2006年6月28日水曜日

ロールキャベツ

ひきつづき風邪。ぼろぼろ状態継続中。
一人暮らしじゃなくて家族同居だと、こうしたぼろぼろ状態のときでも食事が普通に用意してもらえる。感謝、感謝。

これは、ゆでイカ。イカを何本かまるごと茹でて、ぶつ切りにした、という乱暴なもの。
ショウガをしっかりいれた醤油で食す。この時期の白イカは、卵や白子がしっかり入っている。
これが、また濃厚でよいのである。

てなうちに、熱がぶり返してきたみたいだ。頭痛もしてきたぞ・・・

2006年6月27日火曜日

白イカの刺身

風邪でぼろぼろ。
でも、職場は休めない。飯は食べる・・・・
白イカの刺身はゲソ付き

もひとつはサンマの塩焼き

2006年6月26日月曜日

河豚の煮付け

ひさびさに「河豚の煮付け」。小さな河豚を煮魚にした。トラフグといった高価なものではなく、「キンフグ」といった庶民的な河豚。といっても、河豚の味は、それなりにするから嬉しい。唐揚げも良いのだが、たまには、あっさりと煮魚で。

近くの魚屋さんが、こうした小魚の調理もまめにしてくれるから、口に入るもの。私的には隠れた名店。
アジは今が旬だろう。今日の刺身は、小骨もなくてアジの旨みそっくり味わえる。


子供用には、スペアリブ。スペアリブなどの骨付き肉を煮込んだものは、長く煮ると、一緒にいれた野菜のネギやごぼうの方が美味くまってしまうっていうのが、なんか悔しい。


小泉武夫「旅せざるもの食うべからず」(光文社 知恵の森文庫)

世界の奇怪な味と腐っているのだか発酵しているのだがわからない珍味の探求家、醸造学の権威 小泉武夫さんの食エッセイである。紹介される食べ物は、絶妙な珍味から、そこらにあるのだが気づかない珍味まで、多士済済である。
 
 
収録は「牛肉に昇天」「オキナワは美味しい」「オキンワは美味美味」「カニ食い大魔王」「我が輩はドクター。エビスキー」「ウイグルで羊を食べつくす」「中国は豚の王国」「干物は官能的」「粗は宝だ」「壮絶!マグロの飼いたい」「スッポンの嘆き」「塩湖は眩しい」「鮟鱇に首ったけ!!」「忘れ得ぬ味」「富津物語」「至福のフグ」「ミャンマーに首ったけ」「右利きのカツオ」の18話。 
 
いくつか、美味そうなところを引用すると 
 
口に入れまして、ひと噛みしますと、ぶ厚い肉からチュルルルルとうま汁が滲み出てきましてな、さらにふた噛み致しますとうま汁だけとではなく、ややジューシーな感じの濃味が湧き出て参りましてな、そこに上品な甘味のようなものも追っかけて出てきましてな、口の中はもう美味汁であふれんばかりになりました。(「牛肉に昇天」) 
とか
 

「カニ食い大魔王」では 
 
福島県の相馬地方の名物カニ鍋らしい「ガニマギ」というものの紹介があって、それは
 
海からコッパガニのような奴を一山、生きたまま石臼に入れ、それを野菜のバットのような丸太ん棒で上からついてトrントロンになるまで潰します。・・・つき上げたものを目の粗いザルにいれて漉しますと、からは除けてドロドロの濃い汁が得られます。これを鍋にとり、少し湯を加えて増量させてから煮立て、途中、とうふとネギ、」エノキダケなどを入れて、少しの酒、味噌などで調味しますと出来上がりである。カニの濃汁は、カニのエキスが汁の表面でフワフワと漂って、ちょうど玉子とじのような形となりますので、この鍋料理を別名「カニのフワフワ汁」とも申します。これを椀に盛って。その熱いのをフーフーと息を吹きながら賞味するわけです。 
 
というもの。 
 
 
さらに 
 
特殊な脂肪をハケで塗りながらカリカリに子豚を焼き上げて出されたのですが・・・カリカリの豚皮をはぐように薄く切り取って、それに甘ダレ味噌をちょんと付け、さらにほそ長く切った長ネギをはさみ、春餅で包んで食べるのでありました。(「中国は豚の王国」) 
 
ってな具合である。どうです、ちょっと涎がでそうでしょ。 
 
 
で、最後に「あとがき」のサバの水煮缶を使ったチープな御馳走を紹介しておこう。 
 
それは 
 
開缶して表れた鯖をまな板の上にのせ、少し固めの背に区のほうとブヨブヨの「腹も」を取り分け、背肉はくずしてマヨネーズであえると立派な酒の肴になります。丼に熱い飯を盛り、腹もを全部載せ、さらに缶に残った水煮汁もガバッと全部ぶっかける。醤油をざっとかけ、一度ざっとかき回し、ガツガツと胃袋に送り込むのであります。 
 
というものなのである。なんとも安っぽいが、あのサバの水煮缶の御世話になった人なら、うん、と頷くこと請け合いのものである。 
 
 
まあ、グルメというのは、豪華なものからグロテスクなものまで、高価なものからチープなものまで、幅広いものであるますねー。

2006年6月25日日曜日

鶏ささ身

ごまだれのドレッシングをかければ棒々鳥風なのだが、私の場合は、刺身のように醤油で食べる。どうも、こうした場合のゴマダレは、甘さがきつくなるようでいけない。ささみは、「病人食」といわれるぐらい淡白。まあ、それが持ち味だから、持ち味どおりに味わってあげることにしよう。


