概念について語られたり、


十二切れの豆腐のために鶏を二羽つぶしてダシをとる「太史豆腐」や麺の中にえびの子の入った「蝦子麺」などなどの料理の話


おまけに、料理人とみなされて奥さんが入国するビザがおりない、とかいった戦争の傷は癒えかけ高度成長に入りかけている時代を反映した話

などなど

しかも、そこかしこに中国と日本の比較論、あるいは実と虚の比較論がちりばめられているといった具合。


とはいっても、正座して読まなければいけない、といった堅苦しい本ではない。
とりあげられている中国料理は、やけに旨そうだ

例えば「三刀の禁」という章の

「(豚の後腱の)肉を三切れか四切れの塊に切って、丸のまま鍋に入れる。べつにねぎの白い所を三、四本、四、五寸の長さに切ったものをぶちこむ。これに醤油と水を半々の割合で加え、とろ火で何時間でも気長に煮た」豆油肉に、「干椎茸や、ゆで玉子をぶちこんでおくと、豚のうまみがそれぞれの中にしみこんで、なかなかいいものである。華南から南洋にかけて中国人の市場の中を歩いたことのある人なら、地べたにしゃがみこんだ労働者が、白いご飯の上に醤油色の玉子をのせて、ふうふう吹きながら食べている光景をみたことがあるに違いない。・・・」

といったあたりを読むと、思わず中華料理屋を捜したくなってきてしまう。


きっと、筆者の

「筆は一本、箸は二本、衆寡敵せず」と昔からいわれているから、ぐずぐずしていると、箸に滅ぼされてしまう。しかし、どうせ滅びるものならば、箸に滅ぼされても本望だ」

というほど、旨いものの好きが伝染してくるのだろう。


初刊から年月は経ているが、内容は古びていない名品である。
昭和30年代の雰囲気も味わいながら、読み返してみてはどうだろう。

2006年1月9日月曜日

田沢竜次 「B級グルメ大当たりガイド」(ちくま文庫)

B級グルメという言葉を最初に使ったらしい元祖B級グルメライターによるB級グルメガイド本。

といってもグラビア本やいわゆるグルメ本と違って、写真は一枚もないのでご注意。

そのかわり桑田乃梨子さんのイラストが満載。写真がなくても、このイラストが結構楽しくて面白い。

食べ物ネタは「B級グルメ」の本らしくカツ丼、牛丼、豚丼、生姜焼き、ソース焼きそば、チャーハン、ラーメン、スパゲッティ・ナポリタン・・・

うーん、B級グルメの名に恥じない品揃え。

とはいって、安い・汚いをやたらホメるグルメライターでないところと管理人と年代が近く、しかも神保町、高田馬場あたりが筆者の根城だったせいかでてくる店に、あー、そういえば、と頷けるものが多いのが嬉しい。バブルの前の、やたら腹を減らしていた70年代の学生生活を彷彿させるのである。

中でも

高田馬場の早稲田の学生御用達の定食屋でまわりの学生と一緒に生姜焼き定食をパクつきながら、「若者は丼めし食ってナンボのもんじゃな」

といったところや

そもそも貧乏人の味方はラーメンだったのではないか、と嘆く場面や

ウィンナーソーセージというと高級で、お弁当のタコの形を思い出す

とか

美味しい天ぷらは塩で、なんて高級な世界があるけど、やっぱりつゆだくでいきたい

といったあたりは、膝をたたいて、あたりまえだのクラッカー、などと死語になったギャグをつぶやいてみる。

最後のほうでB級グルメライターの仕事で一番つらいのは同一メニューのはしごというところは面白い。

夏の暑い盛りに、3~4日も、朝、昼、晩、夜の4食ともラーメン、

とか

飯系のはしご取材は、なぜか寿司系のものは、ほとんどなくて丼系がほとんどだが、丼系は数がこなせない

などなど

グルメの資料本というより、グルメライターの書いたグルメエッセイとしてお奨めする。

文藝春秋編「B級グルメの基礎知識 平成版」(文春文庫ビジュアル版)

