2007年8月25日土曜日

今年のキス釣り

1年に1~2回程度しか行かないので、夏休みの日記ネタと思われてもしかたないのだが、こともキス釣りにやって参りました。
場所は例年どおり飛行場裏。釣れるスポットかどうかは知らないが、足場が安定していて、車を近くに駐車できるのが一番である。
これは息子の勇姿。昨年より様にはなってきている(と、思う)

空も青い。


で、今年の釣果は、これ。キス4匹と、蟹2匹。ちなみに、キスは息子、蟹は私の釣果である。トホホ・・・。

2007年8月4日土曜日

多島斗志之「白楼夢ー海峡植民地にて」(創元社推理文庫)

こんな手練れがいたとはしりませんでした、と言うのが第一印象である。
物語の舞台は、大正9年、第一次大戦後のシンガポール。華僑の有力一族の呂家の娘、白蘭が殺害されている現場に主人公 林田がでくわすところから始まるのだが、のっけからぐんぐん読まされて、最後まで引きずられていくこと間違いなしである。


展開としては、犯人に間違われた主人公の逃亡行とそれと並行して、彼がシンガポールに来て、日本人の顔役になっていくいきさつや廃娼(売春宿の廃止と娼婦のシンガポールからの追放運動)、呂一族の若き統率者である呂鳳生との再会と、弟の虎生とのトラブル、そして現地のイギリス人社会の人間模様、華人社会の勢力争いなどがオムニパス的に語られて、主人公がシンガポールから逃亡する最終章へと流れていくのが大きな流れ。


最後のほうで、白蘭の本当の父親や、華人社会の秩序を維持するための、なんとも冷静(冷酷というべきか)な決断が明らかにされて、それがまあ、白蘭殺しの真相なのだが、こうした個人的な怨嗟に基づかない組織的な理由(きわめて民族的でもあるし、太平洋戦争の隠された遠因という意味で、きわめて政治的でもある)に基づく殺人っていうのも、時代的にはありえたのだろうな、国家の利益を巡ったやりとりというものに慣れていない戦後生まれの私としては、無理矢理納得せざるをえないところはあるのだが、読み物としては、良くできているのは間違いない。

こうした犯人捜しとは別にこの本で楽しめるのは、既に日本では失われてしまった「植民地」というものがもつなんとはない倦怠感と、南アジアという立地のもつねっとりとした暑さだろう。とりわけ、一環して流れる植民地のもつ出口のなさそうな閉塞感と疲れのようなものは、もはやリアルの世界ではなかなか経験できないものだ。

そして、それと関連してイギリスの(あるいは欧米列強の)植民地支配の一コマとして語られる


そこで働く技師たちは、総督府の事務官からは一段低く見られている。ーなぜなら、技師は<プロフェッショナル>の<専門職>だからである。
 プロフェッショナルの専門職はアマチュアの総合職から見下される。それが英国の社会だ。
 プロフェッショナルは報酬が目当てで仕事をする。金のためにあくせく働く。ーパブリックスクールを出た<良家の子弟>には、それは軽蔑に値する行為なのだ。
 アマチュアは、報酬などの依存することなく名誉ある公務にたずさわる。生活を支える収入は。かれらの所有する土地がたっぷり生み出してくれる。
 専門職。これも、指導的立場の人間がつくべき仕事ではない。ー専門職は、深い穴を掘り進むために周囲が見えない。総合職は浅い穴からつねに顔を出しているために大局が見える。





かれらが訊く<出身校>とは、当然パブリック・スクールのことであり、大学のことなどどうでもいいのだ


といったあたりは、当時の(あるいは現在の)イギリス支配的な理念として、善悪の判断とは別に、そうしたものがあったのだ、と認識しておかなければならない話ではあり、また、日本にも根強くあるゼネラリスト志向の話としても聞いておくべきであるし、

呂鳳生の弟の虎生と日本人の娼婦との恋愛とその後のその女が自殺した場面の、


「女は日本人だ。しかも女郎だぞ。そんな女を一族に入れたら、幇(パン)の中での呂家の威信は失墜する。今呂家の力が弱まれば。潮州幇そのものの力が揺らぐ。」


といったあたりは、民族の争いと民族内の争いといった、当時の植民地における裏面を読み取るべきだろう。


ちょっとネタバレにはなるが、最後の章で明らかになってくる、シンガポールをはじめとする南方をめぐる欧米列強(とりわけイギリス)と日本のせめぎ合い、謀略比べは、第2次世界大戦につながる話として虚実明らかではないが、あっと驚かされるのも、また楽しい。


殺人事件の単純な謎解きものと思って読むとあれれと肩透かしをくらわされるが、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間のシンガポールを舞台にした時代推理ものとして読むと楽しめること請け合いの一冊である。。