もう一品は、鮭のムニエル。最近、よくお目にかかるメニュー。醤油を少し垂らして、飯のおかずに。
どうも風邪をひいたのか、今朝から咽喉が痛んで、調子がでない。日中、小雨の降る中、防災訓練で放水の練習なんぞをしたのもよくなかったのかもね。



北村 薫「覆面作家の夢の家」(角川文庫)

"外弁慶"のお嬢さま 新妻千秋さんの登場する「覆面作家」シリーズもこれで最終巻。
推理世界の編集者 岡部了介とのコンビの息もぴったりあってきた感じだ。

収録は「覆面作家と謎の写真」「覆面作家、目白を呼ぶ」「覆面作家の夢の家」の三作。


まずは、「覆面作家と謎の写真」。このお話で、岡部了介の兄で刑事をやっている岡部祐介が、了介の「推理世界」のライバル誌、小説ワルツの編集者 静美奈子さんと結婚する運びとなる。

その会場「イワトビペンギン」で出会った、鳥飼さくらさん(この人も小説わるつの元編集者という設定だ)のもちこんだ事件。

事件の中身は、ディズニーランドへ友達で連れだって遊びにいって写真をとったが、その写真の一枚に、今はニューヨーク支社に転勤になっていて日本にいないはずの編集者の同僚が撮影されていたというもの。
まあ、ニューヨークに転勤した本人は生きているし、迷惑かけないなら生き霊ぐらいうっちゃっておけばよいのでは、と思うのだが、この謎を、お節介にもお嬢さまが解いてしまうという展開。

ネタばれは、昔の恋は今が幸せでも未練があるのね、というやつで、まあ、実害がないようであれば、こういうのは封じ込んでしまったほうがいい、とは私の勝手な感想。


第二話「覆面作家、目白を呼ぶ」は、「推理世界」の新人賞に応募してきた有望な作家候補に了介が会いにいくところから始まる。

なんでも、その新人作家、マルハナバチに詳しくて、それを使ったミステリーを書いたのだが、それは出来が良いのだが、その作家が自らが知悉しているジャンル以外で小説が書けそうかどうかを見定めに東北までいくことになった。ところが、その行った先で、その新人作家の今の勤務先(電気製品のチェーン店)の上司(主任さんだ)の車が、目の前でう山道から落ちて炎上するところに出くわす、というもの。

ネタばれは、ハチのアレルギーは死にいたることもある、ということと虻は蜂に似ているというあたり。

事件の謎解きももちろんだが、

トマトはマルハナバチで受粉しないとカスカスのものしかできないので、1世代で終わるような西洋マルハナバチのセットが売られている 

とか 

サクラソウの植生地を守ろうと思ったら、その周辺の広大なマルハナバチの棲息地を守らないと50年後、100年後にはサクラソウの植生地はなくなってしまう、といった"マルハナバチ Tips"も面白い。
このお話、了介とお嬢さまは外泊(といっても、お嬢さまの別荘にだが)をしちゃうんですよ。


最終話の「覆面作家の夢の家」はドールハウスの殺人事件を解決するもの。

といっても、人形が殺されるわけではなくて、殺人現場を象った「ドールハウス」に込められた謎を、お嬢さまが解き明かすもの。
でも、人形が、人差指で「恨」とダイイング・メッセージを残して倒れているドールハウスってのは、ちょっと苦手。なんとなれば、takafamは、アンティックドールとか雛人形ろかが大の苦手なんですよ。


とまあ、個人的な嗜好はおいといて、ネタばれは、"百首歌"。

といっても、御存知ない人がほとんどと思う。わたしもこのミステリーで初めて知った。
で、「百首歌」っていうのは何か作中からひろうと、

歌をまとめて発表するときの形式で、「堀河百首」っていうのが公式版で、一番目は「立春」、二番目は「子日(ねのひ)」三番目は「霞」というふうに百番の「祝詞」まで1〜100までそれぞれの歌題が決められているもの。

ちなみに「恨」は80番目。この80番を百人一首であてはめると・・・・と、かなりネタばれしてしまったな、まだ読んでいない人ごめんなさい。
でも、この百首歌を使えば、数字を漢字で表せる(例えば1001だったら「祝詞、立春」とかね。0は無理だけど)。他のミステリーでも使われそうなトリックではある。


お嬢さまの推理で、このドールハウスの謎もめでたく解けて、ドールハウスの送り主と受け取り手はめでたく恋を成就してしまうのだが、なんと、了介とお嬢さまも、なんとかなてしまいそうなエンディングである。
このシリーズこれで終わりらしいが、新妻が新妻になってしまったら洒落にならないせいで、ここで巻引きとなったのかもしれない、と邪推するのであった。

さくらんぼ

お歳暮がわりに、当地名産の「梨」を、全国あちこち(といっても、北は関東までが北限なのだが)親戚に送っているせいか、お返しに、あちこちの季節の果物が多い。先日は、びわだったが、今日はさくらんぼ。

大粒でつやつやしている「さくらんぼ」は、健康そうなイメージでよい。
一昨年ぐらいから話題になっていた、さくらんぼ泥棒は最近どうなのだろう。実った頃に、ごっそり盗まれるっていうのは、農家にとっては一番がっくりくる仕打ちに違いない。、とにかく、「ごっそり」はよくないよな。


2006年6月24日土曜日

鶏の手羽揚げ

鶏の手羽を揚げて、甘酢のタレをかかける簡単な料理。
ただ、手羽自体が、鶏肉の中で一番美味いところだと思っているので、結構、結構。

うちの奥さんは、結婚前は、手羽なんてものには触りもできなかったのだが、修行の成果がでて今では大丈夫。ただし、料理までで、自分では食べない。
手羽といえば、一度煮て、スープストックをとってから、醤油のタレにつけて焼くという、肉一つで二度美味しい食べ方が「檀流クッキング」に紹介されていたような気がするが、手間は普通に揚げるより倍いるので、奥さんの機嫌が特段よいときでないと頼まない。