リサイクル書店をぶらついていると、文春文庫のB級グルメの本を見つけて購入。
このシリーズが出たときは、もう東京住まいを引き上げて田舎に移り住んでいたから、紹介されている店に頻繁に行くという機会には恵まれなかったが、いくつかの店や、いくつかの東京の街のたたづまいに懐かしさを覚えるとともに、一種の旅本を読むワクワク感があった。

なぜなのかと考えてみると、やはり、「東京」という街によるせいだろう。
日本の首都で一番の人口集積地であるというだけではなく、古くからの歴史を有しているからというだけでもなく、人それぞれに「東京」への思いを抱かせてしまっているということなのかと思う。住んでいる人も、住んだことのある人も、住んだことのない人も、それぞれに「東京」への憧れや郷愁や嫌悪をもってしまっている。それはマスメディアから国のあり方が、この「とうきょう」を中心に回っているということと表裏一体なのだろう。

といった、よちよちした東京評論はひとまず置いておいて、この本のレビュー。

まず最初は、「豚肉の生姜焼き」からドーンと始まる。
こうしたビジュアル本の醍醐味なのだが、掲載されている食べ物の写真の数と迫力なのだが、ジューシーな生姜焼きの皿の数々が、どんどんと載っている。

生姜焼きの後は、ヨコハマ、中華街、神楽坂などなど、舶来の味から下町の味までいろいろ。西日本の住んでいる管理人には神戸の南京町の方が身近なのだが、中華街というと横浜の方を連想してしまうのは、これらのB級グルメ本に影響されているところが大きい。
面妖な中華街グッズもしっかり紹介されているのがうれしい(特に中国製缶詰なんかは怪しくてよいなー)



途中でB級グルメはなぜ東京(しかも東東京中心に)と横浜中心の記事が多いかの答えになりそうな一節をみつけたので引用。

「江戸は維新で薩長に乗っとられ、さらに西洋の味の激突を受けた。一時にダブルパンチを受けた都市は希である。食の文化を含む生活の習慣と常識が、すべてくつがえされた。大阪はいまだに郷土の味をもっているが、東京は喪失させられた。・・・そんな不条理の克服から東京風の気負いが生まれた。心で泣きながら無理を通して、エイッ、と気合いを入れてみんなで食べたのが東京のB級食である。・・・B級グルメとは旨味だけで語れない東京の傷の味だ」

うーん、たしかに、東京の食文化は維新、戦後で分断されているよなーと納得。B級グルメも深いのだなー、と感心。(やたら江戸文化の華とか下町、下町ばかりを強調するグルメ本も多いけどね)

最後にB級グルメ本らしく、正しい(?)「生姜焼き定食の食べ方」を紹介

「まずは一口分を切り残しておこう。その一切れは、キャベツにタレがしみるまでの"待ち時間"に味わう貴重な存在なのである。そして、あとの肉は全部キャベツの上に乗せてしまい、これを箸でジュワジュワと三回押さえつけておくのだ。

・・・

まずは、切り分けておいた一切れを口にポイ。弾力のある脂身を噛みしめ、おちついて充分咀しゃくしよう。とろける脂身のまろやかさが存在感のある甘辛タレと溶け合って、口の中いっぱいに旨さがジュワーッと広がっていく。」

どうです。涎がでてきませんか。

このあとタレのしみたキャベツ、肉本体、ポテサラとつづくのだが、詳細は原本でどうぞ。


このシリーズには、このほかに「B級東京グルメ」とか「B級グルメの東京一番しぼり」とかがあるし、鮨本とかもでていたように思う。こういうグルメ本は読み出すと癖になるんだよねー。

東海林さだお 「猫めしの丸かじり」(文春文庫)

ご存知「丸かじり」シリーズの一冊。

この本にでてくるのはソーセージ、ハムカツ、ローストビーフ、牡蠣の土手ナベ、そして猫めし などなど。

とりあげる素材もいろいろあって面白いが、このシリーズのよさは一遍一遍に、きゅっと凝縮したようなワン・フレーズが存在するところにあるのだろう。

例えば、猫めしを食べようとして「でもなんだか恥ずかしいなあ。特に猫に見られたら、恥ずかしいなあ。軽蔑されるだろうなあ」

とか

キュウリは「実力はない。しかし会社にいてもらわなくては困る」存在だ

とか

熱い味噌汁をすするとなぜ「アー」がでるのか

とか

おもわず頷き、その後の、ちょっと飛躍の多い文章に、そのままの勢いでのせられてしまう、例えは悪いが、屋台で威勢のいい売り口上に乗せられて、おもわず買い物をしてしまう感覚に似ているのかも。

