2005年12月4日日曜日

風樹 茂「ホームレス入門ー上野の森の紳士録」(角川文庫)

自らもリストラされた筆者が、上野公園のホームレス達を訪ねる。ある人とは仲良くなり、ある人には疎まれ、ホームレスとの1年間のつきあいを書いたルポルタージュ、「風樹 茂 「ホームレス入門ー上野の森の紳士録」(角川文庫)」を読む。

筆者が訪ねた当時は、失業中の失業保険も切れそうな時期、つまり何時ホームレスになってもおかしくない時期に訪ね始めているせいか、ホームレスの中にすんなり入り込んでいるように思える。しかし、それにもまして、ホームレスが「景気が回復すればいつでも娑婆に戻れそうな人々がほとんど」であることによっているように思えてならない。

最近まで会社の社長であったり、職人であったり、銀行員であったりする人々が、ふいにホームレスという環境に陥ってしまう(いわば国内の経済難民である)という、一般の人とホームレスとの間のボーダーが低い状況は、ホームレスの社会が、娑婆の社会の縮図の様相を呈してくる。夫婦ものもいれば、仕事の手配師のような者やMDウォークマンをつけた若者もいる。そして、こうした貧しい者を救おうとする宗教家(残念ながら日本人ではないし、仏教徒でもない)や職にあぶれた出稼ぎ外国人や日系人(不思議なことに、高度経済成長の時にペルーへ移住した沖縄の人だ。)もいる。そうした人々が、互いに多くの干渉をせず、地理的にはまとまって暮らしているが、精神的には孤立して暮らしているのも、今の日本の縮図のように思える。

筆者は、日本政府は、こうしたホームレス達を、公園から追い出したり、年齢制限付きの就職斡旋しかしないくせに、外国へのODAには湯水のように金をつかっていると憤り、そして、こうした政策を続けている政府に任せていると近い将来、の本は必ず経済的破局を迎えると主張する。
このあたりの論理は、ちょっと飛躍が過ぎて納得できないが、ホームレスを特別なものと扱うのではなく、職の問題について提案をしている筆者の態度は評価できるのではないか。

春の花見の時期から始まったルポは、公園から追い出そうとする行政への集団抵抗する秋、凍死という危険をはらんだ冬を乗り越え、再び春を迎えた時点で終わる。暖かい陽射しのさす上野公園で、筆者の息子が言う。
「おとーしゃん、おじーちゃん、生きていたね」

また一年、生き延びたのだ。彼らも、我々も・・・・・、そして日本も。

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