これは、トマト と とうもろこし。
とうもろこしは茹でただけ。こういう取り合わせが出始めると夏を感じるね。


もうひとつは「白イカのゲソ」。刺身にしたゲソのところを茹でて、しょうが醤油で食べる。
茹でたイカの甘みがあって、これは絶品だよな。どうかすると、白イカの刺身より美味い時があるような気がするが、こいつは、また別の機会に、ゆっくりレポートしよう。

井沢元彦「織田信長推理帳 五つの首」(講談社文庫)

織田信長が探偵役を務めるミステリーである。織田信長といえば、癇癪持ちだが、頭もすごくキレそうなイメージがあるので、探偵役としては、結構うってつけかもしれない。
 
 
この「五つの首」は、まだ都へ上洛する前、美濃の斎藤龍興を、堺に追い払ったあたりで、織田家がまだまだ登り調子で、信長の癇癖が原因の暗雲はまだかけらもないような時期の設定である。 
 
 
この時期、上洛の足掛かりを何も持たない信長としては、錦の御旗というか、上洛する何かのシンボルが必要だったのだろう。この話は、そのシンボルとなる「足利義昭」を越前朝倉家から、岐阜へ迎えようとする際におきる信長暗殺の謀略にまつわるミステリーである。
 

いったいに歴史ミステリーというのは、大枠が制約されていて、例えば、この「五つの首」のように信長の暗殺が企まれても、信長は本能寺の変まで生きていることがはっきりしているから、破天荒なストーリー展開に頼らず、もっぱら、謎の設定と謎解きの面白さで読ませるしかない。
 
そして、このミステリーは、歴史的な出来事を曲げることなく、足利義昭や、越前朝倉家がさしむけた暗殺者、木下藤吉郎(秀吉のことだよね)や蜂須賀小六とか、多士済済のメンバーをとりそろえながら、義昭を岐阜へ招いた時におこったのかもしれない歴史に埋もれた事件のように仕立てて、読ませる技はさすがである。 
 
 
さて、筋立は、信長の岐阜の御殿に、手文庫ほどの白木の箱が届けられる。
 
中には、5つの人形(行商人、御殿女中、衣冠束帯の公家、直垂れ姿の武士、鎧武者)が入っていて、いずれも首がない。で、近いうちに信長の首をもらうという書き付けが入っていた、というところからスタートする。
 
なんのことかとうっちゃいといて「足利義昭」を迎え入れるため、急拵えの御所をたてたり、藤吉郎を朝倉へ忍び込ませたりといった準備をしていたら、城下で首なしの死体が発見されはじめる。しかも、行商人、御殿女中・・・と、この箱に入っていた人形になぞらえて殺されているようだ。
順々に殺されていって、最後の鎧武者に見立てられている信長の身に、この暗殺者の手が延びるが・・・・、といった展開である。 
 
 
少しネタばれすれば、この箱の人形の見立て、「ABC殺人事件」みたく、木の葉は森の中に隠せ、のように、死体は死体の中に隠せ、というところとなぜ首をわざわざ切らないといけないのかというあたり。 
 
 
歴史のすき間には、ひょっとしたらこんなこともあったかもねー、という感じで気軽に読みたいミステリーである。

2006年6月23日金曜日

湯葉豆腐

「湯葉豆腐」というものをいただいた。
豆乳の中に、湯葉をいれて豆腐にしたものらしい。
見た目は普通の豆腐なので、冷奴と同じように、ネギを散らして冷奴のたれをかける。で、普通の豆腐のつもりで、口にいれると、あれれ、ねっとりとしてるぞ、といった具合で、もっちりとした食感と湯葉の甘さのようなものがひろがる、ちょっと驚かされる味わい。
途中、豆腐の中から、湯葉が顔を出し、ニュクニュクとした味わいがあるのも面白い。
これはこれは、しかるべきところでお会いしたなら、さぞや・・・と思わされる品でありました。


ほかは、白イカの刺身と

舌ヒラメとツキノワのムニエル。ちょっと薄味に仕上っているので、これは醤油をかけると飯のおかずにぴったり。
「湯葉豆腐」は楽天市場でも売っているようだ。

小林智子 「主婦もかせげる アフィリエイトで月収50万」

アフィリエイト本とかは、滅多に買わないのだが、アフィリエイトの草分けの通称「藍玉」さんの著作とあって、ちょっとアフィリエイトを真面目に勉強してみようかと、買ってみた。

買う前は、こうしたらアクセスがあがるとか、こうしたら売上げアップといった、アフィリエイトの売上げ向上のノウハウだけの本かと思っていたら、どうしてどうして、アフィリエイトに熱心な奥さんのアフィリエイト・エッセーみたいな感があって、意外に楽しめた。

もちろん、ショッピング型モールのコツとか、おすすめHPとかテーマ型サイトのつくりかたとか、アフィリエイトを利用したネットショップを構築したり、運営したりする上でのノウハウはきちんと書いてあるのだが、それ以外に例えば

私はパソコンに向かっているときだけ、アフィリエイトをしているわけではないのです。普段の生活の中で常にアンテナを張っておくと、アフィリエイトのヒントがあちこちに転がっているのがわかるんです。

