2006年9月17日日曜日

ガンジス河で泳ぐととんでもないものにぶつかるぞ --たかのてるこ「ガンジス河でバタフライ」(幻冬社文庫)

なんとなく精神的にというか、人付き合いや世間のあれこれが面倒臭くなって疲れてきた時に、旅本をやたら読み耽る癖があって、今がその時期である。
力が戻ってきたら、ミステリーやSF、果ては歴史物までわしわしと読み進めたいのだが、ちょっと今はダラダラと疑似旅行をしているところ。
 
 
で、そんな今、書店で思わず手にとったのが、本書である。
表紙は若そうな女性がでかい河か海で泳いでいる姿がどんと写っていて、「なんじゃこりゃ」と思ったのがきっかけだった。
 
 
女性の旅本の書き手といえば、私的には岸本葉子さんを一番にあげたくて、彼女のちょっと上品っぽいというかお嬢さんっぽい旅行記やら留学記が好きだったのだが、この本の作者、たかのてるこさんの語り口はちょっとそれとは違う。下品っぽいのだが猥雑ではない、チャラついているようで以外に根をはっている、そんな感じである。
 
収録は
 
TRAVEL アジア編
 
TRAVEL インド編
 
のふたつで、「アジア編」の方が、初めての海外旅行。それも当然,貧乏バックパッカー旅行。インド編が、その数年後の大学の卒業旅行である。
 
 
海外一人旅にでかける動機っていうのが、「自分を変える」というか「変わりたい」っていうところで、この辺はそんじょそこらの旅行記とあまり変わらないのだが、思わず笑ってしまうのが、一人海外旅に出ると決めた後、死ぬかもしれん、日本に帰ってこれへんかもしれん、と友人にやたらめったら電話をかけまくるあたり。
かけられた友人も、海外のおっかない話をわんさと喋ゃべくる、とんでもない友人だったりする。
 

で、まあ「アジア編」は、香港、シンガポール、マレーシアと東南アジアの「キレイ系一人旅」である(もうひとつの「汗クサイ系一人旅」=タイ、ヴェトナム、ラオスの旅とは、ちょっと違うのだ)。
 
男ばっかり泊まっているドミトリーに一人泊まってどぎまぎしたり、シンガポールで宿の従業員の青年に「シンガポールが憧れだった」と妙な主張をして、とんでもなく親切にされたり、マレーシアでは夜に駅で女性が列車を待っているのは危険だと、見ず知らずの人に自分の家に泊まれといわれ、歓待をうけたり、とか「結構、いろんなことやってるじゃないの」といった感じで、いろんな人に出会い、いろんな親切を受け、さあ、これでスキさえあれば海外を放浪しようという「バックパッカーの出来上がりー」というところである。
 
 
続く「インド編」は、そうしたバックパッカーの聖地というか、はまる奴はとことんはまるし、合わない奴はとことん合わないという、わがまま大陸「インド」である。
 
どうも筆者のお兄さんがインドで伝染病にかかったりしてとんでもない目に遭っているせいか、最初旅立つ前はおっかなびっくりというか、そんなに怖いのに行くのか?ってな具合なのだが、ついた時が「ホーリー」というインドの祭のときで、すっかりそのハチャメチャな雰囲気に洗脳されて、「インド」にどっぷり浸かって、馴染んでしまうのが、この人の凄いところである。
 
で、馴染んだところで旅するところは、カルカッタ、ブッダガヤ、バラナシである。
どうも、このインドというところ、ニューデリー系を旅する人とバラナシ系を旅する人の旅行記には微妙な違いがあるような気がして、バラナシ系の人の方は、どことなく「南」のノー天気さが強いような気がする。
そんなわけで、インドでもカルカッタでは到着した早々、祭の色水の洗礼を浴びてダンダラの初められるし、ブッダガヤでは、寺院のボッタクリのおっさんを日本で悪名高いと脅したり、途中の列車で知り合った人の家にしっかり御世話になったりしている。
 
そして「バラナシ」である。
 
ガンジスのほとりの超有名巡礼地なので、人によってはボラレタり、遺体を火葬する様子を見ようとして、遺族の追いかけられたりサンザンな目に遭う人もいるのだが、筆者の場合、相性がよいというのか、なんというのか、しっかりはまりこんでいて、地元の人もちょっと危険視する店で食事をしても、ガンジスで水浴びしても下痢一つしないし、果てはお坊さんと哲学問答までしてしまうぐらいなのである。
 
 
で、レビューの終わりはいかにもインドらしい、そうしたお坊さんとの会話を引用して終わりにしよう。
 
「ゆっくりと、自分自身を見つめることです。今、あなたは、私と話をしています。でも実は自分自身とも話をしているのです。今だけではありません。どこにいようと、常にあなたは、あなた自身と話をしているのです」
 
どうです、インドっぽいでしょう。
 
 
なにはともあれ、また一人、手練れの女性旅行記作家を発見したことを祝すとしよう。

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