2008年8月2日土曜日

梅田望夫「シリコンバレー精神」(ちくま文庫)

1996年秋から2001年夏にかけて、筆者のシリコンバレーの経験に基づくエッセイというか、シリコンバレーの一時期を切り取った、現地にいた当事者の記録の集合体である。
いくつか、ネット関連のエポックとなるものがいつ起こったのか調べてみると
windows95の発売が文字通り1995年
グーグルの創業が1998年
ネットバブルの崩壊が2000年
となっている。
そうした意味で、単なるネットに関するエッセイとしてではなく、インターネット時代の幕開けとして「シリコンバレー」が輝き初め、ネットバブルの波の到来と崩壊、そして再生へ、といっためまぐるしくはあるが、私たちの生活に大きな変化を与えた一時代の記録としても貴重な一冊である。
ただ、「シリコンバレー」あるいはそれに代表される「ネットの世界」に住む人たちのスタイルも丁寧に書かれているので、時代の記録集としてだけではなく、「ネット」あるいは「ウェブ」という、一種特殊ではあるが、確実に私たちに浸透してきている思考スタイルや行動スタイルのついての評論集としても読むべきであろう。
いくつか、その一端を引用すると、ベンチャー企業の興廃著しいシリコンバレーのビジネススタイルは
第一に、事業の成功・失敗はあくまでもビジネスというルールのある世界でのゲームで、それを絶対に人生に反映させないこと
第二に、事業とは「失敗するのが普通、成功したら凄いぞ」というある種「いい加減な」遊び感覚を心の底から持つこと。「成功するのが当たり前、失敗したら終わり」という「まじめ」発想を一掃しなければならない。
第三に、失敗したときに、「投資家や従業員や取引先といった関係者に迷惑がかかる」という考えを捨てること。皆、自己責任の原則で集まってきているのだと、自分勝手に「都合良く思いこまなければならない
この3つの知恵は、不運や失敗をしたたかに乗り切っていくための救命胴着
なのであり、その中で挫けることなく挑戦を続ける人々の心の有り様を「マドル・スルー」という言葉で表現している。
「マドル・スルー」とは
 文字通りには「泥の中を通り抜ける」だが、「先行きが見えない中、手探りで困難に立ち向かう」の意。中西輝政京都大学教授に よれば、アングロサクソンには「マドル・スルー」の状態自体をプロセスとして楽しむ骨太の行動文化があり、その文化の存在こそが「霧に立ちこめ始めた時 代」にアメリカやイギリスが活力を保持している所以だとのこと(「国まさに滅びんとす」「なぜ国家は衰亡するのか」)
「泥の中を通り抜ける」、「先行きが見えない中、手探りで困難に立ち向かう」とおう意味だが、その状態自体を「目標に到達するための苦難」だと思わずに楽しむこと
といったもので、そうした「マドル・スルー」を基礎にして、
限られた情報と限られた能力で、限られた時間内に拙いながらも何かを判断しつづけ、その判断に基づいてリスクをとって行動する。行動することで新しい情報が 生まれる。行動するモノ同士でそれらの情報が連鎖し、未来が創造される。行動する者がいなかれば生まれなかったはずの未来がである。未来志向の行動の連鎖 を引き起こす核となる精神
人種や移民に対する底抜けのオープン性、競争社会の実力主義、アンチ・エスタブリッシュメント的気分、開拓者(フロンティア)精神、技術への信頼に根ざしたオプティミズム(楽天主義)、果敢な行動主義といった諸要素が混じり合った空気の中で、未来を創造するために執拗に何かをし続ける「狂気にも近い営み」を、面白がり楽しむ心の在り様
が、シリコンバレーにおける思考スタイルというか行動スタイルである「シリコンバレー精神」だと主張されている。
こうした「シリコンバレー精神」に対する筆者のスタンスは、あくまでも楽天的であり、信頼を寄せているのは、いくつかの章を読めば容易に感じ取れる。
最近、ネットにまつわる、あるいはネットに起因しているといわれるいくつかの陰惨な事件を契機に、ネットの「排斥」運動ないしは、ネットの「ラッダイト運動」的な風向きを感じるのだが、やはり私としても、梅田望夫氏のように、こうした「シリコンバレー精神」に代表される「ネットの未来」、あるいは「ネットによって招来される新しい行動の形」を信頼したいのである。
そして、それは
1998年のクリスマス商戦でアメリカの消費者は約50億ドルの買い物をネット上で行ったが、爆発的に普及するネット通販は既存の小売・流通業をかなりの スピードで破壊する。顧客と直接コミュニケーションできる効率よい道具を得たために、製造業ではネット直販方式に転換して必要なくなった人をレイオフする 企業が増えた。金融・証券も同様。具体例を挙げればきりがないが、予想を上回る勢いで大切な何かを失っていく危険
世界中の「働きたいヒト」の詳細情報や過去の実績がインターネット上で流通する時代の到来は、「置き換え可能」な人材の報酬がグローバル労働市場とリンク する方向を示唆している。米国の法律で定められた最低時給賃金は州によって異なるが四ドルから七ドルの間くらいである。これを下限とした価格競争メカニズ ムは、これまでブルーカラーや低レベルの対人サービス従業者に対してのみ働いてきたが、この範囲がさらに拡大していく

といった負の面を抱え込んでいることは事実であるとしても、閉塞感のある現代を切り開く、有力な選
択肢の一つとして、(何はともあれ)考えていきたいのである。

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