とか

アフィリエイトをきちんとするためにスケジュールを組むくだり や、

アフィリエイトにのめりこみ過ぎるとだんなさんにそっぽを向かれてしまう恐れがあるから、・・・。

など、普通の奥さんからスーパー・アフィリエイターになった人らしい、素直で、率直な悩みや生活の工夫が語られているところが好感がもてる。

一体に、こうしたノウハウ本は、妙な自慢が鼻につくことが多いのだが、それを感じないのは、この人の人柄だろうか。アフィリエイター主婦のエッセイとして読んでもよい本である。

2006年6月22日木曜日

XOOPSをワークステーションにする

自宅サーバにXOOPSをいれて、何か面白い使いかたがないかな、と思っていたとき、XOOPSをグループウェアのように使おうとしているサイトをみつけた。(半分、おちゃらけ風もあるが・・・)
xoops asGroupware
とか
xoops模擬的社内イントラ風
で、これは!!!と思ったのが、自宅サーバーに、個人利用のポータルというかワーキングステーションというか、簡易Web仕事場をつくってみようか、と思った次第。
当座、スケジュールとTODOとメモ、プロジェクト管理シートあたりがあればよいかな、と個人利用のXOOPSサイトを構築中である。(欲をいえば、ファイル管理系も欲しいな)
これも、閲覧や投稿が、ユーザーごとに細かくアクセス権限がきれるXOOPSならでは、というところがあるのだが、構築レポートと、どんなモジュールをいれたかは、このブログでレポートすることにしよう。

じゃがいものオムレツ

酒呑みの通例か、いも、まめ、かぼちゃの類はちょっと苦手である。
といっても、子供のころからずっとそうだったというわけではない。
子供の頃は、今よりもう少し田舎(いわゆる農村ってやつですな)に住んでいて、しかも、両親が共働きだったから、祖母に育てられたようなものだった。で、年寄りの常として、いも、まめ、かぼちゃのおかずが多くなる。どうかすると、毎日、そういったおかずが続いたこともあった(昭和40年代でも、肉とかは、えらく御馳走だったような気がする。)。そのときに一生分食った気がするせいか、好んでまで、いも、まめ、かぼちゃは食わない。
しかし、こうして時折つくられる「じゃがいものオムレツ」なんかは、普段、子供に好嫌いするなと一定いる手前、無碍に食べない、ということもできないから、特別に小さめにしてもらう。
その上で、ケチャップ、ウスターソースを、これでもかっていうぐらいにかけて食べる。うまいのかって聞かれると、「うむ・・・、まあまあ」という程度に答えざるをえないのだが、まあ、ともかく、こうして食べる。

ありがたいことに、鰻の蒲焼きも二切れ。さすがに、じゃがいものオムレツでは、ビールをぐびぐびというわけに私の場合いかないので、もっぱら、このあたりを肴にする。

あとは、じいさんやばあさんのお昼ごはんの時に余ってしまったらしいハタハタの干物(うちのばあさんは、衝動的におかずを満漢全席状態にする傾向があって、ときおり、誰が食べるのか不明のおかずが出現することがある)。焼いてから時間がたっているのだが、醤油をかければ、なんということはない。これも貴重なビールの肴となったのであった。

平家鯛

なんかスゴイ状態の魚をみつけたので、撮影。
平家鯛というらしい。
ぺろんと服を脱いだような状態である

ダン・ブラウン「ダ・ヴィンチ・コード」

昨日の夕方から雨模様で、本当に梅雨になったのかな、と実感。
 
やっと「ダヴィンチ・コード」文庫本 全3巻を読み終えた。かなり時間がかかってしまったなー、というのが実感。
仕事の方も、ちょっと忙しくなっていたのも読み進めなかったのも一因ではあるのだが、やはり「キリスト教」というあたりが、読み飛ばしていけなかった大きな原因なのだろう。
 
筋書き的には、イエス・キリストとマグダラのマリアとの関係について、ある秘密結社(「シオン修道会」というらしい)が、カトリック教会(というより、教会をはじめとするキリスト教全般)の目から秘密を守り通してきた。その過去の総長の一人がレオナルド・ダ・ヴィンチで、彼は秘密に関する様々な示唆を絵画をはじめとする作品の中に残している、というのが底流にある流れ。
 
発端は、この秘密結社の現代の関係者と(と後でわかる)思われるルーブル美術館の館長が殺される場面から。
死体には自らが細工したと思われる「ダビデの星」やらブラックインクのダイイング・メッセージやらなにやら奇妙な仕掛けがあって、この館長の孫娘と犯人に間違えられたアメリカの学者が、その謎から導き出されるキリストの謎を解き明かしていくという展開である。
 

キリスト原理主義っぽいような教団の信者(これがまた、アメリカやフランスで結構力をもっていて、おまけにバチカンからの支援も受けている、というのが不思議なとこだな)やら、腕利きで国内の有名人である捜査官や、「聖杯」の研究をしていてフランス住まいのイギリスの貴族やらがでてきて、それなりのサスペンスとしての楽しみや、ダ・ヴィンチやキリスト教のペダンチックな知識は面白いのだが、なんか「のれなかった」というのが、読み進むのに時間がかかった原因。
 
で、「のれなかった」原因というのが、「キリストの謎」というのが、仏教徒というかシントーイストというか、無宗教に近い日本人の一人として、「ふーん」というあたりだからだろう。
で、最後の方で、この孫娘が実は、さる高貴な(しかもやたら高貴な)血筋で、死んだと思っていた家族が実は・・・、てなことになってくると、おいおい出来すぎじゃないの、とつぶやきたくなる。
 
