2008年7月29日火曜日

塩野七生「ローマ人の物語 27 すべての道はローマに通ず 上」(新潮文庫)

ローマの五賢帝のうちアントニヌス・ピウスとマルクス・アウレリススの時代を描く巻の間に挟まれるようにして置かれているのが、この「すべての道はローマに通ず」の巻である。
 
ローマ帝国は、マルクス・アウレリウスの死後、その力を衰えさせていくのだが、その要因はマルクス・アウレリウスの時代に既に仕込まれていたといえなくはないので、いわば、ローマ帝国の物語の上り坂と下り坂のちょうど中間、峠のようなポジションで描かれているのが、この「すべての道はローマに通ず」の巻といっていい。
 
で、何が描かれるかといえば、人物ではなくモノ、「インフラ」である。当然、「インフラ」というのは、自然発生してくるものではないので、それをつくる人、つくるように計画した人はあるのだが、主役は「インフラ」である。いや、これも正確ではないな。「インフラ」にシンボライズされた「ローマ人の精神」とでもいうべきだろう。
 
 
この27巻では、そのインフラのうち
 
街道
 
 
といったものがとりあげられていて、インフラのうちでも、まあデカイものだ。
 

巻頭にいくつかの写真がでているが、まあ本当に立派というか、「元祖ローマ帝国製作」と看板がでていそうな代物である。(ローマの水道橋は教科書にも出る定番の建造物だよね)
 
 
で、思うのは、こうした「道」とか「橋」を国家として整備し、メンテし続けたというのが、やはり「ローマ帝国」というものの神髄を現してると思う。さらには、同じ建造物でも、エジプトやマヤ、アステカのピラミッドや中国の万里の長城あるいは、仏教遺跡のようなものではなく、人と人、町と町を「つなぐ」機能をもつ建造物を整備し続けたというのが、ローマ帝国が他の文明あるいは古代国家と違うところであろう。
 
それは、「開かれた」精神、あるいは「広がっていく」心といってもいい。こうした精神の基礎があったからこそ、「パクス・ロマーナ」といわれた世界国家が長期間にわたって存立しえたのであろう。
 
そこは、同じ世界国家であっても、「つなぐ」という設備を考えなかったモンゴル帝国とも、一番異なるところであろうし、筆者も最初の方に書いているが、「防ぐ」施設である「長城」を建設した中国の諸王朝とも異なる。
そして、結果的によかったかどうかわからないが、あまねくローマ市民権を与えたローマと、華と夷を峻別し、中心を明確にしていた中華帝国との違いでもあるのだろう。
 
 
そんな文明論的なことは抜きにしても、このローマの「街道」(この本でもう一つのインフラとしてあがっている「橋」も、街道を川といった障害物を越えて、伸ばす手段であるから「街道」の一環として捉えていいと思っている)のレベルと国土に張り巡らされている度合い、メンテの周到さは、執念みたいなものを感じて、これは、軍団を駐屯する際も、必ず「基地」という形で、様々な施設を含んだ「擬似都市」を作り上げるのが常であった、ローマ人のインフラ・フェチとでも言うべき性向があってのことなのだろう。
 
 
この「すべての道はローマに通ず」の巻は、派手な英雄も登場しないし、戦闘シーンもないので、読み通すのはちょっと骨が折れる(著者も最初の方で断りをいれているがね)が、腰を落ち着けて読めば、スルメのように味の出る巻である。

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