2009年8月16日日曜日

モツのもやし炒め

本日は、もう一品。
モツのもやし炒めを食す。
モツ炒めだけだと脂っぼいんだが、もやしが加わると、くどさが消えるのが、不思議だね。


アジの刺身と塩焼き

立派なアジの頂きものがあったので、早速、塩焼きと刺身で食す。


新鮮な魚介は、どう調理しても旨いね。



2009年8月15日土曜日

塩野七生 「ローマ人の物語ⅩⅣ キリストの勝利」(新潮社)

ローマ帝国を根本から変えたといっていい、コンスタンティヌス大帝の死後、跡をついだ息子のコンスタンティウス、そして背教者といわれたユリアヌスと続くのが、この巻である。そして非常に象徴的なことに、この巻の最後の第三部は「司教 アンブロシウス」とされていて、皇帝ではなく、キリスト教会の司教の名前が表題である。

まず最初は、コンスタンティヌス大帝の次男であるコンスタンティウスである。とはいっても、最初から、コンスタンティウスが帝国全土を継ぐという形になっていたわけではない。
最初は、コンスタンティヌスの息子三人、甥二人で帝国を5分して統治することとなっていたらしい。
それが、大帝の葬儀の際に、甥二人が暗殺され、その後帝国を三分して統治していた兄弟が、最初は、長兄のコンスタンティヌス二世が、末弟のコンスタンスと北アフリカをめぐって対立して敗死し、コンスタンスは、圧政による民衆の不満を背景にした配下の将軍の謀反により自滅する・・といった経緯をたどって帝国を一人で支配することになったもので、この流れをみて想像出来るように、なんとも疑り深い皇帝であったようだ。そうした皇帝が副帝を任命するというのも不思議なのだが、もう、この時代のローマ帝国は、一人で全土を治めるには、皇帝によほどの能力と体力を必要とするほど、国家の体力が弱っていたということかもしれない。


 そのコンスタンティウスから副帝に任命されたのがユリアヌスで、彼は兄のガルスが謀反の疑いで処刑された後の任命になる。こうしたプレッシャーのかかるシチュエーションであったにもかかわらず、とんでもない力量を発揮している。けして万全の体制と軍備で送り出されたとはいえない、任命後のガリアで、ゲルマン民族を打ち破り、内政を整え、ガリア再興を果たすなど、とても20歳過ぎまで幽閉状態で統治の経験や戦闘歴などなかった若者とは思えない活躍ぶりなのである。さしずめ、哲学者風の織田信長といったところか。
 信長風なのは、そのガリアでの見事な戦ぶりだけでなく、その最期もまた似ている。古のペルシャ帝国の復活を目指して、ローマ帝国東方の攻め入ってきたペルシャ王シャブールとの戦闘で、(おそらくは、ユリアヌスのキリスト教の弱体化に不満をもった)味方のサボタージュにあって、戦闘の最中に、ひょっとすると味方からの槍傷で命を落とすことになるあたり、光秀の謀反にあって、味方と思っていた部下から攻められ最期を迎えるあたりと似ていなくもない。
 そして、もうひとつ共通するのが、宗教への対応ではないだろうか。ユリアヌスがキリスト教の特権を排除しようとした動きは、比叡山焼き討ちや、一向宗との戦に全力をあげた信長の姿がダブって見えてくるのである。

 で、最後の章。こいつが曲者なんだよなー、という思いにかられずにはいられない。時代背景的には、ユリアヌス亡き後のヴァレンティニアヌス、その副帝のヴァレンス、ヴァレンティニアヌス死亡後、ヴァレンスによって帝国の西半分を任されたテオドシウス、そしてヴァレンスがゴート族との戦いで命を落とした後、テオドシウスが帝国全体を治め、といった、まあ、内乱とその後の帝国統一といったお決まりの構図といえなくもないのだが、その陰に見え隠れして、そこかしこでキリスト教の国教化を進め、教会の力を強めているのが、この章の表題でもある「司教 アンブロシウス」で、こいつが時代の黒幕でっせ、と筆者が耳打ちしてくれているように思えてならない。
 こうした宗教者でありながら時代の黒幕的な人物がでてくるってのは、専制君主の体制によく見られるように思えて、共和制や元首制の時のローマが、なんとなく夏の青空を連想させるに対し、この時代のローマは、どんよりとした梅雨空を連想させるのは、おそらくは、こうした、なんとなく胡散臭いというかくぐもったような支配体制の持つ暗さによるのだろう。そして、ヨーロッパ中世を宗教はリアルを支配した時代と考えれば、中世の始まりというのは、西ローマ帝国滅亡で突然始まったわけではなく、こんな頃から、じわじわと墨が布に染みていくように始まっていたのだなと思い、時代の変化というのは、いつもこうした感じですすむのかな、とも思ってしまうのである。