もっとも、このあたりは、欧米では、映画の公開にあたってカトリック教会が影響を懸念する声明を出したり、信仰は揺るがないという人もでてきたり、まあ、かなりの騒ぎだったように見受けるのだが、実のところ、キリストが妻帯者であろうと何人の子持ちであろうと、あんまりショックを受けない「異教徒」の私としては、薬味、汁ぬきで蕎麦を食うような面持ちで、なんとも拍子はずれの「話題作」だった。
 
でもまあ、ダ・ヴィンチや古代のキリスト教にまつわるTips、
 
例えば
 
カバラ密教ではアナグラムを重んじ、ヘブライ語の字句を入れ替えて新たな意味を導き出していた。ルネッサンス時代のフランス歴代国王は、アナグラムに魔力があると信じていたため、直属のアナグラム研究家を登用して重要文書の文言(もんごん)の解析にあたらせた
 
とか
 
ダ・ビィンチには、描いただけで制作に移さなかった設計図が難百枚もあった
 
とか
 
ニケーアの公会議が開かれるまで、信者たちはイエスを人間の預言者だとー影響力に飛んだ偉大な人物ではあるが、あくまでも人間とみなしていた。
"神の子"というイエスの地位は、ニケーア公会議で正式に提案され、投票で決まった。しかも、かなりの接戦で。
 
とか
 
新約聖書を編纂するにあたって、80を超える福音書が検討されたが、採用されたのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つだけだった。おまけに、その聖書をまとめたのは、異教徒だったローマのコンスタンチィヌス帝(この皇帝、キリスト教徒に改宗したように思っていたのだが、実は死ぬ間際に先例を受けただけだったらしい)
 
などなどは、面白い。
 
うーむ、まあ、話題作でありますねー。

2006年6月21日水曜日

かわはぎのアラ汁

刺身を買ったついででもらった、かわはぎのアラを汁仕立てにしてもらった。汁で煮立てるだけでは、生臭身が残るので、最後にしょうがのおろし汁を加える。味噌仕立てである。ネギをちらせばよかったのだが、失念していた。しょうがの味が、汁を引き締めてオツである。
アラを食べていくうちに、かわはぎの頭が出現した。

アラを食べていくうちに、かわはぎの頭が出現した。
別名「うまづら」とはよく言ったもので、確かに馬の頭のようなイメージである。
ここの目の下とかの肉をほじる。今日のアラは、肝のところが大きい。料理屋あたりでは、この肝を別に煮たり、肝あえとかにするのだろうが、そこは一般家庭。乱暴にアラ汁にぶちこむ。



刺身は、アラ汁の本体の「かわはぎ」と「月の輪」。アラの方をメインの話題にして、本体には申し訳なかったのだが、もっちりとして本体もよかったですよ。

焼き魚は「サンマ」。塩サンマだが、ヒラキではなく、この時季に食べられるのも、考えてみれば、技術進歩のおかげだよね。このサンマの原産地はどこかしら。

びわ

親戚から送ってもらった「茂木びわ」も、残り少なくなって、数少ない「びわ」をエントリー。
うちの庭にも勝手になったびわの木はあるのだが、こんなに甘く、大きくはならないよね。
でも、びわってのは、果肉は上品な甘さなのに、あのタネの大きさは非常に下品な感じがするのは、私だけだろうか。あの薄い果肉をかじっていると、もっと、たっぷり食べたくなるような気がする・・・。
「茂木びわ」じゃないけど房州産も美味しそうだよね。


松尾由美 「バルーンタウンの手毬唄」(創元推理文庫)

翻訳家兼妊婦探偵 暮林美央シリーズの3冊目である。

二人目の子供、砂央を出産した後の美央のもとに、「バルーンタウンの手品師」から登場した東都新聞の家庭欄の記者 友永さよりが訪れて、今まで公になっていない事件の話を聞いていくという設定になっている。

暖炉前の引退した名探偵から、若い人(小説家や新聞記者)が昔話を聞くという、ミステリーの一つの定番をしっかりなぞってある。たしか、岡本綺堂の「半七捕物帳」も同じような設定だったよね。


収録は「バルーンタウンの手毬唄」「幻の妊婦」「読書するコップの謎」「九カ月では遅すぎる」の4編。

まず一作目の「バルーンタウンの手毬唄」は、いわゆる「見立て」の事件。
バルーンタウンものでは滅多に殺人はおきないので「殺人」とはいえないのだが、被害者は麻酔薬で眠らされてしまっているところを発見されるから、血は流れないが、「見立て殺人」と同じ雰囲気。

見立てられるのは、バルーンタウンで昔流行した「手毬唄」である。
この手毬唄、妊婦の様子を見立てた唄で、例えば「妊婦五カ月、花にたとえりゃまだつぼみ。ゴマメに牛蒡に胡麻食べて。いつも笑顔でよいお産」ってな具合のが、10まで続く、妙な唄だ(ちなみに、この手毬唄、五から始まる。5ヶ月から安定期に入るので、それまでは、手毬つきなんてしちゃいけないらしいのだ)。

この唄になぞらえて、その月の妊婦さんが、例えば、5ヶ月なら、まわりに胡麻や小魚をまかれて、頭上に牛蒡をクロスして眠らされて発見される。しかも、そのお腹には黒く5という数字が書かれていて、母子手帳(とバルーンタウンの住人が言っているだけで、いDカードなのだが)が盗まれている、といった事件が、5、6、7、8と続くっていう展開。

