2006年9月6日水曜日

下川裕治「沖縄にとろける」(双葉文庫)

今回も下川さんの沖縄本をとりあげよう。下川さんといえば、東南アジア、とりわけタイやミャンマー、ラオスあたりの旅本が多いのだが、最近は「オキナワ」ものも増えてきた。
 
この本を読んだらわかるのだが、タイ入りするときも最近は那覇経由で行くぐらいの「沖縄フリーク」になっているらしい。
 
もっとも、「沖縄フリーク」といってもスキューバをやったり、釣りをしたりといった類ではなく市場や夜の街をうろついたり、ぼんやりと短いながらも島暮らしをしたりといった、ダラダラ系である。
 
本書の収録は
 
「沖縄カツ丼はチャンポンだったか」
「インスタントラーメンを食べにいく」
「沖縄式自動販売機、裏街道をゆく」
 
 
「南の島のサービス論」
「ルートビアお替わり自由という愛の踏み絵」
「歩かないウチナーンチュとの虚しい戦い」
「非合法島豆腐、沖縄の島々に君臨す」
「放っておいてくれない居酒屋物語」
「沖縄式ビーチパーティーの顛末」
「頼りない男たちのいるビーチ」 
「宮古島に敷かれる泡盛本位制」
「カビの匂いを求めて那覇ホテル放浪記」
「風の島・沖縄の石敢當」
「沖縄そばを食べてアジアに向かう」
 
の14編
 
いずれも、ダラダラ、フワフワ、ノンビリといった形容詞が読むと頭に浮かんでくるエッセーである。
 

例えば
 
野菜炒めの中に長さ3センチほどに切ったポーク(ここのところで「ポーク」と書いてあるのは、豚肉を英語で言ったものではなく、あの沖縄のシンボル「ポークランチョンミート」の略なんだろう。<ブログ管理人>)や豚肉と一緒にトンカツも入ったものをご飯の上にのっけた本土に比べ二回りほど大きな器にテンコ盛りされた「カツ丼」(しかも、沖縄そば付き)に遭遇して、一体これはどういうジャンルの料理なんだと悩みながらも、その具の野菜がいつも内容が違うということに驚かないウチナーンチュの話に、頭がぐちゃぐちゃになったり
 
 
灯りも消え、ひっそりと夜の暗闇の中に死んだように鎮座しながら、お金をいれると深夜でもきっちり動いてくれる酒類の自動販売機に、日本の一部ではありながら、その独自性を失わない「オキナワ」のしたたかさを見たり、
 
 
宮古そばを頼むとカツ一枚とヤクルトがもれなくついてくる宮古島の「大衆食堂」(本書によると「大衆食堂」という名の食堂らしい)や野菜チャンプルーを頼むとご飯と味噌汁、そして、たっぷりの「マグロの中落ち」がついてくる那覇漁港の「まぐろ屋」という飯屋などなどの巨食系の沖縄のサービスについて「サービスだよ。貧しい時代はもういやだからさー。少しでもたくさん食べてほしいから、ついつい多くなってしまうわけさー」と語る食堂の親父の言葉に、島の温かさと島の歴史の片鱗を窺ってみたりする。
 
 
そのほかにも、いくら近距離でも歩こうとしないウチナーンチューの車好きや、島豆腐の作る時のニガリというか海水の扱いや非合法でありながら世間的には合法な白タクや一人で飲んでいても回りからウチナーンチューがあれこれ話しかけてきて、最後は酒盛りになってしまう沖縄の居酒屋など、ちょっと「日本」というものからはみだしてしまう「オキナワ」というものに驚きながらも、いつのまにかそれに慣れ、とっぷんと浸ってしまう筆者の姿が、いつしか自分にオーバーラップしてくるあたり、「沖縄病」のウィルスが感染してきているのだろう。
 
失業者が多いとか熱帯特有の病があるとかいろいろ言われても、「オキナワ」という言葉を聞くと、なにかしら南国特有の温かく、ゆったりとした風と太陽を感じてしまうのは私だけではないだろうし、理由もなくそう思わせてしまうのが、沖縄もその一つである「南国」というものの魅力であり、魔力なのだろう。
 
ちょっと、疲れた時にお薦めの「オキナワ本」である。

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