2008年10月7日火曜日

塩野七生「ローマ人の物語 30」(新潮文庫)

本書では、最後の五賢帝 マルクス・アウレリウスの治世とその息子のコモドゥスの治世を描いている。

これにでてくるマルクス・アウレリウスは、即位当時の哲人皇帝の静かではあるが、知性的で凛々しい印象が、なんとなく影を潜めているような印象となっている。まあ、始めたはいいが、先の見えないゲルマン諸族との戦いが泥沼状態になっていたこともあるだろうし、エジプトあたりでの反乱も起こっている。

この危機を、マルクス・アウレリウスは実は、現地のドナウ川の前線で、皇后などの家族と一緒に過ごしていて、そこでは

「皇帝の仕事ぶりは、勤勉を超えていた。・・・非常な小食だった。それも日が落ちた後でなければ食事をとらなかった。日中は何も口にせず、テリアクと呼ばれた薬を溶かした水を飲むだけだった。この薬も、多量に飲んでいたのではない。習慣になるのを怖れたのかもしれない」

といった暮らしぶりは、なんとも生真面目ではあるが、ちょっと鬱陶しさを感じさせる。

このへんは、筆者も同じ思いで、戦闘のない冬季には周辺の蛮族の首長などを招いて、将兵が演ずるギリシア悲劇を鑑賞したカエサルの明るさと対比させているのだが、真面目で仕事熱心な人っていうのは、事業を任せるにはいいのだが、共にに暮らすとなると、少々気が重い。で、皇帝がこんな感じだったということは、この当時のローマ帝国の暮らしぶりは堅実ではあっても、生活の華は少なかったかもしれないなーと思ってみたりする。


で、結局は、マルクス・アウレリウスが死亡したというデマによって兵をあげたカシウスの乱を治め、その後の「第2次ゲルマニア戦役」の準備中に倒れ、死期をさとって、薬、食事、無水を絶って死を迎える、という、なんとも優等生のマルクス・アウレリウスらしい死に方をするのである。

正直にいうと、なんとも、辛気臭くはあるなー、という感じ。


で、このくそ真面目なマルクス・アウレリウス帝の後を継いだのが、息子のコモドゥス。

いや、なんとも評判がわるかったらしいですな。この皇帝。

「帝国の災難」とギボンの「ローマ帝国衰亡史」はこの皇帝から始まるとか、いった具合である。果ては、実の父のマルクス・アウレリウスの謀殺の疑いすらかけられている。

評判の悪いのはマルクス・アウレリウスの死後すぐに結んだ蛮族との講和らしいのだが、これは、筆者は、やむをえない選択ではあったが、手をつけると支持率低下必至の政策、と位置づけている。で、あるならば、優れた父を持った、フツーの息子が、よく陥る、例えば武田勝頼とかと同じような
不運さなのかもしれない。

このコモドゥス、その後、実姉による暗殺未遂後、解放奴隷クレアンドロスを重用した側近政治に走り、このクレアンドロスが配給小麦を減らしたりして市民の暴動を招いたり、剣闘の試合に皇帝自ら出場する、といったよくある暗君、馬鹿殿様エピソードを演じたす末に、愛妾と寝所づき召使などに暗殺される、というおきまりの道を歩んでくれる。


いわゆる名君とその不肖の息子の構図は、時代を問わず、世の東西を問わず、という普遍的な原理を示しているような、マルクス・アウレリウス親子の時代絵巻でありました。

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