この犯人の目的は何かっていうのが、この話のキーになるところで、ネタばれを少しすれば、目的の違う犯行が続けて起こると、複数犯も単数犯に見えるといったところと、特殊な環境の街では、商売を繁盛させるのも結構苦労するだろうなー、というあたり。あ、もうひとつ、こうした街でも恋愛沙汰はおこるんだ・・、いうこと。
途中、タウンの公務員の高林さんと暮林美央が見立て殺人の納得できないところを「何でわざわざこんな面倒なことを?普通に殺せばいいじゃない」というあたりだと話し、ヴァン・ダインの「僧正殺人事件」がマザーグースの見立てになっていて、その童謡集が飛ぶように売れた、と作中のエピソードを紹介しているが、このへんも、きちんと隠し味になっているところは流石である。

「幻の妊婦」は。暮林美央のところに原稿をとりにきた編集者が、美央のいつもの締め切りを守らない癖のおかげで、自分とこの編集長の暴行事件の嫌疑をかけられるというもの。犯行の時刻には、見ず知らずの妊婦と公園で夜のピクニックに誘われ、バスケットいっぱいのサンドイッチやらなにやらをご馳走になっているのだから、なにやら、この編集者、犯人に見事はめられたような感じがしなくもない、といった筋立て。
襲われた編集長っていうのが、どうも編集者に厳しい、作家にも厳しい、といういわゆるやり手の編集者らしく、恨みを全くかっていないわけではない、というのがちょっと事件を複雑にしているところ。

ネタバレは、夜のピクニックは、犯行を偽装するために仕組まれたものなの?というところ。ちょっとアンフェアでしょ・・・というところがないでもない。

あと、この話で少年探偵団ならぬ妊婦探偵団「バルーン・タウン・イレギュラーズ」が登場。ただし登場の場面は、探偵団というより、おニ○○コクラブっぽいのだが、このギャグ、ちょっと古いかも。

3話目の「読書するコップの謎」は、「バルーンタウンの手品師」に収録されている「オリエント急行十五時四十五分の謎」で作家の須任真弓がした「本格ミステリーを書く」という宣言を果たすために書いたミステリーの習作を、美央のところに持ち込んで犯人あてをしてもらおうするという趣向。いわうる「話の中の話」の設定。

その話というのが、バルーンタウンで弁護士のかたわら妊婦の秘密をタテに恐喝をしていた悪徳弁護士が事務所で殺される。しかも、殺害の時、弁護士の恐喝されていた妊婦5人全員が、何の目的か事務所に集められていた。殺人の様子は、顔は見えないにしても、偶然、犯行現場のクローゼットの中に入っていた妊婦の一人が目撃していて、どうも立派な「亀腹」の妊婦らしい。ところが集められた妊婦、腹の形が違ったり、犯行時、下痢ピーでトイレとビストン移動中であったり、とそれぞれにアリバイがある。さて・・・という次第。
ネタバレは、「妊婦かどうかは見た目で判断される」ということと恐喝者が恨みをかいそうなのは、恐喝されていると訴えている人だけではない、というあたり。

で、結局、話中話の謎も、美央が解いてしまって、おまけにその話をネタに、自分の原稿遅れを帳消しにすることをたくらむのだが、それは原本で。


4話目の「九ヶ月では遅すぎる」のワトソン役はひさびさに女性刑事の江田茉莉奈である。
彼女が、暮林家にくる途中で背広姿では遅い、とか雨だからどうこう、と妙な話をしているところに出くわすのが話の発端。

おきる事件は、バルーンタウンの有能な公務員 高山主任が窃盗の嫌疑をかけられるというもの。
しかも狭い廊下が入り組んでいて、しかも、天井まである棚に水槽がおかれていて、通常の(妊娠していない、太っていないと言う意味で)人でも出入りが難しい部屋でIDカード入れが盗まれる(カード入れといっても宝石をちりばめた「皇帝の母子手帳入れ」なのだ)。もっとも盗む現場を捕まえられたわけではなくて、高山主任が、その部屋にいるときに停電がおきて、懐中電灯を捜したりで部屋を出入りしているうちに、電気がつく。ところが、明るくなってみるとカード入れが無くなっていたというものだから、何やらはめられてくさい事件。ところが、彼女のほかに、部屋の近くにいたのは妊婦ばかりで、とても狭い通路は通れそうもない・・・といった密室もの。

ネタばれは、通路が棚の水槽で狭いといっても天井まであるわけではない、ということと妊婦の体系は洋梨型なのだが、一番でっぱっているところは足に
長さによって地上からの距離はかわるよね、といったあたり。

事件の動機は、なにやら政治家のなまぐさい秘密がもとなのだが、政治家に昔はめられた父親の名誉回復をはかる娘さんが、この高山主任の事件にかかわっていて、最後はそれなりに孝行物語で大団円となる。


しかし、この娘さん、父親がはめられて一家離散の後、サーカスで身をたてたっていう設定は、昔、サーカス団は子供をさらっているという与太話があった世代としては、苦笑してしまう小ネタでありました。

2006年6月20日火曜日

高野和明「十三階段」(講談社文庫)

犯行時刻の記憶を失ってしまい死刑囚にされている男、「樹原」の冤罪を晴らすため、刑務官と、前科を持つ青年が調査に乗り出すという筋立のミステリー。

書名の由来は、死刑が執行される絞首台の階段数が13であるように言われているところなのだが、どうやら13段の絞首台がつくられたことは、巣鴨プリズンの絞首台を除いて日本ではないらしい、と書中にある。この巣鴨プリズンのものはアメリカ軍作成らしいから、この13というのは、やはりキリスト教盛んなところの風習なのだろう。

