2006年2月19日日曜日

開高 健 「もっと広く 南北両アメリカ大陸縦断記 南米篇」下 (文春文庫)

さて、このシリーズも最終巻である。この巻はペルーから始まり、旅の終わりのマゼラン海峡を望む地、リオ・ガジェゴスまで。


ペルーでは一種、豪快な釣りに同行する。

なにせ、荷物が氷520キロ、水600リットル、米50キロ、ガソリン270リットル、石油60リットル、以下ジャガイモ、トウガラシ、サラダ油・・・と合計2トン、同行者ニ十数名というコルビーナ(イシモチの一種らしいが、体重12キロ、体長1メートル20にまで成長するらしい)や畳のように巨大なヒラメ釣りを数週間にわたって釣る一大旅行というか大イベントである。

しかも旅行の主催はペルーで大規模な日本料理店を営む人だから、当然料理人つきであり、ここで供されるペルー料理が、また食欲をそそるものばかりだ。

それは、

鍋の底にタマネギやトマトやシジャガイモを敷き詰め、軽く塩をふる。その上に魚をのせる。その上にまたタマネギやトマトを敷き詰め、塩をふり、アヒ(トウガラシ)を入れる。その上にまた魚、その上にまたタマネギやトマト。こういう具合にしたのを、水を一滴もいれないで、トロトロ弱火で煮た、「スダド」というスープ




魚(コルビーナ)のとれとれの端麗な白身を刺身にして大皿に並べ、そこへタマネギやトウガラシをふりかけ、新鮮なライムの鋭い果汁をたっぷりとふりかける。魚の肉が酸に焼けてチリチリと白くなる。はんなりと白くなったところをいただく「セビチェ」

であったり、

牛のコラソン(心臓)をワインビネガー、つぶしたニンニク、コショウの粉、クミンシード、塩、小さいトウガラシ(タカの爪)などにおよそ8時間から12時間つけ、それをコマ切れにして太い青竹の串にさし、炭火で焼いた「アンティクーチョ」

などである。

こうしたものを大量に食しながら大釣行を行うのだが、釣果はかんばしくない。二十年来の不漁だと、いいながら、また食し、釣るのである。
豪快な「釣り」というよりも、豪快な「消費」というべきか。


ペルーを出たとなりの国、チリでは、この旅の当時は、まだ熱い話題でもあり、また本家の体制がまだ厳然として健在であった「社会主義」の崩壊、アジェンダ政権の崩壊について、チリ国民への手当たり次第のインタビューも交えながら、かなりの頁が割かれている。

しかし、これは筆者のせいではないが、アジェンダ政権どころか、いわゆる社会主義、共産主義自体が色褪せてしまった今となっては、昔の知識人は、こういうことに悩めていたんだなー、という感慨をもたらすにすぎない。
崩壊後の世界に生きる我々にとっては、ひどく遠い話になってしまっている。

時代の流れは残酷である。


最後の章はアルゼンチン。大繁栄から一転して国家の破産状態を迎えながら、なぜか国民は元気なアルゼンチンである。そこには思想の昏さはみじんもない。

当然、そこで食されるものも釣りも、元気でなければいけない。

ということで、食するのは

一頭の牛を開いて切り取った肋肉まるごと一枚をカタカナの"キ"の字型の鉄串にぶらさげ、岩塩とコショウをまぶしただけで、じわじわと炭火で焼くバーベキューである。

その金色の汗をしたたらしてボッと炎をたてる肋肉からめいめい好きなところを木
皿にとってきて食べ、ぶどう酒を飲みつつ、大木のかげ、日光をさんさんとあびつつ小咄の交換会をするバーベキューであり

釣りは

疾走する。かけまわる。ブッシュにとびこもうとする。ときには全身をあらわしてブッシュからブッシュへ飛び交うこともある。そいつをすかさず強引にひったくって広場にひっぱりだす「サルモン」

である。


そして、最終地のフエゴ岬。途中、ブラウン・トラウトを釣る場面はあるが、総体として静寂、静謐である。

いままでの豊饒さ、熱烈さ、清冽さを清算するかのように、最後は静かに終わる。

しめくくりは、「清潔な明るい場所」の老人に呟きで終わる。


すべては無(ナーダ)に無(ナーダ)。かつ無(ナーダ)にして無(ナーダ)にすぎぬのだ。

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