2005年12月11日日曜日

内田洋子「イタリア人の働き方ー国民全員が社長の国」(光文社文庫)

イタリアというと正直のところ、あまり勤勉なイメージを持っていない。恋を語るには熱心だが、ビジネスとか仕事ということになると、とたんにテンションが下がってしまう国民のように思っていた。なぜローマ帝国やルネッサンス期のヴェネチア共和国のような優れた政体や政治を持っていた国が、そうなったのか。そのくせ、一メーカーをとってみると業界リーダーのような会社がなぜ多いのか、ずっと疑問をもっていたときに出会ったのがこの本。

一読してすべて氷解というわけではないのだが、一番の収穫は、国家とか自治体とか、そういう組織には関係なく元気で個性のあるイタリアの零細企業の数々を知ったこと。

紹介されているのは

たくさんの有名人が訪れる靴磨きの名人の店(ロザリーナ・ダッラーゴ)

何を着て何を買えばよいか、金持ちたちの買い物すべてにアドバイスするパーソナルショッパー(クラウディア・ベルトリーニ)

世界的な絵画修復家(グイド。ニコラ)

イタリアの首相ですら年4本しか手に入らないハムを製造していて(年間の総生産量1500本だそうだ)、しかも儲かることがわかっているのに製造量を増やさないハム製造会社(ロレンツォ・ロズヴァルド)

大量生産は絶対しないし、いくら評判が良くなっても値段を上げない幻のラガービールを製造する酒造会社(メナブレア社)

会社経営の第一目的は<人間としての尊厳を保つこと>におく引く手あまたのカシミアメーカー(ブルネッロ・クチネッリ社)

などなど

どれもこれも、個性だらけのメーカーや事業家たちである。また、だれもが貧困の中から立ち上がって、会社をつくったり、大きくしたりしているのが共通する特色。そして、大事にしているのは家族とか、古くからの従業員たちとの結束。政府とか自治体が面倒を見てくれるなんてことは少しも期待していないかわりに、政府への協力はさほど考えていない、といったところ。

こうした零細だが元気な企業家がたくさんいると経済も底力があるだろうが、国家としての威勢とかそんなことを発揮するのは無理だろうなーと思う。国家とか組織とかを自分の身代わりのように育て、生活を捧げてきた「日本」とは真反対。

もっとも、それは頼りにできる国家が昔からあったかどうかにも関わってくるので一概にどちらが良いか、決め付けるわけにはいかないだろう。しかし、政府とか組織とかが頼りにならなくなってきている今、イタリア人の姿は一考に値する。

ちょっと立ち止まって、今までの私たちの働き方を振り返りたくなる本である。

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