このミステリー、最初は、死刑囚が刑の執行のために呼び出される場面から始まる。ページ数にしてはさほど割かれていないのだが、呼び出される男が暴れ、咆哮し、嘔吐する様子が、「樹原」を通して描かれているあたり、かなり陰惨な滑り出しである。
さらに、出所者の出所してからの様子を冷静に書き出しているあたりは、最初の死刑の呼び出しの場面と同じく気が滅入るものではある。例えば、被害者への賠償で工場や家を手放している青年の両親とか、学校を止め、家をでた弟とか、犯罪というのが被害者だけでなく加害者の家族を巻き込むものであることを思いしらされる。


さて、探偵役というか主人公が、刑務官というのも珍しいが、それと前科をもつ出所したての青年というコンビも珍しい。

しかも、この刑務官の南郷が頼まれたのが、前述の樹原の冤罪晴らしのための調査で、成功報酬が一人につき1千万という破格の報酬である。しかも、その調査の相棒に、出所したての青年(三上純一)に頼むなんて、なんか裏があるんじゃないの、と思ってしまうのだが、このあたり詳しく書くと完全にネタばれになるので、これ以上はよしておく。


この樹原の事件というのが、保護士が自宅で大きな刃物で、頭をかち割られ、脳漿が飛び出たような惨殺される。しかも、息子が発見者で、その息子は、犯人として捕まった樹原が数メートル先でオートバイ事故で倒れているのを目撃して119番通報をしようとして、親の家に立ち寄っている。さらに、この被告人が、事故のショックで、犯行のころの記憶をすっかりなくしている、というおまけつき。

で、この調査の焦点は、その記憶喪失の最中に、樹原が「階段を登っていたような気がする」といった言葉を頼りに、犯罪現場近くの「階段」探しをするのが中心になるだが、最後の方で、突然、階段が出現するあたりは、ちょっとヤラセのドキュメントっぽい。


ネタばれは、職業が聖職と言われていてもいいやつばまりとは限らないということと、いかに悪人であろうとわが子は可愛いという親の煩悩というあたり。ついでに、このミステリー、三上の昔の事件というか出来事もいろいろ絡みこんでくるの、ちょっと重層的な筋立になっているので、そのへんは要注意である。

読後感は、ちょっと重々しいミステリーなのだが、

例えば


昭和天皇崩御の際、恩赦がでることを予想して、死刑判決を裁判で争っていた被告人が、自ら上告などを取り下げて「死刑」を確定させたものがあった。恩赦は、刑が「確定」していないと適用されないことを知ってのことだったが、その時の恩赦には死刑の軽減は含まれず、その被告人たちは自ら死刑を確定させたことになった 

とか


刑の執行ボタンは3つあって、三人の刑務官が同時にそれを押す。スイッチになっているのは一つなのだが、どれが、そのボタンなのか、刑務官本人にかわからないようなしくみになっている 

とか


一度、長期間手錠をはめられた者は、腕を拘束するようなもの、それが腕時計であっても、はめたがらない 


などなど、刑事事件や刑務所や受刑者のあまり知られていない話が随所に織り込まれているので、そうしたところに着目して読んでも興味深い。

ちょっと、重苦しい気分になるけどね。

ほうぼうとこちの刺身。甘鯛の煮つけ

今日の刺身は「ほうぼう」と「こち」。あまり食べないよね、こういう魚は。

どちらも白身の魚なのだが、「こち」の方が、もちもちして美味いような気がする。といったら、「こち」は高級魚だぞ、奥さんに怒られる。でも、ほうぼうは、ちょっとあっさりしすぎているような気がする。
この刺身に、それぞれのアラがついていた模様。どうやって食べるかは、今後思案とのことらしい。

もうひとつは、「甘鯛」。京都あたりの都では、珍重される魚らしいが、こちらのような海に近い鄙では、あまり喜ばない。なんか日向くさい感じがするのだが、これは私の気のせいか・・・。

まあ、不味い魚ではないので、「古都」を偲んでいただくとしよう。



2006年6月19日月曜日

イワシの刺身

この時季の「イワシ」は脂がのっていて刺身にはもってこい。おおぶりの切り身にして、ネギをバラバラとふってやる。ちょこでちまちま醤油をつけて食べるのではなく、ぶっかけて豪快に食べよう。

もともと、「イワシ」は下魚といわれていたものだから、こうした乱暴な扱いがしっくりくるような気がする。最近は漁獲量が見直されたり、青魚が見直されたりで結構持ち上げられることが多いのだが、やはり近所の昔馴染みよろしく、ざっかけない調子で食べたい。

もうひとつは、サバの酢の物。〆サバと違って、酢とキュウリの間にサバが泳いでいるような酢の物。まあ、サバも脂がきついから、この扱いもしょうがないか

最後に「亀の手」。これはいつか書いたよね。磯の貝だ。今日のは、ちょっとこぶりで、ちまちまとした身しか入っていないものが多かったのだが、そのほうが味が細やかだという説もある。

2006年6月18日日曜日

イワシのムニエルとマグロのやまかけ

私が、夏が近いな、と思う家庭料理がいくつかあって、これがその一つ
いわしを開いて、塩コショーして、小麦粉をつけてフライパンで焼く、至極単純な料理。
それが、妙にビールにあう。もちろん、ソースをドボドボかけて、下品な感じにしておかないといけない。

「まぐろの山かけ」は、まぐろの刺身に「長いも」のすりおろしたものをかける。
結局、飯にぶっかけて食する。まぐろのやまかけ丼である。

も一つは、回鍋肉。この辛みが、またビールを誘うんだよね。

2006年6月17日土曜日

あごの刺身

「あご」というのは、山陰の方言で、標準の魚名は「とびうお」のこと
結構、小骨が多くてさわることがあるのだが、今日はあまりさわらなかった。
味は、かなり淡泊。ちくわとか干物の方が味が濃いような感じがするのだが、まあ、季節のものは季節のもの。旬は大切にしよう。


