2006年2月16日木曜日

開高 健 「もっと遠く! 南北両アメリカ大陸縦断記 北米篇」下 (文春文庫)

下巻は、ニューヨークからニューオーリンズまで。北米というからメキシコまで入るのかと思ったら、どうやら生粋の「アメリカ」まで。

この巻は釣りだけでなく、食い物についても唸る一節の多い巻である。

一体に、開高 健の「食い物」「旨いもの」の表現は、汁(つゆ)がしたたるようであり、湯後が沸き立つようであり、なんとも唾を飲み込みそうな表現が多いのだが、この巻もその期待に違わない。

例えば、ニューヨークのオイスターバーで貝(ハナグリ)を食べるところでは


かわいいハマグリの淡桃色を一刷き。あえかに刷いた、白い、むっちりとした肉、それにレモンをしぼりかけると、キュッとちぢむ。オツユをこぼさないようにそろそろ口にはこび、オツユも肉も一息にすすりこむ。オツユは貝殻に口をつけて最後の一滴まですすりこむ。ムッツリだまったまま、つぎつぎと一ダース、二皿で合計二十四個。


同じニューヨークのチャイナタウンで小汚い中華料理屋に飛び込み、


魚片の入った熱アツの粥をたのむとうれしいことに香油(ゴマ油)を一滴ふりかけてくれた。油條をちぎりちぎりその粥に浸し、香菜(コエンドロ)をふりかけ、垢だらけの欠けレンゲですくう。口にはこびつつ、粥とゴマ油の香りと油條を少しずつ呑みこみ、ついでに声も呑みこんでしまう。


といったところや、

南部のフロリダで


"完全に南部風だ"という宣言はメニュにある。他の地域ではあまりお目にかかれない料理がある。たとえば"グリッツ"であり、たとえば"ナマズのフライ"である。グリッツというのは純白のトウモロコシの製粉粉で、これを茹でたのを添え物としてゴッテリと、どんな皿にものせる。ただトウモロコシ粉を茹でただけで何の味もなく、ちょっとザラザラした重湯かオートミールといったところである。それからビフテキやフライドチキンはどこでも同じ型どおりだが、南部特産料理はチャンネルキャットというナマズのフライで、皿いっぱいにドカドカと盛り上げて出す。頭を落とし、ヒレをとり、皮をすっぽりとハイだのを、三枚におろしたり、切り身にしたりして、粉をまぶして油で揚げるのである


といったあたり、そんじょそこらの料理書やグルメ本にない、旨そうなもの、ちょっと食指が動きそうにないもの、ドッテコトなさそうなもの、ひっくるめて筋の太い味を出している。


それに加えて、フィッシュ・ファイトである。ここでも相手とする魚は巨大であり、乱暴な戦闘相手である。

カナダのトロントで出会う、パイクの親戚のような魚"マスキー"は


ひとくちでいうと、足のないワニである。巨大な、固い、ゴツゴツした頭があり、耳があるなら耳まで裂けたといいたくなるような口である。その内側には炭素鋼製のような鋭い歯がギッシリと生えている。この歯が曲者で、大きいのも小さいのも、ことごとく釣針のように内側に向かって反っていて、一度くわえこんだえさは、小魚であれ、カエルであれ、本人が吐き出したいと思っても咽喉へ咽喉へと送り込むしかないという仕掛けになっている。


こうした魚と格闘し、釣り上げた時、「完璧の時」「裸の知覚」を感じとるのだろう。

諸事に倦み、疲れていたであろう開高 健が、晩年にいたるにつれ、釣りにおぼれこんでいった快楽がわかるような気がするのである。

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