2008年10月5日日曜日

早瀬圭一「鮨に生きる男たち」 (新潮文庫)

「鮨」の名店を紹介する本と思いきや、「鮨」に人生をかけた男たちあるいは家族たちの物語である。もちろん、「鮨」に全身全霊をかける職人たちであるから、その店はいわゆる「名店」になっていくのは必然ともいえるのだが、その軌跡をたどる、という性質のものではなく、「鮨」に魅せられ、「鮨」に人生のほとんどを費やしてきた職人たちの歩みの軌跡というべき本である。

とりあげられているのは17人というか17店。

掲載されている店をあげれば
「喜(正式は 七が三つ)寿司」、「鮨 水谷」「神保町鶴八」「新橋鶴八」「奈可久」「鮨 青木」「鮨 徳助」「あら輝」「鮨処 喜楽」「すし処 司」「鮨処 成田」「寿し銀」「吉野鮓」「千取寿し」「松乃寿司」「鮨処おざわ」「すきやばし次郎」
といったところで、鮨通なり美食家の人が聞けば、「あー」と頷く店ばかりなのだろうが、残念何ら、辺境に住まう私としては、一つとして入ったことのない店ばかりだ。

場所は東京はもちろん一番多いが、千葉、金沢、名古屋、京都、静岡とかなり広範囲にわたっているし、店の思いでも、筆者が学生の頃の戦前から始まっているから、時代的な幅も広い。

一体に鮨店というのは、緊張を誘うもので、これは「お勘定」の話もあるのだが(だって、「時価」なんて値札のある食い物屋なんて、滅多矢鱈にないと思う。フランス料理やイタ飯屋、高級割烹にはたしかにあるが、鮨屋はどんな場末の店でも、しっかり「時価」っていうのがあるからなー)、それよりなにより、カウンター
が店の中心で、鮨職人と直接相対するってあたりにあるのではないだろうか。

ラーメン屋とか定食屋は確かにカウンター中心の店はあるが、鮨屋ほど、「直に相対する」感の強い食い物屋はないだろう。
そうした1対1の関係のところで、「お任せ」ならまだしも、一品づつ注文するのだから、かなりの緊張感とともに食事をすることになるのは当然で、正直いうと、この「緊張感」は、私はあまり心地よくない。

ただし、緊張するのは私だけではないらしく、この本の筆者も、最初の店となると、しかもそれが評判の店となると緊張するものらしく

(「すきやばし次郎」に初めて入った時は)

もくもくと食べて14、5分、いやそんなにかからなかったかもしれない。
緊張していて、うまいもまずいもなかった。

という具合であるが、これは

「鮨屋は手が命だから」と外出するときに必ず手袋をし、指の腹の柔らかさを保つため、直接モノを持たない(「すきやばし次郎」の小野次郎氏)

というぐらいの精進をする職人の出してくれる「鮨」に報いるためには、これぐらい緊張して食さないとダメですよ、という筆者の忠告なのだろうか。
たしかに、この本にでてくる職人のいずれも(店を継いだか、親新規開業かに拘らず)長い修行の末に店を持っているし、店を持ってからも、自分なりの鮨の有り様を創り上げるのに相当の修行をしてきている。そうした職人の努力を思って、心して戴きなさいよ、ということなのだろう。


と、まあ、どことなく説教くさくなってしまったのだが、最後に「鮨 徳助」のこんな場面で〆としよう。

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