当然、あごの刺身だけで足りなくて、焼肉のチチャ包み

どうも、うちの焼肉チチャ包みは、肉の都合というよりは、家庭菜園にあるチチャの成育具合によるらしく、今日も突然、焼肉になった。

焼きラーメン

近頃はやりの「焼きラーメン」というものを食べてみる。
永谷園製品なのだが、結構面白い食感。
細麺のラーメンなのだが、タレがこってりと絡みこんでいて、餡かけ焼きそば風。
具は品書にあるとおり、キャベツ、豚コマ、もやしといったところを混ぜたので、ますます餡かけ焼きそば。
でも、まあ、こってりとしたものではありました。

すもも

すももが出始めた。初夏ですねー。ものすごく甘いとか、ものすごく酸っぱいとかいうわけでもなく、一口齧ると、期待はずれに終わることが多いのだが、この「赤」に、ついつられてしまうんだよね。


2006年6月16日金曜日

岩ガキ

山陰の夏の風物詩、「岩ガキ」の登場である。6月始めから解禁で、初物に近いのだが、ちょっと張り込んだところ。

広島とか宮城の冬のカキと違って、おおぶりである。種類が違うように聞いたことがあるが自信はない。
で、初物は初物らしく丁重に扱おう。慎重に殻からはずし、小皿にとり、ポン酢をかけて・・・
うむ、ジューシーな磯の香りが広がりますなー。夏の海ですなー、このおつゆがカキの醍醐味ですなー、と一口で食べてしまう。
さて、もう一個・・・・・・・・は、無いですよね。初物ですものね。お高いですものね。・・・


気をとりなおして、鮭のバター焼。醤油をちょろちょろと垂らしていただく。これはこれで、定番の惣菜として結構ではあります。


2006年6月15日木曜日

豚肉のピカタ

今夜は、家族との晩ごはんの時間には間に合わなかったので、一人、もそもそと晩ごはん。
こういう時って、飲みすぎるんだよねー、と思いつつ、飲みすぎてしまう。
ついでに、子供達が残しているものまで食べてしまって、カロリー取りすぎもいいところ。


とはいっても、腹がへっているものは仕方がない、とアジの刺身もいただく。青魚は健康にいいんだー、と自己弁護。
うなぎの蒲焼きも二切れほど残っていたので、ごはんの上に乗せてタレをかけて、簡易版鰻丼。うなぎは滋養強壮の素。夏バテの薬なのだ・・・・

最近「うちごはん」のエントリーを、「庶民の食卓」ブログ風にかえてみた、なんとなくよろしいんではないでしょうか、と自画自賛

2006年6月14日水曜日

ハムサラダ

今日は大皿料理がほとんどだが、ハムサラダは一人づつ。サラダといっても、生野菜系。試供品のエコナのドレッシングをかけて食べた。和風味である。


鳥唐揚げの山盛り。当然、手掴み。

蕎麦の山盛り。蕎麦ちょこは用意するが、ザルなんてものは用意しない。鉢から、直接たぐって食べる。
うーむ、今日は、おおざっぱ過ぎるなー。

これはちょっと小技。白イカの刺身。

2006年6月13日火曜日

鱒の頭

鱒の頭が手に入ったので、酢をきかせて煮る。身のほうは、別に用途があるらしく売ってない。頭は、6個で100円である。
アゴのあたりから下が、ザッパリ切ってあるので、首まわりとか目のまわりの肉をほぐして食べる。思ったより肉がついているのが以外。軟骨のあたりは、食べやすいところだけを選んでコリコリ齧る。
味は、ちゃんと「鱒」である。

もうひとつは白いかの刺身。こちらは、奇を衒うことなく、ちゃんとした刺身。イカのコリコリがうれしい。白いかが出始めると、夏を感じさせる。刺身用の醤油におろし生姜でいただく。

2006年6月12日月曜日

かぶと白バイの煮物

珍しく、凝った野菜の煮物。かぶと白バイと油揚げを煮付けたもの。白バイが、いいダシをだしていて、味がほどよくしみている。蕪は蕪らしく、ひなびた田舎臭さを忘れていないのが、また良い。
刺身は、「アジ」。結構、毎日続いているが、旬を食べるというのは、こういうことだろう。大量に獲れるということは、旬の証拠でもある。


もう一品は、旬とはほとんど関係なく、牛肉のタタキを少々。旬に関係なく、食べられるのが最近の肉料理の強みか・・
本日は、午後から、訳もなく休暇をとり、サーバーのメンテナンスをしておりました。phpADMINをいれてXopsのバックをとろうとしたら、ちょっとトラブル。Xoops再インストをまたやってしまったのでした。
明日からは、ちょっと仕事がきつめになりそうなので、ダラダラと過ごした半日でありました。

2006年6月11日日曜日

鶏肉の照り焼き

今日のメインは、「鶏肉の照り焼き」。メインといっても、そんなに手はこんでいない。鶏肉に照り焼きソースをからめて焼く、といったもの。でも、お手軽だけど美味しいですよ。

魚は「かわはぎの煮付け」。鶏肉が結構味が濃いので、煮魚は、あっさりめがいい。その点、かわはぎは、とても淡白。

と、もう一つ。キムチ。袋詰めの本場もの、というふれこみだった。ちょっと、まだ漬かりが若くて、生臭身が強い。もう少し、発酵がすすんでちょっと酸っぱくなったあたりが、私の好み。それまでは、ちょびちょびつまむぐらいにしておこう。