2006年2月3日金曜日

「テレワーク」という働き方

ちょっと精神的に落ち込んでいたのと、家族が病気で入院したため更新が滞っていたが、ひさびさの更新。
ライブドア騒動の後は、東横インの無断改造問題と、世間は相変わらず喧しいのだが、このブログはそうした大問題や世間の大関心事はとりあげないで、小さなことや周辺の事々をとりあげることを身上としているので、今日は、「テレワーク」について書こう。
テレワークについては、日本ユニシスの人が、レポートを書いていて、その中にこんな一節があった。

■ テレワークとは、「IT を利用した場所・時間にとらわれない働き方」を意味する。テレワークの起源は、1962年にイギリスで6名の女性だけでスタートしたソフトウェア開発会社と言われている。
テレワークは、一般的に在宅勤務のように思われがちだが、働く場所には、サテライトオフィス(職住接近型)、スポットオフィス(移動中の立ち寄り型)、そしてリゾートオフィス(安曇野、ニセコ、八ヶ岳…)などがある。一方、テレワーカーの就業形態により雇用型、自営型、内職副業型に区分され、雇用型テレワーカーはさらに外勤型、内勤型、通勤困難型に区分される。また、実施頻度により常時型や随時型に区分される。
■ 日本における雇用型テレワーク人口は、日本テレワーク協会の公表によると、2002年で約286万人、2007年には約563万人と推計されている。(この数字は大企業の従業員に対する調査であり、請負の在宅ワークなどは含まれていない)。携帯電話やインターネットの普及など情報ネットワークの急速な進展とともに、企業の経営者はスピード経営への対応が必要となり、テレワークが普及推進されつつある。



  ( 中 略 )
■ 1日6時間のフルタイム勤務など、これからはさまざまな勤務形態が当たり前という時代がくる。企業とそこで働く個人の関係は、徐々に変わりつつある。正社員、契約社員、請負社員など雇用形態が多様化し、個人の仕事・家庭・地域の各々の場面における生活をうまくバランスさせていこうとする意識が増えてくると考える。
手前味噌で恐縮だが、日本ユニシスでは1985年8月~1986年2月にワーキングマザーが「音響カプラ」を使用した実証実験が実施されており「時期尚早」という結果が出ている。固定型の黒い電話を用いた「音響カプラ」の時代から急速に進展してきた現在では、公共施設である図書館の一角にパソコンを持ちこめば無線 LAN が使える「ホットスポット」が設置されており、例えば、東京メトロが、2004年10月から公衆無線 LAN サービスに取り組み、全165駅でホーム、コンコース、店舗内など駅構内のほぼ全ての場所で高速快適なインターネット環境が使えるようになっている。
また、一部の先進的な自治体では生涯教育にeラーニング体制が整備されるなど、テレワークに対する環境は着々と整備されつつある。携帯電話、インターネットなどの情報通信技術を使って、オフィスから距離が離れた場所で仕事をすることは、今後ますます増えていく。
■ 情報ネットワークを使いこなしていくために、個人のニーズとレベルに合った多種多様な教育学習の機会が身近にあること、そして仕事を確保するための仕組みがあり、仕事の発注者側とそれを受けるテレワーカー側の両方が信頼して安定的に仕事をしていける制度や契約を支援する政策はもっとあってよい

ワーキングスタイルについての話とは別に、「音響カプラ」の時代に、そうしたテレワークの実験をしているというのが面白い。インターネットという言葉ではなくて「パソコン通信」と呼ばれていて、普通のまっとうな人は言葉もしらない怪しげなものと思われていた時代にすでにこうした実証実験をするところに、日本ユニシスの凄さもみるのだが、きっと黒い公衆電話で実験させられた人は、ジーコン、ジーコン、ダイヤルして接続する遅さに加えて、モノクロの画面とにらめっこして、さぞかし大変だったろうな、と思う。



それはともかく、この記事をレポートしている人は女性で、この人もワーキングマザー応援の見地からもテレワークの普及に期待しているようだ。


いったいにテレワークの障害になっているのは何かな、と考えてみると、通信の速度とか守秘性とかいった技術的な部分にあるよりも、「仕事は会社で、みんなでするもの」という意識の面が、一番強いのではないだろうか。

勤務管理の面とか、デスクワークをテレワークにするときのネックなども言われるのだが、なにかしら「仕事は家庭の外で」という発想が根っこにあることがテレワークの普及が進まない一因なんだろう。この点では、会社組織の序列の沁み込みや組織への依存が進んでいない女性の方が「テレワーク」という形態にはなじんでいきやすい可能性を秘めているように思う。



そして、「テレワーク」という形態に思うのは、働く人の勤務場所の自由さのほかに、提供される勤務場所の自由さもあるから、今までの巨大自社ビルの必要性やタイムカードなどの勤務管理のためのガジェットも不要になるかもしれない。

今までの、労働に付随してきた様々なシンボル(自社ビル、大部屋、通勤パス、同僚と連れ立っての昼食や赤提灯)が一挙に用無しになる可能性をも秘めていると思うのは、ちょっと幻想が先走っているのかもしれないが、ワーキングスタイルの大変化、あるいは自己法人化の加速させる可能性を内在しているものであるには間違いないだろう。



そして、自宅ないし自宅にごく近くで働くというスタイルが標準になったとき、家族というものがどういう形になっていくのか、これはまだ想像できていない。

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