2006年5月2日火曜日

井沢元彦 「義経はここにいる」

いまさら「義経伝説」かなー、おやじの定番 大河ドラマも戦国時代に移ったしねー、とは思ったのだが、リサイクルショップに安く出ていたので、あまり考えずに購入。
 
 
で、読みはじめたのだが、そこらあたりの「義経北行伝説」を無責任に煽るものではなかった。 
むしろ、奥州平泉の当時の情勢や仏像の様式まで、幅広くとりあげながら、岩手の地元大企業におこる殺人事件と「義経北行伝説」を双方とりまぜながら展開していっている。 
 
 
文庫本の解説で「物書きの世界には「化ける」という言い方がある。ある瞬間に大きく飛躍した状態を言うのだが、まさに井沢君はこの作品で化けた」と、歴史ミステリーを得意とする同業者の高橋克彦に言わしめているように、信長もののミステリーから「逆説の日本史」にまで至る、「言霊」「怨霊」をキーワードにした歴史理解へとつながっていく、記念碑的作品といってよいであろう。 
 
 
 
と、いうことで、筋立は、岩手県で幅広い分野の事業を一手におさめる佐倉グループの一人娘の婿探しのところからスタートする。
実の息子達が三人もいながら、末娘に婿をとって事業を継がせるっていう設定は、匈奴や蒙古の遊牧民族の末子相続でもあるまいし、ちょっと設定としてどうかいな・・・と思っていたら、最後の方で、しっかり「義経」と結びつける仕掛けになっているので要注意。 
 
事件自体は、この一人娘の佐倉志津子の結婚相手となった森川義行が殺される。しかも、婚約披露のパーティーに酒樽に切断された首をいれた状態で発見されるという、ちょっとグロな設定。
義行が殺されたと思われる時刻に下関で、志津子の兄とシンポジウムに出席していた、このミステリーの探偵役の古美術商、南条 圭は、昔、志津子の結婚相手に所望されながら断った経緯から、この謎解きに乗り出すことになる、っていうのがおおまかな筋立。 
 
この現代での殺人の謎解きを主テーマに最初のうちはしておきながら、「義経は平泉で本当に死んだのか」という現代の事件とは、およそ関係のなさそうな歴史の謎解きを並行させていき、実は、この歴史の謎の解答が、現代の事件の解答にもなっているというアナグラムを成立させる、という典型的な歴史ミステリーに仕上っている。
 

で「義経北行説」の検証は、まず中尊寺の謎解きから始まる。例えば 
 
字金輪仏は本当に藤原秀衡の護持仏だったのか、 
とか 
金色堂と一字金輪仏の安置されていたと言われる一字金輪閣はなぜ向かい合わせに建てられているか 
 
とか 
 
金色堂は、奥州藤原氏の未来永劫の繁栄を願って建てたものなのに、三代しかミイラを安置できないような壇のつくりになっているのか(しかも四代で、きっちり滅んでいるし) 
 
とか 
 
義経の墓が平泉にないのはなぜか 
 
といったような謎を、今は筆者の歴史に関する著作で有名になった「怨霊信仰」を手がかりに解いていくのである。 
 
 
そして、「義経は平泉で本当に死んだのか」という謎、あるいは藤原秀衡は鎌倉から追われた義経をどう処遇しようとし、康衡はどうしたか、といった歴史的な事象が、現実の佐倉グループの跡継ぎ候補(森川義行殺し)にオーバーラップしていくのである。
 
ネタバレをちょっとすると、義経は逃亡中、鎌倉幕府によって勝手に名前を変えられ(なんでも関白の二条良経と同じ音なので不敬ということらしい)、その名前が「義行」とか「義顕」とかいったことや、源頼朝は本来小さな頃に殺される運命を助かり、これまた、トンでもない幸運で幕府を築いたのだが、そのぶん怨霊とかを鎮めることにかなり気をつかったはずだ、とかいったところが結構、意味をもってきたりする。 
 
 
小説の中ほどのところで南条 圭と地元の郷土史家が、義経北行伝説について語るところで
 
「怨霊が存在するかしないかということと、それを信じる人間がどう影響を受けるかということは、まったく別だ。怨霊が物理的に存在しようとしまいと、怨霊になる条件・法則というものは存在しうる」
 
と話をする場面もあり、筆者の、最近に至るまでの歴史についての著作の端緒、はじまりをみる意味でも面白い。まあ、現代の事件と歴史の謎をシンクロさせるところにちょっと無理があるかなー、と思わないでもないのだが、歴史の謎解きとしても楽しめる歴史ミステリーである。

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