2006年9月16日土曜日

嵐山光三郎 「文人悪食」(新潮文庫)

一体、「文士」という輩は、どんな食い物を好んでいたか、というよりは、どんな食い物に取り付かれ、彼らの中で「食事をする」というのはどういう位置を占めていたのか、といったあたりを、これでもかってな感じで見せてくれる本である。
 
著者の嵐山光三郎さんは、編集者あがりの作家で、この本に紹介されている文士(小説家じゃないですよ。「文士」ってな表現はがぴったりくるような、教科書の日本文学史にでてくるような人達ですよ)の人の幾人かとも面識が会ったようで、その筆致もやさしいようで、かなり厳しい。まるで、こうした「文士」たちの彼らが隠しておきたかった部分を、ぐいぐいとえぐってくるのである。
 
こうした「文士」たちの性癖というか食癖も、それぞれで、なんとなく作品から想像できるものから、えーっといいたくなるような悪趣味なものまでさまざまである。
 
泉鏡花は、大根おろしを煮て食うほどの潔癖症であったあたりや、
 
三島由紀夫は食い物を食うというよりは、食い物の知識を食っているような人であったり
 
とか「やはりね」と思わせるものもあるのだが、
 

例えば
 
厳格な軍医でもあった森鴎外が、饅頭を飯の上にのせた煎茶の御茶漬が大好物であったり
 
太宰治が大柄な男で、実は大食漢で、鮨屋で鶏の丸焼をむしりとって食うような男であったり
 
結核にかかったゴリラみたいな梶井基次郎が、田舎の貧乏な母親からの仕送りを、リプトンの紅茶(当時はとんでもなく高いものだったらしい)や銀座の店でビフテキを食うのに使っていたり
 
などなど
 
一般人の私などからすると、オイオイ、夢壊してくれるよなー、なんてなエピソードもフンダンにでてくるのである。
まあ、小説を書くってのは一つの業みたいなものだから、その業にとりつかれた人は、食い物に対しても業みたいなものがでるんだろうねー、と思わせた一冊でした。
 
大部なので、途中で疲れてくるけれど、頑張って読むと、大食いした後の爽快感みたいなものが味わえる一冊でもあります。

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