なにはともあれ、ローマ帝国に限らず、すべての体制における「ぐずぐずとした崩壊」に、思いを馳せてしまう一巻でありました。

グリーンカーテン

これが、我が家のグリーンカーテン。ちょっと乱雑ではあるが、窓先の緑は、安らぎを覚えますな。


2009年8月14日金曜日

塩野七生 「ローマ人の物語 ⅩⅢ 最後の努力」(新潮社)

塩野七生氏の代表作といっていい、「ローマ人の物語」もこの巻あたりになると終幕に近づいてくる。

この巻で語られるのは、三世紀終わりから4世紀はじめの、ディオクレティアヌス帝から、コンスタンティヌス帝の時代である。歴史家によれば、ディオクレティアヌス帝から、ローマ帝国は、元首制から独裁君主制に移行したといわれていて、5世紀には、ローマ帝国も迎えるのだから、このデイオクレティアヌス帝、コンスタンティヌス帝の治世というのは、蝋燭が燃え尽きる前に炎が大きくなる現象に似ていなくもない。

ディオクレティアヌスは、帝国を2人で治める「二頭制」や4人で治める「四頭制」といった、国力の落ちてきているローマ帝国がペルシアや蛮族の侵攻をくいとめる苦肉の策ともいえる統治策を打ち出す。この統治方式はローマ帝国を蛮族から守るシステムとして有効に作用するのだが、このシステムの本質は、長年、苦楽を共にし、心の通じ合った友人や部下と、帝国の統治を分担しあうという美しい側面ではなく、

分担とは、現にあるものを分割したのでは済まないという問題を内包している。分担とは各自の責任を明らかにすることでもあるから、その人々の間に競争状態が生まれるのは、人間の本性からもごく自然な方向とするしかない。四人はいずれも、自分が責任を負うと決まった地域の成績をあげようとする。

システムであるらしい。
しかし、この制度も、彼の引退後の、正帝、副帝の食い合いともいえる内乱が頻発する。やはり、国力の衰えというものは、統治制度だけでは補いきれないものなのだろうと、嘆息せざるをえない。

しかも、このシステム、どうやら、行政改革なんぞとは縁遠く、軍隊と官僚をかなりの規模で増加させ、増税も必要になったらしい。まあ、正帝、副帝とはいっても皇帝は皇帝である。そうであるならば、それぞれの宮殿や国を維持するシステムがそれぞれに作られるようになったであろうし、軍隊もそれぞれで独立してつくり運営されるということになったであろうから、当然の帰結というべきか。


ディオクレティアヌスで、ちょっと悲劇的なのは、まだ体力も知力もあるうちに引退し、後進に道を譲るのだが、影響力の衰えは如何ともしがたく、妻や娘の幽囚を、隠居先で黙って見ていなければならなかったあたり。本人にしてみれば、キングメーカーよろしく、「天下のご意見番」あるいはローマ版「水戸黄門」をきめこみたかったのかもしれないが、現実は甘くなかったらしい。



このディオクレティアヌスの引退後、六帝が並び立つなか、天下を征したのがコンスタンティヌスである。この人、西方の正帝でブリタニア・ガリア・ヒスパニアを統治していたコンスタンティウス・クロヌスの息子なのだが、生みの母親は、父の政略結婚で離婚されていて、ディオクレティアヌスのもとで成長している苦労人であったようで、統治の術も巧みであったようで、ローマ帝国を再び一人で治める体制を作り上げたのは「大帝」という名にふさわしいといえる。(もっとも「大帝」と賞賛されたのは、キリスト教の国教化によるらしく、領土的な拡張によるものではないらしいけどね)

