2006年2月6日月曜日

「駅弁」雑感

小泉武夫さんの「不味い!」や阿川佐和子さんの「タタタタ旅の素」を読んでいたら期せずして、駅弁や幕の内弁当をとりあげた章があった。これに触発されて。「駅弁」についての雑感。

阿川佐和子さんは、前掲の本の「駅弁旅情」の中で

「この路線に新幹線が通過するのも、もうまもなくのことである。新幹線が通るようになったら、釜めしや玄米弁当、横川駅のこの光景はどうなるのだろう。まさかあの、新幹線独特のコンビニ風弁当一色になってしまうのだろうか」

と昔ながらの「駅弁」とそれを取り巻く駅の風景について書いている。

ところが、私の場合、「駅弁」への憧れがひどく薄くなっている。

学生時代、地方から上京していて休暇の際に帰省する手段は、鉄道が主流だった。(スカイメイトなんてシステムもあったが、飛行機はまだまだ高嶺の花だった。)。実家は山陰だったから、東京からは、ほぼ一日がかりの小旅行で、(切符代しかないことも、もちろんあって、その時は飲まず食わずで帰省することになるのだが)大概の場合、駅弁を一度か二度は食べることになる。

当時、500円あれば普通のきちんとした定食が食べられる時代だったから、それに比べると駅弁は高価だったように思う。

そのせいもあってか、なにか「駅弁」は普段、街で食べる食事より美味しかったような気がしていたし、就職してから、紐をひいたら暖かくなる駅弁が発売されたときは、妙に感動したものだ。


ところが、最近、とんと駅弁を買わない。コンビニの弁当がやたら普及したということもあるだろうし、出張や旅行も飛行機を多用し始めたということもあるのだろうが、「駅弁」というものに魅力を感じなくなっている自分に気が付くのである。


このブログをきっかけに「駅弁」のサイトをいくつか巡ってみたのだが、郷愁を感じこそすれ買って食べようという気持ちになってこないのである。


「駅弁」に拘りのないのは、自分の子供たちにもあてはまっていて、デパートやスーパーで「駅弁大会」といったイベントがあると、私の老親たちは駅弁を買い込んで、いそいそと孫たちのところへ届けてくるのだが、孫たちは、そんなに喜ばない。

老親たちにしてみれば、「駅弁」というのは一種独特のぜいたく品のイメージがあるらしく、幕の内弁当をはじめ、ウナギ弁当や蛸飯などの変わり弁当を、それこそ大量に買い込んで来て、孫たちにやたら勧めるのだが、孫たちの冷淡な反応に、ちょっと寂しそうにしていることが、ままある。(とはいっても、また「駅弁大会」があれば大量に買ってくるのだが)


「駅弁」という言葉には、外食というものがまだ特別であった時代、列車に乗ることが、まだ特別であった時代が封じ込まれているのかもしれない。


(参考までに)
世間的には、駅弁好きは、まだまだ健在のようだ。これらのサイトを見ていると、そう思う。
駅弁資料館
駅弁屋のホームページ
駅弁の小窓

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