2006年2月8日水曜日

阿川佐和子 「タタタタ旅の素」 (文春文庫)

阿川佐和子さんの旅本・・・というより旅をテーマにしたエッセイである。阿川佐和子さんといえば、週刊文春の、上品だが切れ味鋭いインタビュアーである。こうした人の旅エッセイだから、きっと切れ味鋭すぎて・・うー、と思ったら大間違い、なんともほぁっとしたエッセイである。

舞台となる国というか地域は、それこそ多種多様。でも、どちらかというと外国でいうとアメリカ、香港、シンガポール、ヨーロッパ、日本では京都、軽井沢、長野、広島といったあたりが舞台となるのは、そこらのバックパッカーの旅本とは違うところ。どことなく上品である。

しかし、文中にでてくる話やエピソードは、ありきたりの旅本と違って、うーむとうならされるところが多い。

たとえば、

世の中には、道を聞くという行為に対して消極的な人がいる。地図を見てもわからない。間違った道を来てしまったか。困ってしばし立ち止まり・・・・と、この段階において、なお、じっと考え込み、あるいはとことん歩き回り、なんとしても自力で見つけ出してやると頑張る人がいる

てなあたり、「あ、俺だ」と思ったり、

どうも父君や兄君と違って乗り物オタクではなさそうだな、と安心したり、

シンガポールでお気に入りの土産物が「ハッピーブッダ」であることや、新幹線や飛行機で移動していることを求めながら、そのスピードになんか疲れてしまったりすることに思わず同感してしまったり、

なんとなく、年上の人でありながら、可愛らしくて、なんとも許せてしまうのである。

だからだろうか、

日本人は、山というものを「景観」として認識しているそうだ。友人の山持ちに教えられたことがある。彼曰く、西洋人が山を、「生活の場」と理解するのに対して日本人はむしろ、遠くから見て物思いに耽る。だから、山を「管理する」とか森を「育てる」という意識が薄いのだという。



絶対安全なんてところは世界中どこを探したってありゃしないよ。問題は、自分自身がどの程度その町の危険性を認識して生活するかってことさ

ってなお説教にも素直に「ハイ」と言ってしまうのだ。

まあ、なんとも、はんなりとした旅行エッセイであります。

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