2008年7月9日水曜日

「リスクヘッジのために辞める」という価値観

NECのビジネス情報サイト Wisdom の 田中信彦さんのコラム 「新装中国ー巨大市場の底流を読む」の第1回 「中国人はなぜやめるのか」を読んで、最近の会社意識について、いろいろ思ったので雑感を少し。
(サイトURLは https://www.blwisdom.com/vp/china/01/)

コラムの中で、中国人が会社をやめる時の動機が3つあげられているのだが、
中国人には、一つの仕事を長く続けること、同じ組織に長くいることをリスクと捉えて「リスクヘッジのために辞める」という概念があるということにまず驚く。
この考え方の基本には、日本人と中国人の「安定」に対する考え方の違いがあって、日本人は「1対1の関係」(1対1で信頼関係を築くといったことだろう)になることで安定感・安心感を得るに対して、中国人は「1対1」の関係になることによって、選択肢を失ってしまうことに「不安定」を感ずる、といったことらしい。
確かに、日本人の「1対1の安定感」は昨今の、成果主義の見直しや新・家族主義の流れを象徴するものだと思うし、私も日本人として、共感するものが多い。
ただ、もう一つ、中国と日本の歴史的背景の違いに根ざす、「家族」への信頼度の違いがありはしないだろうか。

このコラムでも、一般の中国人が、リスクヘッジとして「副業」を持つことが多く、その内容が、家族や親族との会社経営であったり、夫婦共働きであったりすることをみると、根幹に「家族」というものが据えられているように思う。
一方の日本の「新・家族主義」が「家族」という名前はついているものの、その多くの内容が、会社における社員同士の親睦会や飲み会の開催や、運動会の復活に見られるように、その実態が「会社」の疑似家族化であって、血縁による家族の復権ではないように感ずる。
中国人の生き方の根幹に
「他者に自分の命運を握られない」よう最大の努力を傾けるのが中国人的生き方の真髄である。他者に自分の人生を左右される状態になってはいけない。人生のハンドルは常に自分が握る。そうでなければ安心できない
という意識がある、と、このコラムでもいわれているが、激変の歴史の中で、最後に信頼できるのは血縁の家族だけだった、という中国と、何らかの形で旧来の権威構造が存続できた日本との歴史経験の違いが、こうしたそれぞれの民族の反応の違いを生んでいるのではないだろうか。
それで、なのだが
こうした中国人の行動スタイルは、あながち否定的にとらえるべきなのかな、と思う、今日この頃なのである。
たしかに、こうした世渡りをされては、組織内に経験や知識も集積しないし、集団としての組織だった動きなんてできないよな、と思うし、最近の社会というか、多くの会社で、社員自体が活気を失ってしまっている状態が多くなっている中で、(その原因は、成果主義や個人主義の徹底やIT化による社員同士の分断といったことなんだろうが)その解決策として、教えあいや話し合いを増やすことや、会社内でのフォーマルでないつきあい(運動会といったようなもの)の復活が有効であろうことは分かるのだが、一方で、それが「新・家族主義」という名目のもとで昔ながらの会社への一方的忠誠心を求め、ややもすると応援団長と風紀委員的雰囲気の漂う「旧・会社主義」の復活に陥ってしまわないだろうか、という懸念も抱くのである。
「新・○○」と銘打って、また、どちらかというと息苦しさを感じるところもあった、高度成長期やバブル期の「みんな仲間だ、一緒にいこうぜ。なぜ一緒にこないんだ、仲間じゃないな」といった風潮の単純な復活は好むところではない。
結局のところ
会社が社員の人生全てをフォローできなくなっている現在、会社は会社で能率をあげて生き残るために、新・家族主義をツールに社員の紐帯を強めいくだろうし、社員は社員で、そんな環境の中で、いざという時と自分の精神的な逃げ道として、こうした中国人的な考え方を、スパイス的にもっている、という生き方が最良なのかもしれませんね、と、未だ日本的なサラリーマン環境にいる私としては思うのである。

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