2008年10月8日水曜日

塩野七生「ローマ人の物語 31」(新潮文庫)

コモドゥス帝暗殺後の内乱の時代。
4年間の期間らしいのだが、これを長いととるか、短いととるかは、諸説あろう。

はじめに登場するのは、ペルティナクス。66歳の老将である。
キャリアはほんとの叩き上げ。解法奴隷の子として生まれ、シリアの軍団を振り出しに、最後は皇帝までのぼりつめるのだが、近衛兵の長官に裏切られて失脚。理由は、この長官レトーをエジプトの長官にしなかったから

「小事」にまで批判を受けてはならぬという想いで進めると、「大事」が実現できなくなる。大胆な改革を進める者には、小さなことには今のところは眼をつむるぐらいの度量は必要

で、次が、ディディウス・ユリアヌス。この人は、元老院階級に生まれた、根っからのエリート。
このライヴァルになったのが、ペルティナクスの妻の父でフラヴィウス・スルピチアヌス。
この二人は近衛兵の信任投票で皇帝の座を争ったらしいが、決め手は近衛兵へいくら金をわたすかだったらしい。
こんなことをやっていたら、皇帝の信頼が失せるのは、まあ当然で、案の定、皇帝の座を巡って、軍隊を握っていた将軍たちが名乗りをあげる。セブティミウス・セヴェルス、クロディウス・アルビヌス、ペシャンニウス・ニゲルの三人である(あー、名前長くて面倒くさい)。
勝者は、兵力の多いドナウ河防衛戦担当の軍団の支持を受けたセヴェルス。
やはり、実力主義の時代は、良くも悪くも実力(兵力)が決め手なのだね、と思わせるのだが、実は、アルビヌスもリゲルも、セヴェルスと戦うまでに時間を無駄に浪費していたりしたのが敗因になっていて、勝者は勝者なりに、単に兵力が多ければ勝てるというものでもないらしい。


セヴェルスが皇帝になってはじめにやったことは、元老院の彼に敵対する26人の元老院議員の断罪だったのだが、これは、皇帝を争ったライバルのアルビヌス派だった、ということを理由にしてのことらしい。ただ、もともとアルビヌスはセヴェルスの共同皇帝だったのだから、この時の事を持ち出すのはフェアじゃないよな、と思うのだが、泣く子と地頭のなんとやらで、なんとも暗いイメージの新皇帝のスタート。

そのせいか、当時のローマの識者や現代の識者の評価も、筆者の寸評も、どことなく辛(から)い。

いわく、彼のやった軍制改革により軍隊の居心地がよくなったことが、ローマ帝国の軍事政権化をもたらした

いわく、パルティア戦役の結果、パルティアがササン朝ペルシアにとってかわられた遠因となったが、これは、ローマの「三世紀の危機」の時代の「敵」(パルティアのような「仮想敵国」ではなく)をつくったことになった

いわく、生まれ故郷のレプティス・アーニャの大改造は、故郷に錦を飾った、皇帝権力の濫用

などなど。


どうも、このセヴェルスという皇帝、非常に家庭を大事にしたらしいが、息子カラカラによる近衛軍団長官の目の前での殺害事件(もっとも、このカラカラ、後に弟のゲタも母親の前で斬殺しているから、いわくつきの凶暴息子の気配がただようが・、・・)に象徴されるように、なんとなく治世の始まりかあら終わりまでが陰気な印象を受ける。

最期は、軍人皇帝らしく、ブリタニア遠征のために渡英(というか渡ブリタニアか?)先のヨークで死ぬのだが、このあたりも、どんよりと曇ったイングランドの景色のもとで、息を引き取る様子が連想されるのは、私の勝手な妄想かな・・・

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