(あ、けして騙されて不愉快というわけではないですよ。むしろ、やられたなー、と笑ってしまう感覚)


百円レストランとかおにぎりスタンドとか、目新しい「食」がとりあげられているのも、こってり、たっぷりとしたご馳走を食べた合間の口直しみたいでまた良。

最後に、東海林さだおさんの文章の最大の魅力、擬音語にあふれた「玉子丼」の一節を紹介しよう。

玉子丼のツユは親子丼よりも少し甘めがおいしい。
ツユも親子丼より多めがおいしい。
丼の底に少したまって少しビシャビシャするくらいがいい。
玉子の黄色いところと白いところがマダラに分かれ、そのマダラのところに甘めのツユがからんでいて、口の中に入れても、その黄色いところと白いところとツユのところが味わい分けられそうに思うところに玉子丼のおいしさがある。
このマダラ君がヤワヤワしていて、トロトロしていて、このヤワヤワ、トロトロがゴハンといっしょになったときの"ユルユルの幸せ"が玉子丼のダイゴミなのだ

どうです。このところだけでも、この本が読みたくなって、


おまけに玉子丼が食べたくなりませんか・・・

2006年1月8日日曜日

池波正太郎 「散歩のとき何か食べたくなって」(新潮文庫)

食いしん坊の食通でも有名な池波正太郎さんが、昔の店や味を懐旧しながら名店や旨いものを書いた、いわば昔の味の記録としても楽しめる本。

店の種類は洋食屋から鮨、居酒屋、懐石まで、場所は東京・銀座から京都、大阪まで幅広いが、料理の種類より、池波さんの昔語りを交えた語り口が良い。

例えば、

下町に育った私どもは、子供のころ、大人のまねをしたいときは、先ず食べるものからやった。・・・・上野の松坂屋の食堂でビーフステーキを食べたりして
「世の中に、こんなうまいものがあったのか」
目を白黒させたりした

とか

それぞれの町内には、かならず二、三の蕎麦やがあったものだし、また、それぞれにうまかった。
大人たちは、銭湯の帰りにも、ふところにわずかでも余裕(ゆとり)があれば、かならずといっていいほど、最寄りの蕎麦やに立ち寄ったものだ

というあたり、町内でほとんどの用が足りた(下町に限らず)昔のゆとりのあった生活ぶりが彷彿とさせられる。


ただ、やはり、この本が昭和52年初出であることは、本のあちこちに時代を覗かせる。挿入されている写真は、記録写真をみる感じがするし、文中のそこここにでてくる街の様子は、バブルの荒波など全く予測もさせないような風情である。

池波さんが

二十年前に私どもがなじんでいた宿屋や酒場や食べ物屋の多くが〔サンライズ〕のように店をやめてしまっている。存分に手をまわして客をもてなすという余裕が、東京にも大阪にもなくなってしまったのだ

と、古いものの味わいが失われてしまったと嘆く場面を読んで、この本が昭和52年に初出であることを考えると我々の時代がすでに、もっと遠くへきていることに気づく。

初出の昭和52年の際の後書きに

私が知っていて、すでに廃業してしまった店は、この本に書いた店の三倍にも四倍にもなるのではないか・・・
現代人の食生活は、複雑で予断をゆるさぬ時代の変転につれて、刻々と変わりつつある。
そうした意味で、この後二十年もたてば、この本は小さな資料になるかも知れない

とあるのが象徴的である。

まあ、こうした湿っぽい話は、食べ物本のレビューの締めくくりにはふさわしくない。前に書いた「定食バンザイ」で老舗の名店とされていたトンカツ屋の目黒「とんき」が躍進し始めた時の店内を書いた一節を引用して〆としよう。