ただ、私には、なんとも「暗いな」と思わせるのである。
それは、元老院の弱体化をはじめローマ帝国を完全な独裁君主国家に仕上げたあたりと、六帝の乱立から、帝国全体を手中に収め、さらには支配体制を確立した程の中で、妻の実兄のマクセンティウス、異母妹が嫁いでいるリキニウス、そして実の息子のクリスプスと、自分のライヴァルあるいは、自分の支配を揺るがす種子になりそうなものを、着実に、じわじわと片付けていく風情にあるのかもしれない。

まあ、なんにせよ、彼の下でキリスト教も国教のみちを歩み始めることになる。彼のキリスト教政策がなければ、ヨーロッパ社会はおろか、世界の姿も変わっていただろうから、平和を享受している今の日本の住まう私としては、ひとまず彼に感謝すべきなのだろうな。

2009年8月13日木曜日

熟れたゴーヤはどうなるか?

ゴーヤってのは、普通、緑のうちに食するのだが、娘に我が家のグリーンカーテンにゴーヤがなっているところを見せてやろうと、一個置いておいたら、いつの間にか、緑を通り越して「黄色く」なってしまった。
で、これを捨てるのも惜しいな、と採って置いていたら、なんと、腹が割れてこんな状態に・・・。
中には、赤い種があって、ちょっとグロテスクである。
・・・・が
「この種が食べられる」「実は甘い」、という話をどこかから聞きつけたので、食してみた。
確かに、ほのかに甘い。
野生では、これを動物や鳥に食べさせて繁殖してるんですねー。
うーむ、貴重な体験をいたしました。


2009年8月12日水曜日

鳥取県倉吉市「ひょうたん」でドライカレーを食す

知人に地鶏が食せる「ひょうたん」という焼き鳥屋に連れて行ってもらった。
場所は、鳥取県倉吉市上井町のビルの2F.
焼き鳥は、ねぎまから肝、手羽など、どれも肉が身もしっかりしている。それを塩焼きしてあり、味もしっかりとしている。甘いたタレよりも、やはり焼き鳥は塩焼きが一番。ビールによくあって絶妙なのである。
そして、さらにこの店ならではのメニューが、長芋の素揚げとドライカレー。
長芋は、こちらの隠れた特産のねばりっこという長芋で、ほくほくとして旨い。皮ごと揚げてあるところがまた美味なのである。


そして、さらに絶品なのが地鶏のドライカレー。
なんと隠し味に沢庵が使ってあって、食べるうち、沢庵のほんのりとした甘味がカレーの辛さを和らげてくれて、ガフガフとがっついてしまう味。
場所は、このページに地図が載っているので、焼き鳥好きは寄ってみて、損はないどころか、必ず得をする店である。日本酒も各種取り揃えてあるので、日本酒好きにも良いかもしれない。

CHUBUナビ 「焼鳥屋 ひょうたん」 
http://www.chubunavi.net/category/view.php?shop_id=32&cat1=0&cat2=11

2009年8月9日日曜日

岡山 「中島ブロイラー」の鶏焼き各種

娘を岡山へ送り迎えしている道中にあって気になっていたのだが、いつも客が多くて、立ち寄れないままになっていた「中島ブロイラー」にようやく立ち寄ることが出来た。
この店は、国道53号沿いにある、鶏の丸焼きや腿焼き、焼き鳥の店。ネット上では隠れもない名店なのだが、管理人は、本日が始めての来店である。

で、まずは、丸焼きを1/4にカットしてもらって、腿のほうをもらう。一匹丸ごとなら1800円なのだが、1/4ということで450円。うーむ良心的。(店で見たときは、そんなに大きく感じなかったが、家で皿に載せたら、1/4でも、かなりデカかった。)

このほかに本日ゲットしたものは、まずは腿焼き。一足 300円。


焼き鳥串。一本 60円。

手羽焼き。1パック 300円。

ミンチにして揚げたもの。これも1パック 300円。

味はどれもあっさり系なのだが。鶏の旨味がしっかり感じられて、絶妙。
うーむ、今度はいつ買出しに行くかなー。

岡山剣岡山市 岡山駅前「富士屋」の中華そば

岡山の西口の駅近くのラーメン屋で、最近、雑誌とかによくでるせいか、長い行列ができていた富士屋。
本日は、昼時をちょっとずらしたせいで、待たずに入ることができた。
注文したのは、「中華そば 普通盛り」にもやしをトッピング。
大盛にしようかと思ったのだが、「メン二玉」の文字にビビって、普通盛りに。
スープの味は醤油味であっさり系。厚めのチャーシューがまた嬉しい。
雨がひどく降っているというのに、12時を回るとどんどん客が入ってくる。
隣には、新幹線の短い待ち時間を使って来店しているお客さんもいて、あっという間に満席になってしまった。ラーメン屋はこれぐらい、わさわさしているほうが、なんか活気があって良いよね。


2009年8月6日木曜日

玄箱の自動バックアップHDDをFAT32でフォーマット

(2009.08.03)
玄箱サーバーのバックアップに使っていた外付けHDDが今年の夏の暑さで吹っ飛んでしまったので、替えの自動バックアップ用の外付けHDDを用意することにした。
ただ、今までのように、このHDDをEXT3でフォーマットしたのでは、Windowsで普通では読めないので、万が一サーバが吹っ飛んで、Sambaで接続できない時に、Windows PCにUSBにつなげば接続できる方策を考えることにした。
そのためには、DebianでもWindowsでもアクセスできるファイル形式でフォーマットしておけばいいのだが、玄箱導入のDebian etchでntfsファイルを使うというのは、いまいち安定性が不安である。そこで、ちょっと古い形式で制約も数々あれど、FAT32でフォーマットしようと思ったのだが、XPやVistaでは32G以上のサイズでフォーマットできない。(98やMeでは2Tまでできるらしいのに、これはシステムとして退化ではないのか?)
うーむ、と思ったのだが、ふと、UbuntuのGpartedでFAT32形式でフォーマットできることを思いだし、Ubuntu-ThinkPad A21eを引っ張り出して、フォーマット。嬉しいことに、250Gもなんの障害もなくフォーマットできるではないですか。しかも、フォーマットした後、Vistaに繋ぐと、フォーマットはできないくせに、250Gは認識する。よしよし。
この外付けHDDを玄箱サーバに繋いで、rsyncを使えば、万が一、サーバがクラッシュした時もWindowsで読めるバックアップHDDが出来そうである。
(もっともFAT32では、4G以上のファイルは扱えないから、DVDのリッピングデータの保存なんかはできないが、まあ、それぐらいは良としようではありませんか)
残る問題は、属性が755から変えられなくて、rootからの書き込みしかできないところなんだが、まあ、バックアップ専用とすれば良しとすべきか。
しばらく運用して、またレポートすることにしよう。

(2009.08.06)
バックアップができあがったので、早速、玄箱からはずして、Windows機に繋いでみた。
HDDは認識する。Vistaでは40G以上のFAT32のフォーマットはできないが、認識は支障がないようだ。
では・・・、と思ったのだが、どうやらファイルを書き込む際の文字のエンコードが違うせいが、文字化けして、どうにもこうにもファイル名がなんなのか、さっぱりわからない。
それなら、とUbuntu機に繋いでみたのだが、こちらも文字化けしたまま。
うーむ。うまくいかないものですねー。今度はDebian機で試してみるかなー。


2009年8月1日土曜日

ゴーヤチャンプルと亀の手

最近の流行りにのって、我が家でもグリーンカーテンを始めた。
で、これが初収穫のゴーヤ。
ゴーヤのほかにキュウリも植えている。キュウリは横に広がらないので、グリーンカーテンとしては失敗なのだが、まあ、窓先でキュウリが収穫できれば、これも面白いので、良しとする。


収穫したゴーヤはさっそく、ゴーヤチャンプルーに。ゴーヤの苦味は、白いところにあるらしいので、奥さんに丹念にとって調理してもらう。豆腐の大きさにばらつきがあって、ゴーヤチャンプルの素がまだらなのも、家庭料理の愛嬌というものか・・・。


本日は、珍しく「亀の手」が手に入ったので、これも塩茹でして、食す。
なじみの魚屋の主人が亡くなって廃業してしまったので、こうしたキワモノもなかなかお目にかからなくなってしまった。この亀の手は、漁協と農協がタイアップしている店で入手。