半袖の白いユニホームを身につけて、溌剌と立ちはたらくサーヴィスの乙女たち。
新鮮なキャベツがなくなると、彼女たちが走り寄って来て、さっとおかわりのキャベツを皿に入れてくる。
・・・
みがきぬいた清潔な店内。
皿の上でタップ・ダンスでも踊りそうに、生きがいいカツレツ。
私は先ず、ロース・カツレツで酒かビールをのみ、ついで串カツレツで飯を食べることにしている。

うーん。今日はトンカツでも食うかな。

2005年12月6日火曜日

辺見 庸 「もの食う人々」(角川文庫)

アジアから、ヨーロッパ、アフリカまでの様々な国で、人々は何を食っているかのルポである。平和な国から内戦が続いている国、内戦が終わった国まで、様々な国が登場する。

食べるものも様々なら、食べる人も、食べる環境も様々

バングラディシュでは、安さにつられて残飯の再販売に手を出しそうになったり

フィリピンのピナツボでは失われたジャングルの味に想いをはせ

フォーを残すベトナムの人に戦乱の終結と資本主義の浸透を感じ

ポーランドの炭鉱では、作業に参加した後のスープに舌鼓をうつ反面後日、作業をしないでのんだスープの味気なさを感じ

セルビアの国境付近の海で漁をし、鯖や鰯の焼き物やオリーブオイルがけを漁船の上で堪能したり

ソマリアで各国の国連軍の兵士のお国料理をいれた携帯食料(レーション)と、現地の人の何もいれない、何も味のない、一握りのぶつぶつ切れるパスタの格差に呆然としたり・・・・


普通の人が食べているものは、文化といういうよりも、その国の置かれている状況に、質も量も影響されるだけに、極度に政治的であり、経済的事情の産物である。
そこにあるのは、名物料理に象徴される歴史と伝統ではなく、金と力という現実である。

2005年12月3日土曜日

西村 淳 「面白南極料理人」(新潮文庫)

第38次南極観測隊ドーム基地越冬隊に参加した筆者の、越冬記録というか料理記録というか、おもわずニンマリしてしまう南極日記、「西村 淳 「面白南極料理人」(新潮文庫)」である

総勢17名で、1年間にわたる南極のドーム基地(どうやら、日本にいると極北の象徴である昭和基地ですら環境のよい所と思えるような南極の観測基地らしい。)で暮らした観測隊の生活が描かれている。

南極基地といえば、「南極物語」の映画とか、毎度おなじみ紅白歌合戦の昭和基地からの「白組ガンバレ」の応援メッセージ(最近、紅白をじっくり、見ないからわからないが、まだやっているのかな)ぐらいの印象しかない。そんな南極も、真面目な科学者が集まり、隔絶された環境で、しかもまわりは雪と氷ばかりの環境で1年間暮らすとなると、突然、いろんなエピソードが出現するものである。

山海の珍味というか、かなり大量の良質の食材を持ち込んで、しかも、食うことが唯一の楽しみみたいな職場・居住環境だから、どうしても、毎日の料理の話とかが多くなるのだが、あちこちに極地らしい話が散らばっている。

補給に一番苦労するのは水だとか(原料の氷は大量にあるのだが、溶かさないと水にならないから、水をつくりのも一作業)、酒もしばらく置くと凍ってしまうので、常飲するのはアルコール度数60~70度のウィスキーだったり、燃料(南極の低温でも凍らない特製の軽油があるらしい)が底をつきかけ、ドラム缶運びにエラク苦労したり(車もラジエータやバッテリーの不凍液を抜いておかないと、不凍液が凍って使い物にならないらしい)

17人の人間が、閉鎖された環境の中で1年間暮らすわけだから、喧嘩や諍いがしょっちゅう起こってもおかしくないのだが、なんとか、仲良く1年間を過ごしている。筆者の料理と毎日宴会状態の基地ぐらしのせいかな、と思ってみたり。

そのほか、二日酔いの翌日、筆者がインスタントラーメンをつくっていると、隊員たちが匂いにつられて、集まってきて、ついには臨時ラーメン屋状態になるところは、日本人らしいエピソード。日本人はインスタントラーメンがないと生